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第二十四章 帰還と華燭の典

 冒険は終わり、本国に帰還です。

 キーワードに「冒険」があるのだから、

 もっと主人公たちにいろんなところを冒険させようと思っていましたが、

 逆に、とある冒険者に出会わせました。


 開始して、早くも一年。まだ見えぬゴール目指して頑張ります。

第二十四章 帰還と華燭の典



 テヌーラ帝国の最南部の箇所から半島が南へ伸び、更にこの半島の南と東を中心に大小多くの島々が点在する。

 大きい島だと、ホスワード帝国の州を五つ程合わせた程で、小さい島だと、市の領域程か其れ以下だ。

 小さい島は基本的に無人島が多い。厳密には海賊たちの隠れ場所と為っているのが大半なので、無人島ではないが。

 この島々は大国テヌーラ帝国と、西に在る大国ガピーラ王国と、更に西に在る大国アクバルス帝国との海上交易路に為っているので、必然的に其れを狙う海賊が横行している。中継交易地として、繁栄を築きたいこの地域に在る国々は、海賊の取り締まりを強化しているが、何分隠れる無人島が多すぎる為、中々上手く行かないらしい。

 ホスワード帝国歴百五十六年十月二十二日。ウラド・ガルガミシュを使節団長とするホスワードの使節船団は、テーミロードラ王国の首都で、港湾都市でもあるクラピアに入港した。


 テーミロードラは、主に大きな二つの島から為っている国で、どちらも東西に長い形をして、そして両島は東西に並んでいる。

 西の方が大きく、先に訪れたヴィエット王国を一回り小さくした大きさだが、山地が多く、然も全土が熱帯雨林に覆われている為、居住可能な地域が限られている。

 東の島は、西の島より二回り程小さいが、比較的平地が多い為、人口や市が多く、首都のクラピアは最西端に在り、西の島へ直ぐに赴ける。

 言語も特殊で、テヌーラ語が通じるのは一部の役人と限られているので、ヴィエットのこの地の言語に通じている役人に書面と、ヴィエットの国制の符を事前に貰っていた。

 テーミロードラは比較的ヴィエットとは友好的な国と云って好い。


「こんな事なら、あのテヌーラ語が出来る海賊を通訳として、連れ回せば良かったな」

 ヴェルフ・ヘルキオスが下船しながら、ホスワードの礼部省(外務省)の高官たちと、テーミロードラの役人たちの遣り取りの煩雑さを見ていて感想を述べる。

 クラピアに到着する直前、一団は海賊の襲撃に遭ったのだが、其れは撃退し、全て追い払った。

 様々な国の商船が行き交うこの地では、海賊は人攫いも行い、解放金目的の交渉する為なのか、意外と諸国の言語に通じている。

 捕えた海賊の中にテヌーラ語に堪能な者がいた為、其の者を一時的に通訳として使えば好かったのでは、とヴェルフは言っている。

 ヴェルフが着ている軍装が変化している。上は綿の襯衣(シャツ)、下も綿の半袴(ハーフパンツ)で、脚には長靴(ブーツ)でなく、通常の茶色の皮靴を履き、脛に白の脚絆(レギンス)を巻いている。

 帽子も綿で、色だけが衣服も合わせ、高級士官を表す濃い緑色だ。


 カイ・ウブチュブクもヴェルフと全く同じ軍装をしている。この地は一年中夏としか思えない処だ。日陰に居ても暑さは凌げないし、何より湿度がある。故に特別にこの様な軍装や官服を用意され、着用する事が認められていた。

 マグタレーナ・ブローメルトこと、レナも同じような軍装をしている。但し、色は白で、ボタンなどが緑だ。

 襯衣や半袴から覗く、彼女の白い肌は南方の太陽で、やや赤く為っている。

 カイはヴィエットで購入した日傘を彼女の上に差した。宛ら其れは貴人に対する従者の様である。実際レナはホスワード帝国の貴族の令嬢だ。

「大丈夫か?日の当たらない建物内で、ずっと休んでいても好いんだぞ」

「大袈裟ね。これでも夏は子供の頃から海を臨むパールリ州で、水泳を楽しんでいたんだから」

 パールリ州とは、ホスワードのやや北部に在る東側が海に面する州だ。確かに当地の夏場の太陽の強さはこの地に匹敵するが、日陰に居れば熱さは余り感じず、吹く風も乾いて爽やかだ。

 全員、この綿の軽装をしていて、将や高級士官は濃い緑、士官と下士官は緑、一般兵は灰色がかった緑、女子部隊は白、役人は薄緑と為っている。


 女性はレナだけではない、ホスワードより北部のシェラルブクの女性が二十五名、ホスワードの女性が二十五名だ。ホスワード女性も全員が北部の出身で、おおよそホスワードの北部地域は年の半分以上は「寒い」、六月の中頃から、八月の中頃までが「暑い」だが、一日中茹だる様な暑さは先ず無い。

 残りの時期は個人差に因るだろうが、「暖かい」か「少し肌寒い」だ。

 カイがレナを初め、女性たちを心配するのは当然であろう。尤も彼自身もホスワード北部のムヒル州の出身だが。

 カイの双子の弟たちのシュキンとシュシンも、灰色がかった緑色の軽装で、船内から飛び出る様に現れる。二人は夏場とも為れば、この様な軽装で、野山を駆け回り、川遊びをするのが大好きなのだ。

「お前たち、はしゃぐな。ちゃんと上官の傍に居ろ」

 そう軽く注意したのは双子の兄で、カイの直ぐ下の弟のハイケ・ウブチュブクだ。彼は薄緑の役人の軽装をしている。


 この日はウラドを初め、テーミロードラ国王に謁見をするが、礼部省(外務省)と度支省(財務省)の高官たちを交えての会談も行われる。

 テーミロードラで産する護謨(ゴム)を、ヴィエット王国に輸送し、更にヴィエットがテヌーラ帝国の南部の交易都市カンホンへ輸送する。其処でホスワードが護謨を自国へ持ち帰るのだが、当然其の対価が発生する。護謨の用意と輸送、其れに見合うホスワード側の対価について、礼部省と度支省の高官たちは、テーミロードラ国王と其の重臣たちとの意見を摺り合わせねば為らない。

 更に、実際に護謨の視察の許可も貰う。護謨は東の島で生産が盛んなので、クラピアから東の島への渡航と調査の許可も貰わないといけない。

 この東の島への調査はハイケと工部省の技術者十名たち、其れと護衛が赴く。

 ハイケは護衛は十五名程にして、期間も一週間程と決めたが、護衛の隊長にレムン・ディリブラント、副隊長にトビアス・ピルマーを選び、女子部隊からは一人も選ばなかった。

「ウブチュブク指揮官やヘルキオス指揮官みたいな人たちが、彼方此方を動き回っていたら、当地の人は、恐怖とまではいかなくても、余り好い気持ちはしないでしょう。御二方はゆっくりクラピアで休んで下さい」

 カイは弟を傍で守りたいと思ったが、弟にそう言われて、渋々従う事にした。

 南方の人々の成人男性の平均的な背丈は、ホスワード人より、十寸(十センチメートル)近くは低いだろう。

 ホスワードでも珍しい、カイやヴェルフの様な二尺(二メートル)を超える大男が彷徨(うろつ)くのは、控えた方が賢明だ。そう言ったハイケも百と九十寸(百九十センチメートル)を少し超える長身ではあるのだが。


 護謨の用途の一つは、衝車である。衝車とは城壁破壊の為の攻城用の車両だ。

 先端が四角錘と為っていて、三十人で押す巨大な木組みの四輪車両だが、全体が外部も内部も鉄で覆われている。

 極めて頑強な造りだが、爆風の場合、鉄で覆った鉄具が取れ、内部の操作員を傷つける恐れが有る。

 其の為、内部と外部を更に護謨で覆うと云う複合装甲を施す。

 更にハイケは先端の四角錘は其のままにする様に指示していた。傾斜角が在る為、弾丸を弾けるからだ。

 但し、操縦(ステアリング)の造りは変える様にしている。城壁に当たる衝車は後輪が左右に動くが、これは敵陣への突撃車両なので、前輪を動かせる枠組み(シャシ)にする様に指示している。

 護謨も装甲だけでなく、車輪の周囲にも付け、滑らかに動かせる様にする予定だ。

 この複合装甲の突撃車両を最低でも百輌は造りたい、と思っているハイケであった。

 これでバリス帝国と、陸戦で対峙した場合の、榴弾や砲弾の火砲の対策とする。



 テーミロードラ国王との会談も無事終わり、護謨の製作現場の視察も許された。

 ホスワードからテーミロードラへの輸出品は、意外と云えば意外、当然と云えば当然の、「氷」であった。

 確かにこの地では氷は製作出来ない。ホスワードでは氷専門の輸送船も有るので、これを大規模にして、テーミロードラ国へ輸出する。

 一団の宿泊場所は、浅瀬の海上に造られた、木造の宿泊所(コテジ)だ。屋根が藁葺で覆われていて、海は建っている所は緑ががった透き通った蒼で、遠くに望むと紺碧をしている。太陽が降り注いでいるが、潮風が室内に入ると心地よい涼しさを感じる。

 一棟で十人程が宿泊でき、この様な海上の宿泊所は百近く在る。

 各棟はやはり海上に設置された、木造の橋に因って移動が出来、食事等は岸部に在る施設から、この橋を通って、各棟へ運ばれる。

 夕食も終わり、各自は夕焼けに染まる海を見つめながら、酒を嗜んでいる。

 麦酒(ビール)を頼む者もいれば、ココナッツの入った鶏尾酒(カクテル)を飲む者もいる。

 ココナッツは、夕食で出された、様々な香辛料を使って作られた、鶏肉の咖哩(カレー)にも使用されていた。

 カイの宿泊所(コテジ)の同居人はヴェルフ、ハイケ、レムン、シュキンとシュシンだが、ハイケとレムンは二日後に西の島へ赴く事が決定されているので、やや寂しく為る。


「では、気を付けてくれ。くれぐれも無理はするなよ」

 カイはハイケとレムンに言った。二人は軽装では無く、完全防備に近い姿をしている。虫刺され等を防ぐ為、極力肌を露出しない姿で行く。暑い事この上ないが、猛毒を持つ虫も居るのだから仕方がない。

 ハイケ・ウブチュブクを責任者とする、護謨の調査団はクラピアから数艘の小舟に乗って、西の島へ向かった。

 一団は工部省の技術者十名と、護衛の将兵十五名。そして、テーミロードラの案内の役人が三名である。

 西の島はクラピア市内の西側から、肉眼で見えるので、一刻(一時間)程で到着出来る。

「如何する?俺たちは大人しく、この宿泊所で一週間過ごすか?」

「ガルガミシュ将軍にクラピアの視察を頼んでみるが、不可(だめ)だ、と言われたら、大人しく留守番としよう」

 カイはウラドの宿泊所に赴き、其の旨を尋ねると、クラピア市内、との限定付きで、且つ、夕の五の刻(午後五時)までに宿泊所に戻るのなら構わない、と許可を得た。

 云うまでも無く、午前中は基本的に補給物資の調達と、其れを船内に運ぶのが主と為っている。

 カイは、作業を終え昼過ぎに、レナやオッドルーン・ヘレナトが居住している宿泊所に赴き、市内観光に行こう、と誘った。

 日傘を差すレナとオッドルーン、そしてカイとヴェルフとシュキンとシュシンは、クラピア市のテヌーラ語の出来る案内人に連れられ、クラピア市内を巡った。


 市内の奥まった所に神殿が有る。神殿周辺の広場も合わせると、カイの故郷のカリーフ村を一回り小さくした位で、神殿は高さが三十尺(三十メートル)はある石造りの、神秘さと重厚さを併せ持った建物だ。

本朝(わがくに)は特に国教としていませんが、この教義を奉ずる市民は多くいます。王も支援者として、篤く保護しています」

 説明を受けて驚いたのは、この宗教もヴァトラックス教から派生した教えらしい。

 何でも二千年前にガピーラの北部地域で、ヴァトラックス教の教えの影響の元、当地の有力者の貴人が俗世を捨てて、教義を整備したそうだ。

 ヴァトラックス教の善神と悪神と云う超越的な存在を退け、この世が苦しいのは、現世外の外部に原因を求めず、現世が其の様に出来ているのだから、其れを受け入れ、瞑想を重視し、心を落ち着け、涅槃(ニルヴァーナ)の境地に達するのが、重要だと説く。聖なる世界を棄却(ききゃく)しているのだから、死後に人は輪廻し、また同じ事の繰り返しと為る。

 発生したガピーラでは幾つか有る教えの一つに留まっているが、この辺りの諸国やヴィエットやテヌーラの南部地域では、比較的この教えを奉ずる者が多い。


 教団員で無いので、内部に入らず、遠くから眺めるに留め、一同は軽食を出す店へ入った。

 如何でも好い話をしていると、近くに居た一人の男が何とホスワード語で話し掛けてきた。かなりたどたどしいが。

 男の衣服や風貌は、この地の者でない。だが、何処かで見た感じはする、とカイは思った。そうだ!テヌーラ帝国の南部の交易都市カンホンで見たアクバルスの人達の感じに近い。

「貴方はアクバルス帝国の方ですか?」

「そうです。出身は帝国の西の果てですがね」

 四十代前半と思わしき其の男は「世界の旅行者」だと胸を張った。

 彼は二十歳に為る前にアクバルスで国教とされている、聖地へ巡礼に赴いたのだが、其の途上の旅が楽しく、以来諸国を回っているそうだ。

 先ず、彼の故郷から自国内や其の周辺を三年程巡り、其の後、内海を北へと渡り、レムトゥーム帝国へ着いた。彼の故郷からは北の対岸は肉眼で見える距離だ。そして、東へと数年掛けて進み、キフヤーク可寒国や、エルキト可寒国を経て、南下してホスワード帝国には二年以上滞在して居た。

 そして、バリス帝国を一年程巡り、ラスペチア王国を初めとする、緑地国家(オアシス)群を抜け、ファルート帝国から故郷へと戻った。

 数年間資金を貯めると、今度は海上からガピーラ王国に赴き、そして今現在この地に滞在して居る。

 今後の予定は北上して、テヌーラ帝国を数年掛けて回る、と言った。


 鶏尾酒(カクテル)を掲げる彼に、カイはテヌーラのカンホンでも思った疑問をぶつけた。

「貴国の国の教えでは酒は禁止されている、と聞いているのだが」

「禁止では無く、神への礼拝が御座なりに為りがちだから、控えよ、と経典に有るのですよ。例えば、豚肉も他に食す物が無ければ、飢餓を凌ぐ為に食しても好い、ともね」

 彼らの教えもまたヴァトラックス教の影響を受けている。開祖が商人だからか、この様に合理的で、この教えも同様に善神と悪神の考えを一部退けている。抑々、この世が不完全なのは当たり前で、規則正しく善行を積めば、死後に聖なる神の身元に赴ける、と説く。

 人は不完全な世界に居るのだから、完全な世界に()さまう神の御姿など知り様が無く、其れ故に神の像を造り崇める行為は、論理的に在り得ない事だと、これに関しては強く禁止を説く。


「レムトゥームの南東部では、遥か昔に学術が発達していて、当時の学者たちはヴァトラックスを『東方の大賢者』と崇めていたそうです。今では、当時の学術と私たちの教えの影響を受けて、独特な教義を整備して、論理学が重要視されています。彼の国では皇帝を有力諸侯が選挙で選びますが、選ぶ際にこの論理学が流用されているそうです」

 遥か大陸の北西の帝国でもヴァトラックス教の影響が有る様だ。

何処(どこ)彼処(かしこ)も、ヴァトラックス教だらけだな。俺たちだけじゃないのか、やたらとヴァトラックス教を敵視しているのは」

 ヴェルフの感想に、流石のカイも考え込む。

 このアクバルスの「世界の旅行者」はイブンと名乗った。本当はもっと長ったらしい複雑な名なのだが、覚えられないだろう、と言い、旅行時はこの覚え易い名で通している。

 一カ月程、イブンは此処に滞在し、次はカイたちが遣って来たヴィエットに向かい、其の後テヌーラに入国する、と言って別れを告げ、店を出た。



「此処に鳳梨(パイナップル)がある。俺たち人にとっては、これは剥き、切り分け、食する物だが、動物からすれば、棘が有って近付きたく無い物だ。ある虫では内部に入り、生活の場とするであろう。では鳳梨の真の存在理由とは何で有るか?其れが分かるのが、完全な世界である神の領域に於いて、と為る訳だ」

 カイは鳳梨を摘まみながら、ヴァトラックス教を初めとする、形而上の教えとやらに対しての感想を述べた。

「何だか、よく分からない。美味しいのだから、其れ以上は如何(どう)でも好い事じゃない?」

「人に因っては、其れが如何でも云い事では無いのだろう」

 レナの意見にカイは全く同感だ。だが、人間が知り得、体験出来る限界を突き破りたい衝動を持つ者が居るらしい。

 カイの関心は自分が出来うる限りの力を付くし、力なき民が踏み躙れない事、強大な野心を持つ敵を打ち破る事だ。

 其の為に軍に入ったのであり、思弁する為では無い。

 但し、武力のみで人々の安寧が達成される訳では無い事位は弁えている。だからこそ心の拠り所として教えが有るのだろう。

 カイは教えが危険なのではなく、教えを利用して、騒乱を撒き散らす人物こそが危険なのだ、と思った。

 あのパルヒーズ・ハートラウプは、果たして其れに該当するのか…。


 一週間後、ハイケ達が帰って来た。護謨の調査は十分に出来、一つは四寸(四センチメートル)程の厚さの板状に整形が出来、其れを木や鉄に接着可能な材料は、ホスワード国内でも調達可能な事。一つは輪状に整形出来る事。一つは一寸にも満たない厚さで袋状に整形し、其の中に水を入れ人頭大の大きさにした弾が造れる事だ。

 最後のは水弾で、投石機で火砲に浴びせて、複合装甲の突撃車両の支援兵器として使う。

 人頭大の石を調達するのは大変だが、水なら河原で幾らでも補充が可能だ。

 調査資料を纏め、ガルガミシュ将軍や度支省の高官に提出し、許可が下りたら、一団は改めてテーミロードラ国王に謁見して、次なる場所へと向かう。

 次は西に向かい、少し北上してヴィエット王国が在る半島の西側に向かう。この西側の国も北端でテヌーラ帝国と国境を接しているので、主要な目的は軍事同盟で、残りの馬がこの国に全て贈与される。

 そして、其れが終れはホスワードへの帰還だ。

 出港は十一月を過ぎて程無くだった。カイはやや不安を覚えた。航海の不安では無い。そろそろバリス帝国との不戦条約の履行延長の話し合いが始まる頃だ。

 まさか一年で破棄され、来年早々に対峙する、と云う事は無いだろうが、進捗の連絡の入らぬ地に居るのは不安ではある。


 到着したのは、ジェムーア王国で、首都は南部にあるが、北東部の大部分でテヌーラ帝国と境を接している。北西部は直接境を接していないが、ブホータ王国に近い。

 また、堺は接していないが、陸地からでも海上からでも、西の大国ガピーラ王国に数日で赴く事が出来る。

 ガピーラと其の北に在る高原の国のブホータ王国は、直線距離にすると、ホスワードの州を跨ぐ程度だが、実際には両国の行き来は不可能に近い。

 何故ならこの両国の国境は東西に沿って、何里(一里=一キロメートル)も有る高さの山脈に因って、隔てられているからだ。

 最も高い山だと、八里(八千メートル)は超える。

 ジェムーアとブホータの境、ジェムーアとテヌーラの境も山脈に因って、隔てられているが、此方は高さが一・二里程度なので、人の行き来は其れなりに有る。

 テヌーラとブホータとジェムーアの言語は、先ず類似語族と云って好いが、テヌーラ語は統語と語彙でプラーキーナ語の影響が強く、ジェムーア語はガピーラ諸語の影響が強い。ジェムーアの貴人はガピーラの貴人が使用する「完成された語」なる非常に複雑な古語を習う傾向がある。

 この「完成された語」は、開祖ヴァトラックスが教えに使用していた語と、極めて近似している。

 何れにしろ、日常的に使用している言語同士では、相互理解は不可能だが、しっかり学習すれば数年で身に付く、と云った処だ。

 そして、ヴィエットやテーミロードラでも主流だった、ガピーラで生まれた例の教えを、ジェムーアの人々の多くは信奉している。


 十一月十四日。途上、補給物資を得る為に、各港湾都市を一日程泊まりながら、ホスワードの使節団はジェムーアの港湾都市に到着した。この場所から首都へは馬で半日程だ。

 ヴィエットとジェムーアは国境を接しているが、其処は北部の山岳地帯で、更に両国の間には、南へと大河が流れている。

 この大河と、ホスワードを流れるボーンゼン河と、ホスワードとテヌーラを分けるドンロ大河は、全て源流がバリス帝国の奥である、ブホータの山岳地帯から発している。

 山道で、また川を渡る際には船が必要だが、これでヴィエットとジェムーアが、相互に馬を奔らせ、連絡がより迅速に取れる筈だ。

 其の為の両国への馬の贈与である。


 滞在はやはり一週間程で、首都へは案内役としてジェムーアの役人が数人出迎え、ウラドを初めとする百名程の随員が其れに続いた。カイも当然馬を引き連れる役目を任されている。ヴィエットの滞在と同じく、其の間にトビアス・ピルマーが留守として、使節船団の警護責任者、及び物資補給を担当する。

 ジェムーア国王にウラド・ガルガミシュを初め礼部省と度支省の高官たちが謁見を終え、王宮内での会談も無事終えた。

 ヴィエットの時と異なり、騎射等の実演は求められなかったので、カイたちは馬を引き渡すと、特にやる事も無く、王宮内の宿泊所とされた施設で、帰還日まで過ごす事に為った。当然、其の間ウラド達高官たちは、ジェムーアの高官たちとの会談を定期的に行っている。

 とは云え、ジェムーアとの軍事同盟はあまり現実的でないだろう。ヴィエットなら時期に因れば、快速船でホスワードから途中停泊無しで、直接赴けるだろうが、この地は更に南下して、半島を西に回り、北上しなけば為らない。

 ヴィエットから西へ向かう早馬にしても、彼らの馬術を何処まで信頼して好いのか不明だ。

 なので、会談の主な事は両国の友好を深める、差し障りの無い物に終始しているらしい。


 食事は様々な香辛料や香草をふんだんに使用した、スープや咖哩(カレー)が中心で、具材も鶏肉だけでは無く、海産物も豊富である。主食はやはり米だが、豆類の料理も多く、この辺りが西のガピーラ王国の影響を受けている事が好く分かる。

 九月末より出港して、幸いにも今まで大雨に遭わずに済んだが、王宮滞在中のある一日、かなりの豪雨に見舞われた。

 カイは停泊所のトビアスたちを心配した。

 帰還日と為り、ウラド達一同は王宮を辞し、停泊所に向かい、ホスワードへの帰還の途に就く。

 予定では、十二月半ばにレラーン州の港湾都市オースナンに到着出来る。

 大雨が有ったが、トビアスたちも船団も無事で、使節船と三艘の大型船は出港した。

 出発時には、大型船三艘は百頭近くの馬を収容していたが、今は各自の愛馬が三十頭だけなので、何だが少し寂しい思いも有る。



 カイは自分が艦長と為っている特殊大型船の甲板上で、海を眺め、潮風を浴びていた。

 近くには従卒であるシュキンが控えていたが、レナがカイに近付くのを確認すると、彼は更に離れて、両者の会話が聞こえない位置にまで、下がって行った。

「珍しく風も強く、雲も灰色をしているな。レナ、寒くはないか?」

「暑いだの、寒いだの、大した事じゃ無いじゃない」

「そうだな。ちょっと神経質過ぎたな」

 全員、軍装は相変わらず、軽装のを着込んでいる。予備も有るので、一日毎に洗って着ている。

 だが、ホスワードに到着する頃には、この衣服では凍えるだろう。一番の温暖な南東部のレラーン州でも、十二月に入れば、吐く息は微かに白く為る。

「随分と不安そうな顔をしているけど、大丈夫?」

 レナはカイの顔を見上げた。

「そりゃ、帰国して、諸報告を終えたら、その…、俺たちの事をレナの両親や、陛下ご夫妻にご報告しなければ為らんし…」

「あ、其の事なら、オースナンの出発前に、手紙でお父様とお母様に報告済みだよ。多分、アムリート兄様もリナ姉様も知っていると思うけど」

 カイは大きな息を吐いた。

「…あのなぁ、そんな事をしていたのなら、一言、俺に言ってくれよ。こっちはずっと頭半分、御挨拶の事で一杯だったんだぞ」

「あはは、其れは御免なさい。じゃあカイは実家に手紙で報告していないのね」

「そうだよ。さて、馬の様子でも見に行くか。シュキン、行くぞ!」

 カイは遠くに居る弟を呼ぶと、甲板上より、一層目へと入って行った。中には十五頭の馬が収容されている。


 時折、雨が降り、進路を妨害する様な強い向かい風にも遭ったが、ホスワードの使節船団は順当に母国への海路を通り、大体テヌーラの海域に入る頃には、全員普段の軍装に着替えた。既に十二月を過ぎている。

 最後の途上停泊地である、テヌーラ帝国の南部の港湾都市カンホンに到着したのは、十二月八日である。

 そして、最後の物資補給をする訳だが、謂うまでも無く、この南方使節団が一番金が掛かっている。

 カイは水を満たした樽を船内に運ぶ作業をしているが、この水とて無料では無い。

 こうして物資補給を終えた、ホスワードの使節船団の四艘は、一気にレラーン州のオースナン市へと出港した。

 北上するにつれ、北風の冷たさを感じる。外套(コート)が必要な程だ。

 だが、カイは甲板上で、外套で無く、通常の肩掛け(ケープ)を上半身に羽織り、全身に冷たい潮風を浴びていた。

 空は灰色の雲にほぼ覆われ、太陽は淡く其の存在を主張している。国の在る位置で太陽とはこうも変わる物なのか、と思うカイであった。

 この使節団はかなりの費用が掛かっているが、此れまで、香辛料やサトウキビからの砂糖や野菜や果実等の南方の品々を、カンホンで買い付けたテヌーラの商人が、ホスワードのオースナン市で売っていたが、これからはホスワードの商船が直にカンホンに買い付けに行ける。

 長期的に見れば、経済的には大である、とカイは度支省の高官から聞いた。

 其れはホスワードの人々が、これらの物品をより安く買える事に繋がる。

 テヌーラとの戦いに勝利した事が、この有利な条件を結べた結果だが、やはり人々の平和と安寧は武力のみで達成出来る物では無い、と強く感じた航海であった。


 十二月十二日。ホスワードの使節船団は、レラーン州のオースナン市へ無事帰還出来た。

 丸一日、オースナン市の軍施設で休み、ウラドを初め主な各省庁の随員たちは、帝都ウェザールへ報告へと向かう。

 カイの部隊からは、カイ自身、ヴェルフ、レナ、レムン、オッドルーン、そしてシュキンとシュシンがこの一行に入る。当然、皇帝副官ハイケもそうだ。

 カイは部下のトビアス・ピルマーに、三艘の大型船のボーボルム城への帰投を任せた。

 ウラド・ガルガミシュ将軍が率いる、ウェザールへの使節報告団は、途上、バリス帝国との停戦条約が一年延長された事を聞き、胸を撫で下ろした。

 十六日の早朝。ちょうど皇宮での朝議に合わせる様に、一行はウェザールに到着した。天気は晴れているが、北風が強く骨身に染み入るほど寒い。降雪があったのか、日陰ではうっすらと雪が積もっているか、溶けた雪が凍結している。

 オースナン市到着時に帰還の連絡と、ウェザールへの到着予定期日は早馬で知らせてある。

 一行は其のまま皇宮を目指すと、近衛隊の兵たちが荷物を仕分けてくれ、皇宮詰めの役人に因り、宮殿の謁見の間へと通された。


 謁見の間では皇帝アムリートが玉座に座し、左右に文武の高官が並んでいた。

 一行は軍の敬礼ではなく、一斉に片膝を付き、頭を垂れた。

 この様な場では、皇帝より先に言葉を発する事など、許されていない。

「長旅ご苦労だった。皆面を上げ、立ち上がるが好い」

 アムリートの言葉で全員は一斉に立ち上がる。先頭にウラド・ガルガミシュ。そして、彼の背後に各省庁の高官たちとウラド直属の部下達。更に其の背後にカイたちが並んだ。従卒のシュキンとシュシンはカイとヴェルフの真後ろに居るが、流石の二人も緊張で表情も強張り、身が竦む。

 ウラドが皇帝の傍に居る侍従武官に、訪れた国々の親書を手渡ししてから、報告が始まった。

 高官たちが玉座の前で、次々にアムリートに報告をしている。


 其れを見ていたカイは、武官が並んだ列に、ティル・ブローメルト武衛長(軍事警察長官)とラース・ブローメルトの親子が居るのを確認して、内心で驚いていた。

 ティルは最低限の公式の場にしか列席せず、ラースに至っては、現在遥か西方のバルカーン城の司令官として、駐在している筈だ。

 背後で直立不動のまま、緊張している弟たちとは異なった緊張をカイは覚えた。

 如何も、この後皇帝陛下から直々に呼び出されるのかも知れない…。

 カイの隣で直立するレナも、自分の父と兄が居並んでいる事を確認した様だ。

 アムリートが声を発した。何時もの力強い良く通る声だが、何処か陽気な音調(トーン)も感じられるのは、気の所為だろうか、とカイは思った。

「一旦、解散だ。詳細は宰相と共に閣議室で協議せよ。余は後ほど其の内容を受ける。ティルとラースとマグタレーナのブローメルト家。そして、カイ・ウブチュブクは四階の一室に、余と共に来るが好い」

 宰相のデヤン・イェーラルクリチフと共に、三階の閣議室へと主だった関係者は赴く。其の中にはハイケも当然入っている。そして、ヴェルフとオッドルーンとレムンとシュキンとシュシンは、謁見の間に在る、休憩室での待機を命じられた。



 宮殿の四階の部屋はアムリートの執務室の隣に在る部屋で、曾てカイはこの部屋に、ヴェルフと共に呼び出された事がある。ちょうど二年程前の頃だ。

 中には皇妃のカーテリーナと五十代と思わしき女性がいた。アムリートの母親では無い。

「カイ。余の妻のカーテリーナは知っているな。此方はリナ、つまり三姉弟の母親で、ティルの妻のマリーカ・ブローメルトだ」

 アムリートに紹介され、カイは皇妃と皇帝の姑に当たるレナの母親に、恭しく挨拶をした。

「貴方がカイさんね。話には聞いていたけど、本当に巨塔の様に大きいのね」

 マリーカに声を掛けられたカイは、只恭順に首を垂れるだけである。

「さて、皆座ろう。これから話す事は吉事なのだから、楽にして好いぞ」

 全員が席に着く事を命ずると、アムリートは呼び鈴を鳴らした。使用人が現れ、卓に人数分の茶を提供すると、退出して行く。


「では、カイ。ブローメルト夫妻に言う事が有るのでないのかな?」

 この部屋に入ってから、ずっと明るい表情をしているアムリートに促され、カイはゆっくり立ち上がり、二人に正対して、言葉を発した。どんな戦場や面談の場よりも、いや、今までカイが生きてきて一番の緊張を覚える瞬間であった。

「私、カイ・ウブチュブクは、御夫妻の御令嬢のマグタレーナさんと親しく付き合っております。公人としては彼女は私の部下ですが、私人としては彼女は私にとって、とても大事な女性です。彼女とずっと一緒に居る事が、私の一番の幸せだと感じております。上司で且つ何処の馬とも知れぬ武辺者。地位の越権と身分を考えれば、拒絶されても当然と思っていますが、改めて申し上げます。マグタレーナさんを私の妻とする事をお許し願えないでしょうか」

「畏れながら、カーテリーナの様な娘を妻にしたい、と奇矯な事を仰られた御仁が、其方に御座(おわ)しますが、まさかマグタレーナを妻にしたい人物が現れるとは、驚きだよ、カイ・ウブチュブク。この娘の事を宜しく頼む」

 ティルはそう言って、妻のマリーカの顔を見た。彼女も嬉しそうだが、息子に鋭い目を向ける。

「処で、ラースは何時に為ったら、好い人を紹介してくれるのですか?私たち夫婦の不安は貴方なんですよ」

 如何やら、ラース・ブローメルト将軍が、未だ独身である事を、難詰する場に為ってしまった。

 ラースはしどろもどろに為り、其れを見たアムリートとリナは笑っている。

 唖然とするカイは念を押した。

「では、私がレナと結婚する事は許される、と云う事ですか?」

「当たり前だろう。卿は未だ家族に報告していないのだから、先ずは其れを速やかに行うが好い」

 アムリートの其の言葉を聞いたレナは、カイに満面の笑みを見せた。


 この場で一番萎縮してしまったラースにカイは声を掛けた。

「ブローメルト将軍。将軍は今、バルカーン城やラテノグ州の要塞の現場から離れていますが、当地は大丈夫なのでしょうか?」

「うむ。其れなら、バルカーン城はラスウェイ将軍の元で、主席幕僚を務めていた人物が司令官職に就く予定なので、一時的に任せてある。ラテノグ州の方はファイヘル・ホーゲルヴァイデ『中級大隊指揮官』が、一時的に司令官代理と為っている」

 ファイヘルはラースが使節団長と為った、ブホータ王国の主席随員を務め、其の功で昇進した様だ。

 彼は名門軍人貴族の出なので、この様な事でも昇進の対象と為る。恐らく、ラースの様に二十代の内に将軍と為るだろう。

「ラースよ。軍務の話で逃げるな。早く卿も両親を安心させるのだぞ」

「か、畏ました。陛下」

 アムリートに手厳しい一言を言われ、ラースは又も黙ってしまった。


「式場は余とリナが挙式を上げた処にしよう。ここ皇宮から左程遠くない」

「臣下が主君と同じ場所で、式典を挙げる等、畏れ多い事です」

「当時、余は大公だった。其処は貴族同士の婚姻にも好く使われる施設だ。畏れ多くは無い」

 カイを置いてアムリートは次々に事を決めていく。アムリートは又も呼び鈴を鳴らし、次は細長い(グラス)に入った、薔薇色(ロゼ)発泡葡萄酒(スパークリングワイン)を全員の前に用意させた。

「まぁ、前祝いだ。カイの家族の到着を考えると、来年の一月の初めに行おう」

 この分だと、皇帝夫妻は出席する心算らしい。またこうも急ぐのは、ラースが何時までも任地から離れたままなのを、避けたいからだろう。


「式用の礼服(ドレス)も必要ね。私のを幾つか試着してみて、微調整しないと」

「リナ姉様。現役の将校が結婚する場合は、軍装が基本ですが」

「何を言っているの、レナ?新婦新郎が共に軍装で式を挙げるなんて、聞いた事が無いわ。たった一日着るだけなのだから、我慢しなさい。カイさんだって、レナの礼服姿を見たいでしょう?」

 カイは皇妃の勢いに押されて、自動的に頷き、レナは礼服を着る事に困惑している。

 このカーテリーナも夫同様に、次々に事を決めていく。即断即決の似た者夫婦の様だ。

「では、今日からレナは宮殿に泊まって、私の服から式用の礼服を選び、採寸と直しね」

 リナとレナの姉妹は背丈や手足の長さは同じだが、戦場を駆け巡って来たレナは柔軟性のあるしなやかな筋肉が付いている。

 尤も、リナも深層の婦人では無く、乗馬や騎射を趣味とし、時には宮殿の六階にある武芸の訓練場で、近衛隊から指導を受け、剣や槍も扱える。

 戦場の勇士か如何かは置いといて、自分の身は十分に守れる技量の持ち主だ。



 宮殿の一階の控室で待っていたヴェルフたちの前にカイが現れたのは、午後の三の刻(午後三時)だった。

 ブローメルト夫妻と息子のラース・ブローメルト将軍もカイと共にいる。

 カイは手短に自身の婚姻の報告をしたが、皆は笑顔であったが、特に驚いてはいない様だ。ヴェルフが代表して言う。

「やれやれ、漸く決まったか。決まるまでは長かったが、決まってからは随分と慌ただしく為るな」

 シュキンとシュシンは大声で祝福したい欲求を堪えるのに必死だ。何しろ宮殿内なのだから大騒ぎは御法度だ。

「式の期日が其の様に近いのなら、私も出席したいのですが、構いませんか?是非ともレナ様の礼装(ドレス)姿を見たいのです」

「構わんぞ。俺の家に泊まるが好い。部屋は幾らでも在るからな。前夜祭として、ニャセル亭を貸切にして、年末に堅苦しくない祝宴(パーティ)でもやるか?」

 オッドルーンの要望に、ヴェルフは気前よく答え、レムンに祝宴の提案をした。

「えぇ、構いませんよ。如何します、ウブチュブク指揮官?」

「では、ニャセル亭の貸切の件は頼んだ。勿論オッドルーンさんも式に参列して貰いたい」

 カイは帰ったら実家への手紙の文面で頭が一杯である。レナは宮殿に暫く泊まり、式用の礼服の用意。アムリートは既に為政者の顔と為り、三階の閣議室へ行ってしまった事を告げた。

 ブローメルト家の三人は自邸に此のまま戻る。

「ラース、お前も其の祝宴に参加させて貰ったら如何だ?構わんだろう、ヘルキオス指揮官」

「閣下御夫妻も宜しければご参加を。この我が部隊の参軍をしているレムン・ディリブラントの実家が食堂兼宿屋なんですよ」

「若い者たちが楽しく騒ぐのだろう。年寄り夫婦は厳粛な式で十分だよ」

 ティルはこうして断り、ラースの祝宴の参加も決まった。


 この日の夜。ハイケがヘルキオス邸に荷物を持って現れた。

「宮殿に居たら、カイ兄さんの前にレナ様の礼装(ドレス)姿を見てしまうからね。式まで此処でお世話に為るけど、好いかなヴェルフさん」

 アムリートから連絡を受けたハイケは即座に荷物を纏め、宮殿を一時的に辞した。

 カイが苦慮して実家への手紙を書き終え、投函を終えた頃だ。

 こうしてヘルキオス邸は、主人のヴェルフ、カイ、シュキンとシュシン、ハイケ、オッドルーン、そして初老の住み込みの夫婦に因る賑やかな状態と為った。

 カリーフ村からはウブチュブク家とミセーム家、ハムチュース村からはレーマック家が遣って来るので、更に賑やかに為る。

 彼らがウェザールのヘルキオス邸に到着する頃には、レナの礼装も仕上がっているので、ニャセル亭で祝宴と云う名の宴会が開かれる予定だ。

 今年の年末は何とも賑やかで楽しい事に為りそうだ!


 一週間後、ヘルキオス邸は更に賑やかに為った。

 カイの結婚式と云う事もあり、母のマイエと妹弟のセツカとグライは勿論、マイエの両親であるミセーム夫妻、そして今回はモルティ夫妻も来ている。当然ハムチュース村からはタナス・レーマック一家もだ。学校や学院は年末年始に二週間の休みが有るが、タナス達は其れを少し長く取っている。

 其の二日後の昼過ぎに、ヘルキオス邸にラースとレナとツアラが現れた。

 この日はニャセル亭で、午後の九の刻ほどまで貸切で祝宴(パーティ)をする。

 三人とも当然冬用の普段着だが、生地や仕立てが流石に凝っている。

 カイの身内たちは結婚相手のレナが貴族の令嬢だと知ってはいるが、其の兄のラースが軍の将軍と聞いて、緊張してしまった。

「ラース・ブローメルトと申します。カイ・ウブチュブク指揮官は公人としては、有能で偉大な勇士で、私人としては、この変わった妹を妻にするなど、別種の勇敢さを持った人物です。私は軍にて将でありますが、この様な私的な場では、皆様とは今度、家族の様に付き合って戴ければ幸いです」

 貴族の将軍から丁寧に挨拶された一同は緊張が解け、暫しヘルキオス邸の居間で其々歓談して、午後の三の刻前にニャセル亭へと出発した。


 出席者は主役のカイとレナ。ヴェルフ、ラース、ハイケ、オッドルーン、シュキンとシュシン、セツカとツアラ、グライ、そしてタナスとメイユとソルクタニだ。

「処で、カイ。本当にグライ君は十歳なのか?顔付きはそうだが、何とも凄い身体をしているな」

 ラースがグライを見て驚く。身の丈はあと少しで百と八十寸(百八十センチメートル)に届き、重さは百斤(百キログラム)を軽く超えている。

「将軍閣下。この子ったら食べる事しか興味が無いんです。軍中に居たら、糧食を食べ尽くしてしまうので、軍に入れない方が好いですよ」

 ソルクタニを間にして、ツアラと三人で手を繋いで歩いている、セツカがラースに進言をした。

「そうか。だが、戦士としては有望そうだな。セツカちゃん、君を糧秣管理の主計官にすれば、其れは問題無いだろう」

 一部始終を聞いていたレナが兄に言う。

「ラース兄様は何時からそんな冗談を言う様に為ったの?」

「お前が軍に入ってからだよ」

 皆は笑いながら、帝都の大通りを歩き、ニャセル亭へ到着した。レムン・ディリブラントが笑顔で迎える。


 ヴェルフが手短い挨拶をして、祝宴は始まった。話したい事が有れば、呑みながら、食べながらすれば好い。皆は自由に語らい、大いに笑った。

 カイとレナの席回りは、たまたま誰も居なくなった為、二人は語らい合った。

「私は小さい頃から、軍に憧れていたけど、本当に大事なのは、こうやって人々が笑いながら過ごす事なのね」

「俺もだよ。軍務に就いて、この楽しい光景こそが、あらゆる人にとって大事なんだ、と気付かされるとは思わなかった」

 今は周辺諸国との外交が実り、小康状態だが、そう遠くない内に、又も戦乱の日々に為る可能性が高い。

 だが、其の事は二人とも口に出さず、心の中に留め、民衆が明るく安寧に暮らせる様、改めて自身の就いている責務を強く再確認した。



 年が明け、ホスワード帝国歴百五十七年と為った。

 帝都ウェザールの皇宮の謁見の間で、アムリートは文武の高官や、各国の通使館からの大使からの型通りの新年の挨拶を受けると、早くも五日後に行われるカイとレナの挙式に関心を向けた。

 この間、特に重要な公務は無い。

 一日は晴天に恵まれたが、二日から四日にかけて、ウェザールの空は厚い灰色に覆われ、降雪に見舞われたが、五日からは灰色の空は少し薄くなり、太陽が微かに空に輝いていた。

 カイとレナの結婚式の式場は、典礼省(宮内省)に隣接している。

 要するに、此処は貴人専用の式場で、其の場で典礼省のホスワードの貴族に関する管理の長が、証人役として、夫婦として認める儀式を執り行うのだ。皇族の場合は典礼尚書(宮内庁長官)が自ら執り行う。

 一階部分は、其の為の厳かな式場と為っており、二階は大宴席会場と為っている。

 新婦のブローメルト一家が出席するのは当然だが、他の貴人として、皇帝一家とガルガミシュ一家が「私的」に参加する。

 宰相のデヤン・イェーラルクリチフは、皇帝が一介の高級士官の結婚式に参列する事に渋い顔をしたが、新婦が義妹なのだから、致し方無い、と諦念した。


 一月六日の早朝。微かな晴天だが、恐ろしく冷える中、ヘルキオス邸の前に豪奢な二頭立ての馬車が数台到着して、カイを初め、親族と関係者一同は乗り込み、式場へ向う。軍に就いている者は軍装を、そうでない者は式服(フォーマル)を着ている。

 新郎のカイは軍装だが、右肩から胸のボタンにかけて飾緒(かざりお)と云う、金で出来た飾り紐を身に付けている。

 一行が式場に到着した時、式場の門前には、既に新婦のブローメルト一家、ガルガミシュ一家、そしてレムン・ディリブラントが揃っていた。

 ブローメルト家はラースとツアラ、そして老夫婦がいる。両親のティルとマリーカは、既に娘のマグタレーナと共に式場内の控室で準備中だ。

 この老夫婦はマリーカの両親で、ブローメルト家の荘園の管理者なので、パールリ州から来ていたのだ。

 ガルガミシュ家はヨギフ夫妻。長子のウラド夫妻と其の二人の娘である。

 そして、皇帝一家が現れたので、式場前に居並んだ一同は片膝を付く拝跪を行おうとしたが、即座にアムリートが白い息と共に制した。

「其の様な事をしたら、折角の式服が汚れる。其のままで好い」

 皇帝一家からはアムリートと皇妃カーテリーナ、オリュン大公と其の母のタミーラ妃、アムリートの母のカシュナ太后が出席する。

 また、警護と身辺世話の為に、五名ずつの近衛隊と宮殿の使用人が付き従っていた。


 式場は、入口より中央に幅三尺、長さ五十尺の緑の絨毯で覆われた式用通路(ウェディング・アイル)が有り、最終地点が数段上がって証人役が夫婦と為る儀式を執り行う。

 証人役の前には意匠を凝らした聖壇が在り、其の背後は美しい絵が着色された板硝子(ステンドグラス)が壁に嵌められいる。

 通路の両側が出席者の席だが、貴族の式典に使われるので、二百人以上はゆったりと座れるが、出席者が五十人にも満たないので、皆思い思いの所に座る事をアムリートが提案した。

 内壁は二尺の高さに等間隔で蝋が灯され、更に其の上にも板硝子が壁に嵌められいる。式場の高さは四尺近くはあり、天井からは何十本もの蝋が灯された豪奢な燭台が吊るされている。そして周囲には室内用の様々な花が据え置かれている。

 無論、炉も十分に有り、式場内は暖かい。


 控室から新婦のレナがティルに手を引かれて現れた。マリーカも出て来て席に着く。

 レナの礼服(ドレス)は純白で、頭には薄い白の面紗(ヴェール)に因って、顔は隠されている。

 主にホスワードの貴人の挙式は通路の中途まで、実父等の近親者に因り新婦は連れられ、其処で新郎が新婦を託され、証人役のいる聖壇へ共に歩く。

 新婦新郎が共に歩きだした時に、出席者は全員立ち上がり、通路に対して直立不動の姿勢を取り、聖壇前に着くと、着席をする。

 本来、私語は厳禁だが、其処はカイとレナの挙式。幾人かは囁く様に話した。

「如何にか礼服(ドレス)を身に付けての歩き方は、出来ている様ね。初めは歩き始めた幼児の様だったのよ」

「中々、様に為っているな」

 レナは年末の宴会以外、ずっと宮殿に居住して、姉から礼服を身に付けての歩き方を習っていた。

 彼女にとって、これはどんな軍事調練よりも大変であった。姉夫婦としては感慨深い。

「レナ様。御綺麗…」

 聖壇前でカイが帽子を取り、彼に因ってレナの面紗が外される。美しく化粧されたレナの顔が露わに為った。帽子と面紗は近くに居る典礼省の役人が預かる。

 特にセツカやツアラやウラドの娘たちは、年頃の少女なので、すっかりレナに魅了されている。


 証人役の典礼省の高官が、聖壇に一枚の書面を出し、二人に署名する事を言い渡した。

 二人が署名し終えると、証人役は其の書面を読み上げ、最後にこう宣言した。

「ホスワード帝国歴百五十七年一月六日。此処にカイ・ウブチュブクとマグタレーナ・ウブチュブクは夫婦と為った」

 この年でカイは二十五歳、レナは二十四歳。若い夫婦だ。アムリートとリナは共にこの年で三十二歳だが、此処で挙式を挙げたのは、十二年以上も前である。

「カイ、レナ。誓いの接吻が未だだぞ。余たちは無理やりやらされた。卿たちも其れに倣って貰おう」

 アムリートがヴェルフを見た。これまで神妙に大人しくしていたが、主君の意図を察して、この厳かな式場ではやや陽気すぎる大声を出した。

「ほら!二人ともさっさと見せ付けろ!そして、皆で拍手をして式は終わりだ!」

 カイは憮然とした顔をしたが、レナの両肩を軽く掴み、彼女より三十寸以上背が高いので、無理やり身を屈め、彼女の唇に自分のを如何にか合わせた。

 五十名にも満たないが、拍手と歓声は満場の席の様だった。典礼省の高官と部下たちは、まるで市井の結婚式の様に為っているのに、半ば呆れかえっている。


 長い階段を上がり、二階の宴席会場に一同は入った。ここも天井までは四尺はある。

 既に卓の各席には、前菜と、大人たちの席には発泡葡萄酒(スパークリングワイン)、子供たちの席には甜橙(オレンジ)果汁(ジュース)が並べられている。

 其の為か、子供たちの卓はオリュン大公を初め、セツカ、ツアラ、グライ、ソルクタニ、ウラドの二人の娘が揃って着席する事に為った。

 タナスは自分の娘が大公殿下と同席している事に、心配をしている。妻のメイユはそんな心配性な夫に笑顔で微笑む。

「大丈夫よ。セツカも居るし、同じ年頃の子たち、話し合いたい事は沢山有るんじゃない?」


「ヴェルフよ。祝杯の音頭は卿が取れ」

 アムリートに促され、ヴェルフは主賓席に座る、カイとレナに向き合い、発泡葡萄酒の(グラス)を掲げ、先程より、更に大声で祝福の言を放った。

「カイ・ウブチュブクとマグタレーナ・ウブチュブクに乾杯!二人が永久(とこしえ)に幸福である事を!」

「乾杯!」、と全員が唱和し、食事が始まった。

「やれやれ、まるで軍中で兵を鼓舞する様な調子ですな。まぁ、あのお二人にはお似合いだが…」

 レムン・ディリブラントが自席で、そう感想を述べ、発泡葡萄酒を煽った。


「其の姿だと、料理を食べるのも一苦労だな。汚さない様に神経を使っているんじゃないかって、見ているだけで、ひやひやするよ」

「ちゃんとリナ姉様から、礼服(ドレス)を着ての食事作法も習ったから大丈夫。でももう二度と御免だけどね」

「確かに野戦料理の方が俺たちには合っているな。調練中なら構わんが、戦場での食事は、別の意味で極力避けたいがな」

 カイは宴席内を見回した。

 皇帝夫婦の卓には、タミーラ妃、ラース、ハイケ、シュキンとシュシンが居る。双子の弟たちは緊張からか、食す速度が遅く、ハイケから落ち着いて食べる様に、と忠告され、其れを見ている皇帝夫妻は笑っている。

 カシュナ太后の卓には、マイエ、マイエの両親のミセーム夫妻、ブローメルト夫妻、マリーカの両親、ヨギフ夫妻が居る。落ち着いた感じで談笑している様だ。

 ヴェルフの卓には、ウラド夫妻、オッドルーン、レムン、レーマック夫妻、モルティ夫妻が居る。ヴェルフが色々と下らない事を言っているのか、一番笑いが絶えない卓だ。

 オリュン大公の子供卓では、グライの健啖ぶりに皆驚いている。セツカの注意の声が聞こえてくる。

 この身分の上下に囚われない宴席は、皆笑顔で楽しんでいる。至福とは将にこの事だ。

 カイ・ウブチュブクは教えを全否定する心算は無いが、至福とは、誰にでも少しの手助けが有れば、実感出来る物なのだ、と強く感じた。


第二十四章 帰還と華燭の典 了

 架空世界とはいえ、宗教的なものは避けては通れないな、と思い、

 うっすらとではありますが、結構前から書いちゃっています。

 極力、不快感や偏見を与えない様に注意しているつもりです。

 ですが難しい問題なので、結局うっすらと出しているに留めています。



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