第二十三章 大海の騎兵隊、南洋の諸国へ
題名通り、南への慰安旅行です。
よろしくお願いします。
第二十三章 大海の騎兵隊、南洋の諸国へ
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ホスワード帝国歴百五十六年九月十日。場所はホスワード帝国の最も南東の州のレラーンの小さな漁村のトラム。
この日は、休暇を過ごしていた五人の将兵が、騎行にて任地であるボーボルム城へ向かう日であった。
天気はこの地域のこの季節としては珍しい、雲一つない晴天で、早朝から、太陽の光が大地と海に強く差し込んでいる。
任地のボーボルム城は真西のラニア州のドンロ大河沿いに在るが、この様に天候に恵まれれば、騎行なら二日と経たずに着くだろう。
先頭に高級士官のカイ・ウブチュブク、其の次に彼の従卒であるシュキン・ミセーム、そして士官のマグタレーナ・ブローメルト、シュシン・ミセームと続き、最後尾にこのトラムで生まれ育った高級士官のヴェルフ・ヘルキオスと云う並びである。シュシンはヴェルフの従卒だ。
皆、其々の軍装をしているが、シュキンとシュシンは武装していない。従卒は基本的に武器の携帯が許されていないからだ。
見送りとして、ヴェルフの大叔父夫婦がいる。大叔父は元々漁で生計を立てていたが、今はほぼ隠居状態である。
但し、彼らはヴェルフの家とカイの邸宅、そしてヴェルフとカイの漁船を定期的に整備しないといけない。
生活費などはヴェルフが送り、更にカイの邸宅の管理者である夫婦は、実質租税が半額と為っている。
どれも週に多くて二・三日行えば済む事なので、この老夫婦にとっては適度な健康を保つ運動程度だ。
「じゃあな、じいさん、ばあさん。達者でな」
「家と船の事を宜しくお願いします」
ヴェルフとカイが老夫婦に挨拶して、村を完全に出る迄は、五人はゆっくりと騎行して行った。
五人ともまだ若い。最年長のヴェルフがこの年で二十七歳だが、軍人貴族でないのに、この年齢で高級士官なのは極めて珍しい。更に彼は約千二百人程の大隊の副帥なのだが、主帥のカイに至ってはこの年で二十四歳だ。別帥でこの大隊に所属している二百名程の女子部隊の指揮官である、マグタレーナことレナはこの年で二十三歳。従卒の二人はカイの双子の弟たちで、この年で十八歳に為る。
一行は無駄口をせず、ひたすら進んだ。其れはもう任務だから、と云うのも有るが、実はこの日まで同じ村に居ながら十日ぶりに、カイとレナはヴェルフとシュキンとシュシンに会っている。
三人とも何も話し掛けて来ないので、カイとレナは益々黙りを決め込んでしまった。
村を完全に出ると、速度を上げて、最短でボーボルム城へ到達出来る道を選び、奔って行く。
道は整備されている。片側が馬で速度を上げ、もう片側で反対方向に徒歩で進む者が居ても、危険で無い広さだ。そして、道の両側には一定間隔で木が植えられている。
ホスワード帝国は、ほぼ全土の主要な市に対して、この様な道が張り巡らされていて、更に河川は運河で繋がり、水上の移動も盛んだ。
陸路は三十人は乗れる四頭立ての馬車が、定期的に運行し、水路はやはり小さくても三十人は乗れる船が運行している。これ等は市民の移動の為で、更に物資の輸送用の馬車や船が帝国中を行き交っている。
この交通と物資輸送を管轄をしているのが宰相府で、宰相府は内政全般を司る、各省庁でも最も権威のある省庁である。
現在の宰相はデヤン・イェーラルクリチフと云う者で、カイとヴェルフは高級士官に為ってから、何度か彼と顔を合わせている。六十代後半の如何にも厳格な行政官とした佇まいに、委縮とは云わないまでも、軽口が叩けない人物だと容易に察した。
しかし、人伝に聞いて驚いたのは、彼は爵位の無い傍流の下級貴族の生まれで、カイの弟のハイケの様に大学寮を出て、各省庁の底辺の役人から、着実に実績を積み、第五代皇帝のフラート帝に因って、各尚書、そして宰相に抜擢された事だ。
「そういった先例が有るのなら、ハイケも将来は宰相に抜擢されるんじゃないか?」
ヴェルフがカイに述べた感想である。
西へとレラーン州から、クラドエ州へ、そしてラニア州に入り、ドンロ大河沿いに向かうと、直ぐにボーボルム城が見えた。
九月二十五日に大型船三艘が、レラーン州の湾岸都市であるオースナン市へ向けて出港する。
オースナン市が使節団の出港地で、既に使節用の船が停泊中で、また贈与品であるイオカステ州からの馬六十頭程も届いている筈だ。
其れまでは三艘の船の整備と、赴く人員との定期的な会合が主と為る。
カイの部隊である「大海の騎兵隊」は十五日までに、ボーボルム城に現地集合だが、抑々一割程はずっとボーボルム城に残っていた。
多くが帰る家が無い、または実家に帰りたくない、と云った者たちで、主帥としてカイは彼らの事情を深くは問わず、ボーボルム城の滞在を許していた。
随員は二百五十名で、カイを初め部隊の幹部たちは全員が参加し、内五十名は女子部隊と為っている。女子部隊の二十五名ずつが、シェラルブクとホスワードの女性たちから構成される。
残りの千名近くは一番閲歴のある士官に任せて、一時的にボーボルム城の司令官である、アレン・ヌヴェル将軍の指揮下に入る。
カイたちがボーボルム城に到着した次の日に、ウェザールから皇帝副官ハイケ・ウブチュブクと参軍レムン・ディリブラントが、十名の工部省の技術者と共に到着した。
彼らもこの使節団の一員である。
ハイケからカイは家族が無事に故郷のムヒル州へ到着した事を聞き安堵する。
レムンは実家とは云え、ずっとニャセル亭で働き通しだった様だ。
カイは半ば苦笑しながら、出発日まで、レムンには重要事項の会合以外は、彼に宛がわれた士官用の部屋でずっと休んでいて好い、と命じた。
使節団は他に出しているが、これ等は既に帰還済みである。出発したのが初夏だからだ。南方使節が十月からなのは、当地は九月の終わり頃まで、しばしば暴風雨に見舞われるからである。
既に帰国済みの使節団は、エルキトの西部に在るキフヤーク可寒国と、バリス帝国の西部に在るブホータ王国である。
前者の団長はオグローツ城司令官のマグヌス・バールキスカン将軍、後者の団長はバルカーン城司令官のラース・ブローメルト将軍であった。
どちらも其々の君主に謁見して、問題なく修好を終えたそうだ。
両国ともラスペチア王国に通使館を設置する予定なので、今後の連絡も定期的に出来る。
南洋諸国は距離的に、ラスペチアに通使館など設置出来ないので、ある意味最も重要な使節団であろう。
2
エルキト藩王国の君主である、可寒クルト・ミクルシュクは精力的に国力の充実を図っていた。
エルキトの主産業と云えば、牧畜と交易と鉱山と鍛鉄、そして掠奪であった。
これは問題である。勿論、掠奪自体が問題だが、撃退される、と云う事もエルキトの歴史上しばしばあった。問題とは失敗した場合、内乱に直結し易いのだ。
クルトは自分の支配下の諸部族を見回り、鉱山業と鍛鉄は、バリス帝国から技師を誘致して、其の労働環境の改善を既に図っている。
交易に関しては、各部族の市を行う場所を整備して、通行税を取る事を禁止している。
また、一部の河川からは砂金が獲れる事が判明すると、選鉱鍋を用意させ、希望者を募り、金の採掘に当たらせている。
バタル帝時代に盛んだった、鷹狩用の崖上の鷹の捕獲は全面的に禁止させた。
更に、ジャガイモやキャベツ、そして、砂糖の原料となる甜菜等の寒冷地域でも育成可能な適地が在る為、農作業にも当たらせている。
此方は宗主国のテヌーラ帝国から専門家を呼び、灌漑等の整備をした。
遊牧民であるエルキト人は、定住して農作業をやる事に抵抗を示したが、栽培過程で発生する草などで豚も飼育させ、安定的な食糧自給が自分たちでも出来ると判ると、素直に従った。
この辺りは、テヌーラ帝国で役人をやっていたクルト・ミクルシュクだからこそだ。
エルキト藩王国は歴に宗主国のテヌーラ歴を用いているので、この年は百八十二年と為る。クルト・ミクルシュクはこの年で二十九歳。テヌーラ帝国で生まれ育ち、礼部省(外務省)の役人と為り、元々はエルキト帝国でテヌーラの通使館の長をしていた。しかし、当時のエルキト君主であるバタル・ルアンティ・エルキトが衆望を失うと、彼自らが弑して可寒となり、彼に反対するエルキト諸部族を自ら征した。
役人としての高い能力を持ちながら、戦場では陣頭に立ち武を誇る勇士で、其の剛勇は剽悍なエルキトの戦士たちを力づくで従わせる程である。
身の丈は百と九十五寸(百九十五センチメートル)を超え、体格は筋骨逞しい。明るい褐色の頭髪は、側頭部を剃り、後頭部を伸ばし、其れを編んで垂らしている。整った顔立ちは、他者を威圧する険しさを漂わせ、細長い鼻の両目は落ち窪み、其処から発せられる鋭い眼光の瞳は、黄みがかった薄茶色である。
テヌーラのミクルシュク家はプラーキーナ朝の末期に権勢を誇った、相国ビクトゥル・ミクルシュクの次子が亡命したのが祖であり、ビクトゥル・ミクルシュクの故地はエルキトに近い所なので、クルトは謂わば遠い先祖の地に帰って来たと云える。
「ホスワードはキフヤークに使節団を送ったのか、成程」
エルキト藩王国の首都である、「南庭」と呼ばれる所で、クルトは報告される様々な国内外の情報に目を遣り、決裁を下していた。其の声を発する口は大きいが唇は薄く、明瞭で良く響く低音である。
バタル帝時代はキフヤークとはかなり干戈を交えていた。大体に於いて、エルキトの優位に事は進んでいた為、キフヤークとしてはホスワードと手を組み、復仇を遂げる心算なのか。
「ふむ。バリスの西の国にも使節団を送っていたのか、これは恐らくテヌーラの南の国々にも送るだろうな」
「如何いう事でしょう、藩王殿下」
傍に居た配下のテヌーラ人が問う。
「ホスワードは三方から囲まれているが、最悪我ら三方を全て敵にした場合に備えて、我々と国境を接している国々との結び付きを強めたいのだろう」
「では、アヴァーナ帝にこの事はご報告為さいますか」
「其処までせずとも、アヴァーナ帝なら気付き、手段を講じられるだろう。我らは我らのするべき事をすれば好い」
ホスワード帝国歴百五十六年は、バリス帝国歴百四十八年と為る。この年の四月の終わり頃より、バリス帝国の北西部のとある農村で、ハルヒーズ・ハートラウプなる旅芸人風の男が、住み込みで農作業を手伝っていた。
パルヒーズはこの年で三十二歳に為る。身の丈は平均的な成人男性よりやや高い方で、細身の体は引き締まり、身軽そうである。顔付きは何処か優しげで、薄茶色の瞳は常に穏やかで、やや長い癖のある赤みががった茶色の髪をしている。先ず挙がる特徴は、実年齢より数歳は若く見える、と云った処か。
この村はバリス帝国内でも特殊な村である。住民が全てヴァトラックス教徒なのだ。
小さいながらも善神ソローと悪神ダランヴァンティスの神殿も有り、其れを管理する神官もいる。
地域的にラスペチア王国に近いこの辺りは、伝統的にラスペチア王国の影響を受けていた。
バリス帝国では、ヴァトラックス教の信仰の自由は限定的に認められていて、「他者に布教活動をしない」、「居住地の勝手な移動は認められない」、と云う条項を守れば、本人の自由意思で入信も許している。
パルヒーズは四月の半ば頃に、バリス帝国の首都ヒトリールのとある一角で、ある人物と面会して、此処に身を隠す事を勧められた。
其の人物とはバリス帝国の皇太子ヘスディーテであった。
パルヒーズは農作業をやりながら、数年前にヘスディーテと初めて会った時の事を思い出していた。
パルヒーズは数年前に、「師父」エレク・フーダッヒの命により、バリスとの接触を図った。其れは将来バリスがホスワードに侵攻する際は、スーア市を明け渡すので、後方基地として利用して良い旨だった。
スーア市の市長がエレク・フーダッヒな訳だが、エレクは自分の名を出さず、スーアでヴァトラックス教の地下活動をしている指導者だと、バリス側には伝えていた。
いや、彼は今でも自身の正体がバリス側からスーア市長とは知られていない、と思っている筈である。
パルヒーズと初めて対面した、パルヒーズより九歳年下のヘスディーテは容赦がなかった。
「地下活動をしていて、決起しスーア市を占拠する、と言うが、其の様な大規模な数の活動員がスーアには潜んでいるのか」
「後方基地と為るのは結構だが、其の後、我が軍がホスワードと停戦した場合、我々はスーアに駐留したままで良いのか、其れとも卿ら自身で市を守るのか」
「最終的な卿らの目的を聞こう。我々の目的は最大でもウェザールで城下の盟を誓わせ、ホスワードを屈服させる事。最低でもホスワードの西部の領土を得て、ホスワードに対して、領土的、経済的、軍事的に優位に立つ事だ」
これらを聞いた時、パルヒーズは今まで溜めていた水が決壊する様に、自身のまだ不安定な将来像を吐露してしまった。
先ず、決起と占領は容易である。何故なら指導者とはスーア市長其の人だからだ。
そして、市長の目的はダバンザーク王国の復活だが、自分は其の様な事には興味は無く、只バリス帝国の様に制限付きの信仰が守れ、神殿の建立が認められた村落が在れば十分。其れが認められない場合は、ホスワード内の全ヴァトラックス教徒は、自身が率いてラスペチアへ移住する。
ヘスディーテは暫し考え、こう言った。
「つまり、卿と卿の師父は目指す方向が異なるが、卿は表面上は師父の言い成りに為っている、と捉えて好いのだな」
「左様で御座います、殿下。若しお疑いなら、私を捕え師父の名を出し、ホスワードに突き出しても構いません」
「卿の言を信じよう。本朝のヴァトラックス教徒の村の様に、件のクラドエ州にある村に神殿の建立を認め、ホスワード人にも制限付きの信仰を許そう。只スーア市は要所故、我がバリス領とする。独立国家の件は認めん」
こうして、パルヒーズ・ハートラウプは「師父」エレク・フーダッヒとヘスディーテの二重間諜として、活動を始めた。彼個人の希望はヘスディーテの言った方である。
3
ボーボルム城から三艘の大型船がドンロ大河を東へ向けて出港した。九月二十五日の昼頃である。
一艘は通常の大型の輸送船だが、二艘は船首が騎馬隊の移動用に為っている、先年のテヌーラとの水戦で活躍した特殊大型船だ。
特殊大型船を運用しているのは、単に馬を多く乗せられるからである。
場合に因っては、当地にて馬術や騎射の演武も行うかもしれないので、カイを初め三十名程は自分の愛馬を収容している。
通常の大型船の艦長は、九月付で新任士官と為った人物が務めている。カイとヴェルフが初めて部下を持った時の二十人の内の一人だ。他は一人が既に軍を辞め役人に為り、残りの十八人は上級小隊指揮官で、この新任士官を含め八名が使節団の一員だ。
この新任士官はトビアス・ピルマーと云い、年齢はこの年で三十歳である。身の丈が百と八十五寸程、がっしりした体格の持ち主で、操船、騎射、武芸、どれも高い水準の持ち主で、先の俗謡詩人調査でもレムン・ディリブラントを好く補佐していた。
当然、トビアスは十年前に志願兵から入った平民出身である。彼の昇進速度が大体普通だ。寧ろやや早い方である。カイとヴェルフの昇進速度が特異なのだ。
二艘の特殊大型船の艦長はカイとヴェルフが務め、主だった幹部と側近は、カイの船にはレナとハイケとシュキンが乗り、ヴェルフの船には女子部隊副指揮官オッドルーン・ヘレナトとレムンとシュシンが乗っている。
工部省の技術者たちはトビアス・ピルマーの船に乗っている。
ドンロ大河を出て外洋に出て、三艘の大型船は暫し北上する。三艘とも縦に三つ横帆が付いた帆柱が二つ、大きな一つの縦帆が付いた帆柱が一つ在る。
甲板上には後方に楼閣が有り、一層目が馬の収容場所と為っている。二層目は左右三十の櫂と、船尾に櫂舵が有る。基本的に乗組員は楼閣内か二層目で寝起きをするが、馬の世話役は一層目の後方に仕切られた部屋にて生活する。
三艘とも大体、八十名以上が乗り込んでいる。
ボーボルム城から出航した三艘の大型船が、レラーン州の港湾都市であるオースナン市に入港したのは、九月二十七日の早朝だ。
大型船より、二回りは大きい使節用の船が停泊しているのが、即座に分かる。
カイたちが下船すると、一人の士官が現れた。見知っている顔である。今回の使節団長のウラド・ガルガミシュ将軍の副官だ。
副官は将軍からの言伝を二点述べた。
先ず、出港日が三十日なので、其れまで馬は陸地で休ませたいので、指定された厩舎に馬を収容する事。此処には既にイオカステ州からの馬六十頭程が収容されている。
そして、全員の顔合わせの為、オースナン市の軍施設に集合する事だった。
軍施設とはホスワード国内にある、軍関係者用の宿泊施設だ。規模は大小様々だが、全土で百程在る。
そして、オースナン市の軍施設は五百名は宿泊出来る規模の大きさだ。
既にウラド・ガルガミシュ将軍を初めとする、使節団は二日前から此処に泊まっており、人員はウラド直属の部下が二十名、礼部省(外務省)の高官が十五名、度支省(財務省)の高官が十五名、使節船の運用関係者たちが百名程揃っていた。
カイたち護衛兼馬の世話役の二百五十名と、工部省の技術者十名が加わったのだが、この軍施設にはこれら全員を集めて集会が出来る広間も在るので、一同は其処に参集した。
壇上が有り、ウラドがよく通る声で、全員を見渡して挨拶をした。
「南洋諸国使節団の団長を拝命したウラド・ガルガミシュである。卿らはもう知っていると思うが、同様の使節団のバールキスカン将軍とブローメルト将軍も修好を無事に終えている。張り合う訳では無いが、我々は海上移動で、且つ複数国を回るので、私はこの使節団が最も重要な任だと思っている。其れに選別された卿らは十分自信を持って好いし、活躍する事を期待する」
壇上にはテヌーラ帝国以南の大きな地図が掲げられ、礼部省の一人が赴く海路と国々を説明した。
其れが終わると、ウラドは使節団の主要な人物を紹介していく。紹介された者は壇上に上がり挨拶をした。
使節船の艦長、礼部省と度支省と工部省の其々の責任者、そしてカイとヴェルフとハイケも壇上での挨拶を求められた。
「カイ・ウブチュブクと申します。小官は使節団の護衛と贈与品の馬の世話を任されています。この様な使節団の随員に選ばれた事は大変に光栄です。任務外の事でも何なりとお申し付け下さい。尤もこの身体なので、力仕事位しか皆様のお役には立てないでしょうが」
会場は軽い笑いに包まれたが、殆どの者たちがカイたちの実績を知っているので、色々とざわつく。堂々たる体格を褒める者もいれば、若さに驚く者もいるし、あの「無敵将軍」ガリン・ウブチュブクの長子と次子だと興奮する者もいる。
ウラドは自分以外の者たちを下がらせて、最後に締めくくった。
「如何やら、卿らは皆色々と語り合いたい事がある様なので、本日の夕食は此処で皆でしよう。酒も大いに振る舞うぞ。言って於くが今日だけだからな」
歓声が起こり、其のまま一旦、夕食時の宴席まで解散と為った。
「オッドルーンさんの息子は、そう云えば幾つに為る?」
「今年で九歳に為ります。何でもウブチュブク指揮官の末の弟君は十歳なのに、レナ隊長や私より背丈が高いとか」
カイとオッドルーン・ヘレナトが話している。他にはレナ、ヴェルフ、ハイケ、シュキンとシュシン、そしてレムンが一緒だ。
オースナン市はトラムのカイの邸宅を改装した職人が住んでいるので、仕事の邪魔に為らない程度に、彼に礼を述べに向かう途中である。
オッドルーンとレナの身の丈は百と七十寸を少し超える位だが、カイの末弟のグライはもう百と七十五寸は超えているだろう。
この年に二十九歳に為るオッドルーンの夫は既に亡い。バタル帝時代に、息子の顔を見る事無く、鷹を捉える為に崖を登っていたが、滑落して事故死している。
「実は、この度の休暇で私たちのシェラルブク部隊は半数程が結婚しました。特に問題は無いでしょうか?」
「結婚」という言葉にカイとレナは反応を示し、二人は一瞬視線を合わせた。
「いや、問題は無い。素晴らしい事だ。そう云えば数名の男性兵士も、この帰郷で結婚したと報告してたな」
先の士官に昇進したトビアスが其れに該当する。
「では、彼女たちの夫たちは家を守る為に、留守番をしている訳だ。これは面白い」
ヴェルフが大笑いする。
「エルキト藩王国が如何出て来るか分かりませんからね。彼らは部族を守っているとも言えましょう」
ハイケが笑いながら補足する。
「私はウブチュブク指揮官の邸宅が是非とも見たかったですな。次の休暇は如何か私も呼んで下さい」
レムンの言葉にカイは曖昧に頷き、ヴェルフとシュキンとシュシンは、其のカイを見ていて、若気ている。
「外から見る分には構わんが、もう内部は愛の巣に為っているからなあ。残念ながら泊まる事は出来んぞ」
ヴェルフが言うと、レムンは何となく了承したようで、同じく若気た。レナは俯き、カイは呆れる。
「何なんだお前たちは。今日はガルガミシュ将軍が楽しく遣る事を許しているが、明日からはそんなふざけた顔は許されんぞ」
オースナン市はヴェルフが幼少期より、彼の父に連れられ、何度か訪れていて、抑々、当の職人もヴェルフと彼の大叔父がこの地で依頼した人物だ。彼の工場へカイたちは赴き、作業中だった為、簡易な礼を述べ、昼食はヴェルフの案内で、とある飲食店で行った。
当然海産物が主体と為るが、遊牧民のオッドルーンはもうホスワード軍での生活が長いので、特に問題は無い様だ。
他の部下達も、オースナン市に詳しい使節船の運用員たちに案内され、各所を巡ったり昼食を取って、夕近くには、全員軍施設に戻った。
夕食は全員の宴会状態と為り、カイやハイケの周りは色々な人達が集まり、兄弟は質問攻めにされた。
こうして賑やかな夜は終わり、次の日からは粛々と皆準備に入り、出港日の三十日を迎えた。
カイたちは馬を自船に乗せる作業を行う。
4
九月三十日。天候は薄い雲が在るだけの晴天。北東から吹く潮風は微かに冷気を孕んでいる。
午前の九の刻(午前九時)に、使節船は三艘の大型船を率いて出港した。
使節船内には、馬以外のホスワードの様々な産物が贈与品として保管されている。
当然、使節船に乗っているのはウラド・ガルガミシュを筆頭に各省庁の役人たちだ。
ハイケは皇帝副官と云う立場上、使節船に移乗している。
使節船は甲板上の中央部分と、後方に楼閣が有り、後方は二層造りに為っている。
長い船首から大きな一つの縦帆がはためき、縦に三つ横帆が付いた帆柱が三つ並び、後方の楼閣にも大きな一つの縦帆が付いた帆柱が一つ在る。
帆の色は白で、各帆には緑の三本足の鷹が配されている。軍用であるカイたちの大型船は帆の色が逆だ。
最初の目的地は、テヌーラ帝国の南部の港湾都市である、カンホン市に寄港する。此処で主に物資補給をする事に為る。
物資で先ず必要なのは水である。四艘とも大人一人が体を丸めて入れる大きさの樽に、水を満たした物を何十個と用意しているが、使用すれば当然無くなっていく。特に馬を乗せた三艘は無くなりが早いし、衛生上掃除用にも使用する。
次に食料だ。食料は肉と魚の干物と、干し葡萄が入った堅パンだけを大量に積んでいる。どれも保存性が有る。但し、大型船には馬用の草が必要だ。
陸路の使節は、騎馬や馬車にて数百頭の馬を連れて赴いたが、途上、川や草地に赴けば、馬に関して世話は最小限で済む。だが、海上だと百頭にも満たないこの使節団は、馬には最大の注意を払わねば為らない。何しろ大切な商品だからだ。
食料は野菜や果物を主に補充する。これ等は傷みやすいので、長期保存が出来ず、直ぐに食べ消費するが、人体には定期的に野菜や果物を補充していないと、壊血病の恐れが有るからだ。
航路は象限儀と云う、円の四分一の扇形に目盛りの付いた物にて、太陽や星を観測して、位置を判断する。使節船の航海士の仕事で、カイたちの三艘は其の後を付いて行く。
季節的に北東から風が吹いているので、其れに乗り、位置を微調整して進む。
テヌーラ帝国の南部の港湾都市カンホンが、肉眼でも見えて来たのは出港して三日後の事だった。
テヌーラ帝国には事前に自船が、この都市に入港する事は通達済みである。
前年の戦の和約で、ホスワード側が南洋の諸国と、通商する際、カンホン市を使用する事を認めさせたのだ。
カンホンは港湾都市であると共に、商業都市でもある。
人口は二十万を超え、港湾施設は此れからカイたちが赴く、南洋の国々の商船は元より、南西の大国ガピーラ王国や、遥か西の大国アクバルス帝国の商船も停泊している。
ホスワードの使節船団は四日間物資補給の為、ここカンホンに停泊する。
この日のカイたちの役目は馬を下船させ、陸地にて休ませる事だった。
場所確保の為に、礼部省のテヌーラ語が堪能な役人に、其の交渉を任せる。
行き交う住民も様々だ。何故なら半数近くが、先ず服装がテヌーラの一般の市民が着る物でなく、言葉も明らかにテヌーラ語で無い言語が行き交っている。
カイは此れに近い体験をした事が有る。曾て、ラスペチア王国の通使館に駐在武官として滞在して居た時だ。
但し、単純に人の数が異なるので圧倒される。ラスペチアは滞在して居る諸外国の住民を合わせても、十万には届かない人口だったからだ。
学院ではバリス語やエルキト語やテヌーラ語など、語学も選択出来るが、カイは其の方面ではあまり良い成績で無く、テヌーラ語に関しては簡単な挨拶程度しか出来ない。
テヌーラ帝国の総人口は三千五百万を超え、基本的に人口は海岸側である東部に集中している。
国土の形は楕円形の右下部分の四分一の扇形をしていて、北部はドンロ大河が流れ、河口に近い東部に帝都オデュオスが在る。
国土は西に行くに従い、山地が多くなり、人口希薄とは謂わずとも、五万を超える市は数える位だ。
中部は一大農業地帯で、稲作を初め、茶などの栽培も盛んであり、又産業地帯だ。そして東部の海岸部分は幾つもの商業都市が在り、ホスワードと同様、いや、ホスワード以上に河川が豊かなので、水路や運河が整備され、東部の商業都市はテヌーラの物産で溢れている。
カンホンは一番南部の商業都市だが、其れ故に諸外国の商船が集まる大陸でも有数の交易都市である。
こういった各国の商館も有り、其れはガピーラやアクバルスも構えている。
団長のガルガミシュ将軍から、日中は午後の六の刻(午後六時)まで、自由時間が許されたので、馬の作業を終えた、カイたちはお馴染みの一団でカンホンの散策と決め込んだ。
一同の中でテヌーラ語に問題がないのはハイケだけである。またヴェルフはレラーン州の出身からか、寧ろカイより、テヌーラ語は理解出来る。
気候は十月とは思われぬ程、暖かく、大気は湿気を帯び、様々な建物が林立しているにも拘らず、まるでカイやヴェルフが身に付けている軍装の様な、濃い緑の草が力強く生え、木々が多い。
全員この様な街中を歩くのは初めてだが、やはり若いシュキンとシュシンは興奮して、頭や目、そして全身が動く事激しい。
「おい、迷子に為るなよ。これではどちらが従卒か分からぬからな」
そう言うカイも流石にこの賑わいには、圧倒される。
「しかし、こんなに賑わった都市を持っているのに、ホスワードの領土に対する野心を持っているとは、何とも欲深な奴等だ」
「其れだけでなく、私たちが赴く国々にもしばしば圧迫を加えているとか。かように国土が広いと、其れだけ守る為の重要拠点を欲しますからな」
ヴェルフとレムンも首を左右に振り、賑わいを観察する。ちょうど商店街や飲食街に入った所だ。
「えぇと、この文字からすると、営業中で、海鮮料理の店かな。お酒やお茶も出る様ね」
レナが一つの店の前にある看板の文字を、彼女の学院時代の記憶を頼りに読んだ。
「そうです。此処で昼食にしますか?羊肉の串焼きも出している様ですね」
ハイケが言うと、オッドルーンが「こんな南の方でも羊肉が食べられるんですか?」、と驚く。
「ガピーラの方々は牛を、アクバルスの方々は豚を忌諱するそうです。なので、こう云った交易都市の肉料理は羊肉が盛んなんですよ」
エルキトでは肉はどれもよく食べるが、やはり一番は羊肉だ。ホスワードでもよく出されるが、南部に行くに従って、余り出ない。なのでオッドルーンは南に行くにつれて、羊肉は出ない物だと思っていた。
店に入ると、其れなりに賑わっていたが、如何にか全員が卓に着ける席が在った。
「ふむ。海鮮の焼飯にしようと思ったが、この海鮮の粥にしよう」
カイは献立から、ハイケの手助けを得て、粥を食す事を選んだ。後は羊肉の串焼きと、麦酒と茶を頼んだ。
テヌーラでは米料理は南に行くに従って、粥が主体と為っている。
近くの席で四人組みの男たちが、食後酒だろうか、其れを前に談笑している。
其の言葉は全く分からず、流石のハイケもそうだ。
彼らは、頭に赤や緑の単色だが、独特の幾何学模様の入った縁無し帽子を被り、白亜のゆったりとした長衣を着ている。
其処からハイケは「アクバルスの人たちではないか?」、と一同に言った。
「おい、アクバルスでは飲酒は禁止されているんだろ?」
「教義に厳格な人は飲まないですし、昼は灼熱、夜は冷え込む砂漠での飲酒は控えますが、こういった処では、度が過ぎない程度に嗜む人は寧ろ多いそうです」
「お前たちのあの兄貴は、カイよりある意味傑物だな。ハイケが知らない事なんて無いんじゃないか?」
ヴェルフが双子の兄弟に言った。
「確かに小官たちが物心ついた時から、ハイケ兄さんは本ばっかり読んでいました」
そう言ったシュシンは左手で匙を使って、粥を食べている。彼は字を書くのも左手を使う。
「父さんの給金の大半もハイケ兄さんの書籍代でしたよ」
シュキンは羊肉を頬張りながら、自分が欲しい物をあまり買って貰えなかった事を、やや憤慨して答える。
給金と云えば、ホスワードで鋳造された金貨や銀貨や銅貨は、テヌーラでも貨幣として流通している。
5
こうして、午前中は補給物資の確認と運搬、船の点検、そして午後は自由時間を過ごし、四艘のホスワードの使節船団は南を目指した。宿泊はカンホンの停泊施設に近い、数百人は泊まれる宿だ。カンホンにはこの種の大規模な宿泊施設も多い。
目指す国はヴィエット王国でテヌーラの南部の在る国だ。テヌーラより南部は半島が南へ長く伸び、大体この半島全体でホスワードの領域より、三分の一と云った処である。
半島内は幾つものも国から為っているが、ヴィエットはテヌーラと北部で国境を接した、比較的大きな国で、頻繁ではないにしろ、両国は武力衝突をしている。
ヴィエットの特徴は言語で、半島の国々はテヌーラの言葉に近く、発音や語彙にガピーラの影響が有るのが普通だが、ヴィエット語はテヌーラの言葉とはかなり異なる点だ。但し、発音や語彙はテヌーラ語の影響が強い。
因みにホスワード語やバリス語の元と為ったプラーキーナ語は、統語や語彙でエルキト諸語やテヌーラ語の影響を強く受けているが、数詞を初めとする基本単語や文法性を見るとラスペチア語に近い。大陸の主要言語であるラスペチア語やファルート語などの最東部語群に分類される。
ヴィエットの首都に近い港に使節船団は停泊し、ウラドを団長とする一行は、首都へと向かう。
ウラドの部下二十名、各省庁の高官計四十名、そして其の護衛と贈与品の運搬役として、カイの部隊百五十名が続く。贈与品の中には馬三十頭が含まれる。カイの部隊の残りの百名は、トビアス・ピルマーが指揮して、船団の護衛で待機だ。
十月の初期とは思えぬ程、当地は暑く、ホスワードの夏を思わせる気候だ。雲が多く、太陽の炎熱も力強い訳でも無いが、単純に大気が夏の物なのだ。
途上、予定された施設でヴィエット王国の役人が出迎えに来たので、彼らの案内で、首都に入り王宮を目指す。
ヴィエットはこの半島部分で人口と領域が最も有り、四百万近い人口と、ホスワードの六分の一程の面積を領している。主産業は稲作で、その他様々な野菜や果物や茶の栽培も盛んである。南部では護謨も造られている。
国土は南北に長く、北東部はやや山地なので、今の時期は其の箇所は寒さは有るが、国土の大半は雨季と今の様な雨の少ない乾季だ。
乾季と云っても、雨が全く降らない訳では無く、河川が多いこの地は、其の時期でも適度な湿度が有る。
王宮は流石に石造りの城壁で囲われているが、高さは左程なく四尺(四メートル)程だ、人家も広い王宮も高さが無く、豪雨に堪え得る木造造りで、幾つかの広い建築物から為る王宮の主殿でさえ二階建てだ。
首都の位置は南北に長い国土の中央のやや北部寄りで、東へ半日ほど徒歩で進めば、海岸へ出れる。
首都の人口は約八万近くで、ホスワードでも十分大都市に分類される規模だ。
王宮は奥まった、やや高台の石造りの城壁と木々に囲まれた涼しげな所に在り、南北五十丈(五百メートル)、東西四十丈の方形で、奥の北側の主殿が王族の生活の場で、東西に在る建物は、政務の場や、この様な使節団の宿泊所と為っている。東西の建物は高さが五尺は有るが、全て一階建ての建物である。
なので、正門である南側から入城すると、目に入るのは、広大なしっかりと刈り取られた草地の中庭だ。
ヴィエットの役人の案内で、ホスワードの一団はこの中庭で、一時の待機を要請された。
北から現れたのは、国王を中心とした一団で、ウラドを筆頭にホスワードの使節団は一斉に片膝を付き、頭を垂れた。
「遠路ご苦労である。面を上げて、立ち上がり楽にするが好い」
国王の言葉をヴィエットの役人がテヌーラ語に訳して、命じたので、一団は立ち上がる。
ウラドは恭しく、二通のアムリートに因る親書を、国王の傍に居る高官に手渡した。一通はホスワード語で、一通はテヌーラ語で書かれた物であるが、内容はどちらも同じである。
ヴィエットの官服や旗は、黄色と白を基調としていて、国王は各所に様々な色で装飾された、黄色のゆったりした衣装を着ていて、役人は白を基調に黄色が配された物を着ている。
王宮内ではためく旗は、黄地で中央に白い竜が配されている。
ヴィエット国王は若く、三十代前半であろう。体格は中肉中背だが、其の所作は流石に堂々としている。綺麗に切り揃えられた黒褐色の口髭が印象的である。
因みに普段無精髭のウラド・ガルガミシュも、オースナン市出港時から、髭を剃り、同じく黒褐色の口髭を蓄えている。
通訳の役人が国王の意向を述べた。其れは詳細な会談は後にして、馬術の実演をこの中庭で見たいそうだ。
実演はカイとレナとオッドルーンが選ばれた。五十尺の幅の左右に幾つかの的を作り、其れに対して騎射をする事に為った。北から南へと距離として四百尺程に為る。
「俺の弓は完全に人相手の物だからな。俺がやったら的では無く、人に当たるであろう」
ヴェルフが呟くと、近くに居たレムンが「物騒ですな」、と苦笑した。ハイケも笑っていたが、自身も含めて注意しながら、「先ずはオッドルーンさんからですよ。静かに見ましょう」、と言った。
左右に四十尺間隔で、高さ二尺近くの的が造られ、合計十の的を馬を奔らせ射て行く。中央を奔るので、左右の的までの距離は二十五尺だ。
国王を初めとして、ヴィエットの高官や、ホスワードの使節団の主要な人物たちは、王宮で唯一高い建物である、南の正門付近に在る物見櫓で見学する。
オッドルーンは一気に駆け、全ての的に命中させる事に成功する。
次の的の準備を終え、続いてレナも同じく全て成功する。
女性二人が成功させた事にヴィエットの人々は興奮している様だ。ハイケは其の様子を見て、考え込んだ。
最後のカイは驚くべき事に、自身から向かって左に的が在る場合は、弓を左に持ち、右手で放ち、右に的が在る場合は、弓を右に持ち、左手で放った。
この左右両手で矢を放つ事は、カイが得意とする処である。これにはウラドを初めとするホスワード関係者も改めて驚嘆する。
ヴィエット国王が近侍に何かを言った様だ。通訳の高官が王の言葉を述べた。
「今の三者は其々自身の愛馬に乗って行ったが、贈与される馬で同じ事は出来ないのか、と陛下は仰っています」
「また随分と面倒な注文を付ける王様だな。如何するんだ、カイ?」
ヴェルフの言葉に、カイも流石に悩んだ。初めて乗る馬だし、誤って怪我をさせたら元も子もない。
「カイ。私とオッドルーンさんだけでやるべきね。あの馬たちは調教時に、貴方の様な大柄な人を乗せた経験なんて無いし」
レナの言葉にカイは頷き、二人に馬具を設置して任せる事にした。
「ガルガミシュ将軍、ウブチュブク指揮官。小官に提案が有りますが、其れをお聞き願えますか?」
そう言ったのはハイケだ。カイが「如何した改まって。言ってみろ」、と促す。
「シュキンとシュシンにやらせましょう。シュキンは左側の的を、シュシンは右側の的を狙って、同時に並走して行うのです」
次兄から指名された双子は吃驚する。カイも驚いたが、ハイケの黒褐色の瞳は真剣だ。そして、カイは二人に「出来るよな」、と言うと、二人は元気よく返答したので、カイはウラドに正対した。
「将軍。皇帝副官ハイケ・ウブチュブクの提案に小官も賛成します。若し彼らが失敗した場合は、小官とハイケが責任を持って処罰を受けます」
ウラドが承諾したので、シュキンとシュシンが贈与される馬に乗り、弓と矢を貰い受け、並走して的を射る事に為った。
ヴィエットの人々が二人を見て興奮している。若さに驚いているのか。双子が珍しいのか。
同時に駆け出す。初めて乗る馬とは思えない程、二人は器用に乗りこなす。
そして、シュキンは右手で矢を放ち左側の的を、シュシンは左手で矢を放ち右側の的を、お互い五つずつだが全て当てた。
カイを初めホスワード関係者は無事に成功して終え、安堵しただけだったが、ヴィエットの人々はこの日一番に興奮している。其のあまりに騒ぎ様にカイは不思議な目を向け、ハイケは半ば笑っている。
6
「成程、そんな伝承が有るのか。道理で大騒ぎする訳だ」
カイは隣に座るハイケに感心した。
千年近く前の事だが、ヴィエットの建国記は次の様な物である。其れは双子の姉妹が指導者と為り、周辺を統一し、外敵を退け、現在に続く王国の基盤を築いた、と半ば伝承として語り継がれている話だ。ハイケは其れを知っていたのだ。
其の為、レナとオッドルーンの二人の女性を始祖の姉妹に重ね合わせ、シュキンとシュシンの双子には特に興奮したと云う訳だ。ヴィエットでは双子は幸運の兆候とされ、双子が生まれた家は周囲から大いに祝われるそうだ。
長旅と実演の休息を兼ねて、会食が王宮の一室で行われ、軽食や酒や茶が出されていた。
本格的な晩餐会は正規の会談が終わってからだ。
「しかし、初任務で大手柄だな。シュキン、シュシン。俺とカイなんて同じ物品の護衛でも、この様な派手な物では無かったからな」
「其れはひょっとして、バリスのヒトリールへ諜報へ行った事を言っているのですか、ヘルキオス指揮官」
もう三年半程前だが、士官(下級中隊指揮官)だったレムン・ディリブラントが商人に扮し、其の護衛役として、当時輜重兵だったカイとヴェルフの三者で、バリス帝国の諜報活動をした事が有る。
今では、カイとヴェルフが高級士官(下級大隊指揮官)で、レムンの席次は中級中隊指揮官だ。
出されたのは米料理だが、其の米料理にカイは好奇の目を向ける。
先ず、米を製麺した麺料理が有る。スープの味付けは鴨肉を煮た物を主体として、各種香草類が入っている。
また、米を皮状にして、其の中に炙った鴨肉や各種野菜を包み、好みで味噌状された唐辛子などの香辛料を入れ、食す物が有る。
粥も有るが、この様な米料理に舌鼓を打つカイであった。
飲料は麦酒と茶が出された。因みにホスワードからの贈与品の中には、かなりのホスワード産の葡萄酒が有る。
ヴェルフは殊勲のシュキンとシュシンに次々と麦酒を注いでいる。
ヴィエット国王は大変上機嫌で、通訳を通して、「この様に優れた弓騎兵が何万といるのなら、ホスワードが陸戦にてテヌーラを打ち破る事、しばしばなのが良く分かった」、との御言葉を頂戴した。
この日は各自宮殿内に宛がわれた施設で休み、翌日より本格的な会談が行われた。
ホスワード側はウラドを代表として、彼の主席参軍と副官、そして礼部省と度支省の代表、更に皇帝副官ハイケが列席した。
主に、テヌーラのカンホンを互いに拠点とした、直接の交易の取り決め。次に其の物品にヴィエット側は護謨を多く提供する事。そして、最後にホスワードとテヌーラが全面的な対峙をした場合は、ヴィエットはテヌーラの南部を扼する軍事秘密同盟だ。
テヌーラが南部で国境を直に接している国は二国だけだが、一方のヴィエットが大半を接している。
其の為、テヌーラがヴィエットに圧力を掛けた場合は、当然ホスワードは水軍をドンロ大河を南へ向け、テヌーラを扼する同盟も結ばれた。
会談も無事終わり、其の後の正規の晩餐会では、先日の料理をより洗練された物が提供された。
ウラド率いるヴィエット王国の滞在は一週間で、次にホスワードの使節団は南へ進路を取り、島嶼部の国々を訪れる。此処での主目的は完全に護謨で、ハイケや工部省の技術者の視察が主と為る。
使節船団の停泊地では、トビアス・ピルマーを中心に補給物資の補充も済んでいる筈だ。
停泊地への中途、ヴィエットの案内の役人から、ウラド達一団は注意を受けた。
「この地では国々の争いも無くは無いですが、軍事力は主に海賊に対して使われます。様々な物品を積んだ船が多く航海していますから。これから貴国の赴く島嶼部は、特に海賊が跋扈しています。ご注意下さい」
カイは改めて任務の重要さに気を引き締めた。すると、一団の各所から何やら大騒ぎが起こった。
遠方に山の様な大きさの灰色の生き物が、数十頭闊歩しているのだ。顔からは長い管の様な物が伸び、鋭く長く尖った牙が二本有り、顔の横には帆の様な物が付いている。
「あれは象と云う生き物です。刺激しなければ、特に人を襲う事は無いので、ご安心を」
役人から説明を受けたが、カイも其の大さに驚く。海には鯨や鯆などの巨大な生き物が生息しているのは知っていたが、地上でも其れに匹敵する巨大な生き物が存在するとは。
ハイケも象は知識として知っていたが、勿論直に見るのは初めてなので、彼も只々驚いている。
「あれを軍用に使えれば、さぞ壮観だろうな」
ヴェルフの言葉にヴィエットの役人は答える。
「残念ながら、家畜化が出来ません。但し、ガピーラ王国では、象の調教師が居て、戦象部隊が有るそうですが」
こうして如何に南方の国の体験をして、ウラド達一団は全員使節船団に乗り、南へと出港した。
嵐は元より、降雨も殆ど無い。風は穏やかで、波は静かだ。
だが、言い換えれば、無頼の輩が虎視眈々と、物資を乗せた商船に狙いをつける好機だろう。
ヴィエットを離れて三日後の昼頃、ホスワードの使節船団は六艘の明らかに不審な船に囲まれつつあった。
大きさはホスワードの中型船位だが、竜骨の無い造りの為、其の分吃水も浅い。通常の船が侵入出来ない浅瀬まで逃げ込める造りだ。
三本の帆柱には全て縦帆で、船体の幅が広い。一艘につき、五十名程は乗り込んでいるのが確認出来た。全員武装している。
「おい、見ろよ。お宝だけでなく、随分と女が乗っているじゃねぇか」
風も波も穏やかなので、相手の言葉が聞こえてくる。尤も何語かは不明だが。
「何を言っているのかは分からぬが、碌でも無い事を言っているのは確かだな」
カイは自船に乗っている女性たちを見渡して、静かに戦闘準備の体勢へと身構えて行く。
カイは一人の兵を呼び、ホスワードの旗を自船の船頭で振る事を指示する。
手旗の合図だ。先ずウラドたちが乗っている使節船を守る様に、トビアスの船が近くを航行させる様にする。
そして、自分とヴェルフの特殊大型船は其々十五騎に因る、騎兵突撃の準備をする様に合図した。
ウラドの使節船からの手旗の合図は、テヌーラ語で警告の言を発して、其れでも退かなかったら、攻撃の許可の命が出された。
テヌーラ語の出来る兵が、囲んでくる六艘の船に、「我々の進路を妨害せず、即座に退去を願いたい。其れをしないと云うのなら、力づくで排除させて貰う!」、と警告を発した。
返答は無かった。テヌーラ語が解せないのか、抑々交渉自体する心算が無いのか。彼らは完全に飛び移れる位置にまで、近づいてきて、柳葉刀を翳している。
「何だぁ、女が乗っている船が前面に出てるな。これは攫うのに手間が掛からなくて好いな」
六艘の内の一艘に居る、首領らしき者がそう言った瞬間、前面の其の二艘の船首が下に動き、自分たちの船の二艘に桟橋の様に掛かった。
十五の人馬が其の桟橋を伝い、海賊船に突撃を敢行した。
両特殊大型船とも騎乗したカイとヴェルフを先頭にして、彼らは長大な武器を馬上から振るい、海賊たちが持つ柳葉刀を次々に叩き落とす。
海賊たちは仰天した。つい先日ホスワードの関係者は象を初めて見て吃驚した様に、彼らも馬と云う生き物を初めて見たので驚いている。
カイが振るう武器は先端部分に斧が付いた鉄製の長槍で、槍の全長は二尺を越え、重量は八斤(八キログラム)を越える。
ヴェルフの武器も同じく二尺を越える鉄製の長槍だが、先端部分は突起が幾つも付いた鎚に為っていて、これも重量は八斤を越える。
これらを従卒のシュキンとシュシンは、両手で持って、既に馬上で突撃準備をしてた両者に手渡したのだが、両者はまるで道端に転がっている小枝を拾う様に、片手で掴むので、改めて双子はこの二人の巨躯の戦士に圧倒された。
二艘の海賊船の海賊たちは、次々に自分たちの武器が弾き飛ばされ所で、続いて現れた女子部隊の騎兵隊に追い回され、海中に突き落とされていく。
カイの方の女子部隊はレナで、ヴェルフの方はオッドルーンだ。
一頻り暴れ回ると、両騎兵隊は各自の特殊大型船に撤収して、残りの四艘に同じ事をしていく。
海賊たちの大半は攫う心算だった、女性たちに因り、海中に突き落とされた。双方共に死者は出ていないが、ホスワード側は全員人馬全て無傷である。
カイの方の特殊大型船に乗っていたレムン・ディリブラントは、ボーボルム城での調練を見ていたが、実戦での運用を始めて見たので、この騎兵隊の破壊力に唖然とする。
使節船のウラド・ガルガミシュも、こうも短期間に六艘の船を戦闘不能に追い込む、「大海の騎兵隊」の活躍ぶりに感心する。
ウラドの命で使節船の乗員が海賊の首領と、海賊の中でテヌーラ語が出来る者を引き上げ、縛り上げた。
「お前たちに他の仲間が居るか如何かは知らぬが、若し居るのなら、次の事を強く伝えよ。この緑の三本足の鷹を意匠としている我々は、テヌーラの北に位置するホスワード帝国の正規軍だ。今後、我らに手を出せば、これだけでは済まぬ、と思って貰おう」
そうウラドは言って、海賊たちを全員解放した。
海賊船は仲間を収容して、ホスワードの使節船団から逃げて行く。これで安心とは思えないが、今後この様な面倒事が発生しない事を祈るばかりだ。
こうしてホスワードの使節船団は、次の目的地である、島の停泊施設に辿り着いた。
ホスワード帝国歴百五十六年十月二十二日。空には真夏の太陽が輝き、大気は暖かいを通り越して暑い。
南洋諸国の使節は、まだ始まったばかりである。
第二十三章 大海の騎兵隊、南洋の諸国へ 了
そんなわけで、まだまだ冒険は続きます。
ですが、本格的な海洋冒険ものをやるとしたら、相当調べる事が多いので、
次回で、サクッと帰還させます。
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