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第二十一章 カイ・ウブチュブク、邸宅を構える

 タイトル通り、主人公が家を構えます。

 ただそれだけの話です。

 いや、いいのか?こんな何の面白味のない話を書いて?

第二十一章 カイ・ウブチュブク、邸宅を構える



 カイ・ウブチュブク、マグタレーナ・ブローメルト、レムン・ディリブラント、そして十九人の部下の小隊指揮官たちが、ボーボルム城から、帝都ウェザールへの帰還へと出発したのは、ホスワード帝国歴百五十六年四月十七日である。

 ボーボルム城は帝国の南部のラニア州にあり、其の直ぐ南はドンロ大河だ。どれ程晴天な日でさえ、南へ目を凝らしても対岸は見えない。対岸はテヌーラ帝国であるが、河と云うより、内海で隔てられている感覚だ。

 其のラニア州の東隣のクラドエ州で、長年に渡り行われてきた、ヴァトラックス教の地下組織が摘発された。

 首魁とされるのは、現リロント公爵で、彼の祖父は第四代皇帝マゴメートにヴァトラックス教の生き残りを紹介し、皇帝と共に其の教義に耽溺していた。

 マゴメート帝が位を取り上げられ、フラート帝が即位すると、リロント公爵家は爵位こそ取り上げられなかったが、クラドエ州に半ば追放処分と為り、国事行為の一切の参加を認められなかった。

 しかし、リロント家は代々秘密裏に地下活動を行っていた。

 具体的には人口が多く、曾てヴァトラックス教を国教としていたダバンザーク王国が在ったメルティアナ州で、信徒獲得と拠点造りである。

 また「パルヒーズ一座」なる、かなり大規模な劇団を資金援助して、ホスワード全土を回らせ、間接的にヴァトラックス教の教義も広めていた。

 そして、この年の二月初めに劇団の団長である、パルヒーズ・ハートラウプを実行者として、現ホスワード皇帝アムリート・ホスワードを、間接的に揶揄する俗謡まで流布させた。

 この俗謡の流布の捜査の過程で、リロント公爵が首謀者と明らかに為ったのだが、実行者のパルヒーズを逃がしてしまったのは、カイとしては痛恨事だった。


 メルティアナ州はホスワード帝国でも、面積が一番広く、且つ人口も全州で一番多い。州都のメルティアナ城でも、十万を超える人口を擁し、万単位を越える市は数えきれない。更に数百から数千の村落が点在している。

 かなり以前より、ホスワード全土に対して、空き家や使用されていない施設の調査が、各州の衛士に因って行われていたが、メルティアナ州は其の広大さ故に、進捗具合としては余り良くなかった。

 処が、昨年の十二月のバリス帝国との停戦条約が決まると、メルティアナ城司令官ウラド・ガルガミシュは旗下の将兵の大半を、州全体に対してこの捜査に当たらせた。其れまでは城内の将兵は戦や其の準備や、でなければ城内外の修繕を優先していた。

 二月からの俗謡の流布からは、其れを更にウラドは徹底させ、メルティアナ州のヴァトラックス教徒の会合施設はほぼ摘発し、潜んでいた教徒もほぼ全て捕える事に成功した。捕えられた者の大半は「パルヒーズ一座」の面々であった。


 四月二十一日。急ぎでもないので、ゆったりと調査の疲れを癒すように、帝都ウェザール付近に到達したカイたちは、護送車が連なる一団を発見した。其の先頭にはメルティアナ城司令官ウラド・ガルガミシュ将軍が騎乗していた。

「ガルガミシュ将軍。彼らは皆捕えた教団関係者ですか?」

「そうだ。此れより帝都の刑部省(司法省)に引き渡し、取り調べの後、一定期間の収容後、クラドエ州の農村の教団員の様に、条件付きの釈放と為るだろうな」

 カイはウラドの近くに馬を寄せ、両者は馬上で話し合った。

 両者の軍装は濃い緑を基調とした、軍の高官を表すが、将であるウラドの軍装は更に金銀の装飾が凝っている。

 ウラド・ガルガミシュは、この年で四十一歳になる。兵部尚書(国防大臣)のヨギフ・ガルガミシュの長子で、若くして将と為り、身の丈が百と九十五寸(百九十五センチメートル)程、黒褐色の髪をしていて、其の顔の造りは、同じく黒褐色の瞳が力強く輝き、無精髭に覆われた如何にも猛将然とした風貌だが、父の威を借りず、同格や自身より閲歴の有る将には丁寧で、士卒には温情があり、軍の関係者だけでなく、多方面から信を得ている将軍との評判が高い。

 然し、単に温容な人物なだけでは無く、軍律や不正に対しては、風貌通り身分の上下に問わず厳しい、と云う一面もある。


 ウラド自らが護送車を率いて来たのは、単に彼が此れから長期の休暇を取る事を、皇帝アムリートから命じられていたからだ。ユミシス大公の葬儀で一時的に帝都に昨年居たが、長らくメルティアナ城の司令官として駐在していたので、この休戦時に少しでも家族との時間を取る様に、との主君の命であった。

 また、メルティアナ城の将兵も交代制で休暇に入る。メルティアナ城の将兵の大半は、メルティアナ州の出身者で構成されているので、上手く調整すれば今年中に全将兵が一カ月以上の休暇が取れる。

 ウラドには妻と娘が二人いるが、家族は帝都内の父ヨギフの邸宅で暮らしている。暫く実家で過ごした後、ガルガミシュ家の荘園で、家族四人の一時の穏やかな生活を送るそうだ。

「カイ、卿も邸宅を構える予定だと聞いているが、何処にする心算(つもり)なのだ?」

「ヴェルフの故郷のレラーン州のトラムと云う漁村に決めています」

「そうか。今年は確実に戦は無いだろうから、卿も此れから休暇を取って、其の準備をして於いた方が好いぞ」

 ホスワード帝国は北と南と西に強国に囲まれている。然し、西のバリス帝国とは一年毎の履行確認が有るが、不戦条約を結んでいる。南のテヌーラ帝国ともほぼ和約の最終段階、と云った処で、恐らく今月中に条約が締結されるであろう。北のエルキト藩王国は、この南のテヌーラ帝国の衛星国なので、必然的に外交は宗主国であるテヌーラ帝国の意向に沿う物と為る。


 帝都ウェザールは東西に四里(四キロメートル)、南北に五里にわたる石造りの城壁に囲まれていて、その城壁の高さは十五尺(十五メートル)を超え、厚さは四尺を超えている。更に外堀として城壁の周囲は水に囲われている。城門は東と西と南に三つずつあり、南の中央の門が正門と為っている。

 カイは部下たちを練兵場の兵舎近くで解散させ、レナとレムンを連れて、西の最も北側にある橋を通り、其の門より帝都内に入った。此処からなら官公庁に直ぐに到着できる。

 因みに、南の正門である橋以外の八つの橋は全て跳ね橋で、基本的に朝の七の刻(午前七時)から、夜の七の刻(午後七時)以外は閉じられている。

 ウラドも護送車を率いている関係で、同じ西の最も北側の橋を通った。南の正門から見世物の様に護送車を刑部省まで送ると云う、悪趣味な事を彼はしない。


 カイたち三人は門から入城すると、下馬し、馬を曳き、兵部省近くの厩舎に馬を預け、兵部尚書ヨギフ・ガルガミシュに帰還と顛末の報告へ向かった。

 この間、と云うよりボーボルム城を出発してから、カイは必要以上の事を喋らず、無言が多い。レナもレムンも其の無言は、パルヒーズ・ハートラウプを取り逃がした悔恨から来ているのを知っているので、カイに如何声を掛けて好いか分からず、此処まで来てしまった。

 兵部尚書がカイを励ます言葉を掛けてくれる事を願う二人であった。

 尚書室でカイは報告をして、最後に実行者の頭目で重要参考人のパルヒーズを逃した事を謝辞したが、ヨギフは労わる様に温情の言葉を掛けた。

「何もかも全力を尽くして、常に完璧な成果を出せる者など居るまい。無論、引き続き捜査は続けるが、卿は暫く休暇をして、心身を一新したら如何かね。そして、改めてこの悔恨を晴らす日に備えるのだ。卿の父のガリン・ウブチュブクとて、そうだったぞ」

 父の名を出されて、カイは少し冷静に為った。そうだ、今は何時までもくよくよしている時ではない。自分は一部隊の長なのだから、何時までも不機嫌な顔をしていたら、部下達までも不安に思う。



「レナ、ディリブラント。今日と明日は卿らは休みだ。明後日から、部隊の全員を練兵場に集めて、軽い全体調練をする。恐らく数週間以内に全員の休暇について話が出ると思うから、激しい調練は止めて於こう」

 そうカイは久々の笑顔で言ったので、二人の部下は安心した。三者は其々帝都内に実家が有るので、兵部省を出ると、各自家へと戻って行った。

 カイが自宅、つまりヴェルフ・ヘルキオス邸に到着したのは、午後の二刻(午後二時)近くだった。

 ヴェルフは練兵場で部隊の訓練の最中の様だ。彼が帰ってきたら、主帥として進捗具合を聞かなければ為らない。

 住み込みの初老の夫婦が、「お食事に為さいますか」、と言ってきたので、カイは「軽い物で好い。先に湯あみをしたいので、準備をお願いする」、と言って、軍装を脱ぎ、妻が其の洗濯を、夫は風呂の準備へと行った。

 風呂から上がり、室内着に着替えると、既に軽食の用意がされていたので、カイは其れらを摘まんでいた。堅パンやハムやチーズなどの保存性のある食べ物だが、茶自体はカイ自らが淹れて飲んでいた。


 程無くして、この邸の主人であるヴェルフが帰って来た。

「何だ、帰って来てたのか」

「うむ。この様な時、お互い従卒を付けていれば、連絡役に使えて、便利なんだな」

「従卒ねぇ。俺たちはそんなご立派な身分かねぇ」

「こんな立派な家の主人が何を言っている」

 カイ・ウブチュブクはこの年で二十四歳、ヴェルフ・ヘルキオスはこの年で二十七歳である。共に身分は高級士官。其れも、四年程前に志願兵として調練を受けてから、この身分に為っている。

 其れは、ホスワード帝国が能力や実績を正当に評価出来る国風と、この両者の実績が極めて高い事を意味している。

 カイは自分の双子の弟であるシュキンとシュシンの事を思った。二人は既に学院は修了している。この年で十八歳になるが、若し母のマイエの承諾を貰えば、二人を自分とヴェルフの従卒にしようと思っていた。そして、来年の七月からの半年間の志願兵の調練を修了したら、正式に自部隊に配属する事を考えている。

「どうせ、彼奴(あいつ)らは、『兵になる』、と言って騒ぐのだろう。為らば此方で進路を決めてしまえば好い」


 そして、本格的な夕餉となり、カイとヴェルフは食事中、お互いの情報を交換し合った。

 部隊の調練に関しては、怪我人も出ず順調に進んでいる事をカイは聞いて安心する。

 流石にヴェルフもパルヒーズが逃げ(おお)せた事には驚いた。

「だが、ガルガミシュ将軍が一座を捕まえた様だし、資金の出し処のクラドエ州の貴族共も半ば軟禁状態なのだろう。彼奴一人で出来る事等、もう有るまい」

「二つ気に為る点がある。一つはあの場で脱出して、まるで全ての元凶をリロント公爵に帰そうとした点だ。もう一つは其のリロント公爵は首魁と云うより、首魁に資金提供をする立場で、地下活動の指導的立場とは思われぬ点だ」

「一座の連中から、パルヒーズの事は幾らでも聞き出せるだろう。問題はどれだけ喋ってくれるか、だ」

 陶器で出来た(マース)(約一リットル入り)と呼ばれる杯の麦酒(ビール)を、一気に呷ってヴェルフが答えた。

「一座の連中は、パルヒーズと苦楽を共にしてきた者たちだと思うが、彼だけ逃げ果せている事には如何思っているのか…」

 カイはそう呟くと、暫し口を食事と飲酒の為に使い、頭の中で思いを巡らす。


 今年の二月から始まった俗謡の流布は、実は敢えて、ホスワード当局に主要なヴァトラックス教徒の摘発をして貰う仕業では無いのか?

 つまり、首魁のパルヒーズ、または彼が言う「師父」は、もう既に資金提供者(パトロン)や信徒獲得者を必要としていないのでは無いか。

 何を起こすかは分から無いが、同胞を放置して於くと、自分たちの足が付いてしまうので、切り捨てたのでは。

 カイは自分の推理が飛躍し過ぎていると思い、ヴェルフには敢えて其れを語らなかった。

 一座の供述が分かったら、改めてヴェルフとレナとレムン、そして出来たら弟の皇帝副官のハイケを交えて、この推論を述べようと思った。

 但し、この推論で引っかかるのは、仮に事実だとすれば、パルヒーズが仲間を売った、と云う事になる。

 カイはパルヒーズを追っているが、其れは彼が単純な悪人だからではない。複雑な事情と異心は抱えているだろうが、仲間を切り捨てる男だとは、如何にも思えないのである。

 或いは、これは自分の単なる思い込みで、実はあの優しげな顔の下には、非情な血が流れているのかも知れない…。

「ヴェルフ。明日の調練だが、俺も参加するが、好いか?」

「帰還した者たちは、明日は完全に休みなのだろう。お前も休んで於け」

「いや、見学するだけだ。家に居ると色々と考え込んでしまうのでな」


 翌日、カイは練兵場で自部隊の調練を見学した。

 カイの部隊は合計千二百名から為る軽騎兵だが、水上任務にも対応する為、一部は武器を取り、敵船に侵入した際の模擬戦闘も行っている。

 これ等は平衡感覚がよく、武芸が達者な者は、ヴェルフに因って選抜され、鍛えられている。其の数は大体二百名程だ。百名は敵船突撃部隊。もう百名は自船防衛部隊である。

 また女子部隊は副指揮官のオッドルーン・ヘレナトに因って、鍛えられている。同じく二百名程で、百名がシェラルブク出身、もう百名がホスワード出身の女性たちだ。

 調練は週に四日。朝の十の刻に始まり、昼の一刻程の休憩を挟み、夕の四の刻には終わる。

 休日が三日と多いのは、其の内の二日はヴェルフが兵部省に赴いて、会議出席や座席業務(デスクワーク)をしなければ為らないからだ。

 ヴェルフは有料の学院は出てはいないが、何年も前からカイに因って軍事関係の用語などを教わっていたので、其れらの書類の対応は一通り出来る。

 開始時の準備と、終了時の片づけで其々半刻程の時間を取るので、昼の休憩を含めても七刻(七時間)の調練だ。短い分、皆集中して、真剣に取り組んでいる。

 命に係わる事なのだから、上位者に因る注意の叱責は激しいが、カイはこの部隊の創設時から、上位者が下位者に理不尽な暴力を振るう事は元より、意味の無い怒声さえ禁じていた。

 これはカイが幼き日より受けてきた、父ガリン・ウブチュブクの武芸や騎乗の訓練が元と為っている。

 自分が受けてきた訓練が、皆等しく合う物だとは、流石にカイは思っていない。だが、父の教え方が、万人に最良でなくても、万人に最悪だとは思えないからである。

 翌日より、レナとレムンと十九人の小隊指揮官たちを合わせて、同じ日どりと時間で調練が始まった。

 ヴェルフは兵部書での座席業務(デスクワーク)の大半をカイに押し付けられるので、生き生きとしている。



 五月の二週目に入って、カイとヴェルフはヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書から尚書室に呼び出された。

 パルヒーズ一座の面々を初めとする、メルティアナ州で捕えたヴァトラックス教徒の供述内容と、部隊の休暇予定についての話だ。

 ヨギフ・ガルガミシュはこの年で六十七歳に為るが、黒褐色の髪と髭が半ば白いのと、顔に刻まれた深い皺を除けば、其の肉体や動きは、未だ四十代の様な力感と機敏さを有している。背丈は長子のウラドより十寸(十センチメートル)程低いだけなので、平均的な成年男性よりやや高いと云った処である。


 先ず、ホスワードの地に於けるヴァトラックス教徒の歴史は以下に分けられる。

 最初は政教一致国のダバンザーク王国が、プラーキーナ王国に滅ぼされた時代。これが約五百年以上前の事であり、生き残りの大半の教徒はラスペチア王国に移住したが、一部が後のホスワードの地に残った。

 次に其の生き残りが、プラーキーナ帝国の皇族や貴族などに取り入り暗躍した時代。魅惑された皇帝として、ナルヨム二世などが代表される。

 次にプラーキーナ朝の末期に発生した民衆反乱だが、其の目的はダバンザーク王国の復活を目指した物だとされている。これはメルオン・ホスワードに因る徹底的な弾圧を受けた。約百六十年程前の事である。

 そして、現在を除く最も直近ではマゴメート帝や周囲の貴族に取り入った時代である。これは次代のフラート帝に因って、やはり弾圧されている。


 メルオン大帝の弾圧で、ごく少数の教団員は、例えばクラドエ州の村民の様に密かに信仰を保持していた様だが、一部の偏狭的な教団員がプラーキーナ系貴族に取り入り、マゴメート帝の信を得たのだ。だが、これも失敗すると、「師父」と呼ばれる指導者が推戴され、ホスワード各地に居る信徒は全て「師父」が掌握する体制を整えた。

 目的は代々の「師父」で微妙に異なるが、共通しているのは、ホスワードの地に宮殿を建立する事である。

 ヴァトラックス教の神殿は善神ソローと、悪神ダランヴァンティスの二つの神殿が必要だ。

 「師父」の交代は前の「師父」が死期を悟ると、信徒の中で最も有力な者を選ぶ、と云う方式で、二年程前にパルヒーズ・ハートラウプが「師父」に選ばれ、前の「師父」は其れから数カ月後に死去した。

 二年前の十月頃、パルヒーズはラスペチア王国で礼拝に来ていた。

 其の目的は前の「師父」を鳥葬する為だと、パルヒーズ一座を初めとする教団員は供述した。

 クラドエ州の村民やリロント公爵とミシュトゥール侯爵以外では、もう自分たちヴァトラックス教徒はホスワードの地に他には居ない、とも白状した。

 つまり、残るのは首魁である、「師父」パルヒーズ・ハートラウプのみと為る。


「捕えたヴァトラックス教徒は五十名程で、内三十名程がパルヒーズ一座の関係者ですよね」

 カイが確認する様にヨギフに言った。

「うむ。そうだ。一座に関係していない者には幼い者もいるな」

「では、一座の者は現在の『師父』のパルヒーズは勿論、前の『師父』も直接に知っている訳ですね」

「死去した時は、五十代半ばだったそうだ。彼が三代目の『師父』で、四代目がパルヒーズだ」

「これでは、一座の者が嘘を言っているか、更なる裏面を知らずして、自分たちの知ってる事だけを述べただけか、判断が付き兼ねますな」

 ヴェルフが半ば呆れる様に言う。カイも同様の感想だ。

「其れで捕えた者たちは如何為ります?幼い子もいると聞いていますが」

「全員、収容施設に入れる。幼い者は此方が提案すれば、学校の教師を派遣させ、教育を受けさせるが、多分彼らは断るだろうな。彼らの内で独自な教育を施していた様だし」

 カイが幼い子供たちを心配すると、其の様に答えが返ってきた。これは流石に自分では如何しようも無い、とカイは思った。

「取り敢えず、ラスペチアの通使館に二年前の十月頃に、ホスワードから来た者が、鳥葬を行ったか如何かの確認の使いは出してある。鳥葬場とも為れば、ラスペチアの神官の許可が必要だろうからな」

 そうヨギフは締めくくって、カイの部隊の休暇についての話に話題を変えた。


「で、ウラドから聞いているが、カイはヴェルフの故郷の村に邸宅を建てたいそうだな」

「はい、特に急ぎの事では無いので、他に優先すべき事が有れば、この件は何時でも構いません」

「いや、卿の様な偉大な戦士こそ、じっくりと心身の疲れを癒す場所が必要だ。来週から二週間の休暇を与えるので、卿らはトラムへ行くが好い」

「小官の実家の近くに、大きな空き家の邸宅が在ります。あそこを修復すれば、一・二カ月後には住める様に為るでしょう。空き家を其のままにして於いたら、まさかとは思いますが、未だ潜んでいる教団の隠れ家に使われますからな」

 ヴェルフが故郷のトラムの状態について述べた。其の邸宅は十人以上は住めるので、家族の多いウブチュブク家の別邸には相応しいだろう、と。そして、普段の管理はヴェルフの大叔父夫婦に任せれば好いとも。

「おじさんたちに、そんな手間はかけさせたくないな」

「管理者と為れば、御上に納める税が半分に為るんだろう。じいさんとばあさんは喜んで引き受けるぞ」

「邸宅の件は、卿らが現地で決めるが好い。今後のウブチュブク部隊の活動に関してだが、特に変事が無ければ、十月以降に使節団の随員が任される可能性が高い。なので、七月の半ばから、九月の半ばまでも休暇とする。新たな邸宅でじっくりと英気を養ってくれ」

 使節団と聞き、カイはホスワードを囲む周辺国を思ったが、ヨギフの言葉は意外だった。

「外洋に出て、テヌーラよりも南の諸国との通商だ。此方の献上品はイオカステ州の馬牧場の産駒に因る馬が主と為る。漸くあの大規模な牧場も本格的に稼働しているぞ」

 カイとヴェルフは新鮮な驚きを味わう。曾て数カ月間だったがイオカステ州の馬牧場で任務に就いていたが、もう献上品として出せる程、充実しているのだ。


「処で何故、十月と期間が空くのでしょうか?他の国々にも使節には向かわないのですか?」

 カイが素朴な疑問を呈すると、ヨギフは自分の執務用の広い机に、かなりの広大な地図を広げた。

 其の地図内ではホスワード帝国の領域は二割程しかない。ホスワード帝国を囲む三国も同様だ。そして、更に其の外側に関する国々の領域が記載されている。

 先ず、テヌーラ帝国の南には十を超える国々が有る。最大の領域を誇る国でもホスワード帝国の六分の一程しかなく、総人口も四百万程だ。南に行くにつれて、半島や島嶼部から為っている。

 この辺りの地域は、ほぼ一年中夏と云えるのだが、季節に因っては激しい豪雨や嵐に見舞われる。其れが収まるのが十月頃からなので、安全の為に出発日が十月なのだ。ホスワード側の主要輸入品は香辛料、そして護謨(ゴム)となる。護謨の元である樹液が得られる木々が植生しているのは、この様な一年中熱い地域だ。

 エルキトの西側、またはラスペチア王国の北西方面には、かなりの領域を誇る遊牧国家が在る。此処の君主号も可寒(カカン)と云い、プラーキーナ朝がエルキトを従属させた時代に、一部の部族が西に逃れ建国した国だ。主産業は牧畜だが、其れ以上に交易が盛んである。

 其の南東にはラスペチア王国を初めとする緑地都市(オアシス)国家群が並び、更に南はかなりの高地が在る。丁度バリス帝国の西側とはほぼ全面的に境を接していて、其の領域も大きい。バリス帝国を一回り小さくした位だ。

 この辺りは小部族が分裂割拠していたが、近年ある部族に因り統一の気配が見えている。バリス側としては、西に今後かなり注視しなければ為らない。

「エルキトの西は『キフヤーク可寒国』、バリスの西は『ブホータ王国』、そしてテヌーラの南の諸国。これら全てに使節団を出す。意味は分かるな?」

 カイとヴェルフは黙って頷いた。若し将来バリス帝国、テヌーラ帝国、エルキト藩王国を全て敵に回した場合に備えて、この三国と境を接している国々との連結を強めて、牽制をして貰うと云う事だ。



 そして、ヨギフ・ガルガミシュは最後にこう締めくくった。

「『キフヤーク可寒国』にはオグローツ城のマグヌス・バールキスカン将軍が使節団長、『ブホータ王国』にはバルカーン城のラース・ブローメルト将軍が使節団長、そして卿らが随員と為る南方は我が息子のウラドが使節団長を務める。ボーボルム城のアレン・ヌヴェル将軍は軍船の拡張を一任させる事と為る」

 キフヤークとブホータへは、季節的にこの夏に進発するらしい。

 ヴェルフは以前ウラドと会話した事を思い出して、内心笑ってしまった。其れは三年前にテヌーラと同盟してカートハージの占領支援の為、バルカーン城からメルティアナ城へ赴いた時の以下の会話だ。


「将軍閣下も北の果てから、南へとお忙しいですな。其の内、外洋にて遠方の国への修好の団長を命じられるのではないですか?」

「では、そうなったら卿ら二人を随員として連れて行くからな」


 まさか数年の後に本当の事に為るとは!まったく、これだから戦乱の中に身を投じるのは、面白くもあり、奇妙な事だ!


 兵部省を辞した二人は、ウェザールの大通りで並んで話す。先ずヴェルフが切り出す。

「陛下は『今は民力休養の時期』、と仰っていたが、万が一の場合に備えて、この様な外交を講じておられたのか。更にバリスのあの火砲を防ぐ護謨の調達も含めるとは、戦場だけでなく、将に文武の英傑だな」

「うむ。其の南方の品々はテヌーラを仲介して行っているので、恐らく和約条約にもテヌーラを介さず、直接南方との交易が出来る様にする、という条項も有るだろう」

 二人は休暇の件について話した。部下たちはかなりの長期休暇が出るので、明日報告すると喜びに溢れる姿が目に浮かぶ。「民力休養」の時期は「兵力休養」の時期でもあるのだ。


 五月の第三週目からカイの部隊は二週間程の休暇を貰った。これは単にカイ・ウブチュブクが、トラムに個人的な邸宅を構える場所を選定する為の休暇なので、部隊の大半は、其のまま練兵場の兵舎に留まり、レムン・ディリブラントも、実家のニャセル亭で短期間の従業員をする様だ。

 其の後、カイの部隊は南方の航海が予定されているので、ボーボルム城に六月五日に集結し、七月の半ばまで、操船の調練をして、九月の半ばまで本格的な長期休暇に入る。

 そして、例によってレナが「私も一緒に行きたい!」、と言いだし、ヴェルフもあっさり承諾したので、カイとヴェルフとレナの三人はレラーン州の漁村トラムへと出発した。


 この時期のホスワード帝国の南部は晴れが多いが、炎熱ではなく、又湿度も低い。少し動けば汗は出るが、風が吹けば其の涼しさで日陰に居ずとも十分涼しい。時折雨が降るが、長雨は滅多に無く、逆にこの定期的な雨が空気を新鮮なものにする。

 整備された道路の左右には木々が一定間隔であり、更に草花に満ちている。そんな中を、三人はトラムを目指して、騎行して行った。

 道行く高級士官の軍装をした騎乗姿からでも分かる二人の大男と、機能性と華美さを併せ持った女子部隊の軍装をした一人の女性という三人組は、すれ違う旅商人などからは、かなり目立つ。また途上の宿での宿泊でも他の客が様々に彼らを語り合う。

 カイとヴェルフとレナは其々性格も育ちも異なるが、自分たちが他者から如何見られているか、の一点に於いて、無頓着な処で一致している。


 そして、トラムに到着した。ヴェルフとしては約二年ぶりの帰郷だ。

 ヴェルフは既に大叔父夫婦に自分が高級士官に為った事、帝都ウェザールに邸宅を構えた事を伝えてある。なので、其れ以来手紙のやり取りは、結構頻繁に行っている。

 大叔父夫婦は、カイの邸宅予定の空き家の周囲を清掃していた。内部の増改築は流石に専門の職人に任せる。

 到着した頃は昼過ぎで、馬を降りて曳く三人に気付いた村人たちが近づく。

 高級士官の軍装のヴェルフに皆は一斉に驚く。まさか自分たちの村から、この様な高級な軍人を輩出するとは思わなかったからだろう。

 そして、女子部隊指揮官レナが今上陛下の義妹に当たると聞いて、更に驚く。其の様な雲上の貴人たちと親しくしているヴェルフに尊敬の眼差しや、改まった労りの言葉を掛ける。

 ヴェルフは何やら居心地が悪く思い、普段通り自分に接してくれ、と頼み込み、其れを見ていたカイとレナは笑う。

「自分たちの村の自慢の英雄だからね、ヴェルフさんは。以前は決壊した堤防の復興の為に、給金の大半を送っていたんでしょう。カイから聞いたんだけど」

 レナの言う通り、確かにトラムの人々にとって、今やヴェルフ・ヘルキオスは村一番の自慢であろう。

 尤も、当のヴェルフにとって、村一番の自慢の人物は自分の父親だが。


「ウブチュブクさん。お久しぶりです。此方の方がブローメルト子爵令嬢ですな」

 ヴェルフの大叔父が現れ挨拶をする。レナは「令嬢」と言われて、先程のヴェルフの様に居心地が悪くなる。

「おじさん、お久しぶりです。彼女の事は『レナ』と呼んでも構いませんよ。私の事も『カイ』と名前で構いません」

「はぁ、ではカイさん。早速邸宅の件ですが、広くて、また嵐にも堪え得るよう頑強には出来ていますが、何しろ私が貴方達の年齢の頃に造られた古い家です」

 ヴェルフの大叔父に因ると、其の邸宅はとある海釣りに熱中していた貴族が構え、移り住んだのだが、この貴族は子も無く、養子も取らなかったので、彼の死で其のままお家は断絶してしまった。其れが今より二十年程前と為る。

「思い出したぞ。俺がガキの頃、そんな貴族のじいさんが居たなあ。気さくで釣り好きな道楽者だったので、俺はホスワードの貴人は皆、そんな人達だと思った程だ」

 其の邸宅は大叔父の家から歩いて四半刻(十五分)も掛らない。

 大叔父に連れられ、三人は其の邸宅へ向かった。鍵はトラムの村長が管理しているので、鍵を事前に大叔父は借りている。


 外観も木組みは崩れておらず、漆喰も其れ程(こぼ)れていない。中に入ると埃っぽいが、荒れた感じは無い。レラーン州は造船が盛んで、建築関係の職人が多い。腕の良い職人を一人でも頼めば、一カ月程で外装も内装も新装(リフォーム)出来そうだ。

 部屋数や水回りを確認したカイは、この邸宅を所有する事を即決した。

「確か私よりも十歳以上年上の方で、若い頃は礼部省(外務省)の高官をしていたとか。此処より北東に遠く離れた海上に、ある島国が在るのですが、其処は魚介が豊富に採れるそうで、通使として数年間の滞在中にすっかり釣り好きに為ってしまい、帰国後、即座に職を辞し、此処に移り住んで来たんです」

 そうヴェルフの大叔父は若き日の事を語った。彼には妻もいたが、この妻は平民の出で、当主同様に気さくな人だったが、当主に先立ち没し、その後程無くしてこの貴族も後を追う様に病没した。

 何とも変わった貴族もいたもんだな、とカイは思う。自分たちも使節で外洋へ出る予定なので、何となくこの貴族には好感を抱いた。村の奥に夫婦の墓があると云うので、後で墓参りに行こうと思った。


「処で、ウブチュ…、いや、カイさん。此奴(こいつ)に因ると、私たちの納める租税が半分に為るそうですが、其れは如何謂った事でしょう?」

「其れはこの邸宅の管理をおじさんたちに任せるので、私の荘園の住人として、納める税の半分が、私個人の収入と為るのです。ですが、管理に対する給与として、其の半分はおじさんたちにお渡しするので、実質租税が半分と為ります。詳しい事はレラーン州の担当の箇所で私が遣って於くので、ご安心を」

 要するにレラーン州の担当局で、カイが自邸の管理者として、ヴェルフの大叔父夫婦を指名するので、租税が半額に為ると云う事である。

「そうだ、カイ。漁船は如何する?」

「其の例の貴族の使用していた漁船は残っていないのか?」

「流石に邸宅と違い、船は解体済みです。新規に購入と云う事に為りますが、カイさんは操船には問題は無いんですよね。でしたら数人が乗れる漁船なら、私が手配しましょう」

 カイとヴェルフのやり取りに、大叔父が答えた。これは専門である大叔父に任せるべきだろう。

「邸宅に漁船って凄いね!ねぇ、七月からの休暇では、其れらが揃うんでしょう!私とツアラも一緒に過ごして好い?」

「勿論だよ。今年の夏は帰郷ではなく、俺の家族を此処に呼んで、ゆっくり楽しむぞ。先ず数週間は帝都のヘルキオス邸で過ごす事に為るがな」

 この年の夏、ウブチュブク家は数週間、帝都ウェザールのヘルキオス邸に泊まり、そして、ここトラムで過ごす事にカイは決めた。

 更に其の後、双子の弟のシュキンとシュシンは、其のまま自分とヴェルフの従卒に就ける予定である。

 早速、其の内容をカイは実家への手紙に認めようとした。

 この日、カイとヴェルフとレナは、ヴェルフの大叔父の家に泊まった。



 翌朝、カイとレナは波止場で様々な漁船が海へ進発して行くのを見ていた。船が見え無く為る程、かなり遠方まで漁船が行くのにレナは驚く。

「パールリ州での漁は近海で行うのが殆どなのに、ここではあんな遠方まで行くのね」

 パールリ州とはレラーン州のずっと北に在る州で、同じく東側は全て海に面している。

 ブローメルト家は、そんな海に面した小村を荘園として持っている。

 パールリ州も漁業は盛んだが、其れは貝類や、沿岸の岩礁に生息する魚を取るのが主流である。貴族の荘園が多い為か、遠方へ船を進めるのは、(イルカ)などの観察と云った遊覧が主である。

 パールリ州とレラーン州の間には二つの州が挟まっているが、どちらも漁業より、塩業が盛んでホスワードに於ける塩の一大産地だ。

 この日、ヴェルフと其の大叔父は近くの造船が盛んな市で、漁船の買い付けと、邸宅の外装や内装の修繕が出来る職人を探しに行っている。夕前には帰ってくる、と言っていたので、二人は今日は村内の散歩だ。明日はヴェルフの操船で海釣りを楽しむ予定である。


 カイとレナは邸宅に住んでいた夫婦の墓参りへ行った。貴族の墓とは思えぬ程、簡素なもので、カイは心中で邸宅を譲り受ける報告をした。現在の管理はレラーン州の当局が行っている。

「そうそう、居間に夫婦の肖像画が掛かっていたね」

「えっ、そうなのか?其れは気付かなかったな。そうか、このご夫婦に関連する物は処分せずに、保管して於いた方が好いな」

 親類縁者は居たが、この様な南方の邸宅には興味が無かったらしく、ごく僅かな遺産を分配して受け取っただけだった。

 カイとレナは新装(リフォーム)の職人が来るまでに、夫婦に関連する物を接収して、ヴェルフに頼んで、一時的にヴェルフの家に保管して貰おう、と話し合った。


 そして、翌日。ヴェルフが大叔父から譲り受ける予定の漁船で、三人は海釣りへと行った。

 カイの漁船は三日後にトラムに到着予定で、邸宅の職人も三日後に来る。なので、明日からは邸宅の夫婦に関する物の保管作業をする予定だ。

 空は薄雲が在るだけの晴天。風も無風に近く、船の速度で塩気を含んだ向かい風を軽く浴びる。

 ヴェルフは操船と、二人が釣り上げた時に網で掬う事に専念している。

 レナが八十寸(八十センチメートル)近い間八(カンパチ)を釣り上げた。即座にヴェルフが網で掬い、活き締めして血抜きをする。こうすると、(さしみ)として、生食が出来る。

 レナは釣り上げた魚の大きさと、生食が出来る事に驚いている。彼女は貝類なら生や蒸したりしたものを食べた事はあるが、魚の鱠は初めての体験だ。カイも其の大きさに興奮し、レナを褒めている。

「森で鹿や兎を射止めるのも楽しいけど、海だと何が当たるか、どんな大きさか、どんな風な料理方法があるのか、釣り上げるまで分からないから、ずっと楽しいね!」

「あぁ、全くだ。川だと季節に因って取れるものが分かるし、然も魚が透けて見えるからな。これが海釣りの醍醐味だよ」

 例の貴族の夫婦がこのレナとカイの会話を聞いていたなら、喜んでカイに自分たちの邸宅に住む事を認めたであろう。

 この日の夕食の間八の鱠とアラ汁は絶品だった。


 邸宅の夫婦に関する遺品は、謂わば金目に関する物以外だった為、左程量も多くなく、ヴェルフも一時的に自分の家に保管する事を了承した。

 邸宅の職人が来たら、物置を造って貰い、其処にこれらは保管する。

 カイの漁船がトラムに遣って来た。既に購入費等は支払ってある。大きさはヴェルフが譲り受ける漁船より、一回り小さい。ヴェルフのは仕事で使うものなので、釣り上げた魚を保存する箇所が広いからだ。カイの船は完全に趣味用である。

 同時に邸宅の職人も遣って来て、カイは内装に関する要求をした。要するに自分たちの家族と数人分の客が泊めれる様に、部屋数等の区画が主な注文だ。実際に職人が其の要求と修繕、更には幾つか家具や寝具なども造って貰う予定なので、代金は前払いで、其れらの注文を合算した額を払う。

 ヴェルフと大叔父が紹介した職人なのだから、法外な金は要求はしなかった。漁船の額に比べれば、かなり低い。今までカイが軍に入ってから、自費で購入した物と云えば、武器である先端に斧が付いた長大な長槍位である。なので彼は結構資産を持っていたが、流石にこの様な大きな買い物は初めてなので、残額を確認して、少し驚いた。其れ処か、自分が此の様に金に不安を覚える性分だったのかと、初めて知り、其れにより驚いた位である。

 勿論、今まで貰ってきた恩賞を部下に公平に分け与えてきた事は、後悔していないし、これからも其れは続ける心算である。

 邸宅の新装は一カ月程で完成する予定だと聞いた。其の間、この職人はヴェルフの家に寝泊まりし、食事などの世話は大叔父夫婦が見てくれる。


 そして、カイとヴェルフとレナは休暇が終わりに近づいたので、任地のボーボルム城へ出発する事にした。

 カイはヴェルフの大叔父夫婦に改めて、自分の漁船と邸宅が完成したら、其の管理のお願いとお礼を述べる。途上レラーン市の当局で、自邸の管理者として大叔父夫婦を任命する手続きもする。

 七月半ばから始まる本格的な休暇が今から楽しみだ。

「カイさんとレナ様は、とても仲が好くって、見ているこっちまで幸せになるねぇ。多分あの二人はご結婚為さるよ。其れに比べてヴェルフときたら」

彼奴(あいつ)は帝都で遊び回っているんだろう。俺たち老いぼれを安心させる気なんて無いんだよ」

 ヴェルフの大叔父夫婦は馬でゆっくり騎行して村を離れていく、三騎の後姿を見てそうぼやいた。



 ホスワード帝国歴百五十六年六月五日。カイの部隊は約千二百名はボーボルム城に全員到着した。カイの部隊は軽騎兵で構成されているが、水上任務も行える特殊部隊な為、実はこの頃より、非公式に「大海の騎兵隊」と謂う俗称で呼ばれる様に為っていた。

 其の様な訳で、七月の半ばまで、この「大海の騎兵隊」は軍船にての水上調練を行った。

 十月からの南方の国々への贈与品には馬も含まれる。

 故に馬を乗せた輸送を主体とした操船の調練が主と為った。

 また、カイは随員を決めなければ為らない。大人数の将兵が赴くのは、威圧と為ってしまう。だが、少人数だと護衛の役目が果たせない。

 先ず、使節団長として、ウラド・ガルガミシュ将軍と主席参軍や副官等の人数。礼部省(外務省)と度支省(財務省)の高官と其の部下の人数。合わせて五十名程だ。

 彼らの護衛と、馬の世話をする関係者でカイは「大海の騎兵隊」から二百五十人程を選抜する事に決めた。

 無論、副帥のヴェルフ、別帥のレナ、参軍のレムンは自分と共に赴く。

 残りは士官の中で最も閲歴の高い者に部隊を任せ、一時的にボーボルム城司令官アレン・ヌヴェル将軍の指揮下に入って貰う。

 まだ正式決定ではないが、この南方の使節の随員には弟の皇帝副官のハイケも配される予定だ。護謨(ゴム)の調査の為、ハイケは工部省から数人の技術者を引き連れる。

 そして、休暇終わりにシュキンとシュシンも従卒とするので、ウブチュブク家の兄弟四人が、揃って南方へと赴く可能性が高い。

 夏の休暇中はシュキンとシュシンを漁船ではあるが、じっくりと海に慣れさせなければ為らない。


 ボーボルム城でのカイの居住場所はつい先日まで使用していた、執務室と寝室と専用の湯あみ場と厠で構成された一室だ。この執務室には副官用の寝室が扉で併設されていて、この様な高級将校用の一室は二十室ある。

 現在のこの一室の使用者は司令官のヌヴェルとカイとヴェルフ、そしてヌヴェル配下の高級士官六名だ。レナは流石に今回は女子部隊用の兵舎に居住している。

 執務室でカイは広い机をほぼ覆える地図を広げていた。大陸全土の有力な国が描かれた地図だが、如何せん作成されたのが、五十年以上在位していた第五代皇帝のフラート帝時代の半ばの頃であり、同種の使節団を派遣した際に因る物である。

 但し、バリス帝国の西に勃興しつつある、「ブホータ王国」以外は大体領域などは変化していないそうだ。


 カイが注視しているのは、人口が一千万を超える国々で、当然領域も広い。謂わば、これ等が大国と言って良いであろう。

 ホスワードを北と西と南に囲む三カ国はお馴染みだが、バリスの西に「ブホータ王国」、エルキトの西に「キフヤーク可寒国」がある。キフヤークの西は小国が多く、一番大きい国でも「ルスラン可寒国」と云うほぼ半数以上が定住し農業を行う国が有り、そして其の西の最果ては「レムトゥーム帝国」という大国が在る。レムトゥームは歴史が古い帝国だが、特異な点は皇位を帝国内の七つある大公国の主から、有力諸侯が選挙で選ぶそうだ。農業と牧畜と鉱山業を主産業としているが、交易でレムトゥームからホスワードまでもたらされる物は、琥珀や羊毛品である。


 キフヤークの南には「ファルート帝国」が在る。カイはある意味この国に強い興味を持った。何故ならこの帝国の北東の箇所で、ヴァトラックス教が成立したと謂うのだ。勿論、当時は「ファルート帝国」は建国されていない。ヴァトラックス教の成立は一説には二千年前とも三千年前とも謂われている。

 但し、ファルートの建国者はヴァトラックス教の神官に連なる家系で、国教とはされていないが、一定数のヴァトラックス教徒が居住している。交易でホスワードにもたらされる物は、絨毯や鮮やかに織られた絹や硝子製品だ。


 「ファルート帝国」の南東部、または「ブホータ王国」の南には、「ガピーラ王国」が有り、知られる限りでも大陸諸国で一番の人口を擁している。総人口は五千万近くで、北部の山岳地帯は牧畜、中部から南部は、ほぼ一年中夏と云って良い位で、様々な農作物や果実や茶、何より香辛料の一大産地だ。ホスワードとは直接の交易はしていなく、香辛料をホスワードはテヌーラとの中継貿易で得ている。

 カイたちが赴く南方の国々は、文化的にこのガピーラの強い影響下にある。


 「ファルート帝国」の西部は、総人口こそ、「ガピーラ王国」より少ないが、大陸で一番の領域を誇る帝国が在る。「アクバルス帝国」と謂い、最も西方の箇所は内海を挟んで、北に「レムトゥーム帝国」が位置している。

 アクバルスは砂漠地帯で隊商の長をしていた、とある有力者がほぼ一代で築き上げた国で、プラーキーナ帝国のアルシェ一世に通じる物がある。

 独特な点は、ヴァトラックス教から影響を受けた教えを、この建国者自ら独自教義として、啓示を受けたとして整備し、国教している点だ。砂漠地帯から発生した為か、命に関わる飲酒や、肉食の処理に関する戒律が厳しい。

 建国者で教義の預言者が商人出身の故、国風として商売活動が盛んであるが、流石にホスワードとは遠いので、この国ともホスワードは直接の交易はしていない。だが、テヌーラとはやはり海上交易が盛んだ。


 建国は「レムトゥーム帝国」が千五百年以上前、「ファルート帝国」が八百年前、「キフヤーク可寒国」が五百年前、「アクバルス帝国」が四百年前、「ガピーラ王国」が三百年前だ。

 言語は其々相互理解は出来ないが、キフヤークの言語はエルキトの西部方言に近く、またラスペチア語とファルート語はかなりの類似性が有る為、互いに学習をすれば、数年で身に付けられる。

 更にファルートとガピーラの支配層が使用している言語も比較的共通項が有り、最も西方のレムトゥームでも日常会話では使用しないが、行政用で使用している古語も基層に於いて、これ等とごく僅かに類似性が有る。

 一般に、陸上の共通語はラスペチア語かファルート語。海上はテヌーラ語かガピーラ語かアクバルス語と為っている。

 ホスワード帝国の礼部省(外務省)の役人は、最低でもラスペチア語かテヌーラ語のどちらかに堪能でなければ為らない。



 七月十日が、ボーボルム城での調練の最終日で、其の翌日はささやかな宴会をして、其の次の日に「大海の騎兵隊」は、九月の半ばまで休暇と為るので、現地解散とした。

 多くは故郷に帰るが、住む所が無いから、軍に所属している、と云う者も少なからずいる為、其の者たちはボーボルム城で時折軽作業を行い残る事に為った。つまり、休暇後の集結場所もボーボルム城である。

 十月からの使節の随員も決まり、二百五十名の内、五十名は女子部隊から選抜され、然も其の内半数はシェラルブクの人々である。

 カイはシェラルブクの女子部隊の副指揮官のオッドルーン・ヘレナトに、「南方の国々へ行くが、大丈夫か?」、と念を押したが、オッドルーンから「其れはウブチュブク指揮官たちも同じでしょう」、と言われたので、返す言葉も無く承知した。

 船内では贈与品の馬の世話が主と為ろう。馬は乗馬用では無く、当地の貴人の馬車用らしい。

 テヌーラでもそうだが、南方では牛が車両を曳く牛車と云う物が有るらしい。だが、何より南方では牛は、先ず農耕に使用するのが第一なので、馬を献上するのだ。

 カイとしては、イオカステ州で育ったこれらの馬が農作業用に使われず、人の移動用に使われる事を願うばかりである。


 帝都ウェザールのヴェルフ・ヘルキオス邸に、ムヒル州のカリーフ村からウブチュブク一家の五人、ハムチュース村からレーマック一家の三人の計八名が到着するのは、七月十七日の予定である。

 一方、カイは只一人、ホスワード帝国の最北東の州のイオカステ州の馬牧場の視察をしてから、ヘルキオス邸へ戻るので、到着は一日か二日遅れるだろう。

 ウブチュブク家の家族が帝都へ来る、と恐らくレナから彼女の姉の皇妃カーテリーナへ、そしてカーテリーナから皇帝アムリートへ伝わったらしく、アムリートは副官のハイケ・ウブチュブクにも、ヘルキオス邸とカイの別邸への長期休暇を許した。この時点でハイケも南方の使節団の一員に為る事が正式決定している。


 カイはシェラルブク族の女子部隊の兵たちと共に、数十頭の馬も収容できる大型の輸送船数艘で、ボーボルム城からドンロ大河を東へ進み、外洋に出てイオカステ州へ向かう。

 シェラルブクの女性たちは帰郷の為、カイはイオカステ州の広大な馬牧場の短期間の視察の為だ。

 あの馬牧場を後にしたのは、二年以上も前に為る。

 船団がイオカステ州の港に着くと、カイはオッドルーンを初めとする女性部隊の帰郷を見送り、自身も騎乗して馬牧場までゆっくりと騎行して行った。

 七月とも為れば、流石にイオカステ州も日中は暑い。但し湿度は左程無く、日陰に居れば涼も取れる。冬場の豪雪の反対に、夏場は気まぐれに降雨がある位で、更に一日の太陽の出ている時間が長いので、豪雨が時折ある南方のレラーン州より、太陽が楽しめる場所かもしれない。

 そんな真夏の太陽の様に輝く薄茶色のカイの瞳には、次第にイオカステ州の馬牧場の姿が入って来た。


 木の柵で囲われた、一面の草地は何処までも広がり、数百頭の馬が草を食んだり、走り回っている。厩舎も職員の施設も多く、且つ整然と在り、五百名近くが働いている。

「ジュペル殿、お久しぶりです。カイ・ウブチュブクです。私の事を覚えていらっしゃるでしょうか?」

「貴方の様な方を、一目見たら忘れる訳ないでしょう。其れに今やホスワードを代表する英雄ですからな」

 カイはこの馬牧場の統括をしている、工部省の高官のジュペルに挨拶した。

「用意するのは六十頭程ですな。九月の半ばまでにレラーン州のオースナン市へ輸送すれば宜しいのですね」

「そうです。しかし私が居た頃より、ずいぶんと賑やかに為りましたね」

「半数はエルキトの方々ですよ。彼らのお陰で、この様に短期間で整備された牧場が出来ました」

 オースナン市とはレラーン州で一番の港湾都市で、南方使節の出港地だ。ヴェルフの故郷トラムから、半日程北へ歩けば到着出来る所で、カイの漁船の購入も、邸宅の改装の職人の依頼も、此処で行った。


 牧場の職人の中には、カイの事を覚えている者たちもいて、彼らはカイが遣って来た事を喜ぶ。明後日の早朝にはカイは帝都へ戻るので、ジュペルは今日は仕事は早々に切り上げて、祝宴をして、明日は丸一日休みとしよう、と言ったので、歓声が起こる。

 カイもこの歓待には素直に甘える事にした。

 そして、カイはイオカステ州の牧場を後にした。順当に進めば、帝都のヘルキオス邸に到着する頃には、既に家族が揃っている筈である。

 母親のマイエ、弟妹のシュキンとシュシンとセツカとグライ。妹夫婦のタナスとメイユ、其の娘である姪のソルクタニ。恐らく皇宮の宮殿からハイケも来ているだろうし、ブローメルト邸からレナとツアラも遊びに来ているかも知れない。

 カリーフ村の実家はモルティ夫妻が留守をしてくれている。カイは改めて、父の従卒をしていたモルティと彼の妻には感謝しか出てこない。

 一人、帝都へ向かって騎行するカイ・ウブチュブクは、様々な想いを胸に馳せていた。


第二十一章 カイ・ウブチュブク、邸宅を構える 了

 カイ君もヴェルフさんも、武器を持って暴れているだけでは無いので、

 こういった特別待遇もありでしょう。

 でも、ヴェルフさんのデスクワークって、想像すると、何か笑えます。

 具体的には自部隊の予算に関しての承認をしているんでしょうけど、

 ちゃんとできているのか、何か不安ですね。


 あと、地味に世界観がぐっと広がっていますが、これらの国々との直接の対峙はありません。

 何となく、こんな世界ですよ、といった感じで出しただけです。



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