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第二十章 吟遊詩人たちを追って

 ようやく20回目の投稿です。

 このようにマイペースな感じで、まだ見えぬ終幕に向かって頑張って続けて行こうと思っています。


 それでは、第20章、ご一読よろしくお願いします。

第二十章 吟遊詩人たちを追って



 ホスワード帝国のクラドエ州は、帝国で最も南東のレラーン州の西隣に在る州である。

 東側が全て海に面したレラーン州が漁業や造船が交易が盛んで、其れに対して、クラドエ州は南部地域で稲作を初め、温暖な地域特有の野菜や果物を栽培する農家が多く、其の他は特に活気がある州ではない。

 地域的な特色は南部と云う事もあって、温暖な事だが、丁度州の半ばを流れるショールル河の北と南で、趣は異なる。

 南部はショールル河とドンロ大河に挟まれた、所謂「北東ドンロ地帯」と云われる、南の大国テヌーラ帝国の文化的影響が強く、大半の住民は農業に従事している。

 北部は高地で、森林や渓流が多いので、真夏でも気温が左程高くならず、湿度も低いので、富裕層の別宅が多く点在している。

 活気が無いと云うより、南部を除けば、静かな保養地と云った趣だ。


 ホスワード帝国歴百五十六年三月の初め頃から、この静かな保養地の貴族を初めとする富裕層に対して、家具を売るに来るレムン・ニャセルなる旅商人が現れた。

 其の家具だが、大規模な物では無く、木で造られた簡易な椅子で、折り畳みが出来るので、収納に便利な物だ。

 このニャセルなる商人は、ムヒルと云うホスワードの北西の方に在る州の出身だと言い、ムヒル州で木工細工が盛んなハムチュース村で造られている、この椅子を売りに来ていた。

「例えば大広間(ホール)で、多くの方々をお呼びした時などに、便利だと思われますが、如何でしょうか?旦那様は楽団などを邸宅の大広間にお呼びなって、演奏会などを開かれますか?」

「うむ、定期的にこの付近で活動している十人前後の楽団を呼んでいる。其の際、休憩中の彼らの椅子は以前から有った方が良い、と思っていたな」

 ニャセルは連れである見習い商人らしき人物に命じて、自分たちが率いてきた馬車の中から百脚は有る、折り畳みの出来る椅子を幾つか取り出させた。


 レムン・ニャセルこと、レムン・ディリブラントが部下を含め二十名で、バハール州にあるザーカル市に到着したのは二月十五日である。全員軍装をしていて、彼らは市庁舎にて興行を行う旅劇団の登録について調べた。大体五人以上で舞台装置などを設置する旅劇団などは、役所に逗留期間を登録しなければ為らない。但し、一人で旅する吟遊詩人などは場所を取らないので、登録義務はない。

 レムンは上官であるカイ・ウブチュブクの特殊な符と、彼に因る直筆の任務状を持っている。符は軍の高級士官用の物で、ホスワードで役人の任務に就いている者なら即座に分かる物だ。

 この符と任務状で、大抵の役所内の資料の閲覧が許可される。

 其処で二年以上前である、帝国歴百五十三年の十月頃の「パルヒーズ一座」の公演期間に関して、確認が取れた。

 其れ以前も以降も、ここザーカル市には来ていない様だ。

 次にレムンたちが行った調査は、ザーカル市の衛士と協力して、この二年以上前の劇を観劇した者で、且つ二月初頭に現れた吟遊詩人を見聞きした者を探し出す事だった。

 十名程、該当者を見つける事が出来た。


 レムンは部下の十九名を並べた。彼らは三年近く前にバルカーン城でカイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスが小隊指揮官に昇進した時に、直属の兵と為った者たちで、カイとヴェルフが士官に昇進するまでずっと従っていた者たちだ。そして、今彼らは全員小隊指揮官だ。

 彼らは皆歴戦の戦士だが、流石に体格は其々異なる。背丈は最も低い者で、百と七十寸(百七十センチメートル)を超える位で、高い者は百と九十寸前後だ。また体の幅も細身で俊敏そうな感じから、筋骨逞しい者と様々である。

「では、覚えている限りで良いので、この中からパルヒーズ一座でナルヨム二世を演じた者と、背格好が似ている者を選んで欲しい」

 レムンは十名程の市民から、並べた十九人の部下を指名する事を要請した。

 大半が百と七十五寸から八十五寸で細身の部下達を選んだ。

「次に、二月の初頭に出現した吟遊詩人に背格好が似ている者を選んでくれ」

 今度は背丈は同じだが、比較的体の幅がある者たちを選んだ。

「宜しい。ご苦労だった。もう戻っても好いですぞ。御協力感謝する」


「ディリブラント殿。次は如何するのです?」

 一人の部下が言った。

「次にラニア市でも詩人が出たと云うので、同じ事をする。そして最後にクラドエ州へ赴く」

「クラドエ州は数少ない詩人が出現しなかった州ですが」

「メルティアナ州に集中しているのは、此処が本拠地ではない、として出現していない州が本拠地と思わせる所為とも取れる。また逆に故意に出現していない州を作りだし、其処を本拠地と惑わせ、やはり首魁がいるのはメルティアナ州、と云うのも有り得る。だが、メルティアナ州に関してはガルガミシュ将軍にお任せして、我々は出現が少ない州の捜索を重点的に行う」

 ラニア州の州都のラニア市で、ザーカル市と同じ事をディリブラント達は行った。やはり市庁舎では帝国歴百五十三年の八月から九月頃に、「パルヒーズ一座」の逗留記録が有った。

 そして、この時期に観劇し、二月初頭に現れた吟遊詩人を見聞きした者を集め、ディリブラント達はザーカル市行った事と同じ事をした。

 結果は、ナルヨム二世の方は百と八十寸前後の細身の部下達を選び、詩人の方は其れより五寸ほど小柄な者たちを選んだ。

「では、ボーボルム城に赴こう。事前にウブチュブク指揮官に頼んでいた一式が、届くまで当地で滞在だ」

 そう言ってレムン・ディリブラント達一行は、ラニア州のボーボルム城へ向かった。ボーボルム城はラニア州のほぼ東端に在るので、ラニア州の東隣のクラドエ州への拠点と為り得る。

 一行がボーボルム城に到着したのは、二月二十三日である。

 其の翌々日、ボーボルム城に二頭立ての馬車が現れた。かなり大きな荷台を曳いているが、中に在るのは百を超える折り畳み式の椅子であった。

 そして、この馬車を曳いて来たのはカイ・ウブチュブクとマグタレーナ・ブローメルトであった。



 カイ・ウブチュブクは帝国歴百五十二年の七月に志願兵として、カリーフ村を後にしてから、様々な任地、時には異国にも居たので、中々定住出来ずにいた。処が、帝都ウェザールに彼の同期で盟友とも謂える、ヴェルフ・ヘルキオスが帝国歴百五十六年二月の初めに邸宅を構え、彼もこの邸宅の住人と為ったので、住所が出来た。

 故郷のムヒル州のカリーフ村の実家へは、定期的に手紙は書いていたが、この様に国内外を転々とする身なので、末尾には何時も、「返信はしなくて好い」、と結んでいたが、居住地が確定したので、初めて返信場所を記す手紙を書く事が出来た。

 末尾に「返信はしなくて好い」が無い、手紙を二通書いたのだが、一通はカリーフ村の実家へ、もう一通が自分の任務に関する要請と為っているのが、カイ・ウブチュブクらしい。

 其のもう一通とは、彼の妹のメイユの夫であるタナス・レーマック宛てで、彼に小型で折り畳める椅子を百脚程の調達を頼んだ。タナスとメイユはカリーフ村の近辺のハムチュース村と云う、木材を使った工芸品が盛んな所に住んでいる。

 こうしてハムチュース村から、帝都ウェザールの西の練兵場のとある施設に、主に水路を使って百脚程の椅子が届いた。二月十九日である。輸送費の支払いは着払いでカイが行う。

 タナスからの手紙も有り、カイは其れを確認して、感心する。

「全く彼奴(あいつ)は、気が利く奴だな。こっちが頼んでのもいないのに、ムヒル市で現れた吟遊詩人の特徴の詳細まで、教えてくれるとは」

 ホスワード帝国内で、二月の初めから数日間、各地に現れた吟遊詩人たちは皆同じ姿だった、と報告されている。

 全員、洋琵琶(リュート)を持ち、如何にも旅芸人風の衣装、特に鍔広帽子を目深に被って、表情が分からない、と共通している。

 タナスの報告では、ムヒル市に現れた詩人は、背格好はタナス自身とほぼ同じだが、微かに見えた顔からは、少なくとも四十歳は超えているだろう、との事だった。

 タナスは平均的な体格の持ち主で、背丈は百と八十寸近くで、やや細身である。

 体格的にはパルヒーズ・ハートラウプに近いが、彼は三十歳位なので、年齢が異なる。

 尤も、役者でもある彼は化粧で多少の年齢は誤魔化せそうだが…。


「おい、カイ。そんなに椅子を発注して如何するんだ?俺の屋敷にはこんなに多く椅子は入りきらないぞ。お前は何人で宴会をやりたいんだ」

「違うよ、ヴェルフ。ディリブラントと富豪の家への商品を売りつけるには、何が好いかを話し合って、これに決めたのさ」

「これらをクラドエ州まで持って行くのか?」

「ああ、俺が自ら行くから、そう云う訳で留守を頼む。ラニア州のボーボルム城で、ディリブラント達と落ち合う予定だ」

「其れなら私も行く!」

 カイとヴェルフの会話に割って入ったのが、レナことマグタレーナ・ブローメルトだった。

「女子部隊の調練は如何する?」

「オッドルーンさんがいるから大丈夫」

 オッドルーン・ヘレナトとはシェラルブクの女性で、女子部隊の副指揮官である。

 結局、カイは強く押し切られ、レナと共に馬車を用意して、ボーボルム城へと出発した。二月二十日の事である。

 両者は軍装をしている。特にカイは高級士官の軍装なので、中途の軍施設では容易に宿泊が出来るだろう。問題は民間の宿泊施設に泊まった時だ。一年ほど前、やはりこの両者は二人で国内移動をしていたのだが、或る宿で満室の為、二人で一室を共にした事がある。カイは其れが無い事を願うばかりであった。


 二月二十五日に無事ボーボルム城に到着したカイとレナは、レムンに其のまま椅子が入った馬車を渡した。明日にでも部下の一人を見習い商人役にして、旅商人の格好で、クラドエ州の北部へ赴く。

 カイたちは其のままボーボルム城で待機する事に為った。

 曾てメルティアナ城にヴァトラックス教徒に因る拠点を造ろうとしていた、クラドエ州出身の者たちは、南部の小さな農村の出で、彼らの農村は古くから、ヴァトラックス教を秘密裏に信奉していたらしい。一定期間、全村民は収容所に入れられていたが、信仰の自由と引き換えに、「他の地域の信徒と接触しない」、「周辺に布教活動をしない」、の二点の条件を付けられ、全員釈放され、元の農村に戻っている。

 更にこの村には、クラドエ州の衛士が常に駐在出来る監視施設まで造られている。

 これは半年以上も前の事なので、彼らから問題の吟遊詩人たちは出ていない事は明白と為っている。

 また、彼らに拠点を造る指示をした人物は、礼拝用の灰白色の外套(フード)を深く被っていたので、よく分からないが、少なくとも比較的若い男だった、との供述が得られている。


「多分、其の指示した人物がパルヒーズ何とかだよ」

「ハートラウプな。いい加減覚えろ」

「実際に顔を見たら覚えます。顔と名前って一致して覚える物でしょう」

「だから付いて来たのか」

抑々(そもそも)、首魁がパルヒーズ自身なんじゃないの?師父だなんて、如何にも裏に居そうな存在を暗示させて」

「彼はまだ若いぞ。少なくとも十代後半辺りから活動しているのだから、其れを手助けした師父が居るとは思うがな」

「長じて、師父を暗殺して、指導者の地位を奪い取った、と云うのは如何?」

「何かの伝承や通俗話の読み過ぎじゃないか」

 ボーボルム城でカイとレナは話し込んでいた。カイが宛がわれた一室である。高級士官であるカイはかなりの広い一室を居住用とされた。これはボーボルム城の司令官アレン・ヌヴェルが、曾てガリン・ウブチュブクの副指揮官をしていて、ウブチュブク家にやたらと好意的だからである。

 初めカイは以前にこの城に着任していた時の、小さな一人部屋を要求したが、其の部屋は別の士官の部屋と為っており、渋々この豪華な一室を受け入れた。レナと話をしているのは執務用の部屋である。

 執務用の部屋、寝室、個人用の風呂と厠から為っている一室であり、殆ど城塞司令官の私室兼執務室と変わらない。レナの部屋はこの執務用の部屋へ、扉で隔てられた副官用の部屋だ。


 二月二十六日、商人の格好をしたレムン・ニャセルが部下の一人を見習い商人として、カイたちが乗って来た椅子を収納した馬車で以て、クラドエ州へと向かった。

 この日、カイとレナは、ヌヴェル将軍の案内で城塞、特に収容している船団の視察の予定と為っている。

 この時期のホスワード帝国南部のドンロ大河沿いは、曇りが多いが、あまり雨は降らない。稀に冷たい雨が降ったり、粉雪が舞うが、精々数刻間である。五月の中頃までは大気も乾燥している。気温は人に因るだろうが、寒さが苦手なものは外套(コート)が必要、と云った感じだ。カイとレナは外套を着ず、軍装の上に肩掛け(ケープ)を羽織っているだけである。

「実は、中型船以上の船に対して、鉄に因る装甲をより強固にする様に指示されている」

「其れはバリスの軍船が、火砲を搭載する可能性が有るからですか?」

「そうだ。故にウブチュブク指揮官には申し訳ないが、騎兵突撃用の改良は後回しと為っている。其れと、奇妙な投擲の検証もしなければ為らぬ」

「奇妙な投擲?」

「投石機に石ではなく、薄い護謨(ゴム)の中に水が入った物を投擲する。恐らく火砲に使う火薬を湿気らせる為の物だろう」

「其れは将軍の案ですか?」

「いやいや、卿の弟のハイケ・ウブチュブク皇帝副官殿だよ」

 カイとヌヴェルが話し合いながら、船団の視察をする。確かに各船は職人により、鉄の装甲が更に強固にされている作業中だ。

 また、護謨を大量に集めるよう、ハイケは陛下に上奏し、宰相の許可も得て、礼部省(外務省)や度支省(財務省)や工部省(国土省)が色々動いている。ヌヴェルの補足では、この護謨を衝車にも使い、其の外部と内部を覆い、爆発にも堪え得る物にするそうだ。

「此れだけ、鉄を使用するのなら、騎兵の出入り口の船首も鋭い鉄に因って、其れを敵船体に突き刺す、のは如何でしょう?」

 レナがヌヴェルに言った。

「成程、出入り口を強制的に造る訳か。先程も言った様に後回しと為るが、其の件は(しか)と試験案として実施する事を約束しよう」


 若しバリスが火砲を搭載した船団を差し向けて来るのなら、今から五月半ばまでであろう。其れ以降は此の辺りは十月までは長雨が多く、大気も湿気を帯びている。

 一年間の不戦条約も有るので、延長履行がされなくても、少なくとも来年の一月までは、対策と調練にじっくりと当てられる。

 問題はどの様な対峙と為るのか、だ。ホスワード対バリス。ホスワード対バリス・テヌーラ連合軍。ホスワード・テヌーラ連合軍対バリス。まさかホスワード・バリス連合軍対テヌーラは有るまい。

 ホスワード側としては、テヌーラを完全に敵に回したくないので、和約の賠償金はかなり低く抑える方向らしいと聞く。高級士官に為ってからカイは、兵部省の定期的な集まりで、国の指針について其れなりの情報を得られる。

 其れにしても護謨とは!カイは弟の発想に驚いた。投石機に石の代わりに水の入った護謨弾を飛ばす。また衝車の装甲に護謨を使用する。火砲と爆発の対策には確かに効果的かもしれない。

 尤も、火砲の砲身を濡らしても意味は無く、点火部分の装置である火皿や導火線を確実に濡らさなければ為らないが。

 つまり、出来上がったとしても、調練で実施をし、問題点が有れば改良をする。結果、改良にまだ時間が必要なら、不戦条約をまた一年延長すれば良いのだ。カイは改めて主君アムリートの先を見通す政略家としての面と、弟ハイケの知恵者ぶりに感服した。

 そして、自分はこの間にホスワード帝国内で蠢動する反体制派を鎮圧する。自国民の摘発や捕縛はあまり気が進まないが、国内状況を安定して於かないと、対外的な政略が制限されるのだから、やむを得まい。

「ですが、砲が甲板上でなく、一層目の様に船の内部に設置されていたら、水の砲弾は意味を為さないのではないですか?」

「その通り。だが火砲を船体内部に設置するのは、若し暴発が起こった場合、其のまま自滅で沈没の危険性が有り、何より傾斜角も限られるので、甲板上に砲を設置する可能性が高いとの事。何れにしても相手も改良と調練の最中であろう」

 レナの疑問にヌヴェル将軍は皇帝副官からの補足事項である、として答えた。バリス側としても一年履行の不戦条約は十分に考えて使う筈だ。



 ホスワード帝国第八代皇帝アムリート・ホスワードは、ナルシェ・ホスワードの三男として生まれた。

 この年、三十一歳になる彼は帝国歴百二十五年に生まれたが、当時の皇帝は第五代のフラート帝で、彼の祖父に当たる。

 父ナルシェはフラートに先立ち没し、フラート帝崩御後、ナルシェの長男カルロートが皇太孫として第六代皇帝に即位したが、重臣はこの即位を不安視していた。

 カルロートが無能だからではない。寧ろ極めて明晰な頭脳の持ち主だったが、問題は生まれつき病弱で、しばしば病臥する事が多かったからだ。

 更に息子がいたが、息子のユミシスまで生まれつき体が弱かった。

 カルロートは数年で崩御して、ユミシスは幼く病弱なので、次弟のオリアントが七代皇帝として即位する。

 処が、此のオリアントも病弱だった。やはり数年で崩御して、健康な三弟のアムリートが八代皇帝として即位する。

 ホスワードの貴族や重臣の中には、この立て続けの皇族の病死や生まれつき病弱な者が多い事について、ある噂話をせずには於けない。

 其れは第四代皇帝マゴメートを幽閉して、帝位に就いたフラート帝が、マゴメート帝の恩寵を受けていたヴァトラックス教の教団達を処刑した時、其の首領が最後に述べたとされる言葉である。


「お前の此れから生まれてくる一族を、全て呪ってやる。誰一人して健康で生きられず、病で苦しむよう呪いをかけてくれる!」


 また、ホスワードの宮中の事情に詳しくない末端の官吏や将兵、或いは市井の人々は、こうも皇族が亡くなっているのは、何か宮廷内で陰謀が行われているのではないか、と噂し合っていた。

 実際に前王朝のプラーキーナ朝では、しばしば皇帝や皇族が不可解な死を遂げ、至尊の位に対する野心的な皇族が皇位を継いでいた。


  開祖の大帝は、軍功高々、野心を抱きて、皇統を奪い

  八代の帝は、軍威堂々、三弟にして、皇位を保持す

  至尊の位を追われた大公たちは、同じ十六の歳に

  ウェザールの宮殿の薄暗い中にて、共に横死す


 この二月からホスワード各地で同時発生した俗謡は、八代皇帝アムリートが至尊の位に対する野心や保持から、身内を暗殺したとも取れる。

 少なくとも、皇族の健康状態について、あまり詳しくない民衆には、そう思っても不思議ではない。

 アムリートは即位してから、頻繁に地方巡幸をしている。此れは彼の活動的な性格からに因る物だが、三弟である彼が皇帝であることを、広く民衆と打ち解けて、妙な誤解を受けたくない、と云うのも少なからずあろう。


 問題のマゴメート帝時代、実は彼が帝位にいた時は、比較的プラーキーナ系貴族が重用されていた。

 プラーキーナ系貴族とは、爵位は高いが実権が制限された貴族たちである。開祖メルオン大帝より、政治や軍事の実権はメルオンに従った将や能吏が、貴族化して握っていた。

 つまり、プラーキーナ系貴族とは、ホスワード朝がプラーキーナ朝の後継国家である事を示す為の、謂わばお飾りの様な物である。

 マゴメート帝にこの怪しげなヴァトラックス教団員を紹介したのは、実はプラーキーナ系貴族の一部たちで、彼らは其の功で文武の重職にマゴメートに因り就けられていた。

 フラート帝の教団の弾圧下で、流石に彼らは処刑や投獄はされなかったが、職は解かれ、中央政界からほぼ一掃された。

 帝都ウェザールにも居辛くなった為、この一部のプラーキーナ系貴族は保養地のクラドエ州に移住、と名の半ば追放処分を受けた。

 そして、フラート帝から現在のアムリート帝に至るまで、実力や能力や実績が重視される質実な時代へと為っている。

 但し、ある一定以上の重職と為ると、流石に貴族出身で無いと就けないが…。


 亡きユミシス大公の母親である、フィンローザが皇宮の宮殿を辞し、実家である帝都内の邸宅へ移ったのは、二月の中頃である。

 彼女は夫のカルロートを亡くし、息子のユミシスも亡くした。宮殿で生活するのは色々と辛いのだろう。アムリートは其れを了承して、フィンローザに優しく声を掛けて送り出した。

「余は義姉上(あねうえ)を、実の姉の様に思っている。此処は貴女の家です。気が向いたら何時でも訪れて下さい。如何か御身体のご自愛を」

「陛下。其の様なお言葉、何と御礼を申し上げて良いか分かりません。陛下も御身体を大事に為さって下さい」

 こうしてフィンローザは宮殿から去った。アムリートにはもう一つ心配事が在る。其れは母である太后のカシュナだ。

 若き日に夫を亡くし、息子二人と、孫息子を亡くしている。カシュナは病弱ではないが、流石に心労が祟って、食欲も無く、一日中部屋に篭っている事もある。

 アムリートはあの下らない俗謡に全く関心を払わなかった。

 彼にとって今重要なのは、私生活では母を初めとする家族たちの安寧、公人としては民力休養だった。

 午前中は宮殿で朝議や謁見の間での使節の対応、午後は執務室で政務、又は関連省庁に赴き、重要な事案を話し合う。朝食と昼食と夕食は必ず家族と取るが、時に、処では無く、ほぼ毎日夕食後に執務室で、夜の十二刻(午前零時)まで、政務に励むので、妻の皇妃カーテリーナは心配していた。


 帝都ウェザールが在るウェザール州は、一種独特な州である。

 位置はホスワード帝国の中央のやや北寄り、帝都ウェザールは州のほぼ中央にあり、其の周辺には様々な施設である。

 先ず、西側は広大な練兵場。東側は広大な森林が在り、此処は狩場と為っている。更に北東側には捕虜や大罪人の収容所がある。北はボーンゼン河が流れ、南は皇族を初めとする貴人の陵墓と為っている。

 帝国全土から水路や陸路が、帝都ウェザールの附近へと張り巡らされ、其の為の物資の保存場所も多い。

 これらは一種の市の様な規模である。事実、担当する従業員が住み込みで働いているのだから、市と謂ってもいいだろう。二十万を超える帝都ウェザールの人々の生活を支える、重要な設備基盤(インフラ)だ。

 其れとは別に貴族や富裕層の別宅も州内に点在していて、特にボーンゼン河の北岸は森林生い茂る山地なので、夏は涼が取れ、冬は雪遊びが出来る。

 アムリートは、妻のカーテリーナの提案で一週間、この北にある皇族専用の別宅で静養する事にした。

 季節は三月の初め頃、涼を取るには早すぎ、寧ろ逆に寒い。そして、もう降雪が殆ど無いので、雪遊びも出来ない。

 この時期に赴くのは、あまり意味は無いが、帝都から離れた場所での静養は、アムリートが認めないからだ。

 同行者は皇妃カーテリーナと彼女の両親のティル・ブローメルト夫妻とツアラ、太后のカシュナ、タミーラ妃と其の息子オリュン大公、そして随員として、皇帝副官ハイケ・ウブチュブク、侍従武官をしている高級士官、近衛隊三十名、皇族専用の使用人二十名だった。


 騎行するのは、アムリート、カーテリーナ、オリュン、ティル、ハイケ、そして侍従武官と近衛隊だ。残りは豪奢な馬車にて赴く。

 進行速度はオリュン大公に合わせて進み、皆はオリュンを心配そうに見たり、見事な騎行をするオリュンを褒めたりして、笑いが起こりながら、ゆったりと進んだ。

 寧ろ、この別宅へ行く際の短い旅が、アムリートの心身の疲れを癒していった。

 オリュン大公はこの年で十二歳になる。長身の叔父に似てか、最近身体が本格的に成長し始めてきた。

 兄の様に慕っていた従兄のユミシス大公の死の衝撃からも、ほぼ立ち直り、毎日勉学や武芸の稽古に明け暮れていたが、叔父アムリートは如何やら一定期間オリュンを一般の学院に通わせる心算(つもり)である。

 当のアムリートがそうだった。彼は十二歳までは宮殿で文武の様々な講師の教えを受けていたが、其の後二年間だけ市民が通う有料の学院に、十九歳に為る年まで、軍人貴族が通う専門の学院に通っていた。

 こうして、念願の軍人としての道を歩み始めたのだが、立て続けの兄たちの崩御で、二十一歳の時に皇帝に即位している。

 アムリートとカーテリーナ夫妻は子供がいない事を瑕瑾(かきん)とも思っておらず、アムリートはオリュンが学院を卒業したら立太子して、同時に自身の副官に就ける予定である。

 別宅でのある日、アムリートはタミーラにこのオリュンの将来についての了承を得て、心中に思った。

「其の頃にはカイ・ウブチュブクは将と為っていよう。ハイケはカイの主席参軍としよう」



 皇帝アムリートから、将来に於いて将軍になる事を密かに約束されたカイは、ボーボルム城にてクラドエ州から帰還したレムン・ディリブラントの報告を受けていた。三月の半ば過ぎである。

「怪しい箇所は、これ等に為ります。今より見張りや聞き込みを致しましょう」

「今から見張り?もう一カ月以上も前だぞ。例の詩人たちが出たのは?」

「報酬を受け取りに来る詩人が現れる筈です。報酬が後払いで無ければ、指定地で唄わず、其のまま金を持って行方を晦まします。また三十人が一斉に受け取りに来る事は怪しまれるので、恐らく月に四・五人が報酬を受け取りに来る様に、と指示されている可能性が高いです」

「成程、そう云うものか。むっ、此処は例の釈放した教団員の農村に近いな」

 カイの執務室の広い机にクラドエ州の地図が広げられている。五つの印が点いているが、其の中の一つは歩行ならば半日で、例の農村に赴く事が出来る。

「此処の邸宅なら、この農村の者たちに金を渡し、メルティアナ城に拠点を造れ、と命じ易そうだな」

「其れとウブチュブク指揮官。此れは帳簿と売上金に為ります。椅子の残部は五脚です。ハムチュース村の方々へ宜しくお願いします」

 カイはレムンから帳簿とかなりの大金を受け取った。ハムチュース村のタナスに送るが、彼はさぞ驚くだろう。


 この様な物品の輸送を初め、手紙や金銭などの指定地への郵送を行うのは、内政全般を司る宰相府の管轄である。故に宰相府の役人は他省庁の役人より、能力は元より、業務に対する厳格さと真摯さが、より高く求められる。

 例えば、ヴェルフは兵になってから給金の大半を、故郷のトラム村の復興に送っていた。

 そう云った大金を安全に届けるのは勿論、持ち逃げなどしない高潔な者でないと就けない。

 そして、こういった国内政治に忠実に携わる宰相府の役人は、将来の高官への道が約束されるのだ。

 カイはハムチュース村のタナス・レーマック宛てに、残部の椅子と帳簿と売上金を纏めて、其の輸送費を自費で払って送り届ける手筈を本日中に行う。

「俺はこのヴァトラックス教徒の村の近くの邸宅の見張りをしたい。ディリブラントは他の四カ所を上手く振り分けてくれないか?」

「カイ、私も一緒で良いでしょう?」

「ふむ。では指揮官殿と奥方殿は其の邸宅と云う事で、後は私が決めましょう」

「おい、奥方とは誰の事だ」

 否定せず恥ずかしそうに下を向くレナを、楽しそうに笑うレムンを見て、カイは「この人もヴェルフと同種の困った奴なんだなあ」、と思った。


 こうして五カ所に対する見張りや聞き込みが決まり、ボーボルム城から全員軍装で、騎行して、各目的地へ出発した。

 カイとレナが向かったのはクラドエ州の東側で、半日程ゆっくりと騎行すればヴェルフの故郷のレラーン州に入る所だ。直ぐ南にショールル河が流れていて、未だ四月で無いのに春めいていて、草花が芽吹き、爽やかな春風と共に目も楽しめる。

 二人の目的地はミシュトゥール侯爵家の荘園で、案内役も兼ねて見張り役として、十名のクラドエ州の衛士が共に付いて来ている。

 ミシュトゥール侯爵の現当主は元々病気がちで、十年程前に帝都ウェザールの邸宅から、この荘園に移って来たそうだ。

 先のユミシス大公の葬儀も当主は出席出来ず、帝都に残っている息子が代理として出席していた。


 カイたち一行はミシュトゥール侯爵家の邸宅の門前に到着した。

 応対に出てきたのは執事だろう。カイが訪問の理由を述べた。

「ボーボルム城から来た、ホスワード帝国軍下級大隊指揮官カイ・ウブチュブクと申します。前年のテヌーラとの戦いで、我が軍は数百のテヌーラの将兵の捕虜を得ました。和約条約で賠償金を貰い、捕虜は全て解放する予定なのですが、如何やらテヌーラの一部の和約反対派がホスワードの要人誘拐で以て、賠償金無しの捕虜交換の暴挙を企図し、工作員をクラドエ州に放っている、との情報を得ました。就きましては、この周辺を警護致す為に赴いた次第です。また怪しい者が居ましたら、此方の私達が拠点としている軍施設に、御報告の協力を願います」

 つまり、堂々と軍装姿でミシュトゥール侯爵家の付近を見回る方便だ。他の四カ所も同様で、ヌヴェル将軍には、其の為の書状も(したた)めて貰った。

 そして、二人の衛士を見回りとして残し、カイたちは拠点とする軍施設へ向かった。途上レナが笑いながら言う。

「随分、立派な嘘がつけるのね。私、貴方がそう云った事は苦手なんじゃないかと思っていたから」

「俺だって、この位の詐術は出来るぞ」

 テヌーラの工作員の件は、全くの嘘である。堂々と見張りをする為にカイが考え出した嘘だ。流石に悪役に仕立てたテヌーラには悪い事をしているな、と思いながら。


 ミシュトゥール邸宅の人の出入りは殆ど無い。精々使用人が近隣の市に食料品を初め、生活必需品を買い込みに出かけている位だ。訪問客も無く、当主は邸宅内で一日の大半を自室の(ベッド)で過ごしているのか。

 邸宅は高さ三尺(三メートル)以上の壁に囲まれ、周囲を回るだけでもかなりの時間が掛かる。中は壁より背の高いの木々が生い茂り、出入り口は先程の正門だけの様だ。

 内部の屋敷の大きさは類推するしかないが、少なくとも帝都のヴェルフの屋敷より二回り以上は大きいだろう。

 また近隣に人が家を構えて無く、最も近い人家でも三十丈(三百メートル)は離れている。

 やや小高い丘にあり、周囲は背の低い木々と草花に満ち、邸宅の傍には背後の山々からの渓流が流れ、この水を生活用水として、邸宅内に引っ張っている。

 当たり前だが、この様に立地は元より、水に困らない場所に邸宅を立てた事が分かる。


 ある日、カイとレナが邸宅の見回りに向かった。拠点としている軍施設からは十里(十キロメートル)は離れているので、騎行して、付近に馬と繋いで於く。

 午前十刻(十時)頃、買い出しだろう。一頭立ての馬車が門から出てきた。門は馬車が出入り出来る程広大だ。

 カイは馬を操る中年の使用人に声を掛けた。

「お時間を取っても宜しいでしょうか?若しご主人である侯爵閣下に因る急ぎの用で、出立為さるのなら、此のまま向かっても構いませんが」

 カイの軍装は上下が濃い緑色で、ボタンを初め薄い灰色が各所に飾りとして配され、左胸には黄金の三本足の鷹が刺繍されている。頭の縁無し帽子も濃い緑で、此れも黄金で装飾され、大きな鷹の羽が一本刺さっている。(ベルト)と手袋と長靴(ブーツ)は褐色で、上半身には後ろに黄金の三本足の鷹が刺繍された濃い緑色の肩掛け(ケープ)を羽織っている。

 レナの軍装は上下が白を基調として、ボタンを初め各処の装飾は緑だ。薄緑の胴着(ベスト)の左胸には黄金の三本足の鷹が刺繍されている。頭の縁無し帽子も薄緑で、銀で装飾され、やや小ぶりな鷹の羽が二本刺さっている。(ベルト)と手袋と長靴(ブーツ)は褐色で、上半身には銀で縁取りされた緑の三本足の鷹が刺繍された白の肩掛け(ケープ)を羽織っている。

 両者共に武器は、腰に佩いた剣のみで、カイの剣は彼の体に合った長大な両刃剣で、レナの剣は刃の部分がやや反り上がった片刃剣(サーベル)である。故に納めてある柄も其れに合わせて反っている。

 カイの軍装は明らかに高級士官のもので、そして女子部隊の存在もホスワード全土に認知されている。

 二人とも二十代半ばに達するか否かの若さだが、男の方は天を突く様な巨漢で、口調も態度も温和そうだが、凛々しい其の顔の造りは、歴戦の戦士としての威風が在る。

 女の方は女性としては比較的長身で、白皙の美麗な顔の造りは何処か出自の良さを感じさせる。だが彼女の一見細い肢体も、躍動感としなやかさを併せ持った戦士としての雰囲気が先ず感じられる。 

 中年の使用人は「只の買い出しで、急ぎではないので」、と言い時間を取る事を許可した。


「ブローメルト。買い出しと云えば、女子部隊の役目だぞ。此処は俺が対応するから、お前は買い出しをして、軍施設に戻り、料理の準備をしていろ」

「申し訳ありません、ウブチュブク指揮官。では失礼致します」

 そう言ってレナはこの場から離れてしまった。カイが使用人に謝辞する。

「まったく、この様に女子部隊の用を為さない者で」

「女子部隊とは戦で大いに活躍されていると、聞き及んでいますが」

「大袈裟に語られているだけですよ。基本的には軍中での食事の用意や洗濯。あのように煌びやかな軍装で士気を高める為に存在しているのです」

 そう言ってカイは四半刻(十五分)近く、話し込んだ。

 当主のミシュトゥール侯爵の健康状態や、邸宅内で普段何をして過ごしているのか等、だ。

「この様に引き留めて失礼しました。私は他の邸宅を含めて、この近辺を見回って帰ります」



 この周辺に住む人々が使用する市場は、ミシュトゥール侯爵邸からは馬車で一刻(一時間)程だ。騎乗なら、もっと早く到着出来る。

 流石に貴人の日用生活品を扱っているだけあって、食材を扱う箇所は山海の様々な物が並んでいる。海の物は隣のレラーン州からの物だろう。

 レナはこの広い市場に入り、用心深く周囲を見回した。程無くすると、先ほどの中年の使用人を遠くに発見し、彼女は尾行を開始した。

 ある休憩所の様な机と四脚の椅子が在る場所に、一人の旅人風の男が座っている。其の使用人は、ずっと待っていたであろう、この男に袋を渡そうとしていた。レナはこの瞬間に飛び出す。

「其の袋の中身を改めさせて貰う。無駄な抵抗はしない方が身の為だ」

 腰の片刃剣(サーベル)を抜き、少しでも動けば、此の右手に持った剣で、二人を瞬時に斬り付ける位置を取っていた。

 レナが渡された袋を左手だけで器用に改めると、大量の金貨が入っていた。

「これで何を買うのだ?この男は如何見ても商人には見えないが」

 事前にこの市場に入り込ませたクラドエ州の衛士四名に、レナはこの二人の捕縛を指示した。


 二人が連行された場所は、とある草地で、此処でカイは簡易な尋問用の幕舎を造っていた。

「ご苦労だった、レナ。さて、如何切り出したら好いのやら」

「此処からは私に任せて、貴方は普段出来ない嘘や御芝居をして、十分に頭が疲れているでしょう」

「うむ、其の通りだ。では、頼む」

 この一連の追跡と捕縛に関しても、考え出したのはカイだった。

「聞きたい事はこの二月の初めから、各地で出現した詩人についての俗謡。そして、自己紹介をするが、私の名はマグタレーナ・ブローメルト。女子部隊の指揮官をしている。父は兵部省で武衛長(軍事警察長官)を務めているティル・ブローメルト子爵。父娘共々、アムリート陛下と直にお会いする事しばしばである。陛下はこの俗謡を何とも思っておらず、正直に答えれば、獄へ繋ぐ事は、先ず無いと思って構わない」

 こう前置きして、レナに因る尋問が始まった。もう一人の旅人風の男は中肉中背の三十代半ば、と云った処だ。

 先ず、旅人風の男に質問をした。要するに二月からの俗謡を流布した人物なのか、如何かだ。

 男は正直に認めた。但し自分が創作した歌では無く、ある人物に教えられた、と言った。

 此処でカイは二枚の人相書きを出した。一枚はナルヨム二世を演じたパルヒーズの顔で、カイとヴェルフ、そして当時の部下達の意見を汲み取って、事前に帝都の人相書きの絵師に頼んだ者である。もう一方はパルヒーズ・ハートラウプの素顔で、此方はカイとヴェルフとレムンの意見で描かれた物だ。

「お前に其の俗謡を教えた人物は、このどちらかの人物かな?」

「此方の人物により似ています。名はパルヒーズです」

 俗謡を歌った詩人は素顔のパルヒーズの絵を指差した。使用人も同意する。彼の他に三十人程、去年の十二月から順次ミシュトゥール邸に集められた。彼らは皆ホスワード各地にある芸事の職能集団(ツンフト)に属し、パルヒーズから勧誘を受け、歌を教えられ、二月の初めから数日間ホスワードの各地で、其の俗謡を唄う事を命じられた。報酬は後払いで、金は指定された場所までの移動費及び滞在費しか渡されなかった。

 そして、報酬も各人毎に受け取る日取りが決まっていて、場所は先程の市場の休憩所だ。


「これは侯爵閣下か、それともパルヒーズか。どちらが主導と為って行われた事だ?」

 レナが俗謡を唄った吟遊詩人の男に問うと、彼は「十二月の半ばから、出発した一月の半ば過ぎまで、侯爵邸に厄介に為っていたが、侯爵閣下にお会いする事は無かった」、と言った。

「先程の会話で侯爵閣下は病臥し、一日の大半を自室の(ベッド)で過ごしていると言っていたな」

 此処でカイは中年の使用人に改めての確認を取った。

「そうです。御体調の良い日には庭を散歩する事もありますが、ほぼ一日中自室に居ます」

 ミシュトゥール侯爵は五十代半ばで、元々体が弱かったが、十年程前から本格的に悪化して、此の地に移ってきた。

「このパルヒーズ・ハートラウプと侯爵閣下は何時からの付き合いだ。そして今、彼は何処に居る?」

「旦那様が此の地に移ってから、数年後です。屋敷内の大広間(ホール)にて、数カ月に一度、劇団を率い、様々な劇を行ってくれました。但し、二・三年程前から、旦那様は大広間へ赴くのも苦痛と為り、自室まで彼が一人で遣って来て、話し相手や楽器演奏で唄ったりしていました。今は何処に居るのか分かりません。丁度集めた詩人の方々と共に一月の末までに出て行きました」

 初めて会った頃は、パルヒーズ一座も結成されて、まだ数年しか経って無く、結成地はクラドエ州で、金銭的な後押しをしたのは、ここクラドエ州の富裕な貴族らしい。

 其の貴族の名を教えて貰うと、其処はレムン・ディリブラント達が調査に向かっている箇所だった。


 カイは中年の使用人に言った。

「卿はもう帰っていい。だが、刑部省(司法省)から、役人をミシュトゥール侯爵の取り調べの為、帝都より呼ぶので、間違っても逃亡などしない様に侯爵に強く伝えて於け。侯爵の邸宅も其れまで監視下に置く」

 そして、吟遊詩人にはこう言った。

「獄へは繋がないが、全容が明らかに為るまで、お前は我々の軍施設に収容する」

 カイは衛士の二人に詩人を捕縛したまま、軍施設へ戻らせ、一人にはクラドエ州の知事に要請して、帝都から刑部省の役人を呼ぶ様に頼んだ。

 そして、残りの一人の衛士の案内で、カイとレナはレムン達が調査している貴族の邸宅へ向かった。

 其の貴族とはリロント公爵と云い、リロント公爵家はマゴメート帝の時代に重用されたプラーキーナ系貴族である。

 フラート帝の登極に因って、リロント公爵家は一切の権勢を取り上げられ、此処クラドエ州に半ば追放されていた。

 先のユミシス大公の葬儀の出席すら、認められていない貴族だ。

「パルヒーズの言う『師父』とは、今のリロント公爵なのか?」

 騎行するカイは様々な疑問が浮かぶ。元々ホスワードの地でヴァトラックス教を奉じていたのは、ダバンザーク王国と云うプラーキーナ王国に滅ぼされた国で、現在のメルティアナ州の北西部のスーア市の辺りに在った国だ。そして、パルヒーズもこのスーア市の孤児院の出身である。

 一体首魁が居るのはメルティアナ州なのか、クラドエ州なのか、兎に角リロント公爵邸へと急ぐ、カイたちだった。


 カイたちがリロント公爵邸に到着したのは、午後の五刻半近くだった。季節は三月の終わり頃、一日毎に日が長くなる時期だ。晴天と云う事もあり、空の六割がたはまだ青い。

 近辺に部下のディリブラントたちを見つけたカイは、手短に首魁はリロント公爵で、ミシュトゥール侯爵は操られていた可能性が高い、と述べた。

「如何します?このまま踏み込みますか?」

「仮にも、公爵閣下だ。其処までの権限は俺たちには無い。帝都の刑部省に任せるしかない」

 リロント公爵邸もミシュトゥール侯爵邸と同じく高い壁で囲われている。規模も大体同じ位だ。

 レムンに因ると、此方も人の出入りは定期的な使用人の買い出しで、追跡した処、特に変わった処は無いそうだ。

 三尺はある壁の上に、人が立っていたのを見つけたのはレナだった。

「あの人、パルヒーズじゃない!?」

 壁の上には三十歳位の細身の男が立っていた。赤みがかった茶色の髪、何処か優しげな顔、服装は動き易い旅人風だが、腰に剣を佩いている。間違いなくパルヒーズ・ハートラウプだった。



「お久しぶりです。名は聞いていませんでしたが、カイ・ウブチュブク殿ですね。其の若さでもう高級士官とは、ホスワード帝国を代表する若き英雄ですな」

「あの下らぬ俗謡を作り、流布させたのはお前か!命じたのはリロント公爵か!」

「確かに詩人を集め、歌を作り教えたのは、私です。其れ以上の事は、貴方は高級士官なのだから、幾らでもこの地の貴族たちから供述を得られるでしょう」

 そう言うと、パルヒーズは壁の上を走り、何と飛び降りた。飛び降りる際に宙で一回転している。

 着地するや否や走りだし、逃走を図った。

「逃がすな!奴を追え!」

 カイはレナとレムンと衛士数人を連れて、馬にて追った。部下たちはリロント公爵邸に残す。

 近辺に繋げていた馬であろう。パルヒーズも騎乗の人と為って、其のまま奔って行く。

「しまった!」、とカイが思ったのは誰一人として、弓矢を持っていなかった事だ。また、クラドエ州の衛士を連れているが、其れ以上に地理感もパルヒーズの方にある。

 また、刻一刻と空は夕焼けに染まり、暗くなり始めて来た。

 追跡を始めてから、半刻(三十分)程、パルヒーズは馬を降りて、又も走りだし、二十尺(二十メートル)の長さの粗末な木と縄で出来た吊り橋を渡り始めた。

 驚くべき事に渡り始めると同時に、橋に掛かる縄を腰の剣を抜き、切り裂くと素早く剣を納め、橋を途上で壊し落としてしまい、橋の木を掴んだ彼は、其のまま向こう側の崖に追突していった。

 どの様な身のこなしなのだろうか。パルヒーズは向こう側の崖に叩き付けられるでもなく、見事に橋にぶら下がり、橋の木を伝って凄まじい速度で上に登って行く。


 崖近くにカイが到達した頃には、向こう側を走るパルヒーズの姿が段々小さく為っていくのが見えた。

 崖下は両側ともほぼ垂直で、下には川が流れ、真下まで三十尺以上はある。

 カイはクラドエ州の衛士に向こう側へ渡れる他の場所を聞いたが、馬でも四半刻(十五分)は掛かると言われた。

「ウブチュブク指揮官、公爵邸を見張っていた小官が言うのも何ですが、彼は諦めましょう。今はリロント公爵とミシュトゥール侯爵の確実な尋問を優先すべく、刑部省の取調官が来るまで、両邸の関係者をこれ以上逃走させない事です」

 レムンが上官に言うと、カイは戦場では見せた事のない屈辱に顔を歪め、渋々其の提案を飲んだ。

「パルヒーズが乗り捨てた馬を改めよ。どうせ何も出ないだろうがな」

 カイは其れを指示するのが精一杯だった。


 帝都より、刑部省の取調官たちが来たのは四月に入って、程無くしてからだった。

 相手が名門貴族と云う事もあって、かなりの高官が刑部省直属の衛士たちを引き連れて遣って来た。

 其の間、カイは自分の部下と、クラドエ州の衛士たちに因る交代制で、両邸宅を監視していた。

 数日の取り調べで、リロント公爵とミシュトゥール侯爵は、共にヴァトラックス教徒と云っても良い位、この教義に傾倒していた事が分かった。様々な教義関係の書物や祭祀用の道具が見つかったからだ。

 現リロント公爵は四十代半ばで、フラート帝の登極で、彼の祖父がこの地に移ったのだが、代々密かに教義を保持していた様だ。

 十年ほど前に、この地に移ってきたミシュトゥール侯爵は、現リロント公爵に因り、其の影響を受けヴァトラックス教の教義を奉ずる様に為った。

 曾て、クラドエ州のヴァトラックス教徒の住人がメルティアナ州へ会合の拠点を造った活動も、ミシュトゥール邸から大金を携えて、あのパルヒーズが指示したらしい。

 リロント公爵とミシュトゥール侯爵は、パルヒーズに資金援助をして、彼の活動の手助けをしていた事が白日の元と為った。

 俗謡の流布はホスワード帝室に恨みを持つ、リロント公爵がミシュトゥール侯爵を介して企図した事も判明した。


 そして、メルティアナ州のスーア市にあった孤児院も、代々のリロント公爵家が関わっていた事も明るみに出た。

 半ばクラドエ州に追放されたとは云え、大貴族のリロント公爵はメルティアナ州にも別邸が在り、先々代より其処を拠点にメルティアナ州内で信徒獲得をしていて、会合場所の設置をしていた。これはヴァトラックス教の地下活動の拠点と首魁が居るのは、メルティアナ州と思わせる所作だった。

 ヴァトラックス教を国教としていたダバンザーク王国が在った所なのだから、事実、其れは効果的だった。

 スーア市の孤児院が閉鎖され、十年ほど前に移転したのは、表向きはバリス帝国に近いから、との事だったが、パルヒーズに代表される様に、一定数の卒院生が行方知れずに為っている事をスーア市の当局から、怪しまれていて、当時の市長が中心と為って、移転を理由に其れまでの篤志家、つまりリロント公爵家に代表される支援者を切ったそうだ。無論、リロント公爵家は別名義で支援をしていたが。


 カイはこれ等の事を刑部省の高官から説明された。場所はボーボルム城で、刑部省の取調官たちが来てから、カイたちはボーボルム城に戻っていた。

 カイが重要参考人とも云うべき、パルヒーズを逃がしてしまった事には、特に何も言われなかった。

「其の男はもう金銭的な後ろ盾を無くしたから、大胆な行動は出来ないだろう。或いはラスペチア王国に逃亡した可能性もあるので、ラスペチアの通使館に人相書きを送って於く」

 そう刑部省の高官から言われたカイは、これでホスワード内のヴァトラックス教の過激派の蠢動は終わったのか、と疑問に思った。

 ほぼ同時期にメルティアナ州の各地のヴァトラックス教の、リロント公爵家が長年に渡って作り続けた会合場所は全て摘発され、其処に居た捕えられた者たちは、大部分がパルヒーズ一座の関係者との連絡が入った。

 但し、其の中には勿論、パルヒーズ・ハートラウプは含まれていない。

 やはり、彼は遠くラスペチア王国まで逃亡したのか。

 リロント公爵とミシュトゥール侯爵は捕縛はされないが、今後、其の行動はかなり制限が付けられる。

 先ず、邸宅内に定期的に衛士たちが入り、少しでも異常が有れば、爵位を取り上げ、獄に繋げる、との判決を其の場で受けた。


 四月の半ば、ボーボルム城は爽やかな晴天が続き、日は炎熱ではないが、軽い暖かさを大地に注いでいる。風は北から乾燥した風が吹く。

 約一年前は、この地でテヌーラ帝国の船団に対して火船攻撃を行った。其の乾いた季節である。

 ボーボルム城の例のカイに宛がわれた執務室で、カイはずっと考え事をしていた。

 数日後にカイたちの部隊の全員は、帝都への帰還が決まっている。

「パルヒーズは、自身のしている事を『師父』の命だと言っていた。『師父』とは資金援助をするだけの者か?」

 カイの疑問はリロント公爵がヴァトラックス教を奉じていたが、教団内の指導的な地位だと思われない点である。抑々、曾てマゴメート帝を初め、プラーキーナ系貴族は、ヴァトラックス教の教義に精通する生き残りの秘儀教団に籠絡された者たちだ。

 ならば、「師父」とは其の生き残っていた教団員の方だ。

 パルヒーズを逃してしまった事を、日ごとに後悔する、カイ・ウブチュブクであった。


第二十章 吟遊詩人たちを追って 了

 パルヒーズさんはカイくんの一枚上を行くキャラとして、造形したのですが、

 出番自体が少ないので、あまりそれを生かせていないのが、反省点です。

 次に出る時はカイをどんな感じで手玉に取るのか?

 そもそも、彼の出番自体はあるのか?

 作者としても、頭を悩ませています。



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