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第二章 調練と大陸概要史

 第二章です。例によって地味な感じですがよろしくお願いします。


 作品名の『大海の騎兵隊』ですが、「なぜ『大海』の『騎兵隊』なの?」という疑問をお持ちの方がいると思われますが、それは今回出てくる新キャラに関係するんですね。


 あと今回は概要史も書きましたが、各国の歴史・地理の詳細はその都度に出していきますので、今回は簡単な紹介にとどめておきました。


 それでは第二章の始まりです!

第二章 調練と大陸概要史



 ホスワード帝国の帝都ウェザールはボーンゼン河という、大河が流れる平野の南にある。東西に四里(四キロメートル)、南北に五里にわたる石造りの城壁に囲まれていて、その城壁の高さは十五尺(十五メートル)を超え、厚さは四尺を超えている。城壁上は約一尺の深さがあり、兵士が通れるようになっている。城門は東と西と南に三つずつあり、南の中央の門が正門となっている。北はそのまま城壁につながる形で、堅牢かつ華麗な城が高く聳えている。この城が皇宮で、皇帝一族の生活と政務の場所が帝都ウェザールの北の奥にあるということだ。

 また各城門の上部には櫓が、そして城壁の四隅には十尺ほどの塔が建っていて、それぞれ見張りの兵士が数十人待機できる造りになっている。

 帝都の位置は大体帝国の中心より、やや北側といった所にある。この辺りは山がない緩やかな平原で、せいぜい所々に点在する森林や、ボーンゼン河の支流が流れているくらいである。帝都の外堀として、この河から水が帝都の城壁の周囲に流れ、城門の箇所には幅の広い頑強な橋が架かっている。そして城内には水路が張り巡らされている。


 帝都の西側は広く開けているので、かなり広い練兵場になっている。帝都ウェザールより一回り広い。そのための施設や兵舎も充実しているため、志願兵の調練もここで行われる。練兵場内には志願兵用に使われる施設や場所もあるのだ。六月二十五日、カイはここに着いた。調練の始まる三日前までにここで手続きをしなければならないのだ。

 六カ月かけての調練後、一カ月後に合否が出る。よほどひどい醜態を晒さなければ、まず合格できるといわれる。ただしそれはまだ兵士でなく、兵士見習いともいうべき輜重兵の任務に就くのだが。


 カイは目的の施設へ進んだ。この施設だけでなく各所には三本足の鷹が、建物の入り口の上に彫られていたり、またさまざまな場所に設置されている緑色の旗の図案としてもある。三本足の鷹はホスワード帝国の紋章なのだ。たしかムヒル市の門の上にも、役所の入り口の上にもこの紋章が彫られてあり、掲げられた緑地の旗の中央にもあったはずだ。

 施設に入り、今回の志願兵に応じた者だと、施設の役人に告げた。役人にもこのように軍関係の仕事に就くことが多い。ハイケもひょっとしたらこういった職に就くのかな、とカイは思った。

「来月の一日から、調練は始まる。それまで君はこの場所で待機しているといい。食事も出るから安心しなさい。それと調練用の服なんだが、君はずいぶん大きいな。君に合うものはあるかな?」

 そう言って、役人はカイが泊まる小屋を示した紙を渡し、奥に入り、何やら探し物をしている様だ。暫くしてから「これらなら十分合いそうだ」、と言いながら、厚手で丈夫そうだが動きやすそうな灰色がかった緑色の上下の服と、革製の(ベルト)(ブーツ)と手袋、そして革製の頭をすっぽり覆える帽子をカイに渡した。

「ありがとうございます。それと調練が始まるまでは、何をしていればよいのでしょうか?」

「何もしなくていいんだよ。調練は朝七刻(七時)から、夜の五刻過ぎまで行われる。休みは七日に一日だけだ。今は充分に英気を養うといい」

 カイは役人から渡された装束一式を持って、自分に割り当てられた小屋へ向かった。周りを見ると何人かのやはり自分と同じ装束を渡された者たちを見つけた。自分と同じ今回の志願兵に応募した者たちだ。


「よお、そこのでかいの」

 背後から声をかけられてカイは振り向いた。声をかけたものも同じ装束を持っている。そしてやや呆れた調子で、やり返した。

「あんたもずいぶんでかいじゃないか」

「いやいや、お前さんの方が少しでかいね。俺はヴェルフっていうもんだ」

 確かに相対した人物はカイより背丈は少しだけ低い。といっても横にした指三本分くらいの低さだから、十分に大柄といっていい。黒褐色のぎらぎらした目と短くした刈ったやや縮れた黒髪、なんといっても屈強そのものといったその体幹を包む皮膚は日に焼けているため、より一層精悍さを出している。

「俺はカイ。ムヒル州から来た。年は二十になる。ヴェルフさん。貴方は?」

「ヴェルフでいいよ。出身はレラーン州だ。年は二十三になる」

 カイは驚いた。レラーン州は帝国の一番の南東にあたるところで、当然東側は海に面している。内陸部で育ったカイは、生まれて此の方一度も海を見たことがない。父ガリンは軍籍にあったころは国内外をよく転戦していたので、子供の頃のカイは父の話す海の話が好きだった。

「じゃあ、ヴェルフは海辺の近くの出身なのか?」

「海辺も何も、俺はもともと漁師さ。海は生活の一部だよ」

 さらにカイは話そうとしたが、ヴェルフが「小屋で落ち着いて話そうぜ」と提案したので、そうすることにした。奇遇にも両者の割り当てられた小屋は同じだ。小屋といっても百人近くが寝食ができる、広い一部屋による大きな建物である。こういった建物が合わせて十棟くらいあった。


 二人は建物に入り、荷物と装束を置いて、座った。周りを見渡すと既に二十人以上は入っている。大半は横になって寝ているか、あるいはカイたちの様に話し込んでいる者たちもいる。時刻は十四刻(午後二時)だ。夕食が出るにはまだ早い。二人は自然と先ほどの会話で時間をつぶすことにした。

「改めて自己紹介をする。俺はカイ・ウブチュブク。ムヒル州にあるカリーフという小さな村の出身だ。今回の応募はもともと俺の父親が軍務に就いていて、俺も子供の時から父を尊敬してたので、同じ道を選んだ次第だ」

「ウブチュブク…?なんか聞いたことがあるな。まぁ、それはいい。親父さんは如何(どう)している?」

「いや、戦傷の影響で先月死んだよ」

 カイは心中で自分の姓を問われなければ、あまり出さない方がいいと思った。ガリンの名は国内外に轟いているのだ。

「それは失礼なこと言った。ご尊父にお悔やみ申し上げる。俺はヴェルフ・ヘルキオス。レラーン州のトラムという漁村の出身だ。さっきも言った通り、漁師をしている。いや、していたというべきかな」

「なぜ、漁師を辞めたんだい?」

「俺は幼い頃から親父について漁をし、十二で学校を出てからは本格的に父と漁をしていた。母親は俺が小さい頃に亡くなってね。でも親父との漁はそんな寂しさを忘れさせたよ」

 ここで施設の職員が水が入った二つの椀を差し出してきた。

「夕食はまだだが、喉が乾いたら、外に井戸があるから、使いといい。あと厠も外にある」


 両者が礼を言うと、この職員は同じように他の志願者たちにも同じことをしている。ヴェルフが話を続けた。

「忘れもしない。一昨年のちょうど今頃のある夜に大嵐と大波が来てな…」

 と、ヴェルフは話し始めた。トラムに住む漁師たちの家々は高台にあったが、彼らの漁船のすべては海に係留していた。ヴェルフの父親はすぐさま家を飛び出し、仲間の漁船を安全な場所へ引っ張っていった。もちろんヴェルフも手伝おうとしたが、家に待機してろ、と命じられた。結局、ヴェルフの父親を含めた数人が海に流され消息不明。つまり死者となったが、漁船のほとんどは無事だった。ただしヴェルフの父親は自分の船は最後に引き上げるつもりだったので、自身の船もろとも流されてしまったという。

「…以来、俺は仲間の漁を手伝いをしたり、魚介を詰め込むことができる氷が沢山入った、専用の馬車で魚介を市に運んだりの仕事をしていた」

「じゃあ、ヴェルフも父親を亡くしているのか。それに母親も。兄妹はいないのか?」

「兄妹はいない。天蓋孤独、と言いたいところだが、村に親戚の爺さんがいてな。例の嵐のせいで船が半壊し漁ができずにいたが、その船を俺に譲ってくれるというんだ。だがその船を修繕するにはそれなりの額になるから、五、六年くらい軍務に就いて、その報償で爺さんから譲ってもらう船の修理費に当てようと思ったわけだ」

「つまり、ヴェルフは金のために数年間軍務に就くという訳か」

 カイはガリンとの様々な会話を思い出していた。軍務に就くのは職がないためや、一時の報奨金目当てのものがほとんどで、進んで兵卒になるものなど少数だぞ、という言葉を思い出した。ヴェルフもそんな一人なのだ。おそらく周りにいる者たちも大半がそうであろう。また軍籍に就いている間は税がかなり軽減される。


「カイ。お前さんは親父さんを尊敬して、軍役に就こうというんだろ。俺のようなただ金目当てで来たやつなんて、嫌だと思っていないか?」

「いや!そんなことはないよ、ヴェルフ。お前の父さんは真に尊敬できる人だ!きっとお前が漁師として独り立ちするのを望んでいると思う」

「ありがとうよ。ところでカイ。お前には母親や兄妹はいるのか?」

「あぁ、母と六人の弟と妹たちがいるよ。村には母の両親も健在だ。ヴェルフ、俺こそお前の家庭の事情に踏み込む失礼なことを言った」

「そうか。そいつは賑やかで結構だな」

 ヴェルフは満面の笑顔で笑った。カイもつられて顔がほころぶ。練兵場に来た初日にこんな気持ちのいい男に出会えたのは幸運だと思った。



 ホスワード帝国は建国して、百五十年ほど経っているが、兵は建国期より、一貫して志願制を取っている。人口は二千五百万を超えるが、おおよそ北の国境に対して二万、西の国境に対して二万、そして南の国境に対して一千の兵を常時駐屯させている。平時はこれら兵士たちは国境警備や駐屯地の城塞の修繕や屯田に勤しんでいる。

 そして中央には八万以上の正規軍を擁し、各州に駐屯している兵士をすべて合わせるとニ万ほどになるので、総軍は十五万前後といったところだ。北と西に対して、南の兵が極端に少ないのは、南の帝国とは長らく修好を持っているためで、ホスワード帝国の主な敵対国は北の帝国と西の帝国であるのだ。


 そもそもこの四つの帝国はかつて一つの大きな帝国であった。

 プラーキーナ帝国という超大国がかつてこの大陸の大半を治めていた。プラーキーナ帝国はもともとは大陸の数ある一小国で、当時大陸は長らく小国の分裂時代にあったが、それに終止符を打ち、かつてないほどの大領域を支配するまでに及んだ。

 それも、今から五百年以上も前に即位したこの小国の王(当時は王国だった)が一代にして、成し遂げたのある。その王の名はアルシェ四世といい、即位時に僅か十五歳。大陸の過半を征し国を帝国に改め、皇帝アルシェ・プラーキーナ一世となった時に四十五歳。さらに領土を東西南北に広げ、特に北方の遊牧騎馬民族国家エルキトの根拠地を落とし、従属せしめたことは特筆に値する。この時、五十五歳。長らくエルキトの近辺に住む民は、エルキトの度々の略奪の被害を受けていたからだ。その後、内政に力を注ぎ、七十五歳で崩御した。


 その死後、帝国は分裂していくのでは、と思っていた各地域の元の支配者層の期待は裏切られた。アルシェ一世の晩年の治世による内政の巧みさと、彼自身の身内と各地の有力者との通婚を多いに重ね、帝室を守る強力な藩屏を築いたこと、そして単純に後継者も代々優れていたため、プラーキーナ帝国の治世は永遠に続くかと思われた。


 しかし人も国も永遠はなく、いつかは灰燼に帰す。崩壊は北方の騎馬民族の独立から始まった。これが今から二百年ほど前で、このころにはプラーキーナ帝国自体も腐敗と汚職にまみれ、この北方騎馬民族の独立を防げなかった。彼らは新たにエルキト帝国を名乗り、プラーキーナ帝国の討伐軍と壮絶な戦いをしたが、これはいわば兄弟戦争ともいうべきものであった。

 討伐軍の将軍の多くはエルキトの族長や有力者の血が流れているものが多く、彼らはしばしば戦果を得たが、中央のプラーキーナ帝国の貴族の中にはこの討伐軍がエルキトと手を結び、プラーキーナ帝国を乗っ取るのでは、との疑念に駆られ、何時しか戦いの舞台は帝国内の権力闘争へと変化していった。

 またちょうどこの頃に帝室の後継者問題も絡み、大陸は様々な軍閥に分割され、彼らは帝国の主導権を握るべく相争った。


 そして、幅だけでも海とも思える大河であるドンロ大河によって分けられた、南方の地域が独立する。大陸は北方のエルキト、中央部分、南方に分けることができるが、これは主に習俗、特に言語の違いで分けられている。帝国は中央部分から興ったので、必然的に全土の共通語が中央のプラーキーナ語となったわけだが、中央部分に住む者は若干の差異を克服すれば身に付けられるが、北方や南方の民にとっては自分たちの言語体系と異なる、このプラーキーナ語の習得に問題を抱えていたし、何より基本的な生活習慣や習俗が異なっていた。

 南方の地域はテヌーラ帝国として、プラーキーナ帝国と袂を分かち独立する。これは北にエルキト帝国が独立してから、二十年しか経たずして起こったことである。

 残された中央部分は最終的に東西に二分され、どちらも真のプラーキーナ帝国の後継国を主張し、それぞれ約百五十年ほど前に建国された。共に建国者は軍閥の長でプラーキーナ一族の娘を妃としていた。東がホスワード帝国。西がバリス帝国である。ここにプラーキーナ帝国は完全に滅んだ。約三百年ほどの治世であった。


 建国の経緯から、ホスワード帝国は西のバリス帝国を打倒しようしていた。どちらかといえば国力はホスワード帝国の方が上で、バリス帝国は人口が二千万を超えるくらいであり、領土の大半が山岳地帯で、農耕や牧畜などに使用できる土地は少ない。ただしこの山岳地帯は様々な鉱物や、更に岩塩も取れるので、貿易によって国力を増強していた。主な相手は西方の商人である。また北のエルキト帝国とも通商や使者の往来で多大な贈り物を献上するので、西と北の脅威を除き、東のホスワード帝国に対抗できていた。

 一方、ホスワード帝国は西のバリス帝国が北のエルキト帝国とほぼ同盟関係にあるため、必然的に南のテヌーラ帝国との友好に務めた。ドンロ大河は遥か西の山岳地帯から東の海へ流れているが、幅がまださして広くない上流側で国境を接しているバリス帝国とテヌーラ帝国は領土問題で対立関係にあった。

 ざっと現状を見渡すと、ホスワード帝国は南のテヌーラ帝国と友好を深め、バリス帝国とエルキト帝国と対峙し、バリス帝国は北のエルキト帝国と友好を深め、ホスワード帝国とテヌーラ帝国と対峙している。



 ホスワード帝国歴百五十二年七月一日の朝七刻(午前七時)。帝都の西にある練兵場は、志願兵の調練の初日を迎えた。帝国全土から集まった者たちは五百人を超える。毎年募集をしているのだが、千人を超えることもあれば、百人に如何(どう)にか達するという年もある。今年は平均的な人数よりやや多い。

 また顔ぶれも若者が多く、三十歳を超えるものは二割にも満たず、ほとんどが二十代前半から後半を占めていた。全員支給された同じ衣服に身を包み、一カ所に集められた。周囲には指導員と思われる、これも同じような衣服に身を包んだものたちが五十人ほどいる。ただし彼らは頭は皮の帽子でなく、衣服と同じ灰色がかった緑色の帽子をかぶり、服の右胸にはホスワードの正規の兵とわかる幼児の掌ほど大きさの三本足の鷹の意匠が刺繍されていた。また顔つきを見るだけでも一様に五十代を超えていて、中には六十代と思われる指導員もいたが、皆、姿勢正しく脆弱さは感じられない。


「諸君!遠路はるばるご苦労!これから本年の志願兵の調練を始める!調練は厳しいもので、いい加減に行えば大怪我はもちろん、命も落とすことあると思え!その覚悟がないものは、今この場から去ってもよいぞ!」

 一尺半(百五十センチ)はある台に乗った、やはり指導員の格好をした五十代後半くらいの男が叫ぶ。どうやらこの男が総責任者のようだ。

「言い忘れたが、俺の名はザンビエという。本年の調練の総まとめ役を仰せつかった。去る者がいないようなので、今から各十名ずつに分かれ、五十の班を作る。各班には一人ずつ指導員がつくので、以降その指導員の命に従うように。各班の選別は既にしてあり、今ここにいる指導員たちが名を呼び上げるので、呼ばれた者はその指導員のところに集まるように」


 奇遇とも幸運ともいうべきか、カイはヴェルフと同じ班に分けられた。初日にヴェルフと会ってから、二人はそれぞれ他の志願兵に声をかけたり、努めて周囲に友好的な姿勢をとったが、あまり周囲の志願兵たちは誰かとつるむという行動を好まなかった。単純に他の者たちは借金の返済だったり、家が困窮しているので、兵役に就くことで食い扶持を減らすため、という理由で応募したのが大半で、進んで兵になりたいから応募した、というものはごく数える限りだった。結果カイはこの調練の初日までほとんどヴェルフと行動を共にしていた。

「何となく、こんな気はしたぜ。よろしくな、カイ。いや、もう遊びじゃないんだから、馴れ合うのも程々かな」

「そうだな。班に分けられたからには、きちんと指導員の言うことを聞こう、ヴェルフ」

 カイとヴェルフは他の一緒になった志願兵たちと共に、自分たちの名を呼んだ指導員の前に黙ったまま、姿勢正しく待機していた。


「これで全員だな。私はブートという。これから六カ月、お前たちをみっちり鍛えるからな」

「はっ!」

「うむ。よい返事だ。まだ正式な兵でないから、これは今覚えなくともよいが、軍命を受けたときの返事は姿勢を正し右手の拳を左胸に当て、今のように大声で返事をするのだ。まぁ、偵察のような敵に気付かれるのがまずい場合は、略した静かな返事の仕方もある。とりあえず今はそれでよいぞ」

 ブートという指導員は明らかに六十歳を超えていた。カイが奇妙に思ったのは父との会話を思い出していたからである。

「士官以上のように指揮官でない一般の兵士は、五十を過ぎたら報償金を貰い辞めさせられるんだ。故に軍にずっといたいものは士官になることを望むし、逆に目的の金額まで稼いだら、五十前に辞める兵士も多いんだ」

 どうやら指導員の場合はその経験から年齢制限がないのかな、とカイは心中に思っていた。すると早速ブートが最初の指令を出した。いやすべての班が同じ命を受けたのだ。

「あそこの河原近くに穴を掘れ!長さは四尺(四メートル)、深さは二尺、幅は半尺だ!」

 そうして各指導員たちは円匙(シャベル)がある場所を指差した。皆一斉に駆け出し円匙を手に取り、それを持って指示された河原付近へにて穴を掘り始めた。

 カイもヴェルフを初め誰一人として疑問の声を出さず、班ごとにそれぞれ指示された場所に穴を掘る。そこでザンビエの注意が入る。

「掘り起こした土は近くに固めておいておけ、あとで埋めるからな」

 それを聞いたカイはヴェルフに叫んだ。

「よし!俺は掘り進む。ヴェルフとあと一人ほど、掘り返した土を近くに固めておいてくれないか!」

「わかった!おい、そこのお前!掘り起こした土を固めるのを手伝ってくれ!」

 自然とカイとヴェルフの班はカイとヴェルフが主導権を握っていた。誰もがこの二人の大男が只者でないと直感し、指示に従うのが無難と判断したようだ。


 各班がすべて穴を掘り終えた時、時刻は九刻を過ぎていた。

「遅い!十人で行っているのだから、こんなことは最低でも半刻で済ませ!全員元の場所に集合!」

 ザンビエの指示が飛び、全員は最初の集合場所に戻った。



 カイの班の一人が指導員のブートに申し出た。

「すみません。用を足したいのですが、厠に行ってもよろしいでしょうか?」

 ブートの答えはそっけなかった。

「なんのためにあそこに穴を掘ったと思う?あそこで用を足すためだ。お前、まさか戦場に厠が設置されているとでも思っているのか?」

 そこで、ザンビエの声が飛ぶ。

「今のようにもし用を足したくなったら、さっき自分たちが掘った穴にてせよ。洗浄や手洗いは近くの河原でするように。それとあの穴は一週間後に埋める。故に一週間後は別の場所に同じ穴を掘るということを覚えておけよ!」

 父からいろいろ戦場の話を聞いていたカイは穴掘りの意図を即座に察していた。まず陣を築く時に必要なのは排泄物の処理場所だ。これをしっかりやっておかないと、疫病の原因ともなる。

 次に必要なのは寝床である幕舎の設置だろうと、カイは思っていると、ザンビエが次の指示を出した。

「よし、次は幕舎の設置だ。各班、指導員の指示に従い幕舎を三回設置しろ!」

 ブートはカイの班に幕舎を組み立てるために、すでに幕舎用にある程度組まれてある木材や天幕用の獣の毛で作られた布が所蔵された場所を言い、それをまず一式だけ持ってくるように指示した。

 また用を足すのは指導員に言えば、いつでも最初に掘った穴に行ってよく、また真夏のことなので、水が欲しければこれも指導員に言えば自由に飲めた。ただしこれら以外は指導員に言っても許される自由な行為は一切ない。

 幕舎の設営用の資材を持ってきて、ブートの指示のもと組み立てていく。カイを初め多くはこの種の作業をこなしたことがない。逐一の指導の下、どうにか一つの幕舎の設営ができた。ちょうど十人が寝ることができる幕舎だ。ブートを初め各指導員は出来上がった幕舎の点検をしている。

「何だ!木組みがぐらぐらしているではないか!これでは少しの振動で崩れ落ちるぞ!」

「天幕を雑に覆うな、強風で吹き飛ばされるぞ!」

 あちこちで、出来上がった幕舎の不備を指摘する指導員の声が飛ぶ。カイの班の幕舎は細かいところの注意だけで済んだ。船乗りのヴェルフは漁船の修繕や、一本釣り用の木材の釣竿の製作や、網の繕いの経験が豊富なので、比較的うまくできたのだ。時刻は十二刻をとうに過ぎていた。

「残りの二回は昼飯を食べてからだ。各自、昼食の用意をするように」

 ザンビエの指示で、昼食の用意に移った。


 今日の初日が始まるまで、三食はすべてこの練兵場に常時いる職員たちによって支給されていた。今日の朝食もそうだったが、これから昼は皆で作る。野外料理も調練の一環なのだ。

 これも調理機材と材料は所蔵された場所からまず持ってくることから始まり、調理に移る。

 まず炉を築き、幼児が湯あみができるくらいの大鍋を置く。炉に火を起こし、油の塊とつぶした大蒜、そして猪の肉を入れ、十分に火が通ったら水を溢れんばかりに入れる。水の用意もはじめ班内で分担して進めなければならない。指導員の指示を仰ぎ、各自役割分担を決めておかないと、うまく進めることができない。

 鍋が沸騰しだしてから、羊肉を入れ、そしてジャガイモやタマネギやキャベツやその他の根菜を入れる。これらを切り分けるのも作業のうちに入る。

 最後に幼児のこぶし大の岩塩の塊を細かく砕いて入れ、さらに各種の香辛料を入れる。そしてかき混ぜれば鍋は出来上がりだ。

 それとは別に固パンも用意され、一人に二つずつ渡された。

 一つの鍋に対して各班の十人ずつとそれぞれの指導員が食す。そのための器や匙も所蔵された場所から持ってきたものだ。

 食事が終わり半刻ほどの休憩が認められる。休憩後、ブートら指導員は即座に器具を洗い元の場所にしまうこと、築いた炉を崩すことを命じた。

 そして調練が続く、先ほど築いた幕舎を今度は最初の状態に解体し、更にもう一回同じように築くことを命ずる。指導員の点検後、また解体と設置と点検を繰り返し、最後にまた解体して最初の状態に戻し、幕舎の資材の全てが所蔵されていた場所に戻す。これで一日の調練は終了だ。時刻はすでに夜の五刻を過ぎていた。

 ザンビエがブートを呼び出し、何かを命じ、それからザンビエは全員を集合させた。

「本日の調練はこれで終了だ!それと今より毎日各班交代で湯あみの準備をしてもらう。今日はブートの班だ。ブートの班は湯あみの準備に行くように。残りは休憩していいぞ」

 この日は炎天下の中の作業だったので、皆全身汗まみれになっていた。


 さすがのカイもヴェルフも疲労から、この湯あみの準備に手間取るまではいかなくても、ブートから手際よく早くやるようにと叱咤の声を受けた。

 練兵場は浴場専用の建物も幾つかあり、そこには二十人以上は同時に入れる銅製の浴槽が二つあった。その二つの浴槽に水を張り、浴槽の下に火をおこし薪をくべていく。

 用意ができると、班ごとに衣服をすべて脱ぎ、所定の場所に置く。これらは洗わなければならないのだが、さすがに洗濯や皮の靴や帽子や手袋の修繕は練兵場に常時いる職員が行う。朝食と夕食の用意もだ。こういった練兵場に常時いる軽作業をする職員たちはかつて軍務に就いていたが、負傷により軍務に続けることができない元兵士たちが多い。多くが傷痍兵で片腕がないものや歩行が困難なものたちだ。

 五つの班ごとに浴場に入る。まず用意された水で体全体を隅々まできれいに洗い、そして浴槽につかる。下に直接火をおこしているので、火傷をしないように、沈むように四辺を金属の枠がついた木の板を下に敷き湯に浸かる。

 湯あみの時間は半刻で、次の五つの班の順となる。準備をしていたカイの班は最後となった。

 湯あみが終わると、皆各指定された小屋で、室内着に着替え、用意された夕食をとる。そして明日また朝の七刻に調練が始まるので、皆この日の一日の疲れから、日が暮れ始めた夜の九刻になる前に誰に指示されるでもなく、布団を用意して皆眠った。カイもヴェルフも疲労からほとんど会話をせずに眠った。


 翌朝の七刻にまた同じ訓練が始まる。ただし、用を足す穴は一週間そのままなので、穴掘りはなく、即座に幕舎の設置と解体を三回、その間に昼食の用意、そして風呂に入り夕食をとり、また即座に眠った。

 六日間同じことが続き、この日は休息日であった。六日目、つまり休息日の前の日の夕食にのみ酒が出る。といっても五合(半リットル)の麦酒(ビール)が供されるだけだが。別段、昨日の酒の影響ではなく、話したりしている者はほとんどなく、ただ皆一様にぐったりと横になっている。

 ただしカイとヴェルフを初め数人は話し込んでいた。カイとヴェルフはもともと力仕事をしていたので、慣れれば極度の疲労をため込まなかった。指導員たちもこの二人については即座に一目置いた。但し、だからといって二人を特別扱いや賞賛したりはしなかったが。

「なぁ、カイ。まさかこれからずっとこの調練の繰り返しなのか?」

「それはないだろう。まず、陣営を築くにあたって基本である用を足す場所、幕舎の設置、そして食事の用意という基本的なことをまず叩き込むのだろう。それがブートさんたちの細かい指示がなく、速やかにできるようになったら次の段階だな」

「次の段階とは?」

「おそらく資材の運搬や柵の設置。さらに輜重を守るための初歩的な軍事訓練もあるだろう」

 カイとヴェルフの会話に割って入った別のものがカイに言った。

「お前、若いくせにずいぶん詳しいな。俺なんて毎日同じ失敗をしては怒られているのに、お前はあっさりと習得するし、全然疲れた感じもないじゃないか」

「いや、さすがに疲れているよ。実家ではこのような力仕事が多かったからな。そこのヴェルフもそうさ」



 二週間目の初日。この日はまず調練初日に掘った、用を足していた穴を埋める作業からだ。悪臭の中、まず穴の中の排泄物がはねないように、土を少しずつそっと埋めていく。そして排泄物が見えなくなったら、残りの土で完全に埋めてしまい、印をつくておく。次は他の場所に調練の初日の最初にやったように、また穴を掘り土を固めておいておく。印はその次に誤って掘り返すのを防ぐためだ。

 そしてカイの言うとおり、基本である同じことをこの週も、次の週も行った。それは灼熱の炎天下の中でも、豪雨の中でも、強風の時でも同じことを行った。

 日が経つにつれ、カイとヴェルフは異変に気付いた。志願兵が減っているのだ。おそらく辛さに耐えられず、脱走しているのだろう。指導員たちはそれを咎めない。そもそもカイたちが寝食に使っている小屋は外から鍵などかけられず、練兵場も特に周りを囲っている訳でもないし、見張りの職員などはいない。

 初めからついていけないものは相手にしない。というのがこの調練の基本である様だった。


 二カ月が経ち、九月に入った。最初五百人位いた志願兵は四百人程までに減っていた。当然班の再編成等も行われたが、カイとヴェルフは同じ班のままだった。

 この日から新しい調練が始まるという。例によってザンビエが台上で説明をする。

「本日より、調練の形を変える。まず輜重車を引いてもらう。この輜重車には幕舎の資材、調理器具、昼の食事用の食材、その他もろもろを入れるのだ」

 各班はそれぞれ指導員の指示で、輜重車が置かれている所に連れて行かれる。輜重車は幅が二尺半、長さが三尺半、深さが二尺近くある、巨大な四車の輪の付いた運搬用の手押し車だ。前に五人が曳いていける様に柄が備えられていて、残りの五人は後ろを押す。即座にこの車に言われた資材を丁寧に区分けして、整理して入れることを命じられた。


 指示されたものすべてを入れ終わると、各班は皆五里(五キロメートル)の距離をこの輜重車を曳いて移動することを命じられた。

 調練中は私語や質問は許されない。只命じられたことを粛々と行うのだ。五里の距離を移動する行程はザンビエが指示する。終着地は河原がある場所だった。そこでまず例によって排泄用の穴を掘ることを命じられ、そして幕舎の設営を行った。

 ここでまた新しいことをカイたちはブートから命じられた。

「木材と縄が沢山あるだろう。これで設置した幕舎の全てを囲うように柵を作るのだ」

 新しいことなので、これは指導員たちが事細かく説明しながら、柵を設置していく。程無くして、四十の幕舎と輜重車を囲うように、柵が出来上がった。些細ながら野営用の陣営がこれで出来上がった。そしてちょうど時刻は昼の十二刻を過ぎていた。

「よし、何時もの様に昼の用意だ!」

 昼食を食べ、少し休憩すると、今度は撤収作業を命じられた。つまり輜重車に洗った調理器具をしまい、柵と幕舎を解体しこれらもしまう。最後に排泄用の穴を埋め、そして元の場所への移動を命じられた。元の場所に戻る頃には、やはり夜の五刻近くになっていた。これで調練は終わりで、担当の班が風呂の準備に入る。


 この調練も二カ月近く行われ、季節は十一月に入ろうとしていた。調練の初めは炎熱下で汗が止まらなかったが、この時期になると、体を動かしていないと、寒さで震えだす。

 そして十一月からまた別の調練を行うので、なんと丸一週間の休暇をザンビエから許された。残っている者は三百五十人程である。この七日間の休暇は最終日以外の夕食は常に酒が供されるので、皆大いに喜んだ。


 十一月の初日の朝七刻(午前七時)。この日からまた新たな調練が始まるので、まずザンビエの説明を聞くために全員例のように集合して、台に乗ったザンビエに注目したが、この時期になると朝はまだ薄暗い、そのため各所には篝火が焚かれてあった。

「皆、ゆっくり休めたようだな。では本日から約一カ月間、遠征をする。つまり今までやってきたことを実際に体験するというこだ」

 つまり、資材を持った輜重車を引き、一カ月をかけてこの辺りの周辺を回り、寝泊りしながらここに戻ってくるということである。すでにその道順(ルート)はザンビエによって決められていて、さっそく各班ごとに輜重車に必要な資材を納めることを指示された。準備ができ次第すぐに出発だ。


 進路は真北を通っていく。四十ほどの輜重車が班ごとに曳かれる。うち五つの輜重車はすべて保存ができる食料や、飲料の為の水のろ過装置や、医薬品まで詰め込まれている。先頭のザンビエは馬に乗っていて、各指導員は輜重車の上に乗り、ホスワード帝国の紋章である緑地に中央に三本足の鷹が配された旗を持ち、時折指示を出す。

 十二刻を過ぎる頃、ザンビエが休息の指示を出す。着いた場所はボーンゼン河の近辺で、ここで昼食の用意をするようカイたち志願兵たちは命じられ、またある一部の班は水を汲み取ることを命じられた。

 昼食が終わると、即座に撤収作業をして、さらに北に進む。ボーンゼン河には石造りの頑強な大きな橋があるのだが、そこを通っていく。ただしその橋の両端には衛士の詰め所があり、許可なく通ることは許されない。もちろんザンビエは事前に調練の為、と許可を取ってある。

 橋を渡り切り、さらに北に進むと山の麓まで近づいて行った。ちょうど時刻は夜の五刻。もうこの時期になると、日は完全に暮れている。


 ザンビエの指示でまず各所に篝火を灯し設置して、排泄用の穴、幕舎の設営、柵の設置をする事を命じられる。全て皆もう慣れている作業だが、遠方に出ているということと、暗闇の中の作業ということで、流石に皆手間取った。それらが終わると皆昼にボーンゼン河から汲み取った水を使い、体を拭き、食事の用意に取り掛かった。

 食事が終わり片づけを済ますと、各班ごとに設営した幕舎に入り就寝を命じられた。起床は次の朝の六の刻。幕舎の設営と解体は何度も行っているが、幕舎の中で宿泊するのはこれが初めてだ。新しいことを行った疲労からすぐ寝る者や、これからの行程に不安を覚え、なかなか寝付けない者など、さまざまいたがカイは直ぐに眠った。


 翌朝、朝食をとると、即座に陣営を解体し、また輜重車での移動を行う。山の麓にいたが、行程はその山の中に入っていき、この山を越え更に北に進む。山を越えたら、帝都ウェザールを中心とするウェザール州からその北のエルマント州へと入る。エルマント州は山地と高原が絡み合う地で、農耕はほとんどせず、住民の多くは牧畜を生業としている。

 出発してから山も、そしてこのエルマント州も輜重車が通れる整備された道ができている。元々はこういった道はプラーキーナ帝国時代から整備されていたものだが、プラーキーナ帝国崩壊時の戦乱で、一時期荒れ果てていたが、ホスワード帝国は再度再整備に着手していたのだ。

 この日は昼も夜もエルマント州の高原で宿営をした。そして更に北を目指す。


 一団に緊張が走った。北をずっと目指すという進路はエルキト帝国に接していくのだ。出発してから十日。一団はほぼエルキト帝国との国境沿いを移動していた。

 物資目当てのエルキトの遊牧民が強奪の狙いに、自分たちを定めてもおかしくはない。

 さすがのカイもヴェルフも緊張を覚えた。昼の休憩時、二人は珍しく私語を交わした。

「おい、カイ。あそこのあたりに騎兵が見えないか?」

「うむ。駆りかな?それとも駆りを兼ねた偵騎か…」

「エルキトは成年男子すべてが騎兵だというからな」

本朝(わがくに)とは、国や兵の制度が大きく異なる。国益は牧畜と領内に貿易の市を開くだけで、あとは他国から奪うというやつらだからな」


 エルキト帝国の産業は牧畜くらいである。ただ良馬を多く産するので、敵国ではあるが非公式に互いに利があるので、ホスワード帝国も大金や日用品などの工芸品と引き換えにエルキトの馬を多く買っていた。カイの実家の馬もエルキト産が多い。

 またエルキトは南のバリス帝国や西方の国々との交易も盛んである。

 ただそれだけでは支配者層であるエルキトの中核部族は、広大な帝国内にいるさまざまな部族を従えることができないので、しばしば周辺諸国への略奪行為を行い、その戦利品を各諸部族に分配する。

 ここ近年は略奪行為は鳴りを潜めているが、何しろ成人男性全員が騎兵となるエルキトは野戦においては脅威そのものであった。

 ガリンが軍籍を退くほどの重傷を負ったのは、西のバリス帝国とエルキト帝国の同盟軍がホスワード帝国に侵攻したのが原因だ。まずホスワード帝国は来寇してきたバリス帝国に対峙していたが、北から急襲してきたエルキト帝国の騎兵に虚を突かれ蹴散らされ、ホスワード軍は瓦解し、それに乗じたバリス帝国が致命的な一撃を加えんと追撃してきたのをガリンが食い止めたことによる。


 この頃になると、雪がちらちら舞い降りてきた。カイにとって雪は特に珍しくないが、ヴェルフの出生地であるレラーン州では冬といえば、十二月の半ばから二月の半ばと短い。その間雪はあっても粉雪が一回か二回ほど舞うだけである。ヴェルフは疲労よりも寒さに堪えているようだ。

 さて一団は東に進路を変え五日進み、それから南へ進路を変え十日進み、さらに西へ進路を変え五日進み、最終的にまたウェザール州へ入った。要するに北へ向かい右回りで元の練兵場へ戻ってきたということだ。南への行程は途中ボーンゼン河を、やはり橋にて渡っている。この間猛吹雪に合わなかったのは幸いであった。

 練兵場に戻った時、季節は十二月に入っていた。一面はうっすらと雪が積もっていた。



 輜重車を所定の場所に収めると、カイたちはまず湯あみをした。風呂の準備はさすがに職員たちがやってくれていた。

「いやぁ、久々の湯船だ。ここのところずっと濡れた布で体を拭いていただけだからな」

「特に今のような寒い時期は格別だな。ヴェルフ」

 二人はゆっくりと暖かい浴槽につかっていた。この日は一刻(一時間)の湯あみが許されていたのだ。特に寒さに参ったヴェルフには格別だ。

 夕食には当然酒も供された。麦酒(ビール)五合(半リットル)が二杯分。さらに葡萄酒(ワイン)がグラス一杯分だ。皆久々の酒で心身が癒された。ザンビエからはこの日を含めて五日の休暇後、最終の調練を行うという通達が出された。


「見事、輜重を崩さずに一カ月間運びきった。諸君らの努力と今までの調練の成果の証だ!もう即座に任務に就けるが、最も大事なことがある。それは何だと思う?」

 最後の調練の初日。例によってザンビエは台に乗って説明を始めた。質問調で答えを得るよう彼は志願兵を見渡した。

「それは輜重を敵の手から守るためです」

 発言したのはカイである。手を挙げ、ザンビエから回答を言うように促されたのだ。

「その通りだ。故にこれより諸君らは初歩的な軍事訓練と輜重を守る術をこの一カ月間で教える。これで本年の調練は終わりとなる」


「皆の中で、馬車を扱ったり、馬に乗った経験がある者はいるか?」

 ザンビエが問う。

 やや躊躇してカイは騎乗ができる旨を告げた。

 ブートが騎乗用の馬を引き連れてきて、カイにその技量を示すよう促す。

 カイはひらりと、大柄な体にかかわらず、鞍に乗りすぐさま疾走した。

 志願兵たちだけでなく、指導員たちもこれには驚いた。カイほどの馬術の技量をもつものは、今この場には一人としていないのだ。

 カイはザンビエのもとに近づくと、弓と矢の要求を丁寧に行ったが、ザンビエはまるで主人に対するようにそれに従い、カイに弓を、そして矢を数本渡した。

 馬上で矢を射る。それも脚のみで馬を操り、左右両手で矢を放つ。飛んでいく矢は事前にカイが的として叫んだ木の幹に凄まじい勢いで刺さる。

 ザンビエをはじめとする指導員たちと志願兵たちは皆一様に感嘆の叫びをあげた。


「もういいぞ、カイ・ウブチュブク!いや事前に知っていたが、さすが無敵将軍ガリン・ウブチュブクの息子だ!」

 ザンビエはカイの騎射の腕に大いに感嘆した。ブートが声をかける。

「いや、まさかこれほどとはな。さすが英雄の息子だ」

「これは父に習ったことです。今までやってきた調練は父からは一切習っていませんでした。小官のこれからの任は今までの調練と心得ています」

 カイはやや遠慮がちに言った。自分が英雄の息子と言われるのが気恥ずかしい。確かに父は英雄に値する人物だが、英雄の息子がそのまま英雄な訳ではない。自分は全くの駆け出しではないか!

「すごいな、カイ!俺にも教えてくれよ。今のやつって数カ月でできるか?」

「おい、ヴェルフ。それじゃあ俺は数カ月で漁や操船の達人になれるというのか?」

「なるほど、それはそうだ。だが初歩は教えてくれよな。一応俺も馬車の操作はできるから、数カ月で基本的なことはできるだろ?」


 この日は基本的な馬の乗り方や馬車の操作を習った。ただ指示員たちはザンビエを初め基本的な騎行しかできない。彼らは一兵卒、または小隊の隊長のまま士官になれずに、五十歳を超えているのだ。五十歳を超えた兵士は恩賞を貰い、退役するのがホスワードの軍制度だが、希望する者たちは輜重兵の手伝いや防御兵、こういった新兵の指示員になれるのだ。要するに彼らは帰るところがない者たちや、単に生涯軍隊にいることを望む者たちなのである。


 こうして十二月は馬の乗り方や馬車の操作を習い、そして如何(いか)にも輜重兵らしい調練も行われた。

「敵兵が別働隊を組んで、こちらの物資を狙うことは戦場ではよくある。そのための防御を覚えてもらおう」

 ザンビエは説明する。輜重を専門に守る兵(つまり五十歳を超えた元兵士)もいるので、輜重兵の主な役割は例えば火矢が飛んできた時にそれを即座に消火するとかなど、とにかく物資を守ることを優先とした調練だ。

 布を水に含ませ、それを火のついた箇所に覆い消すなどの説明をされたが、実際に武器を取り敵兵を近づけない調練もされた。

 長く太い木の槍を使って、敵兵の馬の脚をとにかく狙う。また短剣を持ち落馬した敵兵を殺傷するなどといった手順を説明され、それを実際に木で作られた摸擬の短剣で行う。あとは基本的な格闘術だ。


 馬術についていえばカイが圧倒的な技量を示した。他に馬術の心得があるものが数十人いたが、カイほどの技量はなかった。馬車の操作は皆一通りできるようになり。木の槍の扱い方や短剣や徒手での接近戦の心得も、皆水準以上といっていい位にまで習得した。

 特にカイとヴェルフは大柄で且つ俊敏なので、他の志願兵たちは皆この二人に格闘ではまったく敵わなかった。指導員たちでさえそうだ。

 カイとヴェルフが対峙した時は大体五分五分、むしろややカイが若干上回っていたので、ヴェルフは爽快な感じで悔しがった。

「まったく、お前ってやつは大したもんだよ!俺は格闘には自信があったんだが、全くお手上げだぜ!」

「いや、俺もこんなにやられるのは、父さんが重傷を負う前の頃を思い出すよ。ヴェルフは漁師なのになんでそんなに強いんだ?」

「漁師は荒くれどもが多いからな。それに俺はガキの頃から気に入らないヤツは懲らしめる性分でね」


 こうして十二月は終わりに近づき、ザンビエは今年の調練の終了を告げた。

 幸運というべきか、志願兵たちが皆集中して取り組んだか、指導員が適切な指示を出していたか、その全てであろうが、この半年の調練中に死者はもちろん、事故で重傷を負うものは一人として出なかった。せいぜい軽度の怪我や具合の悪さで、二・三日休んだ者たちが出た位である。カイやヴェルフを初め半数以上は一日も調練を休まず、皆勤であった。

 年が明け二月初めに輜重兵としての合否を受け、早速そのまま軍務が始まるので、就きたい者は一月の終わりの三日前に、この調練場に戻るようにと告げられた。つまり一時の帰郷が許されるのだ。

 ただし帰郷したくない者はここに留まってもよいことも告げられた。その代りに各施設の整備など、軽作業を何日かに一回行わなければならない。といってもせいぜい一日で二・三刻くらいの作業だが。とはいえここに留まれば三食と寝床に一カ月間困らないのも事実なので、八割がたの志願兵たちは残ること選択した。

 カイは帰っても特に問題はないが、やはり一人前の兵士になってから帰郷すると決めていたので、留まることにした。ヴェルフも残る。ヴェルフはさっそくこの一カ月間みっちりと興奮気味に乗馬の極意をカイに教えてもらうことを期待している。

 カイは苦笑しつつそれに同意した。


 こうしてホスワード帝国歴百五十二年は終わりを迎えようとしていた。

 合格を受ければ、来年の二月からさっそく任務が始まる。いよいよ軍の仕事が近づいてきたことに、興奮と熱意に燃えるカイ・ウブチュブクであった。


第二章 調練と大陸概要史 了

 もう現時点(2020/9/18)で第三章は数百行しか書いていません。(汗)

 こういったものって、ちゃんとある程度ストックして、投稿するもんなんですね。


 というわけですみませんが、次回の投稿はかなり時間がかかると思います。

 ただ投稿時間に関しては金曜日の午後11時といたします。(申し訳ありませんが次回は来週にはなりません。なるべく四週間以内の投稿を目指して頑張ります)


 例によって皆様の応援がモチベとなりますので、よろしくお願いいたします。



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