第十九章 俗謡流布
もう19話もアップしていると見るか、まだ19話しかアップしていないと見るか。
このように1話を長くしてるのは、細かく分けると、頭の悪い自分は管理しきれないからです。
更新ペースはゆっくりなので、1話をじっくり時間をかけて読んでいただけると、うれしいです。
それでは、よろしくお願いします。
第十九章 俗謡流布
1
マグタレーナ・ブローメルトはつい一カ月半前まで、お世話に為っていたカリーフ村のウブチュブク家に、一週間とは云え、また滞在する事に為るとは思ってもいなかった。
幸いにもこの家には、自分が過ごせる室内着が有る。
そして、ヴェルフ・ヘルキオスは一年以上ぶりに、ウブチュブク家に遣って来た。彼は僚友のカイ・ウブチュブクの弟妹たちが大きく育っているのを見て、大いに喜んでいた。
カリーフ村から皇帝アムリートの一団がムヒル市へ発ってから、半刻(三十分)程、もう既に外は真っ暗で、夕食の時間だ。カイもヴェルフもレナも軍装である。但し、カイとヴェルフはカリーフ村への出発時に皮の帽子や胸甲、そして籠手や脛当ての鉄具、何より長大な槍と弓矢は部下に預けていたので、三者とも腰に剣を佩いたのみである。
客人として、レナからヴェルフへと先ず湯あみと為り、カイが風呂から出てきた時には、既に夕食の用意が出来ていた。急な事なので、マイエの実家の前カリーフ村村長のミセーム夫婦が幾らか食事を作って、差し入れをしてくれたのは助かった。
ホスワード帝国歴百五十五年十一月十日の夜の事である。
この年の四月から五月に掛けて、ホスワード帝国は南のテヌーラ帝国と陸戦と水戦で戦い、どちらも勝利し、十月から十一月に掛けては、北のエルキト藩王国と西のバリス帝国と云う、二正面作戦を行ったのにも拘らず、エルキト藩王国の侵攻を排除し、バリス帝国には領土の一部失陥を喫したが、其の軍勢を大いに破っている。
そして、長年の宿敵国であったバリス帝国とは、一年毎に更新の有無の確認と為るが、停戦条約が結ばれた。正式な条約の締結と発行は、これから年末に掛けて調整が行われ、発行は一月一日からと為る。
カイは主君アムリートとカリーフ村へ向かう道中、主君から自国の今後の大まかな指針を聞いている。
如何やらアムリートは、暫くは民力休養の時期に費やしたいらしい。
北のエルキト藩王国を正式に国と認め、南のテヌーラ帝国とも対峙状態を無くす方向だ。
但し、此の両国に対しては、戦で勝利したので、強気の外交をホスワード側は展開するであろう。
特にバリス帝国との停戦条約の締結は、この両国に対して強気で押し切れる材料と為る。
アムリートは民や将兵の負担を減らすべく努力はするが、彼は無条件に平和主義者でも非戦主義者でも無い。
「それにしても陛下が来て下さるとは。戦いは北方と聞いていたけど、此の近くでも起こっていたの?」
母のマイエはカイに言った。一カ月半前の出発時には「北方へ赴く」、としか言っていなかったからだ。
食事もあらかた終わり、卓には、白葡萄酒と軽食、そして年少のセツカとグライには酪奬が出された。席にはこの年少の二人と、葡萄酒の杯を前にカイとヴェルフとレナ、そしてマイエとモルティ夫妻とシュキンとシュシンの双子がいる。
カイが主体と為って、北方のエルキト藩王国との戦いや、其の後に連戦と為ったラテノグ州に侵攻したバリス帝国との戦いの話をした。
エルキト藩王クルト・ミクルシュクとの一騎打ちや、バリス帝国との最終局面での砲による大量に死傷者が出た事は敢えて伏せたが…。
シュキンとシュシンとグライは目を輝かせて聞き入っている。セツカはレナを見て、「女性がその様な場に行くなんて」、と信じられない顔をしている。
カイは最後にこう締めくくった。
「陛下から直接聞いているが、恐らく暫くは大規模な戦は起こらないと思う。陛下の政戦両略が実り、先ず数年はホスワードは安泰だ。俺たちのこれからの任務も帝都近郊での兵の調練や、定期的な城塞赴任で国境の哨戒だ。年に二度は一カ月程こうやって帰って来れるよ」
其れは完全な正解では無いが、全くの間違いでも無い。だが、母の事を思うと、カイは其の様に話を締め括らざるを得なかった。
こうして一週間が経ち、カイとヴェルフとレナはカリーフ村を後にして、帝都への帰還の途に就いた。
特に急ぎでも無いので、ハムチュース村へ寄った。今日は学院は休校日である。カイは妹夫婦の家を訪れたい、と以前から思っていたのだ。
学院の在るハムチュース村は、カリーフ村とムヒル市の中途にあり、村としては大きく人口は三千を超える。
士官である三人は飛ばさなければ、村内での騎行も許されていて、カイたちはレーマック一家の門前に着いた。近辺に馬を繋げる所が在ったので、其処からは徒歩である。
レーマック家は学院の直ぐ近くに在り、更にもっと近くには六歳以下の幼児を預ける施設も在る。
十八歳近くまで通っていた学院をカイは遠望する。カイは学院在学中に幾つか資格を取っていて、あまり軍事には関係ないが、図書館の司書員、学校や学院での運動や武芸の教師、厩舎の管理技術師などである。
恐らく母のマイエは、カイがムヒル市やハムチュース村でこれらに関連した仕事に就いて欲しかったであろう。
「多分、そろそろ来る頃だろうと思っていたから、敢えてカリーフ村には訪れなかったよ」
タナスはそう言って、三人を家へ向えた。
彼に因ると、丁度一週間前に皇帝がハイケを連れて、曾てのハイケの上司だったタナスに挨拶しに現れたのだ。勿論、ガリン・ウブチュブクの長女メイユと其の孫娘であるソルクタニにも会いたかったのだろう。
居間で寛いでいると、メイユが何と茶を出してきた。
「おい、高かっただろう。大丈夫なのか?」
「兄さんがお茶が好きだと云うから、淹れ方を習い、容器や茶葉を買っていたの」
妹のもてなしに感謝するカイだが、ヴェルフは如何も酒の方が良かった様だ。
カイはタナスに家族に言った時世について話した。流石にタナスにはかなり詳細に話した。
「件のバリスの皇太子についてはムヒル市の役人でさえ、周知している。確かに恐るべき人物だな。一年毎の不戦の履行は、流石に賢明だと思う。無期限だと何時破って来るか分からんからな」
カイたち三人もこのタナスの意見には納得する。
「あと、お前の知りたい事の情報だ。ムヒル州は小さい州だから孤児院は無い。殆ど養子縁組だ。其れと使用されていない施設についても、特に問題は無い。一番怪しいのはカリーフ村のあの塔だが、此れに至っては一カ月以上前から、逆に使用中だからな。怪しげな旅劇団も来ていない」
「ありがとう、タナス。学院の教師をしながら、市庁舎で色々調べてくれたのか」
「まぁ、そうなる。お前が従事している事に比べれば、大した事じゃないさ。お前とハイケはカリーフ村が輩出したホスワード帝国の救国の勇士たちだよ」
そして、カイたちは茶を前に如何でも好い話をした。特にタナスやメイユが話すカイの学院時代の話には、レナとヴェルフは大いに盛り上がった。
三人は緊張が解れたのんびりした感じで、ムヒル市へ向かう。処がムヒル市に入って驚く。
役人たちが市庁舎を初め、公的な施設にホスワード帝国の緑地に三本足の鷹が配された旗を、半旗にして掲揚しているのだ。
「一体、何が起きたのですか?」
レナは嫌な胸騒ぎがするのを堪えて、とある施設で旗を半ばに下げ終えた、ある役人に問う。
「つい先程、帝都から大公殿下が薨去された、と連絡が入って来たのです。まだ十六歳とか、御労しいです」
暫く呆然としていた三人は、無言のまま市庁舎へ向かい、ユミシス大公殿下が薨去された日について尋ね、三日前の十一月十四日で、公表されたのが其の翌日だと聞かされた。そして、葬儀は公表日からの一週間後、つまり二十二日に行われる。
漸くしてヴェルフが声を振り絞って言った。
「急ごう。帝都へ帰還しよう」
カイとレナは静かに頷き、三人は帝都への帰還の途を一気に早めた。
2
ホスワード帝国は当然皇帝を頂点にした身分制の国だが、其の貴族制度は一種独特である。
先ず公爵や侯爵と云った貴族は、プラーキーナ朝での貴族が元である。
彼らは貴人として尊ばれているが、政治や軍事の実権を殆ど持っておらず、特にこの様な家に生まれた女性は大抵帝室を初め、有力者の家に嫁ぐ。
実質的な権を持っているのは伯爵以降で、彼らの大半は開祖メルオン大帝の元で活躍した将や官僚たちである。
現帝国宰相のデヤン・イェーラルクリチフに至っては、官僚系の男爵家の傍流の生まれで、尚書に抜擢後に一代限りの男爵に、宰相就任後に一代限りの子爵に叙爵と為っている。
名門軍人貴族であるガルガミシュ家やブローメルト家も子爵で、ホスワード帝国の軍人系貴族で最も家格が高いと云われている、ワロン家やホーゲルヴァイデ家でも伯爵だ。
アムリートの母親のカシュナや、ユミシスの母親のフィンローザ、そしてオリュンの母親のタミーラ。彼女たちはプラーキーナ系貴族と云われる公爵家や侯爵家の出である。
彼らプラーキーナ系貴族は政治や軍事の実権が無いどころか、軍人系貴族や官僚系貴族の中には、彼らには病弱な者が多いので、彼らと通婚して自家を弱めさせたくない、等と公言してプラーキーナ系貴族との縁談を断る者も多い。
ティル・ブローメルトの妻、つまりレナの母親のマリーカは、かなりの傍流の官僚系貴族の出で、しかも其の母親は平民の出である。此れは別にブローメルト家が貴人との結婚を嫌がったのでは無く、単にティルとマリーカの自由恋愛に因る結婚だが。
ホスワード帝国の成立時に最も最高位の貴族として、マプク・プラーキーナと云う者がいた。彼は大公に叙せられた。謂うまでも無く、メルオンに帝位を譲ったプラーキーナ朝最後の皇帝である。彼を筆頭にプラーキーナ系貴族が上位の貴族に叙せられたのだ。実権は何も無く。
マプク・プラーキーナ大公は僅か十六歳で、皇宮の宮殿で流行病で母と共に薨去した。
そして、現在に至るまで、プラーキーナ系貴族は帝都ウェザール内の豪邸で、ひっそりと暮らしているか、で無ければ其れこそ当主などが病気で、温暖な地域に荘園を持ち、其処でやはりひっそりと暮らしている。
ホスワード帝国第八代皇帝アムリート・ホスワードが帝都ウェザールへ帰還したのは、十一月十二日のほぼ深夜である。特例で、皇宮前まで馬を飛ばし宮殿内に入ると、彼は身体を清潔にする為に即座に宮殿内の大浴場で湯あみをして、執務用の服に着替え、甥のユミシスの部屋へと入った。
既に甥は昏睡状態だった。
アムリートはこの年で三十歳。身の丈が百と九十五寸(百九十五センチメートル)近くあり、どちらかと云えば細身だが、手足の長い其の体付きは骨太でがっしりとしている。金褐色の髪はやや長く、秀麗な其の顔は貴公子然としているが、其れ以上に戦場での美丈夫という風格に溢れている。やや緑がかった薄茶色の瞳も、発せられる声も力強いが、この時は穏やかさを通り越して、弱々しかった。
以降、アムリートはずっと睡眠もせず食事も取らずに、甥の部屋で過ごしていた。
ユミシスの母のフィンローザも、妻のカーテリーナも、母のカシュナも、周囲の医師たちも、そして、皇帝副官のハイケも其れを心配したが、アムリートは甥の床の傍から動こうとしなかった。
十四日の早朝、奇跡的に意識を回復したユミシスは傍らに叔父がいるのを確認する。
アムリートは甥の細い手を軽く握った。
「…叔父上。戦は」
「勿論勝った。軍功第一は、お前だ。もう喋るな」
アムリートはもう一人の甥のオリュンを呼び、二人で傍に居る事にした。彼の長年の戦場での経験が、もう命の火が消える事を察したからだ。
「叔父上。オリュン。如何か本朝の民衆が安寧に暮らせる様、お願い致します」
其れがユミシス・ホスワードの最期の言葉だった。十四日の午後一の刻(午後一時)、医師が其の死を確認する。
母親のフィンローザは其の場で泣き崩れ、オリュンは母のタミーラにしがみ付いて懸命に泣き叫ぶのを堪えようとする。アムリートは立ち上がると、周囲にこう言って、四階の執務室へ向かった。
「…今より、一日。いや、半日ばかり誰も余の元へ来る事は許さぬ。其の後、死の発表を初め、葬儀の予定など、追って話す」
翌十五日を過ぎ一刻後、アムリートは完全な為政者の顔をして姿を現し、深夜にも拘らず様々な指示を出す。
三日前から、彼は一睡もせず、食事もしていない。其の緑がかった薄茶色の瞳は、何時もの力強さに輝いていたが、やや目の周囲は赤く為っている。
カーテリーナを初め、周囲からの懸命な説得を受けて、アムリートは十五日の夜に眠り、次の日の朝に漸く食事を取った。
帝都ウェザールのテヌーラ帝国の通使館は、今でも半ばホスワードの衛士の監視下にある。
これは今年の四月から五月に掛けての両国の戦いで、和約条約が未だ結ばれていないからである。
テヌーラ帝国はエルキト藩王国に復仇を遂げさせ様としたが、其れも如何やら失敗に終わった。
和約をするにも、不利な内容に為る事は確実である。
其の為、皇宮より十五日に発表されたユミシス大公の薨去に対して、即座にテヌーラ通使館はやや濃い蒼い地に二匹の白蛇が絡まる旗を、半旗として掲揚した。少しでもホスワード側の心証を良くしよう、と云った処だ。
葬儀が二十二日と発表されたので、其の日までにホスワード国内の有力者たちや、外国の使者たちがウェザールに集まった。使者はホスワード帝国影響下のシェラルブク族を初めとする、エルキトの諸部族が当然多いが、ラスペチア王国やバリス帝国からも使者が遣って来た。エルキト藩王国はそんなエルキトの一部族を介して、可寒クルト・ミクルシュクの名で「大公殿下の死にお悔やみを申し上げる」、と伝言を伝えた。
カイとレナとヴェルフは十九日までに帝都に到着した。同じ日にレナの兄のラース・ブローメルト将軍も、ラテノグ州の陣営から急遽戻って来ていた。
「ブローメルト家は当然全員、葬儀に出席でしょうが、小官たちは如何なりましょう?」
ヴェルフがラースに自分とカイは、葬儀の列席義務が有るのか如何かの確認をした。
「皇族の葬儀の場合、基本高級士官以上は全員出席で、士官以下は其々任地にて黙祷だ。只、卿らは特別だし、恐らく来年には高級士官に為る可能性も高いから、少し確認をしてくる」
ラースは頭に包帯を巻き、左腕にも包帯が巻かれている。当の本人は「明日には取れるよ」、と言って安心させたが、一歩間違えれば、彼はこの葬儀自体出れなかった可能性が高い。
更にラースはバルカーン城の臨時司令官である為、戦死したムラト・ラスウェイ将軍の葬儀にも、此の後出席予定である。其の葬儀は三日後で、場所はラスウェイの実家がある荘園にて執り行われる。皇帝代理としてヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書(国防大臣)も出席予定である。
「如何する?卿らはラスウェイ将軍の葬儀には出席するか?場所はヴィツカウ州と為るが」
ヴィツカウ州はラテノグ州の東で、帝都が在るウェザール州の北のエルマント州の西に在る州である。
「出席致します、ブローメルト将軍。確認の件も合わせて、宜しくお願い致します」
カイはそう答え、カイとヴェルフは練兵場の士官用の居住施設に向かい、レナは帝都内のブローメルト邸へと帰宅して行った。
3
葬儀の場所は帝都内では無く、帝都から南へ一里(一キロメートル)程向かった、歴代皇帝や皇族の陵墓が在る場所で執り行われた。
此処には千人以上は入れる円蓋の荘厳とした建物が在り、葬儀自体はこの中で行われ、葬儀終了後に豪奢な棺に納められたユミシスの遺体は、陵墓へと埋葬される。
出席者の順は、当然皇族で、次に外国使節、次にプラーキーナ系貴族、そして一般の貴族たちと為る。
但し、イェーラルクリチフやヨギフ・ガルガミシュの様に重職に就いている者は、プラーキーナ系貴族の席に列している。
ブローメルト家は後方の席に着いている。カーテリーナだけは皇族の席であるが。ツアラは帝都内のブローメルト邸で使用人たちと留守番だ。
この日より三日間、帝都内は一切の商業活動の停止要請を受けている。強制ではないが、やはり殆どの作業場や店は営業を自粛している。
高級士官たちは最も最後方に位置し、座席すら無い。この中には高級士官ではないが、皇帝副官のハイケも埋没している。カイとヴェルフは円蓋の入り口付近で半ば外に出ての出席と為っているので、宛ら円蓋周辺の見張り用の衛士に見える。
軍関係者の出席者は軍装の左腕に黒の腕章を付けている。カイもヴェルフも勿論だ。
十一月二十二日。空は薄曇りが在る晴れで、風もほとんどない。しかし、大気は既に冬の気配を孕み、日陰に居るとかなりの厚着をしていないと寒さに堪える。
其の為か、カイとヴェルフは少し外側へ出て、日向にて直立する事にした。
円蓋内には冬場用に炉が幾つか設置されているが、其の場所は精々プラーキーナ系貴族たちが座している辺りまでしか暖は取れていないだろう。権勢を誇る一般のホスワード貴族は、こういった厳粛な場では、流石に身分差に因る扱いを受ける。
皇帝アムリートを葬儀委員長とする葬儀は、恙無く終わり、陵墓への埋葬を終えると、カイとヴェルフの元へ数名の将軍が現れた。
ヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書、其の息子のメルティアナ城司令官ウラド・ガルガミシュ、臨時バルカーン城司令官ラース・ブローメルト、現ボーボルム城司令官ヤリ・ナポヘク、次期ボーボルム城司令官アレン・ヌヴェル、オグローツ城司令官マグヌス・バールキスカンという面々だ。ヨギフが言う。
「カイ、ヴェルフ。卿らもラスウェイ将軍の葬儀に出席すると、ブローメルト将軍から聞いている。今より、即座に出発するが、準備は出来ているかな」
時刻は午後三の刻(午後三時)を過ぎている。五の刻前には出発するらしい。集合地をヨギフから伝えられて、二人は敬礼をすると、準備をする為に練兵場の居住施設へ向かった。
「戦だから仕方がないとは云え、ラスウェイ将軍は私より二十も年下だった。其れだけでも心が痛むのに、ユミシス大公殿下に関しては、何も言葉が出ない。如何してこう老いぼれが生き残るのかな」
本年度中に退役予定で、七十歳のナポヘクが周囲に零すと、ホスワードの将軍たちは言葉が出てこなかった。
城塞司令官の将軍たちは明日にも各自任地に戻るらしく、今ウェザールに居るラスウェイ将軍の葬儀出席者は、ヨギフと其の副官、ラースと其の副官、そしてバルカーン城から葬儀に来ていた高級士官数名である。カイとヴェルフを合わせたこの一団は、十名程の衛士が片手に松明を持ち、先導役として、ヴィツカウ州のラスウェイ将軍の荘園へと出発した。全員騎乗である。
この日の皇宮の宮殿の饗宴の間では、各国の使節の迎えての、葬儀出席に対する慰労の宴が催されるらしい。
ホスワード側の出席者は皇帝一家と、カシュナやフィンローザやタミーラの実家であるプラーキーナ系貴族だ。
二日後に一行は、ムラト・ラスウェイ将軍の荘園に到着した。千人に如何にか達するか、と云う静かな村である。
当然村内で一番の豪邸がラスウェイの実家なのだが、村に入ってから、よく見るとバルカーン城の関係者が散見される。
ラスウェイの実家前で見覚えのある二人の士官がいた。一方は二十代後半くらいの人物で、ラスウェイの副官だ。もう一方は三十半ば過ぎのやや小柄な細身の男である。
「ディリブラント殿、お久しぶりです」
カイとヴェルフは、レムン・ディリブラントに久しぶりに会った。
葬儀は明日なので、各自は其々村内の民家に泊めて貰う。カイとヴェルフとディリブラントは偶然にも同じ家に宿泊する事に為った。
「お世話になった上官が戦死された、と云うのは辛いが、戦乱の世に於ける武人だから致し方あるまい、と云う部分も有る。だが、ユミシス大公殿下の事は只々辛いな」
ディリブラントの言葉にカイとヴェルフも同意し黙ったままだった。
「詳細は葬儀が終わってから話すが、私は如何もバリスの諜報を外される様だ。恐らく、停戦の為、これを機に諜報員を一新するらしい。流石に私も長年当地に居て、怪しまれているしな」
「で、次の任務は?」
「年が明けてからと聞いている。将軍の葬儀が終わり次第、実家に戻り、休暇だよ。久々に店の手伝いでもするかな」
「私たちの任務も来年以降に決まるそうです。ディリブラント殿と同じ配属となると好いですね」
そう言ったカイとヴェルフが置いた、銀の装飾がされた緑の縁無し帽子を見てディリブラントは笑う。
「お二人とも、帽子をよく見なさい。私のは羽が二本だが、貴方たちは三本だ。席次では私の上ですぞ」
三人とも士官ではあるが、カイとヴェルフは上級中隊指揮官で、ディリブラントは兵の指揮官ではないが、軍籍上は中級中隊指揮官である。
ホスワードの士官の通常時の軍装の帽子は、刺さっている鷹の羽の数で三段階に階級が分かる様に為っている。
既にラスウェイ将軍は家族葬で、埋葬まで済ませている。故に埋葬地で集まったホスワード軍関係者に因る献花が為された。
ラスウェイ夫人にはヨギフ・ガルガミシュに因り、更なる荘園の追贈に関しての帝国政府からの書簡を受けている。
そして、アムリート直々の今までのラスウェイの功績に対する感謝状も受け取っていた。
ラスウェイ夫人が複雑な表情をしているのは、勿論夫が戦死した事もあるが、其れ以上に身内が病死した直後の皇帝陛下が、此の様な丁寧な書面を送って来た事に対する感謝もある。
寧ろラスウェイ夫人がヨギフに皇帝陛下の心中をお察し致します、と心配している様だ。
一連の事が終わり、ラースを初めとするバルカーン城関係者は西方へ向かい、ヨギフはカイとヴェルフとディリブラント達を連れて、帝都に戻る。
やはりこの帝都への帰還中に、彼ら三人の処遇は来年に為ってから決まるので、本年は末まで休暇を取っても好いと言われた。
ディリブラントが道中零す。
「バリスが火薬を使用した新兵器の実験をしている、との情報は掴んでいたが、其の演習場所が余りにも厳重な為、踏み込んだ詳細な調査が出来なかった。若し出来ていたら、ラスウェイ将軍の戦死も無かったかも知れない…」
ヨギフはディリブラントの所為では無い、と軽く叱責し、カイもヴェルフも責任を感じない様に、と励ました。
4
十二月に入り、カイとヴェルフは時たま志願兵の調練の指導の補助をしていた。丁度簡易な武芸の稽古の期間に入っている。
二人は練兵場の士官用の施設で暮らしているが、カイがヴェルフに言う。
「たまには帝都のニャセル亭に行ったら如何だ。お前が顔を出さないと、盛り上がらないだろう」
「今は余りそんな気分ではないな。まぁ、其の内行くよ」
「俺は此れから一週間程、帝都内に留まる。この期間に茶の淹れ方を習いたいからな」
「改めて思うが、お前って随分と変わっているよな」
こうしてカイは一週間程、ニャセル亭に泊まり、其処より北にある貴族などの高級住宅地に近い、茶葉や茶器も扱っている軽食店で、茶器一式を買い、茶の淹れ方を習いに通っていた。
「此れは又、珍しい所に居るのね」
声の主はレナだ。彼女はツアラを連れて散歩がてら、此処で軽食と寒さ凌ぎの為に入店したのだ。
「折角だから、ウブチュブク指揮官の茶を戴きましょう。御主人、宜しいでしょうか?」
「えぇ、ウブチュブク殿はもう十分美味しい茶を淹れる事が出来ますよ」
軽食店の主人が保証したので、カイはレナには茶を、ツアラには蜂蜜入りの温めた酪奬を混ぜた茶を出した。
「どうぞ、お召し上がりください。御二方」
「うわぁ、美味しいです」
ツアラが感想を述べると、カイは笑顔で綻ぶ。
「そう云えば、カイは司書の資格も持っているし、此の様に茶の淹れ方の上手ね。何時軍を辞めても帝都で暮らしていけるんじゃない?」
「ヴェルフからは軍を辞めたら、トラムで一緒に漁業をしないか、と誘われている」
「将来の道が沢山有るのは好い事ね」
「レナ。陛下には葬儀以来、お会いしているか?」
「一度だけ。つい数日前に我が家に来られたわ。そうそう、オリュン殿下もご一緒で。御泊りになったの」
「お二人のご様子は?」
「大丈夫。もう何時ものアムリート兄様だから。オリュン様もツアラと楽しそうにお遊びに為っていたし」
カイは胸を撫で下ろした。ユミシス大公の葬儀直後、ハイケに会ったのだが、主君が三日以上眠らず、食も取らずにいた、と聞いて心配していたのだ。
「そう云えば、オリュン大公殿下はツアラと同じ歳であられるな」
オリュンとツアラはこの年に十一歳になっている。カイとレナは、ふと十年以上後のホスワード帝室家に想いを馳せたが、「いやいや、随分気の早い話だ」、と同時に其の想いを振り払った。
そして、レナはカイの練兵場への帰還に合わせて、自分も練兵場に赴き、今年の調練最終日まで、女性志願兵の調練の進捗具合を見る事にするそうだ。
其の為この様にツアラとの時間が欲しかったらしい。
十二月二十九日。此の日は調練の最終日で、カイとヴェルフとレナは各自居住している練兵場内への施設に戻っていった。十二月に入ってから、度々降雪があるが、この日は特に多く、最終日と云う事もあり、終了は午後四の刻前だった。
男女とも脱落者は殆ど出ず、また調練中に怪我等で重体に為った者もいない。例年にない大人数で、且つ初の女性をも対象にしたので、色々混乱が起こるのでは、と心配されたが、如何にか無事に調練は終わった。
三人は途上、雪中に遣って来たヨギフ・ガルガミシュの副官直々に、「明日、兵部省の閣下の執務室へ来る様に」、と言われた。来年からの任務についてだろうか?
翌日、この日は珍しく快晴で、予定された時刻に兵部省へ三者が赴くと、レムン・ディリブラントもいた。彼もヨギフに呼び出されたそうだ。
四名と為り、彼らは兵部省の尚書執務室である六階の部屋へ通された。
「集まって貰ったのは、次の任務で無く、卿らに因る新部隊の創設だ。ウブチュブクが主帥、ヘルキオスが副帥、ブローメルトが女子部隊指揮官兼別帥、ディリブラントが参軍だ。要する大隊の結成だ。人員は千二・三百名程と為る。其れに伴い、ウブチュブクとヘルキオスは高級士官とする」
カイとヴェルフは驚きのあまり声が出ない。この年齢で、軍人貴族でもないのに高級士官だ!
「取り敢えず中央軍の扱いと為るので、任地には赴かない。人員が揃ったら、定期的な調練や国内外の見回りが主体となろう」
「ガルガミシュ尚書閣下。お二人には高級士官の待遇について、説明した方が宜しいのでは、若し構わなければ、私が後で説明しますが」
「うむ。私よりブローメルトの方が上手く説明出来るな。其れより一番大事なのは二人の軍装だ。今私が身に付けている同じ濃い緑となる。当然採寸をせねばならん」
カイとヴェルフは兵部省の一室で採寸をされた。採寸している者は二人の体の大きさと屈強さに唖然としている。一週間後の来年の六日に出来上がると言われたので、其の日を二人の高級士官昇進日とする事に決まった。
四人は其のままニャセル亭へと向かった。帝都の大通りは所々掻き出された雪が高く積まれている。ささやかな、いやヴェルフが久しぶりにニャセル亭に赴くのだから、大祝いと為るだろう。
途上、レナが高級士官の特権などを説明した。
居住地は帝都内で屋敷を構えて住むか、で無ければ土地を貰い其の荘園内に住む事。
自部隊への人事は下士官、つまり小隊指揮官までは自由に任命出来る事。
従卒という自分の身辺の世話をする兵を雇える事。
先のユミシス大公の葬儀の様に、原則として様々な冠婚葬祭の参列義務が有る事。
「俺はカリーフ村に既に土地が在るぞ。其の面積が増えるのか?」
「カリーフ村の土地はガリン・ウブチュブク指揮官に対して与えられた物だから、カイは別の土地が貰えるの。特に欲しくなければ、帝都内に屋敷を構えないと。其の為の補助金も出る筈。練兵場の居住施設は、基本士官以下が生活する場なのだからね」
「そうだ!カイ、お前はトラムに土地を貰え。漁船も買ってな。俺は帝都内に屋敷を構えるから、帝都に居る際は其処で俺と住め。どうせ広い邸宅に為るのだろう。一人で住む等、あまり楽しくない」
「…其れは、今直ぐ決めなければいけない事では無いのだろう。暫く考えてから決めよう」
カイは部隊の人事権について考えた。若し双子の弟のシュキンとシュシンが志願兵に応募し、調練を終えたら、其の時点で自分は弟たちを、小隊指揮官に任命出来る権利を有している。
其れを行使したいとは思うが、この様な縁故的な採用は良くないとも思う。だが母のマイエの事を思うと、やはり行使すべきか?いや、採用なら自分とヴェルフの従卒にするべきか。
其の日、ニャセル亭は久しぶりにヴェルフが顔を出してので、大いに賑わった。
レムンは両親と兄夫婦に来年より、この二人の若い大男たちの部下に為る事を説明している。
5
年が明け、ホスワード帝国歴百五十六年一月六日。カイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスは真新しい濃い緑の高級士官用の軍装に身を包み、兵部省の尚書室で、ヨギフ・ガルガミシュ尚書から、高級士官昇進の任命を受けた。
二人が敬礼を施すと、ヨギフが頷く。
「ほう。思っていた以上に好く似合うな。さて部隊の人員だが、先に卿らが率いていた部下たちを中心に、輜重も行える人員が配属される。つまり大隊とは一作戦行動を遂行可能な最小の軍の単位なのだ。大きな会戦では将の下に就くが、小さな紛争では、卿らの判断で部隊を動かす事に為る」
二人の軍装は濃い緑の上下で、ボタンと襟章は薄い灰色だ。左胸の三本足の鷹は黄金で、濃い緑の縁なし帽にもやはり黄金が装飾がされている。刺さった鷹の羽は一本だが、士官用よりも一回り大きい。
手袋と帯と長靴だけは同じく褐色だ。また季節がら同色の外套も支給されている。帽子も二種類で、被っている帽子は冬季用で、厚手で耳も保護出来る物だ。通常の帽子は小脇に抱えている。
カイ・ウブチュブクは、この新しい年に二十四歳になる。身の丈は二尺(二メートル)を優に超え、この軍装を作った職人がさぞ苦労したであろう、肩幅が広く、胸板が厚く、腰が引き締まり、長い手足は筋骨の逞しさを示す太さも有している。
冬季用の帽子を脱ぐと、短く刈った黒褐色の頭髪が現れる。そして、精悍なその顔付きは、大きな目の瞳が太陽の様に輝く薄茶色なので、何処か優しさを他者には与える。
ヴェルフ・ヘルキオスは、この新しい年に二十七歳になる。其の背はカイより指を横に三本程並べただけ低いだけで、同じく服飾職人泣かせの、肩幅が広く、胸板が厚く、腰が引き締まり、長く太い手足の持ち主だ。
彼も帽子を脱ぐと、短く刈ったやや縮れた黒髪が現れる。日に焼けた精悍其の物の顔付き、そして鋭い双眸は黒褐色の光を放っている。但し、任務外となると、其の表情も性格も人懐っこい。
尚書室を退出したカイとヴェルフは二人の部下の出迎えを受ける。レナとレムンだ。
二人とも軍の階級は中級中隊指揮官だが、レナは女子部隊の指揮官として、レムンは参軍、特に得意とする情報将校と為る。
レナこと、マグタレーナ・ブローメルトは、この新しい年に二十三歳になる。白を基調とした軍装に薄緑の胴着、同じ薄緑の縁無し帽子は銀の装飾がされ、鷹の羽が二本刺さっている。そして、手袋と帯と長靴は、やはり褐色だ。
恐らくどんな礼装よりも、この軍装が彼女の律動的な美しさを際立たせている。
短くした金褐色の髪。青灰色の瞳した其の美貌は、常に明るい表情をしている。百と七十寸(百七十センチメートル)を少し超える、其の手足の長い肢体はしなやかさと柔軟さの見事な一致だ。
レムン・ディリブラントは、この年に三十七歳になる。レナより五寸(五センチメートル)近く背が低く、士官の軍装をしているのに、あまり軍人に見えない。陽気な旅商人と云った温和な顔付きだが、子細に観察すると、俊敏そうで、隠密の行動が得意な感じもする。そして、実際彼は其の種の類を長年務めていた。
小柄で細身と云う事もあり、実年齢よりも若干若く見え、やや癖のある黒褐色の髪と、黄土色がかった薄い褐色の瞳の持ち主だ。
この四人の新設部隊の幹部たちは、兵部省退出時に、自国の外交について話し合った。
既に昨年の十二月にホスワードの使節がバリス帝国の首都ヒトリールに赴き、この年の一月一日からの不戦条約を締結している。
期間は一年間で、履行延長の場合は十二月中に行うらしいが、其れは双方が通使館を置いているラスペチア王国にて、確認の有無を取る形式らしい。
ラスペチアでは、ホスワードとバリスの通使館は隣り合って並んでいる。
また、ラスペチアにはエルキト藩王国の通使館もあるので、ホスワード側は其処を通して、ホスワード影響下のエルキト諸部族に対しての不侵条約を締結の予定である。此れに関してはバリスの通使館員が間に入ってくれるので、支障無く進むだろう。
昨年のテヌーラとの戦いに於ける和約も未だされていないが、此方は賠償金をホスワード側が求めていて、現時点では詳細な金額について話を詰めているらしい。賠償金は未だ補修中のメルティアナ城に回される。其れに伴い、現在ボーボルム城に捕えられているテヌーラの数百人の将兵は解放と為る。
「対外的に何かあるとしたら、エルキトで小競り合いが発生し場合、当地に赴いての調停。ボーボルム城に一時的に着任して、ドンロ大河の哨戒が主と為りましょう。国内的には先ず無いと思われますが、流賊や反乱が発生した場合には、其の鎮圧が命じられます」
レムンが自部隊の今後の活動についての説明をカイにした。
「国内の場合は、兵部省の許可を貰えば、独自に調査も出来るのかな…」
退出しながら、カイはパルヒーズ・ハートラウプの事を久しぶりに思い出し、呟いた。
高級士官に任命されてから、カイとヴェルフは格段に兵部省へ赴く事が多く為った。
定期的な会合は勿論、自部隊の構成について、兵部省の高官である人事長との話し合いも多い。
レナの父親である武衛長(軍事警察長官)のティル・ブローメルトともよく顔を合わせる。
確かに帝都内に邸宅を構えて、住んでいた方が良さそうだ。特例と云う事で、引き続き、練兵場の士官用の兵舎を、二人は生活の場に使わせて貰っているが、結局ヴェルフの案に因る邸宅探しを、二人は業務の間にする事にした。家主はヴェルフなので、彼が中心と為って行われる。カイは結局ヴェルフの故郷のトラムに、謂わばウブチュブク家の別荘と為る邸宅を構えることにした。此方は急ぎではないので、休暇が貰えた時に、トラムへ行き、構える場所を決める予定である。
帝都内の邸宅は直ぐに決まった。ある富裕な老夫婦が数人の使用人と住んでいる邸宅だが、此の老夫婦は近年体調が思わしくないので、この邸宅を引き払って、暖かい南方で所有している別荘に移り、余生を過ごしたいとの事である。
其の邸宅の場所はどちらかと云えば、庶民街に近く、例えばニャセル亭へは歩いて四半刻(十五分)も掛らない。此の辺りがヴェルフの決め手の様だ。
一月中には引き払うので、ヴェルフと家主の老人は、帝都の宰相府内の戸部局(住民土地管理局)で、手続きをした。
そして二月に入り、ようやく人員の編成が決まった。やはり主体は先の戦いでカイとヴェルフが率いていた軽騎兵で、女子部隊はホスワード側で百名となっている。数日の内にも女子部隊副指揮官オッドルーン・ヘレナトがシェラルブク女性を百騎を率いて来るので、女子部隊は二百名と為る。
カイとヴェルフには意外な喜びがあった。二人がバルカーン城で小隊指揮官に任命された時の初めての部下達二十人が、其々各小隊指揮官として部下を率いて、就いていた任地より、このカイとヴェルフの新部隊の兵として配属されたのだ。
厳密には二十人の内の一人は、役人を目指し既に軍を辞めたので、十九人だが。この辞めた者は故郷の州で役人試験に受かり、役所で様々な書類と睨めっこをしていて忙しい、とカイは聞いている。
総員は千二百名程と為る。
カイ・ウブチュブクは許可を貰えれば、自分が自由に動かせる部隊を持つ身分にまでになった。
6
奇怪な歌がホスワード国内の彼方此方で確認されたのは、二月に入って程無くしてからである。
開祖の大帝は、軍功高々、野心を抱きて、皇統を奪い
八代の帝は、軍威堂々、三弟にして、皇位を保持す
至尊の位を追われた大公たちは、同じ十六の歳に
ウェザールの宮殿の薄暗い中にて、共に横死す
カイはこの歌を聞いて、驚愕する。詩の内容だけではない。其の旋律が曾てバハール州で観劇した、プラーキーナ朝のナルヨム二世の独唱の一部と一致していたからだ。
「此れは、メルオン大帝と今上のアムリート陛下を侮辱する内容か」
「其れより、この旋律は聞いた事があるぞ」
あの時の共に観劇していた、カイの部下達を中心にこの奇妙な歌について、話し合っている。
ホスワードの各州でほぼ同時発生的に、確認された歌で、其れを聞いた市民が真似して歌い、更に広まっている様だ。
帝都ウェザールの宮殿で、早速この件についての朝議が為される。
「この様な下らぬ俗謡を、庶民らが即座に歌う事を停止させよ!」
「最初の発生源は、何処だ?首魁は誰だ?」
「先ずは、この俗謡を歌う者は、獄に繋ぐと、各州の知事と市長に命を出すのだ」
ヨギフ・ガルガミシュ兵部尚書は心配そうな顔で、アムリートを見つめている。少なくとも表面上は彼は冷静な様だ。高官の一人が説明をした。
「確認した処、二月一日より三日間。ホスワードのほぼ全州の州都と大きな市での広場にて、洋琵琶を演奏しながら吟遊詩人たちが歌っていたそうです。其の後彼らは姿を消し、以降の歌の流行は其れを聞いた市民が真似して歌った様で、歌詞の内容を特に吟味せず、只、其の旋律に魅せられた、との事です」
要するに二月一日より、ホスワード帝国の各地の市の広場で、吟遊詩人たちが同時発生して、一定期間この歌を奏し歌うと姿を消し、其の後は単に市民に因る流行との事である。最初期に確認された詩人たちは三十名以上で、ホスワード帝国全土に散らばり、同時発生的に行われたのだから、背後に何かが有る、と思うのは当然だった。
ウェザール州では確認されなかったが、これら吟遊詩人たちは、他の州ではほぼ確認されていて、一番多く確認されたのは人口の多いメルティアナ州の各市だが、南東のレラーン市や北西のラテノグ市、更にはムヒル市などの小さな市でも確認されている。
ウェザール州へは、市民が歌った物が伝播して来た様だ。
「市民がこの歌を歌うことは厳禁とする。但し其れは口頭での注意で、獄に繋ぐ事は勿論、一切の暴力も認めぬ。そして、逆に最初期に見聞きしていた市民には、其の吟遊詩人の人相等の情報を聞き出させ、有力な情報を提供した者には報奨金を与えろ」
アムリートはそう言って、帝国の内政全般を司る宰相府と、刑部省(司法省)が其の命をホスワード全土に発した。二月九日の朝議の場であった。
この日は帝都内のヴェルフ・ヘルキオス邸への、ヴェルフとカイの完全な引っ越しが終わった日なので、主人のヴェルフは身近な人たちを呼んで、ささやかな引っ越し祝いをしていたが、如何しても料理や酒を前にしても、この俗謡についての話に為る。
邸宅の住人はヴェルフとカイ、そして住み込みで家事全般を担当してくれる初老の夫婦だ。だが、其れでもまだ十人以上は宿泊出来る部屋が有るので、レナとレムンと、そして宮殿からハイケが邸宅を構えたヴェルフのお祝いとして、宿泊も兼ねて遣って来た。
夕食が終わり、広い居間ではヴェルフとレナとレムンとハイケが寛いでいる。
其処へカイが自分のを含めて、茶を出してきた。
暖炉はこの居間を隅々まで温めている。四人とも礼を言って茶を受け取るが、ハイケが代表して言う。
「何だか、兄さんがこの邸の執事みたいだね。もう高級士官だと云うのに」
「俺が言うのも何だが、変わり者だよ此奴は。いや、此処にもう一人いるな」
ヴェルフは卓にホスワード帝国の地図を広げて、熱心に見詰め、時に書き込みをするレムン・ディリブラントを差した。
彼は例の吟遊詩人が出現した市に印をつけたり、書き込みをしていた。
「いやいや、これは申し訳ない、ヘルキオス殿。これは明日以降に続きはやりますよ」
そう言ってレムンは地図や筆記用具を仕舞い込む。其の中の一つを見たハイケが問う。
「ディリブラントさん。この鉛の筆で書いたのが消せる物って、樹液から造られた物ですよね」
「そうです。消し護謨の材料である護謨は、テヌーラの南の国々や、其の更に南の国々で植生している木々の樹液から造っています」
「護謨は弾性が有り、衝撃にも強そうですね」
「南の国々の戦では皮の代わりに、これを木の盾の表面に張り防具に使うとか。まぁ、ホスワードは鉄具が豊富ですから、これを使っての防具としての必要性は無いでしょう」
ハイケは兄の淹れた茶を飲みながら、護謨について暫し考え込んだ。
ハイケ・ウブチュブクはこの年で二十一歳。身の丈が百と九十寸(百九十センチメートル)を少し超え、細身ながらも皇帝副官と云うだけあって、十分戦士としての力量を持っている。明るい茶色の髪は側頭部と後頭部は短く刈っているが、兄の様に全体的に短くはしていない。端正ながらも、若さに似合わぬ、此の様に常に沈思な黒褐色の瞳が印象的である。
「で、レムンさん。中途でしょうけど、現状でこの歌に関して、分かる部分でのご説明をお願い出来る?」
レナは情報収集を長年やっていたレムンの分析を聞きたい様だ。結局、引っ越しの祝宴の筈が、分析と対応に関する集まりに為ってしまった。
レムン・ディルブラントは述べる。
「二点特異な処があります。先ず、三十名を集め、彼ら全員に同じ歌を覚えさせるには、ある程度の規模の施設が必要と為りましょう。この邸宅は広いですが、この二回りの大きさは最低でも必要です。次に覚えさせた後、ホスワードの各地に散らばらせるには、当然資金が渡されている筈です。以上の二点を考えると、極めて富裕で、大きな邸宅を所有する者が首魁、或いは首魁の協力者、と思われます」
「ディリブラント。其れは国内にいる人間か、国外にいる人間か」
「どちらとも言えますが、詩の内容がホスワードの帝室の内情や歴史に詳しいとも取れるので、国内の線が大かと」
「では、先程、卿が熱心に地図を見ていたのは、国内外のどちらかの判断か」
「左様です、ウブチュブク殿。実際に現場の状況の情報を集めなければ、最終的な判断は出来兼ねませんが」
「明日にでも、俺とヴェルフでガルガミシュ尚書にお会いする。歌の旋律が曾て俺たちが聞いたパルヒーズ一座の曲の一部を流用していた、と言えば俺たちにも捜査の許可が下りるかもしれない」
「私は其の歌は知りませんが、歌っていたパルヒーズ・ハートラウプの顔は確と覚えています」
曾てラスペチア王国でカイとヴェルフとレムンは駐在武官をしており、其の時にヴァトラックス教の礼拝に来ていたパルヒーズに会っている。
こうして、この夜は二階の各客室にレナとハイケとレムンは泊まり、三階の大きな主寝室にヴェルフが、副寝室にカイは眠った。三階にはカイ専用の書斎室も在る。ヴェルフは其の様な物は必要ないらしく、只大きな寝室と大きな床が在れば十分らしい。
翌日、カイとヴェルフは兵部省のヨギフ・ガルガミシュを訪ねた。予約も無く、待ち時間も殆ど無く、尚書閣下に直に面談出来るのは、彼らが高級士官だからこそである。
カイはパルヒーズ一座の説明をすると、ヨギフから捜査許可は下りたが、カイの部隊全員の使用は認められなかった。
「既に全土に捜査の手配はしてある。卿の部隊からは五十名までとする。また、部隊の長二人が共に赴くことは認めぬ。後は期間は本日より、三カ月間とするが、好いな」
要するに主帥であるカイと副帥であるヴェルフが同時に、部隊を離れる状態は認められない、と云う事だ。確かに千人を越える組織なのだから当然である。
「取り敢えず、ディリブラントと、あの劇を観劇していた部下たちを中心に捜査部隊を組織しよう。何か動きが有ったら、俺が赴くから、済まないがお前は留守を頼まれてくれないか」
ヴェルフは了承して、二人は兵部省を退出して行く。其の中途にある人物に会った。いや、会って当然だろう。其の人物も高級士官なのだから、カイたちと同じく濃い緑の軍装をしたファイヘル・ホーゲルヴァイデであった。
「俗謡の取り締まりを買って出る等、随分と余裕が有る様だな、カイ・ウブチュブク。卿らの部隊は女子部隊を初め、各地からの寄せ集めなのだから、調練でもして、我らの足を引っ張らぬ様にして貰いたいのだがな」
「其の忠告は真摯に受け取る。卿の部隊は全て重騎兵で、ラテノグ州のブローメルト将軍を一時的に補佐すると聞いている。当地は特に寒冷ゆえ、気を付けられよ」
ファイヘルは其のまま何も言わずに去ってしまった。ラテノグ州の北西部のボーンゼン河の西部側はバリス領と為っている。其処に対する要塞の建設が既に始まっているが、この要塞司令官はラース・ブローメルトが着任予定だ。だが、彼はバルカーン城の司令官も完成を見るまで兼任をしている。ファイヘルは謂うなれば、建設中ラテノグ城塞司令官代理と謂った処だろう。特にこの時期のラテノグ州の河川の大部分は凍結し、渡河用の船が不用と為るので、念の為に強兵が任地に就く。
「やはり、彼奴は何も変わっていないな。此処が兵部省の中じゃなけりゃ、ぶん殴っていたぞ」
「軍中の私闘は御法度だぞ」
カイは笑いながらヴェルフに言ったが、曾てファイヘルとの乱闘騒ぎを起こしたのは、当のカイである。
「では、バハール州の例のパルヒーズ一座が演劇をしていた市から、調査致します。当市も例の詩人が確認されていますし、二年以上前ですが、演目で同じ旋律を聞いていた市民も多いでしょうから、広く情報を集められるかと」
レムン・ディリブラントが十九人のカイとヴェルフの曾ての部下を率いて、バハール州へ調査へ赴く事に為った。
「メルティアナ州には行かぬのか。彼の地が最も多く確認されているし、何より首魁が潜んでいる可能性が一番高いのだろう」
「メルティアナ州は広いですし、各市の人口も多いです。当地の衛士だけでなく、メルティアナ城のウラド・ガルガミシュ将軍も旗下のかなりの人員を割いて、調査に当たらせているとか。メルティアナ州は将軍に任せて好いかと」
ヴェルフの疑問にレムンは答えた。カイは「無理はせぬ様に、何かあったら直ぐ自分も赴く」、と言い彼らの出発を見送った。
二月十一日の練兵場の下士官用の兵舎付近である。彼ら二十名は全員騎乗して、各所に残る雪を跳ねながらバハール州を目指して出発した。
「バハール州の調査が終わったら、次はクラドエ州の調査をディリブラントに頼んでいる。以前、解体予定の船を盗みメルティアナへ赴こうとした者たちを捕縛しただろう。彼らはクラドエ州の出身だ」
「クラドエ州と云えば、あの邸宅を譲ってくれた老夫婦が、今住んでいる所だぞ」
バハール州はホスワード帝国の一番の南西に位置するレーク州の東に在る。そして、クラドエ州はバハール州の東隣でボーボルム城が在るラニア州の東に在る。どちらも南はドンロ大河に面した比較的温暖な地域だが、内地であるバハール州より、ずっと東側に位置しているクラドエ州の方が更に温暖だ。
但し、クラドエ州には緑豊かな高地も多くあり、其処では夏場の炎熱や湿気を防げるので、富裕な貴族の荘園が多くあり、生活に困らない富裕な市民が移住する事も多い。
大きな豪邸が離れて点在しているので、三十名以上の人々が歌や楽器演奏の練習をしても、近隣には気付かれないだろう。レムン・ディリブラントは此処を一番怪しいと思っているらしい。
仮に首魁が此の地に荘園を構える貴族だった場合、騒乱罪の鎮圧と為る可能性が高い。
可能性の話とは云え、自軍や自国民を相手に制圧の命が下る事に、不安を覚えるカイ・ウブチュブクであった。
第十九章 俗謡流布 了
カイとヴェルフの昇進ペースが異常ですね。
実は当初の予定では4~5年は下積みをさせて、徐々に昇進させていく予定でしたが、何話とひたすら主人公たちが重労働してるお話って、何が面白いんだろう?と思い、この昇進ペースになりました。
これ以上バトルがあると将軍にまでなっちゃいそうなんで、しばらくバトル物は控える方向になります。
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