第十七章 ホスワード帝国の血戦 北方戦線
タイトルの様にかなり殺伐とし感じになります。
自分でも意外だったのは、帰郷時のホームドラマを書いている方が、結構面白んですよね。
元々、こういったバトル物をやろうとしていたのに、ホーム物が書いてて楽しくなるというのは、妙な発見です。
第十七章 ホスワード帝国の血戦 北方戦線
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ホスワード帝国歴百五十五年十月十日。ホスワード帝国軍の大将軍であるエドガイス・ワロンが率いる二万五千の騎兵が、ホスワード帝国の北方に位置する、シェラルブク族の居住地に到着した。
既に冬の訪れが近づいているこの地では、降雪こそ未だ無いが、北風は本格的な冷気を孕んでいる。
冬季用の外套も用意されていて、この時期は人に因るだろうが、寒さに弱い者は外套を軍装の上に着こんでいる。
二万五千の騎兵の内、二万は重装騎兵である。人馬共に鉄製の防具に身を包み、特に馬は鎖帷子で其の表面の大部分を覆われている。彼らが手にしている武器は、長剣や長槍や戦斧や鎚矛である。
残りの五千名は軽騎兵で、主武器は弓で、腰には剣を佩いている。
この軽騎兵部隊は、五百名を指揮する十人の指揮官たちに因って構成されている。其の指揮官たちの中にカイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスがいた。彼らを直接指揮するのは全軍の総司令官のワロン大将軍だ。
軽騎兵の武装は最小限で、ホスワードの緑の軍装の上に皮の胸甲、頭にはやはり皮の帽子だが、この帽子は側部と後部が長くあるので、首回りを保護している。そして、この帽子の額周りには鉄の鉢金が巻き付けられている。他に鉄具は手袋の上に手首を守る様に籠手を付け、長靴の上に脛周りを守る様に脛当てを付ける。
十名の指揮官は上級中隊指揮官である事を示す為に、緑の肩掛けを上半身に羽織っていて、其の背中には鮮やかな銀色の三本足の鷹が刺繍されている。
また、カイとヴェルフは別に長大な武器を斜めに背負っていた。
上級の士官ともなると、自費ではあるが専用の武器を携帯する事が許されている。
カイの武器は先端部分に斧が付いた鉄製の長槍だ。槍の長さは二尺(二メートル)を越え、重量は先に斧が付いている為に八斤(八キログラム)を越える。
ヴェルフの武器も同じく二尺を越える鉄製の長槍だが、先端部分は突起が幾つも付いた鎚に為っている。此れも重量は八斤を越える。
カイ・ウブチュブクはこの年で二十三歳。騎乗姿でも好く分かる其の体格は、身の丈が二尺(二メートル)を優に超え、肩幅広く、胸板が厚く、腰回りは引き締まり、手足は長く太い。皮の帽子に隠れた髪は短く刈った黒褐色で、其の顔立ちは戦場では精悍さ、日常では優しさを見せる整った顔付きで、大きな目は澄み切った空に輝く太陽を思わせる明るい茶色をしている。
ヴェルフ・ヘルキオスはこの年で二十六歳。カイよりやや背が低いだけの二尺程の筋骨逞しい大男で、皮の帽子に隠れたやや縮れた黒髪は同じく短く刈っている。そして、浅黒く日に焼けた精悍其の物の顔付きに有る、黒褐色の双眸は鋭い光を放っている。しかし、任務を離れた時の彼は、表情も性格も陽気の一語に尽きるので、彼を其の方面でしか知らない人が、今のヴェルフを見たら別人かと思う程、俄かに近寄り難い雰囲気を纏っている。
カイの元に一人の女性を先頭に、百名程の騎乗した女性たちが現れた。ホスワード軍の女性部隊だ。
先頭はこの部隊の指揮官であるマグタレーナ・ブローメルトで、率いるのは全員此処シェラルブクの女性たちである。
ホスワードの女性にも正規の兵は居るが、現在彼女たちは帝都ウェザールの西方の練兵場で、女子志願兵の調練の指導中である。
マグタレーナ・ブローメルトことレナは、この年で二十二歳。身の丈百と七十寸(百七十センチメートル)を少し超え、手足の長いすらりとした、しなやかさと躍動感が溢れる体格で、短くした金褐色の髪と、青灰色の瞳した美貌の持ち主で、子細に観察すると貴人の様な高貴さも有り、事実そうである。だが誰もが彼女を深層の令嬢として扱う者は居なかった。カイとヴェルフは明確にそうだし、他の者たちも内心は如何あれ実績のある彼女と、この女子部隊には一目置いていた。
ホスワード女子部隊は軽騎兵で構成されている。人員は百名であり、主武器は弓で腰には剣を佩いて、防具は一切付けない。其の軍装は白を基調とし、所々緑が配されていて、左胸に金で刺繍された三本足の鷹がある薄緑色の胴着と、薄緑の縁無し帽子を身に付けている。そして、指揮官であるレナは、白の肩掛けを上半身に羽織っていて、この背中には鮮やかな銀で縁取りされた緑の三本足の鷹が刺繍されている。また、レナが被っている薄緑の縁無し帽子には、士官を表す銀色の装飾が施され、鷹の羽が一本刺さっている。
ホスワード帝国第八代皇帝アムリート直々に因り、女子部隊は特別にカイ・ウブチュブク上級中隊指揮官の指揮下として、カイの別働隊とされた。ワロン大将軍でもカイを通さずして、この女子部隊を直接動かす事は出来ない。
「カイ、如何にか三十名の兵の補充が終わったよ。でもちょっと問題なのは新たな人たちは、余りホスワード語が得意でないの」
女子部隊の副指揮官であるオッドルーン・ヘレナトを初め、七十名のシェラルブクの女性たちはホスワード語に問題は無い。
レナも部下にシェラルブク族が入ってから、エルキト語のシェラルブク方言を学んでいるが、まだまだ簡単な会話しか出来ない。
「此ればかりは仕方ないな。オッドルーンさんと上手くやってくれ。恐らく全軍揃い次第、女子部隊が先ず偵騎に出される筈だ」
集結地がシェラルブク族の居住地なので、既に一万のシェラルブク族の軽騎兵は揃っている。後は他のホスワード影響下のエルキト諸部族五千の軽騎兵と、ホスワードの北方方面の城塞に駐屯している一万の軽騎兵が集結予定である。
「あれは何?カイ」
レナが示したのは輜重車を思わせる四輪の車だ。五十輌は在り、この地には馬にて曳いて来たが、馬で曳いて使用する物で無い事は、其の造りからも明白である。
衝車であった。前面が尖がった鉄で覆われ、内部には五人が一列と為り六列の計三十名で棒を掴み曳き、前進させる。
攻城用の兵器だが、アムリートが「エルキト藩王国との戦いで使用するかもしれぬ」、と先のテヌーラに因るメルティアナ城の攻囲を破った時に、遺棄されたこれら衝車を修復、又は同じ物を事前に造らせていたのだ。
「エルキトの地に城など無いのにな。陛下のお考えは好く分からぬが、何か深慮が有っての事だろう」
カイとレナは馬上にて、並んでいる衝車を見つめていた。
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そして、十一日には全軍五万がシェラルブク族の居住地に集結した。
其の日の内に、カイはワロン大将軍の副官から、女子部隊を偵騎に出す命を受けた。
「何故、女子部隊が偵騎をするのだ?この地に詳しい者なら、他にも幾らでも居るだろうに」
そう疑問を述べたのはヴェルフである。
カイはヴェルフの傍へ馬を寄せ、彼にしか聞こえない声で囁いた。
「恐らく、他のエルキトの諸部族を偵騎に使用すると、其のままエルキト藩王国に所属してしまう、と大将軍閣下は疑っている様だ」
「何とも、情けない話だ!」
ヴェルフは大声で叫んだので、カイが注意を促し、レナの方へ向かう。
「レナ、偵騎だが俺もついて行くか」
「大丈夫。こんなの嫌がらせにも入らないから」
「では頼む。注意しろよ」
そう言ってレナの女子部隊百騎は偵騎へと奔って行った。十騎ずつ分けて、偵察に赴き、決められた時間と場所で全騎集合して、内容を話し合う方式を取った。
エルキト藩王国も十一日に、六万の軍勢を曾て南庭と呼ばれた首都に集結させ、進軍を開始した。此方も全軍騎兵である。
目指すのはホスワード影響下のエルキトの勢力圏の一つで、率いるのはクルト・ミクルシュクと云う、この年で二十八歳と為る、若きエルキト君主である。
クルトは大陸諸国で最も変わった君主であろう。元々彼は数年前まで、テヌーラ帝国の礼部省(外務省)に所属する役人で、テヌーラの通使館の長をしていた。其れがエルキト帝国がバリス帝国に一敗地に塗れ、当時のエルキト君主バタル・ルアンティ・エルキトが統治能力と衆望を失うと、彼はバタルを弑して、自らエルキト可寒と為った。
そして、エルキトの諸部族を再統一すると、彼は母国テヌーラ帝国を宗主国とするエルキト藩王国を建国して、ホスワード影響下のエルキト諸部族への侵攻を開始したのだ。
此れは西のバリス帝国と連動した動きである為、ホスワード帝国は二正面作戦を強いられている。
ホスワード女子部隊のオッドルーン・ヘレナトが率いる十騎が、遠く進軍していくエルキト藩王軍を発見したのは、十二日の昼過ぎだった。彼女たちは少し小高い丘から、身を屈め其れを遠望している。馬は背後にある僅かに林立している木々の中に繋いでいる。
オッドルーンはそろそろ集結時間になる事を確認した為、二騎だけを先行させて集結地に向かわせ、残りの自分を含め八名で、其の数や軍装や兵馬の他に、この軍が率いている物資の状況を、遠望の目視にて調べた。当然集結地への到着は遅れるが、発見した場所と集結時間が遅れる事を、この先に向かわせた二騎が伝える。
恐らく其れを知ったのであろう。レナは単騎でオッドルーン達が遠望している小高い丘に遣って来た。
「レナ指揮官。御覧の様に彼らの進路は、私たちシェラルブク族の北西に位置する部族の勢力圏に入ります。明日の昼前にも入って来るでしょう」
「其の侵攻してくる、予想される地はどの様な地形に為りますか?」
「かなり開けた土地と為ります。大軍が展開するには適した地形です」
オッドルーンはこの年で二十八歳。実は彼女が女子部隊の最年長で、更には八歳に為る男の子もいる。但し夫は子供が産まれた頃に死んでいる。
戦死や病死では無く、事故死だ。
シェラルブク族の地には峻険な崖が在り、其処には多くの鷹が巣を作っていた。バタル帝が健在時、鷹狩り様にシェラルブクの若者は、しばしばこの崖の巣から鷹を捕まえ、献上する事を命じられていた。
そしてオッドルーンの夫は、この崖から滑落して事故死した。其の知らせの直前にオッドルーンは男の子を産んでいた。夫は息子の顔を見る事無く死んだ。
彼女の夫だけでなく、多くのシェラルブク族の男たちが、このバタル帝の過酷な要求で命を落としていた。
シェラルブク族がエルキト帝国から離脱して、ホスワード帝国の一部と為った理由の一つでもある。
其の日の夕には、女子部隊はシェラルブクの居住地に戻り、レナとオッドルーン、そしてカイはエドガイス・ワロン大将軍の幕舎へ報告へ向かった。
報告は主にレナが口上で述べた。其の内容は以下の通りである。
此処より、北西の部族にエルキト藩王軍は侵攻している。
其の予想到着期日は明日の昼前である。
其の場所はかなり開けた平原である。
エルキト藩王国の軍は皆騎兵だが、重騎兵と云う程、重装備ではないが、軽騎兵としては人馬共にかなりの武装をしている。
其の数は六万程で、全軍同じ装備をしている。
又、かなりの多くの輜重車を馬にて曳いていて、長期戦にも堪え得る軍勢だ。
「ご苦労だった。では我が軍が其の地に向かい、明日の一の刻(午前一時)までに陣営を築く事は出来るかな?」
「今から進発すれば全軍、其の時刻に築く事が出来る場所は在ります」
答えたのはオッドルーンである。ワロン大将軍は即座に其の地への進発を命じた。
「夕食を取り次第、全軍進発する。総員夕食を速やかに済ませ、幕舎を解体し、進発の準備をして、夜半行軍の為の松明を準備せよ」
そうシェラルブク族の居住地に結集した、ホスワード全軍五万に命が下された。
ホスワード軍は夜半の進発をして、深夜の一の刻に、目的地とした場所に到着して、幕舎を設置し陣営を築き、三の刻前には一部の見張りの兵を除いて皆就寝した。
そして、十月十三日の十一の刻までに、ホスワード軍は軍勢を展開する。
先ず、中央にホスワードの重騎兵二万が並び、其の背後にホスワード軽騎兵五千と、レナの女子部隊百騎、及びエルキト諸部族の軽騎兵五千が並んだ。
左右には左にオグローツ城から来たホスワードの軽騎兵一万に、右にシェラルブク族の軽騎兵一万が展開している。
恐らくこのまま待てば、北からエルキト藩王軍が現れる筈だ。
例に因って、シェラルブク族を初めとする旧エルキト諸部族は、頭には皮の帽子の上に緑の布を巻き、首には緑の首巻を付けている。
そして一刻(一時間)程して、ホスワード軍は北にエルキト藩王軍の軍勢を目視出来る程、近辺に進撃して来た事を確認した。
彼らが掲げる旌旗は独特である。元々エルキトの旗は黄土色の地に、中央に銀の狼が配されているのだが、黄土色の地の四辺にはやや濃い蒼色で縁取りされていて、中央の銀の狼もこのやや濃い蒼色で縁取りされている。
このやや濃い蒼色はテヌーラ帝国の色だ。
全軍皆同じ軍装と武装である。ホスワード重騎兵程では無いが、馬は鎖帷子で覆われ、騎乗している者は、連射し易い短弓と接近戦用の鉄の長槍を持っている。頭には薄く視界を遮らない鉄兜、黄土色の軍装の上には鉄の鎧を身に付けているが、この鎧は動き易いように関節部分などの可動域は、薄い鉄板が組み合わさって出来ている。
そして、上級の指揮官は首にやや濃い蒼の首巻を靡かせ、更に上の指揮官は鉄兜の上に獣皮の帽子を被り、上に獣皮の外套を纏っている。
長槍や鎧兜の鉄具はテヌーラ帝国で製作された物だ。
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南へ進撃するエルキト藩王軍でも、ホスワード軍の布陣が見て取れた。
中央に重装備の軍が広く厚く伸び、其の左右に軽騎兵が展開している。
「中央の重装備の軍が我が全軍を受け持ち、左右の軽騎兵で包囲する心算だな」
エルキト藩王クルト・ミクルシュクはそう判断した。
「我が軍の方が数に勝っている。全軍は全戦線に展開する。左右の軍には其のまま一万ずつ。中央の軍には四万が突撃をする」
時刻は昼の十二の刻過ぎ。空には微かに雲が在る蒼天。風は殆ど無いが、大気は乾き冷たさを感じる。大地は開け、草地と砂地が混じった起伏が殆ど無い地だが、所々に岩が点在している。遠くには山脈も見えるが、其処へ到達するには、丸一日以上は馬を奔らせなければならない距離だ。
エルキト藩王軍が鬨の声を上げて、ホスワード軍に一斉に突撃したのが戦の開始であった。
エルキト藩王軍はホスワード軍の布陣に合わせて、突撃してきた。
近接して、短弓で以て矢を立て続けに連射する。
本来、騎馬遊牧民の戦い方は弓で矢を速射して、其の機動力で反転離脱して、追いかけてきた相手を更に速射する。そうして相手の布陣を乱し、後方に控えた重武装の騎兵が止めを刺す。
だが、このエルキト藩王軍は連射が終わると、弓を鞍に架け、其のまま接近し鉄の長槍を構え、馬上での近接戦を挑んできた。
布陣したホスワード軍の全戦線に渡って近接戦が開始された。
先の連射時もホスワード側からも、応戦で矢を放っていたが、近接戦を挑まれた事は意外だった。特に左右の一万の軽騎兵は抜刀して、振り回される相手の槍を防ぐのに精一杯と為る。
此のままホスワード側の左右の軽騎兵が戦線を維持しなければ、全軍の崩壊に繋がる。
ホスワードの中央軍も近接戦を挑まれていた。流石に装備や武器はホスワード側が優位だが、数にて押され、此方も防戦一方に為っていった。
ホスワード中央軍の重騎兵二万の背後に居たカイたち五千騎と、エルキト諸部族五千騎、そして女子部隊の百騎は、全て遊軍とされた。つまり先の場合である、敵が矢の速射後、反転離脱した時の追撃部隊として控えていたのだ。故に彼らは軽装である。だが近接戦を挑まれたので、この一万程の軍は、この時点で何も意味を為さない遊兵と化している。只でさえホスワード側は数が少ないのにだ。
「レナ!ワロン大将軍でも、其の主席参軍か副官でもいいから、如何にか辿り着いて、俺たちを前面に出す指令を貰って来てくれないか!」
「分かった!オッドルーン、貴方も今のをお願い!」
混戦状態のホスワード中央軍の中に、レナとオッドルーンが入って行った。カイたち一万はワロン大将軍の指示無くば、動くことが出来ない。だが自分たちが動かなければ、此のままだと全軍の崩壊へと為る。
ワロン大将軍は混戦の中、自ら長剣を振るい部隊の維持に努めている。其処へレナとオッドルーンが現れたので、レナが手短に先程のカイの要請を伝えると、即座に許可を出した。其の瞬間オッドルーンが両軍入り乱れる中を、まるで鬱蒼と茂る林の中を避ける様にうねりながら進み、後方に位置するカイたちの方へ瞬時に戻っていった。
レナも其の後を追うが、彼女は抜刀し、エルキト藩王兵の槍を躱し、弾き飛ばしながら進む。エルキト藩王兵の中には、微かな鎧の隙間にレナの剣先が突き刺さり、深手を負い落馬する者も居る。
そして、カイを先頭とする軽騎兵部隊がレナの眼前に現れた。
「レナ!後方で女子部隊を纏めて、待機していてくれ!」
そうカイは言うと、背中の長大な斧の付いた槍を手にして、目についたエルキト藩王兵に次々に一撃を見舞う。
武装しているとは云っても、この長大な武器がカイの膂力で振るわれると、エルキト藩王兵は一撃で頭部を破壊されるか、腕が飛び散る。槍で防ごうとしても、只の一撃で槍を弾き飛ばされ、其の直後に致命的な一撃を叩き込まれ、大量の血を叩き込まれた箇所から吹き出し、馬上から落ちていく。
ヴェルフも背の長大な槍を馬上から振るう。やはり一撃で頭部を破壊される者や、胴に喰らった者は、馬上から途轍もない距離を宙に飛ばされ落ちていく。
カイやヴェルフの部下たちの接近戦用の武器は腰の剣だ。彼らは抜刀して指揮官たちの後に続き、エルキト藩王兵との接近戦を敢行する。他の後方に居たホスワード軽騎兵とエルキト諸部族の軽騎兵も、抜刀して前面に割って入った為、ホスワード中央軍の重騎兵は一息つき、即座に混乱と隊列を整えるのに成功した。この辺りは決してワロン大将軍が無能では無い事を示している。
しかし、エルキト藩王軍の一部隊が凄まじい強さで、ホスワードの重騎兵を蹂躙していた。
エルキト藩王クルト・ミクルシュク自ら率いる近衛隊である。
クルトは両手に長大な三叉槍を持ち、脚にて馬を操り、ホスワード重騎兵を次々に殺傷していった。其の剛勇さは彼が率いる近衛隊にも伝搬して、ホスワード重騎兵は次々に斃されていく。
ファイヘル・ホーゲルヴァイデは、重騎兵五百名を指揮する上級中隊指揮官である。
ワロン大将軍の甥でもある彼は、自分の部隊をこの危険極まるクルトの部隊にぶつけた。無論、彼自身も長剣を手にして突撃する。
だが、クルトの部隊は、と云うより、クルト自身がファイヘルの兵たちを次々に撃ち取り、ファイヘルもクルトと十五合近く打ち合った後、彼の長剣はクルトの三叉槍で叩き落された。但し此れまでクルトの暴力的な剛勇さに対して、五合まで耐えた者は居ない。
しかし、此れが絶好の時間稼ぎと為った。クルトの目の前にカイ・ウブチュブクが現れたのだ。
両者は即座に両手の武器を扱き、馬を両脚にて操り、打ち合った。
どちらがより相手の武勇に驚いただろうか?両者は打ち合い、突きを躱し、武器を片手に持ち手綱を取り優位な位置を取ろうとする。
何時しか周囲はこの二人の規格外の戦士たちに因る一騎打ちを見守る状況と為った。
「貴様。何処かで見た覚えがあるぞ」
そう問われたカイは、相手の獣皮の帽子の下の顔を見た。自分も見覚えがある。イオカステ州で馬牧場の近辺を探索していた時、エルキトの勇士の姿をしたあのテヌーラ人だ!
「俺の名はカイ・ウブチュブク。生憎、今日は台帳と鉛の筆の用意はしていない。貴様がエルキト藩王か」
「そうだ。俺はエルキト可寒、クルト・ミクルシュク。あの時も言ったが、其の様な物は間に合っている。後で大金を払うので、貴様の首を頂戴しよう。ホスワードの商人よ」
そして両者は口を閉ざして打ち合う。
「あの野郎。何て奴だ。カイと五十合は打ち合っているぞ」
「ヴェルフさん。貴方だって其れは出来るでしょう?」
「其れはお互い馬を降り、地に足をつけた状態でだ。其れなら俺はカイと百合以上は打ち合えるが、馬上では俺はカイ相手に三十合と持たぬよ」
レナにヴェルフは答えた。抑々ヴェルフは志願兵の調練で初めて騎乗を習った。なので如何しても馬上で勇を誇る事に関しては、彼はカイに大きく劣る。
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しかし、ヴェルフは騎乗を覚えると、即座に馬上の勇士と為った。カイを相手に馬上で武器を振るい十合以上打ち合える者など、ヴェルフは自分以外知らない。
事実、次第にこの一騎打ちはカイが有利と為っていった。クルトの三叉槍はカイの軍装を傷つけるのが精一杯だが、カイの先に斧が付いた長槍はクルトの鎧を傷つけ、更には深手ではないが、彼の体の各所に出血を強いていた。
遂にカイの一撃がクルトの頭を直撃して、其の頭部が吹き飛んだと、エルキト藩王軍は悲鳴を上げ、ホスワード軍は歓声を上げる。
しかし、吹き飛んだのは鉄兜と其の上に被った獣皮の帽子であった。頭部がむき出しと為ったクルトは、側頭部から出血をしている。
カイは一気に攻勢を掛けた。誰もがカイがエルキト藩王を撃ち取ると見ただろうが、クルトのみは冷静だった。カイの振るわれる武器の軌道が乱れている。恐らく自分を撃ち取れる興奮で、力任せに為っている様だ。クルトは瞬時に隙を作った。其れを見たカイは撃ち取るべく武器を大きく振りかぶる。
其の瞬間、クルトは三叉槍を右手に持ち、左手で手綱を操り、カイに接近して右手でカイの胴を目掛けて突きを行った。
又も悲鳴が上がる。今度はホスワード側だ。
カイが上半身に羽織った緑の肩掛けの背後の銀の三本足の鷹が、三叉に因って貫かれている。
然し、カイの体は貫かれてはいなかった。クルトの槍は微かにカイの皮の胸甲の左側をかすめ、ひらめいていた肩掛けに突き刺さっただけである。
瞬時にカイは左手を自分の槍から離し、自分の左脇にあるクルトの三叉槍を、左腕で締め左手で掴む。
そして、改めて大振りを右手のみでクルト目掛けて打ち込む。
クルトは背筋が凍った。自分の頭部の兜を吹き飛ばしてから、この男はわざと乱れた軌道を振るい自分を罠に掛けていたのだ!でなければ、この様な突きの躱し方を瞬時に出来る筈が無い!
クルトが三叉槍に固執せず、即座に手を離し、腰間の剣を抜かなければ、彼は振るわれるカイの一撃で致命傷を負っていただろう。
だが、この一撃で剣も吹き飛ばされ、クルトは遂に武器が無い状態にされた。
カイはクルトの三叉槍を捨て、両手で槍をしっかり持ち、クルト目掛けて三度振るう。
クルト・ミクルシュクは死を覚悟した。
処が、カイの一撃はクルトには振るわれず、自分の身を守る様に槍を構えていた。
主君が打ち取られる危機を察して、クルトの近衛隊の一人がカイ目掛けて矢を放ったのだ。カイは其れを瞬時に察知して、振るった槍の軌道を矢を弾く様に修正していた。
即座にクルトは馬首を返して、近衛隊の中へと逃げ込む。
エルキト藩王軍の近衛隊はカイ目掛けて矢を放とうとしていた。
「全員カイを守れ!斉射!」
レナが女子部隊に一斉にクルトの近衛隊に矢を放った。カイもレナとヴェルフが居る場所へと戻る。
「何をしておる!全軍突撃だ!」
ワロン大将軍が旗下の重騎兵に命じ、先程のカイとクルトの一騎打ちの興奮から、ホスワード軍は攻勢に出て、エルキト藩王軍は及び腰と為った。
「カイだけじゃねぇって所を、彼奴らに見せつけないとな」
ヴェルフも旗下の軽騎兵を率いて突撃を敢行する。ヴェルフは突起が幾つも付いた鎚が先端部分にある槍を縦横に振るい、エルキト藩王兵を殺傷する事数えきれぬ程だった。
カイはこの突撃に加わらなかった。自身が怪我を負っているからでも、疲れているからでも無く、愛馬があの一騎打ちで疲労困憊に為っていたからだ。恐らく今日と明日、いや三日以上は休ませた方が好い。カイは部下の一人に陣営にある予備の馬を連れて来る様に頼んだ。
カイが乗っている愛馬はカイの巨体を乗せても、尚十分に動ける屈強且つ俊敏な馬である。だが予備の馬の中には其れ程の馬はいない。エルキト藩王クルト・ミクルシュクは、カイを暫く馬上で勇を振るわせるのを止める事には成功した。
エルキト藩王クルトも愛馬が用に立た無くなったので、馬を乗り換えている。
頭部を初め各処に出血をしているが、全て深手では無いので、治療を拒否して後方にて全軍の指揮に集中している。
其処で、一人の近衛隊の兵が謝辞した。
「申し訳ありません!藩王殿下。一騎打ちを邪魔した臣は死罪を以て償います!」
先程のカイに対して矢を射た兵だ。この兵はテヌーラ人である。クルトの近衛隊はテヌーラ人を中心に構成されている。クルトは自嘲気味に笑い許しただけだった。
「カイ・ウブチュブク。あれは化け物だ。ウブチュブクと云う化け物退治はバリスに任せよう。俺や卿たち何百が命を捨てて仕留める必要など無い」
曾てガリン・ウブチュブクは何百ものバリス兵を一人で殺傷して、戦う事が出来ない身体と為った。其の事をクルトは言っている。
クルトはこの野戦を収束に持っていこうとした。中央軍は後退させ、押していた左右其々の一万の兵も次第に引かせ、中央軍の前面に展開させる。
順次、中央の兵を後方の陣営へとクルトは離脱させ、最終的に全軍を陣営に戻した。
十三日の夜の七の刻(午後七時)には、両軍は設営した陣営に帰陣した。
この日の戦いでの総軍の被害は、若干ではあるがエルキト藩王軍が多かった。
戦いはまだ終わっていないが、ホスワードの陣営は歓声と興奮に包まれていた。
カイの剛勇にホスワード兵たちは勿論、シェラルブク族を初めとするエルキトの各諸部族たちの兵たちも心酔を通り越して、最早陶酔している。
「凄いな!将軍の名を教えて下さい!」
「ちょっと待て、俺は将では無い」
「いや、無敵将軍だ!この様な勇士は然う然う見られたものではないぞ」
カイはクルトとの一騎打ち以上に周囲への対応に疲れを覚えた。
「無敵将軍カイ・ウブチュブク!」
其の連呼が永遠に続く。
「お前ら、そんなに元気が有るのなら、見張りでもしていろ。無敵将軍閣下は飯を食って休まなければ為らぬ」
ヴェルフがカイの周りに群がるホスワード人やエルキト人を追い払う。如何もこう云った事に為ると、民族などという概念は吹き飛び、皆昔ながらの兄弟の様に為り、興奮の坩堝と化すらしい。恐らく引いたエルキト藩王国のエルキト人とテヌーラ人もそうなのだろうか、とヴェルフは思った。
翌日、遠くに微かに見えるエルキト藩王軍は特に動きは無く、其のまま陣営を強固に構築し篭っている。
レナとオッドルーンの偵騎の報告に有った様に、長期戦の準備をしている様だ。
「此れは拙い」、と思ったのはホスワード側だ。何故ならホスワード帝国はバリス帝国との戦いも同時進行している。
出来たら、このエルキト藩王国の軍勢を早々に蹴散らして、極力早くバリスとの戦いに援軍として参戦したい。
十五日の昼過ぎにエドガイス・ワロンの幕舎で、今後の協議が為された。
出席者はワロン大将軍と其の主席参軍と数名の参軍と副官、そしてシェラルブク族の司令官とオグローツ城の司令官とエルキト諸部族の代表者だ。
北に在るエルキト藩王軍の陣営は、馬を外した輜重車を横に二百輌以上防壁として並べてある。
この状態についてオグローツ城の司令官が意見を述べた。
オグローツ城の司令官で、ホスワード北方方面軍総司令官であるのは、マグヌス・バールキスカンと云う四十四歳に為る将である。ワロン大将軍もこの年に四十四歳に為る。
バールキスカンは当然ホスワードの軍人貴族だが、彼の家系は特にエルキトの部族の血が濃く、彼自身に至っては母親がエルキト人であった。
シェラルブク族の様に部族全体の離脱は極めて珍しいが、実はエルキト帝国では以前より、個人や家族と云った単位で、ホスワード帝国やバリス帝国やラスペチア王国に亡命、と云うより移住する者が多かった。
此れはエルキトの主産業が牧畜と交易、そして掠奪位しか無いので、生活に困窮する者が如何しても出て来てしまうからである。一応山岳地帯では鉱山や鍛鉄も行われてるが、バリス帝国の様な整然した設備下で無く、劣悪な状況下なので、これらに就くものは流刑者が多かった。
因みにクルトの可寒登極以降、これらの数少ない産業はバリスやテヌーラから職人を招聘して、労働環境の改善と生産性を高める事をして、移住者を出さない様にしている。
さて、こういった移住者は亡命を装った工作員ではないか、と重要な取り調べは受けるが、ホスワード帝国はこのエルキトからの移住者を、もう何十年も前からかなり受け入れていた。殆どは牧畜を行うか、軍務に就き騎兵と為る者が多い。稀に南の方に住み、農作業をやる者もいる。
中には其れなりの名家の一家も亡命して来るので、北方の情勢を知る、と云う意味でも寧ろ厚遇を受ける。
マグヌス・バールキスカンの母親は、そうしたエルキトの名家の亡命者の出である。
ガリン・ウブチュブクも自身の出自をエルキトの小部族だと、仄めかしていたが、恐らく多くを語らなかったのは困窮からかも知れない。
「エルキト藩王軍が反ミクルシュク連合軍に対して行った、最後の戦いの陣営が今の状況に酷似しています。あの輜重車の中には、一輌に付き十名の弩兵が控えて居る可能性が高いです」
ワロン大将軍はバールキスカン将軍の言葉に頷き、対策を主席参軍に語らせた。彼は事前に皇帝アムリートと皇帝副官のハイケ・ウブチュブクから、この状態に為った場合の策を授けられている。
5
対策が決まり、先ずはエルキト藩王軍の並べた輜重車内に、弩兵が本当に潜んでいるか如何かの確認を行う事に為った。
其の間にホスワードの参軍を初めとする者たちは、上級中隊指揮官たちを呼び、彼ら五十名に次の命を下した。この場にはカイやヴェルフやファイヘルらが参集していた。
「貴官たちの部隊で、車両を扱った経験が豊富な者で、先の戦闘で負傷していない者たち、三十名を選抜して欲しい」
集まった中のカイが質問する。
「其れは、自分たち指揮官も含めての話ですか?」
「勿論、其れは構わないが、今言った様に、車両の運搬の経験がある者で、負傷者以外でだ」
選抜の為、部隊内に戻るカイが言う。
「俺は其の三十名の中に入ろうと思う。暫く愛馬を休ませたいしな。ヴェルフは如何する?」
「俺もだな。流石に俺の馬も休ませたい」
こうして五十の上級中隊から三十名が選抜された。其の指揮官で参加しているのは、カイとヴェルフのみである。
彼ら合計千五百名は、陣の後方に在る衝車の使い方を参軍たちから学ばされた。
四輪の衝車は後方のみが空いていて、中には六つの太い棒が並んで据え付けられている。
此の棒を五人が並んで掴み、押したり引いたりして、前進や後進をする。また後輪は大きく外に出ていて、留め具の様な装置を外すと、車輪の軸を左右に動かす事が出来る。そうすると後輪は車体に対して左右に斜めにする事が可能だ。
「目標に対して進路を左に取りたい時は、後輪を其々車体の前方に対して右斜めに傾け、固定して後進する。すると左後方に後退して行くので、次は後輪を僅かに左斜めに傾け、また後進して位置を修正する。そうすれば目標とする左進路が決まるので、後輪を元の真っ直ぐに戻して前進をするのだ」
又、衝車には上面に半身を出して座る指揮用の席が在り、其処に座する者が後輪の傾け方と、前進と後進の指示をする。
こうして五十輌ある衝車に対して操作用に、選抜された各部隊の三十名が入り、一名の指揮者が乗る。
指揮者は指導しているホスワード軍の参軍たちが担当する様だ。
恐らく最も大事な後輪の操作も担当する六列目の五名には、車両を扱っていた経験が特に豊富な者たちが選ばれた。
カイとヴェルフは其々の衝車内の先頭の中央の棒の掴み手を任された。
十月十七日の早朝。ホスワード軍は重騎兵と軽騎兵二千で、エルキト藩王軍の陣営に迫った。
輜重車を横に並べた其の陣営に向かって、ホスワード兵は火矢を放つ。
すると、防壁と為っている幾つかの輜重車の、側面の板が下面を軸にして外側へと回転して、下へと外れて落ちた。
中には連弩を構えた兵が、輜重車一台につき十人居た。此の連弩は上部にある箱状の装置に矢を装填し、操作棒を引いて離すだけで、斉射が出来る物である。
更に背後には矢の装填用の兵も控えていて、矢を打ち尽くすと、彼らが再装填して、弩兵は又も操作棒を引いて離す。
ホスワード軍の二千は忽ちに逃げ出し、自分たちの陣営に戻ってしまった。エルキト藩王兵は火矢の始末をする。
エルキト藩王軍の総帥クルト・ミクルシュクは治療を受け、陣の幕舎で長期戦の指揮を執っている。
此のまま長期戦となれば、冬季用の防備も必要と為るし、何よりホスワードはバリスとも同時に交戦している。
彼らを此の地に留めて置くだけでも、バリスに対しては十分な援助と為るのだ。
勿論、彼らが踵を返して、対バリスへの援軍に赴こうとしたら、其の瞬間に全軍を上げて後背を襲う。
其処の意思統一をクルトは全軍に徹底させていた。
翌朝もホスワード兵は似たような編成で、別の場所の輜重車への火矢を放った。並べられた輜重車の全てに、弩兵が入っているのかを確認する様な動きだった。そして、実際にクルトは全輜重車に弩兵を潜ませている。勿論時刻を決めての交代制だが、全てに昼夜を問わず、潜めさせている。
これもホスワード兵は弩兵が露わに為ると、逃げ出して行った。
遂に、翌朝は一万五千を超える騎兵が接近してきた。全て重武装をしたホスワード重騎兵で、力ずくで輜重車と其処に乗る弩兵を駆逐する心算なのか。
この日は風がやや強く、大軍が動くと砂塵も大量に舞う。
エルキト藩王軍は殆どの輜重車の側面を下に外し、弩兵による連射を始めた。
ホスワード重騎兵は構わず前進する。しかし、弩の威力は重武装の鎧をも貫く。
完全な近接を前にホスワード重騎兵は反転し、更に左右に分かれて散っていくが、其の背後に輜重車に乗るエルキト藩王軍の弩兵たちは、異様な車体が自分たちに向かって来るのを確認した。
五十輌の其の車体は、先端が尖っていて、然も厚い鉄で覆われている。
中に人が入って押して進んでいる様だが、通常の輜重車よりも一回り大きく、頑強に出来ているのに、かなりの速度で迫ってくる。よく見ると、上面に指揮者らしき物が居て、中で押している者たちに指示を出している。
弩兵は当然の様に矢を連射した。しかし矢は装甲に弾かれる。
重武装の兵をも貫く弩矢だが、衝車とは分厚い石壁を壊す為の物である。弩矢が効かないのは当然だ。
この時、指揮者は座席の中に身を屈め、弩の標的にされない様にする。
矢を弾き飛ばしながら、迫ってくる衝車に恐れを為した輜重車に入っていた弩兵と矢の補充兵は、逃げ出して行った。
其の直後、輜重車は突入してきた衝車に因って粉々に壊される。
指揮官が後進を叫ぶ。そしてある程度まで後進したら、後輪の向きを変えながら後進して、突撃位置を変更する。
五十輌の衝車が次々にエルキト藩王軍の輜重車を破壊していった。
余りの衝突音の為、エルキト藩王クルトも様子を見に現れる。
テヌーラ育ちの彼は此れが即座に攻城用の衝車だと気付く。此の様な物までホスワードは用意していたのか!とクルトは愕然とする。
「背後だ!全軍あの車両の背後に回り込め、背後からなら、中の押している奴らを攻撃出来る!」
クルトはそう叫び、自らも騎乗して部下の騎兵を次々に衝車の背後へ向けていく。
だが、其処で先程のホスワードの重騎兵が襲い掛かった。衝車の背後を取ったエルキト藩王軍の騎兵は、更にホスワード重騎兵から背後を取られた。
エルキト藩王軍は次々にホスワード重騎兵に蹴散らされる。
それでも衝車を背後から襲おうとしたエルキト藩王軍は、次に左右から弓の攻撃を受けた。
マグヌス・バールキスカンが率いる約一万近くのホスワード軽騎兵と、シェラルブクの約一万近くの軽騎兵が左右から現れ、弓にて攻撃する。
レナ率いる女子部隊も、一時的にバールキスカンの軽騎兵部隊に所属している。
衝車は石壁への衝突で壊れない様に、上面も側面も頑強に造られ、各所は鉄で覆われている為、重量があるが、内部で三十名で動かしているので、其の速度はかなりのものである。
特にカイとヴェルフが其々中に入って動かしている衝車は、エルキト藩王軍の輜重車を次々に破壊していった。
「背後では戦闘となっている。我々は此のまま直進し、敵の陣営を破壊をする」
五十輌の指揮者たちの総指揮者が、全衝車に命を下した。総指揮者はカイが中で動かしている衝車に座している。
衝車は其のまま直進して、エルキト藩王軍の陣営を破壊していった。
其れを追おうとしたエルキト藩王軍は背後からホスワード重騎兵、左右からホスワードとシェラルブクの軽騎兵に半包囲され、次々と打ち倒されていった。
奇しくも、ワロン大将軍が最初に企図した半包囲殲滅が此処で出来上がった。
クルト・ミクルシュクは判断を迫られた。
反転して、ホスワード軍との戦闘を続けるか。
犠牲が多数出るが、衝車の後背を襲うか。
戦闘自体を諦め、離脱するか。
クルトは最後の案を選択した。最早長期戦はあの衝車に因って、陣営が壊され続行不可能だ。反転は其れを行う際にかなりの犠牲が出る。
但し、ホスワード軍に少しでも致命的な痛手を与えて、離脱する。
クルトは信頼する部下の将に脱出路を開く様に指示を出し、順次部隊をこの血路から離脱する様にした。自身は殿としてホスワード軍と戦う。
クルトの三叉槍は既に先の戦闘で、カイに因って奪われている。彼は通常の鉄槍で戦っていたが、其の鉄槍が半ば折れ役に立たぬと、ホスワード重騎兵の長剣を奪い、其れを振るい戦った。
エルキト藩王軍は自分たちの右側に展開しているシェラルブクの軽騎兵隊に突撃して、先ず退路を築く。
そして、順次エルキト藩王軍は其処から離脱していく。
其の離脱を守る様に、クルトはホスワードから奪った長剣を振るい、ホスワード重騎兵を殺傷する事数知れない。
改めて此の剛勇の人物を止める事が出来るのは、カイ・ウブチュブクな訳だが、彼は衝車の操作をしているので、この場には居ない。
すると、一本の矢がクルトの右腕に、其れを覆う薄い鉄板の合間を縫って突き刺さった。
エルキト藩王軍を左側から攻勢を掛けていた、バールキスカン率いるホスワード軽騎兵からである。
射たのは女子部隊指揮官マグタレーナ・ブローメルトであった。
レナは先のテヌーラの女帝に続き、立て続けに相手国の総帥を目掛けて矢を射たのだ。
距離が在った為と、深々と突き刺さった訳で無く、更に毒矢でも無いので、クルトは其のまま左手で剣を振るい、自軍の離脱の指揮に専念した。但し、此れでホスワードの兵がクルトに殺傷される事は格段に低く為ったが。
こうしてクルト・ミクルシュクは全軍の離脱に成功して、全軍を北東遥かに撤退させる事に成功した。
常に陣頭に立ち指揮していた訳だからだが、軽傷とは云え、彼はカイ・ウブチュブクとマグタレーナ・ブローメルトにより、大いに傷を負わされた。
6
エルキト藩王軍が撤退して行った為、ホスワード軍と同盟軍であるシェラルブク族を初めとするエルキト兵は歓喜に沸いた。
先ずは全軍帰陣して、衝車も全て如何にか陣に戻す事が出来た。
そして、偵騎を周辺に回し、安全を確認すると、全軍は陣営で休息を取った。
翌二十日。更に偵騎を出し、ホスワード軍は昼に協議をした。偵騎はこの衝車を使った一連の戦いで、本陣を守っていたエルキト諸部族が担当していた。
流石に、もうワロン大将軍もエルキト諸部族を信頼している様だ。彼にとっては余り心地好い物では無いが、あのカイ・ウブチュブクに因って、エルキト諸部族を信頼させた事は、揺るぎ無い事実である。
「いやあ、随分久しぶりに、こんなに物を曳く重労働をしたな」
ヴェルフが衝車の中に入り、手押しにて操作し事に感想を述べる。
「そうだな。俺としては愛馬を暫く休めさせたので、この役目は少し有難かったけどな」
カイは自分の愛馬がほぼ回復した事に安堵した様だ。
そう、考えてみれば、つい三年前まで、カイとヴェルフはこういった車両の運搬の調練をしていて、そして輜重車を運んでいたのだ。
詳細は知らないが、三年前の同期の半分近くは、まだ輜重兵として働いているらしい。恐らく彼らはバリスとの戦いの後方で、輜重部隊を任されている筈だ。
そして、其のもう半分も一般兵で、同期で小隊指揮官に為った者は数名だそうだ。
勿論士官に為ったのは、カイとヴェルフの二人のみだ。彼らの昇進速度が異常なのである。
そして、カイはテヌーラ帝国相手の「大海の騎兵隊」での勝利後、主君アムリートに言われた言葉を思い出した。
「一つの案を思い浮かんだら、其れを敵側の立場となって攻略する事を常に考えて欲しい」
成程、陛下が衝車を用意したのは、あの弩兵に対する対策だったのか。カイは皇帝の言葉をヴェルフに振ると、ヴェルフは感嘆する事止まらない。
「つくづく、アムリート陛下は偉大だな。此の場に居られないのに、俺たちの勝利を導いてくれるとは!」
すると、協議を終えたワロン大将軍からの通達が出され、先ずこの日は飲酒の許可が出された。そして、三日後にホスワード中央軍二万程は、バリス帝国との戦いの援軍に進発する事が告げられた。中央軍はこの一連の戦いで、四千近くの戦死者を出している。
バールキスカン将軍は自軍を率いオグローツ城に帰還して、エルキト藩王国の様子を見る事に為る。
此れはシェラルブク族や他のエルキト諸部族も同様だ。バールキスカン旗下とシェラルブク族は其々千人以上、エルキト諸部族五千人も五百を超える戦死者を出している。
因みに撤退していった、エルキト藩王軍は八千を超える戦死者を出している。
其の様な訳で、エルキト諸部族の兵たちはカイとヴェルフの周りに集まり、彼らと少しでも共に酒を酌み交わす時間が欲しい様だ。
レナがカイの隣で笑顔で言う。
「随分、人気者になったね。其れにしてもあの時の一騎打ちの時は、私、心臓が止まるかと思った」
「うむ。心配をかけて済まなかった。だが彼奴は恐ろしく危険な奴だ。若し今後対峙する事が有っても、絶対に一騎打ちを挑もうとするなよ。遠くに居るからとしても矢も射るな」
其れはヴェルフに対しても言った。カイはクルト・ミクルシュクをあと一歩で撃ち取れそうになった。だが、次は完全に撃ち取れるか、と問われれば、其の自信は余り強くない。其れ程、恐るべき敵手だった。
「将軍。いや失礼、ウブチュブク指揮官。お隣の女性は指揮官の細君なのでしょうか?何時もご一緒なので」
あるエルキト兵がカイとレナを見て言った。
「おう、そうだ。此の方はレナ殿と言ってな。カイの嫁だよ」
ヴェルフが「当たり前じゃないか」、と言わんばかりに平然と答えた。
「おお!ご夫婦で戦場に赴かれるとは!我がエルキトにも、其の様な事例は、稀に有りますが。そうでしたか。レナ・ウブチュブク殿、貴女の騎射も素晴らしいです。将に英雄夫婦ですな」
カイとレナは暫く呆けてしまい、勝手に盛り上がるエルキト兵を只見詰めるだけである。
ヴェルフは笑いが止まらない様だ。
カイは自分の左隣に座るレナを見た。彼女はカイの左腕を両手で掴み、自身の身体をカイに預けたまま、全く動かず、喋ろうとしない。
そして、カイは右手に持った杯に次々にエルキト兵から注がれる酒をひたすら煽った。
翌二十一日より、ホスワード全軍は陣営の解体をして、翌々日の進発の為の準備を始めた。
衝車はシェラルブク族が一旦預かる事に為ったので、彼らが馬を繋ぎ、曳く準備をする。
其れと同時進行で、軍の再編成も行われた。対バリスに赴く兵の再編成である。
改めて、この一連の戦いで戦死者を多く出してしまったので、再編成後、カイは三百名の軽騎兵と女子部隊百名を率いる事に為り、副指揮官にはレナが選ばれた。ヴェルフの軽騎兵も四百名と為っている。
つまり、上級中隊指揮官はほぼ四百名を指揮する事になる。
エドガイス・ワロン大将軍の甥である、ファイヘル・ホーゲルヴァイデも四百名の重騎兵の指揮官と為ったが、近辺に騎乗しているカイとレナを見つけると、同じく騎乗している彼から珍しく言葉が出てきた。
「カイ・ウブチュブク。貴官は英雄というに相応しい。だが何故あのような衝車の運搬役をしたのだ?」
ファイヘルにはあのような底辺の兵がする事を、上級中隊指揮官がする事に違和感を持っているらしい。
「俺は元々あのような運搬役をやっていた。そう長くは無かったがな。貴官は軍専用の学院を出たそうだが、あの様な運搬の調練はしなかったのか?」
「する訳が無いだろう。其の様な事は一般兵が遣る事だ。俺たちは其れを指示する事だけを学んだ」
ファイヘルはカイと同年で、この年で二十三歳である。百と八十五寸(百八十五センチメートル)を越える、堂々たる体格で、黒褐色の髪は短くし、蒼みがかった薄い茶色の瞳を持った、如何にもホスワードの軍人貴族然とした若者である。
「カイ・ウブチュブク。貴官は将を目指すのか?」
「…そうだな。其れも一つの目標として有るが、俺は俺が出来うる限りの事は、責任を持って遂行したい。例え将に為れずとも、俺が出来る事を完遂し、徒に部下を危機に晒したくは無い、と第一に思っている」
「成程、貴官と俺は、根本的に考え方が異なる訳だ。其れを聞いて理解したよ。俺は貴官の遣り方の邪魔はしない。だが、俺は将へと昇進する為なら何でもする。其の邪魔はしないで貰おう」
「徒に士卒に無理をさせたり、民に被害を出す事で無ければ、貴官の其の目標を俺も邪魔はしない。其れを約束して貰えば、貴官が将と為り、俺が其の部下と為ったら、俺は貴官の命を従順に受ける心算だ」
「好く分かった。カイ・ウブチュブク。貴官は余り長生き出来ない男だと云う事がな」
そう言って、ファイヘルは自身の部隊の中へ戻って行った。
馬上で隣で聞いていたレナは一言も発せず、不安に思った。確かにカイの姿勢は素晴らしいが、命を落とし易い考え方でもある。
だが、レナは其の事をカイに如何やって説明して、説得するかの手段が思い浮かばなかったので、黙ったままだった。
昨日の宴席でカイの腕を掴み、ずっと彼に体を預けていたのは、以前から感じていた其の不安からである。
「私はこの人とずっと一緒に居なければならない。そうでないと、この人は何時か死地に平然と飛び込んでしまう…」
十月二十三日の朝の七の刻(午前七時)、エドガイス・ワロン率いるホスワード帝国軍の中央部隊、約二万程は自国領土のラテノグ州へ向けて進発した。
そして、オグローツ城司令官のマグヌス・バールキスカンも自軍を其の城塞への帰還の途に就く。
シェラルブク族を初めとするホスワード影響下のエルキト諸部族も、各自帰還の途に就く。
彼らはエルキト藩王国に特に動きが無ければ、南下して対バリスの戦線へ加わる事が決定されている。
ホスワード帝国歴百五十五年十月二十三日。此の時には既にホスワード帝国の一番の北西に在る、ラテノグ州は大半がバリス帝国軍の軍勢に占領されていた。
二万程の中央軍が其れを知ったのは進発日前で、偵騎に因る情報である。
十万を超えるバリス帝国軍に対して、南へ進撃するホスワード北方方面軍は、先のエルキト藩王軍との戦い以上の熾烈な戦闘を迎える事に為る。
第十七章 ホスワード帝国の血戦 北方戦線 了
その様な訳で、次は西方での戦いです。
バトル物は、面白いけど、足りない頭を酷使するので、ひたすら疲れます。
ですが頑張って迫力ある様、努力しますので、よろしくお願いします。
それとまともな一騎打ちって初めて書きましたね。十七回目の投稿で初一騎打ちシーン。
ほんと地味ですね。
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