表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/44

第十五章 新たな準備

 題名通り、気分一新しての再スタートです!

 カイやヴェルフやレナやハイケたちの新たな戦いと冒険に御期待下さい。


 今回はそのための準備回です。

第十五章 新たな準備



 ホスワード帝国歴百五十五年四月末から五月の初めに(わた)って行われた、ホスワード帝国とテヌーラ帝国の一連の戦いは、ホスワード帝国の勝利に終わった。

 先ずメルティアナ城の攻略を企図したテヌーラ軍六万を、皇帝アムリート・ホスワード率いる援軍に因り、駆逐する事に成功し、更にアムリートは其のまま一部の兵を率いて、ドンロ大河を東に船団にて進み、ボーボルム城に着き、其の地よりドンロ大河上に浮かぶテヌーラの大船団を水戦にて追い払った。

 どちらもテヌーラ側の被害は甚大で、特に後者の水戦では両皇帝が陣頭に立ち、ホスワード側が勝利したので、大陸諸国は「ホスワード強し、アムリート帝恐るべし」の念を抱いた。

 アムリートが電撃的に兵を率いて、この二つの戦に臨んだのは、単に彼が好戦的な性格からではない。

 彼はこの様に一年中使える練度の高い常備軍を備える利点を、隣国のバリス帝国に見せ付けたのである。


 バリス帝国は数年前程から、志願兵に因る常備軍体制をほぼ止め、府兵制を布いて広く兵を徴募し、普段は鉱山開発や農耕や道路整備などの労役に当たらせ、いざと云う時にこれらの労役の従事者を兵として組織している。十人を指揮する最小単位から、ちょうど十倍ずつに一万人を指揮する最大単位の指揮官が置かれ、二十五万程が動員出来る。

 其の為、最小の単位は元より、千人の指揮官や万人の指揮官にも平民が抜擢されていた。

 流石に其の上の数万を率いる指揮官は特別に「柱国将軍」と言われ、伝統ある軍人系貴族が就いていたが、功ある者を抜擢するこの制度では、一万人を指揮している平民出身の将軍が「柱国将軍」となる事は将来的に充分にあろう。

 また、兵の動員も一旦労役を止め編成するので、時間が掛かるし、大軍を組織すれば、労役も滞ると云う弊害もある。

 自分たちが今行っている体制と云うのは、アムリートが行った様な電撃的な対応が、出来難い体制なのでは、とバリスの高官たちは危惧を抱いた。

 この体制の発案者で実行の最高責任者である、バリス帝国の皇太子ヘスディーテ・バリスは、アムリートのこの勇猛さは自国の貴族や高官に、この体制に対する疑問を発せさせる事だと、即座に知悉した。

 彼が八歳上の隣国の皇帝を畏れ尊敬するのは、陣頭に立ち勇を振るうだけでなく、この様な部分である。

 現在、バリスはホスワードとテヌーラからの捕虜である帰還兵を、この制度に組み敷いている。帰還兵の中には其れなりの名家の生まれの者もいて、其の様な者を平民出身の指揮官の下に就ける等という事をすれば、色々と反発が出るだろう。

 ヘスディーテを初めとする、兵部省(国防省)と吏部省(人事院)と工部省(国土省)の役人たちは、兵と指揮官たちの再配置に腐心していた。これを失敗すると最悪反乱を起こされ兼ねない。

 ホスワードとテヌーラとの戦いに介入出来なかったのも、この一事に有った。


 五月二日、テヌーラとの水戦に勝利したホスワード水軍は、其の日の内にボーボルム城塞へ全船帰投した。帰投時には既に完全に日が暮れていたが、城塞に残っていた職員と数百名の守備兵が歓呼して、本軍の帰投を出迎えた。

 特に皇帝アムリートが姿を現すと、歓声は一際大きくなる。何故なら、つい数日前にはメルティアナ城のテヌーラの攻囲軍を撃破した直後で、皇帝自ら陣頭に立っての二連戦の勝利は、将兵の興奮を掻き立てて止まない。

 続いて馬を曳き下船する女子部隊百名にも歓声が上がる。敵船への騎兵突撃という勇敢な行為を行った彼女たちは、この一戦の勝利の立役者たちであろう。

 殊に女子部隊隊長マグタレーナ・ブローメルトは、テヌーラの女帝アヴァーナ・テヌーラに一矢を放ち、其の心胆を寒からしめた、と其の剛勇ぶりを褒め称えられている。

 ボーボルム城塞総司令官のヤリ・ナポヘクは大声で将兵に伝えた。

「さぁ、今は守備兵を中心に付近の哨戒を行い。実動部隊はゆっくり休もう。祝宴は明日、哨戒部隊が戻ってから皆で行うぞ!」

 この老将の提案に全員賛成し、松明を掲げた哨戒部隊が数艘出発し、帰投した実動部隊は其々の棟に戻るか、負傷者は医療棟へと運ばれていった。


 歩兵の突撃部隊であるカイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスが率いた者たちには、死者こそ出なかったが、手当ての必要な者が多くいたので、彼らの大半も医療棟へ向かった。

 カイとヴェルフはほぼ軽傷だった。だが、この二人が最もテヌーラの船上で奮戦し、多くの敵兵を殺傷し、味方を守り、常に一番の危険な所に身を晒していたのだから、恐るべき事であった。

 各所でざわめきが起こる。

「マグタレーナ様はテヌーラの女帝に矢を放つと云う豪胆な事を為さったが、あの二人の大男は豪胆其の物だ」

「聞けば、輜重兵と為ってから、二年と僅かだと云うのに、歴戦の戦士としての風格に溢れている事、この上ない」

「あの特に背の高いカイは『無敵将軍』ガリン・ウブチュブクの長子だぞ。そして次子は陛下の副官だそうな」

「彼らが将に為れば、ホスワードに因る大陸統一も夢物語では無い!」

 将兵、特に士卒の心をカイとヴェルフは完全に掴んでいた。まだ二人とも二十代半ばの若さである。


 カイ・ウブチュブクはこの年で二十三歳になる。二尺(二メートル)を優に超える背、肩幅広く、胸板厚く、腰回りが引き締まった、筋骨逞しい手足の長い体つき。黒褐色の髪は短く、整ったその顔は精悍さが年々増しているが、大きな目には、太陽の様に輝く明るい茶色の瞳が、優しげに光っている。

 ヴェルフ・ヘルキオスはこの年で二十六歳になる。其の体つきはカイとほぼ変わらない。指を横に三本程並べただけ背が低い位である。日に焼けた精悍な顔付きをしていて、やや縮れた黒い髪は短く刈っている。そして黒褐色の眼光は鋭いが、この様な緊張感が解けた場所だと、人懐っこい表情をする。

 両者共に三年前に志願兵の徴募に応じ、半年間の過酷な調練を受け、ホスワード軍の一番の底辺である輜重兵に就き、現在は士官と為っている。


 ホスワード帝国軍は志願兵のみで構成され、其の構成は次の具合である。

 先ず、カイとヴェルフが最初に就いた輜重兵は「兵士見習い」とも云うべき物で、実際に戦場で戦いをする事は先ず無く、文字通り輜重に従事し、幕舎の設営や陣営の設置が主な任務だ。行軍中はこれ等の運搬をする。殊に敵勢力圏へ隠密に侵攻した時には、其れがばれぬ様に排泄物の処理すらする。

 次に一般の兵だが、当然これが最も多く、戦場での主体となるが、数が多いので、かなりの頻度で輜重兵の補助もする。

 そして、下士官として小隊指揮官がある。三段階に分かれていて、「下級小隊指揮官」は十名、「中級小隊指揮官」は二十名、「上級小隊指揮官」は五十名の兵を率いる事が出来る。

 士官は中隊指揮官であったり、大隊の参軍だったり、情報将校など色々な任務に就くが、中隊指揮官の場合は同じく三段階に分かれており、百名、二百名、五百名の兵を率いる事が出来る。カイとヴェルフの現在の地位は「下級中隊指揮官」である。

 高級士官は大隊指揮官であったり、将の参軍だったり、兵部省の高官に就いている者もいる。カイの父のガリン・ウブチュブクは「上級大隊指揮官」として五千名の兵を率いる身分であった。

 そして、其の上に将がいる。将は一万以上の兵を率いる事が出来、名門や傍流は有れど、将は全てホスワードの軍人貴族が任命されている。

 最後に、大将軍と云う将たちを纏める実動部隊の最高責任者がいる。現在の大将軍はエドガイス・ワロンで、彼はホスワードでも屈指の名門軍人貴族の出である。

 また刑部省(司法省)の管轄に為るが、各州には衛士と呼ばれる、守備兵として警察権を持った兵がいる。駐在している数は州や市の規模にも因るが、ホスワード帝国全土で約二万名程いる。



 五月三日の昼前にボーボルム城の全員が揃った。と云っても二万近くが揃える施設はボーボルム城には無いので、城塞の北側にある広い平野を仮設の祝宴場とした。準備はボーボルム城の職員やラニア州のボーボルム城塞の近辺の市の職員が行った。

 提供される大半の飲食もラニア州からの財政から出ているので、急遽列席したラニア州の知事は皇帝アムリートから州の財政への追加予算を組む事を約束された。

 先ず設けられた壇上にアムリートが立ち、よく通る声にて将兵への労いと、勝利の祝杯の儀を発した。

 全員が其れに唱和し、乾杯をして、飲食が始まった。

 席は簡易なもので長さ二十尺(二十メートル)、幅一尺の長い(テーブル)の両脇に、同じ長さの背もたれもない長椅子が並ぶ様に在り、其れが何百と並んでいた。料理や酒は其れを囲うようにラニア州の職員が何百人と準備をしているので、追加は自ら求めに行かなければ為らない。

 だが、この様な晴れたやや乾燥した時期なので、この野外の飲食は何とも心地いいものだった。

 彼方此方で歌が唱和される。肩を組んで歌ったり、突然何百という人達が前に居る人の肩を掴んで、行進しながら歌いだす列が幾つも出てきた。

 カイは正面にヴェルフ、両隣りにマグタレーナことレナと弟のハイケが座る席にて、歌いながら行進する列を楽しげに見ていた。

「どういう胃袋をしてるの、貴方たちは?もう此処にある麦酒(ビール)と料理はあらかた食べちゃって。追加を持って来ましょうか?」

 レナがカイとヴェルフの鯨飲と健啖さに呆れて提案する。

「レナ様。私も一緒に行きますよ。御一人ではこの二人の量は無理ですよ」

 ハイケがレナに提案して、レナは近辺のシェラルブクの女性も数人誘って、追加の酒と料理を卓に持って来る為、席を離れた。

 先の壇上では楽器演奏や歌に自信のある者たちが、即興で楽団を作って演奏して歌っている。


「ふむ。卿らと話し込むには、好い頃合いだな。少々騒がしいが」

 そう言ってアムリートとラース・ブローメルトがカイとヴェルフの隣に座った。

「よい。無礼講だ」

 直立して敬礼しようとする二人をアムリートは制した。

「カイ。先年のバリスとエルキトの戦いで卿らは直接督戦したが、バリスが若しホスワードに同じ手できたら如何(どう)する?」

 先年のバリスとエルキトの戦いとは、バリス軍十五万とエルキト軍十万の戦いで、カイはヴェルフとバリスの国内事情に詳しいレムン・ディリブラントと共に、離れた場所にて注視していた。バリスが鉱山開発の発破用の爆薬を用いて、エルキト兵を大量に殺傷した戦いである。

「導火線が有りました。故に水なり、足で踏みつけるなりして、其の爆破をさせぬ様にします」

「そうだ。一つの案というのは、対策が取られると云う事だ。では、テヌーラ水軍が同じ様にまた騎兵突撃を受けて瓦解する、と云う事は有り得るかな?」

 アムリートはカイの「大海の騎兵隊」という案に対応策が取られる可能性を示唆した。

「例えば、自身がテヌーラの水軍の長だったら、と考えるのだ。余なら…、そうだな。先ず船の側面を触角で突き破られない様に鉄で覆う。又は騎兵の出入り口となる船首を架けさせない為に甲板上の周囲に高い鉄の欄干を設置する。後は単にこれから建造する軍船は極力細長いものにして、騎兵が入ったら即座に水面に突き落とす…、とこんな具合だ」

 カイは一気に酒の酔いが醒めた。これ等をやられたら「大海の騎兵隊」はまるで用を為さない。

 ヴェルフも流石に真剣な顔で皇帝の話に聞き入っている。


「だが、火薬に因る爆破が戦場で有用な様に、騎兵に因る敵船制圧も有用だ、と余は思う。今バリスでは、長い導火線を必要としない爆破の仕方を考えている筈だ。故に水上での騎兵突撃もより完成された方向に持っていくべきだ、と思ったのでな」

「では、小官はこの騎兵突撃をより完成した物にさせるのが、次の任務と為るのでしょうか?」

「いや、其れはナポヘクや後任の将の仕事だ。今の事は既にナポヘクに言ってある。ただ卿には一つの案を思い浮かんだら、其れを敵側の立場と為って攻略する事を常に考えて欲しい、と助言に来たまでだ」

「後任の将とはラース卿に為るのでしょうか?陛下」

 そう言ったのヴェルフである。ヴェルフの隣にラース、カイの隣にアムリートが座っている。

「いや、ラースは暫し此処に留まるが、ナポヘクの後任は今メルティアナに居るアレン・ヌヴェルという将にしようと思っている。ラースも今回の功で将に昇進だが、彼には将来的にホスワード全軍を統括する立場に為って貰う故、色々な兵科を指揮させる心算だ」

「其れは臣の父が大将軍を頑なに拒んだから、其の様な処遇を臣に与えるのですか、陛下」

 ラースが呆れる様に主君に言う。次の大将軍候補なら、現メルティアナ城司令官のウラド・ガルガミシュ将軍がいるだろうに、とラースは思った。


「カイを捕まえて、何か難しい話をしている様ですね、アムリート兄様。今日一日は其の様な事は無しですよ」

 レナたちが酒や料理を持って来て現れたので、アムリートとラースは席を立ち、「邪魔をして済まなかった」、と言って去って行った。

「まったく、陛下にも困ったものね。何を言われたの、カイ?」

 カイはアムリートの言った「大海の騎兵隊」の欠点について述べた。

 卓に麦酒や焼きソーセージや豚肉排(ポークステーキ)や茹でジャガイモやチーズやパンを並べながら、皇帝副官のハイケが答える。

「そうなんだよな。陛下は気さくだけど、常に頭の中の何処かでは怜悧さを持っている。俺なんて、何時も陛下の傍にいると緊張しっぱなしだよ」

「うむ。俺は更にアムリート陛下を尊敬するぞ。陛下の様な人物こそ、英雄というに相応しい。俺やカイは陛下に比べれば、端武者(はむしゃ)とは言わんまでも、まだまだ気宇という物がまるで無い」

 そう言って、ヴェルフは持って来られた(マース)と呼ばれる、十合(一リットル)以上は麦酒が入る陶器の杯を煽った。カイは升を見つめたまま考え込む。

「いいかカイ。成功体験は次の成功を約束しないが、失敗体験を振り返る事は、次の失敗をしない事に繋がるんだ」

 これは父ガリンが自分に武芸の訓練を施していた時の言葉だ。此の様な時、カイは何時も父の様々な言葉が心中に浮かんでくる。

「一つの成功に自惚れて、また同じ事の繰り返しは通用しないんだ。抑々ナポヘク将軍を初め、ボーボルム城の将兵や技術者たちに因って成功出来た事。其処を弁えず、奇策に奔ったら、自身は元より、率いる部下たちも(いたずら)に犠牲にしてしまう。陛下の今の御言葉は胸に刻んで於こう…」

 そう思索したカイはレナたちを心配させまいと、飲み食いに再び夢中になった。



 翌々日の五日に論功行賞が行われた。将と高級士官に対してはボーボルム城の司令官棟の会議室でアムリートが行い、それ以下の士官たちに対しては別の広い施設にてナポヘクが行った。

 カイとヴェルフは「上級中隊指揮官」に任命された。またレナは正式に士官となり、「下級中隊指揮官」に任命された。

 カイとヴェルフが小隊指揮官だった時の部下三名も、「中級小隊指揮官」に任命され、皆大いに恩賞金も得た。

 ファイヘル・ホーゲルヴァイデも「上級中隊指揮官」に為ったが、彼は其の前は「中級」だったので、カイやヴェルフに軍内での地位は並ばれてしまっている。

 そしてラースは将に任命された。ホスワード帝国軍最年少の将軍だ。ラース・ブローメルトはこの年で二十七歳。薄茶色の髪は額から綺麗に後ろに撫でつけられていて、首筋のあたりで、編まれて二十寸(二十センチ)ほど垂れ下がっているが、両側頭部は綺麗に剃り上げられている。やや蒼みを帯びた灰褐色の瞳は、将に任じられた誇りと覚悟に輝いている。背丈が百と九十寸(百九十センチ)近くの無駄な肉が無い偉丈夫だが、只屈強なだけで無く、柔軟で機敏そうな雰囲気も纏っている。アムリートが言った通り様々な兵科に対応出来そうな、そんな器用さも感じられる体格だ。


 五月七日。この日はアムリートと近衛隊と皇帝副官ハイケが帝都ウェザールへ帰還する日であった。流石に何時までも皇宮を離れている訳にはいかない。アムリートは暫く帝都にて政務に励む事に為るだろう。アムリートは出発の時刻までハイケに兄のカイと存分に話して於け、と命じたので二人はカイの部屋で話し合った。

 士官なので一人部屋だが、巨体を如何にか納める事が出来る(ベッド)と机と椅子があるだけの簡素な部屋なので、ハイケは椅子にカイは床に腰を掛けた。

「お前は帝都では何処に住んでいるんだ?大学寮は住み込みが出来る所らしいが、卒業したのだから、住む所を借りているのか?」

「其れなんだけど、実は皇宮の宮殿内の一室に住まわせて貰っている。五階にある部屋だ。陛下が空き部屋が幾らでも在るから構わず住めと…」

「宮殿か…。俺も一度入った事があるが、居るだけでも落ち着かんのに、あそこに住むなど想像もつかんな」

「陛下の御家族の方たちも皆よい人達だからね。つい甘えてしまうけど、時折自分は場違いを冒しているんじゃないかって空恐ろしく思うよ」

 カイは昨年の末に皇宮の宮殿にヴェルフと共に赴いた。其処でアムリートの妻の皇妃カーテリーナと、甥のユミシス大公とオリュン大公に出会っている。皆、何処の馬の骨とも知れぬ二人に対して、気さくで明るく接してくれた。

「其れだけ陛下から信任されているって事だ。父さんの最期の言葉じゃないけど、お前の様な弟を持った事は俺の誇りだよ。そうだ、休暇とかは取れるのか?」

「多分、帝都に戻り、事後処理を終えたら、休暇の件は陛下から聞いている。カリーフ村に戻ったら、ちゃんと今俺がいる地位ついては話す」

「母さんにはまた心配の種を増やしてしまうな。これでシュキンとシュシンが志願兵に応募したら、倒れるんじゃないか?」

「うん。お互いこまめに手紙は出し、休暇が貰えたら出来るだけ帰郷しよう。考えてみれば父さんもそうしてたし」


 カイは何かを思い出しようにハイケに改めて向き直った。

「これから出発だというのに、すまんが少し相談というか、聞いて欲しい事がある」

 カイは弟にヴァトラックス教の事を話した。ハイケもこの秘儀教団の事は知識としては知っている。だが、カイが話したパルヒーズ・ハートラウプと云う、旅劇団を率いる人物についての話は流石に驚く。

「お前の権限で何処まで出来るか知らないが、ホスワード内を渡り歩いている旅劇団や旅芸人の調査を頼めないかな?後はホスワード全土の孤児院についての情報も欲しい」

「陛下に上奏して、宰相閣下の許可を得れば、宰相府や刑部省、各州の知事に通達は出来ると思うけど、今は各州の衛士が無人の建物などを調べているんだろう?」

「勿論、お前が任されている任務や休暇を優先してくれて構わない。只あのパルヒーズは俺が何としてでも、もう一度見つけ出したい」

「カイ兄さん。プラーキーナ帝国に滅ぼされた、ヴァトラックス教を祭政一致にしていた国は、今のメルティアナ州の北西部に在ったと云う事は知っているか。あの辺りで大きな市はスーア市だ」

「スーア市は今年の初めに行ったばかりだぞ!首魁はメルティアナ州に潜んでいる可能性は高いと見ていたが、そうかスーア市か」

「あくまで可能性の話だ。気に為るのはバリスと近いな」

 スーア市はバリスから来る西方の商人が、ホスワードに入る初めの市として知られる。故に此処には宿場が多く在る。パルヒーズはこの市の孤児院の出身らしいが、現在この孤児院は閉鎖され、宿として改装され営業している。

 プラーキーナ朝の統一以前、今のバリスの首都ヒトリールは建造されておらず、当時のバリス領は、鉱山を所有する小国家が点在していただけだった。其の為、既に建国されていたヴァトラックス教を国教としていたラスペチアの商人兼布教者は、今のスーア市の辺りに在った王国に直接来ていた為、其の王国も何時しかヴァトラックス教を国教にしたらしい。

 好く有る事なのか?布教者よりも布教された側の方が、依り其の教えに忠実に為り、其の王国の全住民はラスペチア人が鼻白む程に、ヴァトラックス教に偏狭していったという。

「取り敢えず、お前はお前の出来る事を遣ってくれれば好い。俺も俺の出来る範囲内の事しか出来ないからな」

 そうカイは最後に言って、兄弟は固い握手をして別れの挨拶し、ハイケはカイの部屋を後にした。


 こうして皇帝アムリート一行は中途まで、ラニア州の衛士百名程と共に帝都ウェザールへ帰還していった。ウェザールに着くまで、各州の衛士が護衛として就くらしい。衛士たちは皇帝を守ると云うより、連戦しっぱしだった近衛隊の役割を軽減する為の護衛だ。

 そして、三日後にメルティアナ城からアレン・ヌヴェルという将が僅かな共にて、船でボーボルム城へ遣って来た。

 彼は来年の一月にボーボルム城塞の司令官となり、其の間に彼はナポヘクとラースから、司令官職の引き継ぎの為の様々な教えを受ける。

 ラースは十月末に帝都に戻り、ナポヘクは年内で以て退役の予定だ。

 現在、メルティアナ城とボーボルム城は大軍が居る状態だが、両城とも順次将兵を中央に戻し、最終的に年内中には両城は其々一万の将兵の駐屯となる。

 カイとヴェルフとレナのウェザールへの帰還は七月前と決まった。ラースに呼び出された三者は帝都で意外な任務に就く事を伝えられた。

「如何も、七月から始まる志願兵の調練だが、既に応募が千名を超えているそうだ。また今年から女性も対象にしたので、百名近くが募集に応じたらしい。卿ら三名は調練場で指導員の手助けをしてくれないか?」

「では年内は小官たちは指導員の手助けと為るのですか?ブローメルト将軍」

「勿論、国内外で変事が起これば、即座に離れ対応して貰うが、無ければ其のまま指導員の手助けだ。特に変事が無ければ九月は休暇と為ると思うので、このひと月はゆっくり休んで欲しい」


「しかし千名を超えるとは、少し不安な面も有るな。俺の様に金目当ての様な日々の暮らしに困窮してる奴らが、本朝(わがくに)では多いとも取れるぞ」

「えっ、ヴェルフさんって、お金目当てで募兵に応じたの?」

 カイとヴェルフとレナが、ラースの執務室から退出し歩きながら話す。

此奴(こいつ)ときたら、調練中にアムリート陛下の前で、『船の修繕費の為、数年間軍務に就き稼ぎたい』、等とぬかしたのだ。あの時は本当に肝を冷やしたよ」

 カイは三年前の自分たちの調練中の時の事をレナに話した。

「でも、そういった正直な返答はアムリート兄様が喜ぶ類の物ね」

 レナは笑いながら答えたが、やはり不思議がる。

「貴方達の五百名程でも多いって言われてたのだから、確かに其の倍以上はちょっと気になるね。でもひょっとしたらカイ・ウブチュブクやヴェルフ・ヘルキオスに憧れて、募兵に応じたんじゃない?」

「じゃあ、女性の百名近くはマグタレーナ・ブローメルトに憧れてか」

 三名は笑いながら、今日の予定となっている来年度よりの新ボーボルム城司令官のアレン・ヌヴェル将軍への挨拶へ向かった。



 アレン・ヌヴェルは先のテヌーラに因るメルティアナ城の攻囲に対する、アムリートが組織した軍の将として参加していた。アムリートが数千の兵と共にボーボルム城へ向かった後は、其のまま全軍の指揮権を譲り受け、メルティアナ城総司令官ウラド・ガルガミシュの元で、城内外の修繕の任務に就いていたが、急遽ボーボルム城の後任の司令官を任される事に為ったので、兵をウラドに預けて、自身は参軍や副官を初めとする僅かな共を連れて、このドンロ大河にある城塞に遣って来た。

 カイとヴェルフとレナがヌヴェルの執務室に入り敬礼をすると、ヌヴェルは感極まった様に飛び出し、カイの両手を握った。ヌヴェルの背丈はカイより頭一つは低い。

「おぉ、まさしく昔のガリン・ウブチュブク指揮官に似ている!」

「ち、父をご存じなのですか…?」

 目に涙を浮かべて、カイの両手を離さないヌヴェルにカイはやや戸惑う。そう云えばハイケからヌヴェル将軍という、曾て父の副指揮官をしていた将と共にいて、彼からは色々良くして貰った事についての話を思い出した。

「六年前のバリス・エルキトとの戦いでは、ウブチュブク指揮官が自部隊の脱出のために、私を先頭にして血路を開く様に命じたのだ。今思えば、その役割は逆にすべきだったと、悔やんでも悔やみきれぬ。申し訳ない、カイ・ウブチュブク」

「僭越ながら、父は将軍を信頼していたからこそ、そう命じたのでしょう。其の様な謝罪は不要です」

「そうだな。何時までも泣いていてはウブチュブク指揮官に失礼だな。卿の弟の皇帝副官殿にも同じ事を言われたよ」


 アレン・ヌヴェルはこの年で四十八歳。父ガリンが健在なら五十六歳に為るので八歳下だが、彼は傍流と云えども軍人貴族の生まれで、一兵卒から成り上がったガリンを此処まで崇拝しているのは、彼個人の性格に因るのか、ガリンが其れだけ人を引き付ける魅力を持っていたのか、恐らく其のどちら共であろう。

 また彼は軍に入ってから、長らく水上での経験が多かったが、十五年程前にガリンの部隊の副指揮官と為った。騎兵を率いるのが得意だったガリンを水上戦で補佐すると意味と、彼が騎兵隊を率いる経験をガリンの元で積ませると云う意味を兼ねていた。

 この辺りは何やらカイとヴェルフの関係に似ている。

 ヌヴェルはカイの手を離し、目に浮かんだ涙を手拭(ハンカチ)で拭い、三者に椅子に座る様に勧める。

「いや、申し訳ない。情けない所を見せてしまった。処で、卿は先のエルキトとの戦いにも歩兵として参加していたとか。私は騎兵を率いていたが、あの時は卿は『ミセーム』と母の姓を名乗っていたそうだな。ウラド・ガルガミシュ将軍からそう聞いている。母の姓を名乗っていなければ、あの時の祝勝時に会えたのにな」

「其の様に将軍を困惑させた事は謝辞いたします。当時、小官は『ウブチュブク』は一人前の士官に為ってから名乗ろうと思っていたので」

「うむ。其の様な所もウブチュブク指揮官に似ておる。いや、そういった比較が嫌だから、母の姓を名乗っていたのだな」

 其の後の話し合いはカイがアムリートに指摘された「大海の騎兵隊」の改良に関する実務的な話となり、三人は七月前には帝都に戻るので、其の間は何かあったら、何時でも将軍の任務を手伝う旨を述べた。

「随分良い人そうね。ヌヴェル将軍は」

「いきなり泣き出しそうに為ったのには、驚いたぞ俺は」

「多分、父さんのお陰で、周囲から好意を受ける事はこれからも出てくるだろう。俺とハイケは其れに甘えたら駄目だと、改めて気が引き締まったよ」

 この日は特に予定もないので、三人は其々の棟の部屋へと戻っていった。


 五月も半ばを過ぎると、ラニア州の南東部のドンロ大河沿いにあるボーボルム城の辺りは、雨が降ったり、南から湿った大気が流れ込んでくる。

 カイやヴェルフは時折小型船にて哨戒に出ているが、特に変わった事は無いようだ。

 そして、五月の終わり頃に女子部隊のシェラルブクの人々の一時帰還と為った。オッドルーン・ヘレナト率いる七十名のシェラルブク女子部隊は、一旦シェラルブク族の居住地に戻り、七月のホスワード志願兵の調練開始時に女性志願兵の指導する為に、帝都ウェザールに赴く予定に為っている。

 帰還の公路(ルート)はドンロ大河を東へ出て外洋にて、ホスワードで最も北東部のイオカステ州に着き、其処より北西にあるシェラルブク族の居住地へ騎乗にて目指す。

 レナは女子部隊の副指揮官ともいうべきオッドルーンと軽い抱擁をして、七月の帝都の西にある調練場での再会を約束して、彼女たちの船旅の出発を見送った。


 こうして次々に各部隊が中央に戻っていく。六月に為るとカイとヴェルフの直属の部隊が決まった。

 兵科は軽騎兵と為ったが、百名ずつである。残りの四百名は北方の防備に向けていた、三万の兵から選抜するらしい。

 この三万の軍は今年に入ってから、ホスワードの北方の城塞のオグローツ城の近辺に(ゲル)にて、エルキトの内戦がホスワードに降り懸からない様に、備えとして駐在していた兵だが、エルキトはテヌーラの一役人であるクルト・ミクルシュクに因り統一され、彼はエルキト内では可寒(カカン)と称し、対外的にはテヌーラ帝国を宗主国とするエルキト藩王を名乗っている。

 ラースが言っていた「変事」が起こるのは、このエルキト藩王国に対しての可能性が一番高い。

 テヌーラが先の敗戦の復仇をミクルシュクに要請する可能性は十分にあり、またバリス帝国はテヌーラ帝国と同盟した関係から、このエルキト藩王国の存在を認め、現在同盟の詳細を詰めた協議中と云う情報が帝都ウェザールには入ってきている。

 次なる戦が起こる可能性が高いのは、ガリン・ウブチュブクとアレン・ヌヴェルが六年前に奮戦したバリス・エルキトの同盟軍相手かも知れない。

 其の為、この北方に派遣してある兵も一旦中央に戻し、再編成して、残りのカイとヴェルフの四百名の軽騎兵が決まる。


 六月の最終週に入った。カイとヴェルフが率いる百名ずつの軽騎兵と、レナが率いる三十名の女性軽騎兵の帝都ウェザールへの帰還となった。ラースやヌヴェルに挨拶をしたのは勿論だが、本年度中に退役予定のヤリ・ナポヘク将軍には、三人とも多くの時間を割き、別れの挨拶をした。カイにとっては自身の案の「大海の騎兵隊」の為の特殊大型船を造り、訓練と改良を重ねてくれた恩人だ。カイは問う。

「処でナポヘク将軍の御出身は?」

「うむ。海の見える所でな。パールリ州だよ」

 パールリ州は帝都ウェザールから其のまま東へ行った所で、ボーンゼン河の河口があり、東側は全て海に面した州である。

「パールリ州はよく子供の頃に遊びに行きました。若し休暇が取れれば、お会い出来るかもしれませんね」

「そう云えば私の荘園の近くには、ブローメルト家の荘園があるな。会うのは容易いぞ」

 ナポヘクはレナに返答した。貴族はブローメルト家やナポヘク家の様にホスワード帝国内に荘園を持っている。

 当然大貴族とも為れば、一万人前後の民を抱える規模の荘園だが、ブローメルト家はパールリ州の海に面した、風光明媚な数百人が住む小村を荘園として所有していて、夏場は此処で休暇を過ごすのがブローメルト家の慣例だった。

 貴族ではないがガリンはカリーフ村で、小規模ながら馬牧場が設置できる程の土地を与えられている。此れも一種の荘園ともいえ、実際ヌヴェルの様な小貴族はウブチュブク家程度の土地しか荘園として所有していない。

 荘園の特権の一つとして、其処に住む住民の租税の半分は荘園主の物と為る。実はカイは最近になって知ったのだが、カリーフ村のウブチュブク家を戸籍とする者は、租税を半分しかムヒル州に納めていない。これは家族の面倒を見てくれているモルティ夫妻もだ。残りの半分はウブチュブク家の資産と為る事が認められている。

 現在のウブチュブク家の資産の管理主は母親のマイエである。マイエの資産運用は完全に子供達用で、子供達が独立して一家を成す時に、援助する為に貯蓄をしている様だ。

 父ガリンが恩賞を受けたら、其の大半を部下たちに公平に分け与えていた理由の一つはこれだったのか、とカイは得心いった。

 故にカイも自分が受けた恩賞の殆どを、部下たちに公平に分け与えている。

 そしてこの日、カイとヴェルフとレナは部下たちを率いて、帝都ウェザールへと帰還していった。



 六月の終わり頃に三人は帝都に着き、其のまま部下たちに一カ月の休暇を与えた。ボーボルム城で現地解散でも好かったのだが、全員が帝都ウェザールから家路に着くのが近いか、単に帰る処が無く、練兵場の兵舎に其のまま居住する者もいる。なので共に遣って来たと云う訳だ。レナの女性部隊三十名は、全員ウェザール州の北のエルマント州の出身である。

 部下たちを解散させると、カイとヴェルフはレナの士官の手続きの付添の為に帝都内に入り、兵部省へと向かった。

「手続きが終わったら、私は一旦家に戻るけど、カイとヴェルフさんは如何するの?ハイケさんと同じく宮殿に住む?部屋は沢山有るからアムリート兄様も許してくれると思うよ」

「レナ殿、とんでもない!あんな所に住むなんて。ガリン・ウブチュブクの部屋で寝るよりも落ち着かないぞ」

 ヴェルフは去年の休暇中にカイの実家に行ったが、現在使用されていないガリンの部屋を就寝用に勧められたが、其れは恐れ多くて丁重に断った事がある。


 レナの兵部省にての士官手続きが終わって、レナは帝都内のブローメルト邸へと戻ってしまった。彼女の家にはツアラと云う、彼女が妹の様に可愛がっている養女がいる。この娘と久しぶりに会って、色々話したり、遊びたいのだろう。

「さて、七月の初日まで、俺たちはニャセル亭で英気を養うとするか」

「あぁ、そう言うと思ったよ。俺たちは其の内ディリブラント殿に感謝状でも贈られるんじゃないか?」

 カイはヴェルフに呆れて言った。確かに二人はニャセル亭でかなりの散財をしている。

 徒歩にてニャセル亭に着く頃には、もう夕刻で暗くなり始めた。

 ヴェルフが顔を出すと、ニャセル亭で飲食をしている仕事を終えた帝都内の市井の商人や職人たちが歓声を上げる。

「おい、ヴェルフさん。久しぶりだな!」

「何でも、ドンロ大河ではテヌーラ相手に大活躍だったそうじゃないか!」

「さぁ、座った。先ずは一杯だ。そうしたらゆっくり話してくれよ」

 ヴェルフは座って差し出された麦酒を一気に飲み、顔馴染みの周囲の人々に笑顔で話し始めた。

 カイはニャセル亭の主人である、レムン・ディリブラントの父親に二部屋を六月の終わり迄の宿泊の手続きをしている。

「ほら、カイ!お前もこっちに来て話に加われ!」

 ヴェルフに言われたカイは其の輪の中に入った。


 ホスワード帝国歴百五十五年七月一日。帝都ウェザールの西方にある練兵場では、本年度の志願兵の調練が始まった。

 志願に応じた者たちは男性が千二百名を超え、女性は百名近くだ。

 女性の調練を担当するのは、レナとこの日の二日前に休暇を終え練兵場に騎行にて着いた、シェラルブクの女性たち七十名である。

 女性部隊は兵科が軽騎兵と決まっているので、幕舎の設置などの後方作業と同時に騎乗が教えられる。

 そして、男性は例年通りの輜重兵としての調練となる訳だが、近年にない規模の志願者の多さなので、調練の責任者ザンビエを初めとする指導員たちでは足りなく、輜重兵の経験がある士官や下士官などの現役の将校が、臨時の指導員として数十名居合わせていた。カイとヴェルフもそんな中に居る。

 更に練兵場では兵の再編の為に、メルティアナ城とボーボルム城から帰還した将兵で溢れかえっている。

 練兵場の広さは帝都ウェザールよりも一回り程広大だが、この日は其れを感じさせない程の人馬が密集していた。


 初日の調練が終わり、志願兵たちは風呂の準備をしている。其れを見ていたカイとヴェルフはつい三年前の事を思い出さずにはいられない。

「何だが、あの日々の事が昨日の事の様だし、遠い日々の様にも思えてくる」

「調練中に何人かとっ捕まえて、志願した理由を問い質したが、家が困窮しているから、と答えた奴は居なかったぞ」

「お前はそんな事をしていたのか。確かに其の事をお前は気にしていたな」

「さて、俺らも施設に戻って湯あみをして、飯にしようぜ」

 そうヴェルフが言い先に進む。二人は練兵場内の士官用の居住施設にこの日より住んでいる。一人部屋で部屋の作りはボーボルム城と同じく、(ベッド)と机と椅子のみの簡素な部屋だ。

 カイはヴェルフの後を追いながら、風呂の準備をしている何十人という志願兵を見ていた。

 そう謂えば、初日は自分もヴェルフも風呂の準備を任されたな、と思い出す。彼らが向かう施設は風呂も食事も衣服の洗濯も全て職員が遣ってくれる。

「昇進とは、自分を律する事を求められるのだ」

 此れは父ガリンの言葉で、カイが一番よく反芻する言葉である。

 七月一日の午後の五の刻(午後五時)を過ぎ。まだ空は一面に青く、日は高く、暫くは沈む気配は無い時刻である。但し日中の炎熱はほぼ無くなり、微かに吹く風は柔らかだ。


 カイもヴェルフも、毎日調練の指導の手伝いをしている訳では無い。週に多くて三日、少なくとも一日は士官に因る会合に出席して、帝都ウェザールの兵部省にもたらされる、対外的な情報についての共有をしなければ為らない。

 分かってきた事は以下と為る。

 先ずエルキト藩王国とバリス帝国の同盟だが、両国は直接境を接していない。丁度間にはホスワード帝国の影響下にある、シェラルブク族を初めとするエルキトの諸部族が割拠しているからだ。

 其の為エルキト藩王国はラスペチア王国に通使館を設置し、バリス帝国との交渉の窓口を作っている。

 また途方もなく時間がかかるが、一部の使節はエルキト藩王国から、外洋に出て宗主国のテヌーラ帝国に入り、更に其処からバリス帝国の首都ヒトリールに赴いている。

 だが(いず)れしてもエルキト・バリスの連合軍の結成の可能性は先ず無く、恐らく同期日に依る各自のホスワードへの侵攻と為る。これがホスワードの情報将校たちの見立てであった。

「つまり軍を二手に分けて迎撃に出るのか。俺とヴェルフの部隊は軽騎兵だから、エルキト藩王国との戦いに駆り出されそうだな。恐らくレナの女子部隊もそうだろう」

 カイは心中でエルキト相手の平原での騎兵戦に臨む事に軽い緊張感を覚えた。

 先のエルキトとの戦いでは伏兵として歩兵だったが、今度は正面から騎兵にて挑む。勿論エルキト藩王国はバタルが健在だった時よりも勢力が小さい。だが成年男子は元より、女性さえ戦士として、それも全軍騎兵と為るエルキトはやはり強力な相手である。

 しかし、そういった剽悍なエルキトの諸部族を従えているテヌーラの役人とは何者だろう?とカイは疑問に思わずにいられない。


 七月の最終日。カイとヴェルフの残りの部下の四百名の人員も決まり、カイとヴェルフはこの日も調練の指導の補助を離れ、部下たち全員との顔合わせをしている。

 人馬共に武装は最小限で、ホスワードの緑の軍装の上に皮の胸甲、頭にはやはり皮の帽子だが、この帽子は側部と後部が長くあるので、首回りを保護している。そして、この帽子の額周りには鉄の鉢金が巻き付けられている。他に鉄具は手袋の上に手首を守る様に籠手を付け、長靴(ブーツ)の上に脛周りを守る様に脛当てを付ける。

 カイとヴェルフは「上級中隊指揮官」である事を表す為に、緑の肩掛け(ケープ)を上半身に羽織っている。其の背中には、鮮やかな銀色の三本足の鷹が刺繍されている。因みに高級士官だと鷹は金、将だと金と銀で刺繍されている。

 主武器は当然弓で、そして腰には皆剣を佩いている。但しカイとヴェルフは別に長大な武器を用意していた。これ等は事前に自費で武具の職人に造らせた物である。

 カイの武器は先のテヌーラとの戦いでも使用した、先端部分に斧が付いた鉄製の長槍だ。槍の長さは二尺(二メートル)を越え、重量は先に斧が付いているため八斤(八キログラム)を越える。

 ヴェルフの武器も同じく二尺を越える鉄製の長槍だが、先端部分は突起が幾つも付いた鎚に為っている。此れも重量は八斤を越える。

 また、カイとヴェルフは特別に武具の職人に頼み、皮の胸甲の背中部分に、自分たちのこの長槍を斜めに納める事が出来る留め具を造って貰った。

 既に各部下達の五百名は、カイとヴェルフの戦場での名声を知っている。其の上で背中にこの様な長大な武器を背負った巨躯の男たちを見ると、其れだけで圧倒される。

 言葉など必要なく、只其の立ち姿だけで部下たちは、この両指揮官に完全に敬服してしまった様だ。



 八月に入ると、カイとヴェルフは部下たちの調練と、志願兵の調練の指導の手伝いを、半々に行う事にした。

 効率を考え週を変えて、カイとヴェルフは代わる代わる担当を変えた。其の為に部下たちの調練は千名を受け持つ事に為る。

 八月も終わりに近づく頃、カイとヴェルフとレナの休暇の一カ月の期間が迫って来た。

 だが、今はバリス帝国とエルキト藩王国の出方を見ている状態で、休暇どころでは無い。

 ヴェルフが提案した。

「カイは一旦カリーフ村へ戻れ、若し何か有ったら俺が部下に早馬を奔らせる。レナ殿もツアラと暫くパールリ州の荘園で過ごした方が良い」

「じゃあ、ヴェルフさんは如何するの?」

「俺は此処に残る。厳密には帝都内のニャセル亭だがな」

「お前はトラムに帰らなくても好いのか。おじさんたちが心配だろう?」

「手紙はちゃんと毎月書いて送っている。好いからお前たちは故郷に一旦戻れ」

 カイとレナは顔を見合わせて、暫し黙っていた。

「若し何か有ったら早馬を二手に使うのは無駄だから、私はツアラを連れて、カイとカリーフ村で休暇を過ごすと云うのは如何?」

「おぉ、其れは好いな!よし決まった。カイはレナ殿とツアラを連れて、一カ月のカリーフ村の休暇だ!」

「おい、勝手に決めるな」

 こうしてヴェルフの強引さで、カイはレナとツアラを連れて、故郷への一カ月の休暇へと赴く事に為った。

「あの野郎。ニャセル亭を拠点に一カ月間遊びたいからって、こんな事を決めやがったな」

 カイは小声でブツブツ文句を言っていたが、レナはカイの故郷を見たい一心で楽しそうだった。

「何もない山の麓の田舎の村だぞ」

「ふふ。貴方の家族たちを一度見たかったの!貴方は私の家族を全員見知っているでしょう。私はハイケさんしか知らないし」


 こうして八月の最終日にカイとレナとツアラは、カリーフ村のウブチュブク家を目指して騎乗にて出発した。

 カイは武具を解き、軍装のみだが緑の肩掛け(ケープ)は上半身に羽織っている。また頭には緑の縁無し帽子を被り、この帽子には士官を表す銀色の装飾が施され、鷹の羽が三本刺さっている。三本は上級士官を表す。武器は腰に佩いた剣のみだ。

 学校が休みのツアラは、レナの馬の前に乗っている。

 ツアラはこの年で十一歳になる。学校での成績はかなり優秀らしく、カイとしては同じ年頃の妹弟のセツカとグライのいい刺激になると思った。学校は九月の第三週から始まるが、特別に帝都への帰還日まで、ツアラをカリーフ村の学校に通わせる予定である。

 レナは女子部隊の其のままの姿をしている。女子部隊はカイたちの様な最小限の防具すら身に付けない。徹底して速度と機動力を優先した部隊だ。武器は弓と腰に佩いた剣となる。

 レナことマグタレーナ・ブローメルトはこの年で二十二歳になる。その軍装は白を基調としていて、所々緑が配されている。左胸には、金で刺繍された三本足の鷹がある薄緑色の胴着(ベスト)を身に付けている。カイたちの緑の上衣は、左胸に銀でこの意匠が刺繍されている。そして、白の肩掛け(ケープ)を上半身に羽織っていて、この背中には、鮮やかな銀で縁取りされた緑の三本足の鷹が刺繍されている。

 薄緑の縁無し帽子には、士官を表す銀色の装飾が施され、鷹の羽が一本刺さっている。帽子からはやや短くした金褐色の髪が覗いている。白皙の肌の顔の造りは相当に美麗なのだが、当の本人は自身の美しさを化粧で、更に美しくしようとする努力に関心が無い為、折角の美貌な顔の造りに対して、勿体無いと思う同性や異性は多いかも知れない。

 特に手入れもしてないのに、綺麗に細く流れる様な眉毛の下にある、青灰色の瞳はカイの実家へ向かう好奇心で輝いていた。

 背は百と七十寸(百七十センチメートル)を少し超え、手足がすらりと長い。顔が小さいので、其れ以上に背が高く見える。


 騎行はツアラを連れている事もあって極力減らし、かなりの金銭は掛かるが、馬も乗せる事が出来る船にて、運河や河川を伝い、ムヒル市にカイたちが到着したのは、九月二日の昼前だった。ムヒル市の歓楽街で昼食を取り、其処からカリーフ村目指して、ゆっくり騎行して行った。レナもツアラも周囲の風景を堪能する。幸運だったのはこの間ずっと晴天続きで、吹く風は爽やかだった事だ。

 カイは手紙で帰郷の件を実家に知らせているが、其の内容は素っ気ない物で、「若し帝都より、急報が入れば、即座に帰還する。昨年のヴェルフ・ヘルキオスとは違う僚友と、其の者が妹の様に可愛がっている少女の二人を連れて戻る」、としか知らせていなかった。

 カリーフ村の門前でカイは馬を降り、中に入って行き、目につく人達に挨拶をするが、村人たちの視線は上級士官の姿をしたカイではなく、其の後ろをやはり馬を曳き少女を連れた、軍装をしたうら若き女性に注がれる。

 レナもカイに倣って挨拶をしているが、彼女が目を奪われているのは、周囲の絶景の大自然だ。

 カイたちが通り過ぎると、カリーフ村の人達は集まり、話さずにはいられない。

「何だ、あの美しい女性は。カイの嫁か?」

「もう子供もいるのか?」

「馬鹿、計算が合わんだろう!あの子供はきっとカイの嫁の妹だ」

「しかし、騎乗して来たが、動き易い服で無く、あれは軍装だよな。あの女性は軍の関係者か?噂では本朝(わがくに)では、女子軍なるものが創設されたらしいが」


 ウブチュブク家に入る前にカイとレナは厩舎に馬を繋ぐ。

「うわぁ、すごい!素敵な牧場じゃない」

 レナはウブチュブク家の馬牧場に感心する。

「何時でも此処は見れるぞ。早く家に入ろう」

 カイは母屋の玄関で大声で帰郷を告げた。時刻は午後の四の刻(午後四時)近くである。

 出てきたのは母のマイエだったが、息子よりも隣の女性に目を奪われ、固まってしまう。

「カイ、此の方は…?」

「手紙で書いた僚友だ。名は…」

 と、カイが言おうとすると、レナは帽子を取り、はきはきした口調で挨拶をした。

「マグタレーナ・ブローメルトと申します。カイ・ウブチュブク指揮官には大変お世話に為っている者です。この度は一カ月程、御厄介になります。また此方は我がブローメルト家で被保護をしているツアラと言います。彼女共々宜しくお願い致します」

「はい、ブローメルトさん、ですね…」

 マイエは其の姓に聞き覚えがあった。曾て夫のガリンが良く賞賛していた将軍たちの姓に有った気がする。

 家の中に入った三人だが、家族は皆恐る恐る出てきた。

 シュキンとシュシンは軍装をした女性に驚く。

「貴方たちがカイの双子の弟たちね。区別がつかない程そっくり」

「取り敢えず、居間で皆集まって挨拶をしよう」

 カイの提案で一家は居間に集まった。


 集まったのは母親のマイエ、モルティ夫妻、シュキンとシュシン、セツカ、そしてグライだった。

 直ぐ下の妹のメイユは、夫のタナスと娘のソルクタニ共に、タナスの実家であるカリーフ村村長のレーマック家に居るそうだ。

 母は「呼んで来ようか?」、と言ったが、カイは「明日で構わない」、とだけ言った。

 タナスは既にムヒル市の役人を辞め、メイユと共にハムチュース村で学院の教師をしている。

 ハムチュース村には幼子を預かる施設もあり、メイユは娘を此処に預けてから、学院に向かっているそうだ。

 現在は学校も学院も夏休みなので、タナス一家はカリーフ村で休暇を過ごしているのだ。

 改めて、レナとツアラはウブチュブク一家に挨拶をした。セツカは自分と同じ年頃のツアラを見て、「ねぇ、一緒に遊ぼう!」、と言って、其のまま自分の部屋へツアラを連れて行く。

 セツカはこの年でツアラより一つ上の十二歳だ。二人の少女の背丈は大体同じで百と四十寸(百四十センチメートル)を越える位である。

 カイとレナの視線は末弟のグライに注がれる。

「で、この子が一番下なの?」

「そう為るのだが、如何してかな?俺でさえ此奴(こいつ)の年頃はこんなじゃなかったぞ」

 この年九歳になるグライの背丈は、百と六十五寸(百六十五センチメートル)近くあり、肥満体では無いにしろかなり恰幅がいい。一応家の仕事や武芸の訓練も行っている様で、弛緩した感じはしない。

「ひょっとして、この子がウブチュブク家の兄弟で一番大きくなるんじゃない?」

 そうレナは言ったが、この予言は当たる。グライは此れから十年以上かけて、背丈が二尺と十寸(二メートル十センチ)を越え、体重は百五十斤(百五十キログラム)以上の巨人と為り、カイとは別の意味で恐るべき戦士へと成長する。

 だが、現在は幼い顔をした十二・三歳くらいの少年と云った感じだ。


第十五章 新たな準備 了

 グライ君は私の中では「わんぱく相撲」をやっているイメージなのです。

 実際にこんな子供がいたら、中学卒業でスカウトされそうですね。

 ちなみにこの物語自体は十年後まではやりません。

 ですので、グライ君の活躍を書くとしたら、番外編となるでしょう。



【読んで下さった方へ】

・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。

・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。

・誤字脱字や表現のおかしなところの指摘も歓迎です。

・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
■これらは発表済みの作品のリンクになります。お時間がありましたら、よろしくお願いいたします!

【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ