第十三章 大海の騎兵隊 前編
サブタイトルは大いに迷いましたが、こんな感じにしました。
当然次は後編です。
それでは第十三章、よろしくです。
第十三章 大海の騎兵隊 前編
1
ホスワード帝国のメルティアナ州にあるスーア市は、人口が約一万で、位置は州の一番の北西に位置している。西へ一刻(一時間)程歩くと、バリス帝国との国境になっているボーンゼン河が南から北へ流れている。
帝国歴百五十五年の一月の半ば頃、カイ・ウブチュブクとマグタレーナ・ブローメルトはこの地で、孤児院の調査をしていた。厳密には此処の孤児院がヴァトラックス教という、ホスワード朝或いは其の前王朝のプラーキーナ朝でしばしば現れた教団の根拠地の一つではないか、という調査だった。
カイと、マグタレーナことレナはとある宿へ向かった。宿泊が目的だが、其の宿は当の孤児院が十年程前に閉鎖された後、改築されて出来た施設である。
二人は其処の調査と宿泊を終えたら、本来の任地である、南のボーボルム城塞へ赴くことにした。
カイ・ウブチュブクはこの年で二十三歳になる。この若さでホスワード帝国軍の正規の士官なだけでも驚きだが、其の体躯も人並み外れていた。
背は二尺(二メートル)を軽く越えていて、緑色の軍装の上に更に緑の外套を羽織っていても、よく分かる肩幅の広さ。手足が長く太く、腰の引き締まった骨太の屈強な体格をしている。だが緑の帽子の下の顔は整った優しげな造りで、特に大きな目に光る明るい茶色の瞳は、季節を問わず常夏のように輝いている。この帽子には士官であることを表す銀の飾りと、鷹の羽が付いている。だが黒褐色の頭髪は常に短く刈っている為か、あまり帽子を被っても頭の寒さは防げない。
マグタレーナ・ブローメルトはこの年で二十二歳になる。彼女は去年正式に創設を認められた女性だけの部隊の女子軍の隊長をしている。
其の軍装は白を基調としていて所々緑が配されている。白の外套の為、ほぼ隠れているが左胸に金で刺繍された三本足の鷹がある薄緑色の胴着が特徴だ。カイたちの左胸には銀でこの意匠が刺繍されている。
薄緑の帽子の下はやや短くした金褐色の髪をしていて、其の顔はまず、というよりかなり美しいと云って好いのだが、当の本人は自身の美しさを化粧で、更に美しくしようとする努力に関心がない為、折角の美貌な顔の造りに対して、勿体無いと思う同性や異性は多いかも知れない。
特に手入れもしていないのに、綺麗に細く流れるような眉毛の下にある大きな目の瞳は、宝石を思わせる青灰色をしている。手袋と帯と長靴は両者とも同じ褐色のものを身に付けている。
二人は雪中を荷物を載せた馬を曳いて歩く。レナはカイより三十寸(三十センチメートル)以上も背が低いが、平均的な女性としては背の高い方である。そして手足が長く、すらりとした体型は軽やかさとしなやかさを持っているのが分かる。
そして目的地である、孤児院を改装した宿に二人は到着した。時刻は午後の四の刻(午後四時)である。
元孤児院という事で、立地としては市の中心から離れているが、広さは其れなりに在り、二部屋が取れた。カイはこの宿屋の主人と話がしたい、と要請した。士官の身分をこの様な形で使うのはあまり気が進まないが、確認したい事が在ったからだ。
カイは主人にこの宿屋で働いている三十歳前後で、此処が孤児院だった頃に在院していた従業員が居ないかを尋ねた。
ある一人の男性が当て嵌まると云うので、紹介して貰った。
カイは単刀直入に言った。
「貴方が此処に居た頃、パルヒーズ・ハートラウプという者は居ましたか?」
「えぇ、居ましたね。よく劇では目立ってました」
やはり此処にパルヒーズは居たようだ!それにしても劇とは何だろう?
「劇と云うのは年に一度、支援してくださった市民の皆様にお礼として、やっていたんですよ。衣装の製作や舞台の製造など、手に職を身に付けるのも兼ねてですね」
「彼は何時ごろ卒院して、どの様な職に就いたか、御存じですか?」
「さぁ、十六・七歳位で、この地を離れましたね。正式な職の斡旋を受けずに院を飛び出してしまったので、旅芸人をやりたいとか言っていましたね」
「市庁舎で在籍していた院生や職員の名簿を見たのですが、彼の名は有りませんでした。此れについて何か分かる事は有りますか?」
「其れは…、ちょっと分からないですね。六十年以上の歴史があるので、ずっと記録していたのが同一人物ではないでしょうし、私の名だって其の名簿にきちんと記録されているかと問われれば、分からないとしか言えません」
「如何する、カイ?また市庁舎でフーダッヒ市長に質問する?」
フーダッヒとはこのスーア市の市長で、彼は十年前に閉鎖された時の孤児院の市側の担当者であった。
「いや、これ以上の手数は市長に掛けたくない。取り敢えずパルヒーズが此処の孤児院の出身だったと云う事は分かった。後は彼を直に話せる機会を得るしかない」
二人はこの宿で泊まり、翌日メルティアナ城を目指して出発した。
メルティアナ城からはの移動は船を使用し、運河や河川を伝い、ドンロ大河へ出て、東へ向かい、二人の赴任地であるボーボルム城へ行く。
カイとレナがメルティアナ城へ到着した頃、既にメルティアナ駐屯軍のウラド・ガルガミシュ将軍は兵一万で以て、バリス帝国への侵攻へと出ていた。
この侵攻の目的はバリス帝国とテヌーラ帝国の和約に関してである。其の内容には「第三国に侵攻された場合、もう一方は其の第三国に対して経済封鎖や軍事的示威行為をする」、という付随条約がある為、テヌーラ帝国が実際にホスワード帝国に、どの様な類の妨害行為をするのかの確認の為の侵攻であった。
故に、ホスワード帝国は前年より、南のボーボルム城塞を増改築して、水軍の充実を図っていた。
テヌーラとの戦となれば、ボーボルム城塞の南を流れるドンロ大河が主戦場となるからだ。
二人がボーボルム城付近へ到着したのは、一月の終わり頃である。
以前にカイはこの城で勤務をしていたが、規模が拡充して、船上から見ても全体的に活気が有るのが分かる。
当時この城に駐在していた時は、千人にも満たなかったが、一万人近くが居るだろう。其の内の数千人は城塞と港湾施設の拡充や、軍船の整備・製造などに当たっている。
訓練中と思われる、輸送船を改造した大型の船が二艘、ドンロ大河を航行していたが、其の造りにカイは驚いた。
船頭の船底には鋭く長い金属製の触角が付いている。
其れより目を引くのは、船首が極端に大きく、正面が開いた箱状となっており、幅二尺半(二メートル五十センチ)、長さが十尺程突き出ていて、両側の縁は一尺程ある。底の厚みもあり、各所が鉄で補強されていた。
更に此れは固定されたものでなく、この箱状の船首を上下動出来る様に、突き出た部分の最後尾の両側に、回転式の桿が付いている。
この二艘の船の大きさは、輸送船を改造した物なので、馬が五十頭は収納出来る大きさだ。
横帆と縦帆が組み合わさった大型船だが、船底近くに両側から各三十の櫂が出ていて、更に其の船底の船尾には櫂舵も備えられている。
一艘の船の甲板上に、明らかに見間違いの無い大男が指示していたので、カイは船の舳先へ身を乗り出し大声を出す。其の船と、カイの乗っている船とは約三十尺(三十メートル)ほど離れている。
「ヴェルフ、其れが騎兵突撃用の船か!」
「帰って来たか!後で嫌と言う程、説明してやるから、早く城塞へ戻って、着任の手続きをして於け!」
カイとレナを乗せた船はボーボルム城の港湾施設に入っていった。
2
ボーボルム城塞の司令官はヤリ・ナポヘクと云う、この年に七十歳になる将である。彼は若き頃より、水軍を率いる事が多かったので、将軍と云うより、提督と云うべきだろう。
但し、何十年も前に南のテヌーラ帝国とは修好を結んだ為、彼がこの地で行っている事は、ごく稀に出る水上での盗賊等の取り締まり位である。
其れがここ突然にして騒がしくなった。自身の長い軍歴の総仕上げが来たようだ。丁度後任と思われるラース・ブローメルトなる、若い高級士官が事実上の副司令官に就いている。
一月の後半に入ってから、毎日の様に小型の駆逐船が十艘以上は周囲を見回っていた。
駆逐船は左右に五人の漕ぎ手。そして、指揮官は縦帆と船尾の櫂舵の操作をする。主な役目はこの様に見回りだが、戦闘時には小回りが利くので、敵船の脇に体当たりして、指揮官以下十一人が敵船の制圧をする。特に矢が一度に何本と撃てたり、人の頭大の石を発射させる事が出来る投石機能が付いた特殊な小型船の制圧が主任務だ。
ボーボルム城でのカイとレナの着任の手続きをしたのは、レナの兄であるラースであった。
ラース・ブローメルトはこの年に二十七歳になる。背丈が百と九十寸(百九十センチ)近くの偉丈夫で、薄茶色の髪は額から綺麗に後ろに撫でつけられていて、首筋の辺りで、編まれて二十寸(二十センチ)ほど垂れ下がっているが、両側頭部は綺麗に剃り上げられている。灰褐色の瞳はやや蒼みを帯びている。
ラースは妹とカイに明日よりヴェルフの調練を受ける様に言った。
「ヴェルフ・ヘルキオスが二艘の特殊な大型船の操作の責任者となっている。一艘につき五十名の騎兵隊が乗り込んでいる。合計百名と為る訳だが、この騎兵隊は基本女子部隊としている」
「其れはシェラルブクの方々も乗っていると云う事ですか?」
ホスワードの女性部隊はレナを隊長として合計百名だが、其の内七十名がシェラルブク族の女性で構成されている。騎乗に関しては問題ないが、北方の遊牧民である彼女たちは、さて水上の活動が上手くいくのか如何か。いや、抑々水上にて騎兵突撃という事からして、誰もが初体験だ。
この奇妙とも云える事をカイは以前より、馬を軽やかに扱える身軽な者たち、つまり女性たちにやらせる、という事をずっと腹案として持っていた。其れがまさか現実の物として進行しているのに、我ながら驚いている。
いや、驚いているだけでは、無責任だ。これを運用出来る様に自身も調練に参加して、問題点が有れば改善して、精度を高めるのが発案者である自身の責務であろう。
「じゃあ、ラース兄様、いえ、ブローメルト指揮官。ウブチュブク指揮官と早速ヘルキオス指揮官の下へ指導を受けに行きます」
「おい、今、着いたばかりでもう行くのか」
ラースは呆れて妹に言う。
「だって、私一人だけ後れを取っているじゃない。隊長として遅れを取り戻さないと。行こう、カイ!」
そう言ってレナはカイを連れ、ヴェルフが率いていた二艘の特殊船の見学に行ってしまった。
ヴェルフが率いていた二艘の特殊船も港湾施設に戻っている。
特殊船からは馬を引き連れた軽装の女性たちが下り来ていた。埠頭は高いので、横付けした船から桟橋を掛けても左程の傾斜は無い。先ず降りて来たのは一艘につき五十の人馬だ。其の後に約百名以上の乗組員も降りて来た。
つまり一艘につき、百五十名と五十頭の馬が乗り込んでいる事に為る。元々輸送船として大型で物資が保存できる空間が広く取ってあるとは云え、壮観である。
「ヴェルフ、今日の調練は終わりか」
「そうだ。折角だから内部を見ていくか」
二人は全員が下船し終わった一艘にヴェルフの案内で乗り込んだ。
ヴェルフ・ヘルキオスはこの年に二十六歳になる。日に焼けた筋骨隆々の大男で、其の背丈はカイより指を横に三本ほど並べただけ低いだけである。やや縮れた短い黒髪と、鋭い黒褐色の目つきをしている為、一見その巨躯と相まって恐ろしげに見えるが、普段は愛嬌があり、特に部下などの士卒には話の分かる上官との評判が高い。最も当の本人は女子部隊の指導に異様に熱心な様だが。
甲板上からは先程見えた正面が開いた箱状の船首がある。桿で上下動が出来る様に為っているのは分かっていたが、厚みのある板が下に敷いてあり、その板には下に小型の滑車が付いているため、更に前に伸ばすことが出来る。
箱状の部分で十尺、此の下に敷いてある五尺を伸ばし固定すると、長さ十五尺、幅二尺半の甲板から其のまま通れる桟橋が出来上がる。
甲板下は二層になっていて、直ぐ下の一層目に五十頭の馬が収容でき、内部の坂を上って甲板の中央辺りのやや後部から出られる。其の為に甲板上は前に二本の横帆の帆柱と、後部の楼閣上にある縦帆の帆柱位しかない。二層目である船底部分は櫂の漕ぎ手と、最後尾にある櫂舵を操る者たちが入る。
ヴェルフに因って二人は船内の各所を案内され、甲板上の後部に付いている楼閣の船室に三人は入った。五十人程は密着せずに入れる広さだが、入り口は百と八十寸(百八十センチメートル)の為、カイとヴェルフはかなり体を屈めないと入れず、室内の高さも二尺と十寸(二百十センチメートル)なので、カイは少し背伸びをすると頭が天井に届く。またこの船室の上にある縦帆用の帆柱が、部屋のほぼ中央を貫いている。
それなりの大きな机と椅子が幾つか在るので、三人は座って、今度はヴェルフがカイとレナの状況を聞きだした。
「成程な。あのパルヒーズの奴は何を考えているか分からんが、一つだけ言える事はあるな」
「何だ、言える事とは?」
「孤児院だよ。俺も幼い時に母親を病で亡くし、親父は事故で死んだ。考えてみれば、平和な世でも、家族を突然失う事は普通だろう。そしてヴァトラックス教は身内に不幸をもたらすのが悪神の仕業だと謂うのだから、其処で働いていた職員や孤児たちに教えを吹き込み易いんじゃないのか?」
ヴァトラックス教は人が生きていく上で、様々な苦しみは「悪神ダランヴァンティス」に因るのだと説く。其の為「悪神」を崇拝し、少しでも自己に降り懸かる苦しみを取り除こうと願う。
逆に言えば、「悪神」を蔑にして、「善神ソロー」の教えに従わぬ者には、「悪神」による呪いがより強く顕現すると謂う。
特に身内の死など、とても強い苦しみを受けた物には「悪神の呪いが罹っているからだ」、と吹き込んで、プラーキーナ朝の末期の争乱期に、この教団は信徒を得ていた。
曾てカイたちがボーボルム城付近で、メルティアナに拠点を築こうとした信徒たちを捕えた事があったが、彼らは先祖代々から其の教えを密かに信仰し、或る時に現れた他の地の教徒に因って、メルティアナ城内に拠点を造るように、と指示されたそうだ。
其れを聞いたレナは思う。ホスワード帝国第四代皇帝で、熱心なヴァトラックス教徒だったマゴメート帝を退位させ、登極したフラート帝は父帝の周囲に居たヴァトラックス教団員を処刑したが、その首魁の最期の言葉として、次の様な事が伝わっている。
「お前のこれから生まれてくる一族を、全て呪ってやる。誰一人して健康で生きられず、病で苦しむよう呪いをかけてくれる!」
現実にフラート帝の子孫たちは悪神の呪いなのか、若死にする者が多く、男子で健在なのは、現皇帝のアムリートと七代皇帝の息子オリュンだけだ。六代皇帝の息子のユミシスは生まれつき病弱で、今も宮殿の一室で看病を受けている状態である。
ヴァトラックス教を国教としている、バリス帝国の北西にあるラスペチア王国では千年前の建国期から、百年以上は交易よりも周辺地域への布教に熱心だったそうだ。其れがホスワードの地にヴァトラックス教が根付いた契機なのだが、当のラスペチア王国は次第に布教よりも、交易の方に熱心になり、何時しか教えは大切にしているが、信仰形態はかなり俗化し、周囲の異教徒である人々に自分たちの信仰を押し付ける事はしなくなっていった。
先鋭化した集団がホスワードの地に居るというのは、何とも皮相であろう。
3
二月に入り、哨戒に出ている船がボーボルム城に戻り、南から数十艘のテヌーラの軍船らしきものが、北上して来たと報告した。
早速ラースを総指揮官とする、軍船が同じく数十艘の船団で其の地点へ赴く。
旗艦としてラースが乗った船は大型の攻撃船で、三本の帆柱があり、前の二つには横帆、後ろの楼閣の上には縦帆が付いている。船頭部分にも楼閣はあり、この船首の楼閣と一層目には、各部分に穴が開き、そこから矢や石を発射できる射撃用の装置が備え付けられている。二層目は左右に三十ずつの櫂が出ていて、最後尾は櫂舵がある。
大きさと基本的な造りはあの輸送船と同じだ。船頭と一層目に攻撃用の機能が付いた物と云って好い。そして所々鉄で補強されている。
其の他は大小の駆逐船で、指揮官を合わせて十一人乗りと二十一人乗りがある。二十一人乗りは当然大きく、帆柱に付いた三角の縦帆も大きい櫂船だ。
旗艦と大型の駆逐船が十艘、小型の駆逐船が二十艘、合わせて三十一艘が現場へ向かった。
カイとヴェルフは大型の駆逐船の指揮官として、レナはシェラルブクの女性十名を選んで、兄ラースの宛ら臨時の副官として、旗艦に乗り込んだ。
緑の帆とやや濃い蒼の帆をした軍船が睨み合う。どちらも三十艘前後で、場所はボーボルム城塞からドンロ大河を南東へ四百尺(四百メートル)程の処である。
ラースは部下の一人からテヌーラの言葉に堪能な者を介して、彼らに問い質した。
「何故、貴国は軍船をこの様な地域まで、北上させている?」
相手の総指揮官と思わしき者が、やはり大型の軍船にて叫ぶ。
「現在、貴国はバリス帝国に侵攻をしている。前年に本朝とバリスとの和約内容を貴国に知らせた筈だ。バリスへの侵攻を止めなければ、我々としては条約に基づき貴国への攻撃をしなければ為らない」
「では、此方がバリスから兵を退けば、貴官たちは退くというのだな」
「其の通りだ。これは警告だ。一週間あっても状況が変わらない場合は、問答無用で攻撃するものと思ってくれ」
そう言うと、テヌーラの軍船は船首を返して南へと去って行ってしまった。
ラース達は帰投して、即座にボーボルム城の大会議室でナポヘク将軍を議長、進行役をラースとした、士官以上の全員が揃った会議を始めた。レナは厳密には士官で無いが、ラースがナポヘクに特別に許可を取って「彼女は出席するのみ。発言はさせない」、と云う条件で参加させた。
其れと同時に帝都ウェザールと、バリスへ侵攻しているウラド・ガルガミシュ将軍の元へも早馬を出している。
「あのような恩知らずな輩は、鉄槌を下すべきだ。先年のカートハージの援軍の事を忘れていると見える」
そう言ったのはファイヘル・ホーゲルヴァイデで、彼に同調する若い士官が多数出た。ファイヘルも先程のテヌーラとの場に、大型の駆逐船にて居合わせていた。
約一年半前にホスワードはテヌーラのカートハージの全占領の為の援軍を出していた。カートハージはホスワードの一番の南西の州のレーク州の西に在り、長年其の北の箇所はバリス領だったのだが、この援軍に因ってカートハージ全州はテヌーラ領と為っている。
ファイヘルは其の援軍に参加していたのだ。無論、この場に居るカイもヴェルフもそうだが。
「今回のガルガミシュ将軍のバリス侵攻は、実際にテヌーラがどの様に出て来るかの確認だ。帝都より指示が有るまで、近辺にテヌーラの軍船が現れても、諸卿らには自重を願いたい」
ラースがそう言うと、「一週間あっても状況が変わらない場合」、というテヌーラ側の発言に気になった、カイが意見を求めた。
「若し一週間後にまたテヌーラの軍船があの辺りに居たら如何しますか?」
答えたのはファイヘルである。
「決まっている。殲滅だ。奴ら自ら攻撃すると、挑発したのだからな」
「だが、ウラド・ガルガミシュ将軍が兵を退いても、其の状況をバリスが故意にテヌーラに遅らせて伝える、という事はありえよう。そうなればバリスの思う壺だと小官には思われます」
「其れなら殲滅した後、遅らせて情報をもたらすバリスなど信用ならん、とテヌーラに伝えれば好いだけの事。奴らの約定も軋むだろうし、鉄槌を下せばテヌーラも本朝と修好を取るのが一番だと思うだろう」
「其れでは互いに逐次に報復の兵を出し合い、互いの消耗戦と為り兼ねない」
ラースは両手を叩いて、カイとファイヘルの言い合いを止めさせた。
「一週間後が如何であれ、帝都の指示を優先とする。先程も言ったが帝都からの正式な通達なく、独自行動は取らぬ様に」
そして、ラースは細かい指示を出して、最後にナポヘクに状況を纏めさせた。
「ラース卿の言う通り、今は自重を頼む。抑々まだ我が水軍はテヌーラの軍船と対等に戦える状態でない事を心して於く様に」
ラースは会議室からの退出時にレナとヴェルフ捕まえて、小声で言った。
「如何も若い士官たちが血気があるな。其れは好いが、閥を作って言い争う状態は頂けんな。陛下が俺を若い士官たちの中に居れた理由がよく分かったよ」
「あのホーゲルヴァイデという男は要注意な気がします。カイの事を殊更意識している感じがします」
そうレナは言った。曾て兵部省(国防省)でカイとレナが二人でいた時も、挑発的な言動をしていた。
「彼の父親は現在、兵部書の高官で一線は退いているが、有能な将だったそうだ。次の兵部尚書(国防大臣)を有力視されている。そして叔父はエドガイス・ワロン大将軍だったな」
つまり、ファイヘル・ホーゲルヴァイデは絵に描いたような門閥軍人貴族である。最も其れはラースとレナの兄妹にも云える事だが。
三人が何か話し込んでいるのを見て、カイが近づいて来た。
「ラース卿、先程は熱くなりました。止めて下さって有難うございます」
「うむ。自覚しているのなら咎めんよ」
こうして暫し、ボーボルム城は哨戒を主として、帝都からの指令を待つ事に為った。
一週間と経たない内に、帝都から既にウラド・ガルガミシュの兵は退かせた、との報が入り、当のウラドもメルティアナ城に帰還した事を報告する早馬をボーボルム城に奔らせた。
其れでもまだ付近にテヌーラの軍船があれば、如何するかと云う事になったが、帝都からの通達では一週間以内に発見した場合は、同じ様な警告を発し、其の後の発見では攻撃を許可した。
この通達を聞いた若い士官たちは興奮し、恩知らずのテヌーラに懲罰を与える事を期待する雰囲気に満ちた。
「陛下は何を考えておられる?最悪二国を同時に相手とする事に為るぞ」
ラースはこの様な時、アムリートの傍に居ないことをもどかしく思った。
4
ホスワード帝国の帝都ウェザールの宰相府で、皇帝アムリートは二月の初日に着任した新任の副官を連れ、宰相デヤン・イェーラルクリチフと対外方針を固めていた。現状分かっている事は以下になる。
一つ、北方のエルキトは内乱状態だが、ホスワードに従属した部族は内乱に加わらず、また彼らを守るため、十分な兵力を北方に駐屯させている。
一つ、バリスとテヌーラの条約は伝えられた通りで、どちらに手を出しても、もう一方が攻勢を掛けるので二正面作戦となる。
アムリートは北方に関しては問題がない為、バリスかテヌーラのどちらか一方に打撃を与える方向を望んだ。
「では、もう一方には如何致しますか?」
「調略を以て行いたい。其れはバリスだ」
「バリスに調略ですか。ランティス帝は決して無能ではないですし、何より彼の息子の皇太子のヘスディーテはかなりの要注意人物です」
「其のヘスディーテだ。やっている事が性急すぎる。余ならもう少し時間をかけてやる。今バリスは二十五万の兵を擁しているが、一万を率いるとなると、将が最低でも二十五人は必要だ。そして複数の将を更に指揮する上級の将が居るとすれば、現在バリスは将が少なくとも三十名は居るであろう」
「つまり其の中には下級貴族、ましてや平民出身の者が居ると」
「でなければ、不自然だ。この状態に不満を覚えているバリスの門閥軍人貴族は多いだろう。彼らの不満をうまく唆せ、内乱とまではいかずとも、暫く対外的な事が出来ない様に足元を崩したいと思っている」
新任の皇帝副官は軽い呼吸をして、皇帝に注進した。
「陛下、バリスの捕虜全員を無償で引き渡すと云うのは如何でしょう?彼らからすれば折角帰国したのに、其の地位が自身より下位の物に奪われている為、必ずや不満を出し、其れに同調するバリスの貴族も出ると思われます」
「成程、此方には害は無いな。やってみる価値はあろう。早速バリスの捕虜全てを無償で帰国させよ。此方からは人道に基づいてとか、何とか言って、全て送り返すのだ」
提言をした皇帝の新任の副官はハイケ・ウブチュブクと謂う。この年で二十歳という若さだ。大学寮という高級官僚を育成する機関を優秀な成績で終えた者たちを、吏部省(人事院)より五名程推薦され、アムリートは其の中から彼を抜擢したのだ。
やや細身ながら背が高く、しっかりとした体幹を持っているので、従軍にも十分堪え得ると云うのも抜擢の一つだったかもしれない。
そして彼はカイ・ウブチュブクの実弟で、あの無敵将軍ガリン・ウブチュブクの次男だが、其処を勘案してアムリートは採用した訳ではない。自身で彼の閲歴や経験や大学寮での成績を見て、総合的に判断したのだ。
ホスワード帝国とバリス帝国は度々戦を起こしている。当然双方に捕虜も出ている訳だが、身分の高い者は身代金を払えば帰国させているし、そうでない者は定期的な捕虜交換に因って互いに帰国させている。だが其れでも両国にはまだ少し捕虜は残っている。ホスワード内に於けるバリス軍関係者の捕虜は、ホスワード国内での内偵工作員を捕縛した者も含め三百名程いる。
彼らは帝都ウェザールから北東へ歩いて半日程に在る収容所に全て収容されている。待遇は厚遇とは言わないまでも、強制労働等の類は一切させていない。精々監視が強固なだけである。寧ろ近隣にあるホスワード人の野盗などの犯罪者の収容所の方が過酷とは云わないまでも、皆労役に就かせている。件のヴァトラックス教徒も此処に収容されている。
二月十三日の朝議に於いて、アムリートは刑部尚書(司法長官)にバリス軍の関係者全てを釈放して、帰国させる手続きをする様に勅命を出した。
また兵部尚書(国防大臣)のヨギフ・ガルガミシュには、彼らの護送用の精鋭五百名を選抜する様に命じた。
四日後、帝都ウェザールから五百名の兵に連れられ、バリス軍の三百名程は、バリスの国境へと進発した。ホスワード兵たちは武装しているが、手に持つ何十本という旗は中央に三本足の鷹が配された物だが、白地で鷹が緑である。
白地の旗は交渉用の旗である。
一週間とせず、メルティアナ州の中部の西端を抜け、バリス領へ入った。この公路はしばしばウラド・ガルガミシュがバリスを侵犯していた時に使用していたものだ。
やがて大きな市が見えたので、一団の代表はこの市の代表者たちに捕虜解放の目的を告げ、アムリートに因るバリス皇帝宛ての親書を手渡した。
バリスの担当者からは暫しの当市での逗留を告げられ、親書を持った早馬がバリスの首都ヒトリールに奔る。
数日の内にバリス帝国皇帝ランティスと其の息子であるヘスディーテに其の知らせと親書は届いた。
「ふむ。こういった手で来るとは思いませんでした。盲点を突かれました」
「盲点とは何だ?」
ヒトリールの皇宮の一室にて皇帝と皇太子は話し合っていた。
「先ず、このような事をされたら、我がバリスとしても虜囚としているホスワード兵を全員帰国させねばなりません。そうしなければ信義に劣る国と、ラスペチア等を初めとする西方の周辺国から嘲りや不信を受けましょう」
「では、早速此方もホスワードの虜囚の全員を帰国させるか」
「しなければ為りませんが、此れに因って先ず、テヌーラの疑惑を招きましょう」
「そう云えばテヌーラとの和約でも、本年度中に双方の捕虜を全員帰国させると云う条項があったな」
「そして、帰国した者どもの扱いです。彼らを其のまま前にいた地位に就ければ、曾ての部下が上司と為ると云う事が起こります」
「そうか、兵役と労役の一致で、身分に囚われず、功ある者は積極的に上位に抜擢していたからな」
「かと言って、帰国者を無条件に昇進をさせると為ると、今まで並行して労役をしていた将兵の不満が出ます」
「では如何する?」
「取り敢えず、一時金を与え、現制度における状況を理解して貰い、其の上で前にいた地位に復員する、と云う事しか出来ないでしょう」
「抑々現時点で貴族どもの反発は出ているぞ。今は連勝続き故、其れほど大きくは無いが、この復員人事で大事になる可能性がある」
「其の大事をホスワードは狙っているのです。アムリートに因るのか、彼の近しい者に因るのか、分かりませんが、確かな事は、此れに因って彼らはテヌーラの対策一本に絞りたいのでしょう」
ヘスディーテはこのホスワードに因る捕虜の帰還を、彼より八歳上のアムリートが主導となって行われた、と思っているが、実は彼より二歳下のハイケ・ウブチュブクの発案に因るものだとは知らない。
だが、ヘスディーテはホスワードに対して、父帝にさえ秘匿しているが、「ある集団」に接触をし、ホスワードとの全面対決の折には、この「ある集団」を十分に活用する様に密かに準備をしていた。
バリス帝国は表面上はランティス帝の名で、アムリート帝とホスワード帝国の信義に感謝する、と発表し、程無くして、バリスに囚われていた、ホスワードの捕虜の全員も即時帰国させた。
一方ホスワードはラスペチア王国の駐在武官である、レムン・ディリブラントを再びバリスの諜報員に戻している。バリスが帰国した捕虜たちを如何扱うか、其れにより現状の体制にどの様な影響を与えているかの調査を彼は主に任された。
そして、アムリートはバルカーン城のムラト・ラスウェイ将軍とメルティアナ城のウラド・ガルガミシュ将軍に、彼らが交互にバリスへ行っていた侵攻を停止させ、諜報活動のみを行うように通達させた。
5
バリス帝国とテヌーラ帝国は前年に国境線を確定させ、長年の敵対状態から和約した。先ず双方の首都に通使館を設置し、常駐する役人と武官の選定、そして互いの捕虜を暫時帰国させていく、と云う手段を踏んでいたが、突如としてホスワード帝国とバリス帝国が双方の捕虜を迅速に帰国させたので、テヌーラ帝国の女帝アヴァーナ・テヌーラを初め、テヌーラの高官たちは困惑した。
アヴァーナはバリスがホスワードとも修好を持ち、自国とホスワードの対立を煽り、バリス自身は高見の見物をする心算なのかと疑った為、ホスワードとバリスの通使館の長を其々呼び、彼らの捕虜交換の目的を問い質した。
先ずホスワードの通使館の長からの説明は以下である。
「アムリート帝に於かせられましては、バリスの兵の中には十年以上も虜囚のままと云う事態を、以前より如何にか出来ないか、と思われておりまして、今回の釈放となりました。此れは決してバリスとの和約では無く、若し将来的に本朝とバリス帝国が和約する場合には、必ずや貴国に先ず一報を出すとの事です」
次に来たバリスの通使館の長は以下の様に述べた。
「ホスワードより、本朝の虜囚の全将兵が帰還致しましたので、此方も其れを優先して、ホスワードの虜囚を全て帰国させました。アヴァーナ陛下に於かれましては、若し我がバリスに居るテヌーラの捕虜の返還を即時にお求めなら、其れには応じる。そして我が方の捕虜の返還については条約通り本年度中で好い、と云うのが我が主上のランティス帝のお言葉です」
テヌーラ帝国の帝都オデュオスの皇宮で各通使館の長が下がった後、アヴァーナは其のまま高官たちとの会議を行った。
北方のエルキトの通使館の長に就いているクルト・ミクルシュクの定期的な報告が物資の援助だけとなり、其れ処かクルトはエルキトの平定に乗り出しているとの情報も入ってきた。
未確認ながら、エルキトの帝王バタル・ルアンティ・エルキトを殺したのもクルトだと云う情報まで入って来ている。
「ミクルシュクは一体何をしているのだ?」
「エルキトの部族を保護しているのではなく、彼らを支配下に置き、己の国を作ろうとしているとか」
「其れは本朝に対する叛意ではないか!」
「いや、我がテヌーラを宗主国とする国だそうだ」
「本朝の礼部省(外務省)の一役人が、例え宗主国と仰ごうとも、一国の主と為る等、余りにも逸脱した行為。ミクルシュクを召還し、今直ぐ其の様な平定行為は止めさせるべきだ」
アヴァーナは周囲を静かにさせ、礼部尚書に確認する様に言った。
「実際、ミクルシュクのエルキトの平定はどれ程進んでいる?」
「バタル帝が健在の時と比べ、先ずシェラルブク族を初め四割程はホスワードに従属しています。残りの半分はミクルシュクの影響下で、もう半分はミクルシュクを主と認めない勢力ですが、ほぼミクルシュクの優勢に事は進んでいる様です。本朝の援助物資が優位に働いているとの事」
アヴァーナはゆっくりと立ち上がり、臣下一同を見渡し、宣言した。
「ミクルシュクを王とする事を認めよう。彼の者に北方を統一して貰えれば、ホスワードを挟撃出来る。更にバリスとも連携を取れれば、三方よりホスワードを攻め立てる事が出来よう」
重臣の一人が反対の意を表した。
「陛下、ホスワードとは長年の友好国。バリスとは和約したとは云え、つい先年までは敵国でした。更にエルキトに至っては宗主国と仰ぐ等と言っていますが、本朝の一役人が独断で作った国。此処は長年のホスワードとの友好を重視し、冒険的な事を為さらぬ方が宜しいかと思われます」
別の重臣の一人が其の意見に反駁を加えた。典礼尚書(宮内庁長官)のファーラ・アルキノだ。彼女の兄はアヴァーナの夫である。彼女は先年の自国のバリスとの戦いで、ホスワードにバリスへの侵攻を要請したのにも関わらず、其れを無視したホスワード帝国にかなりの不信感、いや怒りを持っている。
「聞けば、ホスワードはボーボルム城塞を大改築し、新たな軍用の造船や、ドンロ大河での軍船の調練を活発に行っているとの事。バリスとの捕虜交換も本朝に対する十分な挑発行為です。ミクルシュクのエルキトの平定状況が確認でき次第、カートハージから陸戦にてメルティアナ城を、水戦にてボーボルム城塞の同時侵攻を提案致します」
こうしてテヌーラの高官たちは喧々諤々な口論を戦わせたが、結局クルト・ミクルシュクの北方平定と、彼が真にテヌーラを宗主国と仰ぐ事が確認でき次第、ホスワードへの侵攻計画が決まった。
大陸の季節は三月も半ばに入った。テヌーラ帝国の、特に東側は完全に春めいている。山地の多いバリス帝国は国土の大半でまだ降雪が時折ある。ホスワード帝国は南方は少し寒さは和らいできたが、まだ帝都ウェザールより北部の地域では吐く息は微かに白い。そしてエルキトの地では厳冬は今だに続き、クルト・ミクルシュクが率いる新生エルキト軍は、遂に彼をエルキトの君主の号である可寒と認めない勢力との最終決戦に挑もうとしていた。
場所はバリス帝国の北部で、ラスペチア王国から北東にある多少起伏のある草原である。此処より東側の北方はクルト率いる新生エルキト国、南側はホスワード帝国の影響下にあった。
クルト自身は何とも思っていないが、彼が率いる軍中に居る数十人のテヌーラ人は、この様な寒風吹き荒ぶ中に従軍させられるとは思いもしなかったであろう。
だがこの一戦で全ての決着が付き、テヌーラに帰国できる。其の一点で此処まで彼らは付いて来た。
クルト率いる兵は六万。対峙する勢力もほぼ六万。双方ともに騎兵であるが、以前よりアムリートはこの内乱への関与をホスワードの北方駐在軍や、シェラルブク族を初めとするエルキトの諸部族にしないように通達していた。理由はどちらが勝ったとしても、暫くは国内の慰撫と為るだろうし、どちらかに肩入れして援軍を出すのは、バリスやテヌーラの不要な疑惑を招くだけだからだ。殊に一方は独自で行っているとは云え、テヌーラ人が主導となっている勢力である。あくまでもエルキト内での権力争い、と云う静観をホスワードは取った。
ホスワード帝国歴で百五十五年の三月二十日。当地にてクルト・ミクルシュクの新生エルキト軍と彼を認めないエルキトの諸部族、反ミクルシュク連合軍の最終戦闘が始まった。
両軍共に全身を獣皮で覆っている。大地は雪が所々残り、空は雲一つない快晴だが、北風が吹き荒び、自身の吐く息で前方の視界が遮られる程だ。
クルトは南側に布陣した。其れを確認した反ミクルシュク連合軍の勢力は北へ、其れもやや小高い丘へ布陣する。
北風と高所という地理条件を考えれば、彼らは其のまま南へ突撃して矢を浴びせ、一気に蹴散らす、と云う作戦を取った。
反ミクルシュク連合軍は地理上の利点を生かして逆落としにて、クルトの軍勢へ襲い掛かる。
処がクルトの軍の布陣は防備を重視したものだった。
馬による二頭立ての四輪の輜重車を、馬を外した状態で並べ防壁を作り、其の間に人馬共に重装備をした兵を並べている。彼らは装備の上に更に獣皮で全身を覆っている。横に長い布陣だ。
襲い掛かるエルキトの諸部族の中には先年のバリスへの侵略で、爆破による大混乱を経験した者も居た為、罠を畏れ突撃を躊躇する者が出てきた。
「あの時の煙など、出ていない!構わぬ、総攻撃だ!」
総指揮官の命により、意を決して逆落としで矢を浴びせる。確かに煙は無い。
クルト側の獣皮を被った重騎兵たちは盾を持ち、其の矢を防ぐ事に専念している。
反ミクルシュク連合軍の兵たちは確実に殺傷しようと、クルトの横に長い布陣に合わせて、自分たちも横長に展開して、三十尺(三十メートル)付近まで迫って矢を浴びせてきた。
すると、横に並んだ輜重車の敵兵に向いた側面の板が、下面を軸にして外側へと回転して、下へと外れて落ちた。
ズシン、と大音を出し、輜重車の中が露わに為る。其の中には連続して十本の弓を発射出来る連弩を構えた兵が、輜重車一輌につき十人居て、其の後ろには矢を弩の上にある装置に補充する役目を担った兵が十名控えていた。更に後ろには数えきれない限りの矢が積まれている。
この輜重車は二百輌はあり、中の弩兵が十本打ち尽くすと、背後の兵が十本の矢を弩の上部にある箱状の装置に再装填する。弩兵はただ操作棒を引いて離すだけで、また十本の矢を討ち尽くす。
反ミクルシュク連合軍の人馬はこの猛射撃にバタバタと倒れていく。この特殊な連弩はテヌーラで作られた物である。操作自体は構えて操作棒を引いて離すだけと云う簡単なものだが、其の内部の作りは精巧でテヌーラの軍用の兵器を作る職人でしか出来ない。
此れは海上用に船に備えられた大弓や石を発射する装置を、普段から作っているからこそ出来る武器だ。
クルトはテヌーラからこの武器を大量に持ってこさせた。
反ミクルシュク連合軍も意地を見せ、近接しこの輜重車に乗った弩兵に襲い掛かる。
だが其の瞬間、輜重車の隙間に居た重装備の騎兵が長槍に因って妨害する。
何時の間にか反ミクルシュク連合軍は攻囲されていた。輜重車の背後に控えていたクルト自身が率いる騎兵が、この間に飛び出し包囲したのだ。
クルトの新生エルキト軍に因る一方的な殺戮が行われた。
こうしてクルトのエルキト平定は完遂された。クルト・ミクルシュクはエルキトの正式な可寒と為り、対外的にはテヌーラ帝国を宗主国と仰ぐ藩王国と称し、其れをテヌーラ帝国は了承した。この会戦の勝利の一週間後のことである。
6
長年の友好状態だったホスワード帝国とテヌーラ帝国の関係は急速に悪化した。其れは双方の外交にあり、何より飛び地の様に北方の地にテヌーラの衛星国が出来た事にも因る。
ホスワードとしては、盟友とも謂えるシェラルブク族は兎も角、ここ近年に従えたエルキトの諸部族を繋ぎ止めて於く為に、自身がテヌーラ帝国より強国と云う立場を鮮明にしなければ為らなくなった。
四月に入ると、ホスワード帝国内は慌ただしくなった。カートハージにテヌーラの軍勢が六万以上が集結して、北東へ隣接するホスワード帝国のメルティアナ州へ入りメルティアナ城を攻囲しようと動き出した、と云う情報が入った。
同時にテヌーラの軍船がドンロ大河上に展開して、ボーボルム城塞の攻略の為に集結している事が確認された。
テヌーラ側としてはバリス帝国とエルキト藩王国に援助を頼みたかったが、前者は復員兵を含めた兵の再配置に腐心していて、後者は勢力圏の慰撫に専念している為に出来なかった。
だが其れでも強行したのは、他国の援助なしでホスワードを屈服出来る、と云う力を見せ付けなければ、今後の外交にも影響が出るとの、テヌーラ上層部の判断だった。
「最早、テヌーラとの全面抗争は避けられない。四万の軍勢を用意し、五千を南方のボーボルム城への援軍。三万五千を余自ら率いて、メルティアナ城のウラド・ガルガミシュ将軍と共に侵攻してくるテヌーラを討つ」
アムリートはそう宣言して、ウラドにはメルティアナ城内で待機して貰い、攻囲に来るテヌーラ軍を自軍の到着と共に城から出撃して、挟撃する心算であった。
そしてもう一方の五千の兵はボーボルム城塞自体の防衛につき、水戦への出撃は現在ボーボルム城塞に駐在している約六千の兵にて行う様にと早馬を飛ばした。
帝都ウェザールからアムリート率いる騎兵一万と歩兵二万五千がメルティアナへ、歩兵五千がボーボルムへ進発したのは四月十六日である。
アムリートの軍がメルティアナ城付近に着いた時に、二つの不運がホスワード側に起こった。
一つは既にメルティアナ城はテヌーラ軍六万に攻囲されている事であった。テヌーラ軍は全軍歩兵だが、攻城用の兵器を多数所持している。先端が鋭い衝車が幾つも城壁を破壊しようと突入し、二十尺の高さがある挺車の上には人が乗り、先のクルトの兵が使用していた連弩を城壁上の兵に打ち込んでいる。
もう一つの問題は付近一帯に濃霧が発生していた事だ。此れでは狼煙を上げて、ウラドに援軍の到着を知らせる手段が取れない。其の為か攻囲しているテヌーラ軍はかなり篝火を焚いている。
しかし、濃霧は此方が近辺まで来た事をテヌーラ軍に知られていない事も意味する。最も援軍が近づいていないか偵察の兵を周辺に出してはいるだろうから、其の内知られるが、この濃霧を今使わない手はない。
アムリートは幕僚との会合を行った。三名の将軍と五名の高級士官、そして皇帝副官ハイケ・ウブチュブクも当然参加している。
「この霧に乗じ、余と近衛隊でメルティアナ城への入城をする。入城後にウラド・ガルガミシュの軍と共に城内より撃って出る。其の際テヌーラの軍勢は騒ぐ筈だから、卿らはテヌーラの後背を襲え」
「陛下、為りませぬ。如何か御再考を。テヌーラの補給部隊をこの霧に乗じて襲い、敵兵の撤退に導きましょう」
「いや、メルティアナ城がこれ以上の攻勢に晒されるのは危険だ。其の様な長期戦は取れない」
尚も将軍たちは皇帝の敵中への突撃を止めようとしたが、アムリートの決意は固かった。
理由として、白の軍装に人馬共に白銀の鎧をした皇帝以下の近衛隊は霧に紛れ易い事、そしてメルティアナ城の誰もが皇帝が門前に現れれば、声だけでも判断でき、即座に開門して中へ導き入れる事が出来るからだ。
確かに他の者に因る部隊の突撃なら、開門に手間は掛かるだろう。
アムリートは全軍の指揮を、先ほど補給部隊を襲うように提案した将軍であるアレン・ヌヴェルに任せた。
ヌヴェルはこの年に四十八歳になる、経験豊富な武人である。一応軍人系貴族の生まれだが、かなりの傍流の生まれで、将になったのもつい二年前のエルキト遠征の功に因ってである。若き日にはガリン・ウブチュブクの副指揮官を務めていた事もあり、ハイケには何かと親切だった。
皇帝と近衛隊百五十名、そしてハイケ・ウブチュブクがこの突撃に進発したのは、霧深い午後の三の刻(午後三時)である。皆白衣に白銀の鎧、そしてアムリートに至っては白馬である。但しハイケだけは白の上下に緑色の胴着を身に付けた軽装である。細部少し異なるが、レナたち女子部隊の軍装に近い。
皇帝を先頭にして、近衛隊は人馬共に武装していないハイケを守るように、メルティアナを攻囲しているテヌーラ軍への突撃を敢行した。
メルティアナ城を包囲している濃い蒼の軍勢の後方からざわめきが立ったのは、アムリートたちが進発して半刻(三十分)と経たない内である。
先ずアムリートたちは全軍一斉に一カ所に矢を集中して放ち、其の中にアムリートを先頭にテヌーラの軍中へ殺到した。
突如現れたこの白い騎馬隊に驚くテヌーラ軍は次々に倒されていった。彼らは皆歩兵で馬上から振り襲される長槍と、馬蹄を怖れ避けていく。弓矢で以て離れた所から仕留めようとしても、濃霧の為に的が絞れない。
先頭のアムリートは馬を両脚で操りながら、鉄の長槍を左右に振り回し、テヌーラ兵を薙ぎ倒していきメルティアナ城の南の正門へと進む。
濃霧であるが、メルティアナ城へは度々巡幸していた為、地理感があるのが幸いした。
ハイケも腰の剣を抜き、眼前に現れる濃い蒼の兵士を切り捨てていく。近衛隊の中には大学寮を出た文弱の徒と思っていた者もいたが、考えてみれば彼はあのガリン・ウブチュブクの息子だ。流石に剛勇という程では無いにしろ、全く足を引っ張っていない。
白い一団は遂にメルティアナ城の南の正門に到達して、アムリートは兜を脱ぎ開門を指示する。
門上の櫓の兵たちは、其れがまさか皇帝だと云う事に吃驚するが、即座に門を開き次々に近衛隊は入城した。門上の櫓からは入城を助ける為にホスワードの兵たちが矢をテヌーラ兵に射る。皇帝アムリート自身も馬上にて矢を射て、少しでも全隊の入城の時間を稼ぐ。やがて近衛隊の隊長が自分が殿と務めるので、主君に入城を求めた。そしてアムリートも入城し、一番最後に近衛隊隊長が入城して、門扉は固く閉じられた。
即座の点呼でアムリートは全員の無事を確認する。すると皇帝が少数の兵にてテヌーラの攻囲を突破して遣って来た、と聞いたウラド・ガルガミシュが現れた。
「陛下、何というお危険な事を」
「今は其の様な事を言っている時ではない。明日の早朝に全軍撃って出るぞ」
メルティアナの駐在していた兵一万以上は、皇帝の勇敢さと援軍が付近まで遣って来た事に歓喜した。
テヌーラ軍の包囲が始まってから、メルティアナの住民十万は原則外出を禁じられている。
テヌーラ軍は判断を迫られた。少数の兵が自分たちの包囲網を突破してメルティアナ城へ入城したが、これは近辺に援軍が来た事を意味する。軍を二手に分け、一方を援軍の撃破に使うべきか。
だが其れには反対意見が出た。軍を二手に分け、其の一方を援軍との戦いに使用すれば、野戦となり、騎兵の充実しているホスワードに有利だし、何より濃霧の為、進軍中に混乱する可能性が高い。今は全軍で以て、メルティアナ城の攻略に傾注すべきだ、という意見に纏まり、この日も夜遅くまで衝車や挺車を主体とした攻撃を続けたが、皇帝の剛勇無双さに勇気づけられたメルティアナのホスワード兵は高い戦意で以て、これ等を悉く跳ね返した。
そして、翌朝の早朝に攻囲していたテヌーラ兵六万は虚を突かれる。メルティアナ城の全軍が城から出撃して、総攻撃をかけてきたのだ。更にホスワードの勝利を天は望むかの様に、早朝より霧は晴れていき、遠くに陣取っていたヌヴェルにも状況が即座に分かった。
「全軍、突撃だ。テヌーラの兵を一兵たりとも生かして帰すな!」
ヌヴェルの指揮の元、ホスワード兵三万五千の援軍が殺到する。
前後から挟み撃ちにされたテヌーラ軍は次々に瓦解していく。霧の為にテヌーラ軍は篝火を常に焚いていたが、ホスワード兵は其れを取り上げ、テヌーラの幕舎や、自分たちを苦しめていた衝車や挺車に投げ込み焼き落としていく。
自分たちの物資が次々に燃やされるのを見たテヌーラ軍は完全に戦意を無くし、真西へと逃げて行く。
この地より真西はカートハージの北辺に当たる。
こうしてホスワード帝国百五十五年四月二十二日に、メルティアナ城攻略のテヌーラ軍は完全に駆逐された。
この同じ日にボーボルム城塞付近のドンロ大河で、ホスワードとテヌーラの水戦が開始されている。
第十三章 大海の騎兵隊 前編 了
なかなか時間が取れず、のんびりした更新で申し訳ありません。
さて次は陸上メインから水上メインになります。
活躍するのも男性陣から女性陣にバトンタッチです。
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