第十二章 諸国鳴動
お久しぶりです。
相変わらず、ちまちました感じですが、お付き合いしてくださる方々には感謝です。
サクッと書いて、パッとあげたいんですけど、なかなかそういかないのが現状です。
それでは第十二章、よろしくお願い致します。
第十二章 諸国鳴動
1
エルキト帝国では歴は皇帝の在位年としている。この年は十七年となる。バタル・ルアンティ・エルキトが即位してから十七年が経ったという事だ。ホスワード帝国歴だと百五十四年になる。
バタルは即位してからの最初の五年を自身の権勢を確立するのに費やしていたが、以降の十年ほどは順当だった。東西に領域を広げ、多くの部族を従え、特に六年前はバリス帝国の援軍という形ではあるが、ホスワード帝国に侵入し、ホスワード軍を一蹴している。
其れが一年半前にホスワード軍と、彼らに味方して離脱したシェラルブク族の連合軍に敗れ、更に今年の十月にはバリス帝国に十万もの兵にて侵攻したが、一敗地に塗れ、無事帰還できた兵が数千という空前の敗北を喫した。
其の直後に、ホスワード軍が次々にホスワード近辺の諸部族を支配下に治めてしまったので、バタルの皇帝としての権威は完全に揺らいだと云うか、地に落ちてしまった。
歴を皇帝の在位年で表わしているように、エルキト帝国の頂点は血筋ではなく、実力者が登極する傾向がある。バタル自身も、酒乱で自身の周りを自分に媚び諂う者を重用して、少しでも自分と意見が異なれば、殺戮を繰り返していた伯父に当たる前皇帝を自ら殺害して即位した。
「皇帝」の名は対外的に使用しているもので、内部では「可寒」と呼ばれる北方遊牧民族の伝統の君主号を用いている。
バタルを初めとする、ルアンティ・エルキト族は、十一月の初めから翌四月の終わりまで過ごす南庭と呼ばれる首都に居た。夏場は北庭と呼ばれる場所へ部族は移動するので、首都機能も其のまま移動する。
大小の数えきれない程の移動式の包で首都は構成され、最も大きいものは五百人以上は中に入れる規模だ。
南庭には近くにテヌーラの通使館が在るために、バタルは通使館の長のクルト・ミクルシュクを行政用に使用している包に呼んだ。十一月十七日の昼過ぎで、バタルがバリスの地で空前の大敗を喫してから一カ月後の事である。
「貴国に援助物資を要求する。年が改まったら、バリスに目にものを見せてくれる。あのような小賢しい罠など、下馬して火を消せばいいだけの話だ」
「陛下。本朝はバリスと休戦条約を結ぶ方向の様です。陛下に於かれましては、今は従っている部族の安寧と、ホスワードに切り崩された部族の再帰属を行うべきでしょう」
「貴様は何の権を以て我が国の指針を述べる立場になった!貴様は使者として此方の要求を只受けていればよい!」
怒鳴りつけたバタルは半ば酒の入った杯をクルトに投げつけた。クルトは其れを避けず、胸にて受けたため、衣服が酒で濡れる。
バタルは帰還後ずっと酒が手放せないでいる。曾て彼が弑した伯父と同じ醜態を晒している事に彼は気付いていない。
無言で下がったクルトは近くに居たエルキトの高官らしき者に「今夜、決行する」、とだけ告げると、丸腰だった為に預けていた剣を返却して貰い、行政用の包を退出し、使節の宿泊用の包へと入った。
バタルは本拠地の帰還後、先ず行った事は偵騎に携わった者たちを「バリスの小癪な細工を見抜けなかった」、として其の者たちは元より一族を皆殺しにしている。一年以上前にホスワードに敗北した時には、武装や馬を取られ帰還した兵たちを、家族諸共遠方の地へ追放し厳しい労役を課している。周囲のバタルに対する怨嗟はこの一年で一気に募った。
クルト・ミクルシュクはこの年に二十七歳で、テヌーラ帝国の通使館の長だが、着実にエルキトの高官や有力者を籠絡した。先ず彼自身がテヌーラの豊富な物資を提供できる立場であること、そして彼自身の祖先がこのエルキトの近辺を出自とするミクルシュク家の生まれという二つの立場を利用してだ。
其の日の夜半、バタルの可寒用の包に武装した数十人の男たちが押し入った。警護の兵は恐れていた為に、彼らを素直に通す。彼らの恐れとは深酒をしたバタルは狂乱して、身近な者たちを殺傷する事しばしばだったからだ。彼らを通せば其の恐怖は無くなる。
先ず数人がバタルの一族を捕縛して、外に連れ出す。そして、クルトを先頭にバタルの寝所へと侵入者たちは入った。酔っていたバタルが叫ぶ。
「貴様!何をしに此処に来た!」
「お前には、もうこの地にて覇を唱える資格がない。俺が代わりになる」
バタルが周囲の警護兵に対して戯れに殺害を行う剣を以て、クルトに斬りかかろうとするが、クルトは其の酔人の乱れた一閃を軽く躱し、自らの剣をバタルの腹部に深々と突き刺した。
剣先は体を貫き背中から数十寸(数十センチ)とび出し、クルトは渾身の力で自分の剣を抜いた。
バタルは倒れ腹部と背から大量の血を流し、泡と血を吐き出す口元は何かを言っている様だったが、最早言葉になっていなかった。
バタル・ルアンティ・エルキトのこれが最期だった。時に四十四歳であった。
翌朝、エルキトの南庭にいる全ての人たちは、皇帝が弑逆されるという、宮廷工作が起こった事を知る。
実行の首謀者がテヌーラ人の通使館の長で、何と彼が其のままエルキトの可寒として、登極した事を知り驚く。バタルの一族の男子は既に全て処刑され、女子は遠方の地へと流刑となった為、此方も既に追放されている。
エルキトの高官や有力者たちが全てが賛同して行った事ではない。クルトと一部の者に因って行われたので、高官や有力者たちは騒然とする。
可寒となったクルト・ミクルシュクは行政用の包に有力者を全て集めて、こう宣言した。
「先ず俺を可寒と認めぬ者は、今直ぐ此処から出ていき、俺を討伐する兵を上げよ。俺は逃げも隠れもせぬ。最も力ある者がこの地にて頂点に立つべきだ」
ざわつく有力者たちに続けてクルトは言う。
「俺に従うものは、テヌーラの物資を幾らでもくれてやろう。そして、ホスワードに切り崩された部族の討伐に赴く」
有力者の三分の一以上が退出した。
これ以降エルキトはクルト・ミクルシュクを中心とした熾烈な内乱へと突入していく。
2
ホスワード帝国歴百五十四年はバリス帝国歴百四十六年となる。偶然にも遥か北の地でクルト・ミクルシュクがエルキトの可寒を名乗った其の日である、十一月十八日にバリス帝国の皇太子ヘスディーテ・バリスは数人の随員を伴って、テヌーラ帝国の首都オデュオスへと到着した。其の行程はバリス帝国の首都ヒトリールから南下して、用意した船にてドンロ大河を東へと下って行った。
テヌーラ帝国歴では百八十年である。この日のオデュオスの天候はやや曇が多い灰色に覆われていて、宛らこの皇太子を厚遇する様な天候だった。
気温は寒いと云えば寒いが、厚手の外套を必要とするほどの、寒さではない。
ヘスディーテを初め随員たちは武装をせず、随員たちはバリスの役人の服装である濃い灰色の上下に、薄い灰色の帽子と黒褐色の手袋と帯と半長靴を身に付けている。
そして、ヘスディーテも同じような役人の服装だが、上下の濃い灰色の衣服には銀の装飾がされ、手袋と帯と長靴は全て漆黒で、帽子と上半身に羽織った肩掛けはやはり銀の装飾がされた白である。
ヘスディーテは辛うじて長身という部類に属するが、其れ以上に目を引くのは華奢な体の造りであった。律動的な歩行や動きを見ると病人で無い事は即座に分かるが、少なくとも出迎えたテヌーラの役人が其の気になれば、取り押さえられる程の体付きである。
白の帽子から覗く髪は漆黒で細い直毛である。そして、其れに相反する様な白皙の顔付きは秀麗といっていいのだが、無表情で、切れ長の目の灰色の瞳は、この日のオデュオスの天候の様に灰色である。
オデュオスに入ると、馬車にてヘスディーテ一行は皇宮へと行く。テヌーラの役人の服は薄い青を基調としていて、兵や衛士はやや濃い蒼色の軍装である。この青い一団は皇宮の入り口まで、ヘスディーテ達を送ると、次に皇宮の門から現れた、白と濃い蒼色を基調とし、各所に金の飾りが配された軍装の近衛兵たちに因り、ヘスディーテのみが皇宮内の謁見の間へ通された。随員たちは皇宮内の使節の宿泊用の邸宅の一室に半ば閉じ込められた。
謁見の間の玉座にはテヌーラ帝国第十代皇帝アヴァーナ・テヌーラが座し、その背後には巨大なやや濃い蒼の地に二匹の白い蛇が絡まっている旗が垂れ下がっている。左右には文武の高官が並び、ヘスディーテは其のまま進み、玉座へ上る階段の手前で、帽子を手袋をと取り、女帝に拝謁の礼をした。
「ヘスディーテ殿下、遠路はるばるご苦労である。しかし、バリスには皇太子自ら赴くなど、外交の使節の人材に困っているのか?」
アヴァーナは値踏みする様に、この年に二十一歳となるヘスディーテに言った。
アヴァーナ・テヌーラはこの年に三十八歳になる。何処か硬質な顔の造り、特に長い睫に覆われた大きな瞳は、周囲が暗灰色で瞳孔に近づくにつれ灰色がかった明るい褐色をしていて、この眼光は常に鋭いために、俄かに近づきがたい雰囲気を発している。
頭には白磁の肌に対照的な漆黒の髪が束ねられいて、その上に白の天鵞絨の帽と帝冠を戴いている。そして白とやや濃い蒼を基調とし、所々金色の飾りが配された眩い礼装に身に纏っていた。
「国の五年、十年先の事なら、使節間にて行えばよいでしょうが、百年の大事ともなれば国の頂点、又は其れに近しい者の間で行うべきだと、私は思います」
「では、其の百年の大事とやらを聞こう」
ヘスディーテはかなり流暢ともいえるテヌーラ語で話す。
「先ず両国の国境を明確にして、相互に侵略をしないこと、そしてどちらが一方が第三国に侵攻を受けた場合、もう一方は其の第三国に攻撃、または其れに類する制裁を加えるというものです」
「先ずは国境の明確を聞こう。今そなた等が占拠している地で以て国境とするのか、それとも先年のカートハージの北半分を返還せよ、と申すのか?」
「カートハージに関しては、其のまま貴国が領有しても構いません。其れ以降の西は、カートハージの西に接しているドンロ大河の南北の州は、同じくテヌーラの領として、更にそれ以西は我がバリス領と致します。この辺りは西に異民族も多く、我がバリスが領する事で、其の防壁と為りましょう」
ドンロ大河の最上流域にはバリスもテヌーラも時に手を焼く部族が割拠している。確かにこの部族と領を接しないのはテヌーラとしては助かる。だが、これだと炭田の大半はバリスの物となる。
「では、第三国に侵攻を受けた場合の攻撃や制裁というのは何だ?」
「我がバリスはエルキトの撃退に成功致しましたが、エルキトが復仇を遂げない、とは言い切れません。其れ故バリスが例えばエルキトの攻撃を受けた場合、貴国にはエルキトへの交易の停止を求めたく思っております」
「第三国というのは、エルキトのみの話では無かろう。若し貴国がホスワードに侵攻されたら、妾らはホスワードとの交易を停止しなければならないのか」
エルキトからの輸入品は精々馬位である。処がホスワードとなれば様々な物品をお互いに交易しているため、停止となるとテヌーラの財政は少なからず傾く。
「其処は貴国にとって最大限の手段で以て、ホスワードを苦しめて頂ければ結構です。例えばテヌーラが誇る軍船にて、バリスから手を引かなければ、此のまま攻撃を加える、とドンロ大河の北へ展開して頂くとか」
「本朝がホスワードと友好を結んでいる事を、殿下は知らぬのか?」
「無論知っています。だからこそ言っているのです。其れ以上にドンロ大河の所謂『北東ドンロ地帯』も元は貴国の領だったことも知っています。」
ホスワードの南部の各州であるレーク、バハール、ラニア、クラドエ、レラーンの南部地域は元々テヌーラの文化圏ともいえる。プラーキーナ朝の大陸統一で、其れは若干薄れたが、今でもテヌーラの人々にとってはこの「北東ドンロ地帯」は自分たちの領土という意識が強い。
「また別に遡れば、曾てホスワードのフラート帝は、此処オデュオスを攻囲したとか。今のホスワードは其のフラート帝時代と同じく北方に不安がない為、其の様な事も可能かと存じます」
「北方に不安が無いと云うのは、貴国に大攻勢をかけるという事もあり得るな」
「そうなれば、先ほど言った『北東ドンロ地帯』の占領は貴国にとって、容易い物となるでしょう。我々がホスワードの精鋭を一手に引き受けるのですから」
アヴァーナは暫し考え込んだ。若し此のままバリスと全面戦争となれば、戦場が山岳地帯なので、そういった山地での戦を得意としているバリスに、テヌーラの西の領土の大半が奪われる可能性が高い。
しかし、ホスワードと全面戦争となれば戦場はドンロ大河だ。ホスワードも水軍は充実しているが、水上での戦いなら、自分たちが最も得意とする処だ。仮に敗れたとしても曾てのフラート帝時代の様に補給路を潰してしまえば、彼らは北帰せざるを得ないので、領土失陥はまず無い。問題の交易自体も当時はそういった戦闘中でも両国の商人は関係ない、とばかりに行っていたと聞く。
「…本日、いや明日も含めて重臣たちと協議を重ね結論を出したい。殿下の言うとおり、これは百年の大事なので、妾の一存では確定できぬ事だ。本日はもう下がってよい。使節用の邸宅にて旅の疲れを癒すがよい。明後日に此処に来る使いを出そう」
「畏まりました陛下。最後に申し上げますが、明後日の結論が私の望むものでは無かった時には、私は其のままホスワードの帝都ウェザールへ赴きますので、よく御協議の程をお願い致します」
この時、アヴァーナを初め居並んだテヌーラの高官たちは、ヘスディーテを睨みつけた。怒鳴りつける者が一人も居なかったのは見事な自己の感情の制御だろう。このバリスの皇太子はこの交渉が不調に終わるのなら、ホスワードと手を組む可能性を示唆したのだ。
3
其の日の宮殿の閣議の間では深夜まで女帝と重臣たちが話し合った。
「何なのだ、あの薄気味の悪い小僧は!何が百年の大事だ。ただ我らを恫喝しに来た様なものではないか!」
「しかし、あの小僧の言う事にも一理ある。此のままでは本朝の西半分はバリスの物となるぞ」
アヴァーナの夫の妹に当たるファーラ・アルキノ典礼尚書(宮内庁長官)が言う。
「アムリート帝には先のバリスへの侵攻を依頼したにもかかわらず、其れをせずエルキトの平定を優先しました。彼は此方の依頼を聞き入れなかったのですから、其れに対する不審として今回のバリスとの和約に臣は賛同致します」
「妾も同様だ。アムリートもヘスディーテどちらも信用ならぬが、より現状脅威であるバリスとの和約を優先したい」
ある重臣が願望を込めて言う。
「それより、ホスワードとバリスを完全に敵対させ、我々は其の高みの見物をする、という事は出来ないでしょうか?」
「あの皇太子が最後に言ったように、其れを妾らが行おうとしたら、ホスワードとバリスの和約となるだろう。口惜しいがこの大陸は今、あの小僧に振り舞わされている」
既に何週間か前から、エルキトに居るミクルシュクからエルキトがバリスに前代未聞の大敗を喫した事、それをやってのけた中心人物が皇太子ヘスディーテ・バリスだと報告されていた。当然其の事はホスワードにも入っている事なので、彼らとしても現時点でバリスとの全面抗争は避けたいはずだ。
アヴァーナは先ほどのファーラの言葉を思い出していた。アムリートにバリスへの侵攻を依頼したのにも関わらず、彼は其れを無視してエルキトへの平定に赴いた、という意見だ。此れはつまりアムリートはバリスの現在の国内、及び軍事体制をかなり以前から察知していたのではないか。
翌々日。再び皇宮の謁見の間に呼び出されたヘスディーテはテヌーラの女帝から、国境線の画定と和約の条件を受け入れる事を告げられた。其の際アヴァーナは一つの条件を述べた。
「先日も言った通り、本朝はホスワードと友好関係にある。故に貴国と其の条件で和約した事を全て伝えるが、よいな」
「其れは貴国の自由です。我々と致しましては、この条約をお互い正しく順守する事。其れに尽きます。そして私のヒトリールへの帰還と同時に、確定した国境を越えて駐屯している兵は即座に引き上げさせます」
そして正式に議定書を発効し、アヴァーナとヘスディーテは署名をして、こうしてバリス帝国とテヌーラ帝国は十一月二十日に和約し、相互の国境線を定め、互いに侵犯しない事、そして一方が第三国に攻撃をされた場合、もう一方は其の第三国に対して経済制裁や、軍による示威行動に出る事が確定した。
ホスワード帝国歴百五十四年十一月二十四日。帝都ウェザールの皇宮の謁見の間にて、ホスワード帝国第八代皇帝アムリート・ホスワードは帝都に駐在しているテヌーラの通使館の長から、テヌーラとバリス和約した事、そして協定の内容を全て伝えられた。
恐らく以前より行っていたバリスへの軍事行動を止める為か、とアムリートは考えた。しかし此処でバリスに何も手を出さなければ、今回は五万の兵を侵攻に使い、二十万の兵を国の防備に使用していたが、数年後には逆に二十万を対外戦争に使える程の国力を得させてしまう。
更にこの四日ほど前にはエルキト皇帝バタルが暗殺され、エルキト内部では内乱の兆候があるとも伝えられた。
北方を制圧したことにより、ホスワードは西方の国々とラスペチア王国からバリス帝国を介さずに、通商ができる様に整備をした。だが北がこのように混乱となれば、せっかく整備したこの通商路を商人たちは使わず、以前と変わらず、安全なバリス帝国から遣って来る事に為るであろう。
既に北方の約一万五千の兵が駐屯しているオグローツ城と、オグローツ城を中心に東西に点在している見張り用の各塔にも、シェラルブク族を初めホスワードに帰順したエルキトの部族たちと連携して、対応する様に連絡をしている。大将軍エドガイス・ワロンには冬季用の防備をした三万の兵を動員して、何時でも北への援軍の準備が出来る様にさせた。
そんな中にこのテヌーラからのバリス帝国との和約の通知である。更にはホスワード内で地下活動をしているヴァトラックス教徒も如何出てくるか分からない。あからさまな摘発と弾圧はヴァトラックス教を国教としているラスペチア王国の不興を買う恐れもある。但しアムリートの妻である皇妃カーテリーナの妹であるマグタレーナからもたらされた、孤児院を利用して教徒を確保しているという情報は看過できない。
「これが内憂外患というやつか。先ずは会議で以て処理する優先順位をつけ、其々に当たるしかないな」
そう心の中で独白してアムリートはテヌーラの通使館の長が退出した後、其のままこの謁見の間で揃った重臣たちとの会議を始めた。
アムリート・ホスワードはこの年で二十九歳になった。巨人というほど極端ではないにしろ、十分に人目を引く長身で手足が長く、細身ながら均整のとれた骨太のしっかりとした体幹を持っているのが、服ごしでも分かる。
白を基調とした冬用の厚手の上下の服は、所々緑の意匠が凝らされ、帯と長靴は黒褐色である。頭には帽子や帝冠ををつけず、やや長い金褐色の髪は少し波がある。端正といってもいいその顔は、宮殿の貴公子といった優男風ではなく、戦場での美丈夫という風格に溢れている。
だがその双眸は特に二人の甥を初めとする家族を相手には、表情も含めて優しげで、瞳の色は自国の色である緑がかった薄茶色である。
会議の結果、先ず年が改まった一月の終わり頃にメルティアナ城に駐屯しているウラド・ガルガミシュにバリスへの侵攻を実際に行い、テヌーラがどの様に出るのかを確認することが決定された。
北方のエルキトに関しては情報収集を中心として、また大将軍エドガイス・ワロンが編成した三万の部隊を、年明けにオグローツ城に向けて派遣して、オグローツ城周辺には三万の兵が寒気を凌げる包を設置することが決められた。
また来年一月で以て、軍関係者の再編が行われる事に為った。
皇帝副官ラース・ブローメルトは其の任を解かれ、高級士官として、南部のボーボルム城へ駐在し、彼と共に多くの若手士官が部隊を率いてボーボルム城に赴任する事に為った。其れに伴いボーボルム城は大規模な増改築、そして水軍の充実が決定された。
ラースは半ば兄とも崇拝する皇帝アムリートの傍から解かれたことを、残念に思ったが、若い士官の中には驕慢な者が多いので、同世代の彼がうまく制御して欲しい、との皇帝アムリートの直々の懇請であった。このボーボルム城へはヴェルフ・ヘルキオスも赴任する事に為った。ファイヘル・ホーゲルヴァイデら若い軍人系貴族が多く赴任する。確かにラースが上位として居なければ、こういった若い士官たちは問題を起こすだろう。
アムリートはラスペチアに居るレムン・ディリブラントによる、バリスとエルキトの戦いの詳細を纏めた物を既に受け取って確認しているが、実際に其の現場を見たカイとヴェルフの話が聞きたいという事と、彼らの今後の任務について自ら話し合いたいという事で、十二月の初め頃に何と皇宮の宮殿の会議室にカイとヴェルフを呼んだ。それも宮殿の皇族の居住地である四階の一室に於いてだ。この皇帝の私的な会議には皇妃カーテリーナ、その父ティル・ブローメルト、その息子と娘であるラースとマグタレーナも呼ばれた。
カイとヴェルフは帝都に帰還してから相変わらずニャセル亭で宿泊していたが、この呼び出しを受けて流石に仰天する。迎えにマグタレーナことレナが来たので、何と彼らは一介の士官でありながら、皇宮内の、其れも皇族の生活空間へ行く事に為った。
皇宮の門を潜り、階段を上がると一面に緑の世界が広がる。この広い芝の各所には東屋や噴水や花壇などがあり、奥にある宮殿まで行く為の通路もある。降雪の為に所々が白くなっているのが、また一種の趣がある。
奥の宮殿は中央に背後に高い塔を従えた六階建てと、その左右にやや小ぶりな四階建てから為っており、中央の宮殿の四階以上が皇族の生活場所、左右の建物は近衛兵の居住場所と使節等の宿泊場所だと、レナから説明された。
宮殿の一階と二階の大部分は吹き抜けで、謁見の間となっているので、奥の階段から上階に上がる。途上頑強な扉があったが、これは背後の塔へ行く為の扉だ。鍵は宮殿の使用人たちの長が管理していて、塔側からは入れないようになっている。
三階は閣議室と饗宴の間という二つの大きな部屋が有るので、更に上がり四階へ達する。
途上警護の為の近衛兵や使用人たちがいるが、彼らは事前にカイとヴェルフが招待されている事を知っているので何も咎めない。近衛兵は敬礼をし、使用人たちは軽い挨拶をする。
四階に上がると、一人の少年に出会った。
「うわっ、すごい大きいな。レナ姉様、ホスワードの兵たちは皆この人たちみたいに大きいの?」
「この方々たちはちょっと特別ですね。大公殿下」
そう言ってレナはカイとヴェルフにこの年に十歳となった、先帝の遺児オリュン大公を紹介した。
「大公殿下に御挨拶申し上げます!」
慌てて二人は姿勢を正し、オリュンへ敬礼をした。
「いいよ、楽にして。兵士さんたちの名前を教えて下さい」
好奇心に目を輝かせるオリュンに二人は自己紹介をした。レナが心配そうな顔でオリュンに言う。
「ユミシス大公殿下は、お部屋にて療養中ですか?」
「そうです、今月に入ってから体調を崩されました。本格的に寒くなってきたからでしょうか…」
先々帝の遺児のユミシス大公は生まれつき病弱で、具合の悪いときは年の半分以上を五階の自室にて、寝たきりのままで、彼の母親のフィンローザや医師たちが付きっ切りで看病をしている。
時刻は午後の二の刻(午後二時)過ぎで、オリュンはこれから外にて日が暮れるまで武芸の稽古をするそうだ。其の為、彼らが昇ってきた階段の方へ行き、下りて行った。近衛兵の居住場所近くには武芸の訓練場が有り、そこでオリュンは担当の近衛兵から指導を受ける。
そしてレナがカイとヴェルフを連れ、四階の一室の戸を叩き、両名を連れてきた旨を述べて入った。この部屋はアムリートの執務室の隣で、中にはその執務室と出入りが出来る戸があった。
既にアムリートとカーテリーナとティルとラースが揃っていた。
「皇帝陛下に拝謁致します!」
4
「よい、楽にして空いている所に座るがよい」
アムリートは三人に席に着くように言った。カイとヴェルフにとって初対面な人物が二人いる為、アムリート自身が紹介した。
「此れは余の妻のカーテリーナ。此方はカーテリーナ、つまりここに居る三人の父親のティル・ブローメルトだ。兵部書(国防省)で武衛長(軍事警察長官)をしているが、卿たちは兵部省で彼を見たことは無いか?」
カイもヴェルフもあまり兵部省には行かない。それ故、「ブローメルト閣下には初めてお目に掛かります」、と言った。
「皇妃様、ブローメルト閣下。カイ・ウブチュブクと申します。此方はヴェルフ・ヘルキオスです。座ったままでのご挨拶、御容赦の程を」
「うむ、卿がガリンの息子か。何時か会いたいと思っていたが、このような場所で会うとは思わなかったな。我が娘のマグタレーナが卿には大変迷惑をかけているとか」
「いえ、ご迷惑など。マグタレーナ様には小官も教えられる事ばかりです」
ティルとラースの親子は同じ高級士官用の軍装をしている。濃い緑の上下に薄い灰色の飾りが付いたものだ。また両者共に頭は側頭部を剃りあげ、髪を後ろに撫でつけ首筋の所で編まれて二十寸(二十センチ)ほど垂れ下がっている。ブローメルト家の男子はこうした髪型をする慣習がある。ホスワードの軍人貴族には先祖にエルキトの部族の血が流れている者が多い為、そういった影響のようだ。
使用人が遣って来て人数分の茶を持ってきた。茶はホスワードでは貴重品である。何しろテヌーラから交易でしか手に入らないからだ。カイもヴェルフも其の湯気の芳香、口に含んだ時の甘みと渋みが混ざった舌触りの良さ、そして飲み込んだ後、胃腸は元より体中が隅々まで暖かく満たされるのを感じた。
「ウブチュブク殿、ヘルキオス殿。御代わりが御所望なら、幾らでもどうぞ。あと何か軽食等が欲しいのなら、遠慮なく言って下さいね」
そう皇妃カーテリーナから言われたカイとヴェルフは恐縮する。カーテリーナは二人が言い出し難いだろうと思い、使用人に何か注文をした。
カーテリーナは流石にマグタレーナの姉という事で、容貌はよく似ていたが、同じ金褐色の髪は長く、当然白と緑を基調とした礼装を身に纏っている。
マグタレーナの服は近衛兵に近い白の上下だが、更に上に薄緑の胴着を身に付けている。手袋と帯と長靴は褐色で、この場では被っていないが帽子も薄緑だ。胴着の左胸の辺りには金の三本足の鷹が刺繍されている。これが女子部隊の正装となったようだ。
カイとヴェルフの前に茶と軽食が出された所で、アムリートが先ずラースとヴェルフに言った。
「既にボーボルム城塞を本格的に増改築し、更に水軍を充実させる旨を発しているので、二人には其処に赴いてもらいたい。特にヴェルフ・ヘルキオスはラースの手助けをして欲しい」
「陛下。畏れながら申し上げますが、其れはテヌーラとの交戦の可能性が高いのですか?」
「うむ、高いと思ってくれ。それとボーボルム城塞司令官ヤリ・ナポヘク将軍から、騎兵を乗せた特殊な攻撃船の試験をしていたそうだが、意外と上手くいっているそうだ。これは確かカイが発案した事かな?」
「左様です、陛下。まさかナポヘク将軍が其れを実施していたとは驚きました」
「ナポヘクは馬術が優れ、馬を刺激せず扱える者でないと上手くいかない、とも報告してきたが、此れには如何する、カイ?」
「陛下とブローメルト閣下の前では言い難きことながら、小官はこれを身軽な女子部隊にて行おうと考えています。勿論彼女たちの安全を守るのと、自船に速やかに帰還出来る様に小官を初め歩兵部隊も同時に突入致しますが。若し女子部隊の使用が許されないのなら、小柄な男性の軽騎兵という代案もあります」
レナはカイが自分たちを其の様な場所での活用を考えていた事に驚いた。先月までのエルキト遠征で、自分達女子軍に対して、「俺が必ず通用するように策や調練を考える」、と言っていたのはこの事だったのか、と思った。水上で馬にての移動突撃という途方もない事に、レナは挑戦したいとの思いに身震いした。
「中々に面白い案だ。臣は賛同致しますが、如何です。陛下?」
ティルに言われてアムリートはヴェルフに言った。
「現在女子部隊はホスワードの三十名とシェラルブクの七十名が正式に配属となり、計百名だ。彼女たちの今の調練を頼めるかな。ヴェルフよ」
「ラース卿の補佐といい、このような調練といい、今から腕が鳴ります。必ずや期待に応える成果を出すよう全力を尽くす所存です」
ヴェルフが力強く返答したので、アムリートはカイとレナに話を振った。
「という訳で、カイとレナ。卿らもボーボルム城へ赴任な訳だが、其の前に二人には一カ月程メルティアナ州の調査を頼む。特に孤児院を中心にだ」
「ヴァトラックス教の調査ですか?」
「そうだ。首魁の摘発など、其処まで踏み込んだ事はしなくてよい。既にホスワードの全州に各所属している衛士に州内の空き家や、使われていない施設の調査をする様に命は出してある。だが孤児院はレナ自ら調査しないと不安だろう?」
ブローメルト家にはツアラという将来孤児院で働きたいという少女を養女としている。彼女の夢の後押しをしているレナとしては、これは是非ともやりたい事だった。パルヒーズ・ハートラウプなる旅劇団の長が、ヴァトラックス教の影響下にあった孤児院で育ったのはメルティアナ州にあるという。今も在るのか如何か不明だが、其れを調査するのが先決と為ろう。
「畏まりました。ウブチュブク指揮官と共にメルティアナ州にて調査後、ボーボルム城へ赴任し、ヘルキオス指揮官の指導の下に入れば宜しいのですね。陛下」
アムリートからティルとカーテリーナとだけで話したいというので、カイたち四人は皇宮を出る事になった。
宮殿を辞する前に、四人はユミシス大公の部屋に入り、お見舞いをした。弟妹が多いカイは床に半身を起こして、丁寧に挨拶をしてくれる、この青白いか細い少年を見て胸が締め付けられた。
明後日より、四人は帝都を出て調練場の各施設で生活する事になる。年明け早々に任地に赴くので、部隊の集合と簡易な調練も行う。皇宮を辞しレナが不思議そうに兄であるラースをずっと見る。此れまで自分が何かやろうとすると色々反対していたのに、何故かずっと黙ったままだ。濃い緑の軍装を見て、皇帝の侍従を外されたことに失望を覚えているのだろうか、と思っているとラースから言葉が出た。
「カイ。如何か妹を、レナの事を頼む。其れとレナ、カイはこの年齢で様々な功を上げている。よく彼の言うことを聞くんだぞ」
「ご安心を、ラース卿。レナ様は必ず自分が命を懸けても守ります」
「カイ、其れなら私だって貴方を守ります。貴方だって四六時中目が覚めていて、常に戦い続けられる訳ではないでしょう?」
「カイ、妹は卿と会って少し変わった。そして俺も少し考えが改まったよ。何時までも陛下の下で甘えているばかりじゃ駄目だからな。それじゃあ、明後日会おう。レナ、暫くツアラと会えなくなるから、ツアラと思いっきり遊んだ方がいいぞ」
そう言って兄妹はブローメルト邸へと帰宅して行った。
「よし、今日がニャセル亭を拠点とした最後の遊びだ。如何する、カイ?たまには俺に付き合うか?」
「まぁ、たまにはいいだろう」
「後で、お姫さんに怒られても知らんぞ」
「言っておくが、俺は酒を呑みに行くだけだからな」
宮殿の一室では皇帝が舅に対してバリス帝国に関しての感想を求めていた。
「推測ですが、バリスは人を物として扱っています。言い換えれば資源とも言えます」
「如何いう事だ?」
「其のうち大軍を擁して一戦に望むでしょうが、確実に最小の被害にて勝てる、と判断した時にしか動かさないでしょう。何故なら数で押して勝っても、人的被害の多い勝利は其の後の労役に支障を来すからです。其れはこの体制を作り上げた者にとっては、最も避けたい事でしょう」
「成程な。ホスワード包囲網を作らせねばよいという事だな」
「処で副官の件は如何致すのですか、陛下」
「あまり期待はしていないが、大学寮を終了したもので、軍事に明るい者を頼む、と吏部省(人事院)に言っておいた。近衛兵の隊長はラースが推薦した人物にしたが」
「ラースもそろそろ身を固めないとね」
「レナは如何なんだ?あのカイと結構お似合いだが。リナからは如何見る?」
「如何もあの二人は時間がかかるような気がしますね。まだ若いのだから、あの二人はゆっくり見守りましょう」
こうして三人は暫しラースとレナの将来について、話し合った。
5
クルト・ミクルシュクは恐らく大陸の歴史上最も変わった君主であろう。いや君主と云って好いのか如何か分からない。
彼はエルキトの自身の影響を及ぼす範囲では、確かに君主だった。其の一方でテヌーラの通使館の長としても働いていた。
そして彼は自らバタルを弑したのにも拘らず、母国へは次のような報告をしていた。
「皇帝バタルは連年の失態続きで暗殺された。エルキト内では次の覇を唱えんと、分裂状態にある。自身はテヌーラの庇護を受けたいという部族を保護しているので、彼らの為の物資をお願いしたい。上手くいけばエルキトの地のかなりがテヌーラの半従属国となり、ホスワードを北から脅かすことが可能であろう」
問題は彼のテヌーラ人の部下たちであった。役人と武官の合計四十人がいるが、当然彼らは上司がまるでエルキトの族長の様に振る舞っているのを、直に見ている。彼らから「ミクルシュクは独立の叛意在り」、等と密告されたら、肝心の物資が遣って来ない。
初めクルトは部下を全員殺して、「暴発したエルキトの襲撃を受けた」、と報告しようと思ったが、自分一人だけ助かっているのは不自然なので、部下たちを集め自身の野心を素直に言い、従うか、この地で殺されるかの選択を迫った。
結果、全員がクルトに従うことになった。
「宜しい。若し俺がこの地で覇を唱えたら、テヌーラ帝国を宗主国と仰ぐ国を造る。そしてバリス帝国と同盟をすれば、三方からホスワードへ侵攻できる包囲網が出来る。そうなれば必ずやアヴァーナ帝も正式に対等な国として認めてくれるだろう。其の時はお前たちはテヌーラへ帰るなり、好きにしてよい」
これで後顧の憂いを除いたクルト・ミクルシュクは自身に従った部族を率いて、クルトを可寒として認めない部族の討伐へと向かった。
年が明けた。ホスワード帝国歴では百五十五年となる。
そして年明け早々にホスワード帝国の帝都ウェザールの西の練兵場から、約五千の兵が南へと出発した。十二月から暫く天気は灰色に覆われ、しばしば降雪もあったが、年が明けてからは比較的好天が続いていた。但し北からの冷たい風は吹いてはいるが。
総指揮を執るのはラース・ブローメルトで彼らは南のドンロ大河沿いのボーボルム城塞へ赴任する。
既に前年より予算が下りて、工部省(国土省)の主導に因って、城塞の増改築と軍船の急整備が始まっている。彼らは当地にて水軍としての任務に就き、調練をする。
其の五千名の中には百名の女子部隊がいた。隊長は臨時という事でシェラルブク族の女性が勤めている。
本来の隊長であるマグタレーナ・ブローメルトは約一カ月間特殊任務の為、遅れてボーボルム城へ遣って来る予定だ。
ラースが率いる五千の部隊が出発した次の日、カイ・ウブチュブクとマグタレーナ・ブローメルトはメルティアナ州へと騎行して出発した。
カイは思う。志願兵として応募した二年半前からずっと彼の隣には、あの陽気なヴェルフ・ヘルキオスがいた。今はほんの短い期間ではあるが、彼の隣にはレナがいる。女性が隣に居るのはいいとしても、この女性は曲がりなりにも現皇帝の義妹で歴とした貴族の娘である。自分が何かとんでもない身分になったのでは、と錯覚する。
だが隣で自分に対して笑顔を向けるこの女性を見ていると、ヴェルフが隣に居るのとは異なった安心感と不思議な心の温かさを感じる。
皇帝アムリートより、メルティアナ州知事とメルティアナ城の総司令官のウラド・ガルガミシュには二人が当地に赴くことが既に知らされている。ウラドはバリスへの侵攻の準備があるため、長時間の面会は出来ないだろうが、彼の元に赴いて、彼が調査した限りのヴァトラックス教徒についての話を聞くつもりだ。其の為二人は先ずメルティアナ城へと向かった。
冬の事でもあるので、カイは緑の外套、レナは白に緑の飾りが付いた外套を、軍装の上に着こんでいる。
二人がメルティアナ城に到着したのは一月九日であった。司令官室へ赴き、二人はウラドの歓待を受けた。
「久しぶりだなカイ。相変わらず卿は各地を転々としているようだな。ラスペチアに一時期赴任していたとも聞いたぞ。それとブローメルト嬢は女子部隊の隊長とか。其の部隊がこの地の任務でないのが惜しいですな」
「ガルガミシュ将軍。それで例の秘儀教団に関しては」
「この城では以前卿に因って、捕えたものども以外は居らぬな。だがメルティアナ全域となると、かなり調査は難儀となる」
メルティアナ州はホスワードで一番の人口と領域を誇る州である。まずメルティアナ城だけでも住民が十万。そして五万以上の都市が三つ、三万以上の都市が十あり、一万以上の市に至っては二十を超える。その他一万に満たない村落は数えきれない。
「ガルガミシュ将軍、メルティアナでは孤児院は幾つ、そして何処にあるでしょうか?」
レナの問いにウラドは「三つです。既に調べているが、怪しい所は特に無い」、との回答を得た。
「では、ここ数年で無くなったり、其の三つの孤児院に統合され、用を為さなくなった施設とかはありますか?」
「其れは州知事に聞くといいだろう。其の為の書面を認めよう」
「お忙しいところ申し訳ありません」
カイが謝辞したのはウラドがそろそろ部隊を率いて、バリス領への侵攻への実行の準備で忙しいからだ。
二人はウラドの書面を持って、メルティアナ城内にあるメルティアナ州知事の執務室を訪れた。
かなりややこしいのだが、メルティアナ城内にはウラドが率いるメルティアナ城駐屯軍の軍施設と、メルティアナ城市の市庁舎と、メルティアナ州全域を統括する州知事府がある。
二人が向かったのは州知事府だ。
カイとレナは州知事府にて、孤児院など民間で運営され、財政援助という形だけで、州政府が関わってる各種施設の担当の職員を紹介された。その職員は言う。
「確かに十年近く前に無くなった孤児院はあります。バリスとの国境に近いので、閉鎖して、丁度十年前に新設した院に統合されています」
「其の閉鎖された院は何処ですか?」
担当の職員によると、メルティアナ州で一番の北西にある市でスーアという、人口一万程の市である。跡地に関しては如何なっているかまでは知らない、と其の担当の職員は言った。
スーア市は曾てカイが所属していたバルカーン城のあるメノスター州のすぐ南にある。地図で確認すると、西へ少し進めば、バリス帝国との国境となっているいるボーンゼン河が北へ流れている。
ウェザールからメルティアナに来たように、スーア市までの道程を確認して二人は其の日の内に出発した。
「カイ、このスーア市の孤児院を調べ終わったら、ボーボルム城への任務に就きましょう。アムリート兄様も全州の衛士に、不審な建物は全て調べる様に命を下しているようだし」
「そうだな。衛士たちを信じて、俺たちは自分たちの役目を優先しよう」
馬を飛ばす。日が暮れるのが早く、日が昇るのが遅い時期なので、如何しても途上の宿泊が多くなってしまう。この日カイとレナが夕刻に着いた村で宿屋へ入ると、丁度冷たい雨が降り出してきた。
「ちょうどよかったけど、朝までに止んでくれるかな?」
「二年前の二月頃に此処より少し北のバルカーン城に居た事があったけど、長雨はあまりなかったな。多分明日には晴れるよ」
すると宿の主人が申し訳なさそうに二人に言った。
「二部屋という要望ですが、申し訳ありませんが、今一部屋しか空いていません。床は二つあるので、それでも構いませんか?」
カイは慌てて言った。
「か、構いません!その代りこの場所で私は毛布にて眠りますが、御主人宜しいでしょうか?」
「構いませんが、外をご覧ください。雪になってきてますよ。一応炉はありますが、ここで寝るなど冷えますよ」
「カイ、こんな所で寝たら風邪を引くよ。別に一緒の部屋でもいいじゃない」
「いや、そうはいかない。御主人、念を押しますが本当に空き部屋は無いのですか?若し男性客が一人で床が二つある部屋に泊まっているのなら、料金は私が全額払うので、確認をお願いします」
確認したところ無いらしい。其れ処か三人連れが無理に懇願して、二人用の部屋に宿泊しているそうだ。
結局、カイとレナは同じ部屋で寝る事になった。
二人が食事を食べ、カイが先に部屋で居ると、湯あみをしてきたレナが上に着ていた寝間着を放り出し薄衣になり、彼女は小窓から外を見る。
「見て、カイ。本格的に雪が降ってきてるよ。貴方もお風呂で暖まったらどう?」
部屋は小さく、床が二つ並べてあるだけであるだけで、その間に蝋が灯った台が置かれている。其の薄暗い中で蝋の明かりで、薄衣のレナの体の線がうっすらと分かる。
「まったく、ヴェルフと一緒に旅をしていたら、こんな面倒な目に合わずに済んだのに…」
カイも湯あみをして、部屋に戻ると、レナに寝る挨拶をして、床の中へ其の大きな体を丸め、直ぐに眠る事にした。
翌朝、空は見事に晴れていたが、一面は白一色に埋まっている。目的地のスーア市までは馬を飛ばせば、二刻(二時間)で着くが、流石にカイもレナもゆっくりと騎行する事を選び、雪中にて馬を軽く走らせていた。
「ねぇ、カイ。如何にか昼までにスーア市に着くかな?」
「うまく、午前中までに着くようにしよう」
人馬共に吐く息が白い。風が強くないのが幸いだが、この気温の中で馬を疾走させるのは、冷気を全身に浴びる事になる為、緩やかな騎行にしている。
そして、二人は如何にかスーア市に昼前に着いた。
スーア市はバリス帝国との国境に近く、其の為バリスからホスワードへ来る西方の商人は、ほぼこの地に滞在する。此処で商売をする者もいれば、旅の疲れを取ってメルティアナのより大きな都市への準備をする者もいる。故に基本的に宿屋が多く、市場の場と為る開けた場所がある位の、特に特別な街では無かった。
カイは士官なので、其の軍装から即座に市役所への取次が出来た。レナの軍装はまだ女子軍というのがホスワード全体に広まっていない為、彼女だけでは取次は出来なかったであろう。
そして、驚くべきことに担当として現れたのが、スーア市長其の人であった。
彼は十年ほど前まで、この市にあった孤児院などの民間施設の財政援助の担当者だったのだ。その後程無くしてスーア市長になったので、確かに彼に問い合わせるのが確実だ。
二人は其のまま市長室へ招かれ、暖かい部屋にて座って話をする事になった。
「この市の市長をしております、エレク・フーダッヒと言います。確かに私は十年ほど前までこの市の孤児院等の民間施設の管理を担当していました」
エレク・フーダッヒは中肉中背で、歳は四十代後半というところか。温和そうな人物で、実際に市民や部下たちからの評判も高いという。
「フーダッヒ市長。お忙しい中時間を取って下さって、先ずはお礼を申し上げます。小官はカイ・ウブチュブク、此方はマグタレーナ・ブローメルトと言います」
「さて、孤児院の事ですが、周知のようにこの地はバリスに近く、当時院に居たのが数名だったので、メルティアナ州のもっと東にある村にて、新設された孤児院に職員も含め皆移りました」
「フーダッヒ市長。当時孤児院はどのような形で運営されていたのでしょうか?」
レナが次々質問をすると、フーダッヒは思い出すように答えた。カイは其れをじっと聞いている。
「先ずは州と市の予算からの援助金。其れを元に基金を作り、市民から広く募金という形で運営していました。西方からの商人さんも稀に募金してくれていましたね」
「職員はどの様な方々だったのでしょうか?」
「言ってみれば彼らも似たような者たちでしたね。夫が戦死または病死し、更に子に先立たれた独り身の女性などが就いていました。そうした彼女たちが両親を戦死や病死で失い、親類等に行く当てのない孤児の面倒を見ていました。つまり其のまま住み込みでの生活です」
「子供たちはどの様に卒院していたのでしょうか?」
「学校を卒業しただけでは、就業に困難があるので十五・六歳までに何か手に職をつけるための訓練を院内にてして、当時の私を中心とする部署の役人が職を斡旋していました。あとはごく稀に子がいない富裕な夫婦が養子として、引き取りにも来ていましたね」
「職というのは具体的にどの様なものでしょうか?」
「此処は宿が多いため、そういった宿屋や、後は市場での仕事や、近辺の村での農作業ですね。あと男の子の場合は二十近くになったら志願兵の応募に応じた者もいたはずです」
「今、その孤児院は?」
「数年ほど前に宿屋に改築されています。其処で働いている孤児院出身の者たちもいますよ」
卒院した者たちや就いていた職員の名簿も渡されたが、この名簿は院側で作られたもので、閉鎖時に担当のフーダッヒに渡された物らしい。其処には「パルヒーズ・ハートラウプ」の名は無かった。或いはこの名は彼の役者としての通名なのかもしれない。
「その名簿は院が創設された六十年以上も前からの物で、私もこれが正しく記載されているか分かりません。士官殿はこの施設出身と思われる者が、何が重大な罪を犯したので、其れを追っているのですか?」
「そうではありませんけど、少し気になる事があるので、お尋ねしました」
カイが来訪の釈明をすると、レナは如何やら十分の様だったので、カイに退出をしようと告げた。最後に宿屋になった当の孤児院を見学すると言った。
「随分と色々質問をしていたが、如何だ、不審な感じは無いか?」
「無いわね。以前ウェザールの図書館で確認した典型的な孤児院の経営状態ね。ねぇ、カイ。そのパルヒーズ何とかって奴の言ってた事って、全て本当なの?」
「ラスペチアで一人で巡礼していたし、投宿場所も、帰国した日も言っていた通りだったぞ」
「じゃあ、其の他は嘘ってこともあり得るんじゃない?其の人は役者なんでしょ。其の場で幾らでも思い付きで何とでも言えるはずよ」
「其処は思いに至らなかったな。成程、あの場で確認できることは事実で、できないことは嘘と、虚実を交えていた、という事か」
パルヒーズ・ハートラウプの顔はしっかりと覚えている。今は何処で劇をしているのか不明だが、次に会った時には必ずや捕縛して、改めて話を聞かなければならない。だがカイとしては拷問という手段は生理的に出来ないので、如何やって彼に真実を吐き出させるべきか、という悩みが頭を擡げた。
「取り敢えず、今日は其の宿になった孤児院を見学して、問題なかったら其処で泊まって、ボーボルム城へ赴くことにする?」
カイは頷き、宿に改装された孤児院にちゃんと二人が別々に宿泊できる部屋があることを祈った。
それにしても、と思う。前年のエルキトへの遠征では夜にカイの幕舎に入ってきたり、先日は一緒の部屋で過ごそうと言って、平気で薄衣のままでいる。
何とも警戒心の無いお姫さんだな、と思うカイ・ウブチュブクであった。
第十二章 諸国鳴動 了
という訳で、いろいろ野心家たちが暗躍した回となりました。
今後もこんな感じのペースで進むと思いますので、どうかお見捨て無きようお願い致します。
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