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第十一章 墨絵の皇太子

 墨の濃淡で表す水彩画なんて、この舞台となっている国のどこでやっているんでしょうか?

 とりあえず、どこかで細々とそれをやっている絵師がいることにしましょう。


 では第十一章です。

第十一章 墨絵の皇太子



 バリス帝国の皇太子ヘスディーテ・バリスは鉱山の視察に出ていた。バリス歴で百四十六年八月の終わり頃である。ホスワード歴では百五十四年になる。

 ヘスディーテはこの年で二十一歳となる。十代の頃から地方官などの任務に就いていたので、このような視察は彼にとっては特別な公務ではない。

 ヘスディーテは辛うじて長身という部類に属するが、其の体格は虚弱では無いにしろ、線が細い。そして顔立ちは美麗な造りをしているが、其の表情は若者とは思えぬ程に無味乾燥としていた。

 若者らしいのは女性をも羨むつるりとした白皙の肌と、綺麗に切り揃えられた直毛の細く美しい黒髪である。切れ長の目の瞳は冷たい灰色で、偶然にもバリスの役人の服は濃い灰色を基調としている。但しこの役人の服を動きやすく、且つ皇太子が身に付けるに相応しく装飾をされたものをヘスディーテは着ていた。


「皇太子殿下、音が一番激しいので、如何(どう)かこの耳栓を。そして塵埃を防ぐ為にこの(マスク)を御付けになります様」

 そう言われたヘスディーテはそれらを装着する。足元には紐らしき物があり、其れを火打ち石で着火させた。

 この紐は火薬を含ませた特殊な導火線で、火が着火すると、即座に伸びている紐は火で燃え上がっていき、約四十尺(四十メートル)以上先の岩盤の中に埋め込まれた中へと到達すると、轟音と暴風を靡かせ、大量の砂煙を周囲に撒き散らした。

 岩盤に穴を空けその中にこの導火線が入った筒状の黒色火薬を満たした物を入れ、発破をしたのだ。

 鉱山採掘に於ける、最も困難な岩盤を此れにてひび割れさせ、取り除くことが出来る事に成功したのだ。勿論これが目的の視察だが、別の意味での視察も兼ねていた。

「この導火線が付いた筒状の爆発物の大量生産は可能か?」

 ヘスディーテはこの発破の責任者に問うた。

「はっ、幾らでも可能です。どの程度御所望ですか?」

「そうだな。十月の初め頃までに五百個以上は頼む」

「畏まりました殿下」


 ヘスディーテは忙しい。このような全土で行われている事業の視察を主にしているのだが、数カ月程前から、ホスワード軍が自国領内に来寇する様になった。

 来寇してくる兵は歩騎一万ほどだが、同数か其れ以下で迎撃に出た場合だと、打ち破りに来るが、倍以上の兵を迎撃に出すと、防備に徹し、最終的にホスワード領内へと退却してしまう。

 問題は大量の兵を迎撃に出した時である。兵たちはバリス全土行われている労役をしている人員で組織しているため、当然その間の労役は止まる。更にホスワード軍を撃退した後の、再度の労役の再配置をしなければならない。

 常に無表情なヘスディーテも心まで非情ではない。こういった迎撃に出た労役夫には一定期間の休養を取らせてから、再び配置している。

「恐らく、アムリートは我々が兵民一体となって、国内産業と軍役を同時に行っている事に察知したようだ。其の為に軍を度々出し、少しでも本朝(わがくに)の国内産業の充実を遅滞させようとしている」

 ヘスディーテは自身が中心となってやっている事が、隣国の皇帝に見抜かれている事を察知した。しかし、現状では其れに対応する手立ては無く、国内産業の成果が徐々にではあるが、やや低下してきた事実を突き付けられた。

 だが、ヘスディーテはこの時、現在の自国の最大の敵としてエルキトを想定している。ホスワードのこの小煩い蠅共に対しては、エルキトに対しての対処してから、と決めていた。


 この年の初めより、バリスの帝都ヒトリールにはエルキトの使者が度々訪れ、五年前の同盟をした際の報奨金の未払い分を催促するになった。エルキトの使者たちは現れる度に高圧的になり、遂にはバリスに対する軍事行動まで示唆する様になった。

 こういった使者をバリスの第七代皇帝ランティスは老獪に躱していたが、流石に殆ど恫喝という位になった為、息子である皇太子を召還して、対応を話し合う事にした。

「分かりました、父上。次にエルキトの使者が来た時には、私も同席させてください」

 十月五日。帝都ヒトリールにエルキトの使者が又やって来た。皇宮の謁見の間でランティスは玉座に座し、その玉座の隣には皇太子であるヘスディーテが立っていた。

 その服装は視察に出ていた時と同じ動きやすい役人の服装をしている。上下共に濃い灰色で、各所に銀の装飾がされ、上着の左胸にやはり銀の双頭の鷲が配されている。そして(ベルト)長靴(ブーツ)は漆黒であり、上半身に羽織った白の肩掛け(ケープ)にも銀の装飾が施されている。

「ランティス陛下に申し上げます。私が最後の使者となります。若し此れより私が申し上げる事を拒絶するのなら、我が主君バタル・ルアンティ・エルキト陛下の御意向を拒絶したものと受け取ります」

「では、バタル陛下の意向を申せ」

 そう言ったのが玉座の傍らにいる、まるで頭から足の先まで、墨の濃淡で描かれた様な白黒(モノクロ)の細身の若者から発せられたので、使者は戸惑う。

「ランティス陛下。陛下のお隣に居られる方は?」

「余の息子のヘスディーテだ。此度の交渉は息子に一任してある。言いたい事は息子に言うがよい」

「では、殿下に改めて申し上げます。五年前の軍事援助の際の未払い金を、本年度中まで本朝(わがくに)にお納め下さる様、お願い申し上げます。これ以上の延滞は決して許さぬ、との我が主君の御意向です」

 ヘスディーテが冷たい声を静かに発したが、其の内容は使者は勿論、この場にいたランティスを初めバリスの高官たちに、(さなが)ら岩盤の発破用の爆発物を起爆させた内容だった。

「そのように金が欲しいのなら、バタルに自ら奪いに来い、と伝えておけ。以上だ。下がれ」


 エルキトの使者は大声で叫びたい衝動を、辛うじて堪え、声を震わせて、呼吸を整えながら、次のように言って去った。

「今、殿下が申し上げた事は、其のまま我が主君にお伝えする。御覚悟の程は宜しいかな」

 エルキトの使者が去ると、謁見の間は高官たちがざわめき始めた。流石のランティスも不安そうに息子を見やる。

「如何するのだ。エルキトとの一戦に臨むというのか」

「左様です。恐らくエルキトはテヌーラと半ば同盟にある為、テヌーラに対して軍の派遣を指嗾(しそう)するでしょう。またホスワードに対しての防備も必要です」

「では三国を同時に相手にするというのか?」

「二十五万の兵を動員しましょう。ホスワードに対しては二万五千ずつをバルカーン城とメルティアナ城に対しての備え。五万を逆にテヌーラに対して国境を越えての侵攻。そして残りの十五万で以て、侵攻してくるエルキトとの戦いに使用します」

 まるで邸宅に対しての野盗の防犯策でもする様に、ヘスディーテは平然と言った。二十五万の兵の動員など、バリス帝国建国以来初となる。

「兵部尚書(国防大臣)、今言った四カ所の総司令官の選定は卿に任せる。私が行うのは兵の動員と、其の後方の補給の安定と、主な敵となるエルキトに対しての策を授ける事だけだ。エルキトに対しては私自ら後方にて督戦する」

 そう兵部尚書に言うと、ヘスディーテは兵の動員の為の準備ため、と称して謁見の間を出て行ってしまった。

 謁見の間では高官たちのざわつきが収まらない。



 エルキト帝国皇帝バタル・ルアンティ・エルキトは一年以上前のホスワードに対する大敗から、如何にか自身の威信を回復しつつあった。

 其の主要因は遥か南方のテヌーラ帝国から、通使館の開設を頼まれたことで、此れに因り、エルキトはテヌーラとの交易を大いに行い、其の豊かな物資を各部族に分け与えることで、シェラルブク族の離脱と、其の後の戦の敗北の動揺を鎮める事ができた。

 しかし、更に威信を回復するには外交上の圧力である。故に彼はバリス帝国に五年前の同盟の残りの未払い金を強硬に主張した。次の使者がまたあの古狸のランティスにのらりくらりと躱されたら、軍事行動である。軍事の成功こそ、各部族を繋ぎ止める最大の手段なのだ。

 十月八日。最後通牒として送り出した使者が帰還した。其の返答を聞いたバタルは暫く声が出なかった。漸く内容が咀嚼できると、彼を怒りを露わにした。

「其のヘスディーテとかいう小僧を何としても屈服させてやる!全軍に総動員を掛けろ!」


 一週間と経たない内にエルキトで十万を超える軽騎兵が編成され、其のままバリスの国境へとバタル自ら指揮を執る。

 バリス帝国とは既に何十年以上も前から修好を持っていたが、其れ以前はエルキトはしばしばバリス領内に入り掠奪行為をしていた。其の昔の侵略の再現となった。

 編成前にバタルはテヌーラの通使館の長を呼んでいた。テヌーラに対してバリスを南から侵攻して欲しい旨を、テヌーラの女帝アヴァーナ・テヌーラに依頼するためだ。

 テヌーラの通使館の長はクルト・ミクルシュクと云い、この年で二十七歳という若さである。初めバタルはこの若いテヌーラ人を見て、「此奴(こいつ)は本当にテヌーラ人なのか?」、と不審に思った。

 クルトは背が百と九十五寸(百九十五センチメートル)を越える偉丈夫で、若々しいが何処か険しい顔つきは、南方の温暖な所で育ったというより、寒風吹き荒ぶこの地で育った造りである。ミクルシュクという姓の響きもエルキトか、でなければホスワード風である。通使館の長の選ばれたというのもあるが、エルキトの言葉も堪能だし、何より馬術の腕はエルキト人其の物だ。


 クルトはバタルの支援要請を素直に受けた。バタルが言葉を続けた。

「卿が此の地に居るのは、あくまで我々とテヌーラの交易を潤滑に行う為だと思っていたが、このような軍事要請を貴国の女帝は受け入れてくれるのか?」

本朝(わがくに)はバリスに対して国境の問題を抱えています。先年カートハージ全てを領する事に成功致しましたが、バリスに再奪還されない為にも、更に国境を北へ押し上げたいのが、我が主君のお望みです。無礼な言い方をすれば、我が主君と陛下の利害は一致しております」

「そういう事ならよかろう。貴国の支援に感謝する」

「其れと、あのホスワードも度々バリスを劫略しているとか。云わばバリスは三帝国から攻撃を受ける事になるのですから、陛下の勝利は確たるものであるでしょう」

 クルトは内心で、「若し此れでバリスに大敗したら、この男はエルキトの頂点に居られ無くなるな」、と思っていた。

 バタルはクルトの内心など知らず、「ではアヴァーナ帝にこの件を宜しく頼む」、と言ってクルトを下がらせた。


 バリスから見てテヌーラに対しての最も東側の国境はカートハージで、ここは先年の戦いでテヌーラが全て領している。カートハージはドンロ大河の上流域から中流域へと入る北部にある。

 其れより西側はドンロ大河の上流域に沿って、バリスとテヌーラの国境が複雑に絡まっていた。

 ある部分ではドンロ大河の南方までバリスの領域で、ある部分ではドンロ大河の北方がテヌーラの領域であった。

 ドンロ大河の上流域は南北とも険しい山地なのだが、処が近年、この辺り一帯が炭田であることが判明した。両国は俄かにドンロ大河の上流域の帰属を巡って、対立している。

 テヌーラの女帝アヴァーナはエルキトが大規模な遠征軍をバリスに対して起こすので、其の後方を扼して欲しい、というミクルシュクの連絡受けて、即座にこのドンロ大河の上流域の炭田の確保のための兵を準備するよう命じた。

 そして、十月十二日に約三万五千の兵が編成され、まず船団にてドンロ大河を遡上して、目的の地へと差し向けた。


 こうしてバリスは北からエルキトの十万を超える軽騎兵の襲来、南からはテヌーラの三万五千の兵の侵攻を受ける訳だが、更に西に対しても配慮をしなければ為らなかった。

 ホスワード帝国の西端には北部にバルカーン城と、南部に曾てのプラーキーナ朝の帝都メルティアナ城がある。

 バルカーン城には一万五千の兵が駐在し、メルティアナ城には一万を超える兵が駐在している。

 前者の総司令官はムラト・ラスウェイで、後者の総司令官はウラド・ガルガミシュである。

 両者は度々交互にバリス領へ侵攻していた。此れはアムリートの命によるもので、労役の妨害を目的とした出兵である。故に深追いはせずにバリスが大軍を擁して迎撃に来た時には、速やかに撤退していたのだが、このような柔軟な用兵ができる事は両将軍の指揮能力の高さを示している。

 また両城共に内偵がバリス領内に入っているので、バリスが南北からの同時侵略の目に遭う事は即座に帝都ウェザールのアムリートの元へ届けられた。

 両将軍の報告内容の補足として、今までの妨害行為ではなく、本格的にバリスの侵攻を行うべきか、とあったが、アムリートは両将軍へ其のままバリスの兵を釘付けにする様に、との通達を出した。

 そして、アムリートはシェラルブク族の族長に五千の軽騎兵の用意を頼むと、親書を送り、帝都ウェザールに軽騎兵三万五千の動員をするよう、大将軍エドガイス・ワロンに命じた。これが十月十五日の事である。



 ホスワード帝国の帝都ウェザールの九月十七日。此の日はカイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスはラスペチアという、バリス帝国の北西に位置する国への駐在武官として、赴任する出発日であった。

 其の命を受けたのは一週間前だったので、両者は其の日まで、曾ての任務の上官だったレムン・ディリブラントの実家であるニャセル亭という飲食店兼宿屋の同室で過ごしていた。

 尤も両者の過ごし方は著しく変わっていた。カイは朝起きて、ニャセル亭で朝食を採り、帝都内を散歩して、昼に軽食を出す店で寛ぎ、午後は帝都にある図書館で過ごす。読む物はラスペチアに関する書物だ。そして夕刻にはニャセル亭に戻り、夕食を食べ湯あみをして、二階の部屋で酒を呑みながら実家から数冊持ってきた本を読んで寝る。

 一方のヴェルフは昼頃に起きて、ニャセル亭で昼食を食べながら、周囲の人たちと如何でもいい話をしては大笑いをしている。最初は周囲の人たちは、此の大柄で然も士官いう事から、近づき難かったのだが、何とも気さくで冗談好きなので、一躍ニャセル亭のある歓楽街の人気者となっていた。そして日が暮れればニャセル亭を出て、歓楽街の花町で活躍している様である。ニャセル亭へ帰ってくるのは、早朝で其のまま寝てしまう。


 出発日の三日前、カイは何時もの図書館で二人の女性に会った。一方はカイと同じ位の歳の女性で、一方は十歳位の少女だ。

「レナ様。今日は午後の調練は無いのですか?」

「えぇ、カイ。今日は一日中休みです。今日はツアラと本を探しに来ました」

「手伝いましょう。ほら、あんなに上の方にも本が置いてあるし」

「ありがとう、カイ。では孤児院に関する文献って探してくれる?」

「孤児院?何故其の様な本を…」

「ツアラがね。将来は自分の様な両親を亡くした子供たちを受け入れる施設で働きたいって言うの。私、この娘を衝動的に自宅に迎えたけど、考えてみれば、ツアラの様な子って、他にもいっぱい居るでしょう」

 カイはツアラの顔を見るために、その巨体を屈めた。

「将来は孤児院の職員をしたいのか。凄いなぁ。俺にはとても思い付かないし、出来ない事だよ」

「はい。ですから学院に行って、一生懸命勉強して、私のような子供が学校へ行ける施設で働きたいんです。レナ様には私は兵になれないから、申し訳なく思っているんですけど」

「いいのよ、ツアラ。その夢は私が後押しするから、あなたは自分の道を見つけたのだから、其れに向かって努力すればいいの」

「若しよければ、私もできる限りの援助をしたいです。取り敢えず、上の方にある書籍は私が見ましょう」

「カイ、ラスペチアへ行くんですってね」

「はい、期間は次の戦が起こる前に直ぐに呼び戻す、とガルガミシュ尚書閣下に言われました」

「噂ではエルキトがバリスに以前の未払い金を催促していて、両国関係は悪化しているとか」

「陛下はバリスの出方をかなり気にして居られる様です。レナ様は何か直接陛下からお聞きになりませんでしたか?」

「全然。アムリート兄様って、昔から何かに集中しだすと、近づき難い雰囲気を纏うの」

 図書館の中という事もあり三人は静かに話す。やがてカイは何かを見つけて、其の長い腕を上げて一冊の本を取った。

「如何です、此の本は。ツアラの御所望の物かな?」

 レナとツアラは本の題名と内容をぱらぱらと見て確認して、満足そうに頷いた。

「ありがとう、カイ。貴方ってこういう時、本当に便利ね」

「では、軍を退役したら図書館員にでもなろうかな」

 三人は小さな声で笑った。


 九月十七日に帝都を出発したカイとヴェルフであるが、出発前に兵部省(国防省)に寄り、三つの物を受け取った。

 一つはラスペチア王宛てのアムリートの親書。一つはラスペチアの通使館に対する任命書。

 そして此れは厳密には二つずつだが、カイとヴェルフの左の上腕に巻かれた腕章である。

 この腕章は灰白色で、丁度外側に見えるように、ラスペチアの紋章である(カラス)の精巧な刺繍が施されたものを身に付ける。カイとヴェルフは正規の緑色をしたホスワードの士官の軍装をしているが、この腕章を身に付けていれば、ラスペチアに赴任する兵の印なので、途上バリスやエルキト内を通行しても、先ず咎められる事は無いそうだ。

 行程は帝都の北を流れるボーンゼン河を船にて遡上し、運河を伝いシェラルブク族の居住地近く迄達する。其の後は馬にてひたすら西を目指す。腕章の有効性を信じて二人はバリスやエルキトの領内を騎行して行った。

 ホスワードの軍装をしているというのに、本当に最小限の身体検査のみで、遂に二人はラスペチアに到着した。九月二十五日の事である。北は砂漠で、南は山脈が見える。東西は公路となっていて、ラスペチア内には様々な国の出身者が多く、彼らの言葉は何処の国ものか聞き取れない。ラスペチアの言語は西方の言語との共通点が多く、その為ラスペチア人は多言語者が多い。勿論ホスワードやバリスやエルキトの言葉にも長じている。そして二人は勤務先であるホスワードの通使館に辿り着いたのだが、仰天する。何とホスワードの通使館の隣にはバリスの通使館が在ったのだ。

 並んである建物が片や緑地に三本足の鷹を配した旗を掲げ、片や赤褐色の地に双頭の鷲を配した旗を掲げている。

「何とも不思議な光景だな。此処ではお隣さんと仲良くやらなきゃならないのか?」

 ヴェルフの一言に全てが詰まっている。取り敢えず、二人は通使館に入り、任官の手続きをする事にした。


 ラスペチアの通使館の長が任命書を受け取り、更にラスペチア国王に対する謁見をするよう、二人に言った。当然アムリートの親書を持ってだ。

 そしてラスペチアの通使館の長は、一人の数カ月前から此処に赴任しているという、士官を紹介した。レムン・ディリブラントだった。

「ディリブラント殿。まさかこの様な形で再会できるとは思いもしませんでした!」

「其れは私も同じだよ。如何かね。ニャセル亭で宿泊をしてくれたかな?」

「いやあ、あそこは花町へ赴く絶好の場所ですな。ウェザールに於ける小官の拠点と致します」

「ふむ。其れは結構だ。では明日はラスペチア王の謁見とラスペチアの観光と行こう」

 暫し三人のホスワードの士官たちは近況を話し合い。時に大笑いをする。

「しかし、初めに会った時は私は士官で貴官たちは輜重兵だった。今は同格の士官だ。そう遠くない内に貴官らは高級士官となって、私を顎で使いそうだな」

 まるでそうなる事を望んで言うディリブラントにカイとヴェルフは苦笑をする。この日は旅の疲れを癒す為に、二人は通使館内の二人に宛がわれた部屋にて就寝した。


 翌朝、カイとヴェルフはディリブラントに連れられ、ラスペチアの王宮へと赴いた。三人の装束は全く一緒である。上下の緑の軍服、上着の方は左胸に三本足の鷹が刺繍されている。褐色の手袋と長靴(ブーツ)(ベルト)、頭には緑の縁無し帽子。この帽子には士官の場合は銀色の装飾が施され、鷹の羽が一本刺さっている。そして左の上腕に灰白色の烏の紋章が施された腕章。

 王宮は当然華麗だが、大きさの規模としてはホスワードの州の知事府位である。

 ラスペチア王に拝謁して、アムリートの親書を手渡し、謁見は問題無く終わった。ディリブラントは此のラスペチアの特色を述べようとしたが、先ず事前に調べていたカイが述べた。

「此の国は曾て度々ホスワードの地で騒乱を起こしていた秘儀教団の教えを国教している、と聞いています。其れに対して小官は不安を覚えているのですが…」


 カイたちが先年ホスワード内で秘儀教団の摘発に当たったが、ラスペチア王国は其の教えを国教としている。

 正式にはヴァトラックス教という。善神ソローと悪神ダランヴァンティスを崇拝する宗教だが、此処ラスペチアで生まれた宗教ではない。更に西にある地で今より二千年前とも三千年以上前とも謂われる時期に成立した宗教だ。

 開祖の名がヴァトラックスなので、其のままヴァトラックス教と言われている。

 ラスペチアは千年前の建国期より、此の宗教を国教としていたが、東西貿易の拠点という事もあり、次第に宗教色は俗化して、国を挙げての儀式が年に数回行われるだけである。

 ラスペチアに居住するヴァトラックス教を信奉しない人たちは、其れなりの租税を科せられるが、信奉している人たちは逆に其の年の数回に因る儀式で、寄進をしなければ為らないので、此の地に住む者は信仰の有無に関わらず、国に納める金銭は大体同程度らしい。

 ラスペチアの王宮の左右には善神ソローと悪神ダランヴァンティスが祭られている神殿がある。

 特徴として、信徒たちは灰白色の外套(フード)を身に付けている。

 カイたちが左腕に身に付けている腕章も灰白色だ。

 (カラス)が意匠されているのは、死後に信徒は鳥葬される為の影響だ。烏によって天空の聖なる神殿へ行く為だという。だがラスペチアでは死後の鳥葬は当の本人が死の前に望まない限り、行われないらしいので、ほぼ廃れた習慣らしい。


 ディリブラントを初めホスワードで外交に就くものなら、自国内にある歴史上度々現れた秘儀教団と、此処ラスペチアの国教が同一である事を知っている。故にアムリートも左程の注意を払わない。

「折角だから、善神と悪神の其々の神殿を見に行かないか。信徒でない我々は中に入る事は許されていないがな」

 悪神の神殿では、病を初めとする様々な苦しみが自分に降り懸からない様に祈願して、善神の神殿では、死後は聖なる宮殿にて常しえに幸せに暮らせる様に祈願する。

 当然に礼拝に赴いている信徒たちは灰白色の外套(フード)を身に付けている。ホスワードで地下に潜った信徒たちは、此れを身元を隠す為に使用していたが、礼拝用の衣装が正しい使い方なのだろう。

 礼拝を終えた信徒たちは頭巾を上げて素顔を晒し、楽しげに談笑している。これら見ると何とも平和的で、プラーキーナ朝末期の民衆反乱や、ホスワード第四代皇帝マゴメートを操り国を混乱に陥れた集団と同じとは思えない。

「此処では国教だから、このように平和的なのか。ホスワードでは元々国教としていた国がアルシェ一世に滅ぼされ、弾圧され地下活動となったから先鋭化したのか、其れとも此処と違い元々好戦的だったからアルシェ一世が滅ぼしたのか…」

 カイはホスワードの地に於けるヴァトラックス教の信仰の形態に暫し考え込んでいた。

 カイは一人の人物に目がいった。曾てバハール州で観劇をしたパルヒーズ一座のナルヨム二世を演じた人物だ!彼も灰白色の外套(フード)を身に付けていて、礼拝を終えたのか素顔を晒している。


「以前会ったな。パルヒーズ一座でナルヨム二世を演じていた者だろう?」

 カイは其の男を捕まえて、ややきつい口調で言った。ヴェルフとディリブラントもカイの傍へ寄る。

「おぉ、貴方は何時ぞやの大金を投じてくれた兵士殿。此の様な所で会うとは奇遇ですな。いや通使館が在るのですから、ラスペチアの駐在武官をして居られるのですか?」

「一座は如何した?仲間は何処にいる?」

「私一人で礼拝に来たのですよ。他には誰も居ません。ホスワードには我らが信仰の為の神殿が有りませんからね」

「ホスワードの地にて神殿を建立するのが、お前たちの目的か。ホスワードに於ける首魁は誰で何処に居る」

「恐らく今の師父はそう考えているでしょう。私は寧ろ此の地に皆移住した方が良いと思っているのですが。師父の居場所に関してはメルティアナ州の何処かとしか言えません。毎回会う場所が変わるのでね。そう言えばメルティアナ城で会合場所を造ったのですが、あそこは摘発されたようですね」

「ではあの演劇は資金集めと、信徒を獲得する為の手段と見ていいんだな」

「まぁ、そうなります。私も師父の指示でやっている事なので、そう怖い顔をしないでください」



 パルヒーズ・ハートラウプと名乗った、ナルヨム二世を演じた男は自分の身の上話をした。年齢はこの年で三十歳で、背は平均的な成年男性より、少し高い方で百と八十寸(百八十センチ)程、細身ながら軽業や剣舞等が出来る為か、柔軟でしなやかな力強さを感じる。化粧を落とした其の顔は優しげで、赤みががった茶色い髪と薄茶色の瞳をしている。

 彼は幼き頃に両親を亡くし、メルティアナ州にある孤児院で育ったが、其の孤児院はホスワードに於けるヴァトラックス教が関わっている孤児院で、孤児たちの幾人かは成長すると、希望する者は教団に入信し、ホスワードでの地下活動を指示された。

 演劇は単純に彼が好きだったので、一座を結成し、ヴァトラックス教の教えを間接的に広める舞台をやる様にと、師父と呼ばれる最高責任者から命じられたそうだ。

 孤児院にヴァトラックス教が関わっている事にカイは不安を覚えた。ホスワード帝国内にどれ程の孤児院が有るのかは知らないが、国営ではなく、州の財政援助と篤志家によって運営されているという。帝都ウェザールの図書館でレナとツアラと共にその実態は知っていたが、この篤志家の中にヴァトラックス教の関係者どれ程関与しているのかが問題だ。

「ハイケが高級官僚になったら、ホスワード全ての孤児院の実態を、明らかにして貰う様に頼めないだろうか。ツアラの将来も不安だ」

 パルヒーズ・ハートラウプは演劇上でやっていた深々としたお辞儀をして、今自分が宿泊している所と、ホスワードへの帰国日と帰国場所の州を正直に伝えた。彼の帰国日は三日後で、場所はホスワード帝国で最も北西にあるラテノグ州だ。


「カイ、如何する?彼奴(あいつ)をとっ捕まえとくか?」

「この地でヴァトラックス教徒を捕える事など、できないだろう」

「取り敢えず今の話は通使館の長に言い、長の判断で本国へ報告するか如何かの判断を戴こう。其れよりも我々がすべき事は、エルキトとバリスが会戦した場合、其の戦の様子を遠巻きに見て調べる事だ」

 ディリブラントが言った。彼が此処に派遣されたのも、バリスの地理に詳しい為、督戦をすべき適切な地を見つける事ができるからだ。

 こうして三人はホスワードの通使館へと戻った。丁度隣のバリスの通使館にも赤褐色の軍装に、同じく左腕の上腕に腕章をつけているバリスの兵たちが戻って来ていたので、軽く会釈して、双方は隣り合う其々の通使館へと入った。

 十月に入り、双方の通使館は慌ただしくなった。ホスワードの方は「如何もバリスとエルキトの戦が起こるらしい」、とざわめき立ち、バリス側では「本国は大丈夫だろうか?」、と不安に慄いていた。

 十月十日、レムン・ディリブラントとカイ・ウブチュブクとヴェルフ・ヘルキオスは通使館の長に呼ばれ、両国の会戦がほぼ確定的となったので、バリス領へ入り、会戦が行われるであろう場所に赴き、其の闘いの状況を調べるように、との指令を正式に受けた。例のホスワード人の教徒の事は近く本国へ帰国する者に帝都へ伝えさせる旨の連絡も受けた。


 そして翌日に三人は出発した。バリス領に付近までは其のままの軍装で通すが、完全に領内に入ったら旅人の服装に変える。その為簡易な宿泊用の荷物なども合わせ、かなりの荷物で以て騎行して向かった。

 向かった所はバリス北部で北に対してかなり開けた平地である。エルキトは何十年前まで、この地を通り、バリスの奥深くまで侵入しては、しばしば略奪行為をしていた。恐らくバリス側は此処で迎え撃つことになる。

 三人は旅人の格好と為り、此の平地に対して高所から望むことができる、西側の山地に簡易な幕舎を作り、遠望する事になった。十月十五日だ。

 既にバリス側では陣が敷いてある。先端が鋭くしてある馬防柵が延々と連なり、其の背後には数万という赤褐色の兵たちが控えていた。カイが見るところ十万近くの兵が集まっている。

 カイたちは水は近辺の渓流から、食料は携帯用として干し肉や固パンを持ってきている。足りなくなったら、狩りにて調達をしなければ為らないが、如何に遠方に居るとはいえ、料理のために火をおこし煙を出すのはなるべく避けたい。三人は携帯用の食事をうまく計算して食べる様にしている。

 十月十七日。遂に北方からエルキトの軍がやって来るのが見えた。中央に狼が配された黄土色の旌旗は数えられない程あり、彼らも大軍で全軍騎兵だという事が分かる。そして其の日の昼前にほぼバリス側の馬防柵の近辺まで近づいた。


 エルキトの皇帝で総指揮を執るバタル・ルアンティ・エルキトは一斉に矢の斉射を命ずる。其れも馬防柵近辺まで近づき矢を浴びせ離脱させ、次の後方に居る部隊がまた馬防柵に近づき矢を浴びせる。

 此れを繰り返す事に因って、馬防柵近辺の兵を後方へ散らし、馬防柵を手斧で破壊しようというのだ。

 バリス兵も同様に矢を射る。だが地上にて位置が固定しているバリス兵、馬上から移動しながら射るエルキト兵の違いから、効果的に相手に弓矢を当てているのはエルキト側だ。馬防柵近辺でバリス兵はばたばたと倒れるか、恐れを為して後方へと下がっていった。

 此の後方へのバリス兵の下がりを確認したバタルは、手斧にての馬防柵の破壊を命ずる。

 其の時、エルキト兵たちは自分たちの周囲のあちらこちらで大量の煙が上がっているのを確認した。


 かなり遠方まで居るカイたちにまで、其の爆音は轟いた為、三人は何事かと吃驚(びっくり)する。

 彼らが遠望していた平地の一帯は噴煙に塗れ、何が起こったの分からない。

 エルキトの兵たちの中で何百という爆発が次々に起こり、馬は其の爆音で狂奔し、馬上の兵は投げ出される。中には人馬共に爆風で吹き飛ばされている。

 バリス兵たちは岩盤の発破用の筒状の黒色火薬が入った物を事前に地中に埋め、導火線に火を点けて爆発を起こしたのだ!

 其れも金属片も筒と共に入れ殺傷力を増している。相当数のエルキト兵が人馬共に金属片を浴び血だらけになって倒れている。

 此れを用意し指示したのは、此の戦場の遥か後方に居る、バリスの皇太子ヘスディーテであった。彼は遠く離れているとはいえ戦場なのに、何時もの服を着ている。一応帽子と手袋をしているが、帽子はヘルディーテの漆黒の髪と対を為す白で、銀の飾りが各所に付いている、そして手袋は漆黒だ。この細身の白黒(モノクロ)の若者に因って、エルキト兵は混乱に陥ったが、更に混乱させるようにバリス兵が攻め立てた。

 先ず、馬防柵は移動できるように、下に輪が付いており簡易な操作で、固定と移動用に切り替えられる様に出来ている。

 そして、後方に下がって耳を塞いでいたバリス兵は、其の馬防柵を動けるようにして、数人で押して動かしてエルキト兵に突進していった。

 先端に鋭く削られた太い木があるので、エルキトの人馬はこの柵で次々に刺され蹴散らされる。

 続いて、後方にいた騎兵を中心とした部隊が現れ、残っているエルキト兵を槍で次々と殺傷していく。

 総帥バタルも轟音と爆風と煙の中、一体何が起こったのか理解ができない。

 漸く煙が無くなった頃、バリス軍は更に後方にいた部隊を相手の背後まで回していて、エルキト軍を完全包囲していた。

 其のバリスの総軍は十万どころか、十五万は居る様に遠方で確認したカイには見えた。更に後方に居た兵たちはカイたちが居る所では確認できなかったのだ。

「降伏せよ。さもなければ皆殺しだ」


 バリスの総司令官の声を無視して、バタルは包囲の脱出の為に一点に対して全軍を叩き付けた。其の戦闘は凄まじく、何が何でも脱出せんとするエルキト兵の捨て身の攻勢により、遂にはバリスの包囲の一角に穴が開き、バタルたち一部の兵は脱出に成功した。完全に包囲したため、弓矢で攻撃することで、同士討ちになる事をバリス兵が怖れたのも脱出を許した要因だろう。

「逃げられたか。次は南だな」

 特に喜びも悔しさも達成感も表さず、ヘスディーテは南方で行われているテヌーラとの戦いの推移に関心を向けた。近侍に此の方面の総司令官に「事後処理は総司令官に一任する。私はヒトリールへ帰る」、と伝える様に命ずると、馬に跨り南へと奔った。

 彼が乗った馬は漆黒で、且つ馬具は全て白なので、まるで水墨画家が絵の対象として使用したい騎乗姿であった。



「一体あの爆風は何なんだ?」

 流石のヴェルフも其れを言うのが精一杯である。

「鉱山採掘で岩盤を爆破によって取り除いているという事は聞いていたが、此の様に戦に使用するとはな…」

 バリスの内情に詳しいディリブラントが起こった事を説明する。

「バリスの奴らは、此れからあんな戦い方をするのか?」

「いや、其れは無いだろう。火を点けてから爆破まで時間がかかるから、其の途上で水をかけるなり、足で踏みつけるなりして、消せばあの爆発はしないはずだ。だがエルキトの者がどんなに騎乗が達者でも馬に火を消させることは出来ないからな。其れよりも恐るべきはあの大軍だ。十五万は居たはずだ」

 ヴェルフの質問にカイは答える。此の一連の事はしっかりと記録して、帝都ウェザールに報告しなければならない。

 暫く三人は戦場となった平地を見ている。其処には大量に無残に残されたエルキトの兵馬たちや、ぼろぼろになった黄土色の旗で満ちている。十月十七日の暮れ、バリス帝国の一方的な勝利だった。

 カイたちはラスペチアの通使館に戻る準備を始めた。


 ほぼ同時期にテヌーラ帝国の三万五千の兵はバリスの五万の兵を相手にしていた。北方でエルキトとの交戦をしているのだから、数千程しか来ないと思っていたテヌーラの総司令官は慌てて、オデュオスへ援軍を頼んだが、バリス軍は先年のカートハージでの復仇を遂げようと、数にて猛攻をかけテヌーラ軍を敗走させ、国境を接しているドンロ大河の上流域のほぼ南の部分を占拠してしまった。

 此の辺りは両国とも人口は少ないが、国境が安定すれば、炭田が多くあるので、石炭採掘に多くの住民が移されるだろう。そしてバリス帝国が一帯の占拠に成功した。

 テヌーラ帝国の首都オデュオスには援軍の派遣要請から、半日と経たずに三万五千の兵が打ち破られ、主要地域が占拠された事が報告された。軍は半減し、大半は捕虜となってしまった。


 オデュオスの皇宮では緊急の御前会議が開かれ、議論は紛糾した。

「エルキトは本当にバリスに侵入したのか?」

「ミクルシュクに早期に確認の連絡を取るべきだ!」

「ホスワードに連絡を取って、共同で奪い返すしかないぞ」

「あの地はホスワードより遠い。どの様に彼らに来て貰う?また如何にかして来て貰ったとしても、何を以て其の恩に報いる?」

 テヌーラの女帝アヴァーナ・テヌーラは静かにするよう命じた。

「先ずはミクルシュクからの連絡を待とう。バリスがこれ以上、本朝(わがくに)に侵攻しないように、五万の兵を用意し、防備に当たらせる。兵部尚書、其の準備を即座に致せ」

 了解したテヌーラの兵部尚書は背後の副官と共に退出し、兵の編成へと出ていく。

「陛下、ホスワードにバリスの領土の奪い取りを指嗾しましょう。そうすれば今占拠しているバリス兵は其の対応の為、全軍とはいかずとも、少しは減らせるはずです」

 そう提案したのは、アヴァーナの夫の妹である典礼尚書(宮内庁長官)のファーラ・アルキノだった。

「今の事はホスワードの通使館に即座に通達させよ。今バリス国内は兵が少数に違いない、と言えばアムリートも侵攻するだろう」


 十月二十日にラスペチアにカイとヴェルフとレムンの三者が戻ると、即座にカイとヴェルフにシェラルブク族の居住地への移動が通達された。アムリートはこの機にエルキトの部族を切り崩すつもりらしい。

 慌ただしくカイとヴェルフはシェラルブク族の居住地へと赴く準備をした。

 報告書はディリブラントが詳細に纏めるというので、カイは彼に其れを任せる事にした。

 カイとヴェルフが出立をすると、隣のバリスの通使館では大勝の大騒ぎで半ば宴会状態となっているようだった。

「やれやれ、ついこの間まで、びくびくしてたというのに現金な奴らだ」

 ヴェルフがそう言うが、流石にあのような大勝ならば、喜びを爆発させるのも無理は無いと思う。

 馬を飛ばし、二人がシェラルブク族の領域に入った時には、既にホスワード軍の軽騎兵三万五千と、シェラルブク族の軽騎兵五千の合計四万の兵が揃っていた。総司令官は皇帝アムリートである。


 皇帝副官のラース・ブローメルトにより、ヴェルフは百人のホスワードの軽騎兵の指揮官となり、カイはホスワードの軽騎兵三十名とシェラルブク族の軽騎兵七十名の計百名の指揮官に任命された。

 カイが率いるのは全員女性である。ホスワード側の三十名の小隊指揮官はマグタレーナ・ブローメルトであった。

「ウブチュブク隊長。私たちの部隊は偵察と交渉を主任務とされています。隊長の命に全員従いますので、如何か何なりとお申し付けください」

 カイはレナの言葉にやや困惑したが、覚悟を決めて、自身が率いる女子軍に役割の確認を言った。

「よし、此れより皆でエルキトの調略だ。恐らく戦闘は無いと思うが、気を引き締めていこう」

 傍らで其れを見ていたヴェルフは「彼奴(あいつ)だけが女と一緒とは、羨ましい限りだ」、とぼやいた。

 近くを見ると、ファイヘル・ホーゲルヴァイデが二百名の軽騎兵の指揮官として居るので、ますます不快になるヴェルフだった。


 バリス側では約五万の兵がホスワードの国境に対して展開しているという。テヌーラ側から、バリスへ侵攻するよう使嗾されたが、アムリートは其れを無視した。長期では無いにしろ今バリスは空前の大軍を運用できている状態にある。その五万の背後には十五万の兵がまだ揃っているはずだ。

 其れに対して当たるのは無謀と言えるものだった。

 其れならば、敗れたエルキトに対して攻勢を掛け、完全に北の脅威を除くのがより効率的である。

 其の為アムリートは軽騎兵の準備を事前にしていた。二頭立ての輜重車も何百と用意した。

 合計四万の軽騎兵はシェラルブク族の居住地を拠点として、各エルキトの部族に対して攻勢や、自国への従属国となる調略を仕掛ける遠征に出たのだ。

 大将軍エドガイス・ワロンは本国にて予備兵を統括している。若しバルカーン城のラスウェイ将軍と、メルティアナ城のガルガミシュ将軍の両軍が、バリス軍に押される様な事が有ったら、彼がこの国内軍を率いて支援する体制をアムリート整えていた。


 先ずはシェラルブク族の近辺にある、かなりの人口を誇る部族に対しての調略を行う事になった。此れに成功すれば他の部族は雪崩式に従うだろう。

 そして、カイの部隊が其の部族の状態を見る為に偵察に赴いた。カイは女性、しかもレナと轡を並べてこの様な事をするとは、全く思ってもいなかったので、流石に内心では戸惑っている。

 カイはレナに言う。

「処で、よく此の様な事を陛下やラース卿はお許しに為りましたね」

「指揮官として貴方が上に立つのなら、従軍を認める、陛下から言われました」

 陛下は何を考えているんだろう、とカイは心の中で首を捻った。

 二人は件の部族の中へと入っていく。部隊を留め、一人の若いシェラルブク族の女性を通訳として連れた。

 如何にかバリスとの戦から離脱でき、帰還していた男たちの大半は重症を負っていた。戦える戦士は殆ど居ない。三人は其のまま部族の長に会いたい、と要請した。

 既に此の惨状を見て族長を初め長老たちの会議は行われていた。 

 勿論、カイもレナもエルキトの言葉をあまり理解できない。シェラルブク族の女性から簡単に会議の内容を説明された。

 如何やら自分たちはあくまでもエルキト皇帝バタルに付き従う、という結論に達したらしい。

 即座に三人はその場所から離れ、対応策を話し合った。

「如何にか、降伏を促したいのですけど、あの部族は難しいですか?」

 レナはシェラルブク族の女性に言った。

「私たちだけでの交渉では難しいと思います。全軍を展開させ示威行動を見せればあるいは」

 三人は早朝にアムリートの幕舎に赴き、其の内容をアムリートに報告した。

「大軍にて威圧するのは最後の手段としたかったが、仕方あるまい。全軍にて其の部族に対して展開しよう」


 バリスでの大敗で遠征に行った戦士たちの大半が帰って来なかった為、約六万以上を誇るこの部族は、ホスワードとシェラルブク連合軍の全軍が揃うと、降伏を受け入れた。即座にアムリートは辛うじて帰還できた負傷者の手当てや、不足している物資の供給を行うよう指示した。

 こうしてアムリート率いる軽騎兵はエルキトの各部族を次々に調略していき、バタルが支配する領域は彼の全盛期の四割近くが減らされた。

 各部族はシェラルブク族の様にホスワード帝国の半従属的な自治領となり、で無ければホスワードに対して敵対しない、という条約を交わされた。若し長く厳しい冬を越すのに難儀する様だったら、シェラルブク族に大量の物資を送るので、彼らを頼るように、とアムリートは従属した各族長たちに言った。


 カイの部隊はカイを除くと全員女性である。故に幕舎ではカイ一人が眠り、女性兵たちが河原にて汗を流すのはカイと半分の女性兵が見張った。カイは偵察や交渉よりも、こういった状況により神経を使っていた。

 ある夜一人で幕舎で半分寝ていると、レナが入ってきた。驚くカイに彼女は孤児院についての詳細が聞きたい、と言ってきた。ツアラの将来に関することだ。

 カイはラスペチアで会ったヴァトラックス教徒の生い立ちを話し、ホスワードの孤児院の調査をするべきだと述べた。

「まさか本朝(わがくに)の孤児院が其の様な事になっているとは思わなかったわ。確かに詳細な調査が必要ね」

「其れとホスワード内のヴァトラックス教徒は孤児院だけではなく、様々な形で地下活動をしている様だ。俺の弟が高級官僚になったら、其の調査を依頼しようと思っている」

「あとバリスのとエルキトの戦いだけど、其れは本当の事なの?」

「俺が見た限りバリスは十五万の兵を動員していた。他にホスワードとテヌーラに対しても大軍を送っている。アムリート陛下の懸念は確かに其の通りだった」

「此の遠征は半ば戦意を無くした相手ばかりだったけど、そんなバリス軍相手に私達女子部隊なんて、通用するのかな?」

「通用するよ。俺が必ず通用するように策や調練を考える。レナもそう言わずに、自分で色々考えるんだ。そんな弱気な言葉は君らしくない」

「ありがとう。そう言えば貴方、さっきから私に対して同僚や部下に対する様な話し方をするね」

「あっ、そう言えばそうだったな。気を悪くしなかったか?」

「いいえ、此れからもその調子お願い。何しろ貴方は私たちの指揮官なのだから」

 レナは「じゃあ、お休み」、と言って自分の幕舎へ行ってしまった。その直後、カイは色々考えていたが直ぐに眠ってしまった。



 アムリート率いる四万のエルキト調略軍がシェラルブク族の居住地に戻ったのは、十一月も半ばにさしかかろうとしていた時期だった。既に雪が舞い始め、北からの風は冷たく、強風ともなれば骨身にしみる寒さだ。

 冬季用の準備をせず、元々短期遠征の予定だったので、ホスワード軍は本国へ帰還することにした。

 エルキト皇帝バタルの根拠地までは侵攻せず、敗れ帰還した彼が其処から如何出るか注視しなければならないが、北方の大部分を平定したホスワード側としては、情報は幾らでも入ってくるだろう。

 またバリス側の詳細もこの時にほぼ分かった。

 先ず、エルキトを壊滅させた十五万の軍はエルキトへは侵攻せず、事後処理を終えると、国の内部へと帰還したようだ。

 ホスワードに対して二万五千ずつの兵も、バルカーン城やメルティアナ城への攻略に出ず、此方も内部へ帰還してしまった為、ラスウェイ、ガルガミシュの両将軍も其々の城塞に帰還している。

 一方、テヌーラに対しては攻勢に出て、かなりの南部の領域の占領に成功したらしい。

 暫くバリスはまたも国内産業に全力を上げ、軍事行動には出ないであろう。


 十一月の初日。既にバリス帝国の帝都ヒトリールでは南北に対する勝報が届けられている。

 バリス第七代皇帝ランティス・バリスは特に感慨も無く、皇宮の庭園で愛犬を連れ、自ら草花を剪定していた。

 そして、程無く帝都に戻ってきた息子から、此の日に夜に今後の事について話し合いたいと言われたので、皇宮の一会議室にて、親子は二人きりで話し合うことになった。

「今後の事とは何だ?今は兵を休ませ、其の後再び労役に就かせるのであろう」

「其の労役です。ホスワードに又も度々邪魔をされるでしょう」

「では、即座にホスワードを討つというのか」

「最早今年中は勿論、暫く大規模な会戦は出来ません。出来るとしても短期でしょう。以前も言いましたが、テヌーラとの修好を結びましょう」

「テヌーラと修好?今、我々は彼の地を侵略したばかりだぞ」

「ですので国境線を確定し、彼らに多少奪い取った領土を返還致します。そして彼らにホスワードとの修好を破らせ、彼らを以てホスワードへの侵攻を唆します」

「其の様な事が出来るのか?」

「私自らテヌーラの首都オデュオスへ使者となって、アヴァーナ帝を説得しようと思っています。本日この場を設けたのは、父上に其の許諾を戴きたいからです」

 ランティスは五十代でどちらかといえば小柄で肥満体では無いにしろ、やや小太りである。頭髪は彼が二十代後半ごろから徐々に抜け落ち、今では二割程しか残っていない。丸顔で眠たそうに垂れ下がった眼の瞳の色が、唯一息子と同じ灰色をしている。一見してこの両者を親子だと思うものは、先ずいないであろう。抑々(そもそも)当の父親がそうであった。

 だが父親は外見の違いで、息子を実の子か如何かと疑っているのではない。此の様な突拍子もない発言を聞く度にそう思うのである。


 バリス帝国歴百四十六年十一月三日に、ヒトリールからテヌーラのバリス占領軍に「交渉を行うので、テヌーラとの交戦は控える様に」、との通達が出された。そして占領軍が対峙しているテヌーラ軍に「和約をしたいので、使者がオデュオスへ向かうが、アヴァーナ帝にその使者を受け入れる事の許可を願えないだろうか」、と伝えた。

 約一週間後、テヌーラ側から和約と使者の受け入れる旨の通達が出された。

 此れを受けたバリス皇太子ヘスディーテ・バリスはごく僅かな随員と共に、ヒトリールを出発して、テヌーラ帝国の首都オデュオスへと向かうことになった。

 其の服装は上下が銀で装飾された濃い灰色の役人の服。(ベルト)と手袋と長靴(ブーツ)は漆黒。銀の装飾が施されている白の肩掛け(ケープ)を上半身に羽織り、帽子も同様に銀の装飾が施されている白だ。

 其の白皙の美貌には感情というものが全く感じられず、墨絵から出てきたような趣さえある。

 しかし、其の漆黒の頭髪の中には様々な策謀を講じている。既に火薬を用いた、新兵器の試作を職人に頼んである。それは二つで、一つは長い頑強な鉄の筒から火薬爆発で砲弾を発射させる物。もう一つは鉄の筒に装着した火薬の入った砲弾自体を導火線にて発射させ、着弾時に爆発させるものだ。後者は扱い方を間違えれば、自軍内で暴発する危険性がある。

 これらの兵器が出来上がるのはまだ先だろうし、抑々実戦に堪え得る物か如何か不明だ。故に今は外交を一番に重視しているヘスディーテであった。


第十一章 墨絵の皇太子 了

 さて大まかな主要登場人物はすべて出し切って、それなりに活躍させる場を与える事が出来たので、ほっとしています。

 彼らが次にどんな活躍をするのか、それに対しての、またも時間を取りたいので、次回は二週間以上投稿にかかると思います。

 ヘスディーテ君も、また変なものを作りたいというので、時間が欲しいそうです。申し訳ありません。



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