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第五章 想の汪溢

「ああ、峯村課長、お久し振りです」

 竹田チーフも聡に気付き、首を垂れる。すると聡が、

「竹田さん、今日はプライベートだから課長は止しましょう」

 と竹田チーフに申し出る。

「……ということは、お隣は奥様でございますね」

 察し良く、竹田チーフが聡に言い、

「妻の燈子だ。宜しく頼みます」

 聡が竹田チーフに頭を下げる。

「本日はどういったご用件で……」

「妻が急に、あなたの会社のジュエリーが見たい、と言い出して……」

「そうでございましたか」

 竹田チーフと聡の会話は続くが、その間、聡に気づいた別の店員が気を利かせたつもりで、この時間はスタッフルームにいる西園寺副店長と相良店長に連絡に走る。わたしはその動きに気づくが、どうすることもできない。休みの日くらい自由にさせてやれよ、と内心で思っていても……。

「どういったお品をご所望でしょうか」

 竹田チーフが峯村燈子に問い、

「それが何も決めずに来てしまったので……」

 峯村燈子が竹田チーフに答える。

「だから勝手に周らせていただくわ」

「承知いたしました。商品解説に一人つけましょうか」

 竹田チーフが峯村燈子に提案するが、まさかO店舗新人のわたしを指名するはずがない。そう思って安心していると、

「じゃ、そこのあなた……、市原さんにお願いしようかな」

 余程視力が良いのか、わたしならば読めない距離からネームプレートの文字を読み、峯村燈子がわたしを逆指名する。

「済みません。わたし、ここでは新人なので……」

 咄嗟にそう言おうとするが舌がまわらない。それで言うタイミングを逃す。

「市原さん、大丈夫……」

 竹田チーフが峯村燈子には聞こえない小声で心配そうにわたしに訊ねる。

「まあ、やるしかありませんね」

 わたしは他に何と答えることができただろうか。

「そう。じゃ、お願いするわ」

 竹田チーフがわたしに命じるのと、

「峯村くん、ちょっとこっちへ……」

 聡が相良店長に声をかけられたのが、ほぼ同時。

「子供じゃないから、わたしは独りで大丈夫ですよ」

 峯村燈子が状況を察し、聡に言う。その声は小さいが、わたしの耳にまではっきりと届く。妻に言われて聡がスタッフルームに引っ込み、

「お供させていただきます」

 わたしが峯村燈子の隣に立つ。邪魔にならない視線で峯村燈子を観察する。

 ボトムがグレーのワイドパンツで淡いベージュのパンプス。トップは白ニットに茶のライダースジャケットだ。左手首にはピンクゴールドの飾りバングル。胸にしているペンダントもチェーン部分はピンクで、ペンダントトップが薄い緑。それに反し、両耳のピアスはホワイトゴールドだ。

 峯村燈子は専業主婦のはずだが、そのコーディネートでいると、まるでビジネスウーマンに見えてしまう。まるで戦闘服のようだ。が、誰と戦うためのモノだろうか

「あなた、お店は長いの……」

 各種ショウケースをゆっくりと周りながら峯村燈子がわたしに問う。

「それが転部して、まだ一月です」

「あら、それじゃ大変ね」

「何事も仕事ですから……」

「わたしは子供ができたとき仕事を止めたけど、働く女は格好良いわよね」

「はい。わたしもそうなりたいです」

 とりとめのない会話をしながら、時折、峯村燈子が足を止め、ジュエリーに見入る。「これはプラチナかしら……」

「はい。Pt900ですね。九十パーセントのプラチナです」

「この輪が二重になったペンダントは面白いわね」

「はい。でも、わたしには、そのデザインだと知恵の輪に見えて……」

「あっ、本当だ。確かに、知恵の輪に見えるわね」

 峯村燈子が発する言葉の何処にも、わたしに対する敵意はない。が、今回の峯村燈子との遭遇が、わたしには偶然とは思えない。もっともそれが神の意志なら、世間一般の人たちにとっては偶然と同じ意味となる。が、わたしにとっては……。

「あなた、恋人は……」

 いきなり峯村燈子がわたしに問う。

「残念ながら、今はいません」

「じゃ、好きな人は……」

「……」

「いるのね」

「はい」

「大きい声じゃ言えないけど、わたしの夫はどうやら不倫をしてるらしくて……」

「まさか……」

「それも一時の気の迷いなら良いのだけど、すごく真剣みたいで……」

「……」

「だけど相手の人に騙されているってこともあるでしょう」

「はい」

「だから、わたしは今日、確認に来たの……」

「はいっ……」

「市原さんなんでしょ。峯村聡の不倫相手は……」

「いえ、まさか、そんな、違います。わたしが課長となんか……」

「あなたが悪い人だったら良かったのに……」

「……」

「調べてみたら、すごい頑張り屋さんで、慣れない仕事場で一生懸命で、ジュエリーデザイナーを目指していて……」

「ごめなさい……」

「あなたは本気で峯村聡のことが好きですよね」

「はい。ごめんさい、奥さま。でも……」

「いいの。その先は言わないで……。峯村聡は市原美緒さんにあげるから……」

「へっ……」

「峯村聡と別れるのはわたしの方……」

「まさか、そんなこと……」

「でも、わたし、もう決めてしまったから……。あなたのことを実際に見て、わたし、決めてしまったから……。一目でわかったのよ。あなたの方が峯村聡のことをわたしよりもずっと愛してるって……。だったら仕方がないじゃないの」

「奥様……」

「だけど、少し時間を頂戴ね。だって、そうじゃないと、わたしと峯村聡が先に別れてから、あなたたちが愛し合った形にしないと二人とも社会的信用を失うわ。それは理解できるわね」

「はい、奥さま。でも……」

「ねえ、わたしにも格好をつけさせてくれないかしら」

「……」

「早ければ一年後、遅くとも二年後には、きちんと峯村と別れるから……。それまでに市原さんは立派なジュエリーデザイナーになってください」

「燈子さん……」

「いい、それがわたしとあなたとの約束よ」(第五章・終)


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