6 詭
第一章 天の配剤
「お腹が一杯になったし、お酒が飲みたい」
洋食屋、マイ・ディナーでの食事を終え、わたしが城崎充に強請ってみる。店を出、またあの公園の方に向かっている最中のことだ。
「今日はもう帰った方が良いですよ」
けれども城崎充はそんなことを言う。
「わたしといてもつまらないか」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「だったら、お酒を付き合いなさいよ」
「……」
「ホラ、今のわたし、不幸せな顔をしていないでしょ。これは、あなたがくれた笑顔なんだよ。だから、わたしをもう一度不幸せな顔に戻したくないなら、もう少しくらい付き合ってくれたっていいじゃない。お酒を飲んだら、すぐ家に帰るからさ」
思わず口にしてしまったが、我ながら滅茶苦茶な理論だ。
「仕方がない人ですね」
「そう、わたしは仕方がない人……。だから不倫もする」
「何も自分も責めなくても……」
「だって単なる事実だから……」
けれども、そのタイミングでスマートフォンに着信があるとは……。城崎充の顔を覗き、わたしはどうしようかと惑う。が、我慢できずにスマートフォンを確認する。案の定、メールは聡からのものだ。
『ぼくが帰って暫くの間は気持ちが悪そうだったが落ち着いたよ。明日、空いていれば会おう。聡』
わたしは聡にどう返事を返せば良いか。
「城崎さんは、わたしが断れば良いと思ってるんでしょ」
わたしと聡の関係に無関係な城崎充に、わたしが無責任な言葉を放つ。
「……」
城崎充はわたしの目を見つめるばかりで何も言わない。が、誰に訊いても答えは同じだ。不倫は悪い行為に決まっている。だから、わたしが城崎充の無言に勝手に答を見出す。すると城崎充の顔色が変わる。
当然、その前にわたしの顔色が変わったのだろう。今、自分の顔に諦めの表情が浮かんでいることをわたしは知っている。偶然出会った城崎充に、わたしは何を求めたのだろうか。奇跡が起こり、わたしが聡以外の誰かを恋せば、自分が救われるとでも妄想したのだろうか。
が、わたしに一歩近づいた城崎充が口にしたのは、わたしには意外な一言だ。
「人が人を好きになるのは人には制御できません。だから、もしも神がいるなら、それは神の領域だ。人にはどうにもできません」
城崎充はわたしに何を伝えたいのだろうか。神が間違えた、とでも、わたしを慰める気だろうか。
「で、続きは……」
わたしが城崎充に続きを促す。すると観念したように身構え、城崎充がわたしに言う。
「神がもし全能なら間違えることはありません。市原さんは神に祝福されたんですよ。ただし……」
「人には祝福されなかった、っていうわけね」
わたしのその言葉に城崎充が無言で首肯く。
「だけど多くの人は、神様が間違えた、って考える」
「市原さんは詭弁だと思いますか」
城崎充がわたしに尋ねる。だから、わたしが自分の考えを述べる。
「宗教の信者は神が人を作ったって信じてるけど、実際は人が神という概念を作ったわけでしょ。……とすると、わたしみたいに神のいない女には詭弁よね」
わたしが城崎充に強く言う。
「でも正直言って救われたわ。ありがとう」
ついで弱々しい声で、そう伝えてみる。内心では、これも詭弁か、と想いながら……。
「わたし、いずれは峯村聡と別れようと思ってる。それは本当……。でも、それが何時になるかはわからないし、それがわたしにわかる前に死んでしまうかもしれない。交通事故かなんかで……」
すると城崎充の顔が歪む。
「あっ、ごめん……」
すぐに悟り、わたしが城崎充に速攻で謝る。が、誤ってどうにかなるような問題ではない。わたしは気づかぬうちに城崎充を深く傷つけてしまったのだ。
「交通事故だったのね」
「詭弁ですよ」
「あなたはそうやって悲しみから逃れ出ようとしたわけね」
「だから詭弁だ」
「いいのよ、詭弁だって……」
わたしが言うと城崎充が驚いたようにわたしを見る。
「だってさ、あなたはわたしを救ってくれようとしたから……」
「だけど救われましたか……」
「救われたわよ。ちゃんと……」
「嘘吐きなのは、おれではなく市原さんの方だ」
「若い坊やが年上のお姉さんに舐めた口を利くものね」
「坊や、って……」
「あなた、いくつなの……。実際のところ、二十三か四でしょ……」
「二十一歳……」
「ちっ、外したか。……って、若過ぎっ。大学生……」
「今は通っていません」
「そう」
「市原さんは、おれが大学に戻った方が良いと考えますか。勿体ないとか、世間一般のルートから食み出すから、という理由で……」
「じゃ、答える前に一つ訊くけど、城崎さんの神様はあなたに何て答えてるの……」
「おれの神は死にました」
「あらあら……。じゃ、わたしの神様に訊いてみるしかないか」
「市原さんは神のいない女じゃなかったんですか」
「ええ、そう。でもさ、さっき、城崎さんから神様をもらっちゃったから……」