58 託
第五章 想の汪溢
「済みません。城崎さん、いますか……」
そのときmeat店内で女性の声がする。女性というより、若い娘の声だ。わたしが目を向けると見知った顔がある。城崎充のミニ・コンサートの常連、林玲奈だ。彼女がmeatのドア付近に立っている。ダッフルコートに埋もれた右手に何かを持っている。
「玲奈ちゃん、いらっしゃい」
連城マスターが林玲奈に声をかける。
「充はいるけど、今ちょっと取り込み中で……」
「えっと、これを渡すだけですから……」
林玲奈がそう言い、右手の中のモノを左右に振る。形から見て音叉のようだ。城崎充がミニ・コンサートの際、落としたのだろうか。
わたしがそう思ったとき、林玲奈がわたしと城崎充が座る小テーブルに気づき、迷いなく近づく。緊張した面持ちで、わたしに一礼すると、城崎充に向かい、
「はい、これ……」
と音叉を差し出す。
「ああ、ありがとう……」
すると魂が抜けたような声で城崎充が応え、林玲奈から音叉を受け取る。その様子をカウンター席から連城マスターが見つめている。
用事が終わったので、林玲奈がくるりと半回転し、小テーブルから去る仕種を見せる。けれども次の瞬間、もう一度くるりと半回転し、
「あの……」
とわたしに声をかける。
「お姉さんは城崎さんの彼女さんですか……」
そう言った林玲奈の声が震えている。余程勇気を奮い立たせたのだろう。ここはきちんと答えてあげなければ……。
「幸か不幸か、違うわよ。まあ、一言でいえば、お姉さんみたいな存在かな」
わたしが言うと、林玲奈は、本当に……、と疑う目でわたしを凝視する。が、次の瞬間、表情を変え、少しだけにっこりとしてみせる。
「わたしは市原美緒といいます。あっ、そうだ、丁度名刺がある……」
わたしは淡いピンク色のポシェットから名刺を取り出し、林玲奈に渡す。
「わあっ、ユア・タイム・ジュエリーの販売員さんなんだ」
わたしの名刺を見、林玲奈が驚嘆する。
「道理できれいだと思った」
「ウチの会社のことを知ってるの」
「だって有名だし、あたしたちなんかでも買えるジュエリーも扱っているし……」
「社長とデザイナーが聞いたら涙を流して喜ぶわよ。ところで、立ってないで座ったら……」
わたしが林玲奈に同席を促す。その間ずっと城崎充は呆気に取られたままだ。その辺り、彼は子供。あるいは純粋過ぎる。
「せっかくだから、わたしの隣じゃなくて彼の隣に座りなさいよ」
わたしが林玲奈に勧めると、
「じゃ、遠慮なく」
屈託ない表情をわたしに向け、林玲奈が城崎充の右隣の席に腰かける。もちろん、その前にダッフルコートをハンガーに吊しに行く。その隙に、わたしが店長を見遣ると、やれやれ、といった表情を浮かべている。わたしの行動に反対はしないが、本当にそれで良いのか、といった顔つきにも見える。
「えーと、玲奈ちゃん、って名前だったよね」
林玲奈が席に着くと、わたしが問う。
「はい。でも、どうして知っているんですか」
「充くんから聞いたのよ」
「あっ、それなんか嬉しい」
「玲奈ちゃん、って高校生みたいに見えるけど、実際にはいくつなの……」
「ああ、こう見えても二十歳なんです。誕生日が十二月十五日だから、まだ成り立てですけど……」
「じゃ、お酒は飲める」
「はい。だから、ここにはずっと来たくて……」
「……ということは、今日来たのが初めてか」
「はい、そうです」
「じゃ、神様がくれた落とし物だね」
「図々しかったですよね」
「いや、行動力はあった方が良いよ。ねっ、充くん……」
わたしが話を城崎充に振ると彼は吃驚したように、
「ええっと、それは美緒さんも行動力がある方だから……」
とわたしを引き合いに出す。
「ジュエリー・デザイナーになりたくて、ずっと頑張っていて……。ついこの間、社内のジュエリー・デザイン・コンテストで銀賞を獲って……。次にはデザイン部に行く約束で、まず販売部に移動して……」
「良く知っているわね」
「零さんに聞きました」
「えっ、どうしてデザイン部に行くのに販売部経由なんですか」
林玲奈が問うので、
「それはね……」
とわたしがユア・タイム・ジュエリー社、社長の意図を説明する。
「お客様目線ですか」
「そういうこと」
「あたし、美緒さんがデザインした指輪とかつけたいな」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、いつになるか、わからないよ」
「じゃ、待ってます」
「うん、待ってて……。でもさ、その頃には玲奈ちゃん、充くんと結婚していたりしてね」
わたしが林玲奈にそう言うと彼女が顔を赤らめ、城崎充の顔をそっと見る。そんな初々しい姿に、わたしは林玲奈に城崎充を託せるかもしれない、と考える。そう考え、胸がズキンと痛むが、それを押し隠す。
「玲奈ちゃん用のマスターお任せカクテルを頼んで来るから……」
林玲奈と城崎充を残し、わたしが小テーブルを去り、連城マスターがいるmeatのカウンターに向かう。




