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55 選

第五章 想の汪溢

「どう、元気にやってるかい」

 その後、O店舗に販売部の宮野課長がやって来る。わたしがミスをしていないかを偵察にでもに来たのだろうか。

「はい、それなりに……」

 わたしが答えると竹田チーフが言葉を添えてくれる。

「初めての職場にしては良くやっていますよ」

「そうか、それは良かった」

 宮野課長が満更でもないように竹田チーフに言葉を返す。

「おれの目は確かだろう……」

「そのようですね」

「でさ、市原さん、っては普通の人と違うでしょ」

「ええ、確かに……」

「彼女の個性を潰さないでね」

「間違っても、そんなことはしませんよ」

「まあ、おれも竹田さんがそんなことをするとは思ってないけどね」

 驚いたことに宮野課長はわたしを労いにO店舗を訪れたようだ。わたしの目が思わず、ウルッ、とする。が、この程度のことで宮野課長に涙を見せるわけにはいかない。

「じゃ、これから取引先に行くから、またね」

 そう言い置き、宮野課長がO店舗を去る。

 ……と思いきや、ドアの向こうで振り返り、ガラス越しにわたしにピースサインを送る。わたしには宮野課長の行動意図がまるで掴めない。

「宮野さん、市原さんのことが好きなのかしら……」

 竹田チーフも宮野課長の行動意図が読めなかったようだ。首を左右に捻ると、そんなことを言う。

「止めてくださいよ、チーフ。わたしにはそんな気はありませんから……」

「宮野さんは四十歳を過ぎたけど、未だに独身だし、付き合っても不倫にはならないわよ。いっその事、付き合っちゃえば……」

「いえ、断じて有り得ません」

 わたしがきっぱりと否定すると竹田チーフの顔が僅かに凹む。

「言葉はアレだけれど、私はイケメンだと思うけどね」

 えっ、まさか、そんなことが……。

「いらっしゃいませ……」

 が、わたしがそう思ったのも束の間、寒い季節の割にはお客さまで賑わうO店舗に次のお客さまが現れる。すぐに竹田チーフが声をかける。

「どういったお品がご入りでしょうか」

 店員から話しかけて良いお客さまだと判断したのだろう。が、竹田チーフに限らず、O店舗の店員の方からお客さまに声をかけるケースは稀だ。

 竹田チーフの声に気づき、中年男性のお客さまが竹田チーフとわたしのいるジュエリーの陳列棚ショウケースに近づく。

「妻に結婚指輪を送りたい。結婚二十周年記念だ」

 中年男性客が言い、

「ご予算はいかほどでしょうか」

 竹田チーフが単刀直入に中年男性客に問いかける。わたしは黙って二人の遣り取りを見るばかりだ。

「税込みで二十万までは出せる。結婚二十年だからね。しかし、それ以下で良いモノがあれば、こちらとしては嬉しい」

「畏まりした。誠心誠意、お見繕い致します。奥様のご趣味などをお聞かせくださると、ありがたいのですが……」

「妻の趣味か。問われてみれば無趣味な方だな。結婚して一年後には子育てに入ったし、ついこの前まで息子の大学受験と娘の高校受験であたふたしていた」

「ご結婚前には、いかがでしたか……」

「料理が好きだったな。それで釣られたよ。話も好きだ。だが、こんな内容じゃ参考にならんな」

「ご結婚十周年記念の際には、どのようなお品を贈られましたか……」

「K18のホワイトゴールドのリングだ。ペアで……。それと国内だが旅行……」

「素敵でございますね。ところで今回、ご旅行は……」

「一応、予定している」

「結婚二十周年は磁器婚式と呼ばれますから磁器の指輪という選択肢もございます。ですがサプライズの意味も添えまして、ここはやはりダイヤのリングをお勧めさせていただきます」

 竹田チーフが中年男性客にゆっくりと語り、素早く三点のダイヤのリングを選択する。それを、わたしが棚まで取りに行く。駆け足にならないように気をつけながら、ミスなく三点の商品を竹田チーフの許に運び届ける。

 竹田チーフが中年男性客の妻用に選んだダイヤのリングは典型的なものだ。

 一つ目は一般的人気が高いソリティア・タイプ。セットする石が一粒で、ダイヤモンドをシンプルに六本の爪で留めた定番中の定番だ。竹田チーフもそのタイプを選ぶ。ソリティア自体には爪があるタイプとないタイプ、更に爪の数が異なるタイプもあるが、いずれも中石センターストーンが大きく見えることが特徴だ。

 二つ目はメレ・タイプ。メレはメインの石の脇にメレダイヤと呼ばれる小さなダイヤが配置されたものだ(メレは小粒の意)。メレダイヤがメインのダイヤを引き立て、華やかさが増す。

 三つ目がパヴェ・タイプ。アーム(指を通す輪の部分のこと。他に、腕、シャンクとも呼ばれる)にメレダイヤがぎっしりと敷き詰められているのが特徴だ。なおパヴェとはフランス語で敷石を意味する。

 ついでに言えば、竹田チーフが選んだ三種の指輪は一つを除き、二十万円以下だ。

「いかがでしょうか」

「どれも素敵だな」

「奥さまにはシンプルなソリティアがお似合いだと思います。ですが、こちらだけ、ご予算額を超えてしまいます」

「あなたは商売が上手いな。わかったよ。それを頂く。確かに妻には一番似合いそうな気がする」

「ありがとうございます」

 中年男性客の英断に竹田チーフが深々と頭を垂れる。

「では奥様のお指のサイズ等について詳しくお伺い致します」

 結婚二十周年記念指輪の詳細を詰めるため、竹田チーフが別室まで中年男性客を案内する。その間、わたしは独りでO店舗のメイン・ショウケース内に立たねばならない。だから気が気ではないが、そこは機転の利く竹田チーフだ。すぐに自分の代わりに接客に慣れた部下の一人を送り込む。


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