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第五章 想の汪溢
「あの後ろの店員さんがしているネックレスが見たいんだけど……」
職場の先輩に対するわたしの振舞いが功を奏したのか、それとも単に皆が忙しいだけか、午後の職場に波乱は起きない。が、お客さまの一人に、わたしが間接的に声をかけられる。竹田チーフがすぐに気づき、
「市原のことでしょうか」
とお客さまに問う。
「名前は見えないけど、あの人よ」
明らかにお客さまがわたしのことを指差し、続ける。
「市原さん、ちょっとこっちに来てちょうだい。お客さまにネックレスを見せてくれないかしら……」
竹田チーフが命じるので、わたしがチーフの隣に立ち、自ら銀のネックレスを外し、お客さまに手渡しする。
「これは、あなたのなの……」
結構、年配のお客さまが素朴に訊ねるので、
「本日腕時計は別ですが、ジュエリーの類は弊社の商品となっております」
わたしがゆっくりとお客さまに説明する。
「そういうシステムなのね」
「さようでございます」
「つけてみていいかしら」
「はい、おつけいたしましょうか」
「つけ具合も確かめたいから自分でする」
「畏まりました」
お客さまが言うので、わたしはそのままじっと待つ。
「これは銀よね」
「さようでございます」
「銀って、すぐに黒くなるわよね」
「はい。銀は変色をいたします。空気中の硫黄と結合して硫化銀となります。それが黒い色の正体です。別名、燻し銀と呼ばれます。ご経験があるかもしれませんが、銀製品を温泉に浸けると黒くなります。温泉に硫黄が含まれるからです」
「ふうん。詳しいのね」
「高校のとき化学が好きだったもので……」
「他には……」
「銀の変色は表面だけですから磨けばまた元のピカピカに戻ります。プラチナ、ホワイトゴールド、シルバー=銀の中では、磨いたとき銀が最も白く輝きます。純銀では柔らか過ぎて装飾品には向きませんので通常は銅を加えて硬さを出します。九〇〇シルバー(コインシルバー)、九二五シルバー(スターリング)、九五〇シルバーなどと純度を表記します。それぞれ銀が九〇パーセント、九二・五パーセント、九五パーセントの意味でございます」
「ついでだから聞くけど、金とプラチナについても教えてくれない」
「はい、お答えします。純金は――とても日本的な表現ですが――大変綺麗な山吹色をしております。金自体は殆んど化学変化を起こしませんが、銀と同じでそのままでは柔らか過ぎて装飾品には適しません。そこでK18(十八金)やK14(十四金)のように銅を加えて硬さを出します。K24が金一〇〇パーセントを表しますからK18が七五パーセント、K14が――半端ですが――五八・三パーセントとなります。また銅の割合が多いほど赤みが強くなります。ピンクゴールド、レッドゴールドと呼ばれるものですね。さらに銅の割合を増やしますと青いシャンパンゴールドとなります。なおホワイトゴールドと呼ばれる白い金はパラジウムという金属を一五から二五パーセント加えて作られたものです」
「ふうん。家に帰った頃にはすっかり忘れてると思うけど、今は物知りになった気分だわ」
「お褒めいただき、ありがとうございます。最後にプラチナですが、プラチナは金の約五〇分の一から二五分の一しか取れない大変貴重な金属です。一トンの鉱石から取れるプラチナの量はたった三グラムと言われています。これは結婚指輪の一ヶ分です。大変重い金属で、水の重さを一としたとき、その二一・四倍の重さがあります。因みに銀が一〇・五倍、金が一九・四倍です。ですから銀で三グラムの指輪を作り、同じ体積の指輪をプラチナで作れば、その重さは何と六・一グラムとなります。銀や金と同じで、そのままでは柔らか過ぎますので指輪の場合は九〇パーセント、ネックレスの場合は八五パーセントまでプラチナの割合を下げて利用します」
「ふうん、やっぱり面白いわね」
「あっ、そうでした。一つ忘れていました」
「まだあるのかい」
「はい。プラチナが希少なのはプラチナの由来が大昔に地球に衝突した隕石であったからだと言われています。その証拠にプラチナは産出地が偏っています。第一位の南アフリカが全体の約七五パーセント、二位のロシアが約一五パーセント、三位がジンバブエですが既に全体の約三パーセントしかありません」
「ありゃ、プラチナって宇宙のモノだったんだね。そりゃ高いわけだ」
「はい。お客さまのおっしゃる通りでございます」
「これ、つけ心地は悪くないわね」
わたしの講釈が終わると、お客さまが話題を銀のネックレスに戻す。
「あなたの話が面白かったから価格が合えば、こちらを頂くわ」
「ありがとうございます。早速、お見積もりを致します」
咄嗟にそう言ったが、今のわたしに出来るわけがない。が、そこはベテランの竹田チーフが上手くことを運んでくれる。
「わかりました。では、これを頂きます」
数分後、竹田チーフとお客さまの間で交渉が成立したようだ。
「ええと、これはあの人がしていたものだけど、同じデザインの商品があるのね」
「はい。仰る通りでございます。私どもの店員がつけておりますのは店員用の同商品でございます。ご確認なさいますか」
「一応、見とかないとね。あっ、それで、これ孫へのプレゼントだから、ギフト用の包装でお願いします」
「畏まりました」
お客さまが商品を確認し、納得、支払い後、店の奥でギフト用の包装がなされる。それを待つ間、お客さまが竹田チーフと話をする。
「副店長さんも良い部下を持ったわね」
お客さまが竹田チーフのネームプレートを確認したようだ。
「最近では理系の子が宝石店にいるのかい」
「ええと、彼女の場合は事情が特殊で……」
「そうね。特殊なのは良くわかったわ」
それから、お客さまがギフト包装された商品を受け取り、最後にひょいと首を伸ばし、わたしに向かって声をかける。
「市原さん、今日はありがとう」
そう言い、エントランスを出、寒い二月の街中に去る。




