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第五章 想の汪溢
「イレギュラーな移動だからどうしようかと迷ったんだけど、まずは商品を覚えてね」
販売部の西園寺真子課長がわたしに言う。
「総務部に長くいると、どうしても会社の商品に疎くなるから……」
「努力します」
極端に派手ではないが、わたしには似合わない感じの制服を着、ユア・タイム・ジュエリー本社のO店舗に配属された、わたしが答える。
「転部理由からいって社内勤務じゃ意味ないけど、いきなり店舗で接客じゃ戸惑うわよね」
「できるだけ、ご迷惑にならないようにします」
「今日はアレだけど、化粧も変えた方が良いかな。あなたのは薄過ぎる」
「はい」
当然だがO店舗はまだ開店していない。
緊張したわたしが、少し早いかな、と思いつつ午前七時にO店舗まで来ると社員用玄関が開いている。それで前日までに渡された種々の書類を頼りに恐る恐るスタッフルームを探す。見つけて中に入ると人がいる。もっとも、その前にスタッフルームに照明が点いていたから誰かがいることはわかっていたが……。O店舗の副店長でもある販売部の西園寺課長がその人だ。
「おはようございます」
「あら、早いのね」
「転部初日ですから……」
「市原さんは遠足で早起きするタイプね」
「それ、確かにそうでした」
「本社では何度か会ってるけど、わたしのこと憶えてる」
「はい。昨年の社員旅行でも一時期、お隣の席でした」
「ああ、そうだったか」
「とにかく、宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくだわ。あなたは社長の夢の人だから……」
「そんな、プレッシャーをかけないでください」
「この程度で潰れるようならデザイナーになる夢は諦めるのね」
「はい」
「サイズは聞いてるけど一応制服と靴を見ておいて……。ロッカールームはこちら……」
西園寺副店長がテキパキとわたしを翻弄する。わたしは本当にここで遣って行けるのだろうか、と少し不安になる。
「あなた、今、不安になったでしょ」
「えっ」
「気持ちが顔に出るタイプなのね」
「……」
「不倫をするとバレるわよ」
「……」
「まあ、あなたは清楚な感じだし、不倫はないか」
わたしは何と答えれば良いのだろう。
「でも人は見かけによらないっていうし……」
「あのーっ……」
「ああ、ごめん、ごめん……。お喋りなのが悪い癖で……。それに余計なことを言うのも……」
「いえ、そんなことは……」
「着替えたら、さっきの部屋に来てね」
それだけを言い置き、西園寺副店長がロッカールームを去る。室内にあるロッカーの数は約二十……。つまりユア・タイム・ジュエリーO店舗には約二十名の社員が勤務しているのだ。
今日から、わたしがその中の一人。思わず、ふう、と溜息を吐く。わたしが仕事に慣れていないから、迷惑をかける人も多いだろう。だから、できるだけ頑張らないと……。
鏡を見ながら、似合わないな、と思いつつ制服を着終える。サイズはピッタリだ。そこは流石と思うしかない。制服を纏い、同時に用意されたローファーを履き、ポケットに入っていたネームプレートを胸につけ、わたしがスタッフルームに戻ると、お茶が入れてある。
「済みません」
「遠慮せずに飲んで……」
それから簡単な仕事の話が始まる。
「ジュエリー、それにアクセサリーにはいろんな想いが宿っているのよ。デザイナーの意図があれば、バイヤーの狙いがある。もちろん、お客さまの夢もある」
「はい」
「市原さんはデザイナー志望だから、そんなことは百も承知だろうけど、ジュエリー一つ一つにストーリィがあるのよ。それぞれに唯一つのストーリィがね。表面的には買ったり売ったりするの世界だけど、ジュエリーに宿った想いを受けとめ、お客さまとジュエリーを結びつけるのが私たちの役割。想いが伝わり、お客さまが共感して喜び、そして最後は商売だから購入に繋がれば、それが私たちの幸せ……。そのことを忘れないで……」
「はい」
「市原さんのデザイン、実は私、じっくりと見てるのよ」
唐突に西園寺副店長がわたしに打ち明ける。
「そういえば、西園寺副店長も選考委員のお一人でしたね」
「あなたがデザイン・コンクールの事務担当なのには笑っちゃったけど……」
「村松課長に頼まれれば厭とは言えません」
「それが仕事だからね。でさ、私は推したから……」
「えっ」
「本当は言っちゃいけないとは思うんだけど、市原さんの作品……」
「ありがとうございます」
「他の人には内緒ね」
「はい」
「不倫相手にもよ」
「だから、いませんから……」
「本当に……」
「はい」
「じゃ、どうして結婚しないの」
「単純に相手がいないんです」
「だから応募作にloversってタイトルをつけたの……」
「一つのジュエリーだから、タイトルはやっぱり単数でないと可笑しいですよね」
「じゃ、複数にしちゃえばいい」
「……」
「だって私には見えただから……。卵型の可愛いジュエリーの少し大きな相手が……」




