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第五章 想の汪溢
「二月からの移動なんてバカげてるんじゃない」
「普通に四月に移動でいいよね」
わたしに対する悪口だ。いや、わたしのいないところで言われているから陰口か。
「急な移動だね」
峯村聡が紅茶を飲みながら、わたしに言う。
「聡も噂は知ってますよね。わたしも四月の移動で良かったんですけど……」
パスタを食べながら、わたしが答える。何時かの予想が当たり、聡はわたしとのデートのとき、食事を摂らなくなる。当然、家に帰り、愛妻の作った食事を食べるためだ。
「だけど社長が決めたんだから仕方がない」
「金賞と銅賞がデザイン部だったから早く新しい血を入れたいと考えたのかしら……」
「でも四位と七位はデザイン部以外だったよ。だからオリンピックみたいに八位まで入賞にする案もあった」
「ふうん」
「ただし賞状だけ……。デザイン部以外で受賞しても転部はなし。それは銅賞まで……」
「じゃ、わたしってツイてたんですね」
「美緒はいつでも凄くツイているよ」
「聡に言われるとお世辞でも嬉しいな」
それはわたしの本心だ。ただし聡がわたしの目の前からいなくなった途端、悲しさに変る。
「わたし、どれくらい販売部にいることになるんですか」
「詳細な日程は聞いていないな」
「やっぱり最低でも一年くらいなのかな」
「何だ、美緒は厭なのか」
「だって、慣れない仕事ですから……」
「始めてみれば愉しくなるよ」
「接客にコツがあるなら教えてください」
「あるとすれば誠心誠意だな」
「他には……」
「同じことだけど、お客さまを想う心……」
「でも聡にだって合わない人もいるでしょ」
「自分が向こうに気に入られていない原因は自分が何処かで相手を気に入っていないからだと、ぼくは思ってる」
「わたしは聖人君子じゃありません」
「それを言ったら、ぼくだって聖人君子じゃないが、そう信じて心がけるしかないからね」
「年齢の割に聡が早く出世したのが良くわかる発言ですよね」
「美緒も数年後にはそう言われるデザイナーになればいい」
「そうですよね。わたし頑張ります」
「ぼくも全面的に応援するよ」
「ありがとう、聡。わたし本当に頑張るから……」
レストランを出、久し振りにシティーホテルで聡に抱かれる。
「こんなことでしか感謝の気持ちを表せないなんて……」
「良いの。嬉しいから……。聡の気持ちが直に伝わるから……」
ベッドでの睦言は冷静時に思い出すと滑稽だ。けれども愛の時間、わたしの気持ちを燃え上がらせる。が、事が終れば、つい、聡の空腹について考えてしまう。聡が家族のことを思い出すので、わたしから何かを言う気はないが、心に引っかかり続ける。例えば態度でそれとなく。お疲れさま、と表現したいが、どうすれば良いのか見当もつかない。結局、いつものわたしでいるだけだ。
「将来的に美緒が会社を代表するデザイナーになったら、商品を売ることしかできないぼくなんか目下だね」
おそらく、わたしを持ち上げるつもりで言ったのだろう。が、わたしはそうは思わない。
「営業の人がいなければ会社はすぐに潰れます。営業の人の心が商品から離れても会社は傾く」
「まあ、それは……」
「いつか、わたしがデザイナーになって遣りたいことは――お客さま目線だっていうのは当然として――営業の人をその気にさせる商品を作ること。だから、そのときが来たら聡が売って……。本心から素晴らしい商品だと信じて……」
「今から愉しみだな。美緒の作品が……」
「そう言ってくれると本当に嬉しい。だけど銀賞を獲った作品が暫くそのままになるのは残念で……。さらに磨きをかけられるのが販売部からデザイン部に転部になった後の話でしょう」
「ああ、その点については……話して良いのかな」
「社内的にマズイんだったら言わなくていいですから……」
「金賞と銅賞はデザイン部の作品だから次期商品として、すぐに検討されるだろう」
「そうですね」
「けれども美緒の場合は暫く先だ」
「それもそうですね」
「不公平だっていう意見もある」
「へえーっ、ちょっと吃驚……」
「デザイン部の人間に引き継がさせるという案もある」
「すぐに売る気なら、それしかないかな」
「デザイン部の人間に美緒を指導させ、本人にやらせるという案もある」
「何それ、全然聞いてない」
「その場合は販売部の仕事と同時進行になる」
「だけど、そんなの無理ですよね」
「本人にヤル気があるなら残業時間にやらせれば良いという意見もある」
「時短を社内課題としているのにですか。……って、それ、誰の意見ですか」
「ぼくの口からは言えないな」
「もう、そこまで喋っておいて……」
「最終決断をするのは社長だ。でも、まだ迷っているようだな」
「ふうん、そうなんだ。決断の速い、あの社長が……」
「だから美緒は、取り敢えず新しい仕事に専念するのが良い、とぼくは思うよ」




