34 詞
第三章 縁の胸懐
疎らな拍手が終わり、城崎充の次の歌が始める。わたしの知らないメロディーだ。新しく作った曲だろうか。それとも曲のストックがあるのだろうか。
「充くんって曲を作り始めて、まだ一年くらいですよね」
わたしが連城マスターに問いかける。
「曲って、そんなにポコポコ浮かんでくるものなんですか」
「ははっ、ポコポコは良かったな」
連城マスターが愉しそうに笑う。
「正確には、まだ一年経ってないよ」
ついで花のない桜の木の前にいる城崎充の姿を眺め、
「才能があればポコポコできると思うよ。まあ、俺の場合は最初に十曲作った後は一月で一曲でも辛かったけどな」
と続ける。
「ふうん。そんなものですか」
「人によるよ」
「わたしには無理だな」
「でも頑張ってるんでしょ」
「怠け過ぎていたから、少し戻しただけです」
「俺は三十五歳になって歌で喰っていくのは諦めたな」
「でも代わりに、お店を持とうと決心されたんでしょ」
「結果的にはそういうことになるけど、実際はもっとごちゃごちゃしたものが絡まってるよ」
「わたし、そういうことは良くわかります」
「それが人生経験を積んだ人の言葉ってこと」
連城マスターがわたしの方を見ずにさらりと言う。もしかしたら照れ臭いのかもしれない。けれども、わたしには連城マスターが人を褒めて照れるような性格の人間には思えない。
「ところで市原さん、こんな時間に、こんなところにいるってことは恋人いないの……」
わたしが油断をしていると連城マスターからの直球だ。
「それとも大人の事情……」
「答に困るような訊き方をしますね」
「だって市原さん、普通に綺麗なのに、ここにいるから……」
「だったら、この前の夜、一緒にお店に伺った佐々木零も今は独りですよ。しかも大人の事情なんかじゃなく……」
「失恋回復中かな」
「他人のことなので、わたしの口からは何とも……」
「でもフリーはフリーなわけだ」
「そうですね」
「じゃ、アタックしちゃおうかな」
「えっ」
「俺じゃダメ……」
「いえ、そんなことはないですけど……。でも吃驚しました。マスターって独り身なんですか」
「年齢イコールずっと独り身の人生だよ。まあ、一度も恋人がいたことがないとまで言わないが……」
「ふうん。ちょっと意外」
「そうか」
「わたしのマスターに対するイメージだと、美人で面倒見の良い奥さんがいて、高校生くらいの娘さんがいて……」
「高校生くらいの娘はいるけどさ」
「わっ」
「だから、ごちゃごちゃしたものが絡まってるって言っただろう」
「もしかしてマスターの人生って滅茶苦茶ハードなんですか」
「今はそうでもないよ」
「……ならいいですけど」
「娘の顔も見れたしな」
「事情は知りませんけど、マスターの娘さんを生んだ人と今からでも結婚したら良いじゃないですか」
「生きていれば、ね」
「あっ、わたしのバカ……。マスター、済みません。悲しいことを思いださせちゃって……」
「大丈夫。気にしてないから……」
「でも……」
「今では神様に呼ばれたんだと思っているよ。だから悲しくない」
「マスター……」
が、わたしはその先の言葉を続けられない。
すると、それまでわたしと連城マスターとの会話の背景音楽だった城崎充の曲の歌詞が耳に飛び込んでくる。
あるく ころぶ たちあがる
いつも それの くりかえし
だけど ぼくは おもうんだ
つらい ことは なにもない
けれど ぼくが ひとりなら
なやみ おそれ くじけるよ
こわい やみに のみこまれ
いきも せずに ふるえるよ
ららら ららら ららららら
ららら ららら ららららら
ららら ららら ららららら
ららら ららら ららららら
だけど ぼくの まわりには
とても おおい ひとがいる
ひとり ひとり よわくても
みんな いれば つよくなる
「初めて聞く曲だな」
連城マスターがわたしの耳許でボソッと呟く。わたしの目には涙が溢れている。
「いい曲で、いい歌詞だと、おれは思うな」
連城マスターが、わたしの涙には気づかなかったフリりをし、言葉を紡ぐ。
「この時代に売れるとも思えないけど……」
「そんなことは……。いえ、やっぱりアリ……ですかね」
「だから充は純粋に歌えばいいんだよ。充の歌を聴いてくれる人たちに向けてさ」
連城マスターがわたしに向かい、静かに言う。




