30 褒
第三章 縁の胸懐
人を褒めることは大切だ。それが人に自信を与える。恋人や家族や友人たちから毎日、ブス、とか、ブサメン、とか言われ続けたら、すぐに人は可笑しな精神状態に陥ってしまうだろう。実際にはそうでなくとも自分が、ブス、あるいは、ブサメン、ではないかと疑い始めてしまう。一旦そうなったら後は負のスパイラルしかない。最後は本気で自分が、ブス、あるいは、ブサメン、だと信じるようになる。そうなると、もう毎日気持ちが真っ暗だ。段々と恋人や家族や友人たちから孤立していく。人と会うのが完全に厭になってしまうのだ。
ブス、あるいは、ブサメンというのは極端な言葉かもしれない。けれども例えば、それを、お前はいつも失敗するから、といった言葉で置き換えてみればわかり易いだろう。
否定句とは逆に誉め言葉は人を伸ばす。中には、わたしのように伸びない人間もいるが、それはまあ……。
現在幸せに暮らしているわたしの友人や好きなアーティストの多くは褒められ環境で育っていたようだ。褒められたことが力になり、頑張ることに繋がり、やがて成果となるからだろう。単純な推測だが間違っているとも思えない。そこから先は褒められた本人の問題だ。素直に褒められることを受け入れられるかどうかで結果が変わってくる、とも思える。
そんなことを考え始めたので家に帰るまで、わたしは泣かない。正確にはスーパーマーケットを経由し、家に帰るまでは……。けれども家に帰ってしまえば、当然のようにわたし独りだ。だから寂しい。一月前のわたしは別に独りでいる寂しさを感じていない。寂しさを感じるようになったのは聡と出会ってからだ。恋は心を豊かにするが、同時に弱くもするらしい。
そんなふうに思い、溜息を吐き、風呂の準備をする。夕食は聡と食べたが量が少ない。それで小腹が空いている。聡の夕食が少ないのは家に帰って食事が摂れるようにだ。わたしに気遣い、聡はわたしを夕食に誘うが、いずれ自分は飲み物だけで済ます日が来るかもしれない。
まあ、そうなったら、そうなっただけのことだ。
いっその事、互いに夕食を取らず、お腹を空かしてデートをしてみるのも愉しいかもしれない。しかしそれだと、その後、運動するのはキツイだろうが……。高い波が遣って来れば、わたしは気を失うかもしれない。
そんなことを考え、独り微笑んでいるとスマートフォンが鳴る。まさか、聡、とは思うが、スマートフォンに出れば友人の佐々木零だ。だから、ですよねーっ、といった脱落感に囚われる。
「久しぶり、元気……」
ハスキーに零がわたしに問い、
「まあまあだけど、何か用……」
わたしができるだけ元気に聞こえるように声を張り上げる。
「用はないけど、急に美緒のことが心配になってさ」
「零は超能力者かよ」
「……ってことは何かあったわけね」
「まあ……」
「あたしに話せること」
「話せるけど恥ずかしい」
「遂にデザイン部に異動になったとか」
「あっ、そっちの方は全然……」
「……とすると何だ」
「当ててみなよ」
「最近の美緒が恋愛をするとも思えないし……」
「酷い言い方ね」
「ああ、じゃ、そうなんだ。お目出とう」
「ありがとう。でも、あまりお目出度くないかもしれない」
「……?」
「零にはちょっと話辛い……」
「不倫なら止めておけよ」
「言うと思った」
「いや、本当のことだから……」
「零の事情から十分学ばせてもらってる」
「だったら何故……」
「人は恋に落ちるのよ」
「美緒、もう引き返せないの」
「……」
「引き返せるなら早く引き返した方が良いよ、あんな経験は、あたしだけで充分。辛いぞ」
「今も辛い……」
「なら、すぐに引き返さないと……」
「できないよ」
「奥さんよりも子供に振りまわされることになるんだよ。美緒に、その覚悟があるの……」
「たぶん、ある。だから愛人になるって決めた」
「簡単に言うなよ、美緒。愛人をやるならルールがあるんだよ。美緒にそれが守れるのか」
「もちろん守れる」
「美緒……」
「零、わたしのことを見くびらないで……」
「友だちが心配して言ってるんだよ」
「友だちだったら尚のこと、余計な心配をしないでくれる」
「だって、美緒……」
「大丈夫だから、零。わたしは大丈夫だから……」
「大丈夫なヤツが、そんな弱々しい声で話すわけないだろ。今から行く……」
本気で怒ってそう言い、零が急に通話を切る。
わたしはハッとし、自分の友だちに大変なことを言ってしまったと愕然とする。




