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第一章 天の配剤

 スマートフォンを白いポシェットに仕舞い、溜息を吐く。気張ってお洒落をしてきたが、それが無駄になるのも残念だ。すると考える間もなく、電車が当初の降車駅に着いてしまう。一応電車を降りるが、次の行動を思いつけない。そのまま人の流れに乗り夜の街へ……。十代の頃ならナンパされたかもしれない。が、今は三十過ぎ……。誰も見向きもしない。単なる売れ残りだ。

 周りを見れば、いつの間にか帰宅客はおらず、カップルだらけ……。幸せそうなカップルのムードが、わたしの気を少しだけ滅入らせる。誰も気にしないが、わたしに気づけば、カップルたちはわたしを哀れに思うのだろうか。それとも何も思わないか。

 そんなことを考え始めるとキリがない。聡と付き合う前だったら、一人で店に入るのは平気の平左……。それが今ではビビッている。哀れな目で見られないかと恐れている。聡との付き合い始めから一年経ち、こうなってしまった自分の心境変化が可笑しいやら、情けないやらで独り笑ってしまう。

 繁華街を通り過ぎると夜の公園だ。まだ夕食の時間帯なので人は少ない。クレープの移動販売車キッチンカーが止まった辺りに人だかりがある。が、それくらいか。けれども一時間後にはカップルの数が増えるだろう。

 そんなことを考えながら夜の公園の中を歩み続ける。すると今度はホットドックのキッチンカーを見つける。現金なもので、わたしのお腹がグウッとなる。あーあっ、素敵なイタリア料理からホットドッグか、と考えながらもキッチンカーの短い列に並ぶ。並んだ人たちを観察すると、すべてがカップルではなさそうだ。が、そんなことはどうでもいい。

 キッチンカーに貼られたメニューには普通のホットドッグの他にジャーマンドッグとイタリアンドッグがある。ジャーマンドッグの方はソーセージがドイツ製というだけだが、イタリアンドッグはパスタが混ぜ込んであるらしい。要するにソーゼージ入りの焼きそばパン(?)みたいなものだが、何かの縁だろうと、それを頼む。ビールも売っていたので一缶買い、そのままベンチへ向かう。幸い、いくつかのベンチが開いていたので、立ち食いにならずに済み、ホッとする。

 ベンチの端にイタリアンドッグと缶ビールを置き、ついでポシェットからタオルを出す。それをベンチに敷き、その上に座る。もう一枚の小さなタオルを膝の上に乗せ、風で飛ばないようにクリップでスカートとともに挟む。プリーツスカートだからできる技だが、案外自分は本日こうなることを予想し、ファッションを決めたのだ、と感じてしまう。何とも表現し難い気分だ。

 そんな気分を払拭しようとプルトップを開け、ビールを一口……。夏ではないので、プハッ、はないが、まあ、テンションは上がる。ついでイタリアンドックを食んでみる。予想より美味しいのはオリーブオイルとオニオンが効いているせいだろうか。そのまま一人でゆっくりと食事を続ける。食べ終われば家に帰るしかない。聡がいない自分のアパートへ……。

 最初の頃、聡とはシティーホテルで愛し合う。その後、主に金銭的理由でラブホテルからわたしのアパートへと愛の巣を移す。もっともホテルを利用していたときでさえ、わたしは必ず聡と愛を交わしていたわけではない。単に話をし、引き払うことも少なくなかったのだ。

 聡に抱かれるのは、もちろん嫌いではない。が、わたしは聡との行為に溺れてはいない。聡そのものが大好きなのだ。だから、とても困ってしまう。単に行為に溺れているなら、いずれ飽きる時が来るはずだ。そうすれば乗り変えることも考えられる。相手と別れることも可能なのだ。けれども、そうではないから別れられない。わたしがいつまでも聡の傍に居続けたいと願ってしまう。聡の家庭を毀す気はないから、わたしには愛人でいるしか選択肢はないが……。

 どうして、こうなってしまったのだろう。聡とは同じ会社に入社し、知り合いとなる。部署は別だ。聡は営業部、わたしは総務部。ジュエリー及びアクセサリー一般を製造販売している会社だ。わたしはジュエリーデザイナーを目指し、入社する。が、デザイン部は人気が高く、わたしは選から漏れてしまう。転部願いは毎年出し続けているが、これまで願いが叶ったことはない。

 逆に販売部からは誘いを受け続けている。それを、わたしは丁重に断り続けている。庶務をも兼ねた総務部員として社員や社外の関係者と接することには何の問題もない。けれどもジュエリーを買いに来た人間の接客に、わたしは自信がない。端から営業向きの聡は、毎日知らない人の顔を見るのも愉しいよ、とわたしに言うが、わたしにはそうは思えない。アルバイトで接客業をした経験から、まったくできないとは思わないが、毎日の仕事が好きでなければ、いずれ厭になるだろう。この先専業主婦になる当てがあるなら、そんな冒険も愉しかろうが、まるで当てがないから転部はしたくない。自分の身は自分で養わなければならないからだ。

 それでも販売部からの誘いは止まらない。

市原いちはらさんは化粧映えする顔だし。ウチのジュエリーやアクセサリーを身に付けて接客すれば、お客さんだってきっと買いたくなるよ。すぐに売り上げナンバーワンになれるよ。そうしたらお給料だって倍増だ』

 販売部、宮野課長の甘言だ。けれどもわたしの耀きなど、全員が美人な販売部の売り子の中に入れば忽ちのうちに失せるだろう。わたしはわたしの分を弁えているつもりだ。


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