17 粋
第二章 恋の揺籃
アンコール、アンコール……。
そんな声がmeat内に響き渡る。
わたしは涙で目の周りを赤くしながら、防音が不完全だったら近くの店から苦情が来るな、と余計なことを考えている。つまり城崎充から目を逸らしたかったのだ。が、意を決し、城崎充の方を見る。すると城崎充がわたしを強く見つめ返す。しかも、その目が笑っている。だから、わたしも少しだけ、へへっ、と笑ってみる。
「では最後に一曲だけ……。ノリがいいので『スモーク・オン・ザ・ウォーター」を遣りましょう」
そして始まる力強い、リフ……。
ダッダッダーッ ダッダッダダーッ ダッダッダーッ ダッダーッ
なるほど言われれば聞いたことがある。確か、有名な湘南バンドもカバーしていたはずだ。
わたしは歌詞を知らないのでみんなと一緒に歌うことはできないが、スクラムを組んでウェーブには参加……。とても愉しい一時となる。
「美緒さん、このまま帰るなんて言わないよね」
ステージを片づけながら連城マスターがわたしに訊ねる。
「長ッ尻はしませんけど、まあ……」
「この前みたいに粋に三杯呑んでくれれば十分過ぎますよ。一杯目は今日来てくれたお礼に無料で……」
「あっ、あたしのは……」
連城マスターが言うと零が割り込む。
「もちろん零さんも一杯目は無料ですよ」
「店長、太っ腹……。でも、どうせ、ここにいる全員でしょ」
「まあ、そういうことになりますかね」
やがて静かなショットバーmeatが開店し、皆で静かに酒を味わう。が、その前に多くの客が一旦meatを出、食事を摂る。meatでは主食が出せないからだ。
ミニ・コンサートの聴衆の多くが連城マスターの知り合いらしい。だからカウンター席は彼と彼女らに譲ることにする。わたしと零は先程までミニ・コンサートの舞台だった辺りのテーブル席で静かに呑んでいる。
「さっきの騒ぎが嘘のようね」
零が言い、
「本当にそう」
わたしが答える。
零はズブロッカを呑んでいる。ポーランドの世界遺産、ビャウォヴィエジャの森で採れるバイソングラス(ハーブの一種)を漬け込んだウォッカだ。桜餅または蓬餅に似ていると形容される柔らかな香りと円やかな飲み口が特徴とされる。ポーランド語の発音では、ジュブルフカ、となるが、英語圏を介し日本に伝わったので本来の発音ではなくズブロッカと読まれる。アルコール度数は四十度だから高い方だ。零はロックで呑んでいるが、カクテルにするときはアップルジュース、グレープフルーツジュース+トニックウォーター、クランベリージュース+トニックウォーターで割る。甘い味と相性が良いのだろう。
一方のわたしはジン(ボンベイ・サファイア)を生で呑んでいる。城崎充は連城マスターの友人に質問攻めにあっている。その姿を、わたしが何気なく眺めていると、
「でさ、どういった事情……」
零がわたしに問いかける。
「悪いけど、おいそれと人に話せることじゃないようだし、実はわたしも詳細を知らないんだ。だから話せない」
わたしがそう答えると、
「じゃ、話せるようになってから聞く」
当たり前のように零がわたしに言う。立場が逆だったら、わたしが零にそう言っていることだろう。
「それはともかくとして、そろそろ彼もこっちの席に来ればいいのに……」
零が願望を述べ、暫くすると城崎充ではなく連城マスターがわたしたちのテーブルまでやって来る。
「せっかく呑んでもらっているのに全然構えなくて済みません」
「だってマスターの昔から知り合いみたいだから……」
わたしが言うと、
「美緒さんにもわかりますか」
連城マスターが答える。
「学生の頃にバンドを組んでいたとか……」
今度は零が問い、
「何人かは、ね」
連城マスターが零に答える。
「美緒はキーボードが弾けるからユニットに加えたら面白いかも……」
零が連城マスターを嗾けるので、
「バンドを組むなら先にベースとドラムスでしょ」
わたしが零に釘を刺す。
「ベースなら俺も弾けるけどね。電気ベースはもう何年もやってないけど……」
連城マスターがそんなことを言うので、
「ベースは何を弾いていたんですか」
思わず、わたしが問いかけてしまう。
「リッケンバッカー……の偽物」
連城マスターが真顔で答える。
「有名人では誰が弾いていたんですか」
「さっき遣ったディープパープルのロジャー・グローヴァーとか、プログレッシブ・バンド、イエスのクリス・スクワイアとかだな」
「ヤバッ、全然わからない」
「美緒は博識だけど、偏りがあるからね」
「興味があるモノしか調べないから……」
ポツリと言うと、
「何にも興味を持たず、全然調べないことに比べたら、俺は素晴らし過ぎると思うけどな」
連城マスターが粋に答える。




