第1話 生きる意味
第1話 生きる意味
何を求めて生きてきたのだろう。何を求めて生きて行けばいいのだろう。聞こえないはずのものが聞こえ、見えないはずのものが見え、時として記憶さえも失う円子要は、今日もベッドとパソコンの前を往復する生活を送っていた。そもそもの始まりは10年前のあの時、父に連れられて行った病院での医者の告知が始まりだったと思う。
「統合失調症ですね」
その告知を聞いても「ああそうですか」という反応しかできず、驚きと悲しみに暮れていたのは父だけだったような気がする。その父も3年前に亡くなり、今は父の残した僅かな遺産を切り崩して生活するはめになっている。現在56歳になった要は仕事を探しても大抵が書類選考で落とされる。要は障碍者手帳を持っていて求人を探すときは障碍者枠を見るのだが、それでも落とされる。おそらく年齢のせいだとは思うが、もしかすると自分の病が重篤でそのことを日本中の人が知っていて疎外されているのではないかと被害妄想に陥ることもある。それにしては、障碍者年金を貰えないのだからそれほど重篤であるのはおかしいと気付くのだが、往々にしてこのようなあっちいってこいの思考が要に付き纏っている。正常なときと異常なときを要は自分で知ることができた。故に自分の異常性を自分で気付き、それにより自己嫌悪感が増してしまうというよくない連鎖に悩まされるのであった。いっそ自分の異常さに気が付かなければいいのにと思ったりするが、それは自分を失うことと同義だと思い今の状態を受け入れることにしている。
希望もなければ楽しいと思うことも少ない。そのため何を求めて生きて行けばいいのか悩むのであるが、ふと他者も同じだろうかと考えてしまう。自分は生きることに意味を見つけようとしているが、多くの他者は意味を見つけているのであろうかと考えるのである。いや自分と他者を比べてはいけない、この考えは幼きころから培ってきた己の理念である。と同時に何かをしていなければ落ち着かない自分の性癖も思い出すのであった。ところが自分は飽きやすい。何かをやり始めるのは容易いのだがすぐに放り投げてしまう。しかし何かの理由で10年に1回程度の割合で続くことがある。その何かが自分でもはっきりしないのがもどかしい。
小中学生の頃は、牛の世話に嵌ってしまった。朝日が昇ると同時に起きだし、牛の世話のために奔走する。乳を搾ってひと段落となるのだが、そのころには学校にいく時間が迫っている。夕方も友達と遊ぶ時間もなく、牛の世話のために帰宅する。やはり乳を搾ってひと段落となるのだが、そのころには夕飯も風呂もおざなりにしたいほどの心地よい疲労と睡魔が襲っている。今振り返ってみると、このころはよかったと思う。
20歳代前半のとき、就職した会社から中東に駐在するようにと命令された。このときも最初は浮かれ気分だったが、やがて3か月もすると飽きがきたが、帰りたくても帰れない。何か楽しいことはないかと同僚の仕事を覗いてみると何やらわけのわからない記号や言葉が並んでいた。後から思い出すとそれはプログラムだったのだが、そのときの要は魔法の呪文のように感じてしまった。何故そう感じたのかわからないが、とにかく楽しそうだと思い同僚にそれを教えてもらうことにした。すると見る間にプログラミング技術が上達し3か月後には所属部署が代わることになった。それからめきめきと頭角を現しついには中東現地の技術部門を統括することになり、やれ『困ったときの要頼り』だとか言われてついにはライバル会社にすら『要を得るもの業界を制す』などと言われた。
この頃から体の不調が芽生えたのではないかと要は思っている。睡眠は不規則を通り越して1週間に1回の仮眠で済ませることも多くなり、何より仕事を止めるためのきっかけが必要だった。きっかけがなければおそらく死ぬか倒れるまで仕事を続けたであろうと思う。そのきっかけに酒を選んでしまった。仕事中に酒を飲んでも叱られることはなく、むしろ寝ない要を周囲は気遣っているようだった。しかしこれがいけなかったようである。極度に覚醒した脳を少々の酒で鈍らせることはできず、浴びるような酒量が必要となっていた。