第一章「彼と彼女の道」
第一章「彼と彼女の道」
強烈な日差しの中、一両の戦車が荒野を走っている。ここは皇国から海を隔てた大陸の東の端、かつては皇国の支配下だった場所だ。本来の政府は終戦間際の核の炎で焼き尽くされ、後に残った国民が細々と暮らし、その内外から発生したギャング達が蔓延っている。特に激しい戦場だったこのあたりは、今では人っ子一人いない広大な荒れ地となっていた。 このあたりを走る戦車はタンクギャングと呼ばれる略奪を生業にしている戦車乗りか、賞金稼ぎとしてタンクギャングを撃破し生活する戦車乗りくらいしか居ない。
荒野を進むその戦車の見た目は大陸のティーガーⅠだが色は薄茶色を基調にした迷彩に塗り替えてあり、砲塔には掠れてしまった皇国の徽章が寂しげに描かれている。見た目は普通のティーガーⅠなのだがどことなく雰囲気が違うのは共和国迷彩ではなく皇国迷彩に塗装されているせいか、あるいは砲塔から身を乗り出す青年が皇国軍の制服を着ているからかも知れない。
「暑い……。なんて暑さだ……」
「暑いのはどこにいっても一緒よ!さっさと賞金を稼いで涼しいところで冷たいビールを流し込むために今こうやって走ってるんでしょ!」
「はいはい、さっさと奴らを鉄屑にしないととろけちまいそうだ・・・。」
砲塔から顔を出してぼやいているのは久住讓人、この戦車の車長兼砲手兼装填手だ。
本来ティーガーⅠは五人で操作する戦車だ。戦車を動かす操縦手。砲撃を行う砲手。弾を装填する装填手。無線を行う無線手。それらを指揮する車長。ところがこの戦車には二人しか乗っていない訳で、仕方なく讓人は多忙な兼業生活を送っている。
下から檄をとばしているのはエルナ、この戦車の操縦手をしている。彼女はかつて皇国と同盟を結んでいた共和国の出身で戦車指導教官をしている父親と共にこのティーガーⅠを乗せた潜水艦で皇国にやってきた。
この二人はここらではそれなりに名の知れた賞金稼ぎの戦車乗りだ。町と町を結ぶ道でせっせと略奪に励むタンクギャング達をこれまたせっせと撃破しては賞金を稼いで暮らしている。
「それにしても今回の獲物はなんだかしょぼそうだなぁ…」
「確かにそうね、元軍人のギャングなら腕の振るいがいがあるけど今日のはただのチンピラでしょう。」
「最近ここいらでよく暴れてる連中らしい、装備もぼろい戦車が二両だけらしいらしいし腕も大した事はないと言ってたな。」
今回の依頼は町で商売をしている組合からの依頼だ。チンピラが四人、旧式の戦車で暴れ回ってるから片付けてくれと頼まれた。この手の依頼は手間がかかる割に報酬は安いというのが賞金稼ぎ業界のお約束だが、依頼者は羽振りがいいのかなかなかの報酬を用意してくれている。何より帰ったらキンキンのビールをたっぷりと用意してくれているらしい。世界一のビール大国である共和国出身のエルナはそれを聞いただけで讓人の反応を見るまでもなく今回の仕事を受けた。
二人はエンジンを唸らせながら荒野を進んでゆく。なんといっても季節は夏、カンカンの日差しの中に索敵のためとはいえ体を乗り出しているのはかなり疲れる。
讓人の格好は皇国軍の士官用制服だ。左胸にいくつかのバッヂがついており腰には拳銃が一丁、けだるそうにぶら下がっている。首からは大振りな双眼鏡がかけてあり、戦車の振動にあわせてぶらぶらと揺れている。
そろそろ連中がよく出没するとの報告があったあたりだ。奴らの常套手段は何とも単純。荒野をまっすぐに進む道を挟んで、左右前方から距離を詰めながら乱射しつつ突撃してくる。無事に弾が命中れば洗いざらい積み荷を奪ってさようなら。実に頭の悪いやり方だ。このあたりにはライバルになるギャングが居ない上に物資を運ぶ隊列にも満足な護衛がついていないからそんなやり方でも仕事になっているのだろう。先月相手にしたタンクギャングとはレベルが違う。奴らは指揮官が元軍属らしく、綺麗な連携がとれている上に装備も整備された中戦車が 4両で小隊を組んでいたため、なかなか苦戦した。 4両の内1 両は取り逃がしたが 3両撃破のため何とか黒字に持って行けた。それを想うと今回は楽勝そうだ。讓人はそんな事を考えながら夜のビールに思いを馳せつつ砂漠を眺める。
「それにしても見つからないな。奴ら今日は定休日じゃないのか。」
「悪党に定休日も営業日も無いでしょ。それにこんな日中に戦車が一両。素人なら喜んで襲ってきてくれるわよ。」
「そうかなぁ、こんな格好でこんな戦車に乗ってたら普通ビビるだろう。天下の皇国軍様だぞ。」
「偉そうに言うわねぇ。遠く離れてたら元軍人でも無い限り気づかないわよ。」
「それもそうだな。」
タンクギャングをしている連中でも厄介なのが元軍人達だ。戦車の扱いに慣れているし複数の連携もお手の物。装備のメンテナンスも怠らないから、いくら皇国軍士官だった讓人でも手こずる時がある。
「昔は皇国軍もこのあたりまで来てたのよね?」
「ああ、大戦末期に引き上げるまではかなりの規模の部隊が駐留してたはずだ。なんて名前だったか、士官学校の同期がこのあたりで中隊を指揮していたよ。最後は核でみんな灰になっちまったけどな。」
「皇国軍の戦車はこのあたりの気候に耐えれたの?」
「それなりにはな、それよりも戦車乗りの方が先に参ってたみたいだ。皇国の湿った空気を吸ってた連中にはこの空気はつらいだろうな。」
それにしても見つからないな……そんな事を考えながらティーガーは荒野を進んでいく。
「兄貴ィ、中々獲物が現れませんねぇ。このまま待ってたら俺たちじじいになって干からびちまいますよぉ。今日は撤退で良いんじゃないですかぁ。」
「そう慌てるな、今朝の町の無線だと、今日賞金稼ぎがのこのこ一両でやって来るらしいじゃねぇか。そいつをぶっ殺しちまえばここらはみんな俺たちの物になるからな。気張っていこうじゃねぇか。」
「でも、お天道さんもてっぺんまで来てますよ、こんなに暑いんじゃ奴らも町にこもってるんですよ。」
「だから、そう焦るんじゃない。俺の勘だとそろそろ現れる頃なんだよ。」
荒野の岩陰に潜んでいる小振りな戦車の中で、二人のギャングが獲物を待っている。今日の朝、彼らのリーダーが無線を盗み聴きしたところ町から一両の賞金稼ぎが自分たちを目標にやって来るらしい。小さな町に雇われた賞金稼ぎ、しかもたった一両でやってくると。彼らにしてみれば賞金稼ぎを倒せば箔も付く上にジャンクを回収すればなかなかの収入になる。上手く行けば乗員だけ殺して車両をそのまま頂戴する事が出来るかも知れない。そんな事を考えていると、無線機から部下の声が飛び出してた。道を挟んだ反対側に隠れているもう一両の戦車からだ。
「兄貴、3 キロほど離れたところに砂煙が見えますよ。どうやお出ましのようです。どうしましょうか。」
「どうするもこうするも、俺の合図で一斉に飛び出せ。なに、いつも通りやれば上手くいくさ。弾を装填ろ、エンジン始動。」そう無線機に話すと、彼は砲塔の下に声を掛ける。
「聞いたな、エンジンを掛けろ。お楽しみの時間だ。最初の一発は俺たちが撃つ。撃つと同時に全速力だ。」そう言うと兄貴分は双眼鏡をのぞき込んだ。
チラッと遠くで光が瞬くと直後、前方に砂煙が上がった。
お出ましのようだ。讓人は操縦席に向かって叫びながら砲塔の中に身を隠す。
「コンタクト!右前方!距離は 1000m!」
「分かってるわよ!さっさと配置について!」
そう叫ぶとエルナはアクセルを吹かして道を外れ荒野の中に飛び込んでいく。道を外れる瞬間、がくんと履帯が下がり車体が揺れる。だいぶ足回りがへたってきたのか履帯は少し空回りをしながら近くの岩陰へ入り込み輪転を軋ませながら停車した。
砲塔から少し体を出して双眼鏡で覗く。相手はマチルダ歩兵戦車のようだ。帝国の同盟国である諸侯連合が開発した旧式の戦車で 2ポンド砲を搭載した鈍足な戦車だ。歩兵戦車の名の通り本来は歩兵を侍らせて敵陣地に進攻するために開発された戦車のため速度は実に遅い。かつて帝国が戦っていた北アフリカでは歩兵を従え、戦場を闊歩する姿から『砂漠の女王』と呼ばれ恐れられたが、戦列歩兵の栄光は遙か遠くに過ぎ去り、大戦後半には共和国軍の撃破マークを量産するためだけの存在と化していた。 2ポンド砲の射程は八百メートルなのに対して、タイガーの 88mmの有効射程は千六百メートル、逆立ちしても相手に勝ち目は無い。
「エルナ、少し車体を前に出してくれ。この距離なら一発で仕留められる。」
「了解、 3カウントでいいかしら?」
「ああ、頼むよ。」
「行くわ、 3,2 ,1」
エルナが車体を進めるのとほぼ同時に讓人の目は照準器越しにマチルダの砲塔と車体の隙間を的確に捉えていた。
引き金を引いて数瞬後、マチルダは砲塔を天高く吹き飛ばすと炎上した。あの様子だと脱出どころか肉片も残らないだっろう。
「さすが 88mmね、いつ見てもすさまじい威力だわ。」
「俺の腕もたまには褒めてくれよ。」
軽口を叩きながらも讓人はすでに砲塔から身を乗り出し次の敵を探している。話の通りだともう一両が道を挟んだ反対側のどこかに居るはずだ。首から提げた双眼鏡を持つと讓人は索敵を始める。
「まだみつからないの?」
「あのあたりに居ると思うがな。」
讓人が覗いているのは道の反対の岩陰だ。マチルダのような小型の戦車ならすっぽりと隠れるくらいの岩があちこちに点在している。その中の岩の一つからひょっこりと細いアンテナが飛び出しているのを讓人は見逃さなかった。
「居た!右から 2番目の岩の裏に隠れてる。あいつアンテナが丸見えなのに気付いていないな。」
苦笑いしながら照準器で距離を測る。距離は二千ちょっと、少し離れている。
「エルナ、どうせあんな小便弾は当たらないから距離を詰めてくれ。」
「はいはい、 88mmの弾代も馬鹿にならないんだから一発で仕留めてよ!」
「ほとんど毎回一発で仕留めてるじゃないか…」
文句を言いながらエルナはティーガーを前進める。敵は道の向こう千八百メートル位か、あまり動く気配がない。ひょっとしたら退却するつもりなのか。
ティーガーが道に近づくと岩陰の向こうのアンテナが揺れ始めた。退却か、捨て身の反撃か。どちらにせよ勝ち目のない戦いなのは彼らが一番よく分かっているはずだ。
タイガーが道を乗り越えた瞬間、マチルダが岩陰から飛び出ししゃにむに乱射しながら突っ込んできた。どうやら反撃に出たようだ。讓人達の前方に砂煙が上がる。
「おいおい、正気かよ。」
「あら、突っ込んできたわね。仕方ないわ、可哀想だから一撃で終わらせてあげて。」
そう言うとエルナはアクセルを踏み込む。エンジンが咆哮を上げティーガーは急激に速度を上げていく。その音は悪魔の声にも聞こえてくる。
奴との距離が千五百メートルまで縮んだ、 88mmの必中射程だ。讓人はエルナに叫ぶ。
「エルナ!停車だ!」
その声が届くか届かないかの内にタイガーは停車した。停車による衝撃が車体を大きく揺らす。砂煙がはれてきた頃には照準器いっぱいにマチルダの姿が映る。砲塔で敵のリーダーらしいのが何事か叫んでいた。
「じゃあな。あの世じゃあんまり悪さするなよ。」
そう呟くとと讓人は引き金を引いた。ほんの一瞬の沈黙の後、砲塔から火が吹き出た。黒煙に包まれた車体から脱出できる奴は居ないだろう。どうやら今回の仕事は終わりのようだ。讓人は下に向かって声をかける。
「エルナ、終わったぞ。」
「そんなの見れば分かるわよ。さっさと町に連絡してビールの段取りをしてちょうだい。」エルナの頭はすでにビールで一杯のご様子だ。
タイガーを近くの岩場に寄せると砲塔から降りて讓人は無線用のアンテナを立てる。団体様ならまだしも讓人達のように一両で行動する賞金稼ぎには連絡時以外にアンテナは不要だ。そんな物を立てて居たら私はここに居ますと看板を上げてるようなのもので一国一両の戦車乗り達はほとんど砲塔の脇にでも畳んでくくりつけてある。
「あー、聞こえますか?こちら賞金稼ぎの久住だ。依頼のタンクギャングは撃破した。場所は……」
通信が終わると煙草を咥える。火を付けて煙を吐き出す。砲塔に腰掛けると先ほど撃破した鉄屑を双眼鏡で覗く。黒煙はだいぶ落ち着いていた。讓人の撃った弾は車体正面を貫通したようだ。弾薬庫にでも当たったのだろうか、側面に大穴があいている。よくみると外れかけの砲塔の横に葉巻を咥えた髑髏の絵が描いてある。撃破されてなお頭の悪さがにじみ出ている戦車だ。
「さてそろそろ帰るか。」
「そうね、お腹も空いたし何より冷たいビールが私を待っているもの。」
一応周りを警戒しながらタイガーは帰途につく。燃料も十分残っている。消費した弾薬は 2発だけ。足回りは相変わらずだがエンジンも至って順調。強いていうなら少しアクセルの反応が悪いとエルナが最近よくこぼしている事くらいか。
「なぁ、エルナ」
「なぁに?」
「そろそろ爺さんのところでこいつもオーバーホールしようか。あちこち気になるとこも出てきたし、主砲もそろそろ新しくしたいしな。」
「賛成ね、アクセルと足回りをそろそろ何とかして欲しかったところなのよ。」
共和国製の戦車であるタイガー 1は所謂重戦車に分類される戦車だ。重量は五十七トン、装甲は前面が百ミリ、側後面が八十ミリという重装甲を誇る。その代わり速度が犠牲となり、荒れ地ではめいっぱい踏ん張っても 25kmも出たら上等と言ったところで機動戦には不向きだ。
タイガーの車重のおかげでエンジンや足回りはほかの賞金稼ぎの戦車よりも頻繁にメンテナンスやオーバーホールをする必要がある。しかもタイガーをオーバーホール出来るのは讓人が爺さんと呼んでいた職人位しか近くには居ない。
「それにしてもあなたがジョセ爺のところに行こうなんて珍しいわね」
「俺だって本当は行きたくないがわざわざ大陸までこいつを運ぶのは不可能だ。メンテできるのは爺さんしか居ないんだから仕方ないだろう。」
エルナはクスクスと笑う。
「讓人は本当にジョセ爺が苦手なのね。」
「ああ、もう少し優しい職人ならありがたいんだがな。」
ジョセ爺という職人は、今からビールを受け取りに行く町からさらに五十キロメートルほど離れた町に居る戦車職人だ。讓人はタイガーを持ち込むたびに口とレンチによる攻撃を受け続けてきた。腕は確かなのだがどうにもタイガーには特別な思い入れがあるらしく、雑に扱う讓人がタイガーを持って行くたびに説教と鉄拳が飛んでくるのだ。
「爺さんも年なんだから年中あんなに興奮してるといつか心臓が止まっちまうよ。」
「讓人がこの子を雑に扱うからジョセ爺も怒るのよ。」
エルナはティーガーの事をこの子と呼ぶ。自分の父親と一緒に共和国から運んできた皇国にただ一両しか無いティーガーだけに愛着も人一倍なのだろう。
「それにしても今日の奴はとんだ素人だったな。」
「そうねぇ、今までまぐれと運だけで生き残ってきたのかしら。皇国軍少佐殿はどう見るの?」
「その言い方はもうよしてくれよ。」
讓人はばつの悪そうな顔をしながら語る。
「戦場に出たら敵より先に味方の砲弾が当たりそうだな。あんなので今までよく今まで生きてこれたもんだよ、たいした幸運だ。戦車に乗らず博打を打ってたら今頃大物になっていたかもな。技術もなければ作戦も無い。評価は不可能だ。」
「あなたの部隊にはあんなのは居なかったのかしら。」
「そういう奴は戦争が始まってすぐに鉄屑になっちまったよ。」
そういうと彼は煙草を咥える。ヘビースモーカーではないが昔の事を思い出すとつい煙草に手が伸びる。そろそろ買い置きも切れてきた事だしオーバーホールついでに隣町で買い物もしなければ。爺さんに会うのは億劫だがあの町にしか讓人の吸う銘柄が無いから仕方がない。皇国産のその煙草は皇国から離れたこの地では限られた商店でしか手に入らない。その限られた商店というのは何の因果か爺さんの工場の向かいにあるから始末が悪い。
「そろそろ町が見えてくるな。ビールと報酬が待ってるぞ!」
「順番が逆でしょ! と言いたいところだけども今回はその意見に賛成ね。もう喉がカラカラよ。」
夕日の向こうに町の影がうっすらと見えてきた。後十五分もあったら到着だ。
讓人は無線機に手を伸ばす。
「あーあー、こちら久住。 聞こえるか?」
「はい、よく聞こえますよ久住さん。今回はありがとうございました。」
「今町が見えた、北東側から入るから撃たないように門番に伝えてくれ。」
「了解!」
たいていの町の入り口には対戦車砲が備え付けられているご時世だ。間違って撃たれたりしたらたまった物じゃない。たいていの町には警備兵や賞金稼ぎ、行商人用の周波数があるから帰還前にそこに発信するのが習いだ。
「さて、町に着くぞ。」
「ええ、通行証持った?」
「持ってるよ。」
門の近くになると何人かの警備兵がまたがった軽戦車が出てくる。こちらの姿を確認すると戦車用の出入り口まで誘導してくれた。
「お疲れ様でした。戦車はこちらに止めておいてください。整備はどうしますか?」
「在庫があるなら 88mmの徹鋼弾を10 発と燃料を満タンにておいてくれ。後の整備はしなくていい。」
「分かりました。」
二人は戦車から降りてくる。砲塔から革製のトランクを讓人が引っ張り出している間にエルナが車体から長い髪をなびかせながら出てきた。短めのスカート上には半袖のブラウス。革の手袋を車体に放り出すと、地面に飛び降りた。
「何というか……もっとこうお上品にだな・・・」
「上品な戦車乗りなんて見た事あるかしら? それならガラスの階段をシュルツェン代わりに取り付けて頂戴。」
二人が向かった先は町の真ん中にある組合の事務所だ。
「久住です、ただ今帰還しました。」
「おお! 待っていたよ久住君。ささ座ってくれ。」
そう声をかけてきたのは毛利という初老の男だ。かつて皇国がこのあたりを支配していた頃に軍の出入り商人として大陸に渡り、終戦後はこの町を中心に手広く商売をしている。
「奴らはどうだった?手こずったかね?」
「全然、まったく張り合いのない相手だったわ。讓人が 2発で片付けてくれたわよ。」
そう言うエルナの横顔はどこか誇らしそうだ。
「さすがは久住君とエルナさんだ。腕が違うな。じゃこれを受け取ってくれ。」
そう言うと毛利は小さな皮の袋を出してきた。中身を見ると金貨が 5枚。今回の報酬だ。
「確かに。」
讓人がポケットに袋をしまうのとほぼ同時に控えめなノックと共に少年が一人入ってきた。
「組合長、用意が出来ました。」
そう言うと少年はかけだしていく。
「二人とも 2階へどうぞ。ビールを冷やしてあります。」
「それはありがたい。さぁエルナ行こう。」
「言われなくても行くわ、私がどこの出身だと思ってるの?」
二人は 2階の広間に通された。表に会議室と描いてあったが、会議机の上には所狭しとビールや料理が置いてあり中だけを見ればここが会議室だと思う人はいないだろう。机の周りを何人かが囲んでおり讓人達を待っていた。
組合長が讓人とエルナにビールを注ぐ。黄金色の液体がたちまちジョッキを一杯にして泡を立てる。シュウシュウと言う音が小気味よく聞こえてきた。組合長がジョッキを掲げ乾杯の音頭を取る。
「ささ、今回の勝利と街道の平和を祝って乾杯しましょう。」
「乾杯!」
讓人よりも先にエルナはジョッキ一杯のビールを飲み干した。たいした飲みっぷりだ。
「エルナさん、いい飲みっぷりだ。まだ何杯でもありますから遠慮無く飲んでください。」
「あらありがとう、共和国人はビールになると本当に遠慮しないから覚悟しなさいよ。」
ケラケラと笑うエルナのジョッキは 2杯目ももう半分になっていた。
「こいつはよく冷えていて旨いな。この暑い中がんばった甲斐がある。」
そう言いながらも結構なハイペースで讓人も呑んでいる。さすがは元軍人と行ったところか。大陸のビールは讓人が皇国で飲んでいたものと似ていて、何となく懐かしい気持ちにさせてくれる。
「今回の敵は何に乗っていたのかな?」そう話しかけてきたのは先ほど組合長と話していた中年の男だ。小柄で筋肉質。戦車乗りと言われてもおかしくない風貌だ。
「マチルダが 2両でした。特にこれといった改造やカスタムをしている風にも見えませんでしたよ。」そう答えるとエルナが続ける。
「第一被弾していない物。相手の威力なんて分からないわ。」またもや誇らしげにエルナは話す。こういう時のエルナの顔はかわいらしさが出ている。戦果報告の場だけではなく何時もこんな顔をすればよいのにと讓人は思う。
「マチルダの相手をするのは今回が初めてでしたが、思ったより弱い印象です。ま、今日の相手の腕もあるのでしょうが。これがチャーチルや ISだったらまた対策を練らなければなりません。」讓人が先の大戦で学んだ事は慢心という言葉だ。相手国の戦車の発展を舐めていたばかりに大戦の終わりに各地の戦車戦で皇国軍は致命的敗北を続けた。ティーガーに乗っている今でもその事は彼の脳内に常に蠢いている。
「ISクラスに乗るギャングの話はここらではききませんなぁ。もう少し北の方に行くと KVやIS がうろうろし始めると出入りの物が言っておりましたがね。」組合長は続ける。
「実はここの組合でも更に北へ商売の範囲を広げようと考えているんだ。この先も色々と仕事を頼むと思うがどうぞよろしく頼む。」そこまで言うと組合長は手を出してくる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」讓人はその手を握り返す。分厚い手だ。これがこの町の商売を取り仕切る男の手だ。
その後、讓人とエルナは組合長らと夜が更けるまで飲み宿へと戻った。
「お帰りなさい、久住さん。」バーカウンターから主人が声を掛けてくる。それに手を上げて答えると二人は部屋へ戻る。部屋の扉を開けると、水の入った瓶とグラスが二つ、テーブルの上に置いてあり、洗濯物が綺麗に畳まれてそれぞれのベッドの上に重ねてあった。実に気の利く宿だ。ここまでのサービスは皇国時代にも滅多に体験した事がない。ここの料金はそこまで高く無かったはずだが、明らかにほかの町の宿よりも上質だ。それとも讓人達だけが特別扱いなのか。
「本当、美味しいビールだったわね。」エルナもアルコールがそれなりに回っているのだろうか、ほんのり赤くなった顔で話しかけてくる。
「ああ、懐かしい味だった。皇国のビールを思い出したよ。」そういう讓人も心なしか顔が上気している。今日は戦闘と酒宴でかなり疲れているのか言葉数少なめに二人は部屋の椅子に腰掛ける。
「俺は明日の朝シャワーを浴びるから、先に寝る。」そう言うと讓人は上着を掛けてベッドに腰掛ける。「わかったわ、私はシャワー浴びてから寝るわね。お休みなさい讓人、良い夢を見てね。」そう言うとエルナも上着を取ってシャワーの支度を始める。
「ああ、お休みエルナ。良い夢を。」そう言うと讓人はベッドに潜り込みしばらくすると寝息を立て始めた。その姿を見てエルナは微笑む。普段の無愛想と打って変わってまるで赤子の様な寝姿なのだ。微笑まずにはいられないのだろう。
「お休みなさい。良い夢を。」シャワーを浴びたエルナはそう呟くとベッドに入った。
翌朝、讓人が目を覚ますとエルナはもう起きていて、部屋の机に向かって本を読んでいた。すでに着替えていたのか一昨日買ったスカートを履いている。
「エルナ、おはよう。そのスカート良く似合っているじゃないか。」讓人は寝ぼけ眼でそう言うと顔を洗いに洗面所へ行く。
「おはよう讓人、私が選んだのよ、似合って当然だわ。」本を読む手を休めて讓人に向かってそう答える。洗面所からはあくびの混じった返事が聞こえてくる。かなり熟睡していたようだ。エルナは少し笑うとまた読書へ戻る。
「エルナ、お待たせ。朝飯を食いに行こう。」顔を洗った讓人はさっきよりも幾分かさっぱりした表情だ。
「ええ、そうしましょう。」二人連れだって 1階へ降りると、フロントから主人が声をかけてきた。「久住さん、おはよう。飯はあっちに出来てるよ。」そう言うと読んでいた新聞に目を落とす。やはり愛想が良いのは夜だけのようだ。読んでいる新聞は地元の新聞の用だ。大戦以降、最初に復活した情報伝達手段は新聞に近い体裁を取ったガリ版刷りの情報誌だ。誰が始めたのか知らないが、いつの間にやら世間で情報を仕入れる手段は新聞と戦車乗りの口伝、後は無線に入ってくるガセネタの類となった。特に比較的統制ののとれてきたこの辺りの地区でも新聞は高級品で大規模に商売をしている連中くらいしか読める人間はいない。皆、情報に植えているのだ。この宿の良いところは主人が読み終わった新聞を食堂のテーブルの隅に積み上げてくれているところで、金のない戦車乗りや旅人も少し遅れてではあるが情報を手に入れる事だ。讓人とエルナも朝食を摂りながら新聞を読むのを先日から始めている。今日置いてある新聞のトップニュースは帝国で再軍備のための準備を始めたというニュースだ。
「ねえ讓人。帝国が再軍備ですって。世界がこんなになってもまだ余力がのこっているのね。」
「そうだな、さすが帝国だ、世界が更地になってもまだ国としての体裁を保てている上に再軍備とはな。皇国は文字通り焼け野原になっちまったのにな。皇国も良くこいつらに喧嘩を売ったもんだよ。」
「ま、そうよね。私の国も山と川の区別が付かなくなっちゃったのにあっちはまだまだご健在だからね。いつか帝国がこの世界を支配するんでしょうねぇ。」そう呟くエルナの目は何となく寂しげだ。『山と川の区別が付かなくなる。』これは、皇国が降伏する数ヶ月前に白旗を揚げた共和国の事を端的に表している。共和国の指導者が徹底抗戦を叫び、彼の熱狂的信奉者はそれに盲従し捨て身の抵抗を続けているある日の朝、帝国軍と諸侯連合軍の爆撃機が共和国の空を覆った。大戦中に使用された航空爆弾の実に 3割はこの共和国絨毯爆撃に使われたと言われている。この結果共和国の『山』と『川』の区別は付かなくなり指導者と呼ばれた男も首都の要塞で部下共々果てた。残されたわずかな将兵が白旗を掲げた頃、太平洋の島にある滑走路を総勢 30機の爆撃機部隊が飛び立った。目標は皇国の首都および皇国軍司令部。爆撃機の腹の中には原子爆弾と呼ばれる核兵器が鎮座していた。皇国も共和国と同じ運命を辿った。ただ一つだけ違ったのは皇国が秘密裏に皇国軍が原子爆弾を開発しており、最後の最後にそれを帝国の本土及び占領地に打ち込んだ事だ。
結局、世界の現状は帝国と皇国が巻き起こしたと言っても過言ではない。違うのは帝国には更地を国家にする力が残っており、皇国はその力を残す事が出来ず果ててしまったと言うところだ。
「さて、飯も食ったし今日はのんびりと過ごす事にしよう。もう少し寝たいし、買いたい物があるんだ……」そう言いかけたところに、警備兵が一人ドアを吹き飛ばしそうな勢いで飛び込んできた。