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プロローグ

 そう、確かに、僕は魂の様なものを吸われた感覚があった。


 居酒屋のバイトが終わって、深夜、コンビニでビールとタバコを買って、一人でトボトボと帰り道を歩いていた時だ。


 三十歳になってフリーターはヤバイとか、それでも今更何かにチャレンジする気力もないとか、それでも今の長時間かつ激務の居酒屋のバイトを続ければいつか体を壊すだろうとか、それでも正社員にはなりたくないとか。


 甘い考えなのはわかっているが、わかっていて何かを変えられるのなら、そもそも今こんなどうしょもない人間をやっていないんだとか。


 そんな益体もないことを考えていて、周りなんて見ていなかった。


 いや、仮に見えていたって、僕が自発的に避けていたか、疑わしい。


 僕は、すでに自分の人生に対して投げやりだったのだ。


「逃げて」、と逼迫した女の子の声と、「クソ」、と吐き捨てるような男の子の声が聞こえると同時に。


 僕の目の前に真っ黒な何かが素早く現れて、僕に手を翳して。


「《生命吸収》」


 艶やかな声だった。


 その言葉が何なのか考える余裕もなく、僕の体には酷い悪寒が走ってすぐに、足の先から頭に向かって自分というそのものが失われていくような、命そのものが吸い上げられる様な感覚が僕を襲った。


 とても酷い風邪と熱の症状が一気に現れたみたいに、手足から力が抜けて、関節と皮膚に疼痛が走り、心臓が不規則に鼓動して、意識が朦朧としていった。


 霞んでいく視界の中で、少年と少女が動き出すのがわかったけれど、僕はやめてくれ、と思った。


 僕はもう別にいいんだ。


 わるくない死に方じゃないか、と。


 小学生の内に、妖怪や妖精と出会えると信じていた。


 中学生で剣と魔法の世界に行けると思っていた。


 高校生で、運命の恋人と出会えると願っていた。


 二十歳になって、それでもまだ何か起こると期待していた。

 

 何もなかった。何もない人生だ。特別大きな不幸もなく、特別大きな幸せもない。頑張らされることもなく、頑張ることもない。大量生産されて、大量消費される、量販店で六十八円で売られている逆に手に取りにくいお菓子の様な人生だ。


 むしろ、僕は嬉しいのだ。


 最後の最後に、この世界にはこんなファンタジーが存在していたことを知れて。


 しかも、その一部にでも僕はなれたのだ。


 ほんの一欠けらではあるが、僕はそれでも十分に喜びを持ってこの間近にある死を受け入れよう。


 だから、そう、せめて。


 きっと、輝かしい世界に生きる、輝かしい少年と少女には。


 僕の生死なんて気にしないで、美しく人生を生きてほしい。


 いや、きっと、彼らは僕のことなんて気にしないだろう。彼らみたいな人達は、精一杯悔しがって、それでも精一杯自分の人生を生きることが出来るのだから。


 僕とは違って。


 そんな、皮肉気なことを考えながら、僕は完全に意識を失った。


「はず、なんだけどなぁ……」


 深夜の道の真ん中に座り込んだまま、僕は頭をかいた。


 周りを見渡しても、そこはいつもと変わらない帰り道しかない。少年少女も、僕を殺したはずの何やら良くわからない存在もいない。


 街灯の明かりで両手を見ても、そこには見慣れたいつもの両腕があるし、体はいたって不調もない。


「夢か、夢なのか?」


 独り言は空しく宙に溶けていくばかりだ。兎も角、何が起きているかはわからないばかりだが、道の真ん中で座り込んでいるわけにもいかないと、僕は転がっているコンビニの袋を持って歩き始めた。


 いつもよく歩調を緩めて、先ほどのことを思い返す。


 本当にあれは夢だったのだろうか。それとも現実なのだろうか。


 僕が倒れていたのは事実だが、仕事の疲れが何かの拍子で現れたのかもしれない。そして、日ごろから望んでいる妄想を見てしまったのかもしれない。


 いや、それにしては非常にリアルだった。


 あの命が失われていく感覚は、まだ思い起こすことが出来る。あの、強制的で、抗うことのできない、死の前触れを。


 恐怖は恐怖だったが、案外悪いものではないとすら思ってしまった。


 これでもうバイトに行く必要もないし、お金のことが思い悩む必要もないし、周りが結婚したり子供ができるたびに焦燥感に襲われることもないし、と全ての不安が解消されていくのはむしろ爽快ですらあったのではないだろうか。


「……チッ」


 僕は少しづつ苛々し始めた。


 人を期待させやがって、という気持ちだとか、あの少年少女に対する妬みだとか、あれが夢じゃないとするなら、あのよくわからない存在もちゃんと僕のことを始末しろよとか。


 人に死を受け入れさせておいて、それがやっぱり嘘でした、なんてさすがに酷くないか?


 そこで、悶々としている僕の肩を、誰かが引っ張った。


 酷く乱暴な手つきに、僕はムッとする。


「おい、お前、今舌打ちしたろう? なぁ、なんか文句あるんか?」


 そこにいたのはおっさんだった。それも、強いアルコールの匂いをさせていて、街灯の明かりだけだが、顔が赤いのがわかる。


「なぁ、失礼じゃねぇか。なぁ、俺が何かしたか? おい、なぁ、なんなんだよ、おい」


 面倒くさいのに絡まれた、と思った。


 深夜の路地におっさんの大きい声が響く。周りには人がいない。おっさんは意外と体格がよくて、威圧感がある。心のどこかで、一瞬怯えが湧いてくる。


 普段なら、何も言わないで手を振りほどいていただろう。そして、家に帰って、やっぱり何か言い返せばよかった、どうせばれないだろうから、一発くらい殴ればよかった、なんて思い返したりしているだろう。


 僕は、グッ、とおっさんを睨みつけた。


 声が、聞こえる。


【そうだ、奪え】


「うるせぇよ、手を離せよ」


「おい、なんだその態度は、バカが。お前が悪いんだろうが。開き直るなよ。おい、なぁ、バカが」


 心のどこかで、抵抗した自分に驚く。僕は、そんなタイプの人間ではない。いつも、何かから、誰かから逃げてきたのだ。


 それでも、今は。


 胸倉を掴んできたおっさんにも、そのねちっこい人を馬鹿にした口調にも、そのきついアルコールの匂いにも。


 そしてなにより、一度受け入れた死を否定されたことにも。


 声が、聞こえる。


【命を、奪え】


「手を、離せって、言ってんだよ」


「なんだと、このクソが。バカが。おい、謝れよ。謝れって言ってんだよ」


 苛立ちが頂点に達したとき、僕は、思わず、おっさんの頭に手のひらを翳した。


 そう、覚えている。


 やられたことを、やりかえせばいい。

 

 声の、通りに。


【全てを、奪え‼】


「《生命吸収》‼」


「あぁ? ……あ、あ、アァァアアア‼ や、やめ、ァァァアアアァァァ……」


 おっさんの体からエネルギーが流れ込んでくる。


 その言葉を考えたとき、それは気持ち悪いなと思って、思わず笑ってしまった。


 それでも、手のひらを伝わって、体に力が湧いてくる。


 活力、精力、人生に対するやる気の様なものが僕の中に渦巻いて、非常に愉快な気持ちになってくる。


 生きていていいんだ、生きていたい、生きるべきだ、と僕の中の何かが語りかけてくる。


 声が、囁く。


【奪え‼】


「は、はは、はははははは‼」

 

 初めて流れ込んでくる力に陶酔した僕の笑い声が深夜の住宅街に響き渡る。


 ドサリ、と全てを吸いだされたおっさんが道端に倒れるその姿も滑稽に見えて、僕はさらに哄笑する。


 そうか、と僕は思った。


 これでいいのだ。


【奪い続けろ‼】


 頭の奥底に響くこの声に従おう。


 これが何なのか、どうしたいのか、そしてどうなるのか。


 僕にはまったくわからない。


 けれど、僕は手に入れてしまったのだ。


 ついに、三十歳にして、ファンタジーな力を。


「はは、はは、ははは……」


 夢見ていた、古今無双の剣士の力でもない。


 世界の真理に迫る魔法使いでもない。


 誰かを守り続ける聖騎士でもない。


 でも、きっと。


 これが僕にはお似合いなんだ。

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