彼女を好きな彼。
準備室で2時間サボり、3時間目からは真面目に授業に参加した。そして放課後。
吉野さんは『バイトがある』と言ってダッシュで教室を出て行った。ファミレスなのかコンパニオンの仕事なのかは、敢えて聞かなかった。なんとなく、知りたくなかったから。
僕は部活に……行くべきか、否か。
いや、部活には行く。みんなに迷惑をかけてしまったことを謝らなければならないから。
そうじゃなくて、部活を続けるべきか、否か。
自分を『不要な生き物』と言った吉野さん。吉野さんが不要な人間ならば、僕は尚更不必要な人間なのではないだろうか。みんなのお荷物なんじゃないだろうか。
みんなに謝罪しなければいけないのに、重い腰が上がらず、自分の席から動けずにいると、
「北川、何してんの? 部活遅れるじゃん」
小山くんが僕の席に近づいてきた。
「……小山くん、ゴメン。僕、他人の迷惑になりたくない。部活、続けられない」
『誰にも迷惑をかけずに生きたい』
吉野さんの言葉が、頭の中で木霊した。
僕には、みんなが当然の様に持っている感覚がない。その足りない部分のせいで、誰かの足を引っ張ることはしたくない。
僕も吉野さんと一緒。誰にも迷惑かけたくない。
「だから、今朝も言ったじゃん。土曜の試合は楽勝だったし、北川が倒れたのは試合終わってからだったんだから、全然迷惑なんかじゃないって。ていうか、倒れたくらいで迷惑がるほど、バスケ部員は心狭くないっつーの。見縊ってくれるなよ」
僕の二の腕を掴んで『ホラ、行くぞ』と椅子から立たせようとする小山くん。
小山くんは、相変わらず今日も正義だった。本当に優しい。優しすぎる。
『小山といると、自分の不正解さをダイレクトに感じるから、たまにしんどい』
同感だよ、吉野さん。正しさに、優しさに応えることが出来ないと、申し訳なくて苦しいね。
「……僕、生きてる意味あるのかな」
本当は吉野さんだって、僕だって、正義でいたいのに、哀しいね。
「ん? 意味なんかないっしょ」
キョトン顔で僕の顔を見る小山くん。イヤイヤイヤ。僕の方がキョトンなんですけど。正直、小山くんならまた汚れのない言葉を並べてくるものだと思っていたから。
「【正義くん】の言葉とは思えない」
「北川、俺の名前を馬鹿にしてるだろ。生まれた時から親に『絶対グレるなよ』っていう圧力かけられてる様なモンだからな」
小山くんが「好きで【正義】なワケじゃねぇっつーの」と口を尖らせた。
「してないよ。文句なしの命名だと思うよ。ピッタリじゃん」
「何だろ。全然喜べない。ていうか、むしろ鼻につくわー。てか、何『生きてる意味』とか壮大なスペクタクルで人生を捉えてんの? 北川は」
小山くんが、空いていた僕の前の席に座り、僕の机に頬杖をついた。心優しい小山くんは、部活に遅れてでも僕の話を聞いてくれるらしい。
「小山くんこそ、僕の悩みを馬鹿にしてるじゃん。結構真剣に考えてるのに」
小山くんを真似て、口を尖らせ返す。
「だって俺ら、どうせ死ぬんだよ? どうせいつかいなくなるのに、意味なんかあんの? 生きてることに意味があるとしたら、死ぬことにもなんか意味合い必要? 『この人の為になら死ねる!!』ってテンション上がっちゃう人ってたまにいるじゃん。『冷静になってよ。アナタが命を捧げようとしているその人も、最終的には死ぬんだよ?』って思わない?」
「……」
最早唖然。僕、小山くんのことを勘違いしていたのかもしれない。
「だから、楽しいのも悲しいのも苦しいのも、全部意味なんかないんじゃないかな。意味がないんだったら、楽しんだモン勝ちじゃん?」
ただ、それでもやっぱり小山くんの言葉は前向きだった。
「あ、言っておくけど、別に俺は誰かに命がけになる人を『バカだなー』とは思ってないからね。人生自体に意味はなくても、その人自身にとって意味のあることなら、それでいいと思うんだよね、俺は。きっとその人にとっては【生きる理由】の対象の危機なんだと思うから。人は必ず死ぬ。そう考えるとさ、この世のものなんか全部無意味なんだと思うんだよ。後世に何かを残したところで、受け取った側も絶対死ぬし。極論、この地球だって、いつかは滅亡しちゃうしね。重要なのは【生きる意味】より【生きる理由】じゃん? 意味のない生命を全うする理由。そもそも無意味なものに対して意味を見出そうとするのは、非生産的でしょ」
つくづく小山くんは文系な人だと思う。僕には到底考えつきもしない理論だ。
「生きる理由……何だろう」
小山くんの言っていることは理解出来ても、結局その【理由】が見つからない。
「イヤイヤイヤ。何言ってんだよ。いっぱいあるだろうが。細かいことだと『来月発売のマンガが読みたい』とか『来週公開の映画が見たい』とかも理由だろうし。『恋がしたいなー』とか『仲間と遊びたいなー』とかもそうだと思うし。『命を大切に』っていうのはさ、自分が誰かの生きる理由だったりするからだと思うんだよ。家族とか、仲間とか、恋人とかのさ」
小山くんが、馬鹿な子を諭す様に、よーーーく噛み砕きながら分かり易ーーーく説明してくれた。
「……僕が誰かの【生きる理由】?」
「少なくとも、バスケ部員にとってはね。みんな北川を待ってるし。ということで、いい加減部活行くぞ。俺、遅れた分、腹筋背筋の回数増やされるだろうから、足押さえつけるの手伝えよな」
小山くんが立ち上がり、僕の後ろに回ると「さっさと立て」と無理矢理僕の椅子を引いた。
「青春が目に染みる。涙ちょちょ切れそう」
うっかり本当に泣きそうになって、袖で目を擦りながら泣き真似を装う。
「俺の目標で生きる理由は、【小学校教諭になって、子どもたちを指導しながら戯れて、可愛い奥さんもらって幸せに暮らすこと】だからな。死ぬまで青臭いことを、平然と言い続ける予定だからな」
小山くんが「小柄な俺の小さな胸で良ければ、いつでも貸すぞ。来いよ!!」と、僕に向かって両手を広げる。
「何その理由。めっさ素敵やん。僕、先に部活行くね」
そんな小山くんの横をスッと通り過ぎてやった。
「待て待てコラー」
小山くんが追ってくる。
小山くん、超いいことを言うのにどうしてこんなにイジられキャラなんだろう。
少し遅れて部活に行き、部員のみんなに土曜日のことを詫びると、小山くんの言った通り、誰一人として嫌な態度や言葉をぶつけてくる人はいなかった。さすがスポーツマンだ。
ただ、僕の相談に乗ったが為に遅刻した小山くんは、小山くんの予想通り、腹筋等のペナルティーを科せられた。
僕のせいなので、勿論カウントや足の重しの役割をお手伝い。
小山くんが少しでも早く練習に合流出来る様にと、わざと水増ししてカウントをしているのに、「もー、北川数え間違ってる!!」と小山くんは、僕の気遣いという名のズルさに気付かない。さすが正義。
そんなこんなで、今日も滞りなく部活の時間は終わった。
着替えをしようと部室の向かおうとした時、
「北川先輩。ちょっといいですか?」
大ちゃんの呼び止められた。
「ん? 何? どうしたの?」
「ちょっと……あっち行きましょう」
大ちゃんは、右手で僕のジャージの裾を少し掴むと、左手の人差指で体育倉庫を指差した。
大ちゃんは、みんなには聞かれたくない話をしたいらしい。
「うん。いいよ。行こっか」
大ちゃんと2人で体育倉庫へ……来たはいいが……。
「……」
大ちゃんはただただモジモジし続け、なかなか喋り出そうとしなかった。
他の人には言い辛い話の様だし、『話って何?』と急かして良いものか分からず、とりあえずその辺にあったバレーボールやらハンドボールやらを無意味に触っては、無駄に5cmくらい浮かせてみたり、それをキャッチしてみたりを繰り返していると、
「……私、北川先輩が好きです。私、北川先輩の彼女になりたいです」
突然大ちゃんが、覚悟を決めたかの様に告白してきた。
全く予期していなかった大ちゃんの言動に、自分で軽く上に投げたボールをキャッチし損ね床に転がすという、マンガの様なことを実際にやってしまった自分にも、ダブルでビックリした。
大ちゃんのことは、同じバスケ部員として、1学年下の後輩として、好き。
僕の病気を知っていながら告白してくれたことを、素直に有難いと思うし、嬉しい。
しかし、こんなに可愛い女の子が自分を好きだと言ってくれているのに、その気になれない程に、僕の【恋愛しない】という決意は固かった。
固すぎたが為に、鈍感になってしまっていた。
大ちゃんの気持ちに勘付けていたなら、『僕は恋愛しないんだよ』と、それとなく大ちゃんに伝えることが出来ただろうに。こんな僕なんかに告白するなんて、勇気の無駄遣いをさせずに済んだだろうに。
普通の男子だったら、こんなに可愛い後輩に告られたら、好きじゃなくてもとりあえず付き合ったりするのかもしれない。
でも僕には、そんなことは出来ない。
そこらのチャラ男みたいに、遊びで付き合おうにも、上手な遊び相手にすらなれないだろうから。
それに、見るからに真剣に想いを伝えてくれた大ちゃんに、そんなことはしたくない。ちゃんと、篤厚でいたい。
「……ごめん。大ちゃん」
『またまたー。冗談言ってからかわないでよー』と、ジョークに変えた方が、大ちゃん的にも気が楽だったのかもしれない。でも、真剣に告白してくれた大ちゃんに、ふざけた態度は取りたくなくて、余計な言葉を言わず、誠実に断りの言葉を返した。
「……もう。小山先輩の嘘吐き」
大ちゃんが、目に涙を溜めながら困った様な無理矢理な笑顔を作った。
「小山くん?」
「……そそのかされたんですよ。『大ちゃん、北川のことが好きなんでしょ? 北川も絶対大ちゃんのことが好きだから』って。『絶対うまく行くから、告白しな』って。何を以ってそう思ったんでしょうね、小山先輩。うまくなんか行かないじゃん。大失敗じゃん。北川先輩に好きな人がいるって分かっていながら、小山先輩の言葉を真に受けた私もアホでしたけど、小山先輩も大概ヒドイ」
泣いて僕を困らせたくなかったのだろう。大ちゃんは、涙を堪えながらほっぺたを膨らませおどけてみせた。
小山くんは、何でそんな嘘を言ったのだろう。
小山くんには話したのに。僕が恋愛をしないことを知っているはずなのに。確かに『それは違う』って小山くんに否定されたけど、でも、『大ちゃんとはそういう感じじゃない』って何度も言ったのに。
小山くんへの疑問を頭の中でぐるぐる巡らせていると、
「……あの、振られておいて図々しいんですが、明日からも普通に接してもらえませんか? よそよそしくされると、余計に傷つくので」
そんな僕に、大ちゃんが言いづ辛そうに口を開いた。
考え事をしていた僕が、大ちゃんを迷惑がっている様に見えたのかもしれない。
「全然図々しくなんかないよ。勿論明日からも仲良く部活しようね。断っておいてなんだけど、大ちゃんの告白、嬉しかった。あと、何か勘違いしてるみたいだけど、僕に特別好きな人はいないよ」
素直な気持ちを大ちゃんに伝えると、
「振っておいてそんなこと言わないで下さいよ!! 泣いちゃうじゃないですか!! 北川先輩のばーか!! 嘘吐きー!! お疲れ様でした!! また明日!!」
大ちゃんは、我慢していた涙を零し、走って体育倉庫を出て行った。
大ちゃんの姿が見えなくなってから、僕も体育倉庫を出て、部室に向かう。
部室のドアを開けると、みんなは既に着替え終わって帰った後だった。
小山くんの姿もない。
小山くんと話したかったのに。
とりあえずジャージから制服に着替え、パンツのポケットに入れていたスマホを取り出す。
画面に小山くんのアドレスを表示し、タップする。
スマホを耳に当てて10コール待つも、小山くんは出てくれなかった。
仕方なくLINEメッセージを打つ。
[大ちゃんに告られたよ。小山くんに煽られたって言ってた。なんでそんなことをしたの? 僕が大ちゃんにそんな気がないこと、小山くん知ってたよね?]
僕のメッセージがすぐに既読になって、
[ごめーん。今電車乗ってて電話出れなかったわ。いやー、口ではそう言ってても本当は北川も大ちゃんのことが好きなのかなーって思ったからさー。お似合いだと思うんだけどなー]
大ちゃんが泣くほど傷ついたことを知らない小山くんから、随分のほほんとしたメッセージが返って来た。
小山くんに悪気はなかったのかもしれない。でも、軽い気持ちで人の心を揺さぶってはいけないと思う。
明日、小山くんと話そう。LINEで済ませて良い話じゃないから。
悶々としながら翌朝を迎え、悶々としながら学校に向かった。
生徒玄関で靴を履き変え、教室に向かおうと廊下を歩いていると、
「大崎、男バスのマネージャーに振られたらしいよ。私、昨日大崎が泣いてるの見たー」
「まじで。媚び媚びぶりっ子、通用しなかったんだー。ウケる。ざまぁ」
「まさか振られると思ってなかったんじゃん? アイツ、男バスでチヤホヤされて、自分をカワイイって勘違いしてるんじゃん? そりゃ、されるっつーの。男子しかいないトコに女1人入ったら。ブスでもモテるっつーの。つーか、チヤホヤされたくて入ったんだろ的な」
前を歩く女子のグループが、明らかに大ちゃんの悪口を言いながら嘲っていた。
学校という箱は1000単位の人が犇めいている。
どんなに密室で秘密裡に話そうが、誰かの目に、耳に入ってしまうんだ。
そしてそれは、あっと言う間にあっけなく広がってしまう。
きっと、大ちゃん自身の耳にも届いてしまうだろう。
……大ちゃん、本当に周りの女子からあんまり良く思われてなかったんだ。
大ちゃんが、勇気を出してしてくれた告白が、笑いのネタになっている。
申し訳なくて、やるせなかった。
教室に入ると、吉野さんはまだ来ていなくて、その前の席の小山くんは、隣の席の男子と談笑していた。
「おはよう、小山くん。今、ちょっといい?」
会話に割って入る様に、小山くんに挨拶をする。小山くんたちのお喋りが終わるのを待つ気になれなかったから。だってきっと、小山くんが笑っているこの時間に、大ちゃんは心を痛めているのだから。
「お、おはよ、北川」
機嫌が良いとは到底言えない僕が突然入り込んで来たことに、少し戸惑いを見せる小山くん。
僕の態度があんまりだったのか、小山くんと喋っていた男子は自ら席を外してくれた。
「小山くん、僕より大ちゃんとの付き合い長いわけだから、大ちゃんが周りの女子からどんな風に思われてる子なのか分かってたはずだよね? 大ちゃんの告白が上手くいかなかったこと、面白がってる女子がいた。ねぇ、小山くんには本当に、僕が大ちゃんに気がある様に見えてた?」
小山くんの机に手を置き、若干の苛立ちの篭った疑念を小山くんにぶつける。
「……そう、言ったじゃん」
小山くんが、僕の顔を見ることなく小さく答える。
「僕は恋愛をしたことがないからよく分からないけどさ、誰かに告白するって、凄く勇気のいる行為だと思う。大ちゃん、昨日泣いてたんだよ。小山くんの憶測で、大ちゃんの気持ち揺すって傷つけるのは違うでしょ? 大ちゃんに謝って欲しい」
小山くんの机に肘をつき、僕と目を合わせようとしない小山くんを覗く。
「……何それ。じゃあ、北川も俺に謝ってよ」
目を逸らせていた小山くんが、僕を睨み付けた。
「え?」
「北川だって、俺が吉野のことを好きなの知っていて、吉野と2人で隠れてコソコソ何か話してたじゃん。『僕は恋愛をした事がないから』? 『よく分からないから』? はぁ!? 俺がどんな気分になるか想像も出来なかった? 北川さぁ、本当に恋愛したことないの? 俺には今真っ最中に見えるけど」
小山くんが怒っている姿を初めて見た。しかも、いつも優しい小山くんの怒りの矛先は自分に向いている。
「……」
困惑して言い返すことも出来ずに目を見開く。
「北川も好きなんだろ? 吉野のこと」
僕の戸惑いを他所に、小山くんの話は予想だにしていなかった方向へ。
「吉野と北川が仲良くしてるのを見るのが嫌だった。北川と大ちゃんが付き合えばいいと思った。そうすれば、北川は吉野から離れてくれるだろうと思った。俺は全然【正義】なんかじゃない。北川をバスケ部に誘ったのだって、吉野に【イイ奴】って思われたかったからだよ」
小山くんが、溜息混じりに鼻で笑った。
「……僕をバスケ部に引き止めたのも、大ちゃんと僕をくっつける為?」
嬉しかったのに。小山くんがバスケ部に勧誘してくれたこと。慰留してくれたことも。
「北川の中で俺って超嫌な奴になっちゃってるね。……まぁ、否定はしないけどさ。北川がそう思うなら、そうなのかもね」
顔を歪め、苦々しく笑う小山くん。小山くんは、否定してほしくて言った僕の質問を否定してはくれず、そんな僕の腹の内を見透かしたのか、がっかりした様な、話をすることさえ面倒臭そうな素振りを見せた。
「セコイんだよ、北川は。何でもかんでも病気のせいにして、初めから勝負しないんだもんな。『僕は恋愛しない』とかほざいておきながら、じゃあ、もし吉野が北川に告白してきたとしたらどうする? 付き合うんじゃないの? 吉野が好きなら言えばいいだろ。振られたって『病気だから仕方ないんだ。病気が悪いんだ』って自分のこと慰められるじゃん。俺なんて、超健康体だから、そんな言い訳通用しないもん。自分に魅力がなかったんだって落ち込むしかないからな」
白けた視線を向けながら、僕を罵る小山くん。
頭の中で『ブチッ』と何かが弾けた。さすがに腹が立つ。小山くんにそう言われてもしょうがない態度を取っていたとは思う。だけど、僕の病気を良く知りもしないで好き勝手に言う小山くんに、怒りが沸き立つ。
「セコイのはどっちだよ。幼稚な企みに大ちゃん巻き込んで傷つけて。結局自分だって吉野さんに告白してないんだろ!?」
わざといやらしい、トゲトゲしい言葉で小山くんに言い返す。
「お前と一緒にすんなよ。俺は告った。昨日、吉野と北川の様子見て、イライラしてモヤモヤして、部活終わってから吉野の家に行って告白した。……振られたよ。嬉しい? 北川」
小山くんが、苦しそうな、悲しそうな、でも鋭い目で僕を見た。
そして、小さな溜息を吐く小山くん。
きっと小山くんは、僕の気持ちを見抜いたのだろう。
『嬉しい? 北川』そう言われて、即座に『そんなことない』と言えなかった。
正直、ホッとしたんだ。
吉野さんと小山くんが、付き合わなくて良かったと思ったんだ。
僕は恋をしない。僕が恋をしたところで、吉野さんは恋をしない。僕の恋など無駄でしかない。
だから、恋愛なんかしたくないんだ。
お願いだから、誰も僕の心を掻き乱さないでよ。
「……」
小山くんに返事が出来ずにいると、予鈴が鳴った。
小山くんに何を言えば良いのか分からず、結果逃げる様に自分の席に戻る。
チャイムが鳴っても吉野さんは教室に入って来なかった。
今日、彼女は学校を休むらしい。
その日は授業が終わっても、部活の時間も、終始小山くんと会話することはなかった。
何を話せば良いのか分からなかったから。
翌日も、相変わらず小山くんとは口を利かなかった。
そして今日も、吉野さんは学校を休んだ。
風邪でもひいたのだろうか? 体調を崩して寝込んでいるのだろうか?
心配になってLINEメッセージを送るも、返信はなかった。
「北川先輩、小山先輩とケンカでもしました? 昨日から何か変ですよね? ……私が北川先輩に告白したことが関係あったりしますか?」
部活中、あからさまにギクシャクする僕と小山くんが目に余ったのか、大ちゃんが心配そうに僕に話かけてきた。
「ケンカっていうか……。でも、大ちゃんのせいじゃない」
僕はただ、小山くんに大ちゃんへの謝罪をして欲しかっただけ。でも小山くんの行動は、僕の態度に問題があってのことで。
確かに小山くんの気持ちを知りながら、吉野さんと2人で授業サボったことは無神経だったと思う。だけどそこに、愛だの恋だのはなかった。でも、それを証明する術がない。小山くんに謝ろうにも、誤解の解き方が分からない。
「本当ですか? 私が『小山先輩に嗾けられて告白した』的なことを言ったから、北川先輩、私を庇って小山先輩を咎めたのかと思いました」
「イヤ……」
大ちゃんに図星を射られてたじろぐ。
「……図星かよ」
どうやら僕は、嘘が下手くそらしい。大ちゃんが、しょぱい苦笑いを浮かべた。
「……なんか、スイマセンでした。北川先輩に告白して振られたことが、悲しくて悔しくて恥ずかしくて……。小山先輩のせいにでもしなきゃ、やりきれなかったんですよ、あの時。後で『あんなこと言わなきゃ良かったなー』って後悔したんですよ。あ、告白したことじゃないですよ!! 告白を『小山先輩にさせられた』的なことを言ってしまったのをですよ!!」
ペコっと頭を下げては、自分を悪者にして僕と小山くんの仲直りを願う大ちゃん。
ほんの少しあざといというだけで、こんなにも優しい大ちゃんは、その性格を理解してもらえずに、周りの女子から疎まれている。
誤解を解くことの難しさを改めて思い知る。
「北川先輩に告白したことは、全く後悔してないんですよ。告わなきゃ、振られることもなかったし、傷付かずに済んだのかもしれない。ずっと胸の内に秘める淡ーい恋とかも、それはそれでいいと思うんですけど、告って振られて自分の中で区切りがついたんですよ。『終わった。私はやり切った!! 頑張った!!』って。ハッキリ言って、今かなり無理してますよ。本当は今にも泣きそうなくらい辛いんですけど、無理矢理明るく元気に装ってます。それでも告白して良かったと思ってます。やっぱり知っておいて欲しいですもん。『私はアナタのことが好きなんですよ』って。だから、むしろ小山先輩には感謝してます。北川先輩が、私のことで小山先輩を責めたのであれば、申し訳ないんですけど、北川先輩から謝って仲直りしてもらえませんか? 振られた可哀想な後輩のお願い事、聞いてくださいよ」
大ちゃんが、両掌を合わせながら『てへッ』と舌を出した。
「……どうして大ちゃんの良さが伝わらない人間がいるんだろう」
こんなにも思いやりがあって、こんなにも優しい大ちゃんを嫌う人間がなんでいるんだろう。
「え?」
「僕は分かってるからね。大ちゃんがイイ子だってこと、僕はちゃんと分かってるからね」
「振ったくせに。北川先輩のアホ!!」
目に涙を溜めながら僕に笑いかけると、大ちゃんはプレイヤーにタオルを渡しにコートに走って行った。
『北川先輩の方から謝って下さい』
それは別に構わない。
ただ、大ちゃんが関係する話は、ケンカの発端であって原因ではない。
小山くんの怒りの基因は別にある。僕にある。
僕は、どうすれば良いのだろう。
結局、可愛い後輩のお願い事を叶えられず、この日も小山くんと仲直りすることは出来なかった。
次の日。吉野さんは今日も学校を休んだ。LINEをしても、相変わらず返事はない。
どうしたのだろう。何かあったのだろうか。……小山くんなら、何か知っているだろうか。
「小山くん、吉野さんが欠席の理由、何か聞いてる?」
小山くんの席に近づき話しかける。
気まずさは大いにあれど、吉野さんが心配な気持ちの方が大きかった。
「別に、何も?」
そっけなく答えながら、小山くんがチラっと僕を見上げた。
「小山くん、吉野さんの家を知ってるんだよね? 場所教えて。ちょっと様子を見に行きたいんだ」
「先生に聞けば教えてもらえばいいじゃん。あ、個人情報保護とかの問題で無理なのか。じゃあ、先生に吉野の様子を見に行ってもらえばいいよ」
机に頬杖をつき、意地悪に僕に細い目を向ける小山くん。
「小山くんは吉野さんが心配じゃないの!? おかしいじゃん!! 3日連続で学校休んでるし、連絡しても返事来ないし」
「北川は、何でそんなに吉野が気になるの?」
「友達だからだよ!! 当たり前じゃん!! 小山くんは気にならないの!?」
「なるよ。振られたとは言え、俺は吉野のことが好きだから。吉野のこと、友達としか思ってない北川は俺ほど気にはなってないはずだよね?」
理系クラスにいながら、実は文系の小山くんに、根から理系の僕の揚げ足を掬い取るのは容易いことだった。
『自分が行かないのだから、お前は行かなくても良い』とでも言いたげな小山くん。
「……」
また、何も言えなかった。言い返す言葉ひとつ思い浮かべることの出来ない僕は、尻尾を丸めて自分の席に逃げ帰る。
なんてダサい人間なのだろう。
小山くんの言い分は尤もだけど、だからって吉野さんを心配する気持ちは募ったままだ。
授業中、空いたままの吉野さんの席に目をやっては、もしかしたら体調不良じゃないのではないか? いくら具合が悪くてもLINEの返事くらい出来るんじゃないか? もし、違う理由なのであれば……。
心がザワつき、居てもたってもいられない状況に。
先生の話声は見事に右耳から左耳へと、どこにも引っかかることなく抜けて行き、全く頭に入って来ない。
だから、授業を受ける意味がない。
どうしたら、小山くんから吉野さんの家の住所を教えてもらえるだろうか。
もたもたしている間にも時間は過ぎて行き、気が付けば4時間目になっていた。
小山くんから聞き出す方法がないわけではない。
『僕は吉野さんが好きなんだ』と嘘を吐けばいいだけ。……嘘。
『もし吉野が北川に告って来たとしたら、付き合うんじゃないの?』小山くんの言葉を思い出す。
そんなことはあり得ないだろう。でも、万が一、1000万が一、そんな状況になったとしたら、僕はその告白を断るだろうか。
大ちゃんに告白された時の様に、吉野さんを振ったりするのだろうか。
そんなこと、僕に出来るのだろうか。
『北川はセコイ。何でもかんでも病気のせいにして、初めから勝負をしない』
『私は告白をして良かったと思ってます。好きな人には、私はアナタのことが好きなんですよって知っておいて欲しいです』
小山くんと大ちゃんの言葉が脳裏を過ぎる。
僕はそこまで馬鹿じゃない。
自分の気持ちくらい、本当はとっくに分かっていた。
だけど、気付きたくなくて、気付いていないフリをしていたくて。
昔から、病気のせいで心を傷めることが多かった。
いつも、傷つかない方法を探りながらやり過ごしていた。
傷ついて立ち上がれなくならない様に、自分の心を守りたかったんだ。
……でも、僕だって、逃げ回りたいわけじゃないんだ。勝負をしたくないわけじゃないんだ。自分の気持ちを伝えたくないわけじゃないんだ。
どうしても吉野さんに会いたいんだ。
吉野さんのことが、心配で仕方ないんだ。
あっと言う間に4時間目が終わり、ランチを食べるべく、クラスメイトたちが机を動かしながらザワつき出した。
そんな中、朝コンビ二で買っただろう、パンやお茶の入った袋を手にした小山くんが、どこかへ移動しようとしている姿が目に入った。
「待って、小山くん!!」
慌てて立ち上がり、教室を出かかっていた小山くんを扉付近で捕まえる。
「何?」
立ち止まって冷たく返事をする小山くん。
「……」
どうしよう。小山くんに白状しようとするだけで緊張する。なかなか言葉が出てこない。こんなんで僕は、吉野さんに思いを伝えることなど出来るのだろうか。
「何?」
小山くんが「俺、腹減ってるんだけど」と言いながら、再度僕に問いかける。
『すぅ』と小さく深呼吸して覚悟を決める。
「……あの……さ。ずっと小山くんをからかっててゴメン。セコイことばっかしてゴメン。……僕も勝負をしに行きたいんだ。だから、吉野さん家の住所を教えて欲しい」
小山くんの目を見ながら訴えかけると、小山くんはそんな僕からスッと視線を外し、ポケットからスマホを取り出すと、それを弄り始めた。
小山くんは、僕に吉野さんの家の住所を教える気はないのかもしれない。
「小山くん、お願い!!」
もう1度懇願すると、
「まだ届いてない? LINEメッセージ」
小山くんが、僕がいつもスマホを入れている制服のポケットを指差した。
「え?」
ポケットに手を突っ込み、スマホを引っ張り出して見てみると、吉野さんの家の住所が書かれた、小山くんからのLINEメッセージが届いていた。
「俺が北川をバスケ部に慰留したのは、北川を友達だと思ってたからだよ。北川はそうは思ってないみたいだけど、俺は親友だと思ってた。だからずっと、嘘っていうか、隠し事されてるのがスゲエ嫌だった」
眉を八の字にして「やっと口割ったなー」と笑う小山くん。
小山くんに嫌われてしまったのだと思っていたから、小山くんの言葉が心うれしく、安堵した。
「僕だって、小山くんのことを親友だと思ってるよ。ていうか、小山くんだって頑なに好きな人を隠してたじゃん」
「そうだけど、普通にバレてたんだろ?」
「まぁ、そうだね」
『ククッ』
小山くんとこんな風に笑い合うのは3日ぶりだ。
3日間のギスギスが開放された様で、楽しくて嬉しかった。
「僕、早速吉野さん家に行ってくるよ」
小山くんから教えてもらった住所をスマホで確認しながら、鞄を取りに自分の席に戻ろうとすると、
「ホレ。腹が減っては戦は出来ぬぞ」
小山くんが、持っていた袋から焼きそばパンを取り出し、僕に渡した。
「いや。でも……」
僕には今朝母親が作ってくれたお弁当があるし、放課後の部活でいっぱい動くだろう小山くんが食べた方が良いと思う。貰いあぐねている僕に、
「いいからいいから。俺、まだいっぱい持ってるし。午後の授業、先生には『北川は腹痛で帰った』って言っておいてやるからさっさと行け」
小山くんは焼きそばパンを押し付けながら、シッシッと僕を追い払う仕草をした。
『いいよいいよ』『いいからいいから』等という押し問答を繰り返す時間ももったいない気がして、素直に焼きそばパンを受け取る。
「じゃあ、遠慮なく。ありがとう、小山くん。でも、その言い訳は通用しないっしょ」
僕が腹痛って。嘘がバレバレの域を超え、モロ嘘でしかない。
「ハッ!! そっか。じゃあ『北川のウンコが止まらない』ってことにしとく」
「小山くん。本当は生粋の文系なんだから、もっとイイヤツ考えてよ」
そして、お昼時なんだから言葉選んでよ。小山くんに少々呆れつつ、自分の席の脇にかけていた鞄を手に取り、肩にかけた。今度こそ教室を出ようとした時、
「北川!!」
小山くんが僕に向かって何かを投げた。飛んできた物をキャッチすると、
「吉野の家、駅から結構歩くから、ここからチャリで行った方がいいよ。俺の貸してやる」
それは、小山くんがいつも通学時に使っているチャリの鍵だった。
「ありがとう。小山くん」
「俺の大事なマイチャリ貸してやるんだから、ちゃんと吉野のこと捕まえるんだぞ!! 本当は俺も吉野のことが心配だから、吉野の家に行きたいんだけどさ、振られてるし……。嫌がられるの辛いしさ。正直、全然傷心癒えてないし、北川を応援したいと思えるほど心清くもないんだけどさ、もし北川まで振られて、また同じ人好きになるとかまじで嫌。だから、めっさ複雑ながら応援する。親友だしな!!」
小山くんが「がんばれ」とスポーツマンらしい爽やかな笑顔を見せた。
「吉野さん、嫌がったりしないと思うよ。小山くんからの告白、嫌じゃなかったと思う。小山くんから告られて嫌な子なんて、性格腐ってるよ。小山くんは、やっぱり【正義】だよ。誰がどう見たって正義だよ。僕、頑張って来るね。ダメだったら慰めて。ていうか、慰め合おうか」
「嫌じゃ、ボケ。つか、見事に振られてるのに、説得力ないしな!! でも、ありがとな。そう言われるの、嬉しいわ。俺、正義だから今日ちゃんと大ちゃんに謝るよ。ホラ、早く行けって。行ってらっさい」
手を振る小山くんに手を振り返して、全速力で教室を飛び出した。