第二章
「いらっしゃいませ、探偵喫茶へようこそ!」
「「「「うおおおおおおおおおおおお!」」」」
「だ、誰なりか、あの子は!?」
「ミーの調べによると、今日から入ったニューフェイス、王隠堂有人ちゃんって言うらしいヨ!」
「か、可愛い……! これは、アルテミス、新時代の突入だー!」
新時代って、ここ、開店してまだ一か月なんだろ……?
「三名様ですね、ではお席にご案内いたします」
客を席へ案内しようとしたその時、僕のお尻に何やらとっても嫌な感触がまとわりつく。
「ひいっ!?」
「ぐへへ……プリプリなり。とろけるプリンなり」
いやらしく、ねっとりした男の手の感触……僕の、男の尻を撫で回す、キモい男性客。
「あ、あの、お客様……」
「まあまあ、お近づきの挨拶なりよ」
きっとこういう客もいるだろうと思っていたが、いざ目の当たりにするとなんて気色悪いんだ。早くもこの店を辞めたくなる。
「「「くおらあああああああ!」」」
「ぶげばっ!?」
すると一部始終を見ていた他の客たちの鉄拳が一斉に飛んでくる。
「何するでアルか、我らの有人ちゃんに!」
「お触りは禁止だべ! これ、アルテミスのマナー!」
「あ、ありがとうございます」
「有人ちゃん、困ったことあったら我らに言うでござるよ!」
「セクハラ、パワハラ、絶対反対! すぐに辞めたりしないでね」
「はは……」
思わぬ人たちに助けられてしまった。開店から二時間、すっかり僕の熱狂的ファンができてしまった。ファンたちは、一部の良識のない暴徒の所業を決して許さない。
しかし複雑だ……。僕はこの人たちを、いや……一緒に働くウェイトレスの人たちも、騙しているのだから。
「む、無理ですよ、そんな! 女装して働くなんて!」
そう言いながら、格好はすでにメイド服。我ながら情けない姿だが、着替え終わるまで衣装がおかしいと気づかないマヌケぶり。
「いいじゃない、似合ってるんだし。それにいい設定だと思わない? 見た目は女、頭脳は男、その名は……名探偵アルト! みたいな」
バーロー……色々危険すぎるっての。
「お願い! この通りだから! ね、一か月でいいから、働いてよ~。今うち、厄介な案件を一つ抱えていて、なかなか解決できないのよ~。優秀な探偵が一人でも多く欲しいの。ね?」
「じゃあ普通にウェイターとして働かせてくださいよ」
「それは駄目。うちは原則、女の子しか採用しないって決めているから。それに有人ちゃん、さっきみんなの着替え、見ちゃったのよね~?」
「うっ……!」
「うちの子たち、表向きは営業スマイルでニコニコしてるけど、怒ったらそりゃ怖いのなんのって。有人ちゃんが男の子だって知れたら、きっと袋叩きね。いや、それで済めばまだいい方。ひょっとしたら、訴えられるかもしれないわ、一人慰謝料百万円くらい」
「そ、そんなぁ! ぼ、僕のせいじゃ……!」
「なんせ中には今をときめくスーパーアイドルだっているし、ファンの子たちに知れたらまたとんでもないことになるでしょうし。有人ちゃん、嫉妬の嵐で、生きてお家に帰れなくなるわよ? ファンの報復って怖いのよ?」
「ううう……わかりましたよ! 女の子に成りすまして働けばいいんでしょ!? ただし、本当に一か月だけですよ!?」
「そうこなくっちゃ、これで面白く……いえいえ、仕事がはかどりそうだわ」
もしかして……僕に女装させて楽しんでないか、この人……?
「で、でももし学校の友達とかに見つかったら……」
「あ~、そうね。じゃあ多少いじくったりはしましょう。お化粧にエクステつけたりして、髪型変えるだけでも大分雰囲気変わるもんだし。それから眼鏡は外しましょう。どうせ伊達眼鏡なんでしょ? あと胸にはパット入れましょうね。小さめでいいから」
「それだけで誤魔化せますか……?」
「大丈夫よ。あたしはおろか、昨日会った刑事さんや他の人たちも、みんなあなたのこと女の子って勘違いしてたでしょ? 普段のままで十分、女の子にしか見えないわよ、あなたは」
グッと親指を立てる咲恋さん。褒めているつもりなのか、全然嬉しくないけど……。
そんなこんなで、ウェイトレスの子たちにも結局僕が男だってことを隠したまま、業務開始となったが……本当にみんな、恐ろしいくらい気づかない。それどころか僕のことを、店内で一番可愛いとかもてはやしてくれる。正直、全く喜べない。
「何よ……何なのよ、あの子!? 今日が初日のくせに、何あの大人気っぷりは!? 何なのよ、あたしのファンたちもほとんどあの子に手を振って! キイイイイイイイ!」
「あ、あの、七五三さん……レジの打ち方ってどうすれば……」
「何よ!?」
「ひぃ!? な、何でもありません!」
般若のごとく形相で睨まれ、何も聞けずに退散する。こ、怖い……昨日も見ていたが、本当に裏では恐ろしい人なんだなぁ。これが人気アイドルの裏の顔……。
「有人ちゃん、私が教えるよ」
「あ、和南城さん……」
「満笑でいいよ」
そう言ってニッコリ微笑み、レジの打ち方を教えてくれる満笑ちゃん。か、可愛い……やっぱり。それに優しいなぁ。
さっきから仕事のノウハウは基本的に満笑ちゃんについて教わっているが、実に的確にわかりやすく指導してくれる。昨日見た限りじゃドジっ子みたいなイメージが付きまとっていたが、結構仕事できるみたいだ、この子。
「こんな感じかなぁ。何か質問ある?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「敬語なんて使わなくていいよー、同い年なんだし。それより有人ちゃんって、どこかで会ったことない?」
「えっ? そ、そうかな? 初めてだと思うけど」
「う~ん、そうかなぁ……。ま、いいや。さ、お仕事戻ろ」
ふう……よかった、思い出せなかったか。つい昨日会っているからな。あの時はスペシャルメニュー正解のご褒美とかで、キスされそうになって恥ずかしくて逃げ出しちゃったけど……。
ん? キス……? あああ、そうだ!
休憩時間になり、咲恋さんのいる事務室へ向かう。
「咲恋さん、これ!」
「どうしたの、有人ちゃん?」
「何ですか、このスペシャルメニューってのは!?」
僕はフロアから失敬してきたメニュー表を咲恋さんに見せる。
「ああ、それ? 面白いでしょ? 探偵喫茶ならではのイベントをやってみたくてね。注文したお客様にミステリークイズを出してるのよ。有人ちゃんも今度、お客さんとして来た時に挑戦してみたら?」
「そうじゃなくて、正解者へのご褒美ってところですよ! キスのプレゼントって、風俗ですか、ここは!?」
「あのねぇ、有人ちゃん。この喫茶店の売りは何だと思う? 言ってみて」
「えっ? それは……今までにない探偵と喫茶店を融合した新ジャンルですよね?」
「ちっ……があああああああう! 違うわよ、有人ちゃん! 売りは決まってるでしょ? キャワイイ女の子たち、ウェイトレスよ! この店の客層を見てもわかるとおり、お客さんたちは探偵喫茶目当てで来てるんじゃないの。ウェイトレス目当てで来ているの!」
〝探偵喫茶〟の存在意義を根底から覆す理論だ……。要は可愛い女の子さえいれば八百屋だろうが魚屋だろうがOKってことじゃないか。
「だったらそのお客さんたちからどうやって稼ぐ? ウェイトレスの子たちをエサに巻き上げるのよ! 所詮オタクなんて、偶像の存在にいくらでもお金を出す生き物! ならばそれを利用して徹底的に巻き上げるっきゃないでしょ!?」
それで参加料5000円ってか。な……何てがめつさ……。酷い商売っ気。それを払う方も凄いけど。
「だ、だからって、こんな売春に近いご褒美設けるとか……! そもそもここで働くウェイトレスの子たちだって、そんなの納得いかないんじゃないですか? 好きでもない男にキスさせるなんて可哀想です!」
「やーね、まかり間違っても本当にキスなんてことはないわよ。このクイズで出される問題は、全部解答するのに制限時間が設けられているけど、内容が明らかに時間内に解けないようなものばかりだもの。当てずっぽうで答えても駄目、ちゃんと理由まで述べないと正解とは認めないって徹底してるし」
「昨日僕は、一問挑戦して解きましたけど……」
「えっ、嘘!? やっぱ凄いわね、有人ちゃん……」
まあ確かに、あのダイイングメッセージ、たいていの人は三十秒では答えられないよな、さすがに。たまたまピンときたから、答えられたようなものだけど。
「ま、まあとにかく大丈夫よ。万が一、有人ちゃんがそのメニュー注文されても、答えられるお客さんなんて出ないでしょうし」
「で、でも~……」
「ちょっと王隠堂さん!? 休憩時間とっくに過ぎてるんだけど!」
「あ、すみません、七五三さん!」
いつの間にか事務室に来ていた七五三さんに怒られてしまう。結局、大丈夫で済まされ、仕事に戻ることになってしまう。そんなこと言って、もし万が一、クイズに完璧に正解する奴が出てきたらどうするんだよ~……?
「有人ちゃーん、オーダーお願―い!」
「はい、ただいま!」
「有人ちゃん、こっちも!」
「はい、今行きまーす!」
次から次へと名指しで注文に呼ばれる。昨日は客として大変そうだなぁと見ていたけど、こうして実際に働いてみると、本当に目が回る。満笑ちゃんじゃなくても倒れそうなくらい。
「お、お待たせしました」
「うおお、君が噂の新人さんかぁ! メッチャ可愛いじゃん、マジで!」
「げっ、椎太!?」
危惧していたが、早速顔見知り登場。椎太、今日も来たのかよ? オワタ……。
「ん? 何で君、俺の名前知ってんの?」
「あ、い、いえ、その……あはははは」
「君……よく見ると……」
「えっ……?」
じーっと、椎太は顔を近づけて僕を見てくる。やめろ、男に顔近づけられたくない……。
「やっぱメッチャ可愛いじゃん! 近くで見ると余計に」
ズコー!
「あ、ありがとうございます」
こいつ……完全に気づいていない。昨日も一緒にここで食事した親友が目の前にいることに。ちょっと変装しているとはいえ、何か悲しい……。
「じゃ、注文いいかな? コーヒーとそれから……スペシャルメニュー!」
「ええっ!?」
「頼むよ」
歯をキラッと輝かせ、爽やかに注文する椎太。顔とは裏腹に下心丸見えだが。
こ、こいつ、まさか僕にスペシャルメニュー注文してくるとは……最悪だ。
注文通り、コーヒーとスペシャルメニューの問題を持ってくる。忙しいのでせっせと歩かなきゃいけないのに、運ぶ足取りは物凄く重かった。
「で、ではご注文のコーヒーと、それからスペシャルメニューの問題です」
頼む……正解しないでくれよおおおおおおおおお!
『問題
ある男が白い大きな建物の中で殺された。
男はある部屋の中におり、部屋は鍵がかかって密室状態にあった。
犯人はどのようにして男を殺したのか? ただし
①部屋は完全な密室であり、抜け穴などもない。男が中へ入る手段はなかった。
②男には目立った外傷もなく、体内から薬物の類も検出されなかった。
③部屋の外から毒ガスで殺されたわけでもない』
「では制限時間は三十秒です。用意スタート」
「う~? 何だこりゃ? 外傷がないってことは刺殺でもなけりゃ撲殺でもない。首を絞めた痕とかもないってこと?」
「そうです」
「じゃあ絞殺でもない。あと考えられんのは何だ? 毒殺でもないんだろ? えええ~?」
頭を悩ませている椎太。そうこうしている間に三十秒が経過する。
「時間です」
「うおおおおおお、ちっくしょおおおおお!」
本気で思いっきり悔しがる椎太。よかったじゃないか、お前は男にキスしちまうところを助かったんだぞ? 僕もホッとする。椎太にキスなんて御免だ。
それにしてもこの問題も意地が悪いというか何というか……。このヒントだけで普通、三十秒以内に答えは出せないだろう。なるほど、確かに咲恋さんの言う通り、参加料5000円だけふんだくって、ご褒美は与えるつもりはないってことか。
「よっ、助かったな」
「あ……風音さん。はい、何とか」
ショートカットで背の高い、ボーイッシュなウェイトレスさん。八文字風音さんだ。椎太とのやり取りを見ていたみたいだ。
とりあえず一安心し、別の席のオーダーを取りに行くと、またみょうちくりんな客が座っていた。
「やあ、可愛い子猫ちゃん、注文頼むよ」
趣味の悪い紫色のスーツに身を包み、アニメキャラのような前髪が異常に長い男。なかなかの美形ではあるが、鼻につくくらいキザったらしく前髪をバサッとかき上げ、注文を言う。
「フルーツパフェ、モンブラン、コーヒーにナポリタン、それから生ハムサラダ、それと食後のデザートに……スペシャルメニューをお願いしよう」
「かしこまりました。って、えええ!?」
フルーツパフェとか頼んでおきながら、それがデザートじゃないのか? じゃなくって、またスペシャルメニュー!?
一難去ってまた一難。どうするか、今度は別の問題を出すか? いや……それよりも。厨房へ行くと風音さんがいたので、聞いてみることにする。
「あ、あの、風音さん。一度出した問題って、もう出しちゃいけないんですよね?」
「ん? 同じ客にはもちろん駄目だけどよ、違う客になら出しても構わないぜ。ただし、なるべく近くで問題を聞いてなかった奴の方がいいけどな」
それは言えている……。あの紫のスーツの人は、椎太からかなり離れた席にいた。まず聞こえてはいなかっただろう。ならばさっきの問題でいくか。他の問題も答えを見たけど、多分あれが一番正解される確率が低いだろう。
「お、お待たせいたしました。ご注文のお料理と、問題を持ってまいりました」
「ご苦労様。ふむふむ……」
「ではスタートさせていただきます。制限時間は三十秒です。よーい」
「わかったよ」
「スタート。えっ!?」
うそん!?
「男が殺害されたこの白い大きな建物は病院。彼は意識不明の重病の入院患者で、生命維持装置をつけていた。そんな彼を密室の中で殺す方法はつまり……生命維持装置の電源を落とせばいい。
彼は病院の電気のブレーカーを落とし、生命維持装置をストップさせた。そして重体だった男はそのせいで亡くなった、というわけさ」
げげげげげげげっ!?
「せ、正解です……」
「フッ……考える必要もないくらい簡単な問題だったね」
「「「「「うおおおおおおおおおおおおお!?」」」」」
「なんてこったあああああ、有人ちゃんがあああ!」
「彼女の唇が、あんな優男に奪われてしまうのかあああ!」
「もう駄目だ、そんな場面、とても見ることができない! 死のう!」
僕も死にたい……あああ……。まさか……問題を読んですぐ答えがわかるなんて、何なんだこいつ?
「何だ何だ、何の騒ぎだ?」
「か、風音ちゃああん……有人ちゃんが正解されちゃったんだよおお……」
「げっ、マジかよ? 一体誰に? ん……? ああああああああ、お前、龍我!」
「やあ、可愛いイノシシちゃん」
「誰がイノシシだ!」
「知ってる人ですか、風音さん?」
「こいつはなぁ、王来王家龍我。この近所の探偵会社、ドラゴンナイツの社長兼探偵だ」
「た、探偵!?」
「フッ……頭に〝名〟を付け忘れているよ、イノシシちゃん」
「何しに来やがった? わざわざ敵陣視察かよ?」
敵陣……? ああ、そうか。ここも探偵事務所だから、商売敵ってことか、一応。
「取るに足らない敵を見に行くほど暇じゃないものでね。ただのランチだよ。五時間も並ばされるとは思わなかったけど」
「並んで入ったんだ……」
「相変わらず嫌味な野郎だな。そんでうちの自慢のミステリークイズに挑戦ってか?」
「その通り。てんで歯ごたえのないクイズだったけどね。正解者にはキスのご褒美か。ははっ、笑わせるね。こんな低能なクイズを解いて、キスされて喜んでいる奴の気がしれないよ」
「ムッカアアアアアアアア! ムカつく、こいつ!」
「あ、あの……じゃあご褒美は?」
「食事の邪魔だから行きなよ。子猫ちゃんはなかなか可愛いから僕にキスくらいさせてあげてもいいけど、僕のファンクラブの子たちもうるさいからね」
よ……よかったああああああああ!
「で、では失礼します」
「ケッ、どうぞごゆっくり!」
ホッとして下がる僕と、プリプリしながら中指を立てる風音さん。厨房へ引っ込むなり、ひたすら文句を言いまくる。
「何でえ、あいつ! 自分の有能さ見せつけるために、わざわざ5000円の問題注文したってか? 腹立つ!」
「でも凄いですね、あの問題解くなんて、言うだけあってかなりの推理力ですよ」
「その通りよ」
話を聞いていた咲恋さんがやってくる。
「だから厄介なのよ。ドラゴンナイツはうちの商売敵であり最大のライバル。現状、ほとんどの探偵調査の依頼は、あっちに持って行かれちゃってるわ」
「そうなんですか?」
「まあな。だって飲食の注文はガンガンされるけど、探偵の依頼なんて滅多にされねえもん」
そういえば今日一日働いた限りでもそんな光景は見られなかったしな……。そりゃまともな人ならこんな飲食店をやっている人たちに、探偵の仕事なんて依頼しないか。普通の探偵会社に頼むってもんだよな……。
「そう……開店してから一か月で舞い込んだ依頼はたったの二件。このままじゃやばいのよ! 探偵喫茶がただの喫茶店になってしまうわ!」
「その方がむしろいいんじゃ……」
「打倒ドラゴンナイツよ! 龍我探偵に負けちゃ駄目よ、有人ちゃん!」
何だか色々不安になってきた……。
「はぁ~、やっと終わった~」
「お疲れ様、有人ちゃん」
閉店時間になり、満笑ちゃんたちと店内の掃除をする。ようやく初日が終わり、どっと疲れた。とにかく動き回ったせいか、十年分は働いた気がする。
「どや、アルテミスの雰囲気は? 圧倒されたやろ?」
「ええ、そうですね。え~っと……」
「猫屋敷聖奈や。あんたと同い年やから、タメ口でかまへんで」
関西弁の小柄な女の子。八重歯が可愛い、元気な女の子だ。
「音彩ちゃん、ちょっと来て」
「で、あっちが三反園音彩な。うちらより二つ上や」
咲恋さんに呼ばれて話をしている音彩さん。長い黒髪が綺麗な、大人しそうなイメージの女性だ。何やら真剣な面持ちだ。
「……で、そういうわけだから、満笑ちゃんと協力して、それで……」
「あ~、あれ、多分依頼の件についての話やな」
「満笑ちゃん、有人ちゃんも来てちょうだい」
僕と満笑ちゃんもオーナーに呼ばれる。
「さて、有人ちゃんにはまだ話していなかったけど、今うちが受けている依頼でまだ解決していないのがあるって言ったわよね? 明日、早速その調査に行ってもらうからね」
「あ……いいですけど、学校終わってからでいいんですよね?」
「もちろん。行ってもらうのは浮気調査の依頼。この男の素行を調べてもらうわ」
そう言って咲恋さんは一枚の写真を出す。写真にはいかにもスケベっ面のタレ目オヤジが写っていた。どっかで見たような……?
「この人、法華津安路さんですよね?」
「えっ? 法華津安路って、あの芸人の?」
「そう。明日、午前中は同じテレビ局内で仕事の七五三ちゃんと、あたしが潜入してマークする。午後は引き続きあたしと七五三、学校終わりに音彩ちゃん、満笑ちゃん、有人ちゃんの三人にスイッチするわ。お願いね」
「わかりました」
「……了解」
ボソッと呟く音彩さん。か細い声だな。
「そんなわけだから、明日はお店の方は夕方から開けるわ。メンバーはあたしと聖奈ちゃん、咲恋ちゃんに風音ちゃん、月菜、笑夢で何とか回していくわよ」
「「はい!」」
この場にいない人の名前も出てきたけど、なるほど、こうやって喫茶店と探偵の兼業をこなしているわけか。これって案件が少ないうちはまだいいけど、山のように依頼が舞い込んで来たら本当にてんやわんやになるんじゃ……? まあ、余計な心配かもしれないけど。
「さ、そんじゃ掃除も終わったし、帰ろか」
「うん。有人ちゃん、行こう」
「えっ?」
「えっ? って、お着替え」
「あっ、いやいやいやいや、僕はいいよ、後で!」
「何や、来た時もやけど、何そんな照れとるんや? ええから着替えよや、一緒に」
聖奈が無理やり僕を更衣室へ連れて行こうと引っ張る。ま、まずいって、一緒に着替えたりなんかしたら、男だってばれる!
「あ、ごめん、有人ちゃんだけまだ話終わってないの。みんな先に帰る準備しておいて」
「「はーい」」
助かった……咲恋さん、これは一か月も持たないって、やっぱし……。
翌日。
学校終わりに咲恋さんに指定された場所へ向かう。テレビ局の近くのビル前だ。
「あ、いたいた。有人ちゃーん! あら?」
「咲恋さん。他の二人は?」
「まだ来てないわ。っていうか……有人ちゃん、その格好……?」
「えっ? ああああああああ!」
そこでようやく気付く。そうだ、僕……制服のまま来てしまったのだ! 顔はどうあれ、格好はどこからどう見ても男だし。
「し、しまった……着替えてこなきゃいけなかったんだ」
「推理力の割に、結構抜けてるところあるのね、有人ちゃんって。いくら何でも、男子の制服着てたらまずいわよねぇ。オッケー、まだ時間あるし、ちょっとそこの洋服屋さんで買い物しましょう。あたしがお金出してあげるから」
「す、すみません。ありがとうございます」
十分後。
「……ちょっと、咲恋さん」
「わああ、と~っても似合ってるわよ、有人ちゃん!」
入った洋服屋でパッパと咲恋さんが選んだ服を渡され、試着室で着替える。その格好が……。
「嫌ですよ、こんなフリフリのロリータファッション! それに超ミニだし!」
「ふふ、可愛い……♪」
駄目だ、この人。完全に楽しんでいる……。
「さ、行くわよ。もうお会計済ませちゃったし、それ着ていくしかないんだから」
「だからって、何も下着まで取り替えなくても……!」
この下にはピンクのブラジャーとセットのパンティまで穿かされている。ああ、もう女装というか、完全に変態だ……。
「何言ってるの? これからはお店に来る時も下着も女の子用にするのよ? ああいうマニア向けのお店っていうのはね、盗撮とか絶えないんだから。もし有人ちゃんがパンチラ写真撮られちゃったらどうするの? 中がトランクスじゃ一発でばれちゃうでしょ? うちの店のウェイトレスが変態だなんて噂たったらこっちも迷惑だし」
「うわああああん、そんなこと言われたってえええええ!」
もはやパワハラだ……。
そんなわけでロリータファッションのまま店を出て、エクステだけはちゃんと持っていたので装着完了し、準備万端で待っていると満笑ちゃんと音彩さんがやってくる。
「うわー、有人ちゃん、可愛い~! どこで買ったの、そのお洋服?」
「……そこのお店で」
「いいな~、私も今度、こういうの買ってみようかな~。有人ちゃんほど似合わないかもしれないけど」
傷つくから、そういう謙遜やめてほしい……。
「さて、経過報告するけど、局内では法華津は目立った動きはなし。まあ大半は番組の収録だから当たり前だけど、問題はこれからね。同じ番組で共演した七五三が聞いた話じゃ、この後、法華津は仕事終わりで局を出るそうよ。そこからが満笑ちゃんたちの仕事」
僕と満笑ちゃん、音彩さんの三人でタクシーに乗り、咲恋さんから預かったトランシーバーを持って、テレビ局の駐車場の出口近くで待機する。咲恋さんは申し送りを済ませ、もう店に戻ってしまった。ここからは僕らだけで尾行するのだ。
「今、法華津が駐車場を出るわよ。黒の乗用車」
七五三さんからの通信が入る。言った通り、黒の乗用車が駐車場から出てくる。中には後部座席に法華津の姿が確認できる。運転しているのはマネージャーか?
「オッケー、運転手さん、あの車を追ってください」
言われるままに法華津の車を追うタクシーの運転手。
「嬢ちゃんたち、探偵さんなんだって? 凄いねえ、若いのに」
「世間は高齢化でも、探偵業界は若年化が進んでいるんですよ」
「ねえ……大丈夫なの? 結構ピッタリくっついて追跡しているけど」
「大丈夫だよ。運転しているのはマネージャーさんだから」
「どういうこと?」
「んっとね、自分で運転する場合はバックミラーとか見るから、追跡にも気づきやすいんだけど、人に運転させている場合はまず気づかないんだって」
「ああ、なるほど」
へえ……勉強になるなぁ。本物の探偵っぽい。いや、本物なんだけど。
世間一般で探偵というと、殺人事件を鮮やかに解決する切れ者のイメージが強いかもしれない。けどそれはアニメや漫画の中での話。実際の探偵の仕事といえば素行調査、ストーカー対策、盗聴器の発見などが主である。探偵喫茶なんて言うからどんなぶっ飛んだ探偵業をしているのかと思いきや、そこは割とまともな仕事をしているみたいだ。
すると今度は、バッグからICレコーダーを取り出し、色々とつぶやき始める。
「えー、二丁目の交差点を曲がりました。今のところ寄り道することなく、真っ直ぐ自宅へ向かっている模様」
「それは調査の記録?」
「うん。メモとかだと、車から目を離しちゃうことになるでしょ? だからこうして音声で記録を取るようにしているの」
「へ~」
「あっ、コース外れました! これは……繁華街の方へ向かっています」
法華津の車が帰宅コースから外れる。どうもこれは、どんどん賑やかな街の方面へ向かっているようだ。このまま行けば……。
「車を降りました。ここでマネージャーさんは車に乗ったまま行ってしまいます。私たちも降りよう」
「う、うん」
タクシーを止めてもらい、僕らも歩いて追跡する。法華津は帽子を深くかぶり、サングラスもして周りをキョロキョロ見渡しながら、街中を挙動不審に歩いていく。明らかに怪しいが、街行く人は芸能人だとは気付かないようだ。
「かなり警戒しています。辺りを見回しながら」
人込みが凄い。人の群れをかき分けながら進んでいるが、ちょっとでも目を離せば法華津を見失ってしまいそうなほどに。
さすがに歩いて尾行ともなると、それなりに距離を取らないと気づかれてしまう。ましてや向こうは警戒している。芸人だから、僕らに対してじゃなくて、多分マスコミとか自分に気付かれないかとかだろうけど。
「あっ!?」
そうこうしているうちに、本当に見失ってしまう。曲がり角がいくつか続く道で、すっかり視界から消えてしまった。
「どうしよう、満笑ちゃん? 見失っちゃったよ」
「大丈夫。音彩さん」
すると、ここまでずっと無口だった音彩さんが、相変わらず口を動かさないけど、代わりに鼻をクンクン動かし始めた。
「……? 何してるんですか?」
「音彩さんの鼻は物凄く利くんだよ」
「……こっち」
音彩さんがハッキリと一方向を指さす。ホンマかいなと思って示す方向を追跡してみると、続いて曲がり角を曲がるよう指示される。
「こっち。あそこ」
「あっ……!」
本当にそこには法華津がいた。なんとまあ……臭いを辿ってここまで来たってのか? 犬みたいだな、この人。でも探偵にはとても役立つ特技だ。
それからしばらく尾行を続けると、法華津はオシャレなレストランの前で女性と合流する。
「あっ、あれ……!」
「女の人と合流しました。こちらも帽子とサングラスをかけているため、顔はハッキリとは見えません」
「でも奥さんじゃないんだよね?」
「うん、浮気しているのは間違いなさそうだね」
そして二人は手を繋いで、なんとラブホテル街へ向かっていく。うわ……なんか生々しいな。
「ほ、ホテルに入って行きました。え~っと、その……」
満笑ちゃんも恥ずかしいらしいのか、顔を真っ赤にして記録を取っている。音彩さんは無表情で動じていないけど。
「どうするの? これから」
「えっと、んっと……」
「……ここは出口が二つあるから、二か所に分かれて張り込む」
動揺している満笑ちゃんに代わって音彩さんが教えてくれる。なるほど。
音彩さんの指示通り、裏口に音彩さんが、表に僕と満笑ちゃんが張り込む。
「結構待たなきゃ駄目だね」
「うん。探偵の仕事って持久戦だからね」
時間が経ち、大分満笑ちゃんも落ち着きを取り戻してきた。高校一年生とはいえ、ラブホテルに入っていく光景を目撃してあれだけ真っ赤になるなんて、満笑ちゃんもウブなんだな。
すると落ち着いていたはずの満笑ちゃんが、急にもじもじし始める。
「どうしたの?」
「ご、ごめん、有人ちゃん。ちょっとおトイレ行ってきていい? 我慢できなくて」
「えっ? あ、ああ、いいよ」
「ありがとう! すぐ戻るね。あ、これ持ってて。こっち向けてね」
自分の胸ポケットにさしていたボールペンを僕に持たせて、ダッシュで行ってしまう満笑ちゃん。そういえば聞いたことあったっけ……こういう張り込みって、空腹や睡魔、尿意との戦いだって。今は二人いるからいいけど、一人で張り込みとかしている場合、一瞬でも目を離せないため大変らしい。
そんなことをしていると、なんと中から法華津が出てきてしまう。
「あっ……! ね、音彩さん、法華津が出てきました」
「……了解。そっちに行く」
トランシーバーで音彩さんに連絡を取る。どうしよう……? 今、この場に僕一人だ。とにかく法華津から目を離さないようにしなきゃ。
緊張が解けたのか、一緒に入った女も変装を解いて出てきた。あの女、どこかで見たことあるような気がするけど……?
「有人ちゃん、ごめん、ありがと」
満笑ちゃんと音彩さんが合流する。そして女の顔を見て、ハッとする。
「あの人……豆腐谷千聖?」
「えっ?」
仕事を終え、咲恋さんの指示通り、一度アルテミスへ戻る。店自体はもう閉店しており、スタッフみんな集まって、今日の仕事の報告を聞いている。
事務所のパソコンでネットに接続し、一人のグラビアアイドルの宣材写真を出す。
「この人、今日、法華津と会っていた女の人!? タレントだったんだ……」
「前から噂はあったけどね。どうも本当だったみたいね、二人が不倫関係にあるのは」
「満笑、こいつら出てきた時、トイレ行ってたんだとよ。何やってんだよ、お前は?」
「ご、ごめんなさい……。で、でも、多分証拠映像は撮れてると思うから」
「証拠映像? 撮ってたっけ、そんなの?」
「有人ちゃん、ボールペン貸して」
満笑ちゃんがトイレ行く直前に僕に預けたボールペンを返す。するとボールペンのキャップの部分に物凄く小さな穴が開いていることに気が付く。
「これ……!?」
「そう、カメラなの、ボールペン型の」
そしてパソコンと繋いで、録画した映像を映し出す。タクシーに乗ったあたりから、尾行の様子が割と鮮明な画像で撮られている。
「おお、凄い!」
「これでホテルから出てきた時の様子が記録されていれば……」
早送りしてそのシーンを探す。するとバッチリ残っていた。僕がボールペンを持ち、言われた通り、穴のある方向をホテルの方へ向けていたから。変装を解いて顔がハッキリわかる法華津と豆腐谷が映っている。
「完璧ね。ご苦労様、三人とも。これで浮気の証拠は押さえられたわ」
「じゃ、依頼解決ってことですね? これが咲恋さんの言っていたなかなか解決しない案件ですか? あっさり解決したじゃないですか」
もっと時間もかかり、手こずりそうな案件かと思っていたが、まさかの一日で解決してしまった、かに思えたが……。
「違うわよ。浮気の証拠を押さえたってだけで、この案件は終了じゃないわ。この先が問題なのよ」
「先?」
「なんや、聞いてへんのか? この依頼はただの浮気調査やないで。殺人事件の依頼や」
「殺人事件!?」
「そう……彼は容疑者なのよ。ある事件のね」
は、初耳だ……。相変わらず、重要なところをちゃんと話してくれない、大雑把な咲恋さん。
「一週間前、法華津安路宅で、奥さんの法華津茜子が殺された。奥さんには前々から浮気を疑われていて、家庭内では相当揉めていたって話。離婚の話も出ていたらしいけど、浮気のハッキリした証拠がない以上、相応の慰謝料も請求できず、話が進展しないでいたみたい。
そんな中、奥さんが殺されたことで、疑いの目は真っ先に夫の安路に向いた。動機は十分だからね。だけど……彼には事件当日、アリバイがあった。テレビ局で収録の真っ最中だったの。完璧すぎるアリバイに、警察もすっかり彼に対する疑いはなくしている。
そのアリバイに何か秘密があるんじゃないかと思って、身辺調査の依頼をしてきたのが、二人の息子、法華津大源。一人暮らししていて、事件当日は実家にはいなかったし、もちろん犯行の様子は見ていない。でも家の内情を一番よく知っている彼は、アリバイがあってもまだ父親を疑っているみたいで、アリバイを崩すためにどんな些細な事でもいいから、調査してわかったことを教えてほしいって頼んできたの」
「なるほど……でも、調べてわかったことを報告すればいいんですよね? とりあえず浮気していることが判明したんだから、それで終了でいいんじゃないですか? 殺人事件は警察の方に任せれば……」
「何言ってるの、馬鹿ね! 私たちは探偵よ! 探偵といえば殺人事件! 殺人事件といえば名探偵! 事件あるところ、探偵が現れ、鮮やかに解決する! そういうものでしょうが!」
「凄いこだわりやな」
「それはアニメや漫画の話じゃ……」
「だまらっしゃい! あたしはねえ、そういうのに憧れて探偵事務所を始めたんだから! 何が何でも、無理やりにでも解決するの! そして名探偵の集う喫茶店としてこのお店を有名にして、ガンガン依頼が来るように、日本一の探偵事務所にするのよ!」
そう力強く宣言する咲恋さん。無理やりにって……せいぜい捜査妨害で逮捕されないことを願うけど……。
次の日。
夕方からお店に入るが、今日も大忙しだった。
「有人ちゃーん、オーダーお願い!」
「はい、ただいまー!」
「有人ちゃん、こっち向いてー!」
「はーい!」
忙しいんだよ!
そんな倒れそうな忙しさの中、随分恰幅のある背広姿の中年男性客がやって来る。
「いらっしゃいませ、探偵喫茶へようこそ」
「むむっ!? むむむ……イイ、実にイイ!」
客は僕をじーっと見るなり、親指をグッと立てて言う。
「あら、百千万億航海さん、いらっしゃい」
「八月十五日くん、彼女が新しく入ったという新人さんだね?」
「ええ、如何です? お気に召しましたか?」
「素晴らしい! 美少女ではあるがどこにでもいそうな平凡な感じ、それがまたイイ! 派手に化粧をしたり、チャラチャラ着飾る昨今の女子どもにない、純朴さというのか、それは彼女はパーフェクトだ! 是非とも一対一でお話させてもらいたいな」
「かしこまりました。ではGルームへご案内でよろしいですか?」
「ああ、頼むよ」
そして咲恋さんは男性客を、フロアの奥にある謎の部屋に案内していく。そういえば、まだあの部屋が何なのか聞いていなかったな。
「聖奈ちゃん、あの部屋って何なの?」
「ああ、Gルームやな。GはGOD、つまり神様の意。お客様は神様言うけど、その名の通り、神様みたいなお客様を通す部屋らしいで。今んとこ、利用できる客は百千万億ちゅうオッサンだけやけどな。
なんせ室料だけで三十分、10000円。指名したウェイトレスと一対一でゆっくり会話できるシステムなんやけど、指名料4000円ちゅうとんでもないぼったくりぶりやからな」
「し、室料10000円!?」
な、何じゃそりゃ……? しかも指名料って、どこのキャバクラだ、ここは!?
ただでさえコーヒー800円、フルーツパフェ1700円とか、メニュー一つ一つが物凄い値段設定だと思いきや、ここまでやっていたのか、咲恋さん……。
すると咲恋さんがそのGルームから戻ってきて、僕のもとへ来る。
「有人ちゃん、ご指名よ」
「あ、あの……何なんですか、あのお客さんは?」
「うちの超VIPだから、丁重におもてなししてね。間違ってもご機嫌損ねるようなことしちゃ駄目よ。さあ、レッツゴー!」
「レッツゴー! じゃなくて、どういうシステムなんですか、これは!?」
「わかるでしょ? ファンってのは、お気に入りの女の子ともっとお近づきになりたいものなのよ。普段、業務で忙しいウェイトレスの子たちとじっくりお話したい。そういう要望を叶えるお部屋よ」
「明らかに危険な臭いがプンプンするんですけど……」
「いい、有人ちゃん? あの人は警察署長さん。この近辺で起きている事件の指揮を執っている、とっても偉い人なのよ。当然、法華津茜子殺しの件もね」
「それって……もしかして……!」
「そう、あの人に上手く取り入って、事件の詳しい情報を引き出すのよ。元来、殺人事件の捜査権限のないあたしたち探偵が、警察しか知り得ない情報を聞き出す絶好のカモってわけ」
な、なるほど……。それは利用しない手はないかもしれないけど。
「でも、それなら尚更僕が行かない方がいいんじゃ……。男だってばれたら、とんでもないことになりますよ?」
「その点はまあ、頑張って」
「そんな適当な! 第一、相手が事件の話なんて全くしたがらなかったらどうするんですか? 全然関係ない話題を振ってきたら?」
「そこをどうにかして聞き出すのが、探偵喫茶のウェイトレスの仕事よ」
「どうにかって、どうやって?」
「う~ん、まあ例えばおっぱい触らせてあげる代わりに事件のこと教えてくださいって取引するとか、お尻触らせてあげる代わりに犯人の目星教えてくださいって取引するとか。いや、駄目ね、あたしの頭じゃ風俗的な発想しか思いつかないわ」
最低だ、この人……。
「とにかく頑張るのよ! 有人ちゃんの可愛さならできるわ!」
「もし襲われたらどうするんですか?」
「警察署長さんよ? そんな問題になることしないわよ」
あのスケベそうな面はとてもしなさそうには見えないけど……。
「大丈夫、部屋の中はカメラもあるしね。いざとなったら助けに行くから。さ、覚悟決めて行ってらっしゃい! 男の子でしょ?」
こんなところで働かせておいてそんなこと言うか……? そんなこんなで僕はあきらめて、Gルームに向かう。
「し、失礼します……。ご指名いただきました、有人です」
精一杯の引きつった笑顔を作り、ぺこりとお辞儀する。部屋の中は喫茶店とは思えないアダルティーな造りになっており、天井には何故かシャンデリアも飾られていた。
まさにホステスのいる店みたいな大きなソファーにどっかり座り、いやらしい目つきで僕を迎える百千万億。
「おお、来たか! さあ、こっちへ。こっちへ来なさい。ワシの膝の上で構わんよ」
膝をポンポン叩き、その上に座れと要求する。完全にそっち系の店になってしまっている。
僕はスルーして隣に座り、文句を言われないうちに話を始める。
「どうも~、百千万億さんって仰るんですよね? 警察署長さんなんですって?」
「そうなのだよ、自慢じゃないがね。ガッハッハ! 日々街で起こる凶悪な犯罪に立ち向かう、警察のトップだ」
そのトップが、平日のこんな時間からこんな店で遊んでんじゃないっての。
「すっごーい、どんな事件を扱ってるんですか? あれ、今話題の、お笑いタレントの奥さんが殺されたやつとか?」
「おお、もちろん。法華津安路だろ? 大丈夫、もうホシはわかってるんだ。んー、何か飲むか。有人ちゃんも飲むかね?」
「えっ? そうなんですか? あ、いえ、私は結構です」
何だ、それなら僕らが出しゃばる必要もないじゃん。百千万億は、テーブルに設置された呼び出しボタンを押す。するとオーダーを取りに、聖奈ちゃんが入ってくる。
「遠慮しなさんな。ワシのおごりだから。あー、ビールとシャンパン、それから一番高いワインも頼むよ」
「はーい、かしこまりましたー」
あるのかよ! 全部酒、ここ喫茶店でしょ!? そしてちょっとして、本当にお酒がズラリと運ばれてくる。
運び終えて、聖奈ちゃんは去り際、目で僕に合図する。頑張ってな、と言っているように見えた。
「さ、飲みなさい。遠慮はいらん」
「あ、あの、私未成年なので……」
「構わん構わん、無礼講だ!」
おい、警察!
「あ、あの、でしたらオレンジジュースを頼ませていただきます。ジュースの方が好きなので」
「そうか、ならそうしよう」
そして再度注文してオレンジを持ってきてもらい、乾杯を始める。
「かんぱーい!」
グビグビッと豪快にワインを飲む百千万億。まだ十七時前……。
「あ、あの、さっきの事件のお話なんですけど、署長さんは誰が犯人だと睨んでいるんですか?」
「もちろんだとも、グビグビ。犯人は、ゴクゴク。法華津安路に、プハーッ、決まっておる。他に動機のある人物も見当たらんしな」
「でもアリバイがあるんですよね?」
「そうだ、詳しいじゃないか」
「い、いえ、たまたまニュースかなんかで見たような……」
「その通り、奴には事件当時に鉄壁のアリバイがある。どうにか穴を見つけようとしたが、奴が事件当時、収録を抜け出して妻の茜子を殺害する時間は全くなかったと言い切っていい。ところがだ……」
「ひっ!?」
やっぱり来たか……百千万億の左手が僕のお尻に、右手が太ももに伸びてくる。ああ、声を大にして言いたい、僕は男なんだって。
「調べを進めていくうちに妙なことがわかったのだよ。つい先日、探偵会社ドラゴンナイツの女性探偵が一人何者かに殺されてね。その探偵が殺される前に、ある人物の素行調査をしていることがわかった」
「ドラゴンナイツ?」
あの龍我探偵の会社……。百千万億は僕の肩を抱き寄せ、顔をグッと近づける。や、やめろよ……。
「忽滑谷水織といってね、彼女はなんと、殺された茜子から、夫の浮気の証拠を掴んでほしいと依頼されていたのだ」
「法華津安路を調べていたってことですか!?」
「偶然とは思えないだろう? 安路の浮気を突き止めようとしていた人間が二人も殺されている。奴こそが犯人である何よりの証拠だ。だが……いかんせんアリバイの謎だけが崩せない。それさえわかれば、奴を逮捕に追い込めるのだがなぁ……」
「あ、あの、百千万億さん……?」
百千万億は目を閉じ、その分厚い唇をんーっと僕に近づけてくる。うわああああ、またかよ、このピンチ!? やめろやめろやめろやめろやめろやめろおおおおおおおお!
「はーい、時間でーす。三十分経ちました」
間一髪で咲恋さんが助けに入ってくる。よ、よかった……。
「延長、延長するぞ!」
「ごめんなさーい、延長はなしなの。あまり長い時間ウェイトレスを拘束されると、今度はフロアがまわらなくなっちゃうので」
「くっそ、あと一息だったのに……」
何があと一息だよ……。
「き、貴重なお話ありがとうございました。では」
「またね、有人ちゃん。次はもっと楽しませてあげるね」
ニタァ~と笑う百千万億。その不気味すぎる笑顔に、僕の背筋にとてつもない悪寒が走った。
あ~、もう本当に嫌だった。何をやっているんだか、僕は……。しかし息つく暇もなく、仕事は続く。
「オーナー、またあのお客さん」
「う~ん、困ったわねぇ」
風音さんと咲恋さんが何か話し合っていた。
「どうしたんですか?」
「見ろよ、あの客。ずっといるだろ? ほとんど注文もしないで」
「? 駄目なんですか? 席料三十分につき1000円払っているから、別にいいんじゃないですか?」
「よくないわよ。ずっと居座られちゃ困るのよ。ラーメン屋以上の回転率を求められるこのお店ではね」
まあそりゃ、外で待っているお客さんは山ほどいるわけだし、限られた席を占領されては困るっちゃ困るだろうけど……。
「居続けるなら居続けるで、せめて色々注文してくれればいいけど、これじゃ儲からないじゃない。次の客さんに入ってもらった方が、いっぱい注文してもらえるかもしれないでしょ?」
「完全、ウェイトレス目当てだもんな~。困るよな、ああいう手合い」
ほとんどがそうだと思うけど、この店の場合……。
「常連なんですか? あの人」
「ああ、しょっちゅうここ来ては、あんな感じだ」
「よし、有人ちゃん。ドリンクのおかわりをさせてくるのよ」
「えっ、僕が? どうやって?」
「有人ちゃんの可愛さでメロメロにして、言葉巧みに誘い込み、いっぱい注文させるのよ! レッツゴー!」
何でまた僕なんだ……。逆らえそうもないので、潔くその客のもとへ行く。眼鏡をかけた細身の、三十歳くらいの男性だった。テーブルにパソコンを置き、ワードで文章を打っている。
「お、お客様、ドリンクのおかわりはよろしいでしょうか?」
普通の聞き方をしてしまった。っていうか、難しいって、これ。
「むっ……! 君、名前は?」
「えっ? 王隠堂有人です」
「有人ちゃん……」
まさかまた一目惚れされたパターンか、これは?
「素晴らしい! 君、僕のドラマのヒロインになってくれないか!?」
「……は?」
「中性的な顔立ち、スれてない純朴さ、僕の次の作品のヒロインのイメージにピッタリなんだ! 頼む!」
「あ、あの~……」
「申し遅れたね。僕は六月一日勧大、脚本家だよ」
「六月一日雄大って、あの『株式戦隊セビロレンジャー』で有名な!?」
「ご存知とは光栄だね。それなら話が早い。この度僕は、初監督作品『ラーメンライダー』というヒーローものの映画を撮る予定なんだけど、これに出てくる主人公の羅亜麺食蔵に思いを寄せる幼馴染、舞夢露に君を抜擢したいんだ! 飛び込んでみないかい、演劇の世界へ?」
「ぼ、僕がですか……? む、無理ですよ、演技なんて」
「〝僕〟と来たか、自分のことを僕と呼ぶ〝ボク少女〟! ライトノベルの世界だけかと思ったが、まさかこの喫茶店にもそんな子が存在したなんて! ああ、なんていい店なんだ、全く!」
いっちゃってる、この人……。そんで少女じゃないから、僕は。
しかし脚本家だったとは……。じゃあこのパソコンは、店内で原稿の執筆中ってことか。よそでやれよ。
「そう思うなら……少しはオーダーくらいしてくれませんこと? 六月一日さん」
「あ、七五三さん」
七五三さんは六月一日のもとへ来るなり、メラメラ炎を上げながら物凄い形相で僕を睨みつける。な、何で?
「何でよ……何であんたなのよ? あたしなんかこんなに売れてるのに、まだドラマにだって出たことないのに、それがいきなり映画だなんて! おのれええええええええ……!」
「そ、そんなこと僕に言われたって~……!」
どうやらやはり嫉妬のようだ。トップアイドルのプライドというやつか。そんな対抗心全開の七五三さんをスルーして、六月一日は話を続ける。
「ちなみに食蔵役には今、売出し中の若手俳優、薬袋海人を起用しようと思っている。本当は小童谷文人にしようかと思ってたんだけど、やめにした」
「えっ? 小童谷文人って、あの超人気の男性アイドルの? どうしてですか? 小童谷さんの方が注目度上がりそうですけど」
「僕も最初はそう思ったんだけどね。でも最近、彼ダーティーなイメージついてるでしょ? 僕はイメージ悪い役者や使えないスタッフとは絶対組みたくない。自分の崇高な作品が汚されるくらいなら死んだ方がマシだからね」
「ダーティーって、何かありましたっけ?」
「知らないかい? 有名な芸能レポーターが殺害された事件。あれの犯人が一部では小童谷じゃないかって言われてるんだよ。ほら」
六月一日は無線LANでネットに繋ぎ、パソコンの画面に事件の記事を出す。
「文殊四郎成斗……ああ、見たことあるかも。芸能ニュースのコメンテーターとかもやってますよね、この人?」
「そう。そして小童谷文人のスキャンダルも追っかけていた。一説じゃ、文殊四郎の掴んだ、小童谷の芸能生命を絶つようなスキャンダルを巡って、事務所と金銭取引が行われたとかなんとか。もちろん事務所側は否定しているけどね」
ん……? この事件の日付、法華津茜子が殺された翌日……? 本当につい最近のことか。「ま、そんなわけだから、今すぐ返事を聞かせてくれないかなぁ? さあ!」
「い、いえ、あの……」
「有人! 休憩入っていいわよ、あとはあたしが引き受けるから」
七五三さんが六月一日を制し、僕は逃げるようにして退散する。どっちも怖い、マイペース過ぎる六月一日も、嫉妬狂いの七五三さんも……。
休憩室でやっと一息つける。は~、もう、この店は変な客が多すぎ……。
「おい、コラ、こっち来い!」
「ど、どうしたの、風音ちゃん?」
「ひいいいい、すいませんすいません!」
何やら廊下が騒がしく、風音さんがカメラを持ったバーコード頭の中年男を連れて入ってくる。
「オーナー、こいつ、盗撮しようとしてたんですよ! あたしらのスカートの中!」
「まあ」
盗撮犯、ついに現れたか。いるよなー、こういう店は必ず。
「す、すすす、すみません! ほんの出来心で! い、いや、野鳥の撮影をしようと思っていただけなんですよ、はい!」
「野鳥がこんなとこにいるか!」
「いないとは言い切れないんじゃないですか? 僕は十年カメラを扱ってますけど、長い歴史の中で喫茶店のウェイトレスのスカートの中で発見したケースが何度かありましたから」
「嘘つけ!」
急に居直り始めた。これまた一段と変な客に遭遇してしまったらしい……。
「や、やめてくださいよ! 残り少ない髪の毛を引っ張らないで! 知的探究心は誰だってあるでしょう? 皆さんだって、男のわき毛の中にダイヤモンドが隠されていないか探索してみたいと思ったことありますよね?」
「あるか、ボケ!」
「僕の家系は代々、女の子のスカートの中から金銀財宝を見つけ出しては一族繁栄させてきたんだから。どこにどんなお宝が隠されているかわからないもんだよ?」
「ただのデバガメだろ……」
「風音ちゃん、話すだけ無駄みたいだから、警察に連絡しましょうか」
「ええええ!? ちょっと待ってくださいよー、ほんのジョークじゃないですかー! ジョークジョーク、黒板に文字を書くのはチョークチョーク、チョークで人の首を閉めたらチョークスリーパー、なんちゃって」
ウザい……なんてウザさだ、この人。
「店内は撮影禁止と書いてありましたでしょ? いい歳して、自分の娘さんくらいの年齢の子たちのスカートの中を狙うなんて、恥ずかしいと思いません?」
「いい歳って、僕はまだ三十三だよ?」
「マジかよ? だってその頭」
「若ハゲなんだよぉ。仕事にハゲんだら、頭もハゲたってね」
「さ、通報しましょう」
「待ってええええええええええ! そ、そうだ、君らあの事件を追ってるんでしょ? 法華津安路の奥さんが殺された事件」
「何で知ってるの?」
「ルポライターやってるからね、僕は。仲村渠天丸って言うんだ」
「ルポライター……。ニートじゃなかったのか」
「失敬な、君。これでも腕利きなんだよ? 事件の情報とか欲しくないかい?」
「欲しい! 欲しいわ、喉から手が出るほど!」
思いっきり食いつく咲恋さん。
「ちょっと待てよ、オーナー。こいつ、その場しのぎのでまかせ言ってるだけだぜ、きっと」
「あー、そういうこと言うね!? じゃあ仕方ない、今回だけは特別にタダで超貴重情報教えてあげちゃおう。実は法華津安路の妻、茜子は、殺される直前に……」
「「「ドラゴンナイツで探偵を雇っていた」」」
「その通り! って、あれ? 知ってるの?」
「知ってるよ。その探偵が殺されたってこともな。しょぼい情報ありがとな」
怒りの表情で拳をブンブン回して、今にも殴りかからんとする風音。
「待った待った待った待った! まあまあ、話は最後まで聞きなよ。その探偵が調べていた内容が肝になると思ってね、ドラゴンナイツ本社に取材に行ったんだよ。そしたらね、面白いことがわかった」
そう言って仲村渠は一枚の写真を見せる。それは法華津安路とある人物が、ファミレスで会って会話している様子を写していた。
「茜子が殺される二日前だ。ドラゴンナイツの探偵、忽滑谷は、安路がこいつと会っていたところをキャッチしたらしい。僕はな~んか事件と関係あるんじゃないかって思うんだよね、これが」
「この人……小童谷文人!?」
「そう、今をときめくスーパーアイドル、小童谷文人だ。法華津安路とは何かのバラエティで一回共演したくらいで、そんな接点があるように見えなかったけど……臭うだろ?」
「本当ね、臭うわ、これは」
「臭う……直感的な意味じゃなくて、嗅覚的な意味で」
「何、この臭い?」
確かに……。写真も臭いが、それ以上にこの部屋自体にどういうわけか卵の腐ったような臭いが充満していた。
「ナハハハ、ばれたか。ごめんごめん、実は今オナラしちゃったから。ほげっ!?」
風音さんの蹴りが仲村渠の腹に炸裂する。勢いよく吹っ飛んでいき、壁にビターンと打ち付けられる。
「ちょ、まっ、ほげっ! ごめんごめ、ぐげっ! おおおい、僕はお客さんだぞう! ぐぎゃあっ!」
堪忍袋が完全に切れたウェイトレスたちからボコボコにされ、ついには店から叩き出される仲村渠。何だったんだ、あいつ……。気を取り直して話を戻す。
「だけどこいつと会っていたからなんだってんだ? 別に、芸能界の友達と会ってただけって話だろ?」
「いや……もしかすると、わかったかもしれません。法華津安路さんがどうやって奥さんを殺害したのか」
「「えっ!?」」
この写真を一目見た時からピンと来ていた。これは……これ以上にない強力な証拠になるかもしれない。法華津安路の犯行を明らかにするための。