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最初に動いたのはセージだった。突進する砂海馬を飛び越えざま、魔犬の姿に戻り炎を吹きかける。砂海馬が背後の魔犬に振り返ろうと、動きを止めた。そこにヴァインらが切りかかる。
「人数が多いと仕事が減る」とガデスが言ったとおり、決着はすぐに着いた。もともとガデスとカインホークの先制攻撃で傷ついていたこともあるが、ラーズの支援も大きかっただろう。彼は前衛の隙間を縫うように銃を撃ち、宣言通りに砂海馬だけに中てていた。味方には掠りもしていない。
「あー、目が疲れてきた……。片目の負担が増えたせいかな」
その正確さを誇ることなく、ラーズはため息を吐きながら瞼を揉んでいる。フェリルからすれば恐るべき動態視力と反射能力、命中精度なのだが、本人は特別には思っていないらしい。
「よくあの状態で敵だけ中てたな……」
ガデスが感嘆の声を上げる。その隣でボーラが渋い顔をしているのは、怖かったからだろう。
「掠らなくても、音で身が竦みそうだったわ……。よくアナタ涼しい顔してるわね」
そう言われ、銃撃に全く動じなかったヴァインは僅かに頷いた。砂海馬から穫った牙を担ぎ直しながら答える。
「間近で魔法が発動するのに、慣れていますので」
「氷柱や風の刃が」と説明すると、カインホークが反応した。目を輝かせ、にやりと笑う。
「なーんだ、ガデスの魔法も危ないんだな!」
「ガデス様は巻き込まないですが」
「俺は巻き込まないがな」
同じタイミングでヴァインとガデスが否定する。カインホークは肩を落とした。小声で「悪気があったわけじゃない」などと呟いているのが聞こえてくる。黒犬が励ますようにその足にすり寄った。
「ま、まあまあ。ほら、出口見えてきたよ!」
ソニアが努めて明るい声を上げ先を指さした。暗闇の先に光の円が見える。明るすぎで景色が見えないのは、陽光が強いからだろう。
歩を進めるにつれ大きくなる輝きを見ながら、フェリルはそっと太股に手を伸ばした。無心のまま、忍ばせた堅い感触を確かめる。
「出た途端、暑いんでしょうね」
「うん。あと、絶対眩しい」
出口が近づいてきたことで、皆緊張が解けたようだ。和やかな雰囲気が流れる。
「ガルムたん喚んだら、少しは涼しくなるかなぁ--フェリル?」
前方をじっと見ているフェリルに、カインホークが気が付いたようだ。フェリルは答えず、法衣の裾を払った。
法衣の内側に下げていた銃剣を抜きながら激鉄を起こす。前を歩いていたラーズが振り返った。それを意に介さず、引き金を引く。
洞窟内に、銃声が響いた。
「…………ボーラさんの気持ちが、ちょっと分かったよ」
耳を押さえたまま、ラーズが後ろを振り向いた。その視線の先には、氷の針に縫い止められた蜘蛛がもがいている。湖畔の大蜘蛛のように巨大ではないが、強力な毒をもった種類だ。蜘蛛のすぐ横では、銃弾が壁に食い込んでいる。
「--やっぱり、これはもう使いこなせないな」
ため息を吐き、フェリルは銃剣を回転させて切っ先を自分に向けた。そのままラーズに柄を差し出す。
「僕が持っていても仕方ないから、貸すよ」
断られるかとも思ったが、ラーズは素直に受け取った。一角獣が彫られた刀身を目を細めて眺めてから、自身の銃剣の物だった鞘に納める。
「しかしまあ--よく中てたね、カイン」
短銃を撃つようなポーズを取ったままだったカインホークは、声を掛けられ手を降ろした。ゆっくりと表情が笑みに変わる。
「ふ……ふふふ……狙いを上手く制御するコツを掴んだぞ……!」
首を傾げるガデスに、自信に満ちた笑みで答える。
「ちゃんとそれなりに詠唱する!」
「……むしろ呼びかけただけでも応えてくれる方が凄いんだがな……」
一応同意するということなのか頷きつつ、「しかも自己流で」とガデスは付け加える。カインホークは凄いという言葉に、素直に喜びの笑みを浮かべた。
「いきなり銃剣構えてるから、驚いちゃった」
息を吐きつつ胸の辺りを押さえるソニアに、ラーズはにっこりと微笑む。
「ボクは友人を信じてるから、全然。--音は、凄かったけども」
言葉の割に尻尾が硬直していたのは、音に身構えていたからのようだ。聴覚に優れた彼ならば、耳を伏せても大きい音に聞こえたのだろう。
「ああ、その銃剣だけど……一年以内に、手渡しで返却してほしい」
「ん、オッケーだよ」
フェリルが出した条件に、ラーズは躊躇無く同意した。分かっているというように頷いている。再会の約束代わり、というフェリルの意図は完全に読まれているようだ。
二人のやりとりを見ていたボーラが、軽く手を打ち鳴らして宣言した。
「ターコイズレイクまでは、アタシがこのまま護衛しますからね」
「え、ボーラさん宿とかは? 荷物置きっぱなしじゃないの?」
「ええ。でも、ちょっと数日出掛けるくらいは、いつもやってますから」
馴染みの宿ゆえ、融通が利くという。
「ゲイル達には、先に帰って衛兵の子と宿のマスターに伝言をお願いできないかしら?」
「え、でも護衛なら多い方が」
ゲイルの言葉に、ラーズは首を横に振った。ありがたいが、と前置きをしてから説明する。
「人数が多いと目立っちゃうからねー。なるべくコソコソしたいんだ」
そう言ってラーズは洞窟の外に躍り出た。荷物の中から引っ張りだしたローブを着込むと、皆に背を向けて眼帯を外す。バンダナを頭に巻き付けて耳を抑えてから、ラーズは振り返った。
「--変装もしてね」
バンダナの蝶結びが、動きに合わせて揺れる。前髪に半ば隠れた左瞼は閉じられていた。
「耳と尻尾が見えないだけでも印象変わるでしょ」
「おー……」
何か言いたげながら、ソニアが頷く。「女装はしないけど」と付け加えたラーズの言葉に動揺したのは、恐らく考えを読まれたからなのだろう。
「それではここでお別れですか」
「うん、そうだね。その方がお互いに良いでしょ」
今度はヴァインが思っていたであろう事を口にしてから、ラーズはフェリルに向き直った。銃剣を鞘から抜いて、一回転させる。
「じゃ、これ借りてくよ。利息は無くていいよね」
「1年過ぎたらトイチね。--じゃあ、元気で」
手を上げるフェリルの肩に、重みが加わる。ガデスが寄りかかってきたのだ。手をひらひらとラーズに振っている。
「んじゃ、またなー」
若干ぶっきらぼうな口ぶりだが、ラーズは気に留めてないようだ。ガデスとソニアには特ににこやかに手を振る。
「--さて、じゃあそろそろ行こうか」
「ええ、任せてください。--じゃ、ゲイル元気でね。またお茶しましょ」
「ん、姉さんも」
ボーラを伴い、ラーズは歩きだした。その足取りは軽やかだ。
フェリルは洞窟の外に出て、眩しさに目を細めた。陽光に晒された砂から、暑さが立ち上ってくる。洞窟の涼しさが嘘のようだ。
目が明るさに慣れた頃には、砂漠を進む2人の姿は遠くなり始め、陽炎の向こうで揺らめいていた。
その背中を眺めながら、フェリルは友の幸運を神に祈った。果たせなかった約束のせめてもの代わりとして。