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人の流れを巧みにかいくぐって、フェリルは大通りを横切る。細い路地を進むうちに、坑道の入り口にたどり着いた。中で作業をしているのか、人の姿は無い。
「……ラーズ。人を呼び出しておいて、隠れてるってどうなの」
「ごめんごめん、ちょっとやんごとなき事情があってさ」
ため息混じりのフェリルの言葉に、背後から声が答えた。フェリルは特に驚くことなく振り返る。
「口の動きと声をバラけさせるって、随分器用なマネしてたけど」
「フェリルなら読唇できるかなーってね。内緒で話したかったからさ」
背後に立っていたのは、「砂の大滝」にいた半獣人の青年だ。青年、ラーズ=ワイスは猫のような金茶色の耳と同色の尻尾を揺らしながら、フェリルに手を振っている。
「や、久しぶり。お互いすっかり老けたねー」
「少なくとも僕は「老けた」って年ではないけど」
そう言いながらも、杏色の髪にトパーズ色の目というラーズの出で立ちは、幼い頃の面影を残している。だが、大きく変わったところもあった。
「--その目、ヘマでもしたの?」
フェリルはラーズの左目を覆っている眼帯を指さした。昔は隻眼ではなかったはずだ。そう言うと、ラーズは苦笑いを浮かべた。
「いやぁ、跡目争いに負けた代償でちょっとね。まあ、勝ったら勝ったで、謀殺されてたかもしれないから、安いもんさ」
「跡目争いって……遺跡案内ギルドの代表で?」
ラルバ=ダルバの遺跡案内と探索協力を生業とするスカウトのギルド、ラーズはそれを束ねていた先代の頭アドラーの息子で、跡取り候補の一人だったはずだ。かつては家族のように結束が堅かった古巣を思い出しながら疑問を口にすると、ラーズは苦笑いのまま頬を掻いた。長くなる、と前置きをしてから話し始める。
「親父が死んでキミが出てってから、親父の甥が頭に付いてさ」
アドラーとラーズの年の差は、祖父と孫であってもおかしくない程に離れている。老いてなお壮健だったアドラーが旅の踊り子に一目惚れをしたのだと、誰かが言っていたのを思い出す。踊り子は産まれたばかりのラーズを置いて、姿を消したらしい。置いていかれたラーズはギルドの中で育てられた。
生まれた里を追い出され、途方に暮れていたフェリルをギルドに連れてきたのもまたアドラーで、鍵開けなどの技術は彼から教わった。そんな彼が仕事中に命を落としたのは、ラーズやフェリルが10歳にも満たない年の頃のことだ。島の奥地で見つかった遺跡の探索に同行し、依頼主とともに魔物に襲われ全滅したのだ。
「まあ、当時はボクがまだ全然小さかったから順当だし、何の問題もなかったんだけど--体を壊した頭が「老いてきたし次に後を譲る」って宣言してね。「ギルドのあり方を変えてもっと豊かにしたい」っていう彼の息子と、「今までのやり方を変えたくない」ってボクで、跡目を争うことになった」
「……頭になる気なんてあったんだ」
誰かを引っ張っていくような性格ではなかったはずだ。そう指摘すると、ラーズは頷いた。
「そりゃ、向いてないのは分かってたけどね。先代--もう先々代か。その息子としての義務ってやつだよ。新しいやり方っていうのに疑問があったし。……そうは言っても、実際はほとんど頭の息子で決まりかけたところに、ボクが待ったをかけた形だったけど」
「義務……」
1度だけ、アドラーがラーズとフェリルに跡目の話をしたことがあった。将来頭になりたいかどうかを問われてラーズが全力で首を横に振ったのを、アドラーが若干呆れ気味ながら納得していたのを覚えている。その後彼はフェリルに「もし万が一息子がその気になったら支えてやってくれ」と頼んだのだった。
「--でも、新しいやり方って?」
果たさなかった約束を思い出して苦々しさを覚えつつ問う。フェリルの疑問に、ラーズは首を傾げた。
「それが、妙なんだよね。「他人の手助けなんかせず自分たちで宝を手に入れる」って息巻いてたんだけど、大きく儲けられる遺跡は大概魔物も多くてリスク大きいって身を持って知ってるはずだし、そもそも人員的に、ギルドの人間だけで踏破できないのは明らかなのに、よっぽど上手くやれる自信があるらしくてね。……それも、困ったことにほとんどのメンバーが」
皆が今の頭に上手く丸め込まれた、とラーズはため息を吐いた。ラーズを支持していた者たちはギルドを去っていき、今の頭を止める者はもういないという。
しかし言葉と違い、ラーズに悔しそうなそぶりはない。ただ耳をピクピクと動かしながら、尻尾を左右に小さく振っているだけだ。思えば昔から、怒りや悲しみ、悔しさといった感情を表すのを見たことがない。父親が亡くなったときでさえ、彼は淡々としていた。
「遺跡案内を一切やめるってのはともかく、「禁域」まで行くこと考えてるようだったから、一応釘さして冒険者協会にも言っといたけどね」
「「禁域」まで、ね……」
ラルバ=ダルバの山の奥地、有翼人種の里の周辺が「禁域」と呼ばれるエリアだ。特に山頂近辺は絶対に立ち入ってはならないとされている。そのため、あの周辺には未探索の遺跡がいくつもあったはずだ。
フェリルの反応を見たラーズが僅かに首を傾げた。思いの外嫌そうな顔をしていたのかも知れない。不思議そうに見てくる相手に説明する。
「--そこ、追い出されたとこ。……今となってはどうでもいいけど」
「ああ--そうだったっけ。……とにかく、そんなわけでギルド追い出されたんで、暇つぶしに彼女と観光旅行なんてしてたら、キミと会ったんだ」
生まれ育った場所を追われたにしては随分気楽なことだ。フェリルがそう感じたのを悟ったのか、ラーズは首を横に振って言葉を続ける。
「でも、まだちょっとまだ落ち着いてなくてね。ーーで、キミに話したかったことに繋がるんだけど、もしボクが行方不明になったら、捜してくれないかな?」
「--は?」
落とし物捜しを頼むかのような気軽さで言われ、フェリルは思わず聞き返した。ラーズは反応を伺うかのように、フェリルを見つめている。相変わらず笑みを浮かべているが、冗談で言ったわけではなさそうだ。
「捜してって……やっぱりギルドの連中に追われているの?」
「いやぁ、放って置いていられないって人がいてね。ああ、一緒に連れてた子は関係ないから、彼女については気にしなくていいよ。好きに行動させてあげればいい」
父に違わず女好きのラーズにしては、珍しく突き放したような物言いだ。恋人を巻き込みたくないということだろうか。
「今は、護衛が付いていてくれてるけど、明後日の早朝なんかは無防備になりそうだからさ」
「……まるで、襲撃計画を知ってるかのような言い方だけど」
訝しげなフェリルに、ラーズは涼しい顔で答える。
「ちょっと人の考えを読んでるだけで、大したことしてないよ。こうするんじゃないかなー、って予想してるだけさ。あ、モチロン、ボーラさんは襲撃に巻き込まないようにするよ? キミの仲間のお姉さんだしね。久しぶりにキミに会ったのも縁だと思って、お願いだけさせて貰おうかと」
そう言いながら、ラーズは懐中時計を取り出した。盤面に目を走らせ、すぐにしまう。
「--さて、そろそろ戻らないといけないな。じゃ、気が向いたらよろしくー」
言いたいことを言い終えたのか、返事を待たずにラーズは走り出した。呼び止める間もなく、姿が消える。
しばらく彼が消えた方向を見ていたフェリルは、帰ろうときびすを返しかけ、すぐに立ち止まった。再びラーズが消えた方を振り返る。
「……ボーラさんの兄弟が仲間だって話したか……?」
「4」に続く