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 薄闇にすらりと立つのは、間違いなくクヴェルミクス本人だった。

 幻ではないことを証明するように、静まりかえっていた部屋に銀髪に飾られた髪飾りが音を立てる。

 しゃらん。と響いた音に、ようやく驚きに固まっていた私の口から言葉がこぼれた。


「な、何事ですか、これは……。どうしてここに……」


 呟きながら部屋に視線を走らせる。

 窓はしっかりと閉まっているし、もちろん入口の扉も、階段下の木戸も鍵がしっかり掛かっているはずだ。

 なのに、私のベッドの真横には、クヴェルミクスがすらりと立っている。


「うん。上手くいったね。やっぱり距離がさほどないから、難しくはなかったね。アルトフロヴァルの目にも、留まらずにすんだみたいだしね」


 一人納得したようにそう言って頷くクヴェルミクスの足元に、薄っすらと白い魔法陣を見つけて私は眉を寄せた。

 それがどんなものなのか、もうなんとなく理解できる。

 部屋の隅にくしゃりと飛ばされた敷物を見てから、私はため息をついた。

 これはきっと、小さいけれど移動陣なのだろう。

 戸締りのしっかりと施されたこの部屋に、クヴェルミクスが移動陣を使って現れたのだ。


「これは、どういうことですか?」


 ため息交じりに尋ねれば、クヴェルミクスは屈託なく微笑む。


「だって、この位の特権がなくちゃね。これ、僕のトコと繋がる移動陣なんだ。つまり、いつでも好きな時に会いに来れるってことだよ」

「いや、それは、だめです。困ります。すぐ消してください。そして、速やかに魔法塔に帰ってください」

「つれないなぁ……」


 クヴェルミクスはつまらなそうに口の端を上げると、黒いローブから白い手を出す。

 その手には、クヴェルミクスには全く似合わない、小麦色の藤のバスケットが下げられていた。


「お土産を持って来たんだよ。喜んでもらえると思うんだけどな」


 バスケットを手に微笑むと、クヴェルミクスは私が座り込むベッドへと腰を下ろした。


「え? クヴェルミクス様?」


 戸惑う私に構わずに、クヴェルミクスはいそいそとバスケットを開く。


「お腹、空いていない?」


 そう言いながらクヴェルミクスは、バスケットからティーポットを取り出しベッドの上に置く。

 続けてティーカップを二つ出し、私を見た。


「ほら。いろいろと詰めてもらってあるんだよ。温かいお茶もあるし、パイもあるよ」


 バスケットにはクヴェルミクスが言ったように、パイが詰め込まれていた。それに他にも、こんがりと焼けた焼き菓子がいくつも覗いている。

 見るからに美味しそうなそれらに、黒パンと白湯だけの味気ない夕食だったお腹がそわそわしだす。


「こんな遅くに、お茶をするために来たんですか?」

「うーん、それだけではないけどさ。でも、お茶とかお菓子、好きだよね?」

 

 クヴェルミクスはにこりと微笑むけれど、素直に頷けなかった。

 こんな夜更けに二人きりでクヴェルミクスとお茶をするのはどうにも気が引けるし、なにより勝手に移動陣を作られていたことは大問題だ。


 物欲しげになってしまいそうな視線を、バスケットから引き剥がして口を開く。


「……嫌いではありませんけど、お茶はまたの機会にします。夜も遅いことですし、とにかくお引き取り――」


 きゅーる、くるくる、きゅーい……。


 なんとも言えない微妙な音が部屋に響く。

 お断りの台詞の途中で、私は自分のお腹を押さえる。

 空気を読まない私のお腹は、空腹であることを主張したのだ。

 恥ずかしくて顔が赤くなっていく。でも、ありがたいことに薄暗い部屋では私の顔色まではクヴェルミクスには見えないと思う。

 それでも気恥しさにあらぬ方向を向く私に、クヴェルミクスは密やかな笑い声を漏らしながら声を掛けた。


「ふふふ。やっぱり、お腹空いているよね。この部屋には、ロクな食べ物なかったはずだし」

「なんで、知っているんですか?」

「だって、ここを用意したのは僕だからねぇ。さぁ、お茶にしようか」


 悪びれもせずに微笑むクヴェルミクスの顔を見て、私は観念してベッドに置かれたティーポットを持ち上げる。

 いろいろとクヴェルミクスの思うままだったようだ。

 魔法石で保温されているティーポットを傾ければ、熱々のお茶がカップへと満たされた。

 湯気と一緒に上がってきた紅茶の香りは、キャラメルとバニラの優しくまろやかなもので、それが鼻に届いた途端に不覚にも気持ちがゆるりと解け始める。

 

 クヴェルミクスに紅茶を注いだティーカップを差し出すと、かわりに手のひらサイズのパイを差し出された。

 ベリーの入ったパイを齧りながら、熱い紅茶を飲み込む。薄暗い部屋のベッドの上で。

 クヴェルミクスはお菓子は食べずに紅茶を静かに飲んで、私の手からお菓子が消えると次を差し出してくれた。

 パイを始め、バスケットに詰められた焼き菓子はどれもとても美味しかった。けれど、やっぱりまだたくさんは食べられない私のお腹は早々に満腹になる。

 まだまだバスケットにはたくさんの焼き菓子が控えているのに気持ちは惹かれたけれど。


 二杯目の紅茶をカップに注ぎ、香りを楽しみながらゆっくりと飲む。


「お腹いっぱいになった?」

「はい。美味しかったです。ありがとうございました」


 さほど減らせなかったバスケットの中身に、クヴェルミクスは触れなかった。


「お腹もいっぱいになったし、これでゆっくりと話しができるね」

「話ですか?」

「そ。邪魔されずに、ゆっくり話したかったんだ。それに、その目もじっくり見せてもらいたかったんだよね」

「はぁ……」


 クヴェルミクスはティーカップを置くと、隣に座る私の両目をじっと覗き込む。

 しばらく私の目を捕えていたクヴェルミクスの視線が、ほんの少しだけ細められた。


「シュテフ殿と一夜を過ごしたそうだね」


 意味有り気になった眼差しに、反射的に視線を逸らす。


「いけない子だねぇ。王子と宰相の息子に東国の豪商の跡取り、そしてこの僕。君は誰を選ぶんだい?」

「なにを、言っているんですか?」

「こんなにも君が望まれるのはね、空だったからなんだろうね」


 クヴェルミクスは、自分の発言に怪訝そうにする私に微笑み言葉を続ける。


「君に惹かれた僕等はみな、人より多くの魔力を抱えて生きている。だからかな? きっと、魔力を持たない空の君の傍らは心地がいいと、無意識に求めたのかもしれないね」

「空の……」


 クヴェルミクスの言わんとすることが、少し遅れて理解できた。

 私が一欠片の魔力を持たなかったことが、彼らの好意の始まりになったということらしい。

 そう言われてみれば、すんなりと納得できる気がする。


「魔力を持たないが故に、僕等の魔力にも媚びずなびかなかった。それが、最初のきっかけになったんだろうね」

「それなら、今の私は魔力を得ました。まだ、実感は薄いですけど、これから魔力が馴染んで行けば、そんな風には思われなくなるということですよね?」

「でも、それはきっかけにすぎないんだよ。だって、こうして魔力を得た君にも、僕はちゃんと興味をそそられるし、あのアルトフロヴァルを跪かせたでしょう?」


 どこか上機嫌なクヴェルミクスの言葉に、私はアルトさんの姿を思い出す。

 あの時、アルトさんが私に求婚した時、この部屋にはもちろん他に誰もいなかった。


「なんで、それを知ってるんですか!?」

「ふふふ」


 クヴェルミクスは笑うだけで、質問には答えてくれない。


「でもさ、みんな詰めが甘いよねぇ。だって、城から出て最初の晩に、いちばん寂しいだろう夜に君を一人にするなんてさぁ」

「……寂しくなんかないですよ。大丈夫です」


 図星を言い当てられて、私の返答は少し遅れた。

 寂しくないのも、大丈夫なのも、本当は虚勢を張っているだけだ。

 でも、クヴェルミクスは私の誤魔化した気持ちなど、すっかり見通しているようだった。


「そうかな? 僕がここに来た時、君の目は濡れていたように見えたけど?」

「あれは……」

「寂しいのも怖いのも、僕が紛らわせてあげるよ」


 銀髪がさらさらと動き、クヴェルミクスが近づいてくる。

 完璧に美しい笑みを浮かべたまま、クヴェルミクスはまるでそうするのが当然とでも言うように、ごく自然に顔を寄せてきた。

 端を上げたままの薄い唇が、私の口元へ近づいてくる。

 この先どういうことになるか、いくら私でも容易に想定できた。


「クヴェルミクス様! こ、このような事はですね、す、好きな人同士でするんですよ!!」


 焦り慌てて距離を取ろうとする私の手首を、クヴェルミクスはやんわりと握る。


「もちろん知っているよ。僕は無理強いするのを好む趣向はないし、その必要もない毎日だからね」

「だったら――」

「ねぇ。君が心安らかに寄り添えるのは、僕が最適だと思うよ」

「……自分で言うんですね」


 美しく悠然と微笑むクヴェルミクスに、呆れを隠しきれない。

 これほどの美形であれば、計り知れない自信を持つのは当然なんだろうか。


「だってさ、考えてもごらんよ。身元不確かでこの世界にまだまだ不慣れな君が、王子の伴侶や宰相家に嫁ぐのはなかなかの冒険譚だね。ラビハディウィルムも東国では恐ろしい程の名家だよ。彼等は君を得るためには周囲を黙らせるべく、相当に頑張るかもしれないけれど、それで君が日々を落ち着いて暮らせるとは到底思えないよ。身分違いというのは、きっと後々も不幸の種になるだろうからね」


 クヴェルミクスの口から出る言葉は、あながち外れてはいない。

 むしろ、それが現実だとさえ強く思えた。少し冷静に考えれば、私も気付ける。

 物語のような世界だけれどここは現実だ。

 王子様やお姫様に魔法使いもいるけれど、そうではないたくさんの人が息づき作られている世界だ。

 おとぎ話みたいな、王子と娘はみんなに祝福されて幸せに暮らしましたとさ。なんて出来事は、簡単に受け入れられないだろう。

 本当に、クヴェルミクスの言う通りなのだ。


「そう考えるとさ。僕が一番なんじゃないかな?」

「クヴェルミクス様だって、やんごとない家柄とかではないのですか?」

「僕? 僕はね、辺境の領主の家に生まれたんだけどね。確かに、家柄としては由緒正しいけれど、ずいぶん前に縁を切られているからねぇ。何の気兼ねもいらないんだよ」


 嬉しそうにそう言うクヴェルミクスに、私はため息をつく。

 そうか、ほかの由緒正しくやんごとない身分の方たちよりは、確かにクヴェルミクスはお薦めなのかもしれない。

 けど……。


「あの、そもそも、私の選択肢はそこだけなんですか? だって、これからもしかしたら、その違った出会いとかが――」

「あるわけないよね、そんなもの。だって、僕等に囲まれているんだからさ」


 きっぱりと否定され、だけどそれは妙に腑に落ちた。

 確かに、あの四人に囲まれた上で、誰かほかの良い人と出会うことなんて想像も出来ない。


「ね。では、一先ず納得してもらえたようだから、続きをね……」


 再び接近してくるクヴェルミクスに、私はわたわたと後ずさる。


「で、でも! そのっ! 私、好きとかそういう気持は――」

「うんうん。まだないって言うんでしょ?」

「そうなんです!!」


 力強くそう答えても、クヴェルミクスは少しも引かなかった。


「誰のことも好いていないのなら、今夜僕を好きになったらいいよ。夜明けまで、時間はたくさんあるからね」

「え……?」


 クヴェルミクスは視線を私から外し、棚に置いたランタンに向ける。

 ふつり。と部屋を弱く照らしていたランタンの灯りは、音もなく消えてしまった。



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