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 茶葉はあるけどポットが無いので、沸かしたお湯を白湯として飲み、黒パンをそのままちぎって食べて夕食を済ませた。

 厚いカーテンを引いた窓の下は、すっかり人通りもなくなり、小さなお店の灯りも消えていた。

 ものすごく気が利く事に、アルトさんが持ってきてくれた布袋には外出用の服の他に、寝間着も入っていた。あと、下着一式とかも。

 それを袋の中から見つけた時は一人でまた赤くなったけれど、必要な物だし、用意されていて非常に助かったのは間違いない。

 小さいけれどちゃんと湯船のある浴室で入浴を終えて、私は用意された真新しい下着と寝間着を身に着けた。

 寝間着はもちろん、下着までもが、ぴったりなサイズ感なのは偶然の一致だと思うことにしておいた。


 とりあえずお腹も満たし、お風呂も済んだので、私は早々にベッドに入ることにした。

 明日の朝から、お城まで通う日々が始まる。

 初日から寝過ごしては困る。なにしろここは城ではなくて、城下街なのだ。

 寝過ごしても、白騎士が起こしに来ることはない。慌てて支度して、隣りの執務室に飛び込んでいた時とは違うのだから。


 ストーブを弱めて、部屋の一番奥に置かれたベッドに横になる。

 布団に潜り込んで、ベッドの横の棚を見れば、そこには白騎士がくれた小さなランタンが、黄色い灯りを燈している。

 ランタンの小さな灯りで、部屋はぼんやりとしたシルエットを浮かべた。

 間仕切りの無い部屋なので、少し身を起こせば部屋全体が見渡せる。出入口の扉も。

 薄暗い部屋が全て見渡せるというのは、なんとなく落ち着かない。そのうちに、ベッドの前に仕切りの布でも下げた方が落ち着けそうだなぁと思いながら、またランタンの灯りを見る。

 本当はもっと煌々と灯りを点けたいけれど、そこはぐっと我慢することにした。

 いつまでも暗闇に脅えていては、心配されるばかりだ。腕の傷のように。


 寝間着の袖の下で、三本の傷跡がズキズキと疼いた。


 痛みから意識を逸らそうと、また棚のランタンの灯りを眺める。

 魔法石の黄色い灯りは熱を持たない。それなのに、小さなランタンが発する灯りは温かさを感じるのが不思議だ。

 あれがあったから、衣装箱に入っての移動にも耐えられた。それに、あのお菓子の入った小袋にも。

 まだ中身の入ったその小袋は、ランタンの横に並べて置いた。

 

 いまこうしてゆっくりと考えてみると、白騎士にしてはずいぶんと親切な行為だ。

 小さなランタンも、お菓子入りの小袋も。

 そういえば、聖誕祭のお菓子も一つくれた。お茶を淹れてくれたこともあったな。

 すごく分かりにくいけど、白騎士は最初に会った時よりも少しづつ優しくなっているのかもしれない。……たぶん。

 ふと、白騎士の顔が思い浮かぶ。

 一番最初に浮かぶのは、不機嫌な表情だ。それから、アルトさんに窘められて悔しそうな顔とか。

 尊大で我儘で、そんなところばかり見てきたし、いつの間にかそんな白騎士に慣れてた。

 扱いは雑だったけど、なんだかんだと手を差し伸べてくれた。

 あの場所から、救い出してくれた。

 その時のことを思い返すと、胸がきゅっと詰まるように苦しい。

 白騎士は、私のことをどう思ってくれているのだろう。

 好意を持ってくれているのだろうか。でなければ、普通はあんなことをしないはずだ。

 昨夜の白騎士とのやりとりがありありと脳裏に甦り、薄闇の中で私は煩くなっていく自分の鼓動を聞く。

 白騎士の口からは、直接的な事は何も告げられていない。アルトさんやラビさんのように……。

 浮かべた二人の名前に、体温が上がる。

 

 アルトさんが、私に求婚した。

 ラビさんは、私を好きだと言っている。

 あと、クヴェルミクスも?


 これは、なにかおかしい。こんなこと、起こるはずがない。

 もしかして、騙されているのだろうか?

 だって、彼らが私にそういった気持ちを抱く理由が、自分のことなのにまったく心当たりがない。

 なんだろう。なにか、魔法とか呪いの類なのだろうか?


 本来なら浮かれてしまう状況なのかもしれないけれど、なぜか怖いと思ってしまう。

 差し出される好意に尻込みしてしまうのは、知らなすぎるからだ。

 こんな時、どう考えてどう振る舞えばいいのか、友達とした話しを思い出そうとする。

 私自身に体験談はなくても、友人には告白されたりしたり、付き合ったり別れたりの経験が年相応にあった。いつでも聞き役だったけど、いまなら話題を提供できる立場になった。そして、私のこの突然のモテ期にみんなしてあーでもない、こーでもないと、ドリンクバーをお供に話し合いは長々と続くのだけど……。


 不意に、自分の部屋を思い出す。

 ここではない、城の見習い従者の部屋でも、ソニアの森の家でもない。


 庭付き一戸建ての二階の角部屋。


 生まれた時から、その家に住んでいた。

 だから私が生きて過ごした分だけの物が、あの家に、あの部屋にぎゅうぎゅうに詰まっている。

 高校生になった時に買って貰った携帯電話も、ベッドが定位置のくたびれたウサギのぬいぐるみも。

 整理されないまま箱に入ったスナップ写真に、読みかけの本、やりかけの課題。


 そこにいた時はなんとも思わなかった物の一つ一つが、いまの私を苦しくさせた。

 どれも鮮明に思い出せるのに、もう私はそれに少しだって触れることは出来ない。


 部屋中に散らばる私の持ち物。それを与えてくれた家族。そして友達。

 もう誰一人として言葉を交わすことは出来ない。一目見ることも。


 深く息をはいて寝がえりを打つ。

 目に映るのは、小さなランタンにほんのりと照らされた暗い部屋。

 喉の奥が詰まって、目がじんわりと涙を溜め始める。

 泣いてもいい。そう言われていたけれど、この部屋で一人で泣いてしまったら泣き止める気がしない。

 

 布団を鼻先まで引き上げて何もない天井を見ると、ほわりと白い光が視界の端で光る。

 ランタンの黄色い灯りとは違う、白い光が部屋に現れた。

 くるりと首を横に向けると、心当たりの無い光はベッドのすぐ横から出ている。

 そろそろと身を起して、ベッドの上から床を覗き込む。

 ベッドの横に引かれた小さな敷物。室内履きを脱いで並べたその敷物の下が、光っていた。

 白い光は、床に敷かれた敷物の端から漏れ出て部屋を照らしている。そして、私がただ見ている中にみるみる明るさを強めていく。


 ばさりと光に押されるように、敷物と室内履きがその場から撥ね退けられる。

 床が一際強く光り、その眩しさに目を閉じる。

 閉じた目蓋越しに白い光を感じたけれど、それはすぐに消えた。

 細く目を開ければ、すでに部屋は落ち着いた薄暗さを取り戻している。


「えっ!! ど、どうして、ここに!?」


 唐突に光りだし、そしてそれが消えた場所。ベッドの真横の床の上に、音もなく人影が現れてこちらを見下ろしている。

 小さなランタンの灯りでも、それが何者なのかは十分に理解できた。


「クヴェルミクス様?!」


 私の慌てた声に、クヴェルミクスはにっこりと微笑んだ。



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