62
黒い扉に付けられていた数字は6。
そこは数字の無い扉から、クヴェルミクスの部屋からさほど離れていない場所にあった。
扉の内側は殺風景な廊下とは全く違い、調度は柔らかな色の木で揃えられ、淡い色の小花柄のクッションやカーテンが部屋を彩っていた。
その可愛らしいカントリーハウスのような部屋で、私とソニアとクヴェルミクスはお茶を飲んだ。
「僕があつらえたんだけど、どうかな? 気にいったかい? ソニアヴィニベルナーラは、長いこと森の中で暮らしていたんでしょう? こんなかんじが落ち着くかと思ってね」
にっこりと微笑んでクヴェルミクスは部屋を見渡した。満足そうに。
ソニアはそれには答えずに、野バラ模様の布張りの長椅子で眉の間に皺を寄せたままカップを傾ける。
部屋に用意されたティーセットは、若草色にピンクと黄色の花模様で部屋にはしっくりと合っていた。
私が久しぶりに淹れた紅茶は渋くはなかった。
ソニアが渋い顔をしているのは、他でもなくクヴェルミクスのおかげだ。
そして、ソニアの森の家とこの部屋は、あまりにも違い過ぎる。
白騎士の執務室でクヴェルミクスが出した巻物は、この国に住む者なら誰も逆らうことのできないものだった。
王様の命令。
それをまたしても取り付けてきたクヴェルミクスの策によって、ソニアは西の端でもなく、北の森でもなく、王都の魔法塔へ入ることになってしまった。
最悪な雰囲気の執務室で、クヴェルミクスは一人微笑んだ。
そして灰色のローブを私に着せると、ソニアと私を連れて執務室を後にする。
灰色のローブは見習いの魔法使いの制服だった。
クヴェルミクスがソニアに用意したのは、魔法塔でも上から数えた方が早い位置だった。
その位置に就けば、魔法塔の中に立派な部屋を持ち、見習いの魔法使いを側仕えとしておくことが出来るという。
つまり、クヴェルミクスはソニアを塔に入れることで、その横に私の居場所を作ったのだ。
「まぁ、あんな話し合いでまとまるとは思わなかったからね。少しだけ先に手を打ったまでだよ。君だって、魔力を得たとはいえ、いきなり一人で暮らしていくのは無理だろう? だったら、ここが最適だと思ってね」
上機嫌なクヴェルミクスに、ソニアは冷たい視線を向ける。
「まったく馬鹿なことをする。こんな年寄りを、今さら塔に入れるなんてね。それに、あんたも知っているだろうけど、あたしの魔力は人並み程度しかないよ」
イライラとカップを置いたソニアに、クヴェルミクスは口の端を上げる。
今日のクヴェルミクスは終始ご機嫌だ。
それに反するように、その周りは不機嫌になる者ばかりのようだ。
「そんなことはないよ。確かに、ソニアヴィニベルナーラの魔力は、量としては普通かもしれないけれど、その知識や閃きなんかは多いに魔法塔で役に立つと思っているんだけどねぇ」
「ふん! 買いかぶりはごめんだよ」
素っ気なくソニアはクヴェルミクスから視線を逸らす。
クヴェルミクスはソニアの横の私を見ると、子供のように拗ねた表情を見せる。
「これでも僕なりに譲歩したんだけどねぇ。本当なら、君も魔法塔に住まわせたいしさ。なんなら、僕の側仕えにしたかったんだけどね……」
クヴェルミクスは、私には塔とは別の場所を用意していた。
てっきりソニアとここで暮らすのかと思っていた私は驚いたが、クヴェルミクスは残念そうに城下に用意したという部屋の鍵を差し出した。
これから私は城下で生活をし、魔法塔のソニアの元に通うということになるそうだ。
「城下の部屋も一通り揃えておいたからね。心配はいらないよ。ああ、ソニアヴィニベルナーラも必要な物があれば遠慮せずに言ってくれて構わないよ」
私に鍵を渡して、クヴェルミクスは立ち上がった。
「では、僕はお暇するよ。これ以上居ても、ソニアヴィニベルナーラの機嫌は直りそうにないしね。それに、これのお礼をしにいかなくちゃならないんだ」
クヴェルミクスは黒いローブの内側からあの巻物を出すと、ティーカップの横へ置いた。
「それと、ユズコにはあれも。すぐに必要だと思うからね」
クヴェルミクスは部屋の隅を指差す。
そこには一人掛けがあり、その上に白い布袋が置かれていた。
「寂しいとは思うけど、またすぐに会えるからね」
そう言い残し、うっすらと微笑んで、クヴェルミクスは部屋を出た。
扉が閉まると同時に、ソニアは大きなため息を吐きだしてテーブルの上の巻物を取り上げると、紐をほどきその中身に目をやる。
「ソニア……。こんなことになって、ごめんなさい。また、私のせいで、森に帰れないね……」
隣に座るソニアの横顔を、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら見つめる。
私の考え無しな行動は、またソニアに迷惑を掛けてしまった。
「あんたは私のことなんか気にしなくていいよ」
ソニアは私を見ると、諦めたように笑った。
「あたしのことはいいんだよ。この強引なやり方に腹も立ちはするけどね、こうなったら塔を楽しませて貰うよ。隠遁生活はもう少し後回しにしてね」
「でも……」
「それよりも、あんたは自分のことを考えな。この世界を選んだんだろう?」
そう言われて、私は黙った。
ソニアの言うとおり、私はこの世界を選んだ。ここで生きていくことを決めたのだ。
強張った私の表情を見て、ソニアは静かに頷いた。
「なら、頑張りな。あたしに出来ることは、今のうちに手助けさせておくれ。どうあったって、あんたを置いて先に逝っちまうんだからね、あたしは」
「ソニア……」
「情けない顔するんじゃないよ。大丈夫。ユズコの魔力はいいよ。綺麗な色だ。ユズコに良く似合っているよ」
「色?」
「あぁ、まだ見ていないんだったね」
お茶を飲んでいた部屋の奥に、部屋がもう一つあった。
そこは寝室として使われるのだろう、ベッドや鏡台に衣装箪笥、そして浴室へ続く扉があった。
ソニアは私を鏡台の前へ座らせた。
鏡を見た瞬間、私は息を呑む。そして、しばらく呼吸を忘れた。
明るいところでも暗いところでも、完全に黒かった目の色がすっかり変わっている。
それでも、いままで誤魔化しに使っていた緑の瞳と違って、不思議と違和感なくその色は馴染んでいるように見えた。
「どうだい?」
固まったまま鏡を凝視していた私の後ろから、ソニアが鏡を覗きこんだ。
鏡越しにソニアを見て、ようやく私は深く息を吐き、そして吸った。
それでも何も言えずに、自分の目とソニアを交互に見る。
「よく似合っている。夜空の色だね。深くて濃い青だ」
ソニアの言うとおり、私の目は色を変えていた。
それは元の黒に、たくさんの明るい青を注ぎこんだような色だった。
「それよりも、ユズコはこれから大変だね」
「え?」
ソニアのため息交じりの言葉に、私は振り向く。
「ユズコに構って、関わりたくて仕方無いのが、随分増えたもんだ」
手にクヴェルミクスの用意した白い布袋を持って、ソニアはふたたび鏡台に近づく。
ソニアが開いて見せた袋の中には、黒毛の付け毛と着替えが詰め込まれていた。
「まったく、用意周到なこった」
呆れた声を出しながら、ソニアは袋から中身を取り出す。
クヴェルミクスが用意していたのは、私が女として見えるようにするための着替え一揃えだった。
「まぁ、こちらの世界でなら、ユズコは十分に年頃だしね。そろそろ、考えてもいい頃だよ」
「それって、なにを?!」
ソニアのからかうような口調は、私の顔を赤くさせる。
たったそれだけで、しっかり赤くなった私の顔を見て、ソニアはやれやれと首を振った。
「傍から見てもすぐにわかるよ。あの男どもの考える所はね。……もう、求愛はされたのかい?」
「きゅ、きゅっ!!」
もはや言葉も上手く出てこなかった。
ソニアの口にした単語に、頭は沸騰寸前だ。
今の今まですっかり忘れていたけれど、そう言えば求愛……もとい、告白されている。
その後いろいろあり過ぎて、返事どころかそれについて考えてもいなかったことを思い出す。
でも……。
「私、ずっと戻るつもりでいたから、そんな風に考えていなかった。その……ここで、誰かのことを好きになったり、ましてや好きになってもらえるなんて考えてもいなかったみたい」
だからラビさんやクヴェルミクスに思いを告げられた時、戸惑う事しか出来なかった。
自分はあくまで一時的にこの世界に居るんだと、どこかで強く念じていた。
でも、もう、それは違うんだ。
私は、ここで生きていくことを選んだのだから。
ソニアが表情を緩めて私の目を覗いた。
「これから始めたらいいんだよ。ユズコは、この世界で生きていくんだからね」
そう告げて、ソニアは私の頭を優しく撫でた。
ぐっと、込み上げてきた嗚咽を私は唇を噛んでやり過ごす。
嬉しいのと悲しいのがごちゃ混ぜになって喉の奥からせり上がってきた。
こんな風に、私をいつも案じてくれるソニアを嬉しく思う。でも、同時に、自分勝手に手放してしまったあちらの世界の全てを悲しく思い出す。
きっとこれからもずっと、この感覚はついて離れないのだろう。
それでいいんだ。
これを私が選んだのだから。
浮かんだ涙を素早く拭い、呼吸を整える私にソニアは何も言わなかった。
それからクヴェルミクスが用意した着替えを袋から全て出したところで、ソニアは呟いた。
「まぁ、そうは言っても、誰も彼も、癖があり過ぎるね。あたしとしては、どれも薦めたくないよ」
見るとソニアの表情は、またしても渋いものになっていた。
何も言えずにいる私に、ソニアは口角を上げる。
「年寄りが口を挟む話でもないからね。ユズコは好きにやってごらん」
「そうなの? え、でも、どうしたらいいのか……」
ソニアとこの類の話をするとは思わなかった。なんだか気恥しい。
それに、恥ずかしながらこの手の方面の経験不足な私をソニアは察しているようだ。
「ま、あんまり目に余るようなら、私もお節介を焼くとするからね」
ありがたいお言葉に何度も頷くと、ソニアはふと真顔になる。
「これだけのアレに囲まれちゃ、なかなか他が入れないだろうけど、あたしとしてはアレらからは選ばないことを願っているよ」
そう重々しく告げるとソニアは深いため息を落とし、私は不意に背筋に冷たいものを感じて小さく震えた。




