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 ずいぶん長いこと、私は泣いていた。

 いつの間にか差し出されたハンカチは、すっかり湿っぽくなっている。

 どうにか嗚咽が収まり、呼吸が落ち着くと、涙は次第に引いてきた。

 ずっと様子を見ていたのか、私が落ち着きだしたところで白騎士が口を開いた。


「ぜんぶ食べたのか?」


 白騎士がテーブルを見る。


「いえ、まだ」

「なんだ、半分も減っていないではないか!?」


 木箱に並んだチョコレートは、ようやく一列なくなっただけだ。


「……美味しいんですけど、一度に食べるには濃厚で」

「ちまちまと食べるからだ!」


 呆れたように息を吐くと、白騎士はチョコレートの箱を手に取る。


「こればかりは、俺も手を出せないからな」


 そう言うと、白騎士は木箱をテーブルに戻した。

 口の中がすっかり甘く乾いてしまった私は、残っていた涙を拭いながら白騎士を見上げる。


「あの……」

「なんだ?」

「なにか、飲むものはありませんか? チョコレートばかりでは、喉が渇きました……」


 私は遠慮しつつも、寝室を見回した。

 残念な事に、ベッドサイドのテーブルには水差しが用意されていない。


「あの、あれは?」


 私が指差したのは、部屋の端に置かれたキャビネットだった。

 ガラス扉の向こうに、背の高い瓶がいくつか並んでいる。

 白騎士は私の指差したものを見て、首を横に振った。


「あれは酒だ!」

「お酒ですか」

「果実酒だ。子供には飲ませられん。茶でも、運ばせるから待っていろ」


 面倒そうに白騎士が扉に向かおうとしたので、私はつい、離れていく白騎士の袖に手を伸ばし掴んだ。

 白騎士は驚いたように私と、私が掴んだ袖を見る。

 そっと袖を離すと、私は息を一つ吸い込む。


「……ずっと誤解されたままでしたが、私はもう成人しているんです」

「は!?」


 白騎士の目が見開かれた。

 

「数え方が同じかどうか分からないのですが、その、私は、生まれてから二十二年たっておりまして……」

「にじゅうに……。二十二歳だというのか!?」

「はい」


 神妙に頷く私を、白騎士は声もなく見つめた。信じられない。と、ありありと書かれた目で。

 しばらく私を凝視したのち、白騎士は口の端を上げた。


「戯れ言を――」

「本当です」


 遮るように言い返せば、白騎士は眉を寄せて黙る。

 それからまたじっと私を見て、深い深いため息をついてから、キャビネットの扉を開けた。

 緑色の瓶を取り出すと、白騎士はそれを持ってベッドへと腰を下ろした。


「テーブルを持ってこい」


 ため息交じりの白騎士の声に、私は椅子から急いで立ち上がると、チョコレートを載せたテーブルを運んだ。

 白騎士の前にテーブルを置くと、瓶と一緒に持ってきていたグラスが二つ乗せられる。


「そこに座れ」


 白騎士は、自分の座るベッドの横並びを指差した。

 私は大人しく白騎士の隣へ、ひと二人分くらい座れる間隔をあけて腰を下ろす。

 グラスに、緑色の瓶の中身が注がれた。


「秋果実の酒だ」


 茜色の液体をグラスに半分ほど入れて、白騎士はそう言った。

 私はそれに頷きながらグラスを手に取る。

 白騎士の微妙な表情に、私は念を押す。


「本当に成人してますから。お酒は、あまり飲み慣れていませんが」


 白騎士が苦々しくも頷くのを見てから、私はグラスの中身をそっと一口飲んだみた。

 すぐに林檎の香りがして、それから洋梨の味が広がる。

 飲みこんだ後に、干し葡萄のようなアルコールがほわっと残った。

 たくさん泣いて渇いた喉は、果実酒をすんなりと受け入れる。

 そのままコップの中身を飲み干してしまうと、白騎士は空になったグラスに再び果実酒を注いでくれた。

 もう一口、果実酒を飲んでから、私はチョコレートへと手を伸ばす。



 私が黙々とチョコレートを食べ、果実酒を飲むのを、白騎士は黙って眺めていた。

 白騎士は時折、果実酒のグラスを傾けたけど、私ほどは飲んでいなかった。


 箱の中に並んだチョコレートは、ようやく最後の一粒になった。

 正直、大好きなチョコレートだったけど、しばらくは口にしたくない位食べた。

 こぼれそうになるため息を堪えて、その最後の一粒に手を伸ばす。


「あっ!」


 チョコレートが不意に指から滑り落ちる。

 ぽさりと音を立てて、チョコレートが落ちたのはベッドの上だった。

 間違いなく高級な、白騎士のベッドの白くて滑らかな敷物に茶色い粉が散らばる。

 恐る恐ると、白騎士の顔を窺う。


「お、怒りますか?」


 私の質問に、白騎士は顔をしかめる。


「お前は、俺をなんだと思っている。これ位のことで腹など立てぬわ!」

「う……。もうすでに、ちょっと怒っているじゃないですか」


 私の言ったことには答えずに、白騎士はため息をついてベッドの上に落ちたチョコレートを拾い上げた。

 指に摘み上げたチョコレートを見てから、じろりと私を見る。


「口を開けろ」


 言われるがまま口を開くと、白騎士がチョコレートを押しこんできた。

 唇に、白騎士の指先が触れて驚く。


 チョコレートを飲み込むと、残りの果実酒を一息に飲み干す。

 さほど強いお酒ではないのだろうけど、飲み続けているから頬が熱い。

 ふう。と息を吐きだして、空になった木箱を眺めた。

 

 口いっぱいに残るチョコレートの濃厚な気配と、果実酒でほかほかする身体。

 全部食べきった今、私に目立った変化はまだ訪れていなかった。


「こんなに食べたら、嫌いになりそうです。チョコレート」

「贅沢だな」


 白騎士に言われて、私は少し笑った。

 そして、白騎士を見てお礼を言う。


「シュテファンジグベルト様。お付き合い頂いて、ありがとうございました。全部、食べられましたから――」


 言い終わらないうちに、白騎士が私を腕の中に引き寄せる。

 驚いた私の両手は、そのシャツに触れることをためらった。


「シュテファンジグベルト様? 私の指、チョコレートまみれですから、汚れちゃいますよ」


 私の指先は、チョコレートが纏っていた茶色の粉に塗れている。

 いま、白騎士の衣服に触れたら、ばっちりとそれが付着してしまうだろう。

 さっきチョコレートを落として汚した敷物のように。


「構わん」


 白騎士は動かなかった。

 そのまま抱き込まれた姿勢で、私は両手を所在無く空に浮かべる。

 なんで? こんなことに?

 だいぶアルコールに浸かっていたのか、頭の回転が悪すぎる。

 一拍遅れて、今自分に起こっている事態を理解し始めた。途端に、鼓動が跳ね上がる。


 果実酒で赤くなっていた顔が、一息に真っ赤に熱くなるのを感じた。

 急に慌てだした私を、白騎士はぎゅううと強く抱きしめる。


 これは、慰めてくれているのだろうか、白騎士的に。

 そうならありがたい話だけど、反射的に身がすくんでしまう。


「シュテファンジグ――」


 息も絶え絶えに、もう大丈夫です。と告げようとした私の口は、塞がれた。

 白騎士に塞がれている。唇で。


 白騎士を押し返そうとして、指先が気になってそれを躊躇する。

 いや、もうこのさい、白騎士のシャツなんて汚れたって良かったのに。

 唇は、ただ静かに重ね続けられた。


 白騎士がゆっくりと唇を離すと、自由になった私の口が震える。


「な、なんで……」


 抱きしめられたまま、驚きに震えている私の声に、白騎士は不機嫌そうに眉を寄せた。


「俺にも俺が理解できぬ。だが、したいようにする。」


 憮然とそう答える白騎士に、私は呆れた声しか返せなかった。


「なにを、言っているんですか……」

「俺も誰ぞに聞きたいくらいだ。……聞けぬがな」


 どこか自嘲気味にそう言うと、白騎士は私を抱き込んだままベッドの中央へと移る。

 優しく押し倒されて、背中がベッドの感触を受けとめた。

 貞操の危機!! が訪れているとは十分に分かっているけれど、飲み過ぎた果実酒が思考と身体を鈍らせている。


「まさか、これの世話になるとは思わなかった」


 半分私にのしかかりながら、白騎士はベッドの枕元を探った。

 そして、何かを手にした。

 薄暗い寝室で、ベッドの上で、白騎士が手にした物が私にも見えた。


「違う!!」

「大丈夫だ。一通り目は通してある」


 私の叫び声に、白騎士は妙に落ち着いて振る舞う。

 白騎士の手には、いつか見たあの桃色の本。

 それはクヴェルミクスが私に贈って、アルトさんに没収されたはずの、桃色の本だった。


「違う! 違うんです!!」

「初手から、指南書通りに行う。心配するな」


 すっかり勘違いしている白騎士は本を開くと、私の顔の横に置く。

 チラリと見てみれば、本には栞なのか何本も細いリボンが挟み込まれていた。

 それは間違いなく、クヴェルミクスが用意した、男と男のなんちゃらな本だ。

 なんて本を読み込んでくれているのだ。

 初手ってなに? 指南書ってどういうこうと??

 このままでは、大変な事になる! 大参事間違いない!!


 混乱を極めた私の肩を、白騎士が包む。

 白騎士の顔がぐぐぐっと近づいてくる。


「女です!!」

「は?」


 ぴたり、と白騎士は動きを止めた。

 私はどこか熱にでも浮かされているような、青い瞳を見てきっぱりと言う。


「私は、女です」

「なんだと……」

「本当です!」

「だが……」

「どこを見ているんですか!?」


 白騎士の視線は分かりやすく彷徨った。

 まず顔、それから胸を凝視された。

 言いたいことは分かっている。女にしては、胸が薄過ぎるとでも思っているのだろう。


「しかし……」

「本当です。クヴェルミクス様もラビさんも知っています。たぶん、アルトさんも」

「なんだと」


 並べた名前に、白騎士は冷静になったようだ。

 それでもまだ、驚きを隠せずに私を見下ろしている。


「シュテファンジグベルト様も、もうご存知なのだと思っていました」


 ため息交じりにそう言えば、白騎士は弱々しく首を振った。

 両肩に掛けられていた白騎士の手から、力が抜けていく。

 私はなんとも言えない気持ちで、身体を起こした。


「そうか、女だったのか……。そうだったのか……」


 白騎士はどこか遠くを見ながら、ぶつぶつと繰り返している。

 私は白騎士をそのままに、そっとベッドから這い出ようと動く。


「どこへいく?」


 低い声に、肩が跳ねる。

 振り返ると、遠くを見ていたはずの白騎士が、こちらを見ていた。

 すぐに腕を掴まれる。逃亡は失敗したようだ。

 不機嫌そうなその顔に、ふるふると首を横に振ってしまう。


「こ、こういうことは、双方の合意があって成立するんですよ」


 非難がましく白騎士を睨むと、ふん。と白騎士は鼻で笑う。

 

「ならば、その合意とやらを取り付けよう」


 不敵に笑ってそう言うと、白騎士は再び私をその腕の中へ抱き込む。

 白騎士の口元が、私の耳元へ寄せられる。

 今まで聞いたこともないような、甘くて深い声が耳をくすぐった。


「お前が女ならば好都合だ。俺がどれ程、思い悩んだか、お前は知らぬだろう?」


 訳も分からずにこくこくと何度も頷くと、耳元で白騎士が笑った気配がした。

 私の耳は、燃えているみたいに熱かった。


「教えてやる」


 ぞくり。と身体が震えた。


 私の言い訳や抗議を封じる様に、すぐに白騎士の唇が私の唇に覆いかぶさる。

 今度は、重ねられるだけでは済まなかった。

 果実酒とチョコレートが混じり合って、私を急速に酔わせていく。


 私はすっかり力が入らず、ただ白騎士のシャツを握りしめているので精一杯だった。

 酸欠気味の頭と身体がふわふわとしていた。



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