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抱えた小さなランタンの黄色い灯りを、飽きることなく見つめて過ごした。
衣装箱は不意にがたがたと揺れることもあったけど、厚い木で作られた箱は外からの音も寒さも防いでくれる。
柔らかい衣装に埋もれながら、身体を丸めていれば次第にうつらうつらとしていた。
ずいぶん長いこと、衣装箱は小刻みに揺れている。
この規則的な揺れはきっと馬車の揺れだろうと思いながら、まどろみながらランタンの灯りを見つめた。
そういえば、と思いだしたのは、ランタンを渡された時に白騎士が衣装箱に入れた小袋だった。
探せば、それはすぐ手元に置かれているのを見つける。
少し考えてから、小袋を開く。
覗き込んだ袋の中は、様々な色紙でひしめいていた。
「飴? こっちはクッキー?」
色とりどりの色紙は、小さな飴やクッキーを一粒ずつ包んでいた。
ぎっしりと小袋に詰められた小さなお菓子たちを見て、つい小さく笑ってしまう。
全く食欲はなかったけれど、袋から一つ取り出してみる。
真っ青な紙に包まれていたのは、小振りな白い飴だった。
口に入れると、ミントに似た香りと甘さが広がる。
小袋の口を閉めると、それをランタンと一緒に抱えた。
口の中から飴がなくなる頃、私は再びまどろみ、浅い眠りに落ちていった。
がたん、と大きな音が頭上で唐突にしたと思うと、ずっとほんのりと明るかった視界が一息に灯りを浴びる。
眩しさに反射的に目を閉じると、ふわりと軽やかな重さが頭に触れた。
「ユズコ……」
呼ばれたその声に、慌てて目を開く。
目の前にはソニアがいた。
細い手と指が、懐かしむように私に触れている。
久しぶりに見るソニアの緑の瞳は、戸惑いを隠せないまま私を見つめていた。
「ソニア……。良かった、やっと会えた。……迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
私のかすれた声に、ソニアはゆるゆると首を横に振る。
「心配したよ。戻って来てくれて、嬉しいよ」
何かを言おうとしたけれど、上手く言葉に出来なかった。
謝りたいことも、話したいことも、沢山あり過ぎる。
そんな私を宥めるように、ソニアは優しく頭を撫でてくれた。
「さぁ、そんなところからは出ておいで。……ほら、早く手伝っておやり!」
私に優しく言ったあと、ソニアは衣装箱の横へ強めに声を掛けた。
衣装箱の横に立っていたのはラビさんで、ソニアの指示に従って私を衣装箱から抱き上げてくれる。
「……。そのまま、上に連れて行っておあげ」
私を抱き上げたまますぐに下ろさないラビさんに、ソニアは呆れたようにため息をつく。
「ユズコ、上で少しお休み。すぐに私も行くからね」
私がソニアに頷くと、ラビさんは慣れた様子で歩き出す。
チラリと視線を巡らせると、ものすごく不機嫌そうな白騎士と、なんだか怖い微笑みのアルトさんが目に入ったけど、ラビさんは大股で歩き出した。
軋むけれど緩やかな傾斜の木の階段は、二階にまっすぐに延びている。
階段の上には、扉が二つあった。
ラビさんは私を抱えたまま難なく階段を上がると、扉が開いたままになっている部屋へと進む。
小さな部屋の中には、ベッドとその横に小机があるだけだった。
ラビさんが、ゆっくりとベッドへ下ろしてくれる。
私は腕の中にランタンと、白騎士がくれたお菓子の小袋を抱えたままだった。
ベッドの上に座り、部屋をくるりと見回す。
部屋は狭く古かったけれど、とても綺麗に手入れされていた。
鎧戸が下ろされた窓の外は静かで、天井から下がった灯りが部屋を照らしている。
落ち着きなく部屋を見る私に、ラビさんが口を開く。
「ここは、ソニアの家だそうだ」
「ソニアの?」
「この場所での仮住まいとして、借りている家だとい聞いた」
私は頷くと、抱えたままだったランタンと小袋をベッドの上へ置く。
天井からの灯りで部屋の明るさは申し分なかったけれど、ランタンは灯りを点けたまま傍に置いておきたかった。
「移動は、辛くなかったか?」
ふと、ベッドの脇に立っていたラビさんが膝を折り、私と顔を合わせた。
心配そうな赤い瞳が、すぐ目の前にある。
あのもさもさの髪型でないから、ラビさんの目がとてもよく見えた。
「大丈夫です。ほとんど寝てたような気がします。意外と、快適でしたよ」
少しうわずる私の返事を聞きながら、ラビさんはそっと包帯の巻かれた腕に触れた。
「傷は痛むか?」
「えと、……大丈夫です」
「後で手当てをしよう」
ラビさんは包帯の上を優しく撫でた。
心なしか、先ほどよりもラビさんの瞳の位置を近く感じる。
「ラビさん?」
「随分、細くなった」
確かめるように、手首を撫でられる。
傷に触れられたわけはないけれど、なぜか身体がびくりと後ずさってしまう。
「そうですか? でも、すぐに元に戻りますよ。なんか、お菓子とかたくさん与えられていますし……」
白騎士のくれたお菓子を見せようと小袋に手を伸ばす。
それで、ラビさんの手から一時的に逃げようとしたのだ。
けれど、ラビさんは私の手を離さなかった。
「ラビさん?」
私の両手首を優しく握ったまま、ラビさんが近づいてくる。
真紅の瞳に、私が映っているのが見えた。
「はいー。そこまでにしてくれないかなぁ?」
部屋の入口から、間延びした声が掛かる。
「ク、クヴェルミクス様!?」
「うん。さっき下にも居たんだけどねぇ。気が付かなかった?」
扉の前には、にっこりと微笑むクヴェルミクスが立っていた。
「感動の再会は、ソニアヴィニベルナーラに譲ったからね。遅ればせながら、僕との再会も喜び合おうよ?」
銀の髪をさらさらと揺らして、クヴェルミクスがベッドへと近づく。
ラビさんは私の手を離すと、クヴェルミクスの前へと立ち塞がる。
「近づくな」
「何の権利があって、その発言なのかなぁ?」
眉を寄せるラビさんに、クヴェルミクスは口の端を上げた。
睨みあうように向かい合う二人に、ため息交じりの声が投げつけられる。
「あんた達は下だよ。ユズコが休めないだろう」
小さなお盆を手に呆れた顔で、ソニアは二人の間を割るようにして進んだ。
そして、じろりクヴェルミクスとラビさんを交互に睨む。
二人は大人しく部屋を出る。
「はいはい。では、下に居りますよ」
「ユズコ。後で傷の手当てに――」
「それ、僕も出来るからさ――」
部屋の入り口で再び言い合い始めた二人に、ソニアが声を大きくした。
「うるさいよ!!」
今度こそ二人は大人しく階下へ向かったようだ。
静かになった部屋で、ソニアはふうと息をはいた。
「まったく……。ユズコ、少しなら食べられるかい?」
ソニアが差し出してくれたお盆には、小さなお椀が乗っていた。
「これ……」
「あんた、これが好きだろう?」
お椀の中で、白いスープが湯気を上げている。
ミルク味の野菜スープは、ソニアが私を森で拾った日に出してくれたものだ。
それから幾度となく、森の家でこのスープを作ってもらった。
「ありがとう。ソニア」
お盆を受け取ると、ソニアは安心したように目を細めた。
「熱いからね。ゆっくりお上がり」
「うん」
私は、そっと白いスープを口に運んだ。
ソニアは私の様子を、何も言わずにベッドに腰かけ見守っていた。
しばらく私が食べるのを見てから、ソニアはベッドから腰を上げる。
「さて、私は下に行って来るよ。あんたは、食べたら寝ちまいな。可哀想だけど、城に戻るのには、あの箱にまた入ってもらうことになるからね。今の内に、身体を伸ばしてよくお休み」
私はスプーンを止めて、ソニアを見上げる。
「ソニアもお城に?」
「一緒に行くからね。心配はしなくていいよ」
ソニアは微笑むと、部屋から出ていった。
小さなお椀に控え目に盛られたスープ。
野菜は、いつもよりずっと柔らかく煮てあった。
私はスープを残さずに済んだ。
空に出来た器を小机に置くと、私はベッドへと潜り込む。
食べた量が少なかったからか、食後に訪れるいつもの腹痛の気配はしない。
陽の匂いのする寝具に包まれて、ソニアの言うとおり身体を伸ばしたけれど、すぐに身体を丸めてしまう。
このほうが、なんだか安心する。
しばらく布団の中で丸くなって休んでいると、扉が優しく叩かれた。




