表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/79

55.5


 使用人達によって運ばれていく衣装箱を、シュテファンジグベルトはじっと見つめた。

 衣装箱の後ろに、荷袋を持ったラビハディウィルムが付き歩いていく。


「シュテフ」


 アルトフロヴァルは応接間の扉を静かに閉めた。

 やや呆れたような顔で、シュテファンジグベルトを見て溜息を吐く。


「そんな顔をして衣装箱を見送る者がありますか。心配なのは分かりますが、普通にしてください。普通に」

「なっ!! 俺は、別段いつもと変わらぬ!!」


 動揺するシュテファンジグベルトに、アルトフロヴァルは首を横に振る。


「そんな熱心に衣装箱ばかり見ては、中に何が入っているのかと勘繰られます。この先、衣装箱には目をやらないように気を着けてください」


 ぴしゃりと言うと、アルトフロヴァルは厚手の外套に袖を通す。


「フェリクスカミーユ様は、いらっしゃいませんでしたね」


 アルトフロヴァルの言葉には答えず、シュテファンジグベルトは黙ったまま自分も外套を着込む。

 結局、シュテファンジグベルトとフェリクスカミーユが再びまみえることはなかった。

 シュテファンジグベルトの再三の面会要求は、全て丁寧に退けられ続けたのだ。


 部屋の付きの近衛が扉を叩く。

 シュテファンジグベルトとアルトフロヴァルは無言のまま部屋を後にした。


 緊張気味に歩く近衛を前に歩かせ、シュテファンジグベルトは城の中を進む。

 彼が横切る景色は、幼い頃に無邪気に駆け抜けた風景のままだった。

 自分の城とは違う、どこか甘い砂糖菓子のような調度に囲まれた城の皇子は優しく、淡い色味の髪も瞳も常に穏やかに凪いでいた。

 それなのに、この城で皇子と対峙した時、シュテファンジグベルトの前に現れたのは別人の様に瞳を凍らせた男だった。

 そこに、シュテファンジグベルトの知る皇子はいなかった。



 近衛は人気の少ない廊下を選んで彼らを先導する。

 やがて出た場所は、城の裏口の一つだった。

 ひっそりと静かな裏口には、シュテファンジグベルト達の乗って来た二頭立ての馬車が停まっている。

 出発の準備は終わっているのだろう、御者台に上がるはずのラビハディウィルムは、馬車の後ろに括り付けられた衣装箱に自然な感じでもたれ掛かり二人を待っていた。

 それを見て、シュテファンジグベルトは眉を寄せる。

 思わず口を開き、衣装箱から離れろと言いそうになったが、それはアルトフロヴァルによって阻止された。


「準備が出来ているのなら、御者台に上がれ」


 苛立ったようにシュテファンジグベルトはラビハディウィルム睨む。

 ラビハディウィルムは肩をすくめ、大人しく御者台に向かう。


「ヤシュム家の嫡男に馬番やら荷物運びをさせてると知ったら、パメラは卒倒するでしょうね」


 囁く様にアルトフロヴァルが言うと、シュテファンジグベルトは眉を寄せる。

 その時、城の中から裏口にオレールが出てきた。

 オレールは近衛を下がらせると、馬車に近づく。その視線は、衣装箱に止まった。

 それに気が付いたシュテファンジグベルトは、分かりやすくもすぐに顔を顰める。


「お見送りに伺いました。十分な持て成しも出来ず、ご不便をお掛けしました。どうぞ道中お気をつけてお戻りください」


 オレールは微笑んだ。

 シュテファンジグベルトはそれに返事はせず、不機嫌そうにオレールから視線を逸らした。

 代わりに答えたのはアルトフロヴァルだった。

 外向けの微笑みを作り浮かべ、心の籠らない謝辞を述べると、アルトフロヴァルはオレールに礼をする。

 形ばかりの挨拶が済み、あとは馬車を出すばかりとなった。

 人気のない裏口に、オレールの他に馬車を見送る者は居ない。

 アルトフロヴァルが馬車の扉を開いた。

 中へ乗り込もうとしたシュテファンジグベルトに、オレールは声を掛ける。


「これは、主からです」


 振り返ったシュテファンジグベルトに差し出されたのは、手の平二つ程の大きさの包みだった。

 簡素な生成りの布で包まれたそれを、シュテファンジグベルトは見つめた。


「フェリクスが?」


 両手でそれを差し出したまま、オレールは頷いた。

 ふと、シュテファンジグベルトは視線を上げる。そして仰ぎ見た城の窓辺に、彼は人影を見つけた。

 そこにはフェリクスカミーユの姿があった。

 シュテファンジグベルトは、窓辺から動かないその姿をじっと見上げる。


「フェリクスは……、魔力を何に使ったのだ?」


 窓辺を見上げたまま、シュテファンジグベルトは呟く様にオレールに尋ねた。

 オレールは手の中の包を見つめたまま、静かに口を開いた。


「ある方が所望されました。フェリクスカミーユ様自身は、お使いになっていません」


 その返答に、シュテファンジグベルトは視線をオレールに戻した。


「では誰だ?」


 怒りを滲ませたシュテファンジグベルトの問いに、オレールは首を横に振る。


「我が主は、罪を背負いました。私もデュドネも、それに付き従う覚悟は出来ています。どうぞ、ご心配無きよう」


 シュテファンジグベルトは目を見開く。オレールは、その青い瞳から目を逸らさなかった。

 彼の手の中の包を、シュテファンジグベルトはゆっくりと受け取った。

 オレールはその場から一歩下がり、シュテファンジグベルトに礼をする。


「それで、全てです」


 オレールはそう言うと口を閉じた。

 シュテファンジグベルトは、包みを手に再び視線を上げる。

 何かを耐える様に包を持つ手に力が入るのを、傍らのアルトフロヴァルは静かに見ていた。


「馬車を出せ」


 シュテファンジグベルトはそう言うと、馬車の中へ入った。

 その後に付いて、アルトフロヴァルが馬車に乗り込み扉が閉められる。

 馬車が走りだす。


 オレールは馬車の背を見送ったが、馬車の窓布が開く様子はなかった。

 城の窓辺に佇んでいた、ブルーグレーの影はいつの間にか消えていた。





 二頭立ての馬車は、弔いの黒旗がはためくロザーシュの城下街を静かに滑らかに走り抜ける。

 喪に服し息を潜める街と人々を、ラビハディウィルムは御者台から眺めた。

 彼の背中の箱馬車は、まるで無人のような静けさだった。



 四人乗りの馬車の中で、シュテファンジグベルトとアルトフロヴァルは向かい合って座っていた。

 じっと手の中の包を見つめ押し黙るシュテファンジグベルトに、アルトフロヴァルは何も言わずただそこに静かに座っている。


 馬車が城下街を通り抜け、国境を目指し街道を走り抜ける頃、シュテファンジグベルトは強く握っていた包をようやく開いた。

 生成りの布を開くと、上品な薄い木箱が現れる。

 艶が出るまで磨かれた木箱の表面はつるりとした白い光沢を持ち、縁取りに入れられた繊細な彫刻は美しかった。

 シュテファンジグベルトは木箱の蓋を外す。次に現れたのは、白い薄紙だった。

 白い薄紙を取り除くと、シュテファンジグベルトより先に、アルトフロヴァルが首を傾げた。


「それは、チョコレートですか?」


 シュテファンジグベルトは、膝の上に広げた包みの中身を凝視する。

 白い木箱の中には、大粒のチョコレートが十二粒。整然と並んでいた。

 しばらくそれを見つめてから、ようやくシュテファンジグベルトは頷く。

 馬車の中にはいつの間にか、甘いチョコレートの香りが漂い始めていた。


「今の段階では、食べない方がいいでしょう」


 アルトフロヴァルの言葉に、シュテファンジグベルトは伸ばしかけていた指を止める。


「ただの土産の菓子とは思えません」


 顔を顰めたアルトフロヴァルにシュテファンジグベルトは溜息を吐いた。


「毒など入っては――」

「毒など入れるはず無いでしょうが、これは何か意味のある物でしょう。ひとまずは、仕舞ってください。あれに確認をしてもらいます」

「クヴェルミクスにか?」


 心底嫌そうに、アルトフロヴァルは頷いた。

 シュテファンジグベルトは、薄紙を戻し木箱を閉じ、同じように生成りの布で包み直す。

 そして自分の後ろで、馬車の外で揺れる衣装箱のことを思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ