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こんな崩れかけの廃屋の中で、白騎士の夕陽を背負って立つ様は場違いに凛々しく神々しかった。
束の間、自分の置かれていた状況を忘れて、その姿にぼうっと見入っていた。
青い瞳を見上げると、驚いたように白騎士はその目を見開き、すぐに眉間に皺を寄せる。
その久しぶりに見る白騎士の不機嫌顔に、なんだか安心と嬉しさがごちゃ混ぜになった。
白騎士は扉を大きく開け放ち、私の前に屈みこむと、口を塞いでいた布を取り去り、足の縄を解く。
無言のまま白騎士は私の背後に回ると、後手に縛られた縄に触れた、その手は一瞬だけ動きを止める。
が、すぐに手首の縄も解かれて、ようやく私はぎこちなくも身体を伸ばすことが出来た。
ばさりと音を立てて、白騎士が身に着けていた焦げ茶のマントを私に巻きつける。
手を引かれて立ち上がると、ずっと同じ体勢だったこともあり足元がおぼつかずに身体がよろめく。
白騎士は眉を顰めたまま、私を抱き上げた。
「あ! あの……」
マント越しに白騎士が、すぐ傍にいる感触が伝わってくる。
私の掠れた声が涙声に変わりそうで、それ以上の言葉を話せなかった。
「……なにも、言わなくともよい」
白騎士は強く、なぜだか怒ったようにそう言うと、廃屋の外へ出る。
石壁の向こうには一頭の白馬が繋がれていた。
白騎士は私の存在を物ともせずに馬に乗り、馬は早足で進み始める。
揺れる馬上で横座りになっている私を、白騎士は落とさないようになのか強く抱えてくれていた。
頭まですっぽりと包まれたマントの隙間から、すっかり暮れて闇に包まれた森を見て無意識に白騎士の腕を強く掴んでしまう。
白騎士は、それを咎めはしなかった。
暗い森を抜け、白馬は灯りが燈る方へと駆ける。
遠くに見ていた灯りはみるみる近づき、馬は城壁をくぐり城に入った。
中庭のような場所に止まった白馬めがけて、慌てた様子の兵士が数名走り寄ってくる。
白騎士は馬から下りると、彼らに手綱を投げて城内へと進む。
背後から困惑する様子が伝わってくるけれど、彼らは白騎士を止めることはしなかった。
私を抱き上げたまま、白騎士は城内を進む。
マントの隙間から、ちらりちらりと城内の景色が垣間見える。
白騎士が大股に歩く足元は、真っ赤な絨毯が敷き詰められ、壁紙は大きな花をふんだんに使った図案だった。
どこか硬い雰囲気のあるホルテンズ王国のお城に比べて、ここはなんだか柔らかく甘い雰囲気で作られている。
見上げれると、白騎士の不機嫌に結ばれた口元が見えた。
機嫌が悪いのを越して、怒っているような白騎士に話しかけるのをためらい、私も白騎士にならい無言のままでいる。
城内を進み、白騎士は一つの扉の前で足を止めた。
扉を開くと白騎士はそのまま中へと入る。
私はすぐに、白騎士の服を強く掴み直した。
緩んでいた身体が一息に強張り、小さく震え始めている。
白騎士が入った部屋の中には、すでに人がいた。
その部屋の中央に佇んでいたのは、薄水色の瞳の男とデュドネだった。
震える私を抱き上げている白騎士の腕に、力がこもった気がした。
見上げた白騎士は、怒った顔のまま薄水色の瞳の男を見据えている。
男は白騎士の顔を正面から見つめ、口を開いた。
「シュテフ、君は臥せっているはずでは?」
そう言いながら、男は少し呆れた様な顔をして続ける。
「見舞いに来てみれば、シュテフは随分な大男に変わっているから驚いたよ」
言って、男は部屋の奥を見る。
そこにはラビさんとアルトさんが、険しい顔つきで立っていた。
よく見てみれば、ラビさんは白騎士の服を着ている。
「見舞いはひとまず不用意だと、伝えてあったはずだが?」
白騎士が口を開く、声には怒りが滲んでいるようだった。
男は少し微笑む。
「そうだったね。けれど、心配で来てしまったんだよ」
男の言葉を聞いて、白騎士は眉間の皺を深くした。
「フェリクス。お前は、何をしている?」
白騎士の声は微かに震えている気がした。
怒りに声を、身体を震わせ、白騎士は男に尋ねた。
男はそんな白騎士を見て、また少しだけ微笑む。
「国の為を思ってね……」
「国の? お前のしたことが、何かの為になると!?」
白騎士の声が大きくなり、私の身体を抱える腕にぎゅうと力が入る。
「コレは、連れて帰る」
何かを押し殺すように、白騎士がそう告げた。
男は私をちらりと見てから、白騎士を見つめる。
その薄水色の瞳には、焦りも怒りも浮かんではいなかった。
私を見るときとも違う、淡々した穏やかな瞳でいる。
「そのつもりで、こんな茶番を仕掛けたんだろう? 予想外だったよ、まさか取り戻しに来るとは思わなかった」
ゆったりとそう話す男に、白騎士は唇を噛んだ。
「フェリクス……。お前は、こんなことをするやつではないはずだ」
男は白騎士の言葉に、ゆっくりと首を横に振る。
「そうかな? 現に君の腕の中のものは、僕の手にかかってその有様だよ」
「フェリクス!!」
「なぜ君達は、それにそんなに執着してしまったんだろうね? それが一番の誤算だったよ」
それ。と言われて、私が身を小さくするのに白騎士は気が付いたのかもしれない。
再び、ぎゅうと抱きあげられる。
「あなたには道具に過ぎなくとも、私たちは人として傍にいたのです」
穏やかな声が部屋に響いた。
部屋の奥に居たアルトさんが、ゆっくりと歩き白騎士の横に立った。
「そんなことは、フェリクス、お前が一番よく分かるだろう。おまえなら――」
「昔の話だよ。それは」
白騎士の言葉を、男は少し強めに遮る。
「随分と危険な事を仕掛けたね。仮にも一国の皇子が、隣国の城を探るようなことをするのは感心しないよ。私がここから出すことを許さなければ、シュテフ、君は、君達は、それと共にここで葬られるかもしれないんだよ」
薄水色の瞳が、咎めるように白騎士を見る。
「そうするのか?」
白騎士の乾いた声に、男は首を横に振る。
「いや、しないよ。ただ、すぐには帰れないよ。これからここは少々騒がしくなるからね。折角だから、それを見物してから帰るといい」
「騒がしく?」
男はもう、白騎士の問いには答えなかった。
穏やかな淡さだった薄水色の瞳が、硬く冷えていく。
「それも、お返しするよ。まぁ、もう十分に役に立った」
「フェリクス!!」
白騎士の怒りが伝わってくる。同時に、白騎士は何かとても悲しそうだった。
男は冷えた瞳で私を見た。
「私はそれを、人とは思わない」
「貴様!!」
白騎士の怒鳴り声が、びりびりと鼓膜に響いた。
息苦しく、部屋の空気は張り詰めている。
ふと気が付くと、扉の外が騒がしくなっていた。
薄水色の男は扉を見る。
「ああ、そろそろ行かなければ。暫らくは、ここへ顔を出せないよ。不便が無いようにはするけれど、大人しくしていてくれよ」
そう言うと、男は無表情のデュドネを伴い扉を出ていく。
その背に、白騎士は苛立ちながら呼びかける。
「フェリクス!!」
男は振り向かないままで答えた。
「もう、そんな風に親しい呼び方はしなくていいんだよ。……シュテファンジグベルト殿。あなたの友だった男は、もういないのですから」
扉が音を立てて閉まり、白騎士の腕から力が抜けていく。
ゆるゆると床に下りた私を、すぐに駆け寄ったラビさんがマントごと再び抱き上げた。
「無事でよかった……」
ラビさんが低く呟く。
アルトさんが、私の頭からマントを外す。
灯りの下で私をはっきりと見て、アルトさんは悲しそうに顔を顰めた。
「随分と痩せましたね。こんな短い間に」
嘆くアルトさんに私は首を横に振る。
何かを話さなければと思った。
白騎士に、アルトさんに、ラビさんに。
でも、何から話していいのか分からなくて、私は無駄に息を吸い込む。
「……あ、ありがとう、ございま……す……」
それだけ言うのが精一杯だった。
緊張状態だった身体から、気力がぐったりと抜ける。
ぼやけた視界に、三人が映った後、私はゆっくりと意識を手放してしまった。




