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 遠くで甲高い鳥の声がした。

 

 ポツンと立ちつくす私は裸足で、タンクトップにハーフパンツという夏のいつもの部屋着姿。


「わぁぁ!!うわぁぁぁ!!」


 突然の足裏への柔らかく湿った感触に驚いて飛びのいても、そこもまた同じような地面で飛び上がる。

 自分の出した悲鳴が、妙に大きく聞こえた。

 見下ろした足元は薄黄緑の苔が敷き詰められて、仰ぎ見た空は木々の枝葉に遮られて少しの水色しか見えない。


「なんで?え……?ここどこ?」


 誰に言うともなく呟いた言葉は、空しく響いた。

 なんとか苔の感触を我慢して、ぐるりと辺りを見渡した。

 右も左も、前も後も同じ景色が続いている。

 背の高い木が延々と生え並ぶ回廊の様な森の中、私は一人だった。


 夢を見ているのだと思った。

 自分はいま夢を見ているのだと。ひどく鮮明でリアルで、生々しい感覚のある夢なのだと。

 それなら、覚めるのを待てばいい。

 私はその場に立ったまま、その時を待つことにした。夢とは言え、苔の上を裸足で歩きまわる気には到底なれない。

 

「覚めろ。覚めろ。覚めろ……」


 呟いて念じながら、意識を起床させようとする。こんな風にして夢から覚めたことが何度かあるから。

 けど、今回は何かが違う。起きれそうな気がしない。

 

「おかしいな?いつもなら夢だとわかったらすぐに起きられるのに」


 肌寒くなってきた森の空気にブルリと震えた。

 森が薄暗くなってきている。

 ただ立っているだけでは寒いし、一向に変わらない状況に仕方なく私は歩き出した。

 どの方向を見ても景色に特徴が無くて、歩いても歩いても変わらない景色に次第に恐怖を感じる。


 裸足を庇うように慎重に歩いていたのが、いつの間にか走り出していた。

 チクチク、ズキズキと足の裏やむき出しの手足が痛んだが、確かめる気にはなれなかった。


 

 誰にも何にも追いかけられていないのに、私は逃げるように滅茶苦茶に森の中を走った。

 

 

 私が足を止めた時には、森はすっかり暮れていた。

 ゼエゼエと肩で呼吸をしながら、その場にへたり込む。


 もしかしたら、夢じゃないかもしれない?

 

 苦しいのも痛いのも、あまりにも感覚が本物すぎる。

 でも夢でないのなら、これは一体どういうことなのだろう。

 酸素不足の脳で記憶をたどってみる。

 森。森。森?

 この森に突然立つ前は、何をしていたっけ?

 

 今日はバイトが休みで、昼過ぎまで寝ていた。

 それから……、起きて顔も洗わずに携帯をいじったりテレビを見たりしていた。

 そして……、何か食べようとキッチンに向かった時、拾った。

 床に落ちていた白い模様の入ったビー玉みたいなものを。

 

 はっとして、ポケットを探ってみるけれどそれは見つからない。

 全くの手ぶら、着の身着のままだ。

 もう一度、両のポケットを探るもやっぱりなにも入っていない。部屋着のポケットだ、普段からなにも入れていない。

 でもこんどから、せめて飴の一つでも入れておくことにしようと思った時、声を掛けられた。



「おやおや、こんなところでなにをしている?」


 少ししわがれた女性の声は落ち着いていて、お陰で私は突然現れた人の存在に驚きすぎることはなかった。

 振り返ると、淡い光が目に入った。

 そこには、黄色く光るランタンを下げた女性が立っていた。


 彼女の問いかけに、どう答えたらいいのか分からなかった。

 ここでなにをしているのか、私が一番知りたいのだから。

 それでも、どうにか答えようと口を開いた。


「あの……―――!!」


 キュールキュールキュールル、グーーーッ。



 静かな森に明朗に響く音の出どころは、私のお腹だった。


 ポケットを探った時に思い出していた、今日は何も食べていないことを。

 そのまま、何とも情けない音を上げ続ける腹部を抱えるように項垂れた私を見て、彼女は小さく笑った。


「フフフ。ついておいで。何か出してあげよう」

 

 そう言って踵を返す彼女の後ろをフラフラと付いて行く。

 決して早くない足取りが、ありがたかった。

 

 暫らく歩くと、行く先に明かりが見えた。

 ランタンと同じ黄色が灯る家が見えた時、心底ホッとした。

 

 招き入れられた家は、明るく暖かだった。

 木の床に木の壁。

 一続きの広い空間に置かれたテーブルや、大きなストーブ。応接セットの様な長椅子。

 見知ってはいるけれど、なぜか知らない雰囲気を纏う家具が不思議だった。

 高い天井から下げられた灯りも、電球とは違う光に見える。

 

「さて、スープでも温めてあげようか。ただそのまえに……」


 きょろきょろと室内を見回していた私に、道中無言だった彼女が話し掛けてきた。

 彼女は観察するようにこちらを見て言った。


「風呂と着替えが必要だね。あと傷薬も」


 言われて私は自分の姿を改めて確認した。

 パステルカラーの部屋着はすっかり汚れ、そこから出ている手足に無数の擦り傷が出来ている。

 赤く血がにじむ線状の傷を見た途端、それらが一斉にズキズキと痛みだした。

 足の裏も痛くて下を見れば、足元の床が泥と血で汚れていた。

 足の裏を確認するのが怖い。

 

「まずは風呂だね。泥と血を落しておいで」


 促されるまま、私は浴室に入れられた。

 そこもやはり知っているけれど、何かが少し違うバスルーム。

 

 服を脱ぎ、浴槽に満たされている湯を使って体を洗った。

 ハーブの香りがするお湯がぴりぴりと傷に染みて、なんども小さな悲鳴を上げてしまう。


「痛たたたぁ。怪我なんてするのひさしぶりだな……」


 すっかり汚れの落ちた手足の傷を見回す。

 足裏の傷も思っていたより深くはなさそうだ。ただ、傷の数が多くて出血も多かったようだ。

 お湯と一緒に浴室の床を流れる血を見て、もう一度傷だらけの手足を見て、やっぱり夢ではなさそうだと思うと、暖かい浴室内なのに身体が震えた。





「さぁ、これでいいだろう。傷も深くないし、この薬はよく効く。数日もすれば治るよ」


 傷に薬を塗り包帯で巻くと、彼女はそう言った。

 

 傷ごとに包帯を巻くのも面倒だと、彼女は肩から手まで膝上から爪先まで一続きに包帯を巻いた。

 借りた着替えの木綿のワンピースを着て、両手両足を包帯ですっかり覆った私の見た目は大怪我をした人のようになっている。



「食べられるかい?」


 テーブルに出されたスープを受け取り、私は頭を下げてからそれを頂いた。

 ミルクの味のするスープは温かくて美味しくて、無言でそれを食べる私に彼女は話しかけてはこなかった。



「ごちそうさまでした」


 ホゥと満足気な息が出てしまう。

 たくさん食べた。

 空になったスープ皿をよく見てみると、だいぶ大きなお皿だ。ラーメン鉢くらいある。

 よっぽどお腹が空いていると思われていたんだと、今更ながら気恥しくなる。

 しかも、全部きれいに食べているし……。


 正面に座っていた彼女が口を開いた。


「もう話せそうだね。私は、ソニアヴィニベルナーラ・スマラクト。どうしてあんな所にいたんだい?」


 長い名を名乗った彼女を見る。

 灯りの下で見る彼女の容姿は私の周りでは見かけない、欧風とでもいうのかそんな顔立ちで。

 緩やかなウエーブの掛かる長い白髪を一つにまとめている。

 白髪や顔の皺からおばあさんと言える年齢だと思うが、女性の背筋はシャンと伸び。その緑の瞳は若々しい色だった。




 私が話す内容に、彼女は静かに耳を傾けた。

 自宅で白い玉を拾った後、突然森にいたということ。

 なにが起きてこうなっているのか、私にはわからないということ。


 大して長くも無い私の説明を全部聞くと、彼女は考え込む様に目を閉じた。

 暫らくそうしてから、ゆっくりと目を開くと話し出した。

 それは、私のいきさつ話よりも長い話だった。



 ここは私の知っているどこでもなかった。

 彼女の並べる国の名も町の名も、どれひとつ聞いたことがなかった。

 もちろん彼女も、『地球』も『日本』も聞いたことが無いと言った。それに『日本語』も話していないと。


 ここは、ホルテンズ王国のスノーツリーの森というところで、彼女が話す言語はホルテ語だと言われても、なんのことか分からない。

 幾つかの質問をされた後、彼女はきっぱりと言った。


「どうやら、あんたはコチラの人ではないようだね。どこか別の世界から来たんだね」

「別の世界?」


 思考が全く動かない私を置いて、彼女は話し続けた。


「この森にあんな時間にあんな恰好で人がいるのには驚かされたけど、そういうコトなら合点が行くもんだよ。それにあんたの姿も納得がいくね」

「姿ですか?」

「そうだよ。あたしも長く生きている方だけど、あんたのような人にはお目にかかったことが無いよ」

「それは、こう、顔立ちが平坦ということですか?……私の住んでいるところは、みんな割とさっぱりとした顔立ちなんですよ」


 決して顔の彫りの深さで優劣がつくとは思っていないけれど、なんとなく東洋顔をフォローした発言になってしまう。

 それを聞いた彼女は笑った。


「違うよ。顔の作りのことじゃないんだよ。たしかにあんたの顔立ちは簡素だけど、そういう顔立ちはこちらにもいるからね」


 簡素……。

 貶されてはいないのだろうけど、目鼻立ちのはっきりした人にそう言われると、なんだかさみしい気持ちになる。

 

「北の方の国では、あんたの様な顔立ちが多いよ。そうじゃなくてね、私が言っているのはここだよ」


 そう言って彼女が指差したのは、私のなんの変哲もない眼だった。



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