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 夜に眠ることが出来なくなった。



 穴に下ろされて目が覚めた私を、オレールは今まで以上に丁重に扱った。

 退屈しないようにと、私にも読めるホルテ語の本が持ち込まれ、三度の食事以外にもお茶やお菓子がふんだんに用意された。


 身体の不調は二日もたてば抜け落ちて、いつも通りに動くことが出来るようになった。

 手首の痛みだけはすぐには薄れず、包帯を交換される時に見たそこには、理由を知らない赤く切れた傷があった。


 相変わらず食欲は十分に湧かず、今までよりも飲み込める量が減っているのが自分でも分かる。

 明らかに食べれなくなった私に、オレールは就寝前の日課を課した。

 滋養があるからとオレールが用意したそれを、デュドネが無理矢理に流し込む。

 下手なミックスジュースみたいな、どろどろの飲み物を飲まされるのが決まりになった。

 それでも、食事は毎食変わらずに豪華なものが用意された。

  

 眺めているだけだった庭にも、出ることが許された。

 デュドネがいる時だけになるけれど、草の上を歩き陽の光をじかに浴びると、少しだけ心が休まるような気がする。

 夜に眠れなくなった私は、代わりに一番陽射しの高く明るい時間にウトウトすることが多くなっていた。


 暗闇を恐れる様になった私は、日が沈み始めると灯りの傍から離れず、夜にはベッドの中にまでランタンを持ちこんだ。

 そしてその灯りを見つめて、ひたすら夜が明けるのを待った。

 皮肉なことに、紗幕の向こうにデュドネでもオレールでも、とにかく誰かがずっといるのがありがたいとさえ思うようになっていた。




 することもなく、ただぼんやりと時間を過ごしては、考えた。

 今の私には、三食に加えて紅茶もお菓子も付いて、衣食住は十分すぎる水準で与えられている。

 オレールの言うとおり、私次第なのかもしれない。

 

 姿を偽りながら、誰かに迷惑を掛けることでしか過ごすことが出来ないのなら、これが私のこの世界でのあるべき姿なのかもしれないと思えてくる。


 こうして過ごしているうちに、この世界で私に係わった人たちもやがて私を忘れるだろう。

 元の世界で私を知る人たちも、きっともう私を過去にしてしまっているように。


 この世界に来た時と同じ。

 受け入れなければ、辛いだけだ。


 ここからは出れなくても、時々鎖に繋がれても、四六時中監視されていても。

 檻に入れられ、暗い穴に下ろされても……。


 そこまで考えると、あの暗い穴でのことを思い出し、考えは散り散りになり恐怖に震えてしまう。


 そんなことだけを繰り返して日は過ぎていった。




 手首の傷が少し痛みを和らげた頃、再び闇の刻に部屋の外へと出された。

 それがあの日から何日経っているのかは、私にはもう分からなかった。

 いつの間にか、日付を数えることを止めていたことに気が付く。


 用意された黒いローブを見て暴れた私は、前のように自分の足で外を歩かされなかった。

 口を塞がれ、両手足を縛られて運ばれる。

 

 どんなにそれを拒否しても、無駄なのだ。

 叫んでも罵っても、誰もそれを止めてはくれなかった。


 右手の傷が治らない内に、左手首に同じ傷ができた。

 二つの傷が渇かないうちに、三度目の夜が来る。


 三度目に檻に入れられた夜、私はもう騒ぎはしなかった。

 ただ初めて、こちらを見つめ続ける薄水色の瞳を見返した。

 薄水色の瞳の男は眉一つ動かさず私を見た。


 これは、繰り返されるだけなのだ。

 男の瞳を見て、私はそう悟った。






 その日がいつもと違うのに気が付いたのは、昼過ぎだった。


 部屋にはオレールしかいないから、私は朝から足枷を付けられていた。

 デュドネは姿を見せず、オレールだけが私の監視をしていた。



 その日の昼食は、運び込まれた温かなものではなかった。

 オレールは、部屋に朝から置かれていたワゴンから昼食を用意した。

 食事はほとんど手を付けないのに、いまだに毎食きちんと用意される。


 少し不思議に思いながらも、冷えた食事を眺めてから私はベッドへ移った。

 足枷を付けられたままでは庭にも出られないので、大人しくベッドに座りウトウトと庭を眺める。


 突然、荒々しく扉が開く音がした。

 振り返ると、慌ただしくデュドネが部屋に入ってくる。

 足早にベッドに近づいたデュドネは、私に付いていた足枷を素早く外す。


 ベッドに座っていた私を担ぎ上げると、デュドネはオレールに目配せをした。

 私が声を出す間もなく、デュドネは大股で歩き出し部屋を出る。

 明るい時間には出たことのない扉の外へ。


「ど、どこにいくんですか?」


 冷たい風に小さく震えながら聞いても、デュドネは無言のままだ。

 ワンピース一枚の私は、いくら昼間とはいえ冬の戸外に出るには薄着すぎる。

 デュドネの背後にクリーム色のお城が見えた。

 進む方向がお城とは逆な事に、私は身を硬くする。

 この方向に行けば、あの場所に連れて行かれるのかもしれない。

 そう思うだけで、気分が悪くなる。



 諦めにも似た気持ちで大人しくしていると、森の中を進むデュドネは予想外に横へと曲がる。

 朽ちた石壁が木々の間に現れた。

 あの場所や、私がいる場所と同じ高い石壁だけど、目の前の石壁は随分と古く見える。

 私を担いだまま、デュドネは黒ずんだ木戸の鍵を開けると中へ入る。

 丸く囲われた石壁の内側は、枯木と枯草に埋められた場所だった。

 枯草を掻き分けて、デュドネは奥へと進む。

 すっかり枯れた大木の影に小屋があった。

 ガラスが落ち、歪んだ壁の、廃屋の床に、デュドネは私を雑に下ろした。

 ささくれ立った床板に、自分が裸足だったことを思い出す。

 見回した部屋は、薄暗く湿った空気に満ちている。


「あの、ここは?」


 もしかしたら、ここで殺されるのかもしれない。

 そう思わずにはいられないのは、そんな雰囲気が漂い過ぎる場所に、硬すぎるデュドネの表情のせいだ。

 デュドネは私の問いには答えず、代わりに私の口の中に布を押し込み口を塞ぐ。

 突然のことに呆然とする私の手と足が、きつく縛りあげられる。

 両足首を一まとめに縛り、両手首は後ろ手に縛られた状態で床に座った私を見下ろすと、デュドネはようやく口を開いた。


「暫らくしたらオレールが来る。それまでここで大人しくしていろ」


 大人しくも何も、動くことも喋ることも出来ない私は、デュドネを見上げてせめてもとその瞳を睨む。

 デュドネはそれ以上は何も言わずに、くるりと背を向ける。

 床を軋ませ、デュドネが廃屋から出ていく。

 やがて重い音が外から聞こえた。きっと、木戸を閉めた音だろう。


 薄暗いそこに取り残されて、私は縛られた手足をぐいぐいと動かしてみる。

 流石と言うべきなのか、デュドネの縛った縄は緩む気配を少しも見せない。

 でも、監視もなく一人の今ほどの機会はないのだと分かるから、無駄だと分かっても手を足を動かす。

 手首に付いた三つの傷が軋み痛む。傷口が開いたのかもしれない。

 それでも、私はしつこく縄の中の手足を動かし続けた。




 廃屋のガラスの無い窓から、オレンジ色の陽が斜めに差し込んでいる。

 日が暮れようとしていた。

 無駄な足掻きにすっかり疲れて、寄りかかっていた壁から身を起こす。

 縄に擦れ、肌はヒリヒリと痛んでいた。

 ただでさえ寒かった辺りが、一段と冷え込んでくる。

 寒さに加えて、みるみる暗くなる周りに身を小さくする。

 灯りになるような物は何も置かれていなかった。


 ここには、あの暗闇が訪れないのは頭では分かっている。

 けれど、薄暗くなるたびに身体は小さく震えだした。



 怖い。

 怖い。

 怖い。



 目を閉じることも出来ず、視線は薄暗い廃屋を彷徨い続ける。

 風に枯草がなびく音に、枯木が揺さぶられる音に、びくりびくりと身体が跳ねた。



 がたんと大きな音を立てて、廃屋の扉が開く。オレールが来たのだろう。

 扉を見て、私は目を見開いた。



 まだ残るオレンジの陽が、金色の髪を照らしていた。



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