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48.5


 ランタンの頼りない灯りが揺れる鎖を照らしていた。

 新月の暗い空の下、かつては冬でも美しかった庭園の成れの果てのその場所で、鉄籠を繋いだ鎖は不規則に揺れている。

 鎖の先の鉄籠は、重い蓋で閉じられた地中の奥深くにあった。


「始まったようですね」


 鎖の揺れを見つめていた男の一人、オレールが安心したように言う。


「文献通りならば、彼女は生きて戻ってくる筈ですが……」


 オレールは更地の端をちらりと見る。

 今夜は、そこに墓穴は掘られていない。

 代替えに鉄籠にのせた者たちは、地上に引き揚げる時にはどの者もことごとく絶命していた。

 その身体から採れる魔力は微々たるものでしかなく、どうしても文献通りの者が必要だと亡骸を載せた鉄籠を引き上げる度に彼等に知らしめた。


「ああ、止まりましたね」


 不規則に揺れていた鎖の動きが止まる。

 それは、声も届かぬ地下深くで、鉄籠の中の者が動きを止めたことの表れだった。

 静かに垂れる鎖を男たちは眺める。

 程なくして、デュドネが滑車を回し始めた。

 ゆっくりと鎖が巻き上げられていく。


 地中に鉄籠が留め置かれるのは、地上で待つ者には大した時間ではなかった。

 だが、一筋の光も射さぬ穴の中で恐怖と共に過ごす時間は、鉄籠の中の者には随分と長い時間であることだろうとオレールは思った。


 ――可哀想に。


 幾度と繰り返したはずの行為だったが、オレールは初めてそう思った。


 重い音を立てて穴に蓋をしていた扉が開き、するりするりと鉄籠がその姿を現す。

 同時に穴からは、噎せ返るほど濃い魔力が零れて霧散していく。

 再び穴の蓋が閉じられ、鉄籠が動きを止める。

 白い影が、鉄籠の床に伏していた。


 デュドネが鉄籠の扉を開ける。


「……生きています」


 強張ったデュドネの声に、フェリクスカミーユは薄水色の瞳を暫し閉じる。

 何か考える様にそうしてから、再び冷たい色の瞳で鉄籠を見て頷いた。


「部屋に戻し、取り出せ」


 感情の籠らない指示に、デュドネは素早く動く。

 今夜の始まりから、終ぞ変わらなかったフェリクスカミーユの硬質な横顔を窺い見て、オレールは再び思った。


 ――可哀想に。

 死んだ者は一度の恐怖と苦痛だけで済んだ。だが、あの黒い瞳の者は、これから味わい続けるのだ。


 デュドネが、ぐったりとした白い影を鉄籠から抱き上げる。

 オレールはランタンを一つ手に、そこへ近づいた。

 そして目を見開いた。

 一欠片の魔力も持たなかったはずのユズコの身体から、渦巻く様に魔力が漂っていた。

 僅かに浮かべていた憐みの情が、オレールの中から煙の様に消えていく。

 デュドネの腕の中で、薄闇にも分かる蒼白な面持ちに、黒いローブを被せる。


「部屋へ、急ぎましょう。これなら、文献通りに魔力が取れるはずです」


 興奮に震えるオレールの声に、デュドネは寄せたままだった眉をさらに寄せて歩きだす。

 デュドネにとっては重くもない腕の中の荷物が、仄かに温かい事に思いを馳せる者はいなかった。




 慌ただしくその部屋に一番に戻ったオレールは準備を始める。

 持ち込んだ銀色の箱から取り出した器具を並べ、組み立てていると、扉が開いた。


 部屋に入ったフェリクスカミーユは、一つしかない椅子に腰を下ろす。

 デュドネは腕の中から、ベッドへとユズコを横たえる。

 ベッドに下ろされても、ユズコはぴくりとも動かないままだった。


「準備は?」


 フェリクスカミーユの問いに、オレールは急ぎ頷く。


「出来ております。……始めても?」


 無言の返事を肯定とし、オレールはベッドへ近付き、傍らに立ったデュドネに言う。


「痛みで意識が戻るかもしれません。固定を」


 オレールは口を結んだまま、ベッドに仰向けに横たえたユズコの身体を押さえた。


「では、左手を」


 そうオレールが言うと、デュドネはベッドの端からユズコの左腕を出す。

 オレールは白い袖を捲ると、銀色に輝く小刀を手にした。

 よく砥がれた刃が、部屋の灯りを受けて光る。

 オレールは青白く細い腕を手に取ると、その手首に銀の刃を当て滑らせた。


 ユズコは、目を覚ましはしなかった。彼女の手首に一筋の線が浮かぶ。

 本来なら線は赤く、すぐに鮮血が滴り始めるはずだった。

 だが、ユズコの切られた手首から落ちたのは闇色の液体だった。


 下に向けられた指先を伝って、黒い液体が止めどなく流れ落ちる。

 指先の下には、すり鉢状の口を載せたガラスの瓶が置かれていた。

 ポタリポタリと瓶の中へ黒い液体が落ちていく。


 その様を見て、ほぉ。と熱い息をオレールは吐いた。

 彼の視線は、ガラス瓶を満たしていく黒い液体に釘付けになっている。


「文献通りとはいえ、ここまで取れるとは思いませんでした」


 オレールの声に答える者はいなかった。

 フェリクスカミーユは冷えた目でそれを眺め、デュドネは細い身体を押さえ込んだまま微動だにしない。

 闇色の液体がユズコから流れ落ちると、その分、彼女が纏っていた魔力が薄れていく。


 ガラス瓶の中には、ティーカップ一杯以上の液体が溜まりつつあった。

 それは信じられない光景だった。

 他の者を穴に下ろし、その亡骸から採ることが出来たのは、小匙にも満たない僅かな魔力だったのだ。


 一つ目のガラス瓶はすぐに満たされた。

 オレールはガラス瓶を二つ目に差し替え、一つ目の瓶にガラスの蓋をはめ込む。

 二つ目の瓶が半分ほど満たされたところで、ユズコの手を伝う黒い液体に赤が混じり始める。

 その赤が入る前に、二つ目の瓶から三つ目の瓶へと取り換えられた。

 赤混じりの黒い液体が、三つ目のガラス瓶に落ちていく。

 ほどなくして、ユズコの手首から滴る物は赤一色になる。

 オレールは白い布をデュドネに渡す。


「止血をお願いします」


 ユズコを拘束することを終え、デュドネは渡された白い布で手首を覆い押える。

 赤い染みが布に浮かび上った。



 フェリクスカミーユの前に蓋のされたガラス瓶が三つ並べられる。


「こちらとこちらは、混じり物はございません」


 オレールが示した一つ目と二つ目の瓶を見て、フェリクスカミーユは一つ目のガラス瓶を手に取る。

 ガラスの中で、トロリとした蜜のような黒が揺れた。


「こちらは、分離を行ってからお出しします」


 三つ目のガラス瓶に混じる赤を見て、フェリクスカミーユは頷いた。


「一度で、これほどの量が採れるとはな……」


 手の中のガラス瓶から、部屋の端のベッドへと視線を移したフェリクスカミーユの冷えたブルーグレーの髪が揺れた。

 そのままベッドへ横たわるユズコを見ながら、フェリクスカミーユは口を開いた。


「次は? どれくらいで採ることが可能だ?」


 オレールは首を振った。


「何とも申せません。これがどれ程の負担となっているのかまだ分かりませんので。ひとまずは、目を覚ましてからの様子で見極めようかと……」

「そうか。では、その様子を細かに報告せよ。それで次を決める」

「はい」


 フェリクスカミーユは立ち上がり、ガラス瓶を二つ懐へと仕舞う。


「手厚く労わってやれ。長く使えるようにな」


 フェリクスカミーユの言葉に、デュドネの布を押さえる手に力が籠る。

 ベッドに横たわるユズコは身動ぎ一つしない。


「承知いたしました」


 オレールの返事を聞くと、フェリクスカミーユは部屋を出た。

 見送るオレールの背中に、デュドネの低い声がぶつけられる。


「血は止まった。手当を」


 不機嫌なその声に頷き、オレールはなぜか溜息を吐いていた。



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