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新月の夜は暗い。
数日ぶりに吸い込む外の空気はキンと冷たく、強張る身体を一層と固くさせた。
柔らかな布の室内履きは、地面から伝わる寒さを防ぐことは当然出来なくて、足は早々に凍えだす。
それでも立ち止まることは許されず、規則正しい歩調で進むデュドネにきつく腕を掴まれたまま進む。
昼間にオレールが告げた通り、闇の刻になる少し前に、私は部屋から出された。
黒いフード付きの長いローブを被せられただけで、会話もなくデュドネが扉の外へ促す。
暗がりに見た扉の外は、格子ガラスの窓の向こうの景色とあまり変わらなかった。
私がいた建物は、高い壁に囲まれた小さな庭の中央に建てられていた。
石の壁の一部分が木戸になっていた。
重そうな木戸が開けられると、強い夜風に吹かれる。
辺りを見回すと、暗い木々の影の遠い向こうに灯りが幾つも見えた。
灯りに縁取られて浮かぶのは大きな建物の影で、きっとあれはお城なのだろう。
お城の方向を見る私の腕を、デュドネが強く引く。
「一応、言っておく。声を上げたところで、どこにも届かない。無駄な体力は使わないことだ」
忠告めいた脅しは低い声で告げられ、腕を掴む力が強められる。
確かに辺りに人の気配は全くなく、見えた灯りは遠い。
そして灯りのある方とは逆へ、深く暗い森の中へと進みだす。
灯りも持たずにデュドネは進む。
暗い足元で、がさがさと枯葉が踏みしだかれる音がした。
ほとんど引きずられる様に、森の奥へ奥へと進む。
足がもつれ何度も躓いたけれど、デュドネは進む速度を緩めなかった。
そんな風にしばらく進んで、デュドネはようやく立ち止まった。
暗闇に慣れた私の目は、木々の切れ間を見上げる。
そこにあったのは、先ほど連れ出された場所と似た、蔦の絡まる石の壁だった。
木戸が内側から開く。
微かな灯りを背にして、オレールがそこにいた。
デュドネは開いた木戸の中へ私を引きずり入る。
壁の内側には、細く絞られた灯りが燈るランタンが幾つか置かれていた。
背後で木戸が閉まると、長々と掴まれていた腕がようやく解放される。
乱暴な進行ですっかりあがった息を整えながら、辺りを見渡す。
高い壁にぐるりと丸く囲まれた更地に、不穏な影を落とす物が目に入る。
それがオレールの言っていた、『カゴ』なのだと気が付いた。
大きな鳥籠のようなそれは、鎖で吊るされている。
黒い鉄格子で作られ半円の屋根を持ち、大人が一人立って入れるほどの大きさで、出入口になるだろう場所の格子は開いていた。
鳥籠の形をした檻がそこにある。
そして、その傍らに立つ人影を見つけて、私はびくりと肩を震わせた。
薄水色の瞳が、こちらを無感情に眺めている。
喉の内側が貼り付くような感覚に襲われ、息苦しさと共に後ずさると、デュドネが背後を塞ぐ。
冷たい声が合図になった。
「入れろ」
そう、薄水色の瞳の男が告げると、背後から黒いローブが唐突に奪われた。
冬の外着としては薄すぎるワンピースの白が薄闇に浮かぶ。
抱え上げられ、足から室内履きが外され裸足にされた。
寒さと恐怖で鳥肌を立てる私を、デュドネは檻の中へ下ろす。
檻の床からの凍えるような冷たさが、全身を強張らせる。
悲鳴さえ出せないうちに扉が閉められた。
「だ、出して!!」
閉じられたそこを両手で揺さぶると、がちゃがちゃと金属の音が響く。
その音とは別の金属音が頭上からして、同時に足元から重い音が上がる。
ぐらりと檻が揺れて、私は冷たい鉄格子を握る。
檻がゆっくりと下降を始めた。
地面であるはずの場所は、檻の大きさにぽっかりと暗い穴を開けている。
鉄格子越しに、三人の男が檻の中の私を見ていた。
オレールは興味深そうに、デュドネは険しい顔つきで、薄水色の瞳の男の表情は変わらなかった。
足元からぬるい風が上がってくる。
檻はもう、半分ほど穴の中へ入っていた。
鉄格子を握る手の中に嫌な汗が浮かぶ。
檻が穴の中へ完全に入り、見上げると丸く穴の入口が見えた。
再び重い音が、今度は頭上から聞こえた。
丸く挿しこんでいた灯りが、音と共に狭められていく。
穴の入口が音を立てて閉じ、檻は完全な暗闇の中を下りる。
目の前の鉄格子さえ見えない闇に、私は檻の中央に座り込む。
膝を抱き、目を閉じた。
目を開いていても、閉じていても何も変わらない視界。
声を出すことさえ怖かった。
どれくらい時間が立ったのかは分からない。
不意に、下降を続けていた檻が動きを止めた。
薄目を開けても、塗りつぶした黒しか目には入ってこない。
再び目を閉じようとした時、まわりの空気がざわざわと動く気がした。
生ぬるかっただけの空気が、じりじりと温度を下げていく。
なにも見えないはずなのに、暗闇の中で鉄格子の隙間から何かが入って来たのが分かった。
「い、嫌だ、嫌だ!! 来ないで!!」
震えた声が反響する。
冷たくてじっとりとした何かが、檻全体を囲い揺さぶる。
裸足の足に、震える指先に、汗ばむ首筋に、冷たく嫌なものが絡み付く。
それを振り払おうと暴れれば、檻が大きく揺れた。
振り払えなかったそれらが、じわりと肌に染み込んでいく。
私はどこにも届かない悲鳴を上げ続けた。




