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三日も過ぎると、テラスに残っていた焦げ跡はすっかり薄れてしまった。
そこを焦がしたのが魔法の炎だったからなのか、テラスのレンガがそういう性質なのかは分からないけれど、あと数日もすれば他と同じ色に戻ってしまうのだろう。
木箱に詰め込まれて火を付けられた私の持ち物は灰になり、砕かれた魔法石と同じように、私には一片の灰を拾うことも許されなかった。
小さな丸テーブルに長方形の盆が載せられる。
盆の上に並んだ料理がすっかり冷えてしまっても、そこに添えられたカトラリーに手を伸ばす気が起きない。
熱を失い香りを失った料理を見るともなく見て、固い椅子に座って時間だけが過ぎる。
少し離れた場所から剣を下げたデュドネの視線を感じた。
四六時中、部屋にはデュドネかオレールがいて私は監視されている。
一人になれる時はトイレや浴室に入る時くらいのものだけど、そのどちらからも鍵が外されているから決して気は休まらない。
天蓋付きのベッドの紗幕は、寝る時にはぐるりとベッドを取り囲むけれど、薄い布は視線も気配も完全に隠すことは出来ない。
広くもない部屋に行き場はなく、私はほとんどの時間を彼等に背を向けベッドに座りガラスの向こうを眺めるしかなかった。
格子ガラスの窓の向こうに見えるのは、レンガ造りのテラス、焦げたレンガ、冬枯れした小さな庭、蔦の絡まる高い壁。
それだけだった。
「ある程度の量は召し上がっていただかなくては」
部屋に入ってきたオレールがテーブルを見下ろした。
それに答える気も起きなくて、私は姿勢も変えずにただ視線だけをオレールに向けた。
「すっかり冷めてしまっていますね。新しい物を用意しますか?」
私は首を横に振る。
似たようなやりとりを食事のたびに繰り返していた。
オレールもさぞかしうんざりしているはずだけど、表にはそれを出さずテーブルの盆を下げる。
三度の食事の内、朝昼の二回は手付かずの盆は下げてもらえる。けれど、夕食だけはそれを許してはもらえない。
オレールの言う、一定の量を飲み込むまで食事の時間は終わらないし、いつもは離れているデュドネが苛々とテーブルに近づいてくるのだ。
そんな状況で積極的な食欲が湧くはずもないけれど、夕食だけは無理矢理に押し込み飲み込むしかない。
きっと美味しく作られている料理の味は、すぐに分からなくなっていた。
「では、食後のお茶を」
片付けられたテーブルに紅茶が置かれる。
「午後からはデュドネが居りませんので」
一応、断る様にそうオレールが告げると、部屋の端からデュドネが近づいてくる。
彼は別に席を外す挨拶をする訳ではない。
じゃらりと耳障りな音を立てるのは、デュドネが手にした鎖だ。
鎖付きの足枷は、もちろん了承を得ることもなく私の右足首にはめられる。
鉄の嫌な冷たさが足首から這い上がるから、私は目の前の熱い紅茶を飲み干した。
オレールだけが部屋に残る場合には、必ずこの足枷と鎖で繋がれることになっていた。
理由は簡単なもので、オレールの腕力では私が暴れた時に対処できないからだ。
そんな用心をしなくても、私には暴れる気力もなかった。
決められた時間に起こされ、決められた量の食事を取らされ、用意された服を身に着け、時には鎖で繋がれる。
こんな状況がいつまで続くのかは教えてくれずに、同じ一日を送らされる。
それがひどく疲れて、私から気力というものがするすると抜け消えてしまった。
空になったティーカップに、オレールが紅茶を注ぐ。
デュドネが無言のまま部屋を出ていく。
オレールは私がほとんど答えないのにもかかわらず、常に白々しい柔らかさで口を開く。
けれど、デュドネは逆に私に話しかけることはなかった。ただ鋭い眼光を向けられるだけだ。
騎士服を着て剣を下げ、ベージュの髪を一筋の乱れもなく後ろに撫でつけたデュドネと目が合う度に私は思い出した。
何の躊躇もなくあの炎を着けた瞳は、炎の色と同じ朱色だからだ。
「退屈でしたら、なにか書物でも用意いたしましょうか? ホルテ語で書かれた物も用意できますよ」
顔を上げるとオレールが微笑んでいた。
私は首を横に振り席を立とうとすると、オレールが口を開く。
「今夜は新月です」
そう言われて、無意識に身がすくんだ。
足元で鎖が鳴る。
薄水色の瞳の男が、告げていたことを思い出す。
男は「新月の夜に」と言っていた。
「それが、なにか?」
かすれた私の声に、オレールは頷く。
「あなたがここに置かれているのは今夜の為です」
何も返さない私にオレールは続ける。
「簡単にお話しておきましょう。いざその時に、騒ぎ立てられても困りますしね」
オレールは私の前からティーカップを片付けた。
そしてゆっくりと口を開く。
まるで、小さな子供に言い聞かせる様な話し方だった。
「今夜は新月です。闇の刻に、あなたには『穴』に下りてもらいます。ああ、心配しなくともあなたは何もしなくていいのですよ」
ふっとオレールの口元は微笑みを作る。
安心させるように優しい口調は続くけれど、オレールのダークグリーンの瞳は固い色だった。
「深い場所まで下りてもらいますが、それは用意したカゴに乗ってもらうので。あなたはただ、そこに入っていてくれればいいのです」
「……なんのためにですか?」
少しも訳が分からない話しを終えたオレールに、私はなぜか震える声で訊ねる。
オレールは柔らかな表情で優しく話していたが、私は彼が話すことに恐怖を感じていた。
なにかとても、嫌な感じがした。
「あなたに魔力を容れて、汲み上げるためにです」
そう言うとオレールは、私の黒い目をじっと見て微笑んだ。




