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 港町の宿を出たのは、すっかり夜が更けてからだった。


 朝の早い港町は暗く冷たく静まり返り、吹き抜ける海風がとても冷たい。

 あの暖かなピスコヌでしばらく過ごしていたからなのか、再び味わう冬の寒さが身に沁みる。


 びゅうと吹きつける夜風から、ラビさんが何度となく庇ってくれるのが地味にありがたい。

 けれどその度に、私はラビさんの顔と姿を見返してしまう。


 視線の先にいるのは見慣れない男性の姿だ。

 もさもさの癖毛の赤毛は綺麗に整えられ、くたびれ気味だった黒いマントはキャラメル色のロングコートに変わり、履き込んで煤けていたブーツは上質な皮の光沢を放つ履物に。

 もちろんコートの下の服も、愛用していただろう使い込んだ黒い皮袋も、真新しい上に上等な物へと変えられていた。

 不精髭もきれいさっぱりと消え去っている。

 髪型と身に着ける物を変えただけで、ラビさんは本当に良家の御子息になった。

 なんだか近寄り難く感じてしまう。


 そんな風に、すっかり身なりを整えて宿に帰ってきたラビさんに、アルトさんはわずかに眉を顰めながらも客人として迎えることを了承したのだった。



 強い海風に煽られながら進むと、見覚えのある建物が現れた。

 石造の建物は、あの日王都に行くのに移動陣を使うために入った建物と同じ造りで、これも同じように青灰色の騎士装束の騎士達が数人、速やかに白騎士の一行を迎え入れる。

 すべて事前にアルトさんが用意を進めてくれていたからだろう、青灰色の騎士達は静かに建物の最奥にある移動陣へ先導する。

 白騎士やアルトさんも、それにクヴェルミクスすらも口を開かずに通路を静かに進む。

 目の前には、すっかり知らぬ人の様な出で立ちになったラビさんの背中がある。

 彼らの一番後ろを歩いている私は、建物の中に入り吹き付ける風から解放された事にほっとしながら足音だけが響く通路を歩く。

 私の後ろにも、青灰色の騎士が一人付いていた。


 青灰色の騎士たちに挟まれて進んだ先には、磨かれた白い石の小部屋がある。

 壁も床も天井も同じ白い石で作られた小部屋には、青灰色の騎士達は入らない。

 白く磨かれた様に光る石の床に描かれた移動陣に、白騎士達が乗っていく。

 最後に私が移動陣に乗るのを見届けて、青灰色の騎士達は一礼し小部屋の扉を閉めた。


 緊張気味に移動陣を見下ろす私の横にアルトさんが立つ。


「大丈夫ですよ。前と同じように、王都ヴィオリラへと念じて目を閉じてくださいね」

「はい」


 肩の力を抜く様に息を吐いて頷くと、足元の移動陣が白く発光しだす。


「緊張しているの? 心配なら僕と手を繋いで――」

「その必要はない」


 クヴェルミクスが伸ばした手をラビさんが阻む。

 アルトさんが二人に眉を顰め、白騎士がなぜか私を睨む。

 私は移動陣の端に寄る。


「大丈夫です。移動陣は、一回は経験してますから」


 そう言ってから、目を閉じる。

 王都ヴィオリラへ。

 それだけを繰り返し念じながら、閉じた目蓋越しに移動陣の白い光が強くなるのを感じる。

 胸に下げた魔法石が、じわりと熱を生む。

 足元がゆらりと揺らぎ、身体全体がその揺らぎに包まれようとしたその瞬間。


 強く腕を引かれた。


 そのまま床に引き倒されて、私は目を見開く。

 目が眩むほど白く発光する移動陣の中に、白騎士とアルトさんとクヴェルミクス、そしてラビさんがいた。

 私は移動陣の外から彼らを見た。移動陣の中の四人がこちらを見る。

 次の瞬間には、強烈な白い光に部屋が包まれた。

 眩しさに目が閉ざされて床にうずくまると、ぐっと身体が宙に浮かぶ。

 慌てて目を開くと、移動陣の光は消え四人の姿はそこには無かった。

 代わりにいたのは、一人の青灰色の騎士だった。


 騎士は無表情で私を自分の肩に担ぎ上げていた。


「なにを、しているんですか?」


 震える私の声に、騎士は答えなかった。

 私の両足を片手で強く捕えたまま、騎士は歩きだし白い小部屋を出る。


「……下ろしてください!! 下ろして!!」


 ほとんど悲鳴に近いその声に、答えてくれる人はいなかった。

 騎士の肩にお腹が強く押されるのが苦しい、どうにかそこから降りようと身を捩り拳で騎士の背中を叩く。

 担ぎ上げた私が暴れることなど物ともせずに、騎士は足早に通路を進む。


「下ろしてよ!! 誰か――!!」


 助けを求めようと張り上げた声を、私は飲み込んだ。

 騎士が進む通路には、青灰色の騎士装束の騎士達が数名倒れていた。

 それは先程、白騎士たちを先導していた騎士たちに間違い無い。

 その光景に私の身体が固まる。


 入ったところとは違う出入り口から、建物の外へ出た騎士は暗がりへと進む。

 木立の陰に馬が繋がれているのが見えた。

 騎士は無言のまま、片手で馬の背から大きな荷袋を取り出す。

 それを見て、私は再び抵抗を始めた。


「誰か!!」


 強い海風に、私の精一杯の大声がかき消される。

 騎士の一文字に結ばれた唇から、言葉が出ることはなかった。

 広げた荷袋に無造作に詰め込まれる、まるで本当に荷物の様に。

 袋の中で必死にもがく私の頭上で、荷袋の口が狭められる。


「嫌だ!! ここから出して!!」


 荷袋の口から何かが放り込まれる。

 暗闇に微かに光ったのは、あの粉だった。

 頭上から降り注ぐ大量の粉にむせる前に、私の意識はぷつりと途絶えた。






 霞む視界に白が映った。

 それは白い布生地だった。

 大量の白い布生地はよく見てみると、白ばかりと思っていた生地は、極々薄いブルーやピンク、グリーンにイエローなど仄かに色づいた何種類もの布が混在している。無地のものもあるけれど、レースの生地のように透けた模様のあるものもある。

 どの布生地も、薄く柔らかそうだった。


「お目覚めですか?」


 真上を向いていた私の横から、穏やかな声が掛かる。

 びくりと声の方向を見れば、鈍く重い痛みに頭が揺さぶられた。


「あぁ、頭痛ですか。ラヴァンソニを使い過ぎてしまったようですからね」


 痛みに、一旦は閉じてしまった目を細く開く。

 そこには、静かにこちらを見て立つ人がいた。


「あなたは……」

「覚えて頂けていましたか?」

「図書館の……」

「ええ」


 頷いたその人は、お城の図書館の司書さんに間違いない。

 思慮深そうなダークグリーンの瞳に、茶色の髪を後ろで一つに結んだ生真面目な顔の作りには、しっかりと見覚えがある。

 クヴェルミクスが借りっぱなしにしていた本を返しに言った時に話したきりで、その後に特に会話をする機会はなかったけれど、図書館に行くたびに見かけてはいた人だ。


 ぐらぐらと痛む頭を持ち上げる。


「どうして? ここはお城ですか?」


 治まらない頭痛に顔を顰めながら、ゆっくりと身体を起こしてみる。

 私がいるのは天蓋付きのベッドの上だった。

 一番最初に目に入った布生地は、ベッドを囲う為の幕だったようだ。今はベッドの四つの支柱に纏められている。

 辺りを見回せばガランとした部屋に置いてあるものは、今いる天蓋付きのベッドだけ。

 ラベンダー色に塗られた壁は、所々が色褪せ剥がれている。床は板張りでも絨毯敷きでもなく、平な石が敷き詰められたものだった。

 そして、部屋には一つだけしか窓がなかった。

 天井に届くほどの高さの格子窓はそこから外に出れるのだろう、窓ガラスの向こうはレンガ造りのテラスになっている。

 薄い陽の光が差し込んでいた。

 外は明るく、どうやら今は日中のようだ。


 痛む頭で記憶をたどる。

 光る移動陣から強引に出され、有無を言わさず袋に詰め込まれたのは真夜中の出来事だった。

 ここは、どこなんだろう。

 すぐ傍に立つ人は白騎士の城に居た人だ。

 それなら、ここはお城のどこかなのだろうか?

 変な粉で眠らされているうちに、助けて貰えて城に戻ってきているのかもしれない。

 ……そうであって欲しい。


「お城はお城ですけど、あなたの知っているお城ではないんですよ」


 司書の言葉に、鼓動が速くなってくる。

 嫌な汗が身体を伝う。


「あの、ここはどこですか? 私は、どうしてここに連れて――」

「お話はまた後にしましょう」


 私の震える問いかけを制止すると、司書は部屋の入口を向く。

 扉が開かれ、無言で部屋に入ってきた二人を見て私は声を失う。

 

 部屋に入ってきた二人の男を、私は知っていた。


 凍えそうなほど冷たい薄水色の瞳に、ブルーグレイの髪の男。

 その後ろに付き従うのは、青灰色の騎士だった男だ。

 今はあの青灰色の騎士装束とは違う騎士服に身を包み、腰に剣を下げている。


「思いのほか早く見つかったな。やはり、あまり賢くはないようだな」


 薄水色の瞳の男が口を開く。

 私を見る視線に温度はなく、感情の読み取れない口調に答えたのは司書だった。

 

「シュテファンジグベルト殿が直々に動かれましたからね」


 知った名前に、思わず司書を見てしまう。

 明らかにうろたえる私の様子など、部屋の誰も気に留めてはいなかった。

 薄水色の瞳の男は、置物でも眺める様に私を見る。


「間違いないな」

「ええ。間違いなく、異界の者ですね」


 司書が男にそう答えるのを聞いて、身がすくむ。


「奇妙なものだな。魔力を欠片も持たずに生きているとは」

「それは、世界が違いますからね」


 そう言われて、ようやく違和感に気が付く。

 いつも下げていた、あの魔法石の感触が見当たらないことに。

 服の上から抑えた胸元に、魔法石の堅い手触りが返ってこない。


「これか?」


 男が片手に吊るしたのは、ソニアが私の為に作ってくれた緑の魔法石だった。

 ゆらりと魔法石が揺れる。


「返してください!!」


 声を張り上げベッドから下り立つと、今まで静かに控えていた騎士がずいと前に出る。

 男を守るように。私を牽制するように。


 男は私を気にする様子もなく、切れ長の瞳で魔法石と私を見た。


「これで周囲の目を謀っていたか」

「そうでしょうね。それに、姿を変える魔法を合わせて掛けていたのでしょう。常時、瞳はこのように緑でしたし、この魔法石から零れた魔力を身に纏っていましたからね」


 司書の説明に男は頷くと、その手から床へと魔法石を落した。

 かちんと固い音がして、石の床に魔法石が落ちる。


「石はもう必要ないな。……砕け」


 男の言葉に、騎士が剣を抜いた。


「なにを……、やめて!!」


 私が手を伸ばす前に、魔法石は騎士の剣に砕かれた。

 砕かれた魔法石が床に散らばり、静かに緑の光を失っていく。


 悔しさと怒りで男を睨めば、刺すように見返された。

 私の目を見て男が言う。


「その魔法も、必要ないな」


 そう言われるが早いか、うなじにチリチリと痛みが走る。

 魔法が解かれていく。

 司書が私を見て、息を吐いた。


「本当に、黒い瞳ですね。文献にあった通りの」


 興味深そうに私を眺める司書に、男は淡々と告げる。


「次の新月には行う。準備を進めろ」


 畏まりました。と司書は頷き、それを見とめると男は踵を返す。

 男は一人で部屋を出ていく。

 扉がいやに重い音を立てて閉ざされた。


 私は足元に散らばった、緑の欠片を見下ろす。

 淡く光っていた緑の魔法石は散り散りにされ、曇った緑の小石に成り果てていた。

 もうそれが役を成さないことは分かっていたけれど、私は石を拾い集めようと床に膝をつき手を伸ばす。


 でも、私はそれを一欠けらも拾うことを許されなかった。


 私の二の腕をきつく掴むと、部屋に残っていた騎士は私を引き立てる。


「オレール」

「はいはい、片付けておきますよ。浴室の準備は出来ていますから」


 司書の返事を聞いて、騎士は私を引きずるようにして浴室へ放り込んだ。

 ほんわりとした湯気の気配に、自分がずっと震えていたことに気が付いた。


「ど、どいてください。石を拾わせて下さい」


 立ち塞がる騎士を見上げた私の声も震えていた。

 騎士は首を横に振ると、部屋の奥を指差す。


「身支度をしろ」


 低い声でそう言われても、私はそれに従わずに騎士の背後にある扉を見る。

 きっとこのままでは、石は片付けられ捨てられてしまう。

 動かない私に騎士は眉を寄せた。

 そして、剣を抜いた。


「湯に入り、身支度を」


 私の喉元に剣を突きつけ、騎士は再び低い声で言う。


「……嫌です。石を拾わせてください」


 騎士の眉間の皺が深くなり、剣がカチャリと鳴った。

 


「何を揉めているんですか?」


 扉を開けて、浴室の状態を見た司書が呆れた声を出した。

 動かない私と騎士の剣を交互に見てから、司書はため息交じりに言う。


「私たちも、なるべくなら手荒なことはしたくありません。一先ず湯に入り、着替えていただけますか?」


 答えない私に、司書は首を振る。


「それとも、無理にでもお手伝いをした方がよろしいですかね? 生憎、ここにメイドを呼ぶことは出来ないので、私とデュドネがお手伝いすることになりますが」


 唇を噛み、私は一歩後ろへ下がった。

 漂う湯気の甘い香りを、ひどく場違いに感じる。

 騎士が剣を仕舞い、司書がなだめる様に口を開く。


「身支度が済んだら、あなたの質問に答えましょう」

「本当に?」


 疑わしそうに司書を見ると、彼は深く頷いた。

 騎士は険しい眼差しで、私を見ていた。



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