44
「――そうでしたか。城下で怪我をして困っていたユズコを、助けていただいていたんですね。ピスコヌでは、そこの魔法使いが少々強引なことをしてしまった所為で、貴方の本来の行き先アライスへの船にも乗り過ごさせてしまうことになったのは、大変に申し訳なかったですね。幸いにもこの港町からもアライスへの船は出ていますから、すぐに乗船券を手配いたしますよ」
アルトさんは丁寧な口調で一気にそう話すと、ラビさんによそゆきの笑顔を向ける。
ラビさんは黙って目の前に置かれていたお茶をゆっくりと飲んだ。
部屋には、なんとも言えない張りつめた空気に満ちている。
アルトさんが用意した別の場所は港町にある宿屋の一室で、恐らくこの宿で一番広くて高い部屋だろう。
寝室と居間を分けた二間もある部屋だけど、大人五人が滞在するには少々手狭に感じる。
居間部分に用意されていた応接セットに椅子を足して、窮屈さを感じながら全員でテーブルを囲んだ。
テーブルを挟んで並んだ二人掛けの一つにラビさんが一人で座り、その向かいの二人掛けにアルトさんと白騎士。追加された二脚の一人掛けには、クヴェルミクスと私が座っている。
テーブルの上には、宿が用意してくれた温かいジィジィ茶が並ぶ。
王都に戻る為にはこの港町に在る移動陣を使うそうで、なるべく人目を避けて戻りたいということもあって、移動陣を使うのは夜更けになるそうだ。
それまでの時間は、この部屋で大人しく過ごすことになるのだけれど……。
カップを静かに置くと、ラビさんは口を開いた。
「いや、アライス行きの乗船券は結構だ」
ひく。と、アルトさんの眉がほんのわずかに歪む。
「ラビさん、でも、船に乗せたままの幌馬車の荷物が……」
ラビさんは大切な積み荷をそっくり丸ごと、アライス行きの帆船に残して私を探しに来てくれていた。
ピスコヌで商談を重ね回り、集めた荷箱のことを考えると心が重くなる。
私を見てラビさんが微笑む。
「心配しなくていい。アライスの港には、うちから迎えが来ている。俺が居なくとも、荷は引き受けてもらえるだろう」
「でも……」
ラビさんは心配ないと首を振ると、自分の前に並んで座るアルトさんと白騎士、それから斜め前方向にやや気だるそうに座るクヴェルミクスを順に見た。
「それよりも、城に戻るのは危険ではないのか? ユズコを狙う者に居場所が知られてるのなら、俺とアライスに行った方が安全だと――」
「その必要は無いでしょう。城からユズコが去ったことも知れているのなら、返って城に戻る方が安心でしょうし、私たちもこれまで以上に気を配るつもりですからね」
ラビさんの言葉を遮り、アルトさんがやや強い語気でそう言う。
フッ。とラビさんが微かな笑みを零す。
「どうだかな。有名人が三人も傍に居たのに、ユズコを護れなかったようだが?」
「なんだと?」
白騎士が不愉快そうに顔を顰める。
久しぶりに聞く声は、壮絶な苛立ちを含んでいた。
「ホルテンズの第四皇子にして白騎士団団長とその幕僚の緑の騎士、それに国で一番の魔法使い。こんな物々しい面子が揃っていながらも、ユズコは攫われかけているんだろ?」
「ラビさん? どうして知って?」
まだ話していなかったアルトさんたちの素性を、すらすらとラビさんは言い当てた。
「人の顔を覚えるのは得意なんでね。パレードで、こちらの皆様方のお顔は拝見済みだからな」
白騎士は鼻を鳴らすと、不機嫌そうにラビさんから視線を逸らす。
アルトさんは表情こそは大きく変えていないけれど、もう柔らかな口調は使わなかった。
「では、貴方ならユズコを守る自信があると?」
「そのつもりだ」
「つもりがあるだけでは困りますね。ヤシュム殿には、ユズコの黒い瞳を隠す術がないのでは? それとも、アライスで口の堅い魔法使いでもお雇いになるのですか? 私としては、ユズコの存在をこれ以上広めることは危ういと思うんですがね」
アルトさんがそう言うのを聞いて、私は視線をテーブルに落とす。
ラビさんが口を開く前に、のんびりとしたクヴェルミクスの声がその場に割って入ってくる。
「ユズコは? ひとまずはお城に戻りたいよね?」
「え? 私、ですか?」
薄笑いを湛えて、クヴェルミクスは私に尋ねた。
そして私の返事を待たずに、切り札のごとく次の台詞を口にした。
「そ。だって、ソニアヴィニベルナーラが西の端から城に向かっているよ」
その一言に、私は立ち上がっていた。
「ソニアが!?」
「うん。君のこと、すごく心配していたからさ。一旦、城に戻る様にしてあげたんだ。僕が」
得意気ににんまりと笑うクヴェルミクスに、アルトさんがため息をつく。
「そうですね。既に、城に着いているかもしれません」
アルトさんがそう言うならば、きっと本当にお城でソニアに会えるのだろう。
私はラビさんを見る。
「ラビさん、ごめんなさい。私、お城に戻らないと。戻って、ソニアに会いたい」
こうしてラビさんまでも巻き込んでしまっているのに、私はソニアに会いたかった。
会って、私の勝手な逃亡を、精一杯に謝りたかった。
「ソニアっていうのは、ユズコと森で暮らしていた女魔法使いか?」
ラビさんは私の勝手な言い分にも気を悪くした風もなく、優しく訊ねてくれる。
頷く私を見て、ラビさんも頷いた。
「それなら、俺も一緒に城に行かせて貰おう」
ラビさんの言葉に、クヴェルミクスが『あーあ』と言って肩をすくめた。
白騎士の眉間の皺は深くなり、ラビさんの笑顔はすっかり張り付いたものになっている。
歓迎されていない空気にも、ラビさんは構わなかった。
「秘密を知る護衛は多い方がいいだろう?」
そう不敵に笑えば、アルトさんは首を横に振る。
「遠慮したいところですね」
「魔法も剣も、そこそこには使えるからな。邪魔にはならないはずだ。それに……」
ラビさんは、クヴェルミクスを見る。嫌なものを見る目つきで。
「それに、その魔法使いを野放しにしているようでは、ユズコの身が心配だ」
そう言われれば、私の頬がジワジワと熱くなる。
船室での一件を思い出すと、身が縮こまるような恥ずかしさが訪れた。
当のクヴェルミクスは涼しい顔でいるけれど、アルトさんと白騎士が魔法使いを睨む。
「いや、僕だけではないよ、危険人物は。ねぇ?」
クヴェルミクスはアルトさんを見て言うが、アルトさんはそれを無視する。
「折角のお申し出ですが、お断りします」
礼儀正しくアルトさんがそうラビさんに告げる。
ラビさんは口の端を上げてアルトさんを見返した。
「あんたが決めるのか?」
ラビさんは、眉を顰めたアルトさんから白騎士に視線を移す。
不機嫌そうな白騎士は、ラビさんをじっと睨むと口を開いた。
「構わん」
「シュテフ!?」
「俺の従者が世話になった。その礼はしよう。暫らく客人として城に滞在させてやる」
いつもどおりの尊大な態度でそう言うと、白騎士は立ち上がった。
「アライスのヤシュム家の嫡男ならば、城で客人扱いしてもおかしくは無いだろう」
そう言い捨てると、白騎士はその場を離れてしまう。
アルトさんは大きく息を吐いて白騎士の背中を見送ると、ラビさんに向き直った。
「……それならば、そのように見えるよう努めていただきましょう。その髭に、髪に、着る物をらしく改めていただかなくては、とてもヤシュム家の御子息には見えませんからね」
どうやらラビさんのお家、ヤシュム家は有名な良家のようだ。
もさもさの癖毛の赤毛に、常在している不精髭。
着古した黒いマントや簡素な衣服からは、私はそれを察することは出来なかった。
そもそも商人という風貌でもない。
どちらかというと、流しの傭兵とかならしっくりと納得できそうな風貌なのだ。
流しの傭兵なるものを私は見たことは無いけれど。
遠慮無く言うアルトさんに、ラビさんはニヤリと笑みを返す。
「ふん。お安い御用だ」
アルトさんが大きくため息をつくと、クヴェルミクスは楽しそうに呟いた。
「フフフ。面倒くさくなりそうだねぇ」
アルトさんはクヴェルミクスを一睨みすると、渋くなってしまっていた顔を和らげて私を見た。
私は無意識に、膝の上で手を握ってしまう。
「ユズコ……。あの夜のことは、もう気に病まなくていいんですよ。居なくなったことには驚きましたけど、私はそれを責めるつもりはありません。元を正せばクヴェルミクスが余計なことをした上に、シュテフの不注意が招いた事態でもあります。ですから、城に戻ったらまた前の様に過ごしてくださいね」
優しくそう言って、アルトさんは微笑んだ。
そんなふうにされると、考え無しに逃げ出した自分の愚かさが身に染みる。
彼らの事を信じきれなくて起こした私の行動は、口で謝るくらいでは足りないだろう。
それでも私は、優しい瞳を向けてくれたアルトさんに謝らずにいられなかった。
「……アルトさん……ごめんなさい」
アルトさんは、ゆるゆると首を振って私の謝罪を受け取ってくれる。
「さぁ、城に戻る準備をしましょう。ユズコのその服では、城でパメラに見つかってしまうと只では済まなそうですからね。用意してきた服を着てください」
アルトさんから着替え一式を受け取ると、私はそれに着替えるべく浴室に入った。
気まずく停滞していた部屋の空気が、少しは動き始めたように感じる。
ラビさんとアルトさんは、微妙な視線を交わしては逸らしているけれど。
クヴェルミクスはそんな二人を見ながら、薄笑いを深めているけれど。
白騎士に至っては、席にすらいないけれど。
……白騎士は。
彼だけは、私に対して怒っているようだった。
港で出迎えてもらってから、白騎士だけは私に声もかけず目も合わせてこないままだ。
それは当然の反応だ。
それが当然の反応なのだ。
彼は、彼等は、私の恩知らずな行為を怒っていいのだから。
私を直接に攻めもしない白騎士に、怒りの深さを知らされているような気がした。
甘味程度でその怒りをすり替えようと考えていた自分に呆れ、じわりと胸に苦い物が広がる。
顔を上げると、洗面台に備え付けられた四角い鏡に自分が映った。
緑の目に浮かんできた涙を、ぐいぐいと袖で拭きとる。
手にしていた着替えの包を開けて、私は着替えを始める。
久しぶりに袖を通す少年従者の装いは、柔らかくて、なんだか落ち着かなかった。
身支度を終えて部屋に戻ると大の男が三人居たはずの応接セットに人影は無く、ほとんど手を付けられないまま冷めてしまったジィジィ茶のカップだけが残されていた。
あれ? と不思議に思いながら、人気の無くなってしまった部屋をぐるりと見回した私の視線がびくりと急停止する。
誰もいないと思わせるほど静かな部屋の窓辺に、白騎士が静かに佇んでいたからだ。
私に背を向ける形で、白騎士は窓の外を眺めている。
白騎士の方はきっと私にすぐに気が付いていたのだろう、くるりと振り返ると真っ直ぐにこちらを見据えた。
思わず身構えた私に、白騎士は何も言わずにただその明るいブルーの瞳を向ける。
そこには不愉快も苛立ちも、怒りも見つけられなくて、私はただぼんやりと白騎士を見つめた。
どれくらいそうしていたのか分からないけれど、沈黙と見つめ合いに耐えきれなくなった私が口を開く。
「……あ、あの? 皆さんは?」
「外へ出た」
素気なくそう言い、白騎士はまた窓の外を向いてしまった。
私が着替えている間にアルトさんは移動陣を使う手配をしに、ラビさんは身支度を整えに、クヴェルミクスは帆船に預けたままの荷物を引き取りに、それぞれ町へと出て行ったそうだ。
「シュテェファンジグベルト様、勝手な行動をして申し訳ありませんでした」
私は白騎士の背中に向かって頭を下げる。
カツ。と、靴を鳴らして白騎士が私の目の前に立った。
顔を上げると同時に、白騎士は私の右手を取り上げる。
「城に戻ったら、剣を教えてやる。こんな細く頼りない手だから、逃げるようなことしか出来なかったのだろう。剣を持て。それから、この世界のことをもっと学べ」
つかまれた右手に力が込められる。
白騎士は怒っていた。
「もう逃げるな。ここで暮らす術を少しでも多く身に着け、しっかりと立ち向かえるようになれ。それが出来なければ、お前はまたいつか逃げなくてはならなくなる」
込み上げてくるものを必死に押し止めて、私は頷いた。
何度も何度も頷いた。
悲しくて嬉しくて、寂しかった。
白騎士は私よりずっと、きちんと考えてくれていた。
掴んでいた私の手を放すと、白騎士は二人掛けへと腰を下ろした。
テーブルの上の冷めたジィジィ茶を見回してから口を開く。
「茶を用意しろ」
私は白騎士に久しぶりにお茶を淹れる。
ここはお城でもないし、お茶も紅茶には程遠いジィジィ茶だけど。
白騎士の前にカップを置くと、それがなんだかとても懐かしく、安心した気持ちになっていた。
そして、お茶のお供にと差し出した黒蜜ケーキは白騎士のお眼鏡に適ったようで、私は早々に二杯目のお茶をカップへ注ぐ。
ふと、白騎士の視線が、黒蜜ケーキから私へと移動した。
「お前、その首はどうした?」
「え? 首ですか?」
ポットを片手に私は首を傾げた。
首にはきちんとスカーフを巻いているから、魔法の跡はきちんと隠せているはずだった。
「虫にでも刺されたのか? この季節に間抜けなことを……。宿に薬があるだろう。貰っておけ」
「え? わかりました」
私の返事を聞くと、白騎士は注いだばかりのお茶を飲み、次の黒蜜ケーキを手に取った。
このペースでいけば、三杯目のお茶も必要そうだ。
お代わりのお茶を用意するために、私は宿の受付へ向かうことにした。
白騎士に言われた、虫刺されの薬も貰ってこよう。
ピスコヌは暖かかったから、蚊のような物がいたのかもしれないなぁと、スカーフから出ている首筋を触る。
触った感じには、腫れも痒みもない。
部屋を出る前に何気なく鏡を覗いてみる。
確かに、耳の少し下の首筋に赤いところがあった。けど、……これは、虫刺されじゃない!!
にやりと笑う、クヴェルミクスの顔が浮かぶ。
白騎士は、この真相に気が付いていないようだけど、ラビさんはとっくに気づいているだろうし、そういえばアルトさんは港で言っていた気がする。
もう一度、その赤い部分を確認してから、スカーフをいつもより上の位置まで引っ張り上げる。
本当に、あの魔法使いは碌なことをしない。




