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 長袖シャツのボタンを、クヴェルミクスが外していく。

 ピスコヌの気候が暖かかったおかげで、草色のケープの下は木綿のシャツと下着だけで十分だった。

 それが仇になっている。

 三つ目のボタンが外された。

 いくら薄暗い船室でも、ボタンが外され開かれたシャツの間からは簡素だけど間違いなく女物の下着が見えているはずだ。

 四つ目のボタンを外して、それをしっかりと確認したクヴェルミクスは、ボタンを外す手を止める。


「随分とあっさりしたものを着けているんだねぇ。今度、僕がアルトフロヴァルに代わって見繕ってあげるからね。控え目な寸法だからこそ、かえって装飾の多い仕立の物がいいと思うよ。ここはね」


 クヴェルミクスの視線の先は、言うまでもなく私の胸部に止められている。

 別に好きで地味な下着を選んでいる訳ではないし、好きで控えめな寸法に甘んじている訳ではない。


「余計なお世話です。悪ふざけはこのくらいにして、紐をほどいてください」


 信じられない事に、クヴェルミクスは自分の髪を結っていた髪紐で私の両手首を縛っていた。

 物理的に抵抗する為の手立てを塞がれた私は、自由になる口であえて冷めた物言いを心がける。

 髪紐を失った銀の髪が、さらりと落ちて私を囲っていた。

 見上げる二色の瞳に宿った火に気が付かないようにしなければ、状況はますます深刻になるに違いない。


「うーん。戯れにしている訳じゃないんだけどなぁ。僕としては、かなり真剣なんだよ」

「なにを言っているんですか」

「だから、オキニイリだって言ったでしょう。君のこと。君がその気になれば、僕がずっと守ってあげるし、大切にしてあげるよ」

「それって、どういう……」

「僕は君が好きなんだよね」


 取り立てて表情も変えず、私の上に跨ったままクヴェルミクスは言う。

 魔法使いが言ったことを理解するのに、私は少しの時間を要した。


 好き? 僕は、君が、好き?


 言われたことを反芻しながら上を見れば、クヴェルミクスは私を見下ろしにこりと微笑む。


「……やめてください!! 初めて告白されるのが、こんな状況って、あり得ませんから。こんなの、求めていません!!」


 繰り返し首を横に振る。

 あり得ない。こんな告白は、あり得ない。

 押し倒されて、のしかかられて、あまつさえ両腕を縛られた上で、好きだと告白されるなんて、あり得ない。

 しかも、私の色々と簡素な胸元を大胆に披露させられたまま行われるとは、夢にも思わなかった。

 告白ってもっとこう状況を大切にした上で、恥じらいを伴いながら意を決してするものなのではないの?


「僕に好かれるのが不満なの?」


 心底不思議そうに、クヴェルミクスは首を傾げた。

 私は特大のため息をつく。


「ファーストキスもセカンドキスも散々だったのに、初めてされる告白も、こんなだなんて……」


 思わずそう零せば、クヴェルミクスの表情が少し変わる。

 意地悪そうに口の端が上がるのを見て、失言に気が付く。


「初めての告白? それは光栄だなぁ。ところでキスというのは? ……口付けのこと?」

「そう、ですけど……」

「ふぅん。なかなか興味深い話だなぁ。ぜひとも聞かせてよ」

「いえ、話すほどのことでは――」

「話してくれるよね?」


 今のこの状況で、クヴェルミクスにだんまりを決め込めるはずもなく、私は渋々と口を割る。

 泥酔した白騎士とのテラスでの出来事と、病み上がりにラビさんからされたことを。

 改めて話すと、頬が熱くなる。


「シュテファン殿に、あの赤い男か。迂闊だったなぁ。赤い男はともかく、シュテファン殿がねぇ」


 相変わらず私の上に居るままで、話を聞き終えたクヴェルミクスがブツブツと呟く。

 なんだかそれが怖くて、そんなつもりは無いのに白騎士とラビさんを庇ってしまう。


「いえ! すごく酔ってらしたんで、あれは、ほとんど事故みたいなもので……。ラビさんの時も、たぶんからかい半分です」


 私の言葉にクヴェルミクスは一瞬、顔を顰める。

 けれどすぐに、にたりと笑顔を浮かべた。


「それなら、意図してしてみようか」

「え?」

「だから、僕は君のことが好きだからするよ。口付けをね」


 突拍子もない発言に、私は再び首を横に何度も振る。


「な! だめです!!」

「大丈夫。口付けは久し振りだけど、ちゃんと上手だからね」

「そういうことじゃ――っっ!!」


 聞いているようで、全く私の話を聞かずにクヴェルミクスが私の唇を塞ぐ。

 ひやりと冷たい温度が伝わってくる。

 私に見えるのは、唇を重ねても閉じられずにこちらを見つめる二色の瞳だけだった。


 信じられない位に近くで見るクヴェルミクスの瞳が、優しくこちらを見ている。

 クヴェルミクスのこんなに優しい眼差しを見たのは初めてだった。


 お互いに視線を交わしたまま、唇は重なり続ける。


 ちろりとクヴェルミクスの舌先が、私の唇を舐めた。

『上手だからね』と、言いきっていたクヴェルミクスの動きに私は身構える。


 つつつと、クヴェルミクスの舌が艶めかしく動き、視界の端で火花が散った。 




 赤い火花がバチバチと物騒な音を立てて弾けた。

 船室の扉に付いていた、簡単な作りのかんぬき状の鍵が粉々に弾け飛ぶ。

 金属と木片が、バラバラと床に落ちた。


 船室の扉が開けられて、現れた人影の名を私は呼ぼうとした。

 けれど、それは阻まれる。

 扉がこじ開けられたというのに、私の上のクヴェルミクスは動じもせず、唇も離さないままでいた。


 船室の頼りない灯りに照らされる赤毛の癖毛。

 私が横目で見るそこに立つ人は、ラビさんだった。


 大股に近づいてきたラビさんが、ベッドの手前まで来たところで唐突に立ち止まった。

 ラビさんの進行を阻む様に、パリパリと音を立てて紫色の火花が散る。

 驚いて視線をクヴェルミクスに戻すと、そこにはいつもと同じ美しい二色の瞳が意地悪そうにいた。

 優しかった眼差しは、跡形もなく消え去っている。

 

 クヴェルミクスの下から逃れようと身体をよじると、ただ重なっていた唇の角度が変わる。

 滑り込んできたクヴェルミクスの舌が、私の口の中で暴挙を働く。

 くぐもった私の悲鳴が、船室に微かに響く。


 傍らで、バチンと一際大きな音を立てて火花が散る。

 ラビさんが空間に拳を下ろしていた。

 見えない壁に阻まれたラビさんの拳に、紫の火花が纏わりつきチリチリと光っては消える。

 クヴェルミクスはそれを全く意に介さないし、無断侵入を止める気配もない。


「それは、同意の上か?」


 忌々しそうな低音に、私は目を見開く。

 違う!! と、早急に否定するべきの私の口はクヴェルミクスに食べられていて用をなしてくれない。

 同意の上では無い。そんな訳ないと思う。どう見ても。

 手、手を見てください。縛られていますよ。

 これで同意の上ということになれば、なんだか私に変わった性癖があるみたいだ。


 紫の火花の向こうのラビさんに、必死で違うと目で訴えてみる。

 

 不意にギクリとラビさんが立ちすくみ、拳を下ろす。

 火花が消えた船室で、ラビさんが私を驚いたように見ていた。


 あぁ、知られてしまった。


 薄暗い部屋だからすぐには気が付かなかったのだろうけど、これだけ近くに寄れば気が付いて当然だ。


「ユズコ? その目は一体?」


 ラビさんの口調から、戸惑いがありありと伝わってくる。

 身体から力が抜けてしまう。

 なぜかこのタイミングで、クヴェルミクスがようやく私の上から退く。


「まったく、無粋なことをするおじさまだねぇ。ただいま、愛の告白に伴う行為の導入部分なんだけど」


 私を呆然と見ていたラビさんが、険しい顔でクヴェルミクスを睨む。

 もちろんクヴェルミクスは怯まない。

 薄笑いすら浮かべている。


「あぁ。しかも、見られちゃったね。ユズコの本当の目を」


 それをなぜか愉しげにそう言うと、クヴェルミクスは私を抱き起こし、手首の紐をするりと解く。


「黒い瞳……。そうか、それを隠していたのか」


 私は俯いた。

 ラビさんの表情を見ることが怖かったのだ。


「……話してくれないか?」


 深く落ち着いた低い声に、私はそろりと顔を上げる。

 ラビさんは、私の黒い目をしっかりと見返していた。

 私のすぐ横で、面倒そうにクヴェルミクスが息を吐く。


「仕方ないなぁ」


 クヴェルミクスがそう言うのが合図になったのか、ラビさんは前へ踏み込む。

 火花はもう現れなかった。

 ベッドの傍らに立ったラビさんの深紅の瞳を見上げる。


「ラビさん……。その……、黙っていてごめんなさい」

「いや、それはいい。話してくれるんだろう?」


 私は横にいるクヴェルミクスをちらりと見てから頷く。

 クヴェルミクスは何も言わなかった。


「その前に……」

「?」


 ラビさんがベッドの前で膝を付き屈む。

 すっと伸ばされた大きな手が、私の胸元へ伸びた。

 信じられない事にそれを忘れていた私は、顔が急激に熱くなるのを感じる。

 クヴェルミクスに外されたままだったボタンを、ラビさんが下から順に留めていく。


「じ、自分で、出来ますから!!」


 私の訴えは無駄に部屋に響き、ラビさんはボタンをきっちりと一番上まで留めた。

 それを眺めていたクヴェルミクスが、ふふんと嫌な笑い方をする。


「気に入らないなぁ」

「クヴェルミクス様!」

「保護者気取りなのかな? 自分は好事には無関心だとでも言いたげな素振りだよね」


 じっとりとした目付きでラビさんを見るクヴェルミクスに、ラビさんは顔を顰める。


「好事に無関心? そんなつもりはない。好いた女の肌を、晒したままでいる様なことはしたくないんでね」


 年長者の余裕なのか、クヴェルミクスの嫌な物言いにもラビさんは声を荒げたりはしなった。

 これが白騎士だったら即、怒鳴るだろうし、アルトさんだったら……。

 あれ? 今、ラビさんが言ったことって、私のこと?


「え?」


 呆然とラビさんを見上げる横で、クヴェルミクスがつまらなそうな声を出す。


「ふーん」

「え? ラビさん?」


 聞き返す私に、ラビさんがふっと目元を緩めた。


「返事を急がせるつもりはないから、伝えなかったがな。国に連れて帰りたかったのは、そう言う訳もあってだ」


 ラビさんはいたって真面目で、からかわれている様子は無い。

 それでは、つまり、ラビさんは……。

 ラビさんが好いている女と言ったのは私のことで、ラビさんは私が好きということなのだ。


「困った顔をするな。どうやらユズコは、色恋沙汰どころじゃないんだろ? 今は、それでも構わない」


 私の眉間には、それはそれは深い皺が寄せられていたのだろう。

 ラビさんの指がその皺を解こうと、こしこしと眉間を擦る。

 その手を少々乱暴にクヴェルミクスが剥がす。


「君は、だいぶ面倒なのを連れて来たね。このおじさまをアルトフロヴァルに見せるのは、さすがに僕も気が引けるよ」


 そう言ってクヴェルミクスは、心底面倒くさそうにラビさんを眺めた。






 ラビさんに話をすっかりし終わっても、窓の外は暗かった。

 私の抱える事情なんて、話してしまうのにさほど時間はかからない。

 それを信じて聞いてくれるのなら尚更だ。


「話だけでは信じがたいが、その瞳の色に魔力を放たない身体を前にしてはな……」


 ラビさんは私をじっと見る。

 魔法石を外してみせた私の身体からは、僅かな魔力も見つけることが出来ないだろう。


「だからそれを、肌身離さず身に着けていたんだな」


 私の傍らに置かれた緑の魔法石に視線を移したラビさんが、納得したように何度か頷く。

 その様子に、クヴェルミクスが口を開く。


「ん? なんで、肌身離さずって知っているのかな? この石は服の一番下が定位置なのにね」


 そう言われて、少し気まずそうにラビさんが視線を彷徨わせる。

 私は温泉での一件をたちまち思い出して、頬が熱くなる。


「それは、いろいろあったんですよ」

「いろいろってなに?」


 心なしか声がうわずる私に、クヴェルミクスの追及が続くがそれは無視することにした。


「う……。と、とにかく、そう言う訳でホルテンズのお城でお世話になっていたんですけど、連れて行かれそうになって怖くて逃げてしまったんです。それで、あてもなくお城を出たところをラビさんが拾ってくれたんです」

「そうだったのか」

「ラビさんねぇ……。随分と親しげな呼び方だね」


 じっとりとした視線が傍らのクヴェルミクスから向けられている。

 広いベッドにの中央には私、その左右にはクヴェルミクスとラビさん。

 二人は私を挟んで、お互いを気に入らないという視線の遣り取りを活発に交わしている。

 こんな調子で、あと何時間もこの船室に居なくてはいけないのは大変に気詰まりだけど仕方無い。

 遠慮無くため息をつくと、ラビさんが動く。

 がさりと音を立てて紙袋が膝の上に置かれる。

 ラビさんが取り出したのは、無くしていたと思っていたあのケーキの袋だった。




 ラビさんが拾ってくれて、無事に手元に戻ってきた黒蜜ケーキを頬張る。

 控え目だけど深い甘味が、ほろほろと口の中で崩れる。

 ケーキは想像どおりに優しい味で、ジィジィ茶との相性も良かった。

 ラビさんは温かいお茶まで用意してくれた。

 早々に一つ目を食べてしまい、袋の中の二つ目に手を伸ばす。

 その様子をじっと見られるものだから、手に取った黒蜜ケーキを見せる。


「あの? まだありますよ。食べますか?」


 既に一つづつ食べ終わっている左右に勧めてみると、気の無い返事が返ってくる。

 左からは『粗野な味だから、一つ食べれば十分だよ』と素っ気なく言われ、右からは『甘いものはそんなに食べないからな』とやんわりと返される。

 どうやら二人とも、黒蜜ケーキはあまりお気に召さないようだ。

 黒砂糖の独特のコクが馴染まないのかもしれない。

 白騎士なら、きっと喜んで食べるだろうな。

 なにしろ甘いというだけで、彼の中で受け入れられるはずだから。

 まだ袋に沢山の残るケーキを見下ろす。

 これを献上して、少しは白騎士の怒りは和らげることは出来るだろうか?

 可能性はありそうだ。

 私はケーキの残りに、手を着けないことを決める。

 でも、アルトさんは……。

 

 そう思うと、ホルテンズ王国に向かう船の揺れを憂鬱に感じてしまう。

 

 きちんと謝ろう。

 アルトさんにも、白騎士にも、クヴェルミクスにも。

 それに叶うなら、ソニアにも会って謝りたい。


 ごくりと片手に持ったお茶を飲み込み、ケーキを食べる。

 すっかり冷めてしまったケーキからは、あの芳ばしい香りが潜んでしまったけれど、口の中には優しい甘さが一杯に広がった。






 さすがに私も、一睡も出来ずに朝を迎えた。

 それなりに眠くはなるものの、左右の存在が気になり過ぎて目を閉じることは出来なかったのだ。

 夜が明けて、白々とした光で船室が明るくなっても、いまいち実感できない。

 涼しい顔で居る左右の二人が、私のことを好きだと言ってくれたことが。

 両隣りをちらりちらりと覗き見ては、自分の頬をつねりたくなる。

 なぜ? 

 この件に関してはその単語しか浮かばないし、当事者を横に据えてどうやったら深く考えることが出来るのだろう。それも二人も。


 静かに混乱する私を、ラビさんもクヴェルミクスも微笑んで見守ってくれている。

 なんだかそれすら少し怖く感じてしまう。



 帆船がホルテンズ王国の港に錨を下ろした頃には、私はすっかり疲れきっていた。

 特に何かをした訳ではないのに。


 けれど、その疲れはすぐに吹き飛ぶことになる。

 港で私を出迎えた人影に、私の身体はたちまちすくんでしまった。

 そこには、騎士服ではなく平服に身に着けた青年が二人。

 予定外の出迎えだったのだろう、横からクヴェルミクスが少し驚いた様子を見せる。


「あれ? お出迎えの予定は無かったはずなのになぁ」

「あなたに任せるのは心配でしてね」


 アルトさんはにっこりとほほ笑んでいた。

 白騎士は、予想どおりな不機嫌な表情だ。


 そんなにたくさんの時間が立っている訳ではないのに、すごく久しぶりに会ったような気がする。

 謝ろうと決めていたのに、二人を前にして声が出なかった。


「お帰りなさいユズコ」


 アルトさんにそう言われて、胸が苦しくなる。


「ごめんなさい……」


 港の雑踏にかき消されてしまいそうなほどの小さい声しか出てこない。

 それでも、私の謝罪を二人は拾ってくれた。


「さぁ、ここではなんですからね。場所を移しましょう」


 労わる様に優しく言ってくれるアルトさんに、私は心からホッとした。


「聞きたいことは山ほどありますからね。その首筋の跡とか、お隣の赤い方のお話とか、ゆっくりと聞かせてくださいね」


 アルトさんは極上の微笑みなのに、その蜂蜜色の瞳は微塵も笑っていなかった。



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