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南の島国、ピスコヌ王国。
四方を海に囲まれたピスコヌ王国は温暖な土地で、冬に当たる季節にも一片の雪すら舞わず、凍える様な日もないという。
たった一日船で移動するだけで、それだけ気候の違う地域に着くというのに驚く。
ラビさんの話では、ピスコヌを取り囲む海流や風の影響でそうなっているらしい。
ホルテンズ王国では真冬の装いが必要な気候だったけれど、船を下りる頃にはコートはおろかセーターも不要だと言われたのには少し困った。
そんな暖かい地域で、私のこのフードは人目を引かないかが心配になる。
手持ちの中でも、比較的薄手の上着を出してみる。
フード付きのケープは草色の生地の一枚仕立てで、森にいた時には肌寒い夏の日や秋口に着ていたものだ。
生地が薄いので真冬には着ないと思ってはいたけれど、いちおう荷物に入れておいたのが良かった。
荷袋の底で小さく畳まれていたケープを出したついでに、詰め込んでいた荷物を整理してみる。
が、たった一つきりの荷袋の整理にはさほど時間も掛からず、すぐに手持無沙汰になってしまう。
夕食はすでに済ませてしまい、船には浴室が無いから今夜は入浴はお預けだ。
日没後の甲板には出られないので、無駄に船内をうろつく訳にもいかず、この船室に居るしかない。
船室の灯りは低い天井に小さな灯りがお飾り程度に一つ燈っているきりなので、部屋は何をするにも暗いだろうけど、その薄暗さが私にはありがたかった。
すでに日は沈んでいる。
つまり、私の目は今、黒色なのだ。
寒くもない部屋で不自然にコートを着込むことも出来ず、代わりの裾長のカーディガンのフードを被れるだけ深く被るしかない。
それに加えて、なるべくラビさんとの距離を確保したい。
その為にベッドから離れた床で荷物の整理などをしてみたけれど、さして時間稼ぎにはならなかった。
「終わったのか?」
動きの止まった私に、ラビさんの声が掛かる。
先程から落ち着きなく荷袋の中身を出したり仕舞ったりしていた私とは違い、ラビさんは何をするでもなくベッドの上で寛いでいる。
テーブルも椅子もない部屋では、そこが居場所になるのは予想できた。
大きな船なので揺れは激しいものではないけれど、やっぱり海上を進む船の床は緩やかに上下し時折左右に振れる。
揺れる固い床を居場所にする気はラビさんもないだろうし、私もそれは遠慮したい。
そうなると、必然的にベッドの上が寛ぎ休む場所になるのは当然だろう。
ちなみに毛皮の敷物は船倉の幌馬車の中に残してきてしまっているため、どちらかが床で休むという選択肢は提案できない。
いつまでも床の上にいるのも不自然なので、躊躇いながらも靴を脱ぎ、ベッドの柵に手を掛ける。
いちおうラビさんは広いベッドの片側半分よりはみ出していないから、空いているもう半分側の端の方へともそもそと座る。
見た目は質素なベッドだけれど、予想以上に柔らかめな詰め物がたくさん入っているようで、沈み込む様な感触は悪くない。
身体的な居心地はよいのに、それに反する様に心理的な居心地の悪さを感じてしまうのが残念だ。
面積としては大人二人は楽に休める広さのベッドだし、お互いが端を使えば、距離感的には今までの宿でベッドを並べて休んでいたのと変わらないはずだ。
なのに、ベッドに切れ目がないということ、一続きになっているということで、妙な緊張感を覚えてしまう。
「どうかしたか? 船酔いか?」
どうにも寛げない様子の私に、ラビさんがきしりとベッドを軋ませる。
私は慌てて首を横に振ると、ベッドの足もとに置いていた自分のコートとラビさんの黒いマントを手にした。
「いいえ、大丈夫です。ラビさんのマント、借りますね」
ラビさんの返事を待たずに、私はコートとマントを使って白い一続きのシーツをおよそ半分に分断する。
ものすごく頼りないけれど、明確な線引きがベッドの上に出来上がる。
「……それは?」
「境界線です。この区切りから、半分づつを平等に使いましょう」
私の暗に、『ここから先に入ってこないで』宣言に、ラビさんは口元を綻ばせる。
「なるほどな」
余裕気にそう言うと、ラビさんはマントとコートが作る境界線ギリギリへと移動してくる。
「これを越えなければいいんだろう?」
「う……、まあ、そうですね」
渋々了承しながら、私はベッドの柵ギリギリへ移った。
一応の仕切りがあることに、気持ちはやや楽になった気がする。
ラビさんが自分の黒い革袋を開く。
「まだ、寝るには早いな。ユズコも飲むといい。隣国間の交友を深めないか?」
黒い革袋から陶器のボトルが取り出される。
続けて小振りな木製のカップを二つ取り出すと、その一つをラビさんはこちらに差し出した。
「……お酒はあまり得意ではないので、遠慮します」
首を横に振った私に、ラビさんは微笑む。
そして、黒い革袋から、かさりと音を立てて紙包みが取り出された。
「港で買った焼栗もある」
「……」
「この焼栗は珍しいものでな、栗の中に蜜が入っている」
「……。少しだけ、お付き合いします」
陶器のボトルの中に入っていたのは、ホットワインだった。
木製のカップから、湯気とシナモンの香りが上ってくる。
初めて飲むホットワインは甘くてスパイスの香りも楽しく、思いの外に飲みやすい物だった。
カップを傾ける私を見るともなく、簡易境界線の向こうでラビさんが焼栗を剥きだす。
パキリと音を立てて栗が剥かれた。
渡された栗の実は、私の知っている焼き栗と一見変わらないように見える。
それほど大きくない実なので、丸ごと一粒を口に入れた。
噛みしめた途端、栗の実の中からトロリと甘い蜜が零れる。
口の中で、カラメルの味に似た蜜がじんわりと栗の実を包む。
蜜と栗の絶妙な加減は絶品な味になり、私はその美味しさに少し震えた。
しかもこの蜜入りの栗、ホットワインにすごく合う。
渡されるままに、栗を食べワインを飲む。
二杯目のホットワインを注いでくれたラビさんの表情は満足そうだった。
その顔を見て、居住いを正す。すっかり食べ物で籠絡されていた。
なんとも言えない気まずさを誤魔化すために、私は口を開く。
「そういえば、ピスコヌに着いてから、私は何をしたらいいですか?」
「あぁ、詳しい話をしていなかったな」
ラビさんは栗を剥く手を止めると、ホットワインを飲んだ。
「運んできた荷をピスコヌで売る。ユズコはその時に、言葉の取り次ぎをしてくれ。俺は、ピスコヌの言葉は片言程度しか分からなくてな。で、今の荷を売り終えたら、次は仕入れをする。その時にも頼むな」
幌馬車に積みこまれていた沢山の木箱を思い返して、私は頷く。
なんとなくそんな気はしていたけど、ラビさんは貿易の様なことを仕事にしているようだ。
旅慣れた様子にも納得がいった。
「それが、ラビさんのお仕事なんですか?」
「そうだな。今は、国を巡って荷の売り買いをしている」
「ずっと、旅をしているんですか?」
「いや、直接荷を運ぶのは年に数回だな。あとは国の中で仕事をしている」
「……そうなんですか」
それを聞いて、勝手に落胆してしまう。
ラビさんがずっと旅をしている訳ではないのかと知ると、この先の自分の身の振り方をなるべく早く考えなくてはならなそうだ。
「今回はピスコヌで荷を仕入れた後は、それを持って国に、……アライスに戻ることになるな」
「アライスに……」
ぼんやり呟いた私に、ラビさんは笑った。
「一緒に行くだろ?」
「え?」
予想外な台詞に私は間抜けな声で返事をしてしまい、ラビさんは眉をわずかに寄せた。
「行くあてがあるのか?」
少し考えてから、私は首を横に振る。
「それは……。迷惑になりませんか? ラビさんの国に戻るのなら、言葉にも困りませんよね。その……、私の特技は、意味無いですよね。私、役に立たないですよ……」
「構わない」
包み込まれるような低音でそう言って貰うと、何故だか顔が熱くなってくる。
ワインが回ってきたのかもしれない。
上手く返事が出来ずに黙っている私に、ラビさんは同じように優しく言った。
「決めるのは、ピスコヌでの仕事が終わってからでいい」
私は頷いた。
ラビさんは再び栗の皮を剥き始める。
私は、こくりこくりと温かいワインを続けて飲み込む。
船は大らかに揺れて、夜の海を進んだ。




