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 きっと昨夜はたくさん汗をかいたのだろう。

 いつもより、数段にお風呂が気持ちいい。

 浴槽の中で身体を伸ばせば、気抜けしたため息がタイルに響く。

 浴室付の部屋は、きっといつもの部屋より随分と高いはずだ。

 ラビさんは私が熱を出したから、この部屋を取ってくれたのかもしれないと思うと申し訳ない気持ちになる。


 髪も身体も洗ってしまい湯に浸かると、するつもりはなくても頭の中で考え事が開始してしまう。


 とりあえず、目の色は今は緑だったけど、きっと昨夜は黒かったはずで。

 合わせ鏡にしてみた首の後ろは、まだ一目で分かるほどの呪文の痕が残っていた。

 それを踏まえて思い返してみるラビさんの様子は、ちょっとおかしいところはあったけれど、目の色にも呪文の痕にも気付いているとは思えない。

 呪文の痕はともかく、目の色に気が付かれていれば、それを追及されないなんてあり得ないと思う。 


 昨夜のことを自力で思い出せたらいいのに。

 いったいどんな経緯で……口移し、などという手段が使われたのかが気になり過ぎる。

 いや、でも、あのラビさんの口ぶりでは、知らない方がいいような気もするし。

 ましてや、ラビさんに聞くのは恥ずかし過ぎる。

 大体、ラビさんもおかしい。

 百歩譲って発熱時の投薬としての行為なら、甘んじて受けますし感謝もするけれど、さっきのアレは意味不明だ。

 なんで、いきなりあんなことを?

 思い出して顔が熱くなってくる。改めて思い返せば、とんでもないことをされた。


 逃げ込む様に、浴槽に頭の先まで沈んでみる。

 顔がお湯より熱くなっているのは、気の所為ではないようだ。

 ラビさんくらい大人で相手に不自由していないのなら、キスやらなんやらにとりたてて深い意味も感慨も無いのだと思うけど。

 狭い浴槽の中に沈みながら身を捩る。

 なにしろこちらはてんで素人で初心者だから、こんなふうに悶えてしまうのは仕方ない。


 小さく空気の泡を吐きながら、ふと思い出してしまう。

 金色の髪の青い瞳の白騎士のことを。

 もう会うこともないのだけど、私のファーストキスの相手は王子様だったんだなぁ。

 まぁ、白騎士自身はそれを微塵も覚えていないだろうけど。

 あの時のことを鮮明に思い出して、さらに頬が熱くなる。

 ラビさんも大概強引だったけど、白騎士はそれに輪を掛けて強引で傲慢な行為だったな。

 ……舌とか入れてきたし。

 いやでも、ラビさんも優しげな体を装って、いきなり必要性も無いのに口移しで果実水とか飲ませてくるし……。


 私はキスというものに、とことん巡り合わせが悪いようだ。


 ざぶりとお湯の中から顔を出して大きく息を吸う。

 ぶるぶると頭を振って、白騎士のアレもラビさんのソレも振り払うように雫を散らす。

 この先もしばらく一緒に行動するラビさんに、いちいち赤面していては私の精神が持たない。

 白騎士の時と同じように、もろもろ無かった事にしよう。


 ……熊。

 そうだ、熊だ。

 私は熱を出したところを、気の良い熊に介抱して貰ったんだ。

 で、熊にぺろりとされた。熊にとっては、軽い挨拶程度の行為に違いない。

 そう思い込むことに決めた途端、浴室の扉がノックされた。

 驚いた私の身体がびくりと跳ねて、浴槽のお湯が大きく揺れる。


「戻ったぞ。のぼせてないか?」


 扉越しに聞こえてきた低音に、心拍数が上がりだす。


「は、はい! 大丈夫です。もう出ますから」

「慌てなくていい。ゆっくり入って構わない」


 そうは言われても、部屋にラビさんがいる状態でのんびりお風呂に浸かる気にも慣れない。

 びしょ濡れの髪をおざなりにタオルで拭うと、今更と思われるだろうけど、フードを深々と被って浴室を出た。


「そんなに急いで出なくても良かったんだがな」


 ラビさんは部屋の中央のテーブルに、町で買ってきたと思われる品物を並べていた。


「ほら、そこに座れ。腹、減っているだろう?」


 ラビさんは紙袋から、大きくて丸い艶のある白い果実を幾つも取り出した。

 既にテーブルの上には、まだほんのりと温かそうなキツネ色のパンと、銀色の筒型の蓋付き容器に入った熱々の黄色いスープが並んでいる。


「食べれそうか?」

「はい。美味しそうですね」


 昨日は夕食を食べ損ねているから、美味しそうなパンとスープを前に空腹を自覚する。


「そうか。なら、冷めないうちに食べるといい」


 テーブルに着いた私に、ラビさんは木匙を差し出してくれる。

 ありがたくそれを受け取りスープを食べようとした矢先、するりと被っていたフードが外される。

 木匙の進行をひとまず止めて、私はうんざりとラビさんを見上げた。


「なにを、するんですか?」


 咎めるような私の声にも目付きにも、ラビさんはもちろん動じることは無く、逆に首を傾げられる。


「隠すような物は無いと思うが? 俺は、ユズコの顔を見ていたいんだが?」


 まじまじと顔を眺められての発言に、私はうろたえ早々に視線を逸らす。


「な、な、なにを、言っているのか、よく分からないんですけど」


 少し乱暴にスープをかき混ぜる。

 本当に、ラビさんの言っていることの意味が分からない。

 昨日まで、そんな素振りも見せなかったのに、なぜ急に顔を見たいとか言い出すのだろうか。


「言葉そのままの意味だ。隠すな。顔を見たい」


 繰り返し言うラビさんに、私は遠慮がちにも首を横に振る。

 やっぱり行動を共にしている相手が、四六時中フードを深々と被って陰気な様子でいるのに耐えられなくなってきたのだろうか?

 私も視界を狭めるフードにはうんざりしているけれど、いつ戻るか知れない目の色を隠す為にはフードを外す訳にはいかない。


「私は、見せたくないんですけど」


 小さな声でそう告げて、外されたフードを素っ気なく被り直す。

 やや気まずげな沈黙の後、ラビさんはため息混じりに口を開いた。


「なら無理強いはしないが……。――これは、駄目だ」

「え?」


 少し呆れたように、ラビさんは再びフードを外した。

 そして、私の頭にポンと手を置く。


「こんな濡れた髪のままで、また熱を出すつもりか?」

「……そんなつもりは無いですけど」


 確かに私の髪は入浴直後とは言え、濡れ過ぎている。

 いつもならもう少しまともに拭くのだけど、今日は少し慌てていた。

 水気にひんやりと冷えた髪をラビさんはひと撫ですると、乾いたタオルを手にして私の背後に立つ。


「ほら、前を向いてろ」

「い、いいですよ。自分でやりますから」


 背後に回られるのは落ち着かない。

 スカーフは巻いているけれど、首の後ろを見られたらと心配してしまう。

 ラビさんは有無を言わさぬ手早さで乾いたタオルで髪をわしゃわしゃと拭くと、すぐに湿ってしまったタオルを乾いたものに持ち替え、次はゆっくりと髪の水気を押さえて取るようにしていく。


「スープが冷めるぞ。温かいうちに食べたらどうだ?」


 髪を拭かれながら食事なんて。と、思ったけれど。

 せっかくの温かい食事を冷ましてしまうのも勿体なくて、そろそろと木匙を口へ運びだす。

 背後ではラビさんが黙々と髪を拭いてくれている中、スープの美味しさに、私の意識は徐々にテーブルの上に移ってしまう。

 黄色いスープの中には、厚切りの南瓜と鮭がゴロゴロ入っている。

 さすが熊さん。……もとい、ラビさんの選んだスープだ。

 キツネ色のパンは中に薄くチーズが練り込まれて焼かれていて、これもとても美味しい。


 熊さんセレクトのブランチを楽しみだした私の様子に、ラビさんが髪を拭いてくれながらクツクツと笑った。


「子供みたいに、旨そうに食べるな」


 そう言われて少しむっとしたけれど、食事の手は止めないことにした。


「……。ラビさんは、食べないんですか?」


 テーブルの上には、ラビさんの分の食事は並んでいなかった。

 白い果実はゴロゴロと二人分以上あるようだけれど。


「俺は、後で適当に食べる。気にするな。――こんなところか」


 髪を拭いていた手を止めると、ラビさんは私の向かいへ座った。

 しっかりと水気を取り去られた髪の上に、私は再びフードを深く被せる。


「ありがとうございました」


 フードを被った私に、小さなため息を落して、ラビさんはテーブルに転がした白い果実を一つ取り上げた。


「食べるか?」


 見たことのない白い果実。

 そもそも果実なのかも定かではないけれど、それを示されて私は曖昧に頷く。

 ラビさんは小振りなナイフを取り出す。見覚えのないそれは、調理用のキッチンナイフだった。


「私がやりましょうか?」


 スープとパンを残さず食べ終えていた私は、空いた手を差し出す。

 ラビさんは、まだ幾つかの切り傷が残る私の指先を見てから首を横に振った。


「……いや。いい」


 確かにナイフを使うのは得意ではないけれど、それはこの前のナイフが大きすぎたからで、目の前の小振りなキッチンナイフなら人並みに使うことが出来る。

 多分。


 キッチンナイフを使って、ラビさんは白い果実を切り分け始めた。

 艶のある白い皮がむかれると、中からは濃いピンク色の実が現れた。

 それと同時に部屋には、甘くて爽やかな香りが充満する。

 ……あ、この香り。

 覚えのある香りは、いつか貰って食べた飴と同じ物だった。

 たぶんこれが、パンプルムス。


 厚ぼったい皮を取り除かれて、瑞々しい果肉が次々に切り分けられていく。

 ラビさんは、ふるふると揺れる三日月形になった濃いピンクの果実を摘まみ上げると私に差し出す。

 受け取ろうと伸ばした私の手を完全に無視して、ラビさんの手は私の口先に果実を届きにきた。


「自分で食べられますから」


 唇ギリギリに寄せられていた果実をラビさんから取り去った。

 私はすっかり元気で、ラビさんから手ずから食べさせて貰う必要はないのに、おかしなことをする。


 摘まんだ果実を口に含むと、やっぱりパンプルムスの味がした。

 控えめな甘さの果汁が心地よく広がる。

 せっせとパンプルムスを食べる私を見ながら、ラビさんは二つ目を剥きだした。


「食べたら少し休むといい」

「え? でも、出発しなくていいんですか?」


 二つ目のパンプルムスを切り分けながらラビさんは頷いた。


「熱が下がったのが、明け方近かったからな。もう少し身体を休めろ。無理をして急ぐ必要もないからな」


 お風呂に入ってお腹が満たされた私は、ラビさんの言葉を聞いて少し眠たくなってくる。

 なんて正直な身体なんだ。

 二台並んだベッドとラビさんをちらりと見比べると、ラビさんは小さく笑った。


「俺が部屋にいると落ち着かないか?」

「そんなことは……、ない、ですよ」


 本音を言えば、もちろん落ち着けない。落ち着けるはずもない。

 ついさっきの、あの不可解な行為に、それに押されて忘れかけていたけど、温泉での一件もつい先日のことだ。

 もう、いろいろ恥ずかしいし気になるに決まっているけど、それを正直に言えるわけがない。


 なるべくラビさんを意識しないようにベッドに向かう。

 テーブルに着いたままのラビさんが、何の気なしも無さそうな声を掛けてくる。


「添い寝は?」

「……必要ありません」


 振り返りもせずにそう素っ気なく答えると、ラビさんが椅子から立ち上がった。


「横になる前に、足を見ておくか」


 そう言われて、私は自分の左足を見る。


「もう大丈夫みたいです。痛みも腫れも、ありませんから」

「それでもいちおう確認しておく。これで大丈夫なら、もう固定も薬水も必要ないだろう」


 ラビさんにそう促されて、私はベッドへと腰を下ろす。

 私の前に片膝を着いたラビさんは、いつものように私の左足を手に取った。

 数日腫れた足首も、私の目にはすっかり元通りに戻っているように映る。


「痛みは?」


 腫れていた辺りを軽く押しながら、ラビさんが口を開く。

 痛みは全く感じず、ただ優しく押されている感触があるだけだ。


「ありません」

「そうか……。もう、大丈夫そうだな」

「はい。ありがとうございました」


 立ち上がったラビさんが、大きな掌でフード越しに頭を撫でていく。

 私がベッドに入ると、ラビさんは暫らくしてから浴室へと入ったようだ。

 漏れ聞こえてくる水音を聞いている中に、私は何時の間にか眠っていた。





 翌朝、すっかり体調が整った私を乗せて幌馬車は町を発った。

 次の目的地は近く、半日ほど馬を走らせると次の町が見えてくる。

 町の向こう側には、広大な藍色が広がっていた。


 地図の南端のピスコヌへ向かう為に、私とラビさんはここから船に乗り海を渡らなければならない。

 移動陣を使えば瞬きの間に海を渡りピスコヌへ行くことも出来るそうだけれど、移動陣を使用して国を超えるのには煩雑な手続きとかなりの枚数の金貨が必要になるそうで、航路を使うのが常なのだそうだ。

 船旅なんて元の世界でも経験の無いことだから少し不安だったけど、どうやら船での移動は一日程でピスコヌに着けると聞いて安心した。


 町に入ると、小さいながらも港町らしく通りは活気がある。

 行き来する馬車の数も人通りも多く、今までの町の様にこちらを珍しそうにする視線も皆無だ。


 幌馬車は真っ直ぐに港に向かった。

 港に入ると、大きな帆船が目に入る。

 白い大きな帆を張った帆船の船倉に幌馬車を入れ、ここまで馬車を引いてきた焦げ茶の馬は港の馬屋に戻す。

 馬は元々ラビさんの物ではなく、馬屋から借りていたそうだ。


 馬を返し、そのまま帆船へと乗り込むことになった。



「次の船でもよかったんだが、丁度良く空きがあったからな」


 そう言うラビさんの後に着いて、私は帆船の中をきょろきょろと見回しながら歩く。

 出向前の船の外側は慌ただしさを増していたけれど、船に入ってしまうと中は何とも静かなものだった。

 ひと一人通れるほどの幅しかない通路を通り、客室に向かう。

 白い壁に等間隔に並ぶ木の扉には、金属で作られた数字が部屋番号として打ち付けられていた。


「この部屋だ」


 ラビさんが扉の鍵を開ける。


 荷を運ぶことを主とするこの帆船に客室は少なく、部屋は簡素なものしかないそうだ。

 一晩過ごすだけの場所なので、海上の宿に多くを望んではいなかったけれど、部屋に入り私は首を傾げる。


「ここに、二人で、ですか?」


 細長い部屋には余計なものは何も無い。

 余計なものどころか、テーブルも椅子も無かった。

 部屋の突き当たりに小さな丸い窓があり、その下に無造作にベッドと思われるものが置いてある。

 大きなベッドは人が二、三人は寝転がれそうな幅広さだ。

 白いシーツが張られているだけで、上掛けや毛布、枕の類は無く、ベッドの周りにはぐるりと柵が作り付けられている。


「そうだ。少し手狭だが、もうこの部屋しか空いてなくてな。明日の日暮れ前にはピスコヌに着く」


 平然とそう言うラビさんに、私もひとまずは平静を装って頷く。


 狭くはないけれど広くもない部屋。

 あるのはベッドだけ。


 何の仕切りもないこの部屋でラビさんと一晩。と、思うと頭がぐるぐるしてくる。


 ぐらりと大きく床が揺れた。

 どうやら船は出発してしまったようだ。



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