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 ふわっと目蓋を持ちあげると、薄暗く霞む視界に木の天井が映った。

 剥きだしの板張りの天井に見覚えはなく、ぼんやりとそれを見つめているうちにゆるゆると目が覚めてくる。

 天井から下げられた灯りは消えていて、辺りは薄暗い。

 横たわった身体は、妙に軽くてすっきりとしている気がした。


 自分を包みこんでいる寝具にも覚えは無い。

 首だけ横に倒してみれば、木戸の閉められた窓枠からぼんやりと光が漏れている。

 外はもう、日が昇っているのだろう。

 自分の体温で心地好く温まった布団に擦り寄り、目を細める。

 このまま目を閉じれば、また眠れてしまいそうだ。

 やっぱり、お布団はいいなぁ。

 幌馬車の毛皮の敷物に毛布という組み合わせも、少しごわつくけど悪いわけではない。けど、やっぱり、ベッドにお布団の組み合わせが一番よく眠れる。

 ……お布団? どうして、布団に寝ているのだろう? あれ?

 確か、幌馬車で町に向かう途中だったはずで。

 身体が重くて痛むから、風邪を引いたような気がしていたはずだけど。

 身体はすっかり軽い。むしろ、いつもより爽快な気がする。


 閉じかけていた目をしっかりと開ける。

 あれ? 私は、今どこで寝ているんだろう?

 改めて見た木戸の閉まる窓も、消えた灯りが下がる木の天井も、身体を包むクリーム色の寝具も、見覚えがない。

 くるりと寝がえりを打って、反対側を見てみる。


 赤い。


 赤くてもさもさしたものが、視界一杯に飛び込んできて息を飲んだ。

 私の鼻先で、穏やかに上下する赤毛の癖毛。

 それがなんなのか理解するのに、さして時間は掛からなかった。


「ラ、ラ、ラビ、さん?」


 震える声で尋ねてみれば、赤毛がもさりと動いた。

 同時に自分の腰の辺りで温かい重さが動く。

 そろりと視線を下ろせば、なぜか腰をラビさんにしっかりと抱きかかえられた状態が寝具の中に見えた。


「……ラ、ラビ、ラビさん!!」


 なんで!? 同じベッドにラビさんが!? そして、なぜ、腕が回されているのか? 私の腰に!!


 一体これがどういう状況なのか欠片も理解できず、動悸と目眩がしてくる。

 速やかに距離を取ろうと試みるも、予想以上に強く回された腕から抜け出せず起き上がれもしない。

 私が一人ジタバタしているうちに、ラビさんがようやく起きたようだ。

 すぐ傍で大きな欠伸の後に、はふりと吐かれた息が首元に掛かって、私はさらに混乱を極める。

 近い! 近過ぎる!!


「起きたのか?」


 私の混乱具合とは真逆な、平坦で冷静なラビさんの声に、より一層と困惑させられる。


「あの、あの、こ、これは、いったいどういう状況なんでしょうか?」


 精一杯の距離を取ろうとする私を、ラビさんはいとも簡単に引き寄せた。

 ぐいと引き寄せられて、額に張り付いた髪をラビさんの手が掻き分ける。

 反射的に逃れようと背中が反るのを、ラビさんは片腕で封じると、自分の額を私の額へ合わせた。


「熱は下がったか?」


 お互いの額を合わせた、あり得ない至近距離から目を覗かれて、私は一時凍りつく。

 王都を旅立ってから初めてまともに見た深紅の瞳に、ようやく大事な事に気が付いた。


「あぁっっ!! フード!! フードがっ!!」


 叫ぶと同時に、私の叫び声に怯んだラビさんの腕の中から逃亡し、ベッドから転げ落ちた。

 お尻から床に落ちれば、冷えた木の床の感触が直接的に伝わってくる。

 座り込む自分を見下ろすと、あり得ないほどの軽装でいることに今さら気が付く。

 連日連夜、慎重に被り続けていたフードどころか、まともに服を着ていなかった。


「え? 無い? え? ええっっ!! 服! 服が!」


 上下の下着に薄いシャツ一枚っきりの姿で、床にぺたりと座り込んだまま激しく動揺していると、ばふりと布団に包まれて持ち上げられる。

 クリーム色の上掛けで私をぐるんと包むと、ラビさんは私をベッドへと戻した。

 隣のベッドに出来た、衣類の小山が目に入る。

 きちんと整えられた寝具の上に、無造作に私の服とラビさんの服が投げ置かれていた。

 そこに味気ない無地の白いスカーフを見つけて、私はぎくりと身体を強張らせる。

 

 ラビさんの様子から、目の色は大丈夫なのだろうとは思う。

 けれど、首の後ろに残る魔法の後は、髪に隠れているとはいえ、なんの拍子に見咎められてしまうかわからない。


 上掛けを掻き合わせて、出来るだけ身体を覆うようにする。

 そんな私の様子を見たラビさんは、穏やかに微笑んでいた。


「大丈夫みたいだな」

「大丈夫じゃありません!! なんでこんなことに……」


 平然とするラビさんに、まだ動悸がおさまらない私の口調は荒くなる。

 ラビさんは肩をすくめる様にしてみせると、私が載るベッドへと腰を下ろした。

 再び接近したラビさんに、警戒する様にベッドの端に寄り距離を取ってしまう。


「覚えてないか。無理もないな、ひどい熱だったからな」

「……熱、ですか?」

「だいぶ高熱だったが、薬があったからな。どうにかなった」


 ベッド脇の小机に、見慣れない紫色の瓶が置かれていた。

 多分あれが、ラビさんの言う薬だろう。

 どうやら私は高熱に意識を失って、ラビさんに看病して貰っていたということだろうか?

 確かに、熱の高い状態で、あんなに衣服を着こんだままでは、そのまま寝かせることは出来なかったのだろう。

 それで、やむを得ず脱がされたのは仕方ない。

 ラビさんだって、したくてした訳ではないのだから、非難するのは見当違いもいいところだろう。

 それどころかきっと、多大な迷惑を掛けてしまったに違いない。

 なにしろ、私は昨日の昼過ぎからの記憶がすっぽりと抜けてしまっているのだ。

 私はおずおずと頭を下げる。


「それは……、ありがとうございました」

「薬を飲ませるのが大変だった」


 責めるような口振りではなく、どこか楽しげに言うラビさんに、私は再び頭を下げる。

 意識の無い病人の世話は、きっと大変だったと思う。

 しかも熱を出したのは、完全に自業自得な経緯からだ。


「ご迷惑をおかけしまし――、なに? なにするんですか!」


 不意に、ラビさんが私が頭から隠れている上掛けをずらした。

 布団から頭が出てしまい、私は慌てて上掛けを強く掴む。


「隠す必要はないだろう。何に脅えているんだ?」


 優しく問われて、私は唇を噛んだ。

 それに答えることは出来ずに静かに首を横に振ると、ラビさんの手が私の頬を挟む。

 大きな掌で包まれる様に顔を固定されると、もう首は否を発せられない。

 深紅の瞳がじっとこちらを見つめる。

 深く澄んだ赤に、なんだか居た堪れなくなって無理矢理に視線を逸らした。


「……近い。近すぎますよ」

「ん?」

「少し、離れてください」


 ラビさんの手が頬から離れて、私はほっと息を吐いた。

 無理矢理に話題を変えようと、私は口を開く。

 喋っていないと、必要以上に早く打っている鼓動が聞こえてしまいそうな気がした。


「看病していただいたのは、分かりました。でも、なんで、同じベッドに……、その、寝ていたんですか?」


 視線をラビさんから逸らしたままそう尋ねる。

 きっと熱が下がるまで、寝ずの看病だったのかもしれない。

 けど、添い寝する必要性は無いはずだ。

 それとも、こちらの世界では、病人には添い寝をする習慣でもあるのだろうか。

 たぶん、無いと思うけど。


「聞きたいか? 理由を」


 ラビさんは目を細めて、口の端を上げた。

 お世辞にも良い笑顔とは言えないそれを見て、私の背筋を何か冷たいものがそそっと通り抜ける。


「……いえ、あまり聞きたくない気がしてきました」

「そうか?」


 なぜか残念そうな顔つきのラビさんを見て、私はそれ以上の追及を取り止めることにした。

 知らない方がいいこともある。

 気を取り直して、隣のベッドを見る。

 そろそろ身支度を整えたいところだ。

 この軽装では、布団を巻き付けているとはいえ、心もとない感じがし過ぎている。


「あの、ラビさん。私、とりあえず服を着たいので……、その……、ちょっと外していただけると……」


 遠慮がちにそう言えば、ラビさんはあっさりと立ち上がった。


「あぁ、それなら俺は少し町に出てくる。部屋に風呂があるから使ったらどうだ?」


 ラビさんは、部屋の端の扉を指した。

 どうやらそこに浴室があるらしい。

 お風呂のことを言われると、思わず腰が浮いてしまった。

 きっと発熱で汗も沢山掻いた気がするから、お湯でさっぱりと流してしまいたい。


 私が浴室の扉を見てそわそわする横で、ラビさんは脱ぎ散らかしていた自分の服を拾い身支度を整えた。

 もともと厚着をしていないからか、あっという間にいつも通りのラビさんの姿に戻っていく。後は、黒いマントを着ければ完成だ。

 隣のベッドに残された服は、私の物だけになった。


 身支度を終わらせたラビさんが、小机の上の水差しを指した。


「喉は乾いていないか? 果実水、飲むか?」


 そう聞かれると急に喉の渇きを覚えて、私は素直に頷いた。


「飲みます」


 ラビさんは小机の上から水差しとカップを手に取る。

 注がれる果実水は透明だけど、ふんわりと甘い果実の香りが届く。

 カップを受け取ろうと、上掛けの隙間から手を伸ばす。

 ラビさんはこちらを見てから、カップを私にはくれずに、おもむろにその中身を自ら口にした。

 え? なんで飲んじゃうの? くれないの? と、困惑していると、ラビさんは手にしていたカップを小机に戻す。

 そしてそのまま、ラビさんが急速に近づいてきた。

 逃げる間は無かったし、思い付きもしなかった。


「んーー!! んぅうんっっ!!」


 身体に巻き付けていた上掛けごと抱き締められて、ラビさんの唇が私の唇に押し付けられた。

 ちくちくと不精髭があたる。

 じわりと口の中に仄かな甘みが侵入してきた。

 ラビさんの口から、果実水が少しずつ流し込まれる。

 それをどうしていいのか分からなくて硬直してしまうと、くいと顎を上向きにさせられた。

 果実水が喉へと落ちていく。

 身動ぎ一つ出来ない位きつく抱きすくめられたまま、口移しされる果実水を呑みこむ。

 上手く飲み込めなかった果実水が、口の端から零れて滴り落ちていくのが分かった。


 ラビさんから送られる果実水が無くなって、ようやく腕の戒めが解けて解放されると、私はすっかり震える声でラビさんを睨んだ。


「な、何をするんですか!!」


 私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。

 それはもう、ラビさんの髪や瞳くらいに。

 憤慨している私を見下ろして、ラビさんは少し笑いながらしれっと口を開いた。


「こうやって飲ませた」

「な、な、何を言って……。え? 飲ませた?」

「熱にうなされていたからな。少し強引だったかもしれないが、薬やらを飲ませた」


 ラビさんの言わんとするところを理解した私は声も出なかった。

 赤面したまま呆然と上掛け布団に包まる私の頭を、ラビさんはくしゃりと撫ぜる。


「部屋からは出るなよ。すぐに戻る」


 そう言うと、黒いマントを手にラビさんは部屋を出ていく。

 扉が閉まり、外側から鍵の掛かる音が鈍く響いた。



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