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35.5

 がちゃりがちゃりと耳障りな雑な音を立てて、ティーワゴンは部屋へと侵入してくる。

 もちろん事前に入室の許可を窺うノックは、当然のように省略されていた。


「ノックくらい、したらどうだ?」


 部屋の奥から呆れた、しかし既に半ば諦めを滲ませた声が、ティーワゴンとそれを押す男に向けられた。


「あぁ、ごめんごめん。忘れてたかな?」


 全く悪びれない口ぶりで答えた男は、顔に掛かった銀の髪を後ろに払うと押していたティーワゴンを部屋の奥へ進める。

 書き物机に向かっていたシュテファンジグベルトは、薄笑いで近づいて来るクヴェルミクスを迷惑そうに見た。


「今日は何だ?」

「お茶でも一緒にどうかなと思ってね」


 クヴェルミクスは何故か得意げに、ティーワゴンをシュテファンジグベルトに示した。


「最近ヒマでさ。僕の小鳥が逃げてしまってから、退屈で仕方がないよ」


 ティーワゴンから手を離すと、クヴェルミクスは長椅子へと腰を下ろした。

 その様子に、シュテファンジグベルトは溜息を吐いてから立ち上がる。

 今、シュテファンジグベルトの執務室にはアルトフロヴァルが居ない。

 彼がクヴェルミクスの言い様を耳にすれば、ここのところただでさえ良くない機嫌はさらに悪くなるだろう。

 とは言え、シュテファンジグベルトの機嫌もここ数日は目に見えて芳しくなかった。


「なにが、僕の小鳥だ。ふざけた言い方をするな」


 苛立ちを押さえずにシュテファンジグベルトは口を開き、そのままついと視線を扉に向けてしまう。

 その扉は書き物机の横にある、隣室へ続く扉だった。

 数日前から唐突に無人になったその部屋の扉を、シュテファンジグベルトは昼に夜にと何度も視線を向けてしまい、その度に苛立った。


 渋々ながらも、シュテファンジグベルトは長椅子に寛ぐクヴェルミクスの向かいへ腰を下ろす。

 癪だったが、お茶を飲みたい頃合いだった。

 見習い従者がいた時には頻繁に部屋に運び込まれていたティーワゴンも、ここ数日はめっきり出番を失っていた。


「はい。じゃあ、淹れてください」


 向かいに座ったシュテファンジグベルトに、クヴェルミクスが微笑みながらそう言って、ティーワゴンを指差す。

 シュテェファンジグベルトの金の髪が、怒りにさわりと揺れた。


「なぜ俺が、手ずからお前に茶を淹れなければならない? だいたい、それを勝手に運んできたのは、お前ではないか」

「僕が淹れても美味しく出来ないよ。それとも、アルトフロヴァルが戻るの待って彼に淹れてもらおうか?」

「……」


 シュテファンジグベルトは忌々しそうに鼻を鳴らして立ち上がった。

 アルトフロヴァルにクヴェルミクスがそんなことを要求すれば、不毛で険悪な遣り取りを暫らく眺めなければなくなる。

 それがいかに面倒なものか、ここ数日でシュテファンジグベルトは幾度も味わいうんざりしていた。


 嫌々ながらも、洗練された手付きでシュテファンジグベルトはお茶を淹れる。

 それを横目に見ながら、クヴェルミクスはローブの懐に手を伸ばす。


「王子様が淹れた紅茶を飲めるなんて光栄だな」

「……茶を飲みに来ただけ、ではないのだろうな?」

「お茶は、ついでだよ。この前の話しの続きをしようかなぁと思ってね」


 クヴェルミクスはローブの中から拳ほどの金色の置物を取り出すと、次々と長椅子の前のテーブルに並べ始めた。

 それは安っぽくもわざとらしい金色で塗られた、子犬の形の置物だった。

 伏せたり座ったり、駆ける様子や眠る様子など、子犬の動きを切り取って模した置物は可愛らしく躍動感に満ちた物だったが、金一色で塗られたことでその魅力は滅している。

 テーブルの中央に等間隔にそれを並べて、クヴェルミクスは満足そうに目を細めた。

 ティーワゴンに向かっていたシュテファンジグベルトは、振り向きざまに視界に飛び込んできた悪趣味な置物に持っていたティーカップを震わせた。


「貴様は……。何度言えば分かる。俺の部屋に妙なものを持ち込むな。飾るな。置いていくな」


 不機嫌に顔を歪め、シュテファンジグベルトは持っていたティーカップをクヴェルミクスの前に乱暴に置く。

 カップの中で上品な茶色が揺れた。


「いい香りだねぇ。王子様らしい紅茶だね」


 傍らで憤るシュテファンジグベルトをまるで気にせず、クヴェルミクスは紅茶を飲む。

 シュテファンジグベルトは、並んだ金色の仔犬たちを見て大きな溜息を吐き、部屋を見回してまた更に大きな溜息を吐いた。

 彼の執務室にはテーブルに並ぶ金の仔犬以外にも、同じ金色の先客がいた。

 書棚の上に金の鳩が数羽。彼の私室に通じる両開きの扉の脇の床には、嘶く金の馬。書き物机の上に寝そべる金の雄牛。

 クヴェルミクスは部屋を訪れる度に、シュテファンジグベルトにとって目障りな置き土産を残していく。

 しかもご丁寧に、置物が動かないようにと、それらをわざわざ魔法で固定していく。

 下らない魔法だったが、そこは魔法塔一の実力者だけはある。

 その魔法を解くことは掛けた本人にしか叶わず、シュテファンジグベルトの執務室は金色の動物に囲まれていく。


 シュテファンジグベルトが額に青筋を立てて口を開こうとした時、執務室の扉が静かに開きアルトフロヴァルが部屋に入ってきた。

 アルトフロヴァルは長椅子に座るクヴェルミクスを見ると遠慮無く溜息を吐く。


「また来ているのですか」

「お邪魔してるよ。王子の紅茶を堪能しているところなんだけど、アルトフロヴァルもどう?」


 ティーカップを揺らして微笑むクヴェルミクスから、アルトフロヴァルは視線をテーブルの上に移す。

 そこに並ぶ新入りの金の仔犬達を見ると、嫌そうに眉を顰めたが何も言わずに視線を逸らした。


 シュテファンジグベルトから、紅茶の入ったティーカップを受け取ると、アルトフロヴァルは長椅子の向かいの一人掛けへ座る。

 腑に落ちない様子のままシュテファンジグベルトもまた、カップを手にクヴェルミクスの正面に腰を下ろした。

 三人は暫し無言のままカップを傾ける。

 そして、溜息交じりにアルトフロヴァルが口を開いた。


「で、今日は?」


 アルトフロヴァルがちらりとクヴェルミクスを見れば、クヴェルミクスはローブの懐からガラス瓶を取り出した。

 金色の仔犬の列にそのガラス瓶を加えると、クヴェルミクスは口の端を上げた。


「今日はコレ」

「それは?」


 アルトフロヴァルの訝しむ視線の先で、ガラス瓶の中身が小さく光る。

 瓶の底に散らばる、ほんの僅かな粉が部屋の灯りを受けて光っていた。


「あの子のドレスに付着していたモノなんだけどね。やっぱり、ただの『眠りの粉』じゃなかったよ」


 『眠りの粉』という魔法薬はこの世界で用いられる、さして珍しくもない代物だった。

 その粉を吸えば眠りに誘われる、いわゆる軽度の睡眠薬として不眠の症状に用いられることが多い。


 クヴェルミクスはガラス瓶を指差した。


「こんなに濃度の高い粉、僕は初めてお目に掛かるよ。混じり気もなく、とても綺麗で強力な魔法薬……。こういうのはさ、西のお家芸だよね」

「それだけで、西が、ロザーシュが関わっていると決め付けるのか?」


 不機嫌そうに言うシュテファンジグベルトに、クヴェルミクスは首を傾げる。


「充分だと思うけどねぇ。だってさ、ソニアヴィニベルナーラの手紙にもあったでしょ? 西の様子がおかしいってさ」


 何かまだ言いたげなシュテファンジグベルトは、苦々しい表情で口を閉じた。

 代わりに、ガラス瓶を静かに見つめていたアルトフロヴァルが口を開く。


「西から流れてくる大気に妙に濃い魔力が混じっていると、ソニアヴィニベルナーラは書いていましたね」


 クヴェルミクスは頷くと、長椅子に深く身を預ける。


「僕の予想だとさ、西は何かヨクナイコトをしている気がするんだけどなぁ」

「何かとは?」

「んー。まだ、僕の想像の域が大きいんだけどねぇ」

「その何かが、なぜあれと関係する? カミーユはそんな素振り見せなかったぞ」


 シュテファンジグベルトの庇うような口振りに、クヴェルミクスは優しく微笑む。


「うん。見せないと思うよ。だって、禁術を使って何かをしているんだろうからねぇ」


 軽い口振りに含まれた『禁術』という物騒な響きに、シュテファンジグベルトとアルトフロヴァルの表情は険しくなる。


「禁術……ですか?」

「そ。あの子はさ、偶然この世界に紛れ込んだんじゃないよ。誰かが、何か明確な意思を持って呼んだんだ。古の禁術を掘り起こして、膨大な魔力を投じてね。きっと本来なら手中に収めるべく呼んだんだろうけど、何故かあの子はこの国の森に落ちていた。尋常じゃない手間暇掛けて呼んだモノを、そのまま放置するとは思えないよね」


 口を開かない二人の騎士を順に見てから、クヴェルミクスはテーブルの上のガラス瓶を指でなぞる。


「探していたと思うよ。ずっとね」

「……それで、その粉ですか」

「騒がせず、傷つけずに、運ぶなら確かに手っ取り早いよね。ただ、この濃度を使われたら普通は数日は眠り続けるだろうけどね。だから、あの子がどうやって西の皇子様の魔の手から逃げ出したのかは気になるなぁ」


 クヴェルミクスが口にした『西の皇子』という言葉に、シュテファンジグベルトの眉間に深いしわが刻まれる。

 それを宥めるかの様に、アルトフロヴァルは落ち着いて言った。


「決めつける必要はないかもしれませんが、西のロザーシュが関わっていると、考えの内に入れるべきでしょう」


 思い詰める様に黙るシュテファンジグベルトに、クヴェルミクスは事態の重さを感じさせない軽い調子で口を開く。


「シュテファン殿さ、仲いいんでしょ? 西の皇子さまとさ。聞いてみたらいいんじゃない? うちの可愛い見習い従者を知りませんかって?」

「お前は……」

「まぁ、そんな風に聞いて、知っていると答える訳も無いだろうけどね」


 そう言ってニタリと笑うと、クヴェルミクスはテーブルの上に置いたガラス瓶を懐に仕舞った。

 次の瞬間、きっぱりとしたノックが執務室の扉を鳴らし、室内の返事を待たずに扉が勢いよく開け放たれる。


「あら、珍しい人がいるのね。ごきげんよう、クヴェルミクス様」


 足早に部屋に入ってきたのは、茶色のレースとリボンが飾る卵色のドレスに身を包んだ、クラリッサフローレット姫だった。

 またしても供も付けずに一人で訪れた姫は、長椅子に座るクヴェルミクスに気付くと、少し怪訝そうにしながらも礼をする。


「これはこれは、クラリッサフローレット様。先日は、成人の儀を――」

「クラリッサ。今日は何の用だ?」


クヴェルミクスの白々しい挨拶を遮って、シュテファンジグベルトが不機嫌そうに訊ねると、クラリッサフローレットは畏まった笑顔を向けて答えた。


「ご挨拶に伺ったのよ。やっと面倒な儀式も終わって、これからは成人した王族として勤めるの。そこで、まずは、諸国の視察よ」

「は?」


 瞳を苺色に楽しげに輝かせて、クラリッサフローレットは話しだした。

 突拍子の無い返答に、シュテファンジグベルトは暫し唖然と妹を見つめる。


「ようやく準備も整ったし、明日立つことにしたの。それで、挨拶に伺ったのよ」

「な、何の話だ!?」

「ですから、王族として広い見聞を持ちたいと思いましたの。その為には、世界のことを少しでも知らなくてはと思いまして、明日から諸国を巡ることにいたしましたのよ」


 困惑するシュテファンジグベルトの横から、アルトフロヴァルが冷静に尋ねた。


「それは、また急なお話ですね。……パメラは、この件を知っているんですよね?」

「まさか! パメラには内緒よ。知られたら、ひと月は部屋から出してもらえないじゃない」

「クラリッサ……」

「でも、お父様の許可は頂いてるから問題ないわ。それでね、明日の出立に合わせて、白騎士団から腕の立つ者を何名かお借りしていくわ」

「何を、ふざけたことを。そんな急が通ると――」

「これも、お父様から許可は頂いていますから」

「待て! 騎士はともかく、パメラに話を通してからにしないか!! 俺がこの件を知ってた上に、騎士まで貸してると知られたら――」

「まだ支度の途中で忙しいの。失礼するわね」


 高陽気味に話を終えたクラリッサフローレットは、部屋に散らばる金の動物たちをチラチラと見てからドレスの裾を翻した。


「お土産、楽しみにしていらしてね」

「待て!! 話を聞け!!」


 にこりと姫らしく上品に微笑むと、クラリッサフローレトはあっさりと部屋を出て行ってしまう。

 その後を追い掛けて、シュテファンジグベルトも慌てた足取りで部屋を後にした。



「相変わらず、行動的なお姫様だねぇ。それに陛下の姫への甘さも、相変わらずみたいだねぇ」


 二人の出ていった扉を見ながら、のんびりとクヴェルミクスが紅茶を飲む。

 そして斜向かいに静かに座るアルトフロヴァルへ視線を移した。


「それで、街の方からは何か情報は?」


 アルトフロヴァルは首を横に振る。


「どこの関も、怪しいものは通していないようですね」

「まぁ、王都に出入りする全員を検めている訳じゃないから、あの子一人なら訳なく外へは出れるよね。つまり、行く先に手懸りは無しだね。困ったね。これでは、西の端の魔女に怒られてしまうね」

「ユズコの居た、北の森には人を向かわせています。……恐らく、そこへは向かっていないでしょうが。西のソニアヴィニベルナーラの元へも書簡と一緒に人を遣りました。道中でそれらしき者を見つけたら、直ちに保護するようにとも――」

「随分、手を尽くしてるんだね。たかだか見習い従者風情いに、人を動かして大丈夫なのかい?」


 クヴェルミクスは目を細め、面白い物を見る様にアルトフロヴァルを見た。

 アルトフロヴァルは冷たい眼差しでクヴェルミクスを見返すと、自嘲気味に微笑んだ。


「この程度なら、どうとでも言い繕えます。ご心配には及びません」

「流石、理知の騎士様だねぇ」

「シュテフは動けませんからね」

「白騎士団の団長で第四王子ともなるお人が、人捜しに動けば目立つだろうからね」

「ええ。ですから、何もしないようにとは言ってあります。それに納得はしていますが、……ずいぶんと苛立っているようですけどね」


 そう言ってアルトフロヴァルは、シュテファンジグベルトが日に何度も視線をやっては眉を寄せる扉を見た。

 その視線を追って、クヴェルミクスは薄っすらと微笑みを浮かべた。


「アルトフロヴァルもだけど、シュテファン殿までご執心とはねぇ」

「人のことは言えないでしょう? 最近は随分と城下に出向いているようですね」

「ふふふ。やっぱり、お見通しだった? 君等に見つけ出される前に、見つけてしまおうと思ってたんだよね。けど、なかなか見つからなくてさ。ここは協力体制が必要だよね」


 空になったティーカップをティーブルに置くと、クヴェルミクスは立ち上がった。


「逃げられちゃうとさ、ますます追って、閉じ込めたくなるよね?」


 クヴェルミクスの言葉にアルトフロヴァルは答えず、ただ静かに紅茶を飲み、部屋を出ていくクヴェルミクスを無言で見送った。



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