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私は常にフードの付いた服を身に着けている。
家の中ではソニアしかいないのでフードは外しているが、村に行く時はもちろん、森で村人に会うことも用心して戸外では必ずフードを被るのが常だった。
人に出会う可能性がある時にフードを被ることにしたのは、ソニアの勧めもあってのことだった。
深くフードを被ってしまえば、髪の色も瞳の色も顔立ちも隠すことができる。同時に常に少し大きめの衣類を着 用することで、身体つきも曖昧にした。
この地域は人口が少ないうえに端の土地にあるものだから、村を行きかう人たちの顔ぶれはほとんど変わらない。言ってしまえば田舎なのだ。ただでさえ来訪者の少ない田舎は排他主義も色濃いとのことで、そこに私の様なナリの者が突然現れたら、それこそひと騒動持ち上がることは容易に想像できる。
その上で、私はソニアの昔馴染みから預けられた天気読みの見習ということになった。
そうしておけば、天気読みなど最初から変わり者ばかりだと思われているのだそうで、私の出自や見てくれを必要以上に詮索されることもないだろうとソニアは言った。
面倒事を避けなければならない私は、もちろんソニアの提案にありがたく従うことにした。
その後、ソニアに連れられて村に出かけるたびに、好奇の視線にさらされているのがフードの下からでも痛いほど分かった。
目深にフードを被り顔を見せずろくに言葉も発しない私を村人は遠巻きに眺めて噂をしたが、なにしろほとんど森から出てこず、村に来る時は常にソニアのそばで大人しくする野暮ったい姿の私を見て、興味を引くようなこともないと判断してくれたのか、徐々に向けられる視線は減っていった気がする。
まぁ、それもこれも、天気読みとして村に多大に貢献しているソニアの庇護があってのことなのは言うまでもないけれど。
もしも、私が最初に出会ったのがソニアでなければ、こんな穏やかに暮らすことなど出来ていなかったと思う。
私の姿は、ここでは、異端なのだ。
湯気で曇った浴室の鏡を手で拭い、そこに映る自分をまじまじと見る。
月並みな顔立ち。ゆるくウエーブした髪の色は淡い茶色。瞳は深いグリーン。
すっかり見慣れたそれをらを確認するように見つめ終えると、私は視線を手元へ戻し作業を再開した。
手には純白の衣類。
私は白騎士の衣類の洗濯をしている。
明日使うために整えるよう指示された浴室のものとは、先ほどまで騎士が身に付けていた騎士装束一式だった。
浴室に入った途端に私が目にしたのは、無造作に脱ぎ散らかされた白い衣類たち。
これらを整えておけと、つまり明日には着られるようにしておけと、騎士は言っていたのだ。
がくりとその場に脱力した。
これを見なかったことにしてお風呂に入って横になってしまいたいという気持ちと、今すぐ私のベッドで休息中の白騎士を叩き起して『自分でやれと!』と怒鳴ってやりたい気持ちがせめぎ合う。が、もちろん後者は選択できない。思っただけだ。そんなことしたら面倒事になるだけだし、下手すると剣を抜かれるかもしれない。揉め事はダメだ。絶対にダメだ。ゆえに前者の洗濯を放棄もダメだ。穏便に事を運ぶのが一番なので、ここは白騎士の指示通りにするのが正しい選択なのだから。
白騎士に聞こえないのを承知で、盛大なため息をついてから散らかる衣類をタライヘ移した。
袖なしのシャツと下着だけの姿で浴室に入った私は、すっかり重くなったタライを床に下ろす。
まずは自分の洗濯物を片づけてしまおうと、濡れたコートを引っ張り出して洗い始める。
洗濯は、洗濯板と洗濯石鹸と自分の手を使って行う重労働なので、予想外の白い衣類の出現に気が滅入る。普段なら自分の分だけで済むのに。
ソニアは当然のように、自分の分は自分で洗濯していた。基本的に彼女は私に手伝いを要求することは少ない。メイドを家に入れたわけではないのだから、自分のことは今まで通り自分でするとしている。それはそれで家事の苦手な私は助かるのだけれど、それ以上にとても申し訳ない事態でもある。なにしろ私はここではお金を稼ぐことが出来ないので、生活に関わる全てをソニアに面倒を見てもらっている。
とんだ、ゴクツブシだ。
それをソニアは気にしなくていいと言ってくれている。天気読みの報酬は高額で、ここで暮らす自分には使い切れそうもないからと、私一人増えたところで何の痛手もないと笑った。
彼女の好意に甘えさせてもらっている現状で、いま私に出来ることはソニアの家の冬の留守番だけなのに……。
招かざる客を泊めてしまっている。
とりあえず、ソニアのワインとベッドを守れたのは良かった。……ガウンと室内履きは守れなかったけど。
白騎士には明日早々に出発してもらおう。これ以上、家主不在の家を荒らされては留守番の名折れだ。
自分の洗濯を終えて、タライに残った白騎士の衣類を摘み上げてみる。
手にしたシャツには、高価そうなボタンが並び所々に刺繍が施されている。
いかにも手洗い推奨。しかもかなりデリケートに洗うことを要求されそうなシャツで、気分がゲンナリと下降線をたどる。
他にも、飾り房やら銀色のプレート状の金属が付いていたりと、普通にザブザブ洗える衣類が無い。そもそもたいして汚れてもいない。
わざわざ洗濯する必要もなさそうな純白の布を掻き分けて、まずは簡単に洗えそうなものをと、装飾のないシンプルな布切れを見つけ出した。
がしがしと洗濯板に押しつけて洗う。少し乱暴にしている点は否めない。
石鹸の泡を流して、すすいで、絞る。軽く広げて洗濯済みのタライへと移す。
そのタライヘと移す前に、私は自分の手の中の物を認識した。
「あ……」
私の両手に広げられたのは、白騎士様のお下着だった。
しばらくそれを見つめてから、それを洗濯済みのタライヘ放り込むと、私は怒涛の早さで残りの洗濯物を片づけた。
フニフニと湯に浮かぶ小袋を揉むと、花の香りが湯船に広がる。
お風呂はいい。こうして、お湯に浸かるとささくれ立った気持ちも穏やかになる。穏やかに……、ならない!!
ひどい。ひどい。ひどい話だ。
パンツを洗わせるなんて!!
初めて洗うパンツは旦那さまのって決めてたのに!……いや、決めてないけど。考えたこともないよね。
恋人のパンツも洗ったことないのに!……まぁ、恋人がいたこともないのですけどね。
それでも、なんでどこの馬の骨とも知らない奴のパンツを洗わなくてはならないのか。いや、きっとこっちでは白騎士は身分確かな高貴な人で、どちらかというと馬の骨は私か……。
普通なのかな。さっき会ったばかりの相手に下着を洗わせるのは普通なのかな?やっぱりほら、身分制度とかあるとそういうものなのかもしれない。そうなのかもしれない。普通のことなんだろうな、きっと。
だって、お姫様や王子さまは自分のパンツを自分で洗わないよね。メイドさんがするんだよね。
そうか、そういう感覚か。取りたてて騒ぎ立てることでもないのか。逆に騒ぐことがおかしいんだろうな。騒ぎ立てて、俺のパンツに邪な気持ちでもあるのかと思われるのは困る。
じゃあ、この件はもういいか。不問にしよう。そうしよう。
それより……。パンツがここにあるということは。白騎士のガウンの下って……。
湯船の中でグルグルする思考のおかげで、すっかり茹った私はとりあえずは穏やかな気持ちで入浴を終えた。
洗濯物を干す段で、また微妙に気持ちがささくれるのはその少し後だった。
居間に張り巡らせたロープに掛る洗濯物を横目に、私はストーブの前の一人掛けに深く座った。もちろん、寝間着にも付いているフードはしっかりと深く被った上で。
灯りを落とした室内は暗く、ストーブの赤い灯りと小机に置いたランタンの黄色い灯りで私の周囲だけがホワリと明るい。
こくりと飲み込んだのは、紅茶。一仕事も二仕事も終えた私は、紅茶で一息付くことにした。
屋根裏の気配を窺ってみたが、上からは物音一つしない。よくお休みになっているようだ。
さらに一口紅茶を飲んで、温まった口の中にそっとチョコレートを含む。
はぁー。シアワセ。
口の中から体中に幸せの波がジワジワ広がる。そこへ紅茶をまた一口。
ランタンの前に置かれた小箱の中に並ぶのは、チョコレート。
紅茶葉よりも高価で貴重な品だ。
村では売っていないこれを、ソニアは遠い街から来る通いの行商人から買ってくれた。
何の娯楽もない森の中で暮らす私へ楽しみをと、ソニアは紅茶葉やチョコレートを与えてくれる。
ソニアはワインとドライフルーツ、私は紅茶とチョコレート。時折、夜に二人で贅沢品のそれらを少しづつ大切に楽しむのだ。
今夜は無性にそんな夜を過ごしたくて、屋根裏を気にしつつも癒しの時間を過ごした。
一杯の紅茶と一粒のチョコレートをゆっくりと大切に味うと、私は長椅子で予想以上に熟睡したのだった。
冬の朝は分かりづらい。
特にここでの朝は、明るさで目覚めることが出来ない。鎧戸を下ろした窓からは、外の明かりが入らないからだ。
それもあって、冬は寝過ごしがちになる。夜更かししている日が多いのも原因だけど。
とてもいい夢を見ていた。
ぽかぽかと暖かい所で、お茶会をしている夢。
懐かしい人達に囲まれて。
ずらりと並ぶ紅茶ポット。同じテーブルに山と積まれているのはチョコレート。
うふうふと薄ら笑いを浮かべながら、私は目を覚ました。
そして悲鳴を上げた。
悲鳴の先には白騎士がいた。
白騎士様は優雅に、モーニングティーを嗜まれていた。
私の大事な紅茶葉とチョコレートで!!