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手には手綱。
その先には焦げ茶の毛並みの馬が一頭、黙々と幌馬車を引き歩いている。
両側に広がるのは、霜の下りた凍った平野。
背後の幌馬車に沢山の木箱と眠るラビさんを乗せて、決して速くはない速度で、でも確実に、王都から離れていく。
王都を出るのは、呆気ないほど簡単だった。
私の分の旅支度を整えたラビさんは、翌朝早くから部屋の木箱を運びだして幌馬車へと積みこんだ。
木箱は見かけほど重くないようで、あっという間に宿の部屋から木箱は姿を消して、最後に私が運ばれた。
ラビさんとしては、治療中の足を労わってのことだと思うけれど、毎回子供のように抱きあげられて運ばれるのは恥ずかしい。
けれど私の運搬方法について、ラビさんは譲る気が無いようで、私の抗議は黙殺された。
宿の裏手には、一頭立ての幌馬車が停まっていた。
クリーム色の幌の掛かった馬車に、焦げ茶色の馬が一頭繋がれている。
御者台に私を座らせ、そのすぐ横にラビさんが座って手綱を取った。
馬車はゆっくりと走り出す。
明け方の街にまだ人影はなく、馬車が静かに走る音だけが響く。
王都を出る関所で、馬車は少し速度を落とした。
どこか眠そうな青色の騎士服を着た男性が、ラビさんを見ると軽く手を上げ笑顔で見送ってくれる。
馬車が止められたり、荷を検めたり、御者台の人物を確認することなど、一切無いまま、あっさりと馬車は王都を出て街道を走りだした。
その後聞いた話で、どうやら関所の騎士とは、王都に滞在しているうちに顔見知りになり親しくなっていたそうだ。
いわゆる顔パスが使えたということらしい。
私としてはありがたいけれど、王都の警備が心配になってしまい、少しだけ白騎士のことを思い出した。
広い街道を進みながら、ラビさんは私に手綱の扱いを教え始めた。
馬車を引く馬は性質も大人しく賢いので、特に難しいことはないと言われて戸惑いながらも手綱を握る。
私の特技ということになっている言葉は、しばらくは必要ないそうで、かわりに昼の間に馬車を走らせる役目を与えられた。
私が昼間一人で馬車を走らせ、その間にラビさんは睡眠を取る。
私が夜に幌馬車で休む間、ラビさんは外で火を焚き幌馬車の番をして夜を過ごす。
この昼夜の過ごし方は、旅の大半を野宿で過ごすために必要だった。
野宿。
少しもそれを予想していなかった私は、アルトさんや白騎士にすっかり甘やかされていたのだろう。当然、夜は宿屋に泊まれるものだと思い込んでいたのだから。
私とラビさんの旅路には、町や村が少なく、それぞれの間隔も随分と空いているそうだ。それゆえ、道中の半分以上は野宿になる。
無い物ねだりをしても仕方がないし、そもそも私は現状にあれやこれと文句を言うべき立場でもない。
トイレのこととか、お風呂のこととかが、脳裏に浮かんだけれど。
野宿と言っても、寝床は幌馬車の荷台の中で毛皮の敷物と毛布に包まって眠れる。
木箱に囲まれているけど、地面に寝転がる訳ではないし、星空を眺めながら眠るわけでもなく、厚手の幌は壁と天井の役割をしっかりと果たしてくれるから、思ったよりも野宿ではない。
それになにより、夜には一人幌馬車に籠って休むことが出来る状況は、私には大変ありがたいこととなった。
目の色が緑を維持していることに、なかなか安堵出来なかった私は、手鏡で繰り返し自分の瞳を映し確認していた。
晩餐会の夜に黒く戻ってしまった目の色。
クヴェルミクスの魔法は一度は解けてしまったはずだから、目が緑なのは助かるのだけど腑に落ちない。
ラビさんの目を盗みつつ、手鏡を覗いて過ごした日の終わり。
太陽が西へ傾き地平線に姿を消す。
冬の早い日暮れに辺りが夜色に包まれきる前に、私が覗いた手鏡の中には黒い瞳が映ってしまった。
動揺を隠しつつ、フードを慎重に被り、私はその後の時間をやり過ごす。
幌馬車の中に一人になった後も、薄暗い荷台で繰り返し手鏡を覗いて一晩を過ごした。
そして翌朝、幌越しに朝日が昇って来たのを感じながら、私が手鏡の中で見たのは、緑色の瞳だった。
私の目は、日の出る時間は緑になり、日没と共に黒へ戻ってしまうという、なんとも奇妙なモノになってしまっていた。
掛けられた魔法が壊れかけているからだろうとは分かる。
でも、それが分かっても今のところ打つ手は思い当たらないから、この壊れかけの魔法が、少しでも長く持ってくれることを祈るしかない。
そして、完全に魔法が解けてしまう前に、この目を隠す方法を見つけないとならない。
牧歌的に焦げ茶の尾が左右に規則正しく揺れるのを見ながら、私は心中で渦巻きそうになる不安を宥めるしかなかった。
目の色に不安を抱きつつも、旅は拍子抜けするほど順調に平和に進んだ。
ラビさんとは三度の食事の時に顔を合わせる程度で、先の宣言通り他愛のない会話を少し交わすくらいで、私の身の上話を聞き出そうとはしなかった。
朝と夜には足の手当てもしてもらい、私の左足はずいぶん良くなった。
だけどただ少し、いや、だいぶ残念に思ってしまうことがある。
それは食事だった。
日がな一日、馬車はポクポクと前に進む。灰色の平原の間を、ただただ前へと進む。
言ってしまえば面白みのない一日の中で、食事はほとんど唯一の楽しみとも言えるはずだ。
王都を出た日の朝ご飯は、走る御者台で食べた。
ラビさんが用意してくれていたのは、王都のパン屋のサンドイッチだった。
厚切りのベーコンとチーズがたっぷりと詰まったサンドイッチ。美味しかった。
その日のお昼ご飯は馬車を停めて、ラビさんが支度をしてくれた。
お馴染みの黒いパンにチーズと干し肉と乾燥ハーブを挟んだもの。まぁ、美味しかった。
その夜のご飯は、野宿の場所を定めてからラビさんが手際良く支度してくれた。
お昼と同じチーズと干し肉の挟まったパンに、火を起こしたのでお茶が付いた。ジィジィ茶だった。
翌朝、二日目の朝ご飯は、昨夜のジィジィ茶の残りとチーズと干し肉を挟んだパン。
まさかと思ったけれど、昼ご飯も同じメニューだった。
昼食後から悶々と考えていた夜ご飯は、やっぱりおなじメニューに苦いジィジィ茶。ラビさんは葡萄酒も開けていた。
パンもチーズも干し肉も不味くはない。
量も申し分なく与えられているから、お腹は一杯になるし、挟み込まれた乾燥ハーブが一役こなして風味も良く、外で食べる食事としては美味しい。
干し肉は少し固いけれど。
でも、まさか、連日連夜、判で押したように同じメニューが出続けるというのは地味に辛い。
贅沢を言ってはいけないのだろうけど、二日目の晩にしてすでに食傷するとはどういうことか分かってきた気がする。
それでも出された分はきちんと食べ、苦いジィジィ茶も飲み干して、就寝前の足の手当をしてもらってる時に、ついに私は口火を切った。
「ご飯は……」
「うん?」
私の足に布を巻きながらラビさんは返事をした。
視線は足に向けられたままだったので、意を決して私は続きを口にした。
「旅のご飯というのは、決まっているのですか?」
ふと、ラビさんは手を止めて私を見上げて首を傾げた。
「いえ、あの、毎回同じものなので、決まっているものなのかと思ったんですが……」
口ごもる私に、ラビさんは笑うと視線を下へ戻し手を動かし始める。
「なんだ、口に合わないか?」
「そうではないんですけど、でも、……毎日、三食同じなんですね」
「そうだな。いま積んでいるもので作れるのは、あんなもんだな」
「……ということは、明日も明後日も」
「同じものだな」
事も無げに言うラビさんに、思わずため息を落としそうになった。
やっぱりこれからも毎日同じメニューなのかと思うと、またため息がこぼれそうになる。
「飽きないんですか?」
「ふむ。考えたこともなかったな。道中は腹が膨れれば、それでよかったからな」
「そうなんですか……」
落胆した私の様子に、足に布を巻き終わったラビさんが立ち上がって笑った。
どうやらこの件で、気を悪くしたりはしていないようだ。
「どうやら食事に不満なようだな。それなら、やってみるか?」
面白そうに言われて、私は即座に聞き返してしまう。
「いいんですか?」
「構わない。いや、むしろ、助かるな。明日の夜には町に入れるだろう。食事のための買い物も出来るし、久しぶりに宿に泊まれるぞ」
ラビさんの言葉に浮足立つ。
宿屋も村での買い物も、ほんの二日野宿しただけなのにとても久しぶりの様な気がしてならない。
「本当ですか!?……あ、でも、期待し過ぎないでくださいね」
浮かれた声音を落ち着かせて、私は済まなそうにラビさんに言った。
食事に難癖つけてしまったけれど、私の料理の腕は取りたてる程のものではない。むしろ平均以下かも知れない。
そんな私の心中を知ってか知らずか、ラビさんはその大きな掌を私の頭に優しく置いた。
「いや、楽しみにしている」




